著者
土屋 千恵 郷道 順子
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.56, pp.262, 2007

〈緒言〉核家族化、少子化が進む現代社会において、父親の育児参加の必要性が論じられている。国単位での調査、報告が進む中、高度経済成長時代の親役割分業制から、父親も育児参加はしているもののまだまだ母親の負担が大きい。当院でも妊娠中、分娩、産後と父親への関わりを持っているが、母親と比べ、児の誕生と共に親としての役割を果たしていくのは難しいと感じた。そこで、妊娠後期に父親、母親となる為に、何を考え、どう行動しているのか現状を知り、私たち産科スタッフがどう関われば親を育む一助となれるのか検討したのでここに報告する。<BR>〈対象及び方法〉当院産婦人科に通う妊娠30週以降の妊婦とその夫41組(帰省分娩を除く)にアンケートを配布、回収した。分析では先行研究と研究者が育児参加に影響を及ぼすと考えた「子どもの数」、「夫自身の父親の育児協力」を因子として、質問したそれぞれの項目とχ2検定、一元配置分散分析を行った。<BR>〈結果〉本研究において育児参加に影響を及ぼすと考えた因子、子どもの数、夫自身の父親の育児協力についてのそれぞれの項目とχ<SUP>2</SUP>検定(p<0.05)を行ったが、帰宅時間以外での関係性はみられなかった。また、子どもがうまれたらどのような育児協力をしようと思っているかの項目と家族構成、夫自身の父親の育児協力、赤ちゃんの面倒をみた事があるかどうかの因子で一元配置分散分析を行ったが、こちらも関係性はみられなかった。<BR> 対象者は核家族が7割を占め、すでに子どもを有している夫婦が半数であった。子どもがおらず、赤ちゃんの面倒をみた事がある夫は約20%だった。夫自身の父親が育児に協力的だと思っていた夫は48%いた。妻の妊娠を肯定的に受け止め、胎児の成長を喜び、妊娠に関して肯定的な感情が多かったが、母親学級や助産師外来の夫の参加は2割に満たなかった。育児参加について、赤ちゃんが生まれたら「おむつ交換」「沐浴」「抱っこ、あやす」など高い割合で手伝おう、手伝いたいと思っていることがわかった。妻に夫に希望する育児行動を質問したところ、ほぼ同じ項目であった。育児行動に優先順位をつけてもらうと夫は「おむつ交換」などの直接的な育児行動が順位として高く、妻は直接的な育児行動のほかに「精神的なねぎらい」の順位が高かった。<BR>〈考察〉赤ちゃんの接触体験や自分自身の父親の育児協力、夫婦が有している子どもの数が育児参加に影響を及ぼすという結果は得られなかった。アンケートの結果から多くの夫は妊娠、胎児に関心を持ち、肯定的な感情を抱いており、育児に参加しようという気持ちも持っている。その気持ちが実際の育児行動につながるように、妊娠中から多くの夫が母親学級や助産師外来に参加できるような取り組みが必要と感じた。また、妻は夫が考えている以上に精神的なねぎらいを求めており、直接的な育児行動だけではない、共に親として子を育て、共に助け、支えあう存在としての夫を求めていると考えられる。
著者
鳥谷部 邦明 高木 幹郎 村田 哲也 濱田 正行
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.58, pp.59, 2009

〈諸言〉サルモネラ菌は細菌性胃腸炎の主な原因菌である<BR>が,臨床症状が他の細菌性胃腸炎より激しいことが多く,<BR>急性腎不全の合併も稀ではないとされている。今回我々は<BR>急性腎不全を合併したサルモネラ胃腸炎の1例を経験した<BR>ので報告する。<BR>〈症例〉58歳男性。飲食店で昼食にエビ天丼を食べた数時<BR>間後より下痢,嘔吐が出現し,翌日には吃逆も出現した。<BR>1日に20回以上の下痢,嘔吐を繰り返し,ほとんど食事,<BR>水分も摂れない日が続いた。それから4日後に衰弱してい<BR>るのを家人が発見し,近医から当院へ紹介となった。受診<BR>時,バイタルサインに大きな異常は認めないものの,口腔<BR>内・皮膚の乾燥,頸静脈の虚脱,四肢の冷感を認め,脱水<BR>が疑われた。血液検査では血液濃縮,異常な高窒素血症,<BR>代謝性アシドーシス,CPK 高値を認めた。腹部エコーで<BR>は腎萎縮や水腎症は認めず,尿検査では腎前性が疑われた<BR>ため,感染性胃腸炎に伴う腎前性急性腎不全の診断で入院<BR>となった。入院後,初期輸液にて尿量の反応を認めたた<BR>め,輸液を続行し高窒素血症の改善を認めた。また便培養<BR>より非チフス性のサルモネラ菌O―9群が検出され,下痢<BR>が非常に激しかったため,FOM の内服を行った。下痢が<BR>改善した後に経口摂取を開始し,第24病日に輸液を終了し<BR>て第26病日に退院となった。退院後の経過は良好でBUN,<BR>Cr 値は正常値まで回復した。<BR>〈結語〉サルモネラ胃腸炎により腎前性急性腎不全をきた<BR>した原因は主に脱水と考えられ,補液によって腎不全は著<BR>しく改善した。高度の腎不全であっても腎前性の場合は経<BR>過に注意しつつ十分な補液を施行することが重要と考えら<BR>れた。<BR>
著者
疋田 善平
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.58, pp.401, 2009

〈すじがき〉私は母からは供養して人助けを,父からは三<BR>方よしを仕込まれ,国立京都病院で予防に勝る治療なし,<BR>と,イメージ療法を学びました。<BR>高知の僻地で住民参加のPPC 医療から,満足死を提唱<BR>し,全村病院構想からケア完備集落構想・在宅ホスピスへ<BR>と前進するも,施設死が70%を超える様になり,この70%<BR>をどう考えたらよいのか? 誰もが住み慣れた地域の自宅<BR>で自分らしく暮らしたいが,ケアが必要になった時,ケア<BR>を求めて施設に入るが,ケアは人に必要なので,施設には<BR>無くても良いから〔住まい〕と〔ケア〕を分離して,ケア<BR>を宅配すれば,入所による損失…地域を・家族を・自分を<BR>…等々を失うことなく自宅で終われるでしょう。<BR>ところが,日本には古来,物より心・人の道を大切にす<BR>る素晴らしい文化があり,ケア,即ち人をお世話するの<BR>は,ひとを思いやる心が基本にあるのです。然し,戦後,<BR>育児方法や核家族化など,アメリカナイズされ,自己中心<BR>的で金権至上の市場原理主義から,競争社会へと社会環境<BR>が変化し,家族の絆が薄くなり,相互扶助力の低下に加<BR>え,結晶的能力の低下,等々が思いやる心が無くなり<BR>秋葉原事件などが起ったのではと思う。(日米育児差・2<BR>~3の成績を示す)<BR>〈まとめ〉前回は満足死した方々は家族の絆が強く,宗教<BR>心があり,仕事熱中人etc でしたから,老人の願望である<BR>家庭円満,子供に迷惑をかけない,延命医療お断り,出来<BR>たら自宅で終わりたいでしたから,自分の願望をバネに家<BR>族の絆をと申しましたが,今回は家族の絆を強くする,家<BR>族を思いやる心を,お隣さんにも,いや,他人様にも同じ<BR>気持ちで毎日を暮らせば,それは必ず自分に返ってきま<BR>す。そうすると自分もうれしく心豊になり感謝して旅立て<BR>ますよ。<BR>
著者
熊田 克幸 桑原 清人 柴田 由美 白川 舞 堀田 宏 近澤 豊
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.57, pp.322, 2008

〈緒言〉近年、オーダリングシステムや電子カルテシステムの導入によってコンピュータ端末がより身近な存在となり、院内ネットワークを利用することで医薬品情報をはじめ様々な情報を共有することが可能になった。しかし、最新の情報を提供するためには、医薬品情報の頻回にわたる更新、膨大な労力と時間、コストの問題からも難しい状況にある。 その配信方法においても医療従事者が必要とする際にはいつでも最新情報を見慣れた形式で閲覧できるシステムを構築し運用することは非常に有用であると思われる。そこで、今回市販データベースソフトウエアのMicrosoft Access 2003を用い、オーダリングシステム端末上で利用可能な院内電子医薬品集とそれにリンクした添付文書参照システムの構築と運用について検討を試みたので報告する。<BR>〈方法〉1.医薬品集の機能・項目の検討<BR>簡便な操作性、必要最小限な機能、シンプルな表示とし薬品検索は医薬品の商品名または一般名の一部を入力することで可能にした。 検索薬品表示後にはワンクリックで情報の印刷や同効薬品の表示および各製薬会社から提供される医薬品添付文書のPDFファイルを表示する。<BR>2.利用可能な端末の検討<BR>医事ネットワーク上のデスクトップ端末103台(オーダリング端末62台、レセプト端末28台、看護システム端末7台、事務用端末6台)。OSはすべてMicrosoft Windows XP Professional SP2である。<BR>3.利用端末における更新方法の検討<BR>各端末における更新は、メンテナンスフリーにするために端末起動時または24時間毎に操作の必要なしで自動に更新されたファイルをダウンロードしサーバーと同期する。<BR>4.医薬品情報の更新・チェック機能の検討<BR>情報更新はサーバー上で随時行い、医薬品添付文書のPDFファイルは、各製薬会社の提供または医薬品医療機器情報提供ホームページよりダウンロードしサーバー上のファイルを更新する。添付文書改訂情報はインフォコム社の医薬品データベースDICSを利用し更新をチェックする。<BR>〈結果〉日常業務の中で検索したい医薬品情報は医薬品集に掲載されている薬品の効能・効果や用法・用量であることが多い為、その内容を短時間で検索し充分理解できることが重要である。また、その内容では不十分な際、より根拠に基づく詳細情報である添付文書の参照が出来るように、電子医薬品集は紙媒体の医薬品集をデータベース化した基本の医薬品情報と医薬品添付文書PDFファイルの2段階とした。また、薬効分類は実務に使用できる分類がないため、当院で細分化し同効薬品の検索および表示に利用した。<BR> 医薬品情報の更新や添付文書の改訂は不定期に案内があるうえ、随時行う必要があり平成19年度は当院採用1,362品目のうち815品目の添付文書改訂があったがチェック機能により更新時期を容易に把握することができた。また、各端末はサーバー上のファイルを参照するのではなく任意にファイルをダウンロードして使用できるため、常時ネットワークに接続していないモバイル端末でも使用可能であり、複数の端末での同時使用やメンテナンス中にも制約を受けることなく使用できる。今後、電子医薬品集の需要も高まることが予想され、電子医薬品集の機能向上を図ることが重要である。
著者
丸山 雅和 長島 美幸 白瀬 昌宏 古屋 香 松田 訓弘 成田 孝行
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.55, pp.107, 2006

今回、過去5年間におけるシリンジポンプ保守管理データについて、機器不具合事例をFMEA分析によって定量評価し、現シリンジポンプ中央管理体制に関して考察したので報告する。<br><b><方法></b> 保守管理データより発見し得たシリンジポンプ不具合の各事例に対し、当院独自に定義したFMEAワークシート及び評価点表を作成し、機器不具合の影響度、致命度、RPN(危険優先指数)を算出し、定量評価及び特性要因図を作成、現シリンジポンプ中央管理、保守管理体制における改善箇所の抽出とシリンジポンプの安全管理に向けた対策を考察した。<br><b><結果></b> 過去5年間の保守管理データより、RPN平均4.93、(最高値:16.8、最小値:0.308)、致命度平均975.5/6000(最高値:2160、最小値:96)影響度平均29.3/60(最高値:38、最小値:7)を得た。<br><b><考察・まとめ></b> 致命度、影響度、RPN(危険優先指数)を算出することにより明確な対策作成順序及び中央管理体制、保守管理法に関する対策を明瞭化することができた。当院における現シリンジポンプ中央管理体制は基本的に予防保守を行っておらず、発生不具合の致命度、影響度について診療を観点に入れて評価すると、評価内において下位にあったものでも診療においては無視できるものではないと思われた。<br> 今回のFMEA結果より中央管理・保守管理体制におけるシリンジポンプ予防保守の必要性または中央管理方法の改善は示唆されたものの、経済的要因やマンパワー等を考慮すると完全な予防保守は不可能であるのが現状である。今回の結果を更にいろいろな観点から分析し、より信頼性の高い体制を確立していくこと、及び保守管理データの評価を行いデータベースとして活用できるシステムの構築が望まれる。
著者
納 光弘
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.57, pp.3, 2008

椎貝学会長から『この学会に全国から参集する医師・看護師の皆さん方に、あなたがこれまで実践してきた「医学する姿勢」、「未知の病気」にせまる姿勢、「医師・看護師」にとって基本となる姿勢について話してほしい』との依頼を受け、身に余る光栄と感動してお引き受けした。 タイトルは、夢を追い続けてきたこれまでの私の歩みを語る中から何かをお伝えできればと考え、『夢追って生きる』とさせていただいた。<BR> 私は、昨年3月、鹿児島大学を定年退職し、現在66歳になるので、24歳で医学部を卒業して以来、今日までの42年間の私の夢追いの歩みを語りたい。私が医学部を卒業した1966年当時は、学園紛争の火が全国で燃え広がっていた時期にあたり、私達同期生は、医療は如何にあるべきかという問題に、好むと好まざるに関わらず真剣に向き合いながら、毎日を過ごしたのであった。やがて、学園には百人を超える機動隊が常駐し、紛争は鎮圧されたが、あの時、『いい医療を提供する、いい医師になろう』と心に誓ったその思いは、その後の私の人生を導く灯明となってくれたように思う。3年間在籍した内科の医局を辞し、ECFMG(米国臨床研修資格試験)を取得し、米国でのレジデント研修先をさがした。その過程で、縁あって、聖路加国際病院のシニアレジデントの立場で研修する機会を得た。ここで、内科の日野原重明先生にお会いし、先生の医療に対する姿勢に心をうたれ、以後、日野原先生のような医療人になりたい、というのが私の人生の目標となった。先生の推薦のお陰で米国のアルバート・アインシュタイン メディカルセンターへの留学も決定し、星雲の志に燃えたのであったが、運命はそれを許してくれなかった。鹿児島の郷里で開業していた父親が脳卒中で倒れ、私は、留学を断念して、郷里に帰ることとなった。やがて、父親も診療を再開できるまでに回復し、私は再び自分の研修先を探さねばならなくなった。丁度、この時、鹿児島大学に新しい講座・第3内科が新設され、初代教授として井形昭弘先生が赴任して来られた。そして、縁あって、井形先生にお会いし、先生の医療に対する姿勢に感銘をうけ、弟子入りをお願いした。私の医療人としてのこれまでの人生を振り返って考えると、日野原重明先生ならびに井形昭弘先生との出会いにより、それぞれの生き様に感動し、それを目標に生きてきたように思う。このたびの講演では、私がお二人の何に感動し、何を学び、そして私の人生にそれをどの様に生かしてきたかについて具体的にお話しする。それに加えて、もう一つ、ぜひお話したいことがあり、私自身が病気で倒れた体験の中から、とても大切なことを学んだので、このことについても話したい。6年前、2002年8月末、私が鹿児島大学病院の病院長の時、過労で倒れ、入院を余儀なくされたのであった。病院長も辞し、将来の展望も見えないままでの入院生活を過ごす中で、これまでの人生を振り返り、自分を見つめなおし、4ヵ月後に退院してから後は、全くあたらしい生き方を模索しながら今日を迎えるに至っている。何を考え、どの様な生き方をしてきたかについても、この講演でぜひとも語りたいと考えている。これらの詳細は私のHP(納 光弘のキーワードで検索していただくと出てきます)にも掲載してあるのでご覧いただければと思う。
著者
冨永 千珠 木下 美奈 山本 順子 竹之内 美樹 福山 國太郎
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.59, pp.164, 2010

(背景)<BR>当病棟は日常生活自立度(寝たきり判定基準)でB・Cランクの褥瘡発生ハイリスク患者が多い。褥瘡発生率が低下した要因を分析し、得られた今後の課題について報告する。<BR>(対象)<BR>2007年1月~2009年12月に褥瘡発生した当病棟患者<BR>(方法)<BR>褥瘡発生原因(部位、自立度、バスタオル・横シーツの使用状況、ベッドアップ角度)の分析と対策を行い褥瘡発生数の変化を記録した。<BR>(結果)<BR>2007年に発生した褥瘡は仙骨9件、踵7件、その他10件。2008年は仙骨12件、踵2件、尾骨4件、その他11件。2009年は仙骨2件、その他5件。当初はバスタオルを使用した体位変換や横シーツ使用が見られ、体圧分散寝具の不適切な使用や、不充分な体位変換により仙骨・尾骨部に湿潤・摩擦・ずれが生じた例や、踵の除圧不足も見られた。また、経管栄養施行中の過度なベッドアップ、背抜きや除圧不足、脆弱な皮膚のケア不足も見られた。その他に酸素カヌラによる耳介圧迫、弾性ストッキングによる膝窩圧迫、手指・足趾の拘縮による圧迫も見られた。<BR> 踵部除圧チェックや横シーツの使用中止、バスタオルなしの体位変換実技指導を導入し、経管栄養施行中のベッドアップ適正化、スタッフへの予防策の継続指導・教育を行った。<BR> 酸素カヌラ固定の工夫や弾性ストッキングのしわ伸ばし、手袋や5本指靴下の着用を徹底した。2009年には踵部除圧が徹底され、バスタオルなしの体位変換の円滑な実施が実現された。<BR>(考察)<BR>スタッフへの実技指導や継続教育により褥瘡予防への意識が向上し褥瘡発生が減少したと考える。今後はベッドアップ時の背抜きや除圧、撥水・保湿クリーム塗布徹底で更に減少すると考える。<BR>(まとめ)<BR>スタッフ全員が褥瘡予防の重要性を認識し実施することが褥瘡発生減少につながるため、定期的勉強会や継続指導・教育を行うことが今後の課題である。
著者
李 啓充
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.60, pp.3, 2011

米国医療の「光」は,自己決定権を中心とする患者の権利が州法等で手厚く保証されていることであり,「影」は市場原理に基づいて医療が運営されていることといってよいだろう。しかし,患者の権利が手厚く保証されているとはいっても,日本で「生存権」が憲法で保障されているのとは対照的に,米国では国民が医療にアクセスする権利は救急医療以外では保証されていない。医療へのアクセスは,「権利」ではなく,「特権(お金を払った人だけが受けられるサービス)」となっている現実があるのである。<BR> たとえば医療保険についても,米国では,国民が民間保険を「自己責任」で購入するのが原則である。制度上,高齢者・低所得者等の弱者に対する公的医療保険が用意されているものの,歳が若く(65歳未満),そこそこの収入はあっても民間保険の保険料を払うほどの経済的余裕がない場合は,「無保険者」とならざるを得ない。その結果,米国では,国民の6人に1人が無保険の境遇に喘ぎ,医療へのアクセスが著しく制限されるという,苛酷な状況が現出している。近年,日本でも「米国式に,医療保険の『公』の部分を減らして『民』を増やせ」とする主張が声高に叫ばれているが,国民が医療にアクセスする権利を損なう危険があるので注意しなければならない。特に,「混合診療解禁」論者は,「高度の治療・最新の治療は高くつくので,保険財政では賄いきれない。保険外の診療として,お金を払った人だけが受けられるようにする」と主張しているが,これは医療へのアクセスを「特権化」する主張に他ならない。<BR> さらに,米国では,保険に加入しているからといって医療へのアクセスが保証されるわけではない。たとえば,保険会社が医療内容の決定に介入する権限を有しているため,患者と医師がインフォームド・コンセントのルールに基づいて共同で決めた治療方針が,保険会社によって「否定」されることも珍しくない。米国のとりわけ高額な医療費を自弁できる患者は稀であり,保険会社が保険給付を拒否した途端に,患者の自己決定権が「絵に描いた餅」と化してしまう現象が起こっているのである。最近,日本でも,財界・保険団体を中心に「保険者機能の強化」を主張する動きが目立っているが,「医師と患者の間に立って通訳の役を務める」という言い方で「治療内容に介入する権限」を獲得することをめざしているので警戒を怠ってはならない。<BR> ところで,日本で医療費抑制路線が強化されるようになったのは,1980年代にレーガノミックス,サッチャーリズムを後追いする形で「小さな政府」路線がとられるようになったことがきっかけだったが,「小さな政府」で運営されている国で,貧富の格差が拡大することは周知の事実である。日本も例外ではなく,現在,OECD 加盟国中第3位の「貧困大国」となっている。社会経済的格差が健康被害をもたらす現象は公衆衛生学の領域では「status syndrome(格差症候群)」として知られているが,今後,日本においても,格差に起因する健康の不平等が深刻化することが懸念される。
著者
柳沢 正 砥石 佳子 中島 文香 三島 済 中島 浩美
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.54, pp.198, 2005

はじめに<BR>今回当院手術室において17年間使用しているスリッパ洗浄機が故障を繰り返し、買い換えるか買い換えないか、という問題を機会にスリッパ管理の見直しをした。CDCガイドラインにおいては手術室の床が手術部位感染(SSI)の原因とはならないとされていることから、スリッパ洗浄を中止し、院内一足制を導入することにした。導入にあたり医師、スタッフの感染に対する意識の改革とスリッパ洗浄にかかるコストの削減ができたので報告する。<BR>結果、考察<BR>2004年4月に調査した結果、手術室に出入りした人数は約1900人、洗浄スリッパ数2694足であった。1か月の洗浄回数は83回。スリッパの履き替えに関しては規則が無く、1人で1日に何回も履き替えていたことがわかった。出入り口には脱ぎっぱなしのスリッパが散乱し、通行の妨げになっていた。また助手業務にスリッパ洗浄に費やす時間が多い事がわかり業務の見直しを行なった。<BR>手術室スタッフ、医師にスリッパ履き替えについてアンケート調査を行なった結果は1足制導入に関して感染、物品の汚染が考えられるという回答が多くあまりいい返事が聞かれなかった。手術室の床は手術部位感染の原因にはならないこと、床はもともと汚く床に座る、床置き物品、清掃など間違った認識の改革から始めることにした。<BR>院内感染対策委員会のアドバイスを受け、CDCガイドラインに基づいた手術部位感染防止について、手術室スタッフに学習会を行ない、床置き物品の整備、清掃手順を明文化し統一化を図った。医師に関しては部長医長会議で反発の意見が多い中、手術部部長より今なぜ履物交換規則の廃止なのかについて説明し説得した。また院内メールを利用して、職員に1足制導入についての情報提供することで、入室に関しての統一化ができた。またさまざまな意見や要望をいただき、参考にすることができた。<BR>院内1足制導入に伴い、個人別下駄箱を設けることにより履物を自己管理とし、導入後1か月で3割が院内1足制、7割が手術室1足制に移行することができた。この事で出入り口周辺のスリッパの散乱が無くなりスムーズな通行ができるようになった。<BR>スリッパ洗浄が無くなり、洗浄機の買い替えが無くなった事、スリッパ代、修理代、スリッパ洗浄にかかっていた、水道代、電気代、洗剤代、人件費のコスト削減につながった。院内一足制導入に伴い自己を守る、感染防止などでシューズカバーの使用が増えたことに関しては、感染に対する意識が高まったと考えられる。そして床に座ること、床置きの物品が無くなり、清掃手順も遵守されていることは、床に対して不潔であるという認識が強くなったと考えられる。
著者
林 勝知 上田 宣夫 森 茂 三鴨 肇 山田 敦子 島田 武
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.55, pp.274, 2006

<B><緒言></B>中濃厚生病院救命救急センターは、2000年8月から約6年、岐阜県の狭義の中濃地域(関市、美濃市)で、救急診療を行っている。今回、当センターとして、岐阜県中濃地域の救急医療体制の検証を行ったので報告する。<BR><B><検証結果></B><BR> 1.当センターの現状:年間の総救急患者数は約2万人で、重症度別にみると、一次が約90%と多い。救急車搬送による救急患者は、開設後約2年間は、一次が60から70%と多かったが、その後の約4年は一次が約50%となり、それに伴い急性心筋梗塞及び脳卒中等の重症救急患者の中濃医療圏の他の病院からの紹介、転送も増えてきている。ときどき生じる問題は、(1)約1時間に、三つの消防組合からあわせて4から5例の救急車搬送の要請があることにより初療室が混雑したこと、(2)中濃消防組合から約1時間で心肺機能停止状態(CPA)2例、重症外傷1例症・中等症外傷3例のホットラインが4回あり、大混雑の中で、診療を行なったこと、(3)夜間の中濃消防組合からの救急車搬送が、他の三つの二次病院ではなく、ほとんどが当センターであったこと等である。中濃地域の救急の協議会等で病診連携や二次病院の救急診療の役割分担を要望しているものの、未だ改善されてはいない。今後とも、行政の協力も求めながら、システムの改善を目指している。また、夜間、休日に直接来院する軽症患者が多いため、救命救急センターの利用法についてという掲示を出して、軽症例については、開業医の受診を奨めている。平日夜間については、少し受診患者が減少した。しかしながら、休日の午前中は多くの小児患者が来院している。このことについても今後改善されるよう模索している。<BR> 2.メディカルコントロール:オフラインメディカルコントロールとして、(1)中濃消防組合の救命救急士に対する包括的指示下の除細動のトレーニングは、プレコース、本コースあわせて8時間行った。(2)中濃消防組合の救命救急士でない一般の救急隊員約120名には一次救急処置(BLS)、自動体外式除細動(AED)のトレーニングを1)に準じ計8時間のトレーニングを行った。(3)気管内挿管の研修を2005年2名の救命救急士、2006年3名の救急救命士に行った。いずれも消防組合からの評価は高かった。
著者
酒井 義法 船越 尚哉 家坂 義人 藤原 秀臣 猪瀬 留美子 江幡 恵子 荒川 克己
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集
巻号頁・発行日
vol.60, pp.456, 2011

東日本大震災により当院の所在する土浦市も震度6弱の揺れを経験した。直後に発生した停電により長時間のシステム停止を余儀なくされた。その状況を報告する。<br>1.震災による被害状況:1)サーバー類の状況:地震の直接的被害は免れた。メインサーバーは専用自家発電装置に接続されており停止せず。部門サーバーのうち非常電源に接続されたものは退避指示に従いシャットダウン。通常電源に接続されたサーバーはUPS(無停電装置)が作動し計画的にシャットダウンした。2)周辺機器の被害状況:デスクトップPC4台、ノートPC5台。PC用モニター4台。プリンター6台。PDA3台。放射線用高精細モニター4台。47型大型モニター1台。ネットワーク機器 4台(アクセスポイント2カ所、ハブ2カ所 )が破損。<br>当院には東京電力から二系統で送電されており長時間の停電は回避されると想定されていたが、未曾有の震災により約8時間の停電を経験した。メインサーバーは被害がなく、部門サーバー群も計画的にシャットダウンされ、電源供給再開後速やかに復旧した。しかし、周辺機器は転倒、転落で破損が発生し、また多くの周辺機器は通常電源に接続されており停電中は使用不能であった。破損した機器については予備の機器に直ちに交換した。また自家発電用の燃料の備蓄が枯渇寸前であったが、震災直後の交通網の混乱により供給は困難な状況であった。<br>2.地震対策:1)周辺機器設置場所の変更、周辺機器に転倒防止を施す2)サーバー類に関してはUPS、自家発電装置の定期点検を強化し停電に備える。3)予備の機器の確保。3.今後検討すべき課題:1)サーバー類のバックアップデータ保存方法の再検討。2)各種オーダーを一枚にまとめた非常用伝票の作成。3)非常電源に接続されたPCを各病棟や部署に1台確保し、停電時の情報伝達ツールとして活用する。4)自家発電用の燃料の確保。
著者
齋藤 博子 神保 隆行 須貝 勝 高橋 香保里 大橋 恭彦 山田 彰 井上 元保
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集
巻号頁・発行日
vol.55, pp.354, 2006

<B><はじめに></B>近年、反復性膝蓋骨脱臼の要因として内側膝蓋大腿靭帯(以下MPFL)の重要性が指摘され、人工靭帯あるいは自家腱を用いた再建術が行なわれている。今回、自家腱を用いたMPFL再建術後の症例について、当院で実施している理学療法プログラムを中心に紹介する。<BR><B><症例紹介></B>17歳女性。高校では卓球部に所属。14歳で卓球の試合中に初回左膝蓋骨脱臼をきたし、その後3年間で計3回の脱臼歴あり。最終脱臼後に当院整形外科受診。術前理学療法を1ヶ月間(2回/週)行った後、左膝MPFL再建術を施行した。<BR><B><術前評価></B>関節可動域(以下ROM)制限なし。膝蓋骨異常可動性およびapprehension testは高度陽性で、kujala score56点。extension lag15°、BIODEX SYSTEM3を用いた筋力測定は60°/sec・180°/sec・300°/secの3スピードにて測定したがほとんど筋出力は得られず、それぞれ健側に対しての欠損率は膝伸展で97%、屈曲では99%であった。左大腿部は著明な筋萎縮がみられ、周径は5cm以上の左右差があった。歩行については左膝関節の円滑な動きが損なわれている印象が得られた。<BR><B><理学療法プログラム></B>手術翌日からSLR・セッティング等の大腿四頭筋訓練、2日目からCPMでのROM訓練、3・4日目からニーブレース装着下での部分荷重歩行、5日目から端座位での膝伸展、セラピストによるROM訓練、6日目からパテラブレースでの全荷重歩行、10日目から階段昇降、2週目から自転車エルゴメーター、4週目からスクワット、8週目からジョギング開始、16週でフルスポーツ許可とした。<BR><B><術後評価></B>術後9週時点において、膝蓋骨異常可動性およびapprehension testは陰性で、kujala score75点。膝ROM制限なし。extension lag5°BIODEX SYSTEM3による筋力測定での健側に対する欠損率は膝伸展68%、屈曲33%であった。大腿周径の左右差は3cm以内と改善、歩行は術前と比較して、いくぶん改善傾向がみられた。<BR><B><考察></B>近年、機能解剖学的および生体力学的研究から、MPFLは膝蓋骨内側支持機構の第1制御因子であることが証明されている。当院では、膝蓋骨内側支持機構の第1制御機構であるMPFLは第一に再建するべきであり、その上で種々の先天的解剖学的因子の有無に応じて付加的手術を行うかを決定するのが合理的であると考えて、MPFL再建術を行っている。膝蓋大腿関節は屈曲角度が大きくなるにつれて骨形態により安定するため、特に膝伸展位から屈曲90°範囲でのMPFLの機能が重要であるとされている。よってMPFL再建術後のROM訓練では、屈曲90°までを慎重に行うことが重要と考えられる。<BR> MPFLの膝蓋骨側約1/3は内側広筋遠位部の後面に癒合している。手術時にはこの部分の剥離を行ううえ、術前からの筋萎縮が強い症例が多い。また、術後膝蓋骨が内側へ矯正されることで内側広筋の筋収縮の感覚が得られ難い。そのため今回の症例のように術後の筋力回復、extension lagの改善が困難であることが多いと考えられる。以上よりMPFL再建術後の理学療法に関して最も重要となる点は、慎重なROM訓練と膝筋力の獲得であるといえる。
著者
小野寺 みつ江 仙波 静 山内 登志子 石田 泉 山田 さゆり 遠藤 利江子 山田 泰子
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集
巻号頁・発行日
vol.60, pp.161, 2011

東日本大震災時における福島県厚生連6病院栄養科の対応と教訓福島県厚生連栄養士会 小野寺みつ江・仙波静・山内登志子・石田泉・山田さゆり・遠藤利江子・山田泰子<はじめに>東日本大震災時に福島県厚生連の栄養科で、何がおき、いかに対応し、どのような教訓を得たのかを報告する。<各病院の状況>福島第1原発から3_km_の双葉厚生病院では、3月11日地震により調理器具の全てが倒れ、ガス漏れが発生した。ライフラインは電気のみ確保されていた。当日夕食は、ガスコンロにより飲水不可の水で非常食を温めて提供したが、患者の避難場所が把握できず、また緊急に来院した外来患者にも食事を提供したので食数が掴めなかった。隣接する健康施設に職員用の炊き出しを依頼した。翌12日朝食も非常食を提供した。昼、水道が復旧、厨房器械の点検をしたが、原発事故のため全患者全職員が緊急避難し、同院は現在も休院中である。原発から30kmの南相馬市に位置する鹿島厚生病院では、震災直後、ガス、ボイラー、エレベーターが停止した。原発事故後、職員は自主勤務になったため、調理員の数が不足し、他部門のスタッフと協力を得て食事を提供した。さらにガソリン不足と物流停滞のため、16日以降の食材納入が停止した。栄養士は病院に宿泊し、食材集めに奔走した。同院は19日から4月10日まで一時休院した。中通り南部に位置し、液状化現象が起きた白河厚生総合病院は、建物には被害がなかったが、外部の水道管が破裂し断水した。病院の貯水タンクの水を使い、自衛隊による給水支援を受け、節水しながら食事を提供し、非常食は使用しなかった。塙厚生病院では6時間の停電があり、1食、非常食を使用した。坂下厚生総合病院ではガスが停止し、1食、非常食を使用した。高田厚生病院では食事提供上の問題は発生しなかった。<考案>_丸1_災害時に備え、設備、給食材料の業者と契約を結んでおく。_丸2_水を確保する。_丸3_非常時に備え、栄養科以外の職員に、非常食提供の指導と訓練をしておく。ライフラインが確保されない時を想定しておく。_丸4_患者や職員以外の非常食を備蓄しておく必要がある。
著者
櫻井 優子 皆川 さおり 大滝 智子 伊藤 香代子
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集
巻号頁・発行日
vol.54, pp.145, 2005

【はじめに】新潟県中越地震での栄養科としての対応について、地震発生直後から、日常の業務が行なえる状況になるまでを振り返り、災害時のマニュアル作成を検討してきた。地震発生直後の病院全体の動向と、対応や行動について検討した。<病院全体での動向>地震発生直後、対策本部が設置され、入院患者様を避難誘導した。病院の破損状況が明らかになるとともに復旧作業が開始される。<栄養科>地震発生直後に栄養科職員はガスの元栓を締めて避難した。落ち着き始めた頃に病院の調理室に戻った。地震発生が夕食時間であったため、夕食を食べていない患者様がいることを報告し、栄養科としてどのような対応をしたらよいか、指示をあおいだ。安全な使用が確認できたのは、電気のみ。水道水の供給があったので、水を確保した。電気炊飯器にてご飯を炊いて、食事をしていない患者様へのおにぎりの提供を始めた。軽食程度の食糧(クラッカー、パック牛乳、パックジュース、食パン等)も避難している患者様へ提供した。インスリン注射している患者様は食事を済まされていた。栄養科の事務室は本棚が倒れ、数台のコンピューターのラインが外れていた。バックアップしてあるMDを持ち出した後、コンピューターのラインを接続してなんとか稼動できることを確認した。災害時のマニュアルを探し出すことができず、他の栄養科の職員とも連絡が取れない状況だった。しかしながら、食事が提供できないという状況は避けなければならない。患者様にはもちろんのこと、徹夜で働いている病院職員の方々にも朝食を提供するために、電気炊飯器でご飯を炊いておにぎりを作ることとした。備蓄されていた食料品を全て倉庫から出して、翌日の昼食までの献立を考えた。食糧の援助を頂ける契約をしていた業者も被害にあっているために、充分な食糧の援助は困難な状況だった。蒸気の安全が確認できたので、蒸気釜でご飯を炊いて味噌汁を作ることができたが、通常通りの食事を提供できる状況ではなかった。都市ガスの安全供給が確認できるまで、プロパンガスを手配して頂き、通常の業務に戻ることが可能になったのは地震発生から4日目だった。このような状況であったことから、今後の課題と対策について検討を行っている。<今後の課題>1、「非常時持ち出し品」としてリュックサック等に用意してはどうか? →ラジオ、懐中電灯、タオル、軍手、ウエットティッシュ等2、災害時のマニュアルは書棚に入れず、見えるところに置いておいたほうが良い? →地震が発生した時に、書棚が倒れて書類を捜すことができなかった。3、備蓄食糧については、災害時のマニュアルに掲載した献立に従って最低でも2日_から_3日は必要ではないか? →支援物資が届くまでの間、ライフラインが使用できなくても入院患者様に提供できるものがよい。4、災害時マニュアルの充実 →ライフラインの利用可能な状況やその場合の対処方法など、実際の行動に即したマニュアルであれば、非常時でも迅速な対応が可能だと思われた。
著者
島田 美紀代 山田 舞子 岩野 ミカ
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集
巻号頁・発行日
vol.60, pp.380, 2011

〈はじめに〉当院では、併設する訪問看護ステーションにおいて、理学・作業療法士による在宅リハを実施している。今回、脳血管障害者に対するアプローチを作業療法士の視点から紹介し、訪問看護ステーションにおける作業療法士の役割について若干の考察を交え報告する。〈対象〉脳血管障害(小脳レベル)。女性。発症後、当院リハで訓練・指導を経て約4ヵ月後に退院。退院1週間後訪問リハ開始。開始当初、主婦業がやりたい気持ちはあるが、失調症状によりふらつきや頭の重さの訴えが強く、横になることが多かった。〈経過〉まず、機能的評価やADL評価を行いつつ本人の不満や不安を傾聴したところ、生活動線が健常時のままである事・過度な緊張が入る事がADLの狭小につながっていた。環境設定を中心にアプローチし、横になることは少なくなったが、外に出る機会が激減していたせいもあり、体重が増加傾向をたどった。内から外への足がかりとして日課表を作成し、1日の生活パターンを図式化した。また、訪問看護師の助言より、定期的に体重測定を行った。このように客観的なデータを表示することで、自ら生活を見つめ直すきっかけになった。その後、家庭での役割や活動を意識した評価を行い、機能面ばかりではなく、その人らしく主体的に活動ができるよう援助を行った。〈考察〉作業療法は「活動」を扱う。「活動」とは人間が生きる上で必要な「作業」のことで、手芸等の「作業」ばかりではない。障害と共生しながらその人らしい生活を営むために、心身の時系的変化をくみ取りつつ「活動」を行える身体・環境づくりを行う必要がある。退院し「在宅復帰」という目標を達成した利用者が次に何を目標にし、どう人生を再構築していけばよいのか、「活動」を扱う者として「導き」の必要を感じた。又、訪問看護は特に他職種との連携が必須である。問題を共有しつつ、それぞれの立場の意見交換する重要性も感じた。
著者
桑原 直行 越後谷 和美 藤田 正子 鳥海 雄好 湯澤 仁
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集
巻号頁・発行日
vol.56, pp.235, 2007

〈はじめに〉災害拠点病院とは、災害に対して24時間緊急対応し、災害発生時に被災地内の傷病等の受入れ及び搬出を行なうことが可能な体制を有し、 被災地外の場合も、被災地からの傷病者の受入れ拠点にもなる病院である。また、災害発生時における消防機関と連携した医療救護班の派遣体制があるのも条件となっている。秋田組合総合病院は平成12年新築移転後、秋田県災害拠点病院としての体制作りと活動を行っている。新潟中越地震が発生した際にも医療救護班を派遣しているが、当時の貴重な経験と現在の当院での災害拠点病院としての取り組みと問題点を報告する〈活動内容〉平成16年10月23日午後5時56分に小千谷市を震源として、新潟中越地震が発生したが、この時から本格的な災害拠点病院としての活動が始まった。秋田組合総合病院は歴史的に新潟大学医学部との関係が深く、新潟県出身の医師も多いため、地震発生当初から支援要請があれば直ちに医療救護班を派遣する準備をしていた。県からの派遣要請のもと、先遣隊の後を引き継ぐ形で、地震発生から10日目にあたる11月1日から医療救護班を現地に送った。当初は現在のように訓練された医療班はなく、すべてが手探りの状態であった。この貴重な災害医療を経験することで、被災地のニーズは時々刻々と変化しており、これを的確にかつリアルタイムに把握し対応することの大切さを実感した。この医療救護班を派遣した実績を認められ、DMAT(災害派遣医療チーム)指定病院となり、現在DMATとして1チームが活動している。DMATとは、災害の急性期(48時間以内)に活動できる機動性をもった、専門的トレーニングを受けた医療チームのことである。大規模災害等での非常時における医療活動を、いかに効率よく行っていくかを4日間の研修で学んできている。秋田空港での航空機事故を想定した災害訓練等にも参加しており、少しずつ、災害拠点病院としての役割をはたせる体制が整ってきた。しかし、病院としての被災地内の災害医療に対応できる体制は十分とは言えない。災害急性期には、特殊状況下で、傷病者が普段と桁違いに集中発生する一時的なニーズに応えなければいけない。つまりトリアージが重要で、これはDMAT隊員だけができればよいというものではない。当院では、事務職も含め、トリアージを実践できるように院内研修会をすすめている。また、 DMAT研修での知識を共有し、さらに、隊員を拡充することも必要である。また、災害時のマニュアルの整備と訓練、食料備品などの事前の準備と備蓄などの問題点も多くあり、一つずつ解決する努力を継続していかなければならない。〈結語〉災害拠点病院として機能するためには、マニュアルを整備することはもちろんであるが、災害急性期に対応するためには、大規模災害は他人事ではないという職員全員の自覚と日頃の訓練によるスキルアップが必要不可欠である。
著者
鈴木 和広 加藤 活大 西村 大作 鈴木 夏生 矢口 豊久 池内 政弘 神谷 泰隆 平松 武幸 水野 志朗 三宅 隆
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集
巻号頁・発行日
vol.55, pp.275, 2006

<b><緒言></b> 愛知県厚生連では、傘下9病院の医局長が幹事となって、愛知県厚生連医師会が運営されている。毎年、幹事会で決定された活動テーマに沿って各病院から現状報告と問題提起がなされ、幹事会での議論を経て、医師会総会で幹事会活動報告としてその総括がされている。2003年度の活動テーマは「救急医療」と決定されたが、これは、今後ますます救急医療に対する地域からの要請が高まり、その重要性が増すであろうことから、各病院の現状を把握の上、病院間で情報を交換し、それぞれの救急体制の整備に役立てることが目的であった。<BR><b><方法></b> 各病院の幹事を通じて、2002年度の救急来院患者数、救急車搬入数、救急入院患者数などの統計および人員配置と教育体制に関してアンケート調査を行った。さらに、各病院が抱える問題点を列挙し、幹事会で報告の後、対策について議論を交わした。<BR> 救急来院患者数などの各統計量については、Mann-WhitneyのU検定を用いて解析を行った。<BR><b><結果></b> 9病院全体で、年間約16万名の救急患者を診療し、2万3千台以上の救急車を受け入れていた。施設数では県全体の3.6%に当たる病院群が、出動救急車の10%強に応需している計算となった。救急来院患者の7.4%が入院を必要としており、全入院患者の1.05%を占めていた。立地別に見ると、都市型に分類される病院群のほうが郡部型に分類されたそれらよりも、救急来院患者数、救急車搬入数および救急入院患者数が有意に多かった。配置人員については、診療時間内は多くの病院が各科での対応となっており、研修医を含めた医師および看護師が、救急外来に常駐している施設は少数であった。休日の日直体制での平均配置人数は医師が3.1名、看護師が3.2名であり、当直では、それぞれ3.1名と2.9名であった。教育については、定期的な講習会、講演会あるいは症例検討会が行われている施設は少数であった。問題点として、もっとも重視されたのは人員不足であり、医師、看護師のみならず、診療協助部門、事務部門の各部門でも、多数の救急患者への対応には職員数が十分でないとの指摘がされた。<BR><b><考察></b> 立地条件による差異はあるが、各病院ともその規模に応じた救急患者の受け入れを行っており、愛知県下の病院群のなかでも救急医療への寄与は大きいと考えられた。しかし、人的資源の不足および救急医療の質の確保が問題点としてあげられており、救急医療向上のためには、職員の啓蒙のみならず、厚生連の病院間あるいは地域の医療機関の間での取り組みが必要になると思われた。
著者
坂本 由美子 坂田 由美 坂本 一俊 川崎 いち恵 栗又 真奈美 宮本 和典
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集
巻号頁・発行日
vol.59, pp.179, 2010

<はじめに>当院は病床数900床の三次救急を行なう地域の中核病院である。救命救急センター、NICU等を有し24時間365日救急患者を受け入れている。1ヶ月間の救急車搬入人数は約650人。臨床検査部は総勢55名。緊急検査室は日勤5名(輸血部兼任)、日直帯3名、宿直帯2名(24時間勤務)で対応している。<BR><現状>三次救急病院のため即診断に結び付けられるように当検査室では多数の項目を実施し、日直時には機器の精度管理やメンテナンスも行なっている。当直は技師全員のローテーションで行なうが専門分野化された日常業務とは異なり全ての分野を1人で行わなければならず、さらに夜間の救急車搬入数や検体数も年々増加しているため負担はかなり大きい。そのため新採用者、特に新卒者は不慣れな面が多いためスムース゛に当直業務が行なえるよう半年間緊急検査室で研修する。夜間医師からの問い合わせが多い質問等はイントラネットの検査部ホームヘ゜ーシ゛に掲載しいつでも閲覧できるようにしている。また故障時対処マニュアルの変更点やインシテ゛ント対処法等をその都度伝達している。新人に限らず申し出があれば随時緊急検査や輸血検査のトレーニンク゛を行い、当直の不安を取り除くよう努めている。その他困った時には日勤担当者に電話をして指示を仰いだり、対処不能と判断すれば日勤担当者が病院に駆けつけるようにしている。<BR><まとめ>転勤者や新採用者にとって短期間の研修で当直に入るという事はかなり負担が大きい。新人が1日も早く業務に慣れるよう集中的に緊急・輸血検査を研修することで負担を軽減したい。自然災害などの非常事態の状態でもミスを未然に防げるような工夫をし、誰が実施しても早くて正確な結果を臨床に報告できる緊急検査室を構築していきたい。
著者
邉見 公雄
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.55, pp.25-25, 2006

今、地域医療は危機的な状況にある。一つは人的資源の欠乏、つまり医療職の地域偏在、都市集中である。また、小児科や産婦人科、麻酔科などの診療科偏在もある。看護師は救急車の来ない、手術のない病院を目指しビル診療所や介護老人保健施設を選ぶ。地域の中核病院に残るのは馬鹿かロマンチストだけ、と揶揄されるほどの状況である。お産や手術の出来ない地域がどんどん増え、まるで明治初期に逆戻りである。医育制度や医療行政の失敗あるいは不作為の結果と言われても仕方あるまい。 もう一つは医療費抑制という誤った政策を、ここ10年とり続けていることである。医療は教育と並んで我が国の二大基幹産業である。明治維新以来、歴代政府はどんなに財政が苦しくとも、これだけは守り続けて来た。何の地下資源にも恵まれず、狭い耕地しかない東洋の島国が欧米列強に互するには優秀な人材を育てるしかない、と暗黙知していたからである。つまり、医療で健康な心身をつくり、教育で道徳や学問を身につけ、優秀な国民「日本株式会社」の社員を育ててきたのである。もし今の医療政策が、あと10年続けば地域医療、特に地域の急性期医療は壊滅するのであろう。今回の診療報酬改定に関わった者として「これ以上、地方の急性期病院を傷めつけないで」と訴えてきた。「急性期は泣かせません。メリハリを付けます」というのが当局の答えであった。しかし当院の試算ではメリメリであり、最悪4%以上もあり得る。DPCへの高等追い込み作戦か?とも疑いたくなる今回の改定について、少し詳しく報告したい。 次に、私達自治体病院と同じ目的で同じ活動をしている日本農村医学会員の皆様方にエールを送りたい。「病院と学校は、朝に自宅を出たら遅い昼御飯が自宅で食べれる距離になければならない」というのが私の持論である。そうでなければ、ハンディキャップのある病気の方は勿論、学童は悪者に襲われる危険性も増える。先日、テレビで旧山越村の仮設住宅の住民が村の診療所の先生に診察を受けている番組が放映された。この先生に会うだけで安心し、血圧も下がる?程とか。これぞ地域医療の真髄であり、都会のビル診療所との違いである。地域で産まれ、地域で育ち、地域で病み、治し、地域で死ぬ。これこそ我々日本国民の望むライフスタイルであり、基本的な権利である。農村医学会が我々自治体病院協議会や国保診療所協議会と力を併せ、前進していただくことを願っている。 最後に、国や厚生労働省、都道府県が余りアテに出来ない現在、病院自身が自助努力しなければ病院は衰退する。当院のささやかな努力を紹介させていただき、参考になれば幸いである。キーワードは「全員参加」。職員や利用者は勿論、ボランティアなどの地域住民、実習学生や見学者、行政なども巻き込んでの病院づくりである。今、当院のボランティアは犬8頭、鳩2羽を含めて 200人弱である。利用者、見舞い客、職員、業者、その他を加えると1日に約 3,500人の方々が病院を訪れる。18世紀までは大学や協会、寺院が地域のコミュニティセンターであった。19_から_20世紀は市民会館や銀行、生保などのホールが担っていた。「病院こそ今世紀のコミュニティセンター」というのが私の考えである。 "良い医療を効率的に地域住民とともに"皆様方と同じ目線で頑張りましょう!! 震災12年10月13日
著者
小林 祥泰
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.55, pp.24-24, 2006

いま、全国のへき地医療機関から産婦人科を始めとした医師不足の悲鳴があがっている。この傾向がとみに顕在化したのは平成16年度から施行されたマッチングシステムを取り入れた新卒後臨床研修制度以降であるが、このシステムだけが元凶ではない。へき地の自治体が大学医局に医師派遣を頼り切って医師育成の努力をしてこなかったこと、大学自体も地域医療人育成を念頭に置いていなかったことにも一因がある。マッチング制度は研修医に選択の自由を与え、病院には臨床教育の充実を求めている。大学医学部が本来最も重視されるべき臨床教育を見直さなくてはならない時が来ている。日本の臨床教育は欧米に比して実践的でなく、英国視察団の「卒業時の臨床力不足」指摘が新臨床研修制度のきっかけとも言われている。日本では今まで臨床教育に対する熱意は研究、臨床の次であり、まして臨床医を育成するのに必要な患者や家族とのコミュニケーション教育の機会も乏しかった。このような教育は大学病院だけでは出来ない。大学病院でも実践的な米国式のクリニカルクラークシップ(CC)への移行が必要である。さらに地元の地域医療に熱意を持つ学生を入学させることも重要であり、我々は2006年度から独自の地域枠推薦入試を開始した。これは県内へき地出身者対象で、地域医療機関で体験学習して評価を受け、さらに市町村長等の面接も受けるというものである。文科省特別教育研究経費で専任助手を採用し、地域を巡回して啓蒙した結果、優秀な人材を確保することが出来、来年度定員を倍増した。実践的臨床教育のためCCの実践化、シミュレーター活用、WEB登録評価方式を導入したが、さらに指導医の意識改革のため、2005年度地域医療人育成GPでのべ46名の指導医等を米国医学教育の現場体験視察に派遣した。シアトルのワシントン大学では医学部のない周囲の4州のために約70名の地域医療人育成プログラム(州の頭文字をとって通称WWAMI programと呼ばれる)を30年前から実施し、通算帰州率70%という効果をあげている。我々はWWAMI siteの診療所等まで訪問し、へき地における臨床教育の実際、地域医療人育成にかける彼等の熱意を目の当たりにしてきた。また、コロラド大学とセントルイス大学の家庭医学コースの臨床教育も見学体験してきた。これだけ多くの指導医が早朝からレジデントや学生と一緒に回診やカンファレンスに参加したのも珍しいが、まさに「百聞は一見にしかず」で実践的臨床教育とは何かを全員が実感して帰国した。帰国後、WWAMI program指導者を招いてのFDを兼ねた研修報告会は盛況で他の教員や学生の啓蒙に貢献した。さらに1年生から、現場で活躍している地域医療人の講義を組み込み、6年次には3週間の地域医療実習を開始した。研修担当専任講師も採用し、遠隔医療システムも導入、中長期的な地域医療人育成に取り組んでいる。