著者
猪瀬 浩平
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.70, no.3, pp.309-326, 2005-12-31 (Released:2017-09-25)

障害/障害者についての社会学的研究は、障害の社会構築論をパラダイムとしてなされてきた。それによれば、近代特有の産業形態や、医療・教育制度のフィルターを通る中で、特定の精神的、身体的特質をもつ人間を表象する「障害者」というカテゴリーが生まれ、各個人にそのカテゴリーが内面化されるものと整理される。社会構築論の戦略的意味は、医療モデルや専門家支配を批判する点で評価に値する。しかしミクロな実践に眼を転じてみれば、「障害者」というカテゴリーの意味が微妙に、特に劇的に変化する事態に出会うだろう。極めて複雑に分化した現代社会において、現象の説明をマクロな社会構造の議論を帰着させるよりも、むしろ個々の状況において、「障害」の存在をめぐって不確実性に直面する諸主体が、生き方を如何に構成するのか、その問題系を開くことに人類学的分析は活かされる。このような認識に立った上で、本論文では「障害児」の普通学級就学という問題に焦点を当てる。日本では、「障害児」と「非-障害児」の教育の場を分ける「分離別学体制」が教育制度の基本になっている。しかし、実際の多くの「障害児」が普通学級に在籍している。政策的な位置づけのない彼ら「障害児」の存在は、現場で様々な混乱を引き起こすことになる。本論文では、この不確実な状況において、「障害児」とその保護者、民間支援グループ、教育関係者、行政関係者の間で起こる折衝を学習の過程と捉え、政策のレベルで一元的に同定された「障害児」というカテゴリーが、「障害児も普通学級へ」という主題の下、実践のレベルでどのように反復、模倣、受容されているのかを分析する。
著者
藤本 武
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.75, no.3, pp.347-370, 2010-12-31

近年アフリカにおける小規模な紛争について環境変化による希少な資源をめぐる争いとする議論がある。牧畜民と農耕民の間の紛争では放牧地を確保しようとする前者と農地を拡大しようとする後者の土地をめぐる争いとされる。本論はエチオピア西南部の牧畜民と農耕民の間で発生してきた紛争事例について検討を行った。この地域では低地に暮らす牧畜民間の紛争が変動する環境下での資源確保や民族形成との関連で考察されてきた。ところが牧畜民の一部は1970年代から近隣の山地に暮らす農耕民を襲い、遠方の農耕民にまで対象を拡大してウシなどの財を略奪してきた。本論の分析から、紛争の背景には19世紀末にしかれた牧畜民と農耕民に対する国家の異なる統治策、国家支配のエージェントである入植者の私的関与、20世紀前半に主として農耕民になされた奴隷狩り、そして近年の自動小銃の流入など、外部からの地域への関与の問題が無視できないことが明らかとなった。じつは、他のアフリカの牧畜民と農耕民の紛争でも、紛争当事者間の土地などの資源をめぐる争いの背景に、国家や国際機関などによる開発政策が結果として争いを激化させていたり、過去の奴隷制が集団間の関係に影響をおよぼしているなど、資源紛争の構図におさまらない同様の問題が認められた。小規模な紛争を対象に、その個別具体的な相を掘りさげて分析する人類学の紛争研究は、今日常套句的になされがちな紛争説明に対して発言していくべきであるとともに、紛争後も長期に関わることで地域の紛争予防にむけた動きを支援するなど、独自の貢献を果たしていくことが求められる。
著者
熊谷 瑞恵
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.69, no.1, pp.1-24, 2004-06-30

本研究は、中国新疆ウイグル族のナンの利用を中心とした食事文化を明らかにすることにより、ムギ食品が食卓上で持つ「主食」「副食」に代わる独自の位置付けを描き出すことを目的とする。ユーラシア大陸はムギとコメという主要な穀物の違いによって二分することができる。ヨーロッパのパンを主とするムギ食文化には、パンを「主食」という概念で呼ばず、料理を「主食」と「副食」という概念に区分しない特徴がいわれてきた。本研究は、パンに注目してなされてきたそれまでのムギ食文化に対する見解に、中央アジア、新疆ウイグル族にとってのナンという新しい事例と見解を加える。そのために本稿はまず「主食」「副食」に代わるかれらの料理区分を明らかにし、それが「食事」と「茶」であること、その中で「ナン」を食すことがかれらにとっての「食事をとる」という概念と対応していないこと、そして、1日に7、8回あるかれらの食事回数のうちでかれらの語彙における「食事」に対応する食事がほとんどないことを家庭における直接観察から描き出す。そして、ウイグル族にとってのナンの位置付けが「食事」よりも「茶」の中核をなすものであることを示し、ナンと料理との関係が構築する食事体系が「主食」「副食」のある文化とは異なるものであることを描き出す。そしてその食事体系は、家庭の食卓を囲む人々との間において常に「場の共有を目的として」食べるという機能を果たすものとなっていることを論じる。
著者
深田 淳太郎
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.73, no.4, pp.535-559, 2009-03-31

パプアニューギニア、トーライ社会ではタブと呼ばれる貝殻貨幣が、婚資の支払いから秘密結社の加入の手続、役所での税金の支払いまで広い用途で用いられている。このように貨幣がなんらかの意味を持ち、その意味を様々に変え、また実効的な役割を果たすということはいったいどのような事態として考えられるだろうか。本稿では、貨幣やそれを用いた実践が特定の意味を持つことを、それが何であるのかが周囲の人々から見て分かり、説明(アカウント)できることと捉えるエスノメソドロジーの視点を採用する。ここで問うべきは、そのようなアカウンタブルな事態がいかにして出来上がっているのかということである。この問いを具体的に考えていくための事例としてトーライ社会の葬式を取りあげる。葬式においてトーライの人々はタブを用いて、死者への弔意を表し、自らの豊かさを誇示し、他の親族集団と良好な関係を築くなど様々なことを行なう。周囲から見て、個々のタブ使用実践がこれらの様々な意味や効果を持つものと分かるのは、それがなんらかの秩序だったコンテクストの中に位置付けられることによってである。だが同時に、そのようなコンテクストは個々の実践を通して可視化され生成されるものでもある。本稿では葬式におけるタブ使用実践が、そのときどきのコンテクストに沿った適切なやり方でなされながら、同時に周囲の様々な要素との関係の中で当のコンテクストを生成していく相互反照的な生成の過程を記述し、その過程から貝貨タブが具体的な意味や効果を持つものとして可視化されてくる様子を明らかにする。
著者
橋本 栄莉
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.80, no.2, pp.200-220, 2015-09-30

本論の目的は、独立後南スーダンで流通する予言を事例として、様々な出来事に直面するヌエルの人々が、予言やその背後にあるクウォス(神、神性)を介してどのように新しい経験の可能性を見出しているのかについて検討することにある。100年以上にわたり語り継がれる予言は、内戦や開発援助、国家の独立など、ヌエルの人々が直面する新しい状況を把握する方法と密接に開わってきた。予言の総体は知られていないものの、予言は人々の関心のありようや出来事とともに日々発見され、語り直されている。エヴァンズ=プリチャードとリーンハートのナイル系農牧民の宗教性に関する議論は、当該社会の変化と不可分に結びついた神性と経験のありようを、対象社会の人々の視点から抽出しようとするものであった。彼らの議論を手がかりとしながら、本論では、ヌエルの人々がどのような要素を検討することで予言や予言者の「正しさ」を見出していたのかに着目する。予言に関する人々の語りと対話、予言者を祀った「教会」の実践、近年の武力衝突という異なる場面で人々が吟味していたのは、過去に自分たちの祖先がクウォスに対して犯してしまった過ちや自身の周辺で生じるクウォスの顕れ、そしてその中で再び見出される自分たちの新しい「経験の領域」であった。本論は宗教性や経験に関する理論的検討を行うものではないが、南スーダンで生じている暴力や混乱を理解する上で、二人の人類学者が取り組んできた問題系がいかに無視しえないものとして残されているのかを例示するものである。
著者
植野 弘子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.75, no.4, pp.526-550, 2011-03-31

父系社会である台湾漢民族社会における親と子のつながりを、娘を視点として再考することを、本論文の目的とする。娘としての女性の生き方に注目することは、婚姻を契機として所属集団を変更する女性にとって、その一生にわたる家族との関係を見直すことになる。また、変化する家族関係の有り様を、継承・相続の権利義務から除外されてきた娘の役割の変化から、より端的に描き出すことが可能である。漢民族の親族に関する従前の研究は、父系出自イデオロギーの優位を前提とした枠組みで考察される傾向にあり、母方親族関係・姻戚関係の研究も行われてはきたが、これらの関係を繋ぐ女性が果たす役割、女性の娘としての役割に関しては、十分な研究はなされてこなかった。本論文では、まず、台湾における伝統的家族慣行にみられる娘の役割を、その儀礼的側面を考慮に入れて再確認する。さらに、日本による植民地統治下における近代的な学校教育、とくに高等女学校教育を受けた女性達の語りを通して、親と娘とのつながりを変化する時代の日常から探っていく。彼女たちは、旧来の家庭の倫理と近代教育がもたらす知識や理念を習得し、さらに日本化の狭間の中で生きたのであり、植民地統治によって変動した台湾社会の有り様を象徴する存在である。また、変化した現代女性の原型ともいえる。こうした女性は、その親や出生家族の表象としての役割を果たし、婚出後にも娘と親の関係は維持されていく。日本統治終了後における女性の教育と就職の機会の拡大は、女性の生き方に変化をもたらし、また、娘と親との関係は、より緊密にみえる様相を呈してきた。子どもとしての娘と息子の役割の差異は、今後、より減少していくことが予想され、家族関係における娘の役割を考えることの意味はさらに増してゆこう。
著者
内藤 暁子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.73, no.3, pp.380-399, 2008-12-31

本論文の目的は、ニュージーランドにおける先住民族マオリと非先住民による国民創成を、ワイタンギ条約をめぐる社会的・政治的動向を軸に再考することにある。ワイタンギ条約はマオリに先住民族性をもたらし、かつ、ニュージーランドという国家の出発点ともなっているからである。まず、多様な解釈が可能なワイタンギ条約の概要とその位置づけの変遷を述べ、現代において再評価されたワイタンギ条約とその結果としてのワイタンギ審判所の活動に焦点をあてた。それはマオリ復権運動の現れでもある。また、現代のマオリ社会において特徴的な、都市マオリにみられるエスニック・アイデンティティのような汎マオリ的先住民族性、戦略的ネオトライバリズム、文化的ナショナリズムをとりあげ、マオリタンガ(マオリらしさ)の状況に応じた表徴の多様性を明らかにした。一方、主流社会における、前浜・海底問題を契機とする「一律の市民権」という主張は、「タンガタ・フェヌア(土地に属する者、すなわち先住民族)」という特別な位置づけを求めるマオリ側と鋭く対立した。以上の要件をふまえて、マオリとヨーロッパ系住民という二文化主義、および多文化的現実が進むなかでのナショナル・アイデンティティを考えるとき、「移民」「市民権」「二文化主義と多文化主義」という三つの要素が重要となってくる。また、ワイタンギ条約を現代に生かす道を選んだニュージーランドにおける二文化主義は、文化の尊重というレベルにとどまらず、条約のパートナーシップに則ったパワーシェアリングがめざされる。そして、「土地に属する人(タンガタ・フェヌア)であるマオリと、条約によって土地に住む人(タンガタ・トゥリティ)であるパケハとの共生」という考え方はニュージーランド国民創成の新たな指針となる可能性をもち、マオリとパケハのバイナショナリズムのコンテクストのうえに多様な移民たちを受け入れる素地となるだろう。
著者
嶺崎 寛子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.78, no.2, pp.204-224, 2013-09-30
被引用文献数
1

本稿は、宗教を淵源とするディアスポラ・アイデンティティの構築とその次世代再生産にかかる日常実践を、在日アフマディーヤ・ムスリムを事例として描く。アイデンティティの構築性を前提として、それが構築されるということを、行為主体としての個人だけでなく、個人が帰属する共同体、さらには社会的背景をも視野に入れつつ、民族誌的文脈のなかから捉え返そうとする試みであるともいえる。その際には、グローバル化や越境、国家との関係、言葉、ジェンダーに特に注目する。アフマディーヤは19世紀末、英領インドのパンジャーブ州に興ったイスラーム系の新宗教である。インド・パキスタン分離独立の際本部をパキスタンに移し、その後さらにパキスタン政府からの迫害により本部をイギリスに移転、現在に至る。信徒数は公称数千万、現在はパキスタンよりも欧米や西アフリカで勢力を伸ばしている。極端な平和主義と教団の高度な組織化、カリフ制の採用などに教団の特徴がある。本稿ではアフマディーヤ信徒たちを、国家の外縁に確信的に逃れながら、居場所とアイデンティティ保持のために平和的に交渉する多様な主体として位置づける。そして信徒らがどのようにアイデンティティを保持し、その世代間継承につとめているか、国家との関係や距離感、ホスト社会の内部での立ち位置の取り方などを具体的に検討する。それによって、ディアスポラにとってのアイデンティティや「いま、ここ」が持つ多様な帰属のあり方の意味と可能性、そして限界を明らかにしたい。なお本稿は2012年5月から現在に至るまで継続的に主に愛知県で行ったフィールド調査で得たデータに基づく。
著者
宮西 香穂里
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.73, no.3, pp.332-353, 2008-12-31

日本人妻をはじめ、米軍男性と結婚した外国人軍人妻は、概して受動的な存在として記述されてきた。彼女たちは、軍隊の理解が欠如し、さらには米国の文化、慣習や言語の障害をも抱える、無力で従属的な立場に置かれている女性であった。本稿では、およそ1年間の調査に基づき、横須賀米海軍基地における日本人妻の結婚と家族生活に着目し、日本人妻がけっして受動的なかたちで日々の生活に追われているわけではないことを明らかにする。すなわち、先行研究における外国人軍人妻描写に認められるステレオタイプを是正し、彼女たちの多様な生き方に迫る。同時に、従来われわれの眼にふれることの少ない日本人妻の民族誌を描くことを試み、軍人との結婚生活に大きく関わる軍隊の組織や軍人の生活や文化について記述し、その理解を目指す。日本人妻は、米国社会からも、軍隊生活からも、さらには日本社会からも「よそもの」扱いされ、周縁的であることを考慮すると三重に(トリプル)アウトサイダーである。日本人妻は、夫の階級が異なる妻同士の交際の制限や夫のエスニシティに関する問題に直面し悩み苦しんでいた。一方で、軍人妻として夫や夫の所属する部隊の妻たちの先頭に立って生きる日本人妻もいた。またアメリカで夫の家族や親族との衝突や日本社会からの差別に苦しむ妻もいた。彼女たちは、先行研究で描写されているような無力で受動的な存在ではない。日本人妻は、積極的な適応や抵抗ではないが、結婚生活の中で見られるさまざまな困難についで悩み、苦しんでいる。彼女たちの悩み、苦しむという姿は、無力で受動的であることを必ずしも意味しない。本稿では、悩み、苦しむということもまた妻たちの能動的な態度であるという認識が、妻たちを無力で受動的とみなす視点を克服する第一歩であることを指摘した。
著者
島田 将喜
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.80, no.3, pp.386-405, 2015-12-31

インタラクションの結果、ある動物Aが相手の動物Bを死亡させてしまうことがある。死亡させた側の行動に肉食や防御といった社会生物学的利益が明白に見いだされる場合には、殺しの因果プロセスモデルを適用できるため、その現象を動詞「殺す」を用いて「AがBを殺す」と記述できる。しかし野生チンパンジーと他動物との間の「狩猟」や遊びのインタラクションにおいては、結果として相手の動物が死亡する場合でも、チンパンジーの行動に明確な殺意や相手を殺す動機を認めることのできない事例が多く観察される。チンパンジーにとって他動物とのインタラクションは相手の動物からアニマシーを最大限引き出すこと自体やインタラクションの持続自体に動機づけられた感情的な実践である。チンパンジーの他動物に対する「狩猟」はアニマシーを有する対象と対峙し、互いに相手の動きを読みあうといった高度な駆け引きを要するゲームであり、インタラクションの持続自体に動機づけられていると考えられる。ヒトの殺しは動機、殺意ともに多義的であるといわれるが、仮にチンパンジーと他動物のこうしたインタラクションを、「チンパンジーが他動物を殺す」と記述することを許容するならば、その含意はヒトと同じく多義的でありうる。
著者
島田 将喜
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.80, no.3, pp.386-405, 2015

インタラクションの結果、ある動物Aが相手の動物Bを死亡させてしまうことがある。死亡させた側の行動に肉食や防御といった社会生物学的利益が明白に見いだされる場合には、殺しの因果プロセスモデルを適用できるため、その現象を動詞「殺す」を用いて「AがBを殺す」と記述できる。しかし野生チンパンジーと他動物との間の「狩猟」や遊びのインタラクションにおいては、結果として相手の動物が死亡する場合でも、チンパンジーの行動に明確な殺意や相手を殺す動機を認めることのできない事例が多く観察される。チンパンジーにとって他動物とのインタラクションは相手の動物からアニマシーを最大限引き出すこと自体やインタラクションの持続自体に動機づけられた感情的な実践である。チンパンジーの他動物に対する「狩猟」はアニマシーを有する対象と対峙し、互いに相手の動きを読みあうといった高度な駆け引きを要するゲームであり、インタラクションの持続自体に動機づけられていると考えられる。ヒトの殺しは動機、殺意ともに多義的であるといわれるが、仮にチンパンジーと他動物のこうしたインタラクションを、「チンパンジーが他動物を殺す」と記述することを許容するならば、その含意はヒトと同じく多義的でありうる。
著者
木村 周平
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.71, no.3, pp.347-367, 2006-12-31

災害の人類学は従来、洪水などの周期的な災害に対する、その地域の災害観や伝統的な対応(「災害文化」)、地震や産業災害など突発的に起きる災害の復興過程のエスノグラフィ、あるいは災害の被害拡大の社会的(歴史的・文化的)要因に着目しながらの持続的開発にかかわる応用実践などを中心的に扱ってきた。中でもこの「災害の社会的要因」の研究は、1990年代の「国際防災の10年(IDNDR)」以降、広い分野で注目を集め、「社会的要因」は「コミュニティ(あるいはそのサブカテゴリー)の脆弱性(vulnerability)」という概念として定式化され広く普及しているが、その枠組みには検討すべき点も残る。本論文は筆者が2004-5年に行った調査に基づき、過去の災害と将来の災害の間にあるイスタンプルのあるコミュニティを事例に議論を進める。地震学の蓄積はイスタンプルで近い将来大きな地震が起きる可能性がきわめて高いことを明らかにしているが、本論文ではそのコミュニティにおいて、災害という問題がどのように認識され、またそこで暮らす人々がどのような対応を取り、それがどのように状況を変化させているのか(あるいはさせていないのか)を分析する。
著者
岩谷 彩子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.74, no.3, pp.441-458, 2009-12-31

本稿は、インドの移動民ヴァギリが想起し語る夢を事例として、日常的に変容を続ける自己の営みを探求する試みである。従来の人類学的な夢研究では、テクスト化された夢を当該社会の集合表象として分析する研究や、危機に陥った自己が新しい世界観や時間構造のもとで自己を語りなおし、社会のなかで再構造化される契機として夢をみなす研究が提出されてきた。これに対して本稿では、語りや解釈を逃れる夢のイメージの持続が反復的な夢の想起をうながしている状況に着目した。ヴァギリ社会には「神の夢を見たら儀礼をする」という言説があり、多くの夢は儀礼を契機に想起されている。しかし、夢は必ずしも安定的に想起され語られるわけではない。本稿では同一個人に時間をあけて同じ夢を語ってもらい、その語りの変容について考察した。そこで明らかになったのは、第一に、ヴァギリの夢に繰り返し立ち現れる内/外を行き来する運動イメージの重要性である。この運動のイメージが夢の解釈を握る重要な基点となっており、そこから夢を見る主体がおかれた状況の変化に応じるかたちで、夢に現れる身体感覚や表象のあり方に変化が見られた。第二に、夢の想起と語りは、常に自己をとりまく他者との関係に依存しているという点である。夢を反復想起して他者に語る過程で、類似したイメージの夢が異なる主体間で反復されていた。また、語りに夢のイメージを意味づける観点が導入されたり、語りそびれた部分が残ることで夢のイメージが保持されていた。このように他者との関係において夢として想起され語られた運動イメージと身体感覚の持続と消失が、その後の夢とその語りを自己にもたらしていた。自己は予測不可能な他者との出会いと想起の機会に依存し、語りつくせない夢のイメージに導かれている。本稿では、そのような自らにずれを生じ続ける自己を〈身体-自己〉として例証した。それは、自己がメタモルフォーシスする持続的な過程なのである。
著者
久保 明教
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.77, no.3, pp.456-468, 2013-01-31

Recently, it has become increasingly difficult to employ "culture" as a comprehensive analytical concept in anthropology. Nevertheless, in the practices of people researched by anthropologists, culture has recently taken on increasing importance as a vital tool to categorize human groups and manage their relations, owing to the ongoing process of globalization. Because of that, the Japanese anthropologist Shoichiro Takezawa has insisted that we must maintain the academic concept of "culture." However, the increasing practical importance of culture does not necessarily connote its importance as an analytical concept. Rather, we need to investigate how the concept works in people's practices today, and whether culture as an academic concept works in their analysis. Also, if the concept of "culture" hardly ever works, we must explore a way to demolish it as a concept and reconstruct analytical methodology. In this paper, I investigate the practices of IT workers in Bangalore, South India, in order to examine how culture is practically utilized there, as well as to try to understand why the academic concept of culture does not work well in analyzing their practices. I also examine the kind of framework required to describe them appropriately. In Chapter 2, I point out that in the Indian IT industry, a vital element for economic success has been identified as the understanding and adoption of foreign (mainly Western) cultures in order to communicate more smoothly with foreign clients, co-workers and customers in the global and virtual workplaces that make up informational networks. In Chapter 3, I examine two ways used to explain the practices of Indian IT workers engaged in managing cultural differences: the narratives of "cross-cultural management" and "sanskritization." Then, I show how the practical concept of culture utilized in these narratives has dual qualities ("something to control and invisible" and "something controlled and visualized"), and demonstrate that the analytical concept of culture hardly ever works for analyzing existing situations in which the practical concept of culture is employed, because it also implicitly contains those dual qualities. In Chapter 4, I examine an event encountered during my field research in Bangalore to suggest that the daily practices of IT workers deeply depend on a heterogeneous "actor network" composed of human/ nonhuman entities from different regions, which cannot be sufficiently comprehended by employing the practical/analytical concept of culture. In Chapter 5, I try to configure an analytical framework sufficient to describe their practices appropriately, connecting the relational ontology proposed by the actor-network theory to a vital idea of anthropology, namely, "their perspective." Referring to Donna Haraway and Marilyn Strathern, I insist that the concept of "their perspective" is not an (inter) subjective viewpoint, but the effect of a recursive movement of the actor network to visualize itself. Finally, I suggest that Indian IT workers are penetrated by different ways of organizing and visualizing the actor network, which are equivalent to four spatialities proposed by the discussion of ANT topology, and that their perspective is being generated and transformed through mutual interferences among them.
著者
飯田 卓
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.69, no.1, pp.138-158, 2004-06-30

異文化表象に関するこれまでの議論では、完成した作品を取りあげることが多く、制作過程にまで考察が及ぼされることは少なかった。この結果、作家の意図と社会的制約の葛藤ないし妥協といった問題が軽視されたため、現実に即した実践論を提示しえていないという指摘がある。本稿では、マダガスカルの漁村生活に関する日本のテレビ・ドキュメンタリー番組を取りあげ、その制作状況までを含めて考察することで、現代日本の不特定多数者に向けた情報発信がいかなる現状にあるかを明らかにした。また、その現状をふまえつつ、メディア社会日本において人類学的実践に取り組むうえでの基本姿勢を再確認した。問題の番組は、取材でじゅうぶん確認できなかった情報を作品中で言及しただけでなく、それをことさら大きく取りあげて番組構成の柱とし、それに沿って登場人物の語りを操作的に翻訳していた。情報の鵜呑みは取材不足によるものだが、操作的翻訳は編集作業の問題である。編集段階でこうした誤りが生ずる背景としては、限られた経費と取材期間で不特定多数の視聴者の関心を喚起するという、テレビ番組制作における強い制約を指摘できる。テレビ制作者は「公益性の高い」作品づくりをめざした結果、現地の文脈に照らしつつ作品の妥当性を検証する作業を怠ったのである。メディアの受け手を意識した作品編集は、テレビ番組にかぎらず、民族誌の執筆においてもおこなわれている。人類学者もまた、メディアのもつ制約から自由ではないのである。しかし、調査地の文脈に意識的になれる点では、人類学者はテレビ制作者よりはるかに有利な立場にある。調査地と現代日本、両方の文化的脈絡をふまえ、質の高い情報発信をすれば、メディアが越境すると言われる時代においても、人類学者の役割が低下することはないだろう。
著者
箭内 匡
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.73, no.2, pp.180-199, 2008-09-30

本稿は、人類学的実践を言葉のみならずイメージの実践として再考しつつ、そうした「イメージの人類学」の中で、民族誌映像(写真、映画、ビデオ)の役割を考えることを提案するものである。ここでイメージとは、我々の意識に現前するすべてを指し、例えば人類学者のフィールド経験のすべては、一つのイメージの総体と見ることができる。民族誌映像は、こうしたフィールド経験のイメージ(より正確には、それに近いもの)の一部を定着させ、言葉による人類学的実践が見えにくくしてしまうような経験の直接的部分を我々に垣間見せてくれる。そうした視角から本稿でまず考察するのは、マリノフスキー、ベイトソン、レヴィ=ストロースの民族誌写真であり、そのショットの検討を通じ、各々の理論的実践がその下部で独自の「イメージの人類学」によって支えられていることを示す。そのあと、フラハティ、ルーシュ、ガードナー、現代ブラジルの先住民ビデオ制作運動の作品を取り上げ、映像による表現が、言葉による人類学が見逃してきたような民族誌的現実の微妙な動きや質感、また調査者と被調査者の間の関係を直接的に示しうることを示す。このように「イメージの人類学」を構想し、その中で民族誌映像の役割を拡大することは、「科学」と「芸術」が未分化な場所に人類学を引き戻し、それによって言葉による人類学的実践をも豊かにするであろう。
著者
丸山 淳子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.77, no.2, pp.250-272, 2012-09-30

本論は、ボツワナの動物保護区からの住民立ち退きをめぐる裁判判決を題材として、アフリカにおける国家と狩猟採集社会の関係について考察する。狩猟採集社会は、その生活様式や文化の独自性から国家のなかの「逸脱者」とみられ、彼らを統治するための場に収容し、「国民」化することが望ましいと考えられてきた。しかし近年では、こうした人々が、自主決定の権利をもち、国際社会や国家のなかで主要なアクターとなりうる「先住民」とみなされ、彼らを一元的に包摂しようとする国家統治のあり方は再検討を迫られている。一方、このようなグローバルに普及する新しい考え方と、アフリカの個別の民族や集団が経験している現実の展開とのあいだには大きな開きがある。ボツワナでは、動物保護区に居住していた狩猟採集民サンが開発計画の一環で土地を追われたことを、「先住民」の権利の侵害とする判決が出され、高く評価された。しかし国民形成の途上にあるボツワナにおいて、サンを特別視する運動は、様々な緊張関係や齟齬を生み出した。また動物保護区には政府サービスを提供する必要がないとする判決と、政府が裁判の提訴者のみに帰還を許可したことによって、結果的に動物保護区では「伝統的な狩猟採集生活」、立ち退き先では「開発の恩恵を受ける生活」を強いられることになり、保護区に戻れる人と戻れない人のあいだの溝が広がるといった問題も生じた。それでもサンは、動物保護区でも立ち退き先でも、開発計画の恩恵をうけつつ狩猟採集生活を続けられるような状況を創り出すことによって、場のもつ意味をずらし、様々なかたちで協力関係を築きなおすことによって、戻れる人と戻れない人の境界にゆらぎを生じさせている。本論では、このような「統治の場」を自らの「生きる場」に変えていく試みの詳細と、その試みがもつ可能性と限界を論じる。
著者
登 久希子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.76, no.2, pp.171-181, 2011-09-30

This paper considers the method of studying contemporary art from an anthropological viewpoint, focusing on the case of making installation art. In contrast to previous institutional studies, which focus on the modern Western system of art as the "art world" and the "art-culture system," it considers the making of art ethnographically following the interaction between human and non-human actors. In the field of contemporary art, such as galleries and art centers, an ordinary object hardly ever transforms suddenly into an object to be admired as a work of art. Becoming art is regarded, rather, as a gradual process. To study art in the making enables us to see the works of contemporary art not only as the result of a status elevation within the system of art, but also as a bundle of relationships formed through the process of the mutual transformation of human and non-human actors. Both Acord [2010] and Yaneva [2003] study the making of installation art and the installation of art referring to the Actor Network Theory. Their studies make it clear that artworks and exhibitions are generated through the continual interaction between human and non-human actors, including curators, artists, and the various materials found in museum settings. As Yaneva suggests, it is important to see artists not as sole creative actors but as the vehicles of other participants' agency [Yaneva 2003b: 178]. However, in the making of installation art, the discourses and practices of creativity are often more complex than Yaneva and Acord describe. The art historian, Claire Bishop, points out the "fine line" between installation art and the installation of art. On one hand, she says that installation art is made up of "the ensemble of elements within it" and regarded as a "singular totality," while the installation of art is "secondary in importance to the individual works it contains" [Bishop 2005:6]. Bishop indicates that the line has been ambiguously drawn by the actors dealing with contemporary art. That relates to discussions about the "creativity" of curators, who are often recognized as the authors of exhibitions, and even occupy the status of quasi-artists in the field of contemporary art. Although neither Acord nor Yaneva decipher a particular difference between them, that very ambiguity results from the nature of contemporary art, which should be carefully examined. By comparing those ethnographic studies, this paper uncovers the need to reconsider the lines drawn between artists and curators, as well as installation art and the installation of art, which blur the field of contemporary art by following actors to see how they separate and obscure the source of "creativity."
著者
若松 大樹
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.76, no.2, pp.146-170, 2011-09-30

本稿では、トルコ共和国のアレヴィーと呼ばれる集団の社会変化に関する一考察として、これまでの先行研究においてアレヴィー社会の「スンニー化」と呼ばれてきた現象に関して、批判的検討を行う。本稿では、西部アナトリア・キュタフヤ県のアレヴィー村落におけるデデ権威と、それに関連するオジャクと呼ばれる帰属概念を事例として取り上げる。オスマン朝時代、スンナ派イスラームが国教とされ、この教義とは異なるイスラーム的伝統を持つアレヴィーの人々は、中央政府から「異端派」としてレッテルをはられるだけでなく、ムスリムとすらみなされず、宗教実践や教義を理由にしばしば迫害を受けてきた。ところが、世俗主義と政教分離を国是として1923年に成立したトルコ共和国においては、人々はいかなる宗教によっても差別されないとの憲法上の規定があるため、アレヴィーの人々はトルコ共和国の国是を肯定し、多数派であるスンナ派の人々からの差別をある程度免れてきた。しかしながら、1990年代以降、スンナ派中心のイスラーム主義運動の高揚に伴い、この国是が揺らぎ始め、さらに農村部から都市部への移民の増加によって、アレヴィーとスンナ派の人々の直接的な接点が増え始めた状況において、アレヴィーの人々は再びスンナ派の人々から侮蔑的な偏見を被ることとなり、アレヴィーの人々の多くは、自分たちのアイデンティティをムスリムとして再定義し、多数派であるスンナ派の人々に対して、アレヴィー・ムスリムとしてのアイデンティティを主張する必要に迫られてきた。このような主張の中には、アレヴィーの人々がトルコ的イスラームの真髄を体現するものであり、スンナ派よりもむしろイスラームの本来の教えを実践しているという主張さえある。こうした現象は、これまでの先行研究においてアレヴィー集団の「スンニー化」としてとらえられてきた。しかしながらこうした見方は、アレヴィーの人々の主張を正確に反映しているとは言い切れない。本稿では、第1にアレヴィーの「スンニー化」をめぐる先行研究が、儀礼実践の変化という側面にのみ注目してスンニー化と述べていることを明らかにする(第II章)。第2に、西部アナトリア・キュタフヤ県のアレヴィー集落を事例として取り上げ、そこでの聞き取り調査や儀礼観察の結果、彼/彼女らが自らをアレヴィーとして自己規定する根拠として、オジャクという帰属概念が重要な役割を果たしていることを明らかにする(第III章)。第3に、デデと呼ばれる宗教権威や人々が「固有のアレヴィー性」を主張する際に影響を与えているのが、スンナ派系のイスラーム主義運動やアレヴィー系知識人の作り出した言説にあることを示し(第IV章)、これまで研究者の側が無意識であれ、そうした言説に左右されている可能性があることを指摘して、これまでの先行研究において「スンニー化」として記述されてきた現象が、実は儀礼実践の変化など、可視的な変化のみに着目して安易に論じていることを解明する。したがってこうした分析軸は、フィールドに暮らす人々の自己規定を必ずしも反映するものではなく、「スンニー化」の語を、とりわけ本稿で扱うアレヴィー社会の社会変化に適応することは不適切である。人類学者が社会変化を扱う場合は、社会変化の可視的な部分だけでなく、人々の自己規定など、複数の要素から深く検討して記述する必要があることを、本稿で提起する。