著者
田辺 繁治
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.73, no.3, pp.289-308, 2008-12-31

本稿は日本文化人類学会第42回研究大会(2008年6月1日、於京都大学)における第3回日本文化人類学会賞受賞記念講演の内容を書き改めたものである。その目的は、1960年代末から今日にいたる私自身の人類学研究をふり返りながら、人びとが想像的、再帰的な実践のなかでコミュニティを構成していく過程を考察することにある。ここではコミュニティとは、すでにそこに存在するものばかりでなく、人びとの欲望、想像や思考の展開のなかで実践的に創られていくという視角から考える。そこでまず1970年代以降に現れたブルデューやレイヴ/ウェンガーらの実践理論を批判的に検討しながら、コミュニティが多様な権力作用のなかで形成されることに注目する。ここでいう権力作用とは他者にたいする外部からの支配だけでなく、イデオロギーや言説のように、人びとの認知様式や価値評価に影響をおよぼし、秩序の承認へと導く効果を含んでいる。そうした権力作用にたいする抵抗あるいは闘争を描くことは20世紀末の民族誌の重要なテーマであり、そこには西欧近代の主体概念とは異なったエージェンシーの躍動が浮き彫りになった。私が取り組んだ北タイの霊媒カルトやエイズ自助グループの研究も、病者や感染者たちがコミュニティのなかで自己と他者、権力の諸関係を想像的、再帰的な実践をとおして創りなおしていく過程に焦点をあてるものであった。彼らの実践の資源となるのは合理主義的知であるよりは、むしろコミュニティに埋め込まれた自分たちの<生>にかかわる解釈学的知である。しかし他方、近年の社会的マネージメントの展開において、こうしたコミュニティのなかに形成される共同性そのものが、国家、企業、NGOなどを含む多様な権力が介入する回路や標的となっていることに注目しなければならない。そこでフーコーの統治性の概念は、権力がそうしたコミュニティの枠組みをとおして介入し、自己規律化するフレキシブルな主体を構築していくことを分析するにあたって有効だと考えられる。このようにして人びとが想像力によってコミュニティを新たな共同性として構成してゆく道筋は、統治テクノロジーの作用による自己規律化と重なりあっているのであり、人類学はそうした重層的過程にアプローチする必要があるだろう。
著者
野澤 豊一
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.75, no.3, pp.417-439, 2010-12-31

本稿では、米国黒人ペンテコステ派キリスト教会で実践される儀礼的トランスダンス「シャウト」の成立過程を例に、トランスダンス出現のメカニズムとその表現上の特性について考察する。従来の研究では、トランスダンスは文化的に構築された表象として理解されてきたが、この接近法はペンテコステ派の実践の核心にある「非決定性」を正しく把握するのに重大な余地を残している。「非決定性」とは、礼拝におけるシャウトの即興性やペンテコステ的な信仰を支える受動性を包含する概念である。この非決定的なプロセスを可視化するために、本稿では、シャウト出現時の即興的な信者間のやりとり(及びそこで成立する関係性)に注目し、シャウトが出現するメカニズムを「相互行為の構造」として把握する。それによりシャウトは、<没入者(シャウトする者)>とそれに対する<関与者>との間の、「<没入-関与>関係」から出現すると記述することが可能になる。こうした用語が有意味なのは、シャウトの正しい成立にあって、シャウトが踊られること自体よりも、<没入-関与>関係の十全な成立の方が有意な場面があるからである。これらの場面からは、対面相互行為における個人の没入行為が、他者との相互的な自発性によってはじめて達成されるという事実が確認できる。これが相互行為の相におけるシャウトの「非決定性」の内実であり、これには対面相互行為に本来的な「ユーフォリア」が伴う。シャウトという身体的表現は宗教的には「聖霊の働き」と解釈しうる。だが、その出現過程を関係性から記述することは、シャウトが、他者との関係性の切り結びを希求する、「表情性」豊かな身ぶりでもあるという発見につながる。相互行為としての非決定性と身ぶり表現としての表情性という2つの特性は、シャウトという超越体験と日常性とのつながりを視野に入れることによって、はじめて意義深いものとして発見されるといえる。
著者
楊 海英
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.73, no.3, pp.419-453, 2008-12-31 (Released:2017-08-21)

社会主義者たちは「民族の消滅」を理想に掲げ、そのために闘争してきた歴史がある。中国共産党は文化大革命中に、彼らが得意としてきた暴力で以て「民族の消滅」を実現させようとした。内モンゴル自治区では、この地域が中国領とされたがゆえに、モンゴル人を対象とした大量虐殺事件が発生した。本稿は、中国文化大革命中の1967年末期から1970年初頭にかけて、内モンゴル自治区で発生した「内モンゴル人民革命党員大量虐殺事件」をジェノサイド研究の視点からアプローチしたものである。内モンゴル人民革命党は、モンゴル族の自決と独立のために、1925年にモンゴル人民共和国とコミンテルンの支持と関与のもとで成立した政党である。その後、日本統治時代を経て、第二次世界大戦後にモンゴル人民共和国との統一を目指したが、中国共産党によって阻止された。文化大革命中に「内モンゴル人民革命党の歴史は偉大な祖国を分裂させる運動である」と毛澤東・中国共産党中央委員会から断罪され、モンゴル人のエリートたちを根こそぎ粛清する殺戮が発動されたのである。本研究は、従来から研究者たちによって指摘されている「国民国家型ジェノサイド」理論に沿って、ジェノサイドと近代の諸原理とりわけ国民国家と民族自決の問題との関連性に焦点をあてている。国民国家たる中国からの統合と、その統合に反対して別の国民国家を建設しようとしたモンゴル人たちが大量虐殺の対象にされた経緯を分析したものである。「モンゴル人ジェノサイド」に社会主義中国の対少数民族政策の強権的、暴力的な本質が内包されている。
著者
内山田 康
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.73, no.2, pp.158-179, 2008-09-30

アルフレッド・ジェルは、美学的な芸術の人類学の方法は行き止まりに突き当たると言った。それはどのような行き止まりだったのか。この行き止まりを超えることはどのようにして可能だとジェルは考えていたのか。このような疑問に突き動かされて本稿は書かれている。ジェルのArt&Agency(以下AA)を批判したロバート・レイトンは、ジェルが芸術の人類学を議論する時、文化や視覚コミュニケーションを重要視しない点を批判した。もしも見直す時間が残っていたら、ジェルは、このような点を書き改めたに違いないとレイトンは言う。レイトンはジェルの作品全体の中にAAを位置づけなかったから、このような仮定が立てられたのだろう。私はAAをジェルのより大きな作品群の中に位置づけなおして、ジェルの芸術の人類学が前提とした認識論へ接近しつつ、その芸術の人類学で重要な役割を果たした再帰的経路の働きと、図式の転移について考察する。
著者
近藤 祉秋
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.76, no.4, pp.463-474, 2012-03-31

This paper aims to discuss the human-animal continuity through theoretical and ethnographic perspectives on the relationship between humans and animals in Japan. Pamela Asquith and Arne Kalland proposed a nature continuum in which humans perceive and act upon nature in two opposite directions: on one hand, domesticated nature, whose beauty is cherished, and on the other, wild nature, that must be tamed by human interventions. However, the model of nature continuum proposed by Asquith and Kalland is not necessarily compatible with theories of the human-animal relationship in Japan. John Knight argued that Japanese people show enmity toward wild animals that feed on the crops they have grown, but also mentioned that interactions with pests give them an opportunity to realize a continuity between humans and animals. Kenichi Tanigawa likewise stressed the fact that the human-animal (-spirit) continuity is based on competitions among them. While Asquith and Kalland assumed the existence of two perceptions of "nature" among the Japanese, and stressed the human intervention that transforms wild nature into a domesticated one, Knight and Tanigawa's discussions called for a more sophisticated analysis on human-wildlife continuity that can even accommodate rivalry between the two. Moreover, as I try to demonstrate in the discussion to follow, the model of nature continuum proposed by Asquith and Kalland cannot explain the seemingly "cultural" characteristics that cats in Oki Islands were said to possess, leaving the impression that this model has limited applicability for studying the human-animal relationship. Based on the case study of the human-cat relationship in the Oki Islands, I argue that humans and cats share "one culture," in that both compete for fish, have a linguistic capacity, engage in dancing and singing with other fellows, formulate stable marital bonds with another individual of the same species, sometimes try to modify their environments through manipulation, and do "sumo wrestling" between the two species. It is then suggested that the human-cat relationship in the Oki Islands can be understood in terms of a human-animal continuity based not only on human-animal competition over the same food, but also on the sharing of "one culture" between the two species. I then argue that Amerindian "multinaturalism," a term proposed by Eduarudo Viveiros de Castro as a possible cosmological model of Amerindians, has an analogy with the human-cat relationship in the Oki Islands, in that humans and non-humans share "one culture" in both cases. Since Viveiros de Castro mentioned the sharing of "one culture" as "animism," it is suggested that the human-cat relationship in the Oki Islands can be characterized as "animism" in his sense. In spite of the abovementioned similarity, there exists an important contrast in those two examples: the "many natures" in Amerindian "multinaturalism," and the Japanese human-animal continuity that is revealed through human-animal competition over common staples, a point already mentioned by John Knight and Kenichi Tanigawa in their studies on human-animal relationship in Japan. Therefore, the tentative conclusion of this paper is that the human-animal relationship in Japan should be analyzed with the two interconnected dimensions of the human-animal continuity in mind, and that recent discussions on "animism" should offer valuable insights to an investigation of the topic.
著者
金 明美
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.69, no.2, pp.213-235, 2004-09-30

本稿は、戦前の学校や徴兵などによる国民化の過程を通して民衆に身体化されていった国民意識が、戦後どのように維持または変形されてきたのか、現在では庶民生活に身近となっているスポーツの普及過程を通して、そのメカニズムについて考察することを目的とする。ここでは、ローカリズムとナショナリズムの関係に注目する観点から、具体的な事例として、「サッカーのまち」として知られ、戦後日本でいち早く地域的にサッカーの大衆化を経験した清水市におけるサッカーの普及過程を取り上げ、ローカルな場における人々の身体がどのようにナショナルな枠組みに方向づけられていったのか、そこに働く構造化の仕組みについて記述・分析する。これによって、「サッカーのまち」へとローカル・イメージが変化する過程も含め、清水市のサッカー普及過程には、ローカル・アイデンティティの再形成とともに国民意識の身体化が進行するという、ナショナリズムとローカリズムの相互浸透の過程が表象されていることが明らかにされる。「サッカーのまち清水」という一見地域特殊的に見える現象が、いかにナショナルな次元と関係しているかを検証することにより、国民意識の身体化についての人類学的研究が、ナショナリズム研究に貢献できる一つの方向性を提示する。
著者
川口 幸大
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.69, no.2, pp.193-212, 2004-09-30 (Released:2017-09-27)

本稿は、中国共産党政策下において、村落社会の葬送儀礼がいかに変容/あるいは持続してきたのかを、広東省珠江デルタの事例から考察しようとするものである。葬送儀礼に対する共産党政府の改革は主として、葬儀に費やされる出費と、共産主義的なイデオロギーに抵触する「迷信」的な要素を排除することを意図したものであった。しかし、現地調査で得た事例から明らかになったのは、葬送儀礼を全体としてみた場合、帝政後期(およそ1750年から1920年)に確立していたと言われるかたちが、今日においてもほぼそのまま踏襲されているということである。すなわち、現在の葬送儀礼では、死者を居住区域の外へ運び出し、火葬した骨を風水墓地に埋葬する。同時に、魂を冥界へ送って、位牌と墓を設け、崇拝対象としての祖先へと移行させる。そして、これらの行為を規定しているのは、死に対する忌避の念と、死者の魂への適切な処置の方法である。また、この過程において、先行研究で示されてきた「伝統的」な葬送儀礼を構成する諸要素のほぼすべてを見出すことができた。一方、個人レベルに視点を移すと、特にエリート層に属する人々は、たとえば父の位牌の作成を放棄したり、儀礼の伝統的な手続きに否定的な態度を示すという状況が見られた。この相反するかに見える現状の背景には、20世紀初頭から知識人たちによって展開されたモダニズム-中国は伝統の拘泥から脱し、近代化の道を進まねばならない-と、それを引き継いだ共産党政府の宗教・信仰に対する政策がある。中華人民共和国の建国後、特に文化大革命期をピークとして、共産党は「封建」「迷信」というラベリングを施しながら、既存の文化・慣習・信仰等の批判と排撃を進め、そこに負の価値を定着させていった。結果として幹部や高等教育を受けた新たなエリートに関する限り、その宗教や信仰への態度規範を、圧倒的大多数の村落社会の人々が志向してきたもの-すなわち伝統-から切り離すことには成功しつつある。しかし、それ以外の村落社会の一般住民にとって、共産党の政策は、人々の宗教・信仰を対象化せず、死を克服するための観念的あるいは物質的なオルタナティブを提供するものではなかったということができる。

5 0 0 0 OA 共生の実際

著者
シンジルト
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.81, no.3, pp.466-484, 2016 (Released:2018-02-23)
参考文献数
43

中国西部の内モンゴル自治区アラシャ地域では、モンゴル族と漢族は大きな葛藤もなく共に暮らし、一種の民族共生を実現している。それが可能になった理由としてまず考えられるのが、乾親という擬制親族関係である。アラシャの乾親関係は民族内部だけではなく、異なる民族間で結ばれることが期待される。多くの研究者は、民族間の乾親は民族境界を消失させ、民族共存を可能にする制度だと理解する。だが、その内部を吟味すると、民族間の乾親関係の締結はむしろ民族境界の存在を前提とし、締結によって民族境界が強化されることに気づく。 乾親は、血縁関係のない他親族集団に子どもを帰属させれば、自親族集団に降りかかった不幸から子どもが守られるという論理に基づく実践である。乾親実践において、血縁は自他集団を境界づけており、血縁を基盤におく境界を越えること、積極的な自己の他者化が重要視されている。自己の他者化は民族間の乾親でもみられた。漢人にとって、モンゴル人は自分と血縁関係がなく、文化的にも接点がない。その他者性故に、モンゴル人は漢人から乾親になることが期待される。しかし、他者性を欲する乾親実践には、民族境界の消失を前提とする民族の共生は期待できない。 民族の共生を考える上で重要なのは、モンゴル人にとって乾親は必ずしも魅力的ではないものの、それでも乾親関係の締結を望む漢人の要請を断れず受け入れる点である。彼らの認識では、万物に絶対的な幸運であるケシゲは遍在しながら増減もする。ケシゲを増やすべく、他者に対する否定的な言動は「エブグイ(不和)」と理解されやすい。エブグイを回避すべく、他者の要請をなるべく拒絶しないように配慮する。配慮の結果、漢人側の要請を受け入れる。この配慮は彼らの論理の産物だが、その論理に必ずしも共感しない漢人からは、「寛容」だと評価される。この寛容さこそ、乾親関係を超えたところに、共生という効果を生み出す。これが一地域社会における共生の実際である。
著者
前川 真裕子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.78, no.3, pp.412-423, 2013-12-31 (Released:2017-04-03)

My research analyzed a small Melbourne community of non-Japanese practitioners of a Japanese martial art (kendo) , focusing on their understanding of their practice, Japanese culture, and Otherness. In particular, I focused on the way that non-Japanese practitioners interpret a practice of the Other by combining their kendo practices with images provided in the media. In the genealogy of representation related to Japan (including that country's martial arts culture), 'things Japanese' have always been targeted by Orientalists who expect a 'Japan that is uniquely Japanese.' Borrowing the words of Edward Said, who stated that 'the Orient is thus orientalized' (Said 1979: 67), Orientalists' views on things Japanese have 'Japanized' Japan, and established dichotomized images as if something essential divided Japan and the West. However, what I learned from the narrative of Melbourne kendo practitioners was the everyday reality that kendo practice does not necessarily stimulate their desire for 'things Japanese.' From my work, I would instead suggest that kendo practice in Melbourne is done to stimulate males' longing for sword-fighting, combined with the image of other Western knight adventure stories such as Star Wars. Some practitioners carry out kendo as a practice with the generalized image of knights' sword-fighting, and do not necessarily highlight its uniqueness as an exotic non-Western practice. They take kendo practice to be their preferred interpretation of invigorating their masculinity. Melbourne practitioners of kendo thus vacillate between the frameworks of dichotomized stereotypical representations produced in Japan and the West. Secondly, I further suggest that kendo for Melbourne practitioners is somehow related to a sense of 'familiarity' with such a practice that they have felt since early childhood. For some Australian middle-aged people, Japanese culture, including samurai sword fighting, represents a thrilling type of entertainment transported from abroad that they once consumed as children in school grounds and their backyards as an ordinary form of play. Analyzing the narrative of one male middle-aged kendo practitioner, I found that kendo practice for such Australians still forms part of the continual process of conducting their everyday lives, and that they make sense of their daily lives through foreign things.
著者
中谷 和人
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.74, no.2, pp.215-237, 2009-09-30

1980年代の半ば以降、「芸術」や「芸術作品」という現象やモノをいかに論じるかは、人類学にとって最も大きな課題の一つになっている。従来の議論では、しばしば美術界やその制度的・イデオロギー的なシステム(「芸術=文化システム」)への批判、あるいはそれに対抗するかたちでの文化の差異の生産や構築に焦点が当てられてきた。だがその視角は、「異議申し立て」や「交渉」を行なう自律的な主体の存在が前提とされている。一方アルフレッド・ジェルは、「芸術的状況」や「芸術作品」を美術制度との関わりによっては規定しない。ジェルにとってそれらの存在を証明するのはモノとエージェンシーを介して生じる社会関係であり、またその関係は「エージェントのバイオグラフィカルな生の計画」へと結び付けられねばならない。本論文は、現代日本において障害のある人びとの芸術活動を進める二つの施設を事例に、その対外的な取り組みと実践の状況を検討する。一方の施設は、「アール・ブリュット/アウトサイダー・アート」という美術界の言説を逆手にとって利用することで自らの目的を達成しようとする。またもう一方では、こうした美術界の一方向的なまなざしから距離をおき、自らの「アート」を自らで決定しようと試みる。本論では、各施設が展開する戦略と運動を跡づけるとともに、活動現場での相互行為や社会関係がいかに多様な創作・表現(物)を生みだしているか、またそれら「芸術(アート)」の多元的な意味が当事者の生の文脈とどのように接合しているかを解明する。
著者
コーカー ケイトリン
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.86, no.4, pp.617-634, 2022-03-31 (Released:2022-07-20)
参考文献数
53

本論では、ポールダンス実践の生成変化に焦点を当てて、その経験的かつ物質的な側面を明らかにする。その目標は、人類学的な研究における情動の捉え方および伝え方に貢献することにある。まず、情動論的転回とその問題点を紹介する。そして、これまでの情動論が心身二元論の片方あるいは両方を別々の領域としてきた傾向を問題として取り上げる。この問題に対し、本論は人類学における情動論の原点の1つといえるドゥルーズとガタリの『千のプラトー』の第10章をもとに、情動そのものの定義を問い直す。より具体的にいえば、情動の発現をドゥルーズとガタリのいう生成変化そのものと捉える。これを基盤に、ポールダンス実践において実践者の間で最も共有される現象であるアザを出発点とし、アザの思い出、そしてアザがほのめかすエンスキルメントの過程における想像力に注目することで、フィールドでの情動的な次元をより鮮明に浮かび上がらせる。このように情動の実践的かつ身体的な側面を明らかにすることで、人類学における情動概念および方法論の新たな展開を目指す。
著者
小川 さやか
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.82, no.2, pp.182-201, 2017 (Released:2018-04-13)
参考文献数
30

グローバリゼーションや都市の近代化と深く関連したジェントリフィケーションやゲーテッドコミュニティの出現、非-場所的な空間の拡大により、都市公共空間をめぐるアクター間の緊張関係が問われるようになった。これを受けて、路上商人問題を、国家や路上商人、市民社会のあいだで路上という資源をめぐり「働く権利」、「公平な労働のための権利」、「通行/運送の権利」、「移送/賃貸権」、「管理・運営権」など様々な権利の拮抗として位置づけ、路上商人による組合化とそれを通じた集合的行為に注目する研究が台頭している。本稿では、これらの研究が期待するインフォーマルセクターによる組織化とは、既存の都市公共空間の管理運営に迎合的なかたちにインフォーマルセクターの経済実践を埋め込むことを目指すものであることを指摘し、タンザニアの路上商人マチンガによる組合形成の過程および組合運営の特徴を、現実の路上空間とパラレルに存在する「イ フォーマルな政治空間」の拡大としてみる視点を提示することで、路上商人が都市公共空間を管理・統制する国家と取り結び始めた新たな関係をめぐる先行研究の議論を再考する。
著者
川田 順造
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.71, no.3, pp.311-346, 2006-12-31 (Released:2017-08-28)

本稿は日本文化人類学会第40回研究大会(東京大学駒場キャンパス)で2006年6月3日に、同じ題名で行なった同学会の第1回学会賞受賞記念講演の内容を、大幅に補って文字化したものである。始めに、文化人類学、それも自然人類学、先史学、言語学なども含む総合人類学の教育を日本の大学で受けた第一世代であり、その後自然史の一部としての人類学・民族学の伝統の強いフランスで学んだ筆者の体験を基に、文化人類学者形成のあり方、自然史の一部としてのヒトの科学の位置についての考察を行なった。このような研究基盤と日本、アフリカ、フランスでの長期のフィールド・ワーク体験とから、筆者は文化人類学が他の学問と異なる特徴として、(a)専門化された一研究分野であるよりは、一種のメタ・サイエンスであること、(b)ヒトについての極大のパラダイム知と長期の異文化体験によって得られる個人的な体験知との結合、(C)マイナーなものへの注目と定性分析、(d)自然史の一過程としてヒトとその文化を捉える視野、等を挙げた。こうした基本性格をもつ文化人類学は、(イ)直接の形では現実の社会に役立たない非実学であるが、広い視野で現実を捉え位置づけるという、すぐには役立たないことによって役に立つ学問であるべきこと、(ロ)その意味でヨーロッパでのルネッサンス以来の「ユマニスム」の精神を現代に受け継ぐものであること、(ハ)そのために文化人類学者は、現実の社会に起こっていることに対して常に強い関心をもつべきであること、(ニ)かつてのヨーロッパの「人間中心主義」のユマニスムではなく、人類学は自然史の中にヒトを位置づけ種間倫理の探求を志向する、現代のユマニスムであるべきこと、等を述べた。現代社会との関わりにおける筆者自身の実践として、靖国神社・遊就館、千鳥ケ淵墓苑、東京都慰霊堂などへの中・韓・米などからの留学生も含めた、友人学生との毎年8月15日のフィールド・ワーク、ユネスコの有形・無形文化財の保護活動への参加、消滅しかけている日本の無形文化遺産の調査、「開発」問題とのかかわり等を挙げた。また集合的記憶の場、文化的意味を担う動態的な場としての「地域」の視点から、擬制としての近代国民国家を相対化する研究計画や、日本の事例も含めた市民社会論の可能性に触れた。文化認識に不可避の主観性を相対化し、対象化する方法の一つとして、研究者の文化、人類学の視点を生み出した文化、その方法によって研究対象とした文化の3者を、「断絶における比較」から相互に参照点とする、筆者の提唱する「文化の三角測量」について述べ、それに基づいた研究成果のいくつかを挙げた。
著者
藏本 龍介
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.78, no.4, pp.492-514, 2014-03-31 (Released:2017-04-03)
被引用文献数
1

上座仏教の出家生活は、社会から離れることを重要な前提とする一方で、社会からの布施に依拠しなければ成立しえないというアンビバレントな特徴をもつ。M.モースの『贈与論』に依拠するならば、こうした出家生活は、成立不可能なものである。なぜなら出家者は布施を受け取ることによって、社会に対して負債を負うことになるからである。実際、上座仏教徒社会の民族誌が明らかにしているのは、社会との贈与交換関係に組み込まれざるをえない出家者の姿である。それでは「出家」という生き方は、不可能なものなのか。いいかえれば、<世俗=贈与交換の世界>を超えることは可能なのか。この問題を明らかにするためには、出家者の視点から社会との関係を捉え直す必要がある。そこで本論文では、ミャンマー(ビルマ)のT僧院を事例として、「出家」を目指す試行錯誤とその帰結を分析する。こうした作業を通じて、上座仏教における教義と実践の複雑で動態的な関係を浮き彫りにすることが本論文の目的である。まず、T僧院がどのように設立され、何を目的としているかを分析する。そしてT僧院においては、「出家」を実現することこそが、出家者だけでなく在家者をも利することになるという、独特な布教観がみられることを示す。次にこうした<出家=布教>の挑戦は、具体的には(1)「森」に住む、(2)社会と贈与交換関係を築くことの拒絶という、徹底した社会逃避的な態度として現れていることを確認する。最後に、実際にT僧院はミャンマー社会にどのように受け入れられているかを分析する。そしてT僧院の<出家=布教>という挑戦は、仏教に目覚めた都市住民と結びつくことによって、出家者についてまわる(1)経済的リスクと(2)崇拝対象となるリスクを回避しえていることを示す。このようにT僧院の事例は、「出家」という形式が、出家者と在家者双方の努力と理解によって実現可能であるということを示唆している。
著者
大石 高典
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.86, no.1, pp.076-095, 2021-06-30 (Released:2021-09-23)
参考文献数
46

現代生態学によれば、地球の自然は異なる生物種どうしが競争するだけでなく、共生することによって作られる共生系と呼ばれるネットワークによって成り立っている。植物の花粉媒介のことをポリネーション(pollination)、それを担う動物のことをポリネータ(pollinator)という。ポリネーションでつながっている関係性の束のことを送粉共生系という。本論考では、森林を地上から支える送粉共生系に目を向けることで、脱人間中心主義を掲げる「人間以上の民族誌(more-than-human ethnography)」における「共生系」のアナロジーの可能性について検討する。日本列島は、在来種であるニホンミツバチと明治期に導入された外来種であるセイヨウミツバチが共に分布し、養蜂やポリネーション・ビジネスに利用されている点で独自の位置を占めている。長崎県・対馬、北海道・道北、東京都内で蜂を飼っている養蜂家に加え、ミツバチ研究者を訪ねて参与観察を含む聞き取り調査を行なったところ、「伝統的養蜂」か「産業養蜂」かにかかわらず、その種の視点から環境を見ることの重要性が語られた。また、飼っている種の如何を問わず、人とミツバチの関係には略奪的側面と伴侶種的側面の両方が見られた。産業養蜂家は、特に農業資材として群れを貸し出すポリネーション・ビジネスを貴重な収入源と認識しながらも、群れやミツバチ個体に及ぼされる損失に心を痛めている。国内の異なる文脈での調査から、人と2種のミツバチの関係をめぐって、蜜源植物を提供する景観、その景観を分かち合う野生動物、農家や林家、猟師などの主体、さらに科学者、行政を巻き込んだ種横断的なアソシエーション、あるいは「たぐい」が形成されていること、その間でさまざまな交渉が行なわれている様子が明らかになった。生態系の生存基盤をなしている共生系というネットワークを意味する生態学的概念のアナロジーを、経済のみならず社会文化にまで拡張することで、人と自然を捉える新たな視点を獲得できる。ミツバチやマツタケは、媒介者として種間の出会いに偶然性をもたらし、「たぐい」が生み出される。それによって種を超えたにぎわいを作り出すのである。
著者
齋藤 貴之
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.70, no.1, pp.1-20, 2005-06-30 (Released:2017-09-25)

本稿は、野鍛冶の現状から野鍛冶の生存に不可欠な要素を見出し、それをもとに今後の野鍛冶の生存戦略を提示することを目的とする。野鍛冶とは、1つの地域に1軒、あるいは1つの集落に1軒というほど数多く存在し、さまざまな鉄製品を製作・修理し、人びとの暮らしに深い関わりを持つ鍛冶屋である。野鍛冶製品が工業製品に取って代わられ、野鍛冶の姿を見ることもほとんどなくなってしまった現在にあっても、その利用者との関係は失われることなく、人びとの暮らしとともに野鍛冶は生き続けている。厳しい状況の中で、野鍛冶はさまざまな方法を駆使して変化に対応し、生き残りを図っているのである。本稿が対象とする野鍛冶は、平成14年(2002)から平成15年(2003)年にかけて、計3回にわたって行った秋田県内全69市町村を対象とした調査で確認された27軒の野鍛冶である。これらは、多くの野鍛冶が次々と姿を消す中で生き残ってきた野鍛冶であり、現在の営業の中にさまざまな生存戦略を見ることができる。そして、それらの生存戦略から、野鍛冶の生存に必要不可欠な要素として、「生じた変化を活用し、利用する」、「新たな営業基盤を獲得する」、そして「野鍛冶本来の役割を果たす」の3つを導き出すことができる。現在、これらの要素を満たし、順調に営業を続ける5軒の野鍛冶は、農・林・漁業従事者や周辺地域の住民といった従来の利用者に代わる利用者を獲得し、新たな営業基盤を築き、これまで主としてきた周辺地域の人びとを相手にした製品を従とする営業形態を確立していることがわかる。したがって、本稿は、野鍛冶の製品を必要としている人びとを独自に見出し、その注文や要求に応じた製品を作り出し、またその反応に応じた試行と改良を積み重ねることで、これまで周辺地城の人びととの間にあったものと同様の信頼関係を新たな利用者との間に築き、維持していくことを今後の野鍛冶の生存戦略として提示する。
著者
平田 昌弘
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.82, no.2, pp.131-150, 2017 (Released:2018-04-13)
参考文献数
36
被引用文献数
1

本稿では、アンデス高地のリャマ・アルパカ牧畜で搾乳がおこなわれなかった要因を検討するために、牧畜民のリャマ・アルパカ群管理、特に牧夫の母子畜間の介入について現地調査をおこなった。リャマ・アルパカの子畜の出産に際し、毎日の日帰り放牧を実現させるために、母子畜分離を実施するかどうかを検討した結果、母子畜分離を全くおこなわない、おこなう必要がないことが明らかとなった。その理由は、1)子畜が数時間で歩き始めるというリャマ・アルパカの身体特性、2)放牧の移動速度が遅いというリャマ・アルパカの行動特性、3)目的とする放牧地では家畜群はほぼ停滞しながら採食するというリャマ・アルパカの行動特性、4)放牧領域が狭いというリャマ・アルパカ群放牧管理の特性、5)放牧地の独占という所有形態に起因していた。更に、夜間の子畜の保護のための母子畜分離、子畜の離乳のための母子畜分離も全くおこなわれていなかった。リャマ・アルパカの母子畜管理の特徴は、母子畜は基本的には自由に一緒に過ごさせ、母子畜を強制的に分離していないことにある。「非母子畜分離-母子畜間の関係性維持」の状況下においては、母子畜間への介入は多くを必要としない。孤児が生じたとしても、牧夫の「家畜が死ねば食料になるという価値観」から、乳母づけもしない。母子畜間に介入の契機が生じないということは、搾乳 へと至る過程も生起し難いことになる。つまり、リャマ・アルパカにおいては搾乳へと発展していかなかったことになる。これが、牧畜民と家畜との関係性の視座からのリャマ・アルパカ牧畜の非搾乳仮説となる。リャマ・アルパカ牧畜では強制的に母子畜を分離しないことによる母子畜間の関係性維持、そして、催乳という技術を必要とするなどラクダ科動物の搾乳への行為に至る難しさが、搾乳へと向かわせなかった重要な要因と考えられた。
著者
髙山 善光
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.83, no.3, pp.358-376, 2018

<p>これまで呪術を説明すると考えられてきた「類似」は、認知科学の発展によって、普遍的な認知機能の一つであることが明らかにされ、呪術に限定されるものではないということがわかってきた。このため、呪術の知的世界の特徴を理解するためには新たな理論が必要であり、この新しい理論の形成に向けて、「思考の現実化」という考えを私は以前提出した。本論では、この「思考の現実化」という理論を深めることで、近代「呪術」概念の定義の問題を乗り越え、新しく「呪術」を定義してみたいと考えている。近代呪術概念の特徴は包括性にあり、その包括性は、「呪術」が宗教的認識によって現実化された推論を意味しているということに起因していると主張したいと思う。</p><p>近年の呪術概念に関する議論は、大きく二つの潮流に分けることができる。まず一方には、この近代的な呪術概念を放棄すべきだと考える研究者がいる。そして他方で、やはり保持すべきだと主張する研究者がいる。本論ではまず、この矛盾は、前者の研究者が、近代的な呪術概念の包括性に対する理解を欠いていることに起因しているということを論じた。そして次に、この包括性は、「呪術」が推論という普遍的な要素を指しているということに関係があると議論した。</p><p>しかし、この呪術的な推論には、宗教的である一方で、科学的にも判断されるというさらなる問題がある。この問題を解くために、次に、宗教的認識という独自の理論を用いた。結論として、私は、近代的な呪術概念は、この宗教的認識によって現実化されている推論のことを指している概念だと結論づけた。そのために、呪術は、宗教的認識あるいはその推論的な側面のどちらに注目するかによって、宗教的にも、科学的にもなり得ると論じた。</p>
著者
佐藤 若菜
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.79, no.3, pp.305-327, 2014

本稿は父系親族組織を特徴とする中国貴州省のミャオ族を事例に、その民族衣装を介して形成される母娘関係について検討する。特に衣装の製作・所有・譲渡の様態と、婚礼後に見られる実家・婚家間での女性の移動パターンが、1990年頃を境に大きく変化した点に着目する。清水昭俊は、親子の身体的・霊的要素の連続性からかつての接触や融合を想起することで繋がれる両者の関係を、呪術的な性格をもつ「共感的な」関係と表現した。これに対し本稿では、現地の社会経済的な変化とともに生起した母と娘との関係を明らかにすることで、この関係もまた衣装を介して「共感的」に築かれたことを指摘する。1980年代までミャオ族の女性は婚礼を挙げると一旦実家に戻り、数年滞在してから婚家での生活を始めていた。新婦は実家での滞在を終え、婚家へと移動する際に衣装を持参していたのである。しかし1990年代以降、この実家での滞在期間は数日間に縮小され、新婦は早々と婚家での生活を始めるか、夫とともに出稼ぎに出るようになった。その一方で、衣装を婚家へ持参する時期は、その後の第2子出産か実母の死去まで延期されるようになったのである。これにより娘が実家を離れてもなお、衣装を介した母娘関係は持続するようになった。以上の事例から、衣装がつなぐ母娘間の「共感的」関係は、身体的・霊的要素によって内在的に親子の間に存在したのではなく、むしろ現地の社会経済的な動態を背景に築かれたことを示す。すなわち、衣装の価値の高まりと、実母が娘の衣装を製作するというサイクルの普及、および婚姻の変化によって、衣装は既婚女性の(実家ないし婚家への)帰属に働きかけるものとなった。これにより、母親が娘のために製作した衣装をめぐって母娘間に新たな所有の関係が生まれ、そこに娘の婚家への移動過程の変化を反映した意味づけがなされたことにより、1990年代以降、衣装を介した母娘の「共感的」関係が動態的に生起したことを指摘する。