著者
野村 喬
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.10, no.8, pp.618-623, 1961-09-15
著者
近本 謙介
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.49, no.7, pp.29-38, 2000-07-10

南都における中世という新たな時代への移行は、皮肉にも焼亡という体裁を採ってもたらされた。全編がいわば終末イメージによって綴られる『平家物語』においても、南都焼亡はその論理構造の中に取り込まれている。しかし、焼亡の憂き目を現前の事実として受け止めなければならなかった南都においては、中世への再建が、堂塔の整備とともに、文字によって為されていたように思われる。その様相を、春日信仰を中心とした霊験や教学に関する書の生成を例に取りながら論述する。
著者
原田 行造
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.29, no.12, pp.20-30, 1980

Kaneyoshi tended to be fond of "Yoyo-no-furugoto", to think much of Manyoshu and to respect The Tale of Genji, and tried to get Chinese culture. Having lost a lot of volumes of Tohkado Bunko during the war of Ohnin, he preserved books of history, ceremony and etc., and completed Kacho-yojo and Nihonshoki-sanso in Nara. He attempted to restore the ancient ceremonies through his knowledge that he had got by his reading, and encouraged to learn classics. He not only variegated judgment of waka meeting, but also gave a lesson how to live during war time. The essence of his thoughts could be found in Sayo-no-Nezame, Bunmei-ittoki and Shoudanchiyo which were dedicated to Tomiko Hino and Shogun Yoshihisa.
著者
小川 剛生
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.52, no.7, pp.44-53, 2003

二条良基家で貞治五年に行われた『年中行事歌合』につき、成立過程・出詠者の構成などから、摂関家の文学的な伝統にのっとった、家歌壇の催しであることを述べ、それが詠作に与えた影響を考察した。また、摂関家には、歴代の有職の摂関が行ってきた、儀式書『江家次第』の談義の伝統があり、良基による朝儀の解説を載せる『年中行事歌合』はその流れを汲むことを述べた。最後に二条殿の歌壇を経済的に支えたらしい、羽渕方眼宗信という人物について触れた。
著者
中山 昭彦
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.49, no.11, pp.13-27, 2000-11-10

赤木桁平の遊蕩文学批判を契機に巻き起こるこの論争は、当時、隆盛をきわめていた人格主義を、文学作品の評価へと応用する契機となるだけではない。それとともに、当時、売れていると認識されていた長田幹彦らの小説を、枠付け差別化するための基準の"創出"という側面をもっている。そしてそれは、「通俗小説」というジャンルの緩やかな成型を促すとともに、その対極におかれる「芸術小説」の再定義の機会をなすものである。
著者
関 礼子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.41, no.11, pp.61-71, 1992-11-10

小学校六年生国語教材『どろんこ祭り』と『赤い実はじけた』を、ふたつのテクストとしてみた場合どのような作品として読めるか私見を述べてみた。テクストの中心的なテーマである少年・少女の「セクシュアリティ」が、規範としてのジェンダーにとらわれており、そこからの「創造的越境」に欠けている点を指摘し、「セクシュアリティ」は男性性・女性性が葛藤しあう相互的なものであることを、『銀の匙』というテクスト分析をつうじてあきらかにした。
著者
金子 亜由美
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.64, no.9, pp.39-49, 2015

<p>『草迷宮』には様々な怪異が現れるが、それらは「声」に起因するものと、「まなざし」に起因するものの二種類に大別できる。従来の先行研究では、前者に注目が集まりがちであったが、本稿では「まなざし」による怪異について詳しく検討する。また、鏡花の談話「おばけずきのいはれ少々と処女作」で説明される「超自然力」の原理にも着目し、「声」と「まなざし」の作用が、鏡花のいう「超自然力」の成立に不可欠の要素であったことも分析していく。</p>
著者
平岡 敏夫
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.35, no.10, pp.1-11, 1986-10-10

「作者」という語が直接登場しているように、夏目漱石「虞美人草」では作家の<自我>が露出し、<虚構>はその支配を受けている。だが、先行する小栗風葉「青春」の男女密会の「大森」行きに象徴される恋愛の<引用>として、さらには「青春」や小杉天外「コブシ」の「兄妹」の<引用>として「虞美人草」は<虚構>の新たな活性化をはかっている。とくに宗近の妹よし子の<妹の力>としての<虚構>は必ずしも<自我>に従属していない。この作品の<自我>と<虚構>は見合っており、そこに「虞美人草」の独自の構造と魅力がある。
著者
米田 利昭
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.33, no.6, pp.p13-23, 1984-06

「門」に登場する人物の一人、<甲斐(かい)の織り屋>とは何者だろう。富士の北影の焼け石のころがる小村から、反物をしょって都会へ来る行商人だが、その村の描写が、子規の「病牀六尺」に出てくる新免一五坊からの聞き書きと類似するので、同じ材料からではなかろうか、とわたしは疑った。しかし、ちがうらしい。<甲斐の織り屋>は事実の反映ではなく、その頭髪の分け方が安井を思わせるように、宗助の過去をよびおこし、彼の内部にねむる罪の意識を引き出すためのしかけだった。だが同時に、それは、現実にある日本人の生活の貧しさ、つつましさを示して、都会に生活する日本人に反省の材料を提供するものでもあった。ここから出発して、主人公宗助が日常生活のあいまに抱く想念はどのようなものか、さらに彼がその想念に追われるようにして体験する<異なる時間>とは何か、を見て、生の不安と共に社会不安の中に人は生きるものだ、と作者漱石がいっている、とそのようにわたしは「門」を読んだ。
著者
米田 利昭
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.33, no.10, pp.1-15, 1984-10-10

「こころ」は「よくできている作品」(吉田精一)といわれている。しかし素朴に読むと矛盾に充ちた作品でヽそのかいたるものが、妻(以前のお嬢さん)が自分をめぐる男二人の争いを知らず、残った男(夫)の心がどうして変って来たかも知らない、それについて想像をめぐらそうともしない、「純白」のまま放置されている不自然さである。作者は充分承知している筈の男と女のリアリズムを無視している。同様にして「私」も「私」の父母も現実性を失っており、こうしたリアリズムを犠牲にすることで、漱石はいったい何を描きたかったのか、何を主張したかったのか、-それを読もうとした。
著者
米田 利昭
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.35, no.6, pp.33-45, 1986-06-10

一 坊っちゃんのアイデンティティ、いいかえると自己のかけがえのなさの感覚は、小説中の事件(マドンナの争奪)に対する坊っちゃんの態度決定にあらわれる。二 生徒を<豚>視する一方、<教育>を理想視する坊っちゃんとは、人間を社会から切り離し、個としてその行動と意識だけを書くという漱石の方法によるものだ。三 小説中、清からマドンナへ重心が移動する。作者に残された課題は、現実の女マドンナに口をきかせることだった。
著者
砂川 博
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.36, no.6, pp.1-10, 1987-06-10

『明徳記』の作者を時衆とする見解は角川源義氏によって唱えられ、最近では冨倉徳次郎氏がこれを支持している。一方、金井清光氏は山名氏が遊行派か四条派何れかの時衆に帰依していた事実を明らかにされている。本稿は金井氏の指摘を踏まえた上で。『明徳記』改稿本の山名満幸最期談の構想を分析、作者圈に四条派時衆の介在することを想定した。
著者
早川 久美子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.56, no.12, pp.35-44, 2007

「曾根崎心中」の研究史は、近松がいかに世話狂言などの先行作を下敷きにしていたかという、成立基盤の解明に重きが置かれていた。本稿では、本作品成立の意義を追求するため、先行世話狂言である「心中茶屋咄」、「河原心中」の二作品を取り上げ、そこでの心中原因の描かれ方を比較検討した。近松は、九平次を創作したことによって、生玉社の場からお初の行動に焦点を当てていることがわかった。お初は、困難に耐えながら徳兵衛への思いを貫いてゆく。
著者
呉 哲男
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.44, no.1, pp.1-10, 1995-01-10

今日の文学研究は、共同体を維持するために不可欠なヘテロセクシュアル(異性愛)のみを普遍的な愛とする近代の社会制度に同調し、性の領域に対して自由な感受性を働かせることを抑圧してきた。ここではフーコーの提起した「自己への配慮」(『性の歴史』)という概念を援用して、大伴家持と池主の「交友」の基底にホモセクシュアルな感情が流れていることを論じ、『万葉集』の宴席歌における挨拶性という問題を再検討した。
著者
中村 龍一
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.54, no.8, pp.18-27, 2005-08-10

文学作品を読むということは、記述されている文字を辿ることである。確かに、文字を順に読んでいるに違いはないのだが、読者に聞こえている声がある。それが「語り」であり、その声の主が語り手である。「語り」は語り手と聴き手の関係に生じる世界である。「語り」は聴き手である読者にどのような<読み>の世界を実現してくれるのであろうか。国語教室での文学の<読み>の新たな可能性を探ってみたい。私は、子どもたちが童話や小説、詩歌を愉しむこと、それが文学の<読み>の学習で最も大切にされなければならないと考えている。そして、その<読み>をさらに深く愉しいものにする術を子どもたちに学ばせたい。「語り手」と「人物」は、文学作品の<読み>の指標(目印)として基本的な学習用語と私は考える。小・中学校の教科書教材を例に、<読み>の指標に着目することで見えてくる作品世界を明らかにする。
著者
高木 史人
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.56, no.5, pp.47-55, 2007-05-10

日本の民俗学・口承文芸では、柳田國男の影響の下、「世間話」の語を一般に用いて研究してきた。けれども、柳田じしんの著作を読むと、「噂」という語も浮かび上がる。「噂」は従来の民俗学・口承文芸では用いてこなかった。この論文では、柳田による「噂」の語を検討し、そこから古代の「風聞」や「世語り」の語と対応するのが「世間話」だけであったのかを考えてみた。