著者
熊谷 瑞恵
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.69, no.1, pp.1-24, 2004-06-30 (Released:2017-09-28)

本研究は、中国新疆ウイグル族のナンの利用を中心とした食事文化を明らかにすることにより、ムギ食品が食卓上で持つ「主食」「副食」に代わる独自の位置付けを描き出すことを目的とする。ユーラシア大陸はムギとコメという主要な穀物の違いによって二分することができる。ヨーロッパのパンを主とするムギ食文化には、パンを「主食」という概念で呼ばず、料理を「主食」と「副食」という概念に区分しない特徴がいわれてきた。本研究は、パンに注目してなされてきたそれまでのムギ食文化に対する見解に、中央アジア、新疆ウイグル族にとってのナンという新しい事例と見解を加える。そのために本稿はまず「主食」「副食」に代わるかれらの料理区分を明らかにし、それが「食事」と「茶」であること、その中で「ナン」を食すことがかれらにとっての「食事をとる」という概念と対応していないこと、そして、1日に7、8回あるかれらの食事回数のうちでかれらの語彙における「食事」に対応する食事がほとんどないことを家庭における直接観察から描き出す。そして、ウイグル族にとってのナンの位置付けが「食事」よりも「茶」の中核をなすものであることを示し、ナンと料理との関係が構築する食事体系が「主食」「副食」のある文化とは異なるものであることを描き出す。そしてその食事体系は、家庭の食卓を囲む人々との間において常に「場の共有を目的として」食べるという機能を果たすものとなっていることを論じる。
著者
西川 慧
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.85, no.1, pp.022-041, 2020 (Released:2020-10-08)
参考文献数
21

本稿の目的は、インドネシア西スマトラ州のミナンカバウ村落社会を対象として、換金作物ガンビールの耕作開始によって社会関係がどのように変容したのかについて、現地の民俗観念を手掛かりとして論じることである。 筆者が調査を行っているテルック・ダラム村の人びとは、1990年代後半からガンビールを耕作するようになった。その背景には、慣習復興運動の結果として中央政府から返還された村落共有地が使用可能になったことがある。2010年代にはガンビールの買い取り価格が高騰したため、利益を求めて多くの人びとが共有地を開墾し、畑へと変えていった。先行研究では、共同性を強調する慣習法復興運動の理念にもかかわらず、生産手段の私有化と、その不均等な配分のために非人格的な資本主義的関係が出現したと論じられている。しかし、調査村落で見られたのは、仲買人から生産者への融資と母系親族関係を中心とした紐帯で結びつくパトロン=クライエント関係の拡大であった。 このようなパトロン=クライエント関係は、東南アジア農村研究の文脈ではリスク回避による生存維持の選好と、互酬性にもとづいた人格的なやり取りに特徴づけられるモラル・エコノミーの代表例として論じられてきた。しかし、調査村落で見られた仲買人と生産者の関係は、生存維持ではなく富の蓄積と消費を志向するものであった。彼らの関係を読み解くためには、人格的なモラル・エコノミーと非人格的な資本主義という二項対立から抜け出す必要がある。 そこで本稿では、母系親族を結びつける「感情(perasaan)」という観念に注目して仲買人と生産者のあいだで行われる取引を分析した。その結果として明らかになったのは、母系親族を中心とする人格的な社会関係が富の蓄積と消費のために動員される「「感情」の経済」であった。
著者
左地 亮子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.78, no.4, pp.470-491, 2014-03-31 (Released:2017-04-03)

近年、人文社会科学の諸領域において、「語り」が意味生成に関与し、個人と他者や共同体との関係を架橋する社会的行為として注目されてきたのに対して、「語らないこと」や「沈黙」は、共同性に対立する孤立や孤独と結びつけられ中心的に扱われてこなかった。本論文は、こうした研究動向に新たな視座を提示すべく、フランスに暮らすマヌーシュの死者をとりまく「沈黙の敬意」を事例に、沈黙の共同性を明らかにすることを試みた。その際に注目したのは、服喪のあいだに死者をめぐって生じるマヌーシュの沈黙が、これまでの「死の人類学」において指摘されてきた、「個別特異な死者から集合匿名的な祖先への移行」を妨げる側面である。マヌーシュは死者の名前や記憶を口にすることを避け、遺品を廃棄する。先行研究は、この死者に属し死者を喚起するあらゆる有形無形の事物を共同体から排除するマヌーシュの態度を、死者の「忘却」を導き、死者を「集団の永続性」を保障する「匿名の祖先」に変換する手続きとみなしていた。しかし本論文では、マヌーシュの沈黙が、むしろ死者や遺族という共同体内部の個人の存在や体験の「特異性=単独性」を保護するために「敬意」という価値を与えられること、そしてそれがゆえに、個の体験を全体性の中に解消することを阻み、死者から祖先への移行が果たされる服喪の終了を先延ばしにすることを指摘した。マヌーシュの沈黙は、「個の全体への統合」を志向する調和的な儀礼モデルに抗いながら、差異の「分有」としての共同性を開示するのだ。
著者
モハーチ ゲルゲイ
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.81, no.4, pp.614-631, 2017

臨床試験(治験)は、開発中の医薬品などを病人や健常者に投与し、新薬の安全性と効率性を評価する仕組みである。実薬と偽薬を比べる実験の場である一方で、病気を患っている人びとの苦痛を和らげるという臨床実践でもある。本稿では、ハンガリー西部にある小規模臨床試験センター(DRC)の事例を取り上げ、製薬をめぐる実験的状況に焦点を当てることで、もの・身体・世界を生成していく関係性の特徴を明らかにしていく。DRCは、1990年代前半に行われた市場開放以降、糖尿病と骨粗しょう症に関する研究と治療を中心に、外資系製薬企業と周辺の地方病院のネット ワークを徐々に拡大してきた研究病院である。そこで行われている臨床試験においては、新薬の効果によって実行(enact)される化学物質と身体と社会の間の三つのループが生成されている。まず、臨床試験の土台となる二重盲検法と無作為化法の実験的設定にしたがう実薬と偽薬のループが、新薬の効果を統計データとして生み出していくという過程がある(方法のループ)。次に、このデータがDRCと周辺の外来医院との連携を促す中で、薬を対象とする実験と、治療を受ける集団は組織化の中でループしていくことになる(組織化のループ)。さらに、多くの被験者の家族から血液サンプルを採集・保管するバイオバンク事業では、いわゆる「実験社会」における政治性を伴った治療と予防の相互構成が見えてくる(政治のループ)。本稿では、これらの三つのループを踏まえ、メイ・ツァンが人類学に導入した「世界化(worlding)」という概念を用いながら、医薬化に対する政治経済学的な批判を、薬物代謝の効果として捉え直すことを試みる。実験と治療の間の絶え間ないループを通じて新たな治療薬が誕生する過程に焦点を絞り、自然と文化の二項対立に対する批判的研究の視点から医療人類学への貢献を図る。
著者
金谷 美和
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.70, no.1, pp.77-98, 2005-06-30 (Released:2017-09-25)

本研究は、インド西部グジャラート州カッチの女性によって着用されている頭に被る布オダニーの着用に注目し、布の着用を通して作られるヒンドゥーとムスリムの境界について考察したものである。衣服が、着用者の属性を示し、コミュニティ間の境界を示す機能をもっことは知られている。しかし、コミュニティの境界そのものや、境界を指標する衣服は固定的ではなく、衣服の着用者の所属するコミュニティの外部との関わりのなかで変化してゆくものであるインドが英国の植民地から独立して以降、境界の明確化、差異化が進行しており、宗教的なアイデンティティの高まりや、宗教の違いによってコミュニティを区別することは、そのような変化の過程として捉えるべきである。オダニーは、婚家において女性が特定の姻族の男性から顔を隠すアンダルという既婚女性の慣習の媒体であり、その機能や意味はヒンドゥーとムスリムによって共有されていた。しかし、ここ50年ほどの間で、オダニー着用の方法や意味は、ヒンドゥーとムスリムで異なる方向に変化していった。その変化によって、ヒンドゥーとムスリムの境界は、衣服の違いとして明確になっていった。衣服による可視的な差異と境界の明確化と並行して、ヒンドゥーとムスリムという宗教の違いが、次第にコミュニティ帰属の最も重要な要素として人々に認識されるようになっていったのである。
著者
後藤 明
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.79, no.2, pp.164-178, 2014-09-30

While the human interest in astronomical phenomena has a long history, the academic study of cultural phenomena with astronomical significance has only begun in the middle of the 20_<th> century: e.g., studies of Stonehenge and Megalithic structures in Europe pioneered by astronomers and archaeologists. That trend stimulated similar studies in the New World, with many studies of ancient civilizations, such as the Aztec, Maya and Inka, first appearing in the 1970's. In contrast to Old World studies, which are mainly based on archaeological methods, the studies in the New World tend to integrate archaeological and ethnographic information. One reason for that seems to stem from the difference of disciplines, since archaeology in the United States was long treated as part of anthropology. It also used to be possible to research ethnographic information concerning astronomical phenomena in the New World based on archival study and fieldwork. In that context, several excellent pieces of literature of ethnoastronomy have been written that explicate a different way of viewing the sky and universe [e.g. Hudson and Underhay 1978; Urton 1981; Chamberlain 1982]. In addition, the concept of cosmovision proposed by J. Broda [1982, 1993] has been found to be a useful device to approach an integrated view of cosmology and cosmogony [Fairer 1992]. A similar trend is found in other parts of the world, such as Oceania and Africa [e.g. Sharp 1993]. Under those circumstances, the author argues that archaeological and ethnological studies are to be integrated as an anthropology of astronomical phenomena, or "astronomical anthropology." Through that integration, anthropology will serve an important role in the interdisciplinary field of "astronomy in culture" or "cultural astronomy" [Ruggles and Saunders 1993; Valls-Gabaud and Boksenberg 2011]. Recently, the positioning of astronomy in culture and society has become an important topic, with serious discussions of the reevaluation of indigenous astronomy and its teaching to the younger generation [Holbrook et al. 2009; Ruggles 2011]. The author argues that the anthropologists interested in astronomy should not restrict their role to recording past and endangered customs, but instead should participate actively in revitalizing indigenous astronomy as a form of practical knowledge (e.g., the education of modern star navigation in the context of the Oceanic canoe renaissance). In that sense, astronomical anthropology will be able to contribute to reconstructing "neo-science," meaning the refraining of indigenous knowledge as another system of science. Its reutilization should be directed not only toward the construction of symbols of cultural revival activities, but also such practical educational purposes as weather and seasonal reckoning.
著者
黒崎 岳大
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.81, no.2, pp.247-265, 2016 (Released:2018-02-23)
参考文献数
22

マーシャル諸島共和国マジュロ環礁には、東太平洋戦没者の碑と聖恩紀念碑という日本政府が建立した記念碑がある。前者は1984年に第二次世界大戦の犠牲者への追悼の意味を込めて建立され、後者は1918年に台風被害を受けた同環礁に対する大正天皇の支援を記念して建てられた。 建立した日本側の意図とは異なり、今日のマジュロ環礁民たちは、両方の記念碑の建立を日本がもたらした経済開発による地域の発展と結びつけて考えた。1980年代には、日本からマーシャル諸島への経済支援の実施と慰霊巡拝による日本人の訪問再開が重なった。マジュロ環礁民は、東太平洋戦没者の碑の建立を、日本からもたらされるODA事業によるローラ地区の発展と結びつけて歓迎した。同様に、戦前に建立された聖恩紀念碑に対しても、同紀念碑が建立された時期がコプラ産業の発展によるマジュロ環礁の開発が進んだ時期であったことと結びつけ、彼らは紀念碑を豊かな時代の象徴として考える言説が確認された。 二つの事例から、記念碑の建立とそこから現地の人々が想起する意味との関係について、次のように解釈できる。一つは、歴史的文脈を超えて生じさせる記念碑が有している記憶やイメージを喚 起する力である。戦没者の碑の建立と経済援助の開始が同時期だったことから、同碑が地域開発を想起させるエージェンシーと化した。同様に住民は紀念碑に対しても、植民地主義という文脈を超えて、戦前のプランテーション開発による経済開発を想起させたと解釈できる。 一方、記念碑の建立と経済開発を結びつけた言説が生じた背景に、戦後の米国による統治政策との関係がある。米国からも多大な財政支援があったにもかかわらず、現地の人々は、社会インフラ整備など目の前に見える形で顕在化された日本のODA事業に対して、豊かさの象徴を見出した。 そこには、強制移住政策や過度な欧米文化の流入という目に見えない形で現地社会に深刻な影響を及ぼす米国に対する不満が存在すること、そして、その対比の中で記念碑の建立と日本の経済開発を結びつける言説が生み出されたのだと解釈できる。
著者
モハーチ ゲルゲイ
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.81, no.4, pp.614-631, 2017 (Released:2018-02-23)
参考文献数
45

臨床試験(治験)は、開発中の医薬品などを病人や健常者に投与し、新薬の安全性と効率性を評価する仕組みである。実薬と偽薬を比べる実験の場である一方で、病気を患っている人びとの苦痛を和らげるという臨床実践でもある。本稿では、ハンガリー西部にある小規模臨床試験センター(DRC)の事例を取り上げ、製薬をめぐる実験的状況に焦点を当てることで、もの・身体・世界を生成していく関係性の特徴を明らかにしていく。DRCは、1990年代前半に行われた市場開放以降、糖尿病と骨粗しょう症に関する研究と治療を中心に、外資系製薬企業と周辺の地方病院のネット ワークを徐々に拡大してきた研究病院である。そこで行われている臨床試験においては、新薬の効果によって実行(enact)される化学物質と身体と社会の間の三つのループが生成されている。まず、臨床試験の土台となる二重盲検法と無作為化法の実験的設定にしたがう実薬と偽薬のループが、新薬の効果を統計データとして生み出していくという過程がある(方法のループ)。次に、このデータがDRCと周辺の外来医院との連携を促す中で、薬を対象とする実験と、治療を受ける集団は組織化の中でループしていくことになる(組織化のループ)。さらに、多くの被験者の家族から血液サンプルを採集・保管するバイオバンク事業では、いわゆる「実験社会」における政治性を伴った治療と予防の相互構成が見えてくる(政治のループ)。本稿では、これらの三つのループを踏まえ、メイ・ツァンが人類学に導入した「世界化(worlding)」という概念を用いながら、医薬化に対する政治経済学的な批判を、薬物代謝の効果として捉え直すことを試みる。実験と治療の間の絶え間ないループを通じて新たな治療薬が誕生する過程に焦点を絞り、自然と文化の二項対立に対する批判的研究の視点から医療人類学への貢献を図る。
著者
村上 薫
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.82, no.3, pp.328-345, 2017 (Released:2018-05-16)
参考文献数
33

名誉(ナームス)に基づく暴力をめぐり、トルコの公論はふたつの批判的議論を提示してきた。ひとつは、国際的な名誉殺人への関心の高まりを背景として名誉殺人を因習殺人と名付けるものである。名誉殺人を東部のクルド系住民の後進性と結びつけるこの言説は、名誉殺人を特定の集団内で不可避的に起きる問題として他者化した。もうひとつは、欧米のフェミニズム理論を背景として、暴力の原因を家父長制に求めるものである。名誉殺人を含む女性への暴力は、普遍的で非歴史的な男性支配の制度としての家父長制によると説明される。前者では名誉は特定の地域や集団の因習に読み替えられ、後者では名誉は家父長制に還元される結果、なぜ名誉が暴力を正当化するのか、掘り下げて考察することができない。 本稿は、名誉を一方で特定のエスニック集団に本質化された後進性との関係において、他方で家父長制との関係において、一元的に意味づける議論を離れ、人々の名誉の解釈と実践に焦点を当てることにより、暴力が発動する機序を地域社会の日常的関係のなかで理解しようとするものである。イスタンブルの移住者社会の事例に即した議論を通して、本稿では都市における移住者の周縁化、失業の増加と貧困化、あるいは女性の権利言説の高まりといった、グローバル化がつくりだす今日的状況において、名誉の解釈をめぐって駆け引きが可能な状況が生まれ、新たな暴力が誘発されていることを示す。名誉の解釈とルールが流動化し、一律でなくなる状況ではまた、暴力が誘発されるとともに、暴力に対抗する新たな契機も生み出されることを指摘する。
著者
間宮 郁子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.77, no.2, pp.306-318, 2012-09-30 (Released:2017-04-10)

Japan has more in-patient days than any other country, as well as the highest number of beds in mental hospitals as a ratio of the total population. People with mental disorders used to be hidden away under the law, either in the medical or welfare system, and suffered from a social stigma. In recent years, however, mental patients have left such isolated medical institutions and started to live among the general community, not as psychiatric patients but as persons whose will is respected and who can get social-welfare support. As that drastic paradigm shift happened rapidly, Japanese institutions for persons with mental illness have come to design various support systems in response. This paper describes the experiences of several schizophrenic persons who utilize a social welfare facility in Hokkaido: Bethel's House in Urakawa, which has developed unique ideas about dealing with schizophrenic symptoms. The members of Bethel's House diagnose their own symptoms on their own terms, and are able to study their physical conditions, sensuous feelings, and mental worlds through their own experiences of living in the community. They carry out that work studies with friends - the other members of Bethel's House - and develop and train skills for communication with their friends and the rest of the real world. The paper looks at the case of a woman at Bethel's House who had difficulty holding down a job because of voices she heard and hallucinatory delusions she saw. She only realized that the voices and hallucinations might be coming from her own mind after talking with the other members of the house. Although she suffered from the voices, she gradually gained skills to communicate with her "friends." The staff members of Bethel's House did not try to ignore the voices, but instead were told to greet them (the "friends" were just the voices that she had heard). The staff members also urged her to try to experiencing talking with her friends using those greetings. Through such daily communications, schizophrenic persons at Bethel's House, such as this woman, learn to have specific physical experiences using their own words, thereby constructing practical communities. We also found that medical institutions and welfare facilities in Japan have kept away schizophrenic experiences, having removed patients from the community in the context of psychiatric treatment, responsible individuals, and human rights. In contrast, Bethel's House lets schizophrenic persons live with their voices and hallucinations, meaning that they live in a continuous world that includes both the hospital and the outside world. On the other hand, some residents in Urakawa Town wanted to exclude Bethel's House from the community because they felt it was accommodating "irresponsible" or "suspicious" persons, or subsidizing non-working people with public monies from the town budget. Although individual daily contact was maintained between Urakawa residents and the members of Bethel's House, those exclusionary attitudes against social institutions meant that Bethel's House has come to function as an asylum for schizophrenic people in such situations, increasing the feeling of isolation in schizophrenic persons' lives, both internally and externally.
著者
伊地知 紀子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.69, no.2, pp.292-312, 2004

本論は、韓国・済州島の一海村・杏源里で人々が行う共同慣行、スヌルムとチェという生活実践の姿を通して、生活共同原理の創造性を描く試みである。済州島ではスヌルムとチェと表現される共同慣行は、韓国の農村研究のなかでそれぞれ「プマシ」と「契」と表現され、これらをめぐって数々の記述が蓄積されてきた。そこで、プマシとは労働力の相互交換であり、契とは農村の財政基盤や物的協力を支える伝統的利益集団として規定されてきた。こうして定式化されてきた共同慣行は、いぞれも共同体の構成要素として、社会変化とともに遺物となったり解体されたりするものと看做されてきた。しかし、本論では済州島での調査からの知見を踏まえ、定式化されえない共同慣行の姿から、人々がその時その場の必要に応じて、以前のやり方を踏襲したり、改変、解体し、再編しながら生活世界を共同で構築してきた姿を考察している。植民地化以降資本主義市場経済の浸透とともに、共同慣行は貨幣換算済みの世界へ参入する手立てともなってきた。しかし、日常の営みのなかで人々は多種多様なスヌルムやチェを実践しながら、貨幣換算済みの世界に回収しつくされない共同性を共有してきた。こうした生活実践のプロセスのなかで紡がれていく共同性は、共同慣行に直接参加する人同士を繋げるだけではなく、多様な関わりを生成していく。そのなかで人々は互いの事情を察しあいながら、共に現実に向き合う力を生成してきたのである。
著者
大坪 玲子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.78, no.2, pp.157-176, 2013-09-30

経済学やバザールを扱う諸学では、情報の非対称性が取引にもたらす非効率性を解消する方法として信頼関係が注目されてきた。本稿は、情報の非対称性下において、信頼関係よりもずっと不安定な一見関係や顔見知りの関係が経済主体に選択されるイエメン共和国のカート市場の事例を紹介する。新鮮な葉を噛むと軽い覚醒作用がもたらされるカートは、イエメンでは嗜好品として午後の集まりに嗜まれている。カートの流通には近代化が及んでいないものの、早朝収穫されたカートがその日の昼前に市場に並び、午後には消費されてしまうという非常に効率的な流通経路が確立されている。カートの流通に関わる経済主体にとって重要なのはカートの品質に関わる情報であるが、これは生産者>商人>購入者という不等号で表せる。生産者と商人、商人と購入者の関係を見ると、情報弱者(商人、購入者)は情報強者(生産者、商人)に対し顧客関係よりもむしろ多くの顔見知り程度の関係や一見の関係を維持しようとする「浮気性」であり、一方情報強者は可能であれば情報弱者と顧客関係を築きたいが、情報弱者の「浮気性」を知っているために自らも「浮気性」にならざるを得ない。もちろん「浮気性」だからといって何をしてもよいということではなく、経済主体はみなそれぞれの商売相手に誠実でなければならず、中でもカート商人は最も「浮気性」であり誠実でなければならない。カート市場において経済主体の間の関係は、一見関係、顔見知りの関係、顧客関係と変化している。従来のバザール研究は商人が圧倒的な情報強者であり、そのため長期的で安定的な信頼関係が注目されすぎてきたのではないかと、カート市場の事例を通して見ると思えるのである。
著者
後藤 明
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.77, no.1, pp.41-59, 2012

本稿は、Mモースに由来するフランス技術人類学の伝統と、英米の人類学・考古学の遭遇という視点から、過去20年の人類学的技術論の展開を分析する。1993年は、フランスの人類学者A.ルロワ=グーランの大著[1964]が英訳された技術人類学の転機である。この年の前後に、フランスの技術人類学関係の論集や、それに呼応した英米圏の考古学などにおいて、新たな動きが進行していた。ルロア=グーランは、人類の骨格、技術、知能、そして言語の共進化を分析する概念としてジェーン・オペラトワール(chaine operatoire)を唱え石器の分析に適用した、フランス人類学のその後の世代によって石器の製作だけではなく、土器、水車、製塩、醸造法など多様な技術的行為の分析に適用されてきた。ジェーン・オペラトワールとは、原材料をその自然uの状態から加工された状態へ変換する一連の動作である。そして、その行為において潜在的な選択可能性のひとつを、行為者が身体を通して物質に働きかけることによって顕在化する過程を意味する。この視点においては、身体技法、技法と技術の違い、さらに素材の選択や生産物に対する認知や社会表象の総体が分析対象となる。またその結果として、技術的選択の社会性あるいは社会に埋め込まれた技術的行為という視点が提唱される。米英の民族誌あるいは考古学の潮流にも、類似の指向性は散見されたが、過去十数年はハビトゥスやエージェンシーのような概念と考古学資料をつなぐミドルレンジ・セオリー(中範囲理論)としてジェーン・オペラトワール論が適用され成果をあげている。またジェーン・オペラトワール論では、認知の問題も重要であり、認知におけるモノの重要性を唱える物質的関与論との接近も予想されている。さらに、近年ルロワ=グーランの再評価の論集が認知科学や哲学の世界でも出版されており、ジェーン・オペラトワール論は、今後も人文学全体においても重要な参照項であり続けるだろう。