著者
高橋 健一郎
出版者
社会言語科学会
雑誌
社会言語科学 (ISSN:13443909)
巻号頁・発行日
vol.6, no.1, pp.40-51, 2003-07-31 (Released:2017-04-29)

本稿は非協同的なコミュニケーションの一例としての1934年のスターリンとH.G.ウェルズの対談を「イデオロギー闘争」という観点から分析する.スターリンのディスコースの基本的な命題は,「資本主義はアナーキーを生む」(つまり,資本主義は悪である)と「人間は資本家階級と労働者階級に分けられ,両者は闘争をしている」というものであるが,ウェルズがいかにそれを批判し,スターリンがいかに正当化するかを分析する.ウェルズは自分自身を「世界を知り,イデオロギー的制約から自由な一庶民」と提示し,その反対の立場にスターリンを置きながら批判を試みる.それに対して,スターリンは「資本主義」と「資本家階級と労働者階級」に関する基本命題をさまざまな言語形態の《前提》表現によって発話の中に滑り込ませ,ウェルズの批判をかわしていく.そして,上記のウェルズの立場に対立する立場として「豊富な歴史的経験」を持ち出し,ウェルズが批判する「古臭さ」から「豊富な歴史的経験」へと価値評価を逆転させる.
著者
岡本 真一郎
出版者
社会言語科学会
雑誌
社会言語科学 (ISSN:13443909)
巻号頁・発行日
vol.3, no.2, pp.4-16, 2001-03-30 (Released:2017-04-27)

本研究ではmatched-guise techniqueを用いて,名古屋方言の使用が話し手の評価に及ぼす影響を検討した.実験1では男性話し手については,共通語のはうが方言よりも知的で積極的であり,話し方や外見も優れているとされたが,社交性の評価は方言条件のほうが上回っていた.女性話し手は共通語のほうが方言よりも大半の側面に関して望ましい評価を得た.実験2では話し手(男性)の出身地を愛知県内であると明示した上で,使用言語を共通語,方言に操作した.活動性や見かけでは方言条件のほうが共通語条件より,また話し方や知性に関しては共通語条件のほうが方言条件より望ましく評価された.
著者
任 〓樹
出版者
社会言語科学会
雑誌
社会言語科学 (ISSN:13443909)
巻号頁・発行日
vol.6, no.2, pp.27-43, 2004-03-31 (Released:2017-04-29)
被引用文献数
1

本稿の目的は,日本語と韓国語の断り談話においてポジティブ・ポライトネス・ストラテジーがどのように現れるかを明らかにすることにある.ロールプレイ調査から得られた資料を基にして,ポジティブ・ポライトネス・ストラテジーを「量的・質的差異」「ウチ・ソト・ヨソによる差異」「男女差」という観点から分析した結果,以下のことが検証された.(1)ポジティブ・ポライトネス・ストラテジーの量は,日本語より韓国語のほうが多い.(2)ポジティブ・ポライトネス・ストラテジーの質に関しては,日本語より韓国語のほうが相手のポジティブ・フェイスを重んじる表現が多用される.(3)日本語に見られるポジティブ・ポライトネス・ストラテジーは「ウチ・ソト・ヨソ」という3つの区切りをもつのに対して,韓国語に見られるそれは「ウチ・ソト・ヨソ」という3分類には従わない.(4)ポジティブ・ポライトネス・ストラテジーの男女差は,韓国語より日本語のほうが顕著である.
著者
坊農 真弓 片桐 恭弘
出版者
社会言語科学会
雑誌
社会言語科学 (ISSN:13443909)
巻号頁・発行日
vol.7, no.2, pp.3-13, 2005-03-30 (Released:2017-04-30)
被引用文献数
2

本稿では,自然な会話データにおけるジェスチャーと視線配布の分析に基づいて,対面コミュニケーションにおいて表現主体が所持する視点(viewpoint)について検討を行う.対面コミュニケーションにおいては,表現主体が対象に志向する叙述的視点(descriptive viewpoint)に加えて,表現主体が聞き手に志向する相互行為的視点(interactive viewpoint)が存在することを主張する.対面会話のビデオ収録データに基づいてジェスチャーと視線配布との関係の定性的分析(分析1)および定量的分析(分析2)を行った.その結果,(1)表現主体はジェスチャー開始前にジェスチャー空間に向けて視線配布を開始すること,(2)発話終了直前に聞き手に向けた視線配布を開始すること,(3)聞き手は表現主体による視線配布に対応してうなずき等の応答を行うことが確認された.この結果は,自然な対面コミュニケーションにおいては,叙述的視点と相互行為的視点との交替が起っていることを示している.
著者
中井 精一
出版者
社会言語科学会
雑誌
社会言語科学 (ISSN:13443909)
巻号頁・発行日
vol.5, no.1, pp.42-55, 2002-10-31 (Released:2017-04-29)
被引用文献数
1

畿内型待遇表現法には,これまでの研究から,話題とする第三者の社会的上下に対応して「ハル系(上)→アル系→オル系(下)」を用いるという運用ルールが存在することがわかっている.本論では,そういった運用のルールに加えて,これらの形式の使用に際しては,話題の第三者に対する話し手の認識や評価,感情などが関与していることを明らかにした.とともに,この運用ルールは,人間のみならず,雨などの非情物にも適用されることにも言及した.筆者は,畿内という限定された地域で運用される待遇表現法の考察に際しては,東日本方言型の待遇表現観とは別に,考察の基準を立てる必要があると考える.本論では西日本の中でも特に畿内に認められる特質は,近世以降の資本主義経済発達の中で,上下軸を形成する身分制度と並行して,経済力の多寡がものをいった都市社会を背景として生まれ,歴史的に畿内先進地域と呼びならわされてきた都市と都市周辺地域で認められる,都市言語の特徴であることを示唆するものである.
著者
鄭 惠先
出版者
社会言語科学会
雑誌
社会言語科学 (ISSN:13443909)
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.82-92, 2005-09-30 (Released:2017-04-29)
被引用文献数
1

本研究の目的は,日本語と韓国語の「役割語」を対照することによって,よりリアルな日韓・韓日翻訳に役立てることである.本稿では,漫画を分析対象とし,一つ目に,意識調査で見られる日本語母語話者と韓国語母語話者の意識の差について,二つ目に,対訳作品で見られる両言語の役割語の相違点について考察した.その結果,つぎの7点が明らかになった.1)韓国語に比べ日本語のほうに役割語としての文末形式が発達している.2)日本語母語話者の場合,訳本では日本語の役割語の知識が十分生かせない.3)韓国語母語話者の場合,役割語への刷り込みが弱く,翻訳による影響を強く受けない.4)対訳作品から受けるイメージは,両言語の間で必ず一致するものではない.5)日本語役割語では性別的な特徴,韓国語役割語では年齢的な特徴が表れやすい.6)日本語でも韓国語でも,方言は人物像を連想する重要な指標となる.7)時代を連想する言語形式は訳本の中で現代風に訳される傾向が多い.
著者
梶丸 岳
出版者
社会言語科学会
雑誌
社会言語科学 (ISSN:13443909)
巻号頁・発行日
vol.15, no.2, pp.58-65, 2013

本稿は,中国貴州省のプイ族が歌う掛け合い歌「山歌」において,貴陽市で時折見られるバイリンガルの掛け合いについて事例を報告し,言語交替とコードスイッチングという観点からその背景を探ったものである.山歌には中国語で歌う「漢歌」とプイ語で歌う「プイ歌」があるが,両者は通常同じ掛け合いで両方歌われることはない.だが貴陽市では両者の形式が似ていることもあって,稀に両方歌われることがある.本稿で取りあげる事例のひとつは一般的状況で高齢の歌い手が歌うものであり,もうひとつは貴陽市布依学会が主催する行事で中年の歌い手が歌うものである.貴陽市は貴州省の中心地であり,プイ族居住地域で最も中国語への言語交替が進んでいる地域である.よって前者の事例は今でもプイ語の方が流暢な歌い手が,より自らにとって歌いやすい言語で歌っているのだが,後者の事例ではむしろ,プイ族文化を推進する場という社会的環境がプイ語で歌うことの背景にあると考えられる.また,山歌の歌詞は一定の形式を持つ定型句をもとに即興で作られるが,山歌におけるコードスイッチングは常に歌詞の形式に沿った形で行われていることから,コードスイッチングに歌詞の形式や記憶のありかたが大きく関わっていることがわかる.以上から,コードスイッチングや言語交替にはスピーチコミュニティだけでなく,言語行為のジャンルの持つ社会的文脈と固有の形式が関与しうることが明らかとなった.
著者
村田 和代
出版者
社会言語科学会
雑誌
社会言語科学 (ISSN:13443909)
巻号頁・発行日
vol.16, no.1, pp.49-64, 2013-09-30 (Released:2017-05-02)
被引用文献数
2

本稿では,まちづくり系ワークショップの進行役であるファシリテーターの言語的ふるまいの特徴を明らかにし,それが話し合いにどのような影響を与えているか,まちづくりをめぐる話し合いに有効かを考察する.ワークショップの進行役(ファシリテーター)の特徴を特定するために,ワーグショップと同じくミーティング談話(meeting genre)の一種であるビジネスミーティングの進行役(司会者)の言語的ふるまいと比較する.データとして,ワークショップ談話の録音・録画データ(約80時間),ビジネスミーティング談話の録音・録画データ(約35時間),参加者へのインタビューやフィールド・ワーク等で得た情報を用いる.考察の結果,ビジネスミーティングの司会者と比較すると,ファシリテーターのふるまいには対人関係機能面に関わる言語ストラテジーと,話し合いのメタ的情報を提示する言語ストラテジーが積極的に使用されていることが明らかになった.このようなファシリテーターに特徴的な言語的ふるまいが,「参加者が平等な立場で臨める話し合い」「参加者がプロセスを把握しやすい話し合い」「参加者間のラポール構築を促し,参加者同士が話しやすい話し合い」へと導く要因となることも明らかになった.まちづくりをめぐる話し合いにおいて,ファシリテーターは,住民参加を促し,各政策主体が協働してまちづくりを進めるために効果的であると言える.
著者
高橋 健一郎
出版者
社会言語科学会
雑誌
社会言語科学 (ISSN:13443909)
巻号頁・発行日
vol.6, no.1, pp.40-51, 2003

本稿は非協同的なコミュニケーションの一例としての1934年のスターリンとH.G.ウェルズの対談を「イデオロギー闘争」という観点から分析する.スターリンのディスコースの基本的な命題は,「資本主義はアナーキーを生む」(つまり,資本主義は悪である)と「人間は資本家階級と労働者階級に分けられ,両者は闘争をしている」というものであるが,ウェルズがいかにそれを批判し,スターリンがいかに正当化するかを分析する.ウェルズは自分自身を「世界を知り,イデオロギー的制約から自由な一庶民」と提示し,その反対の立場にスターリンを置きながら批判を試みる.それに対して,スターリンは「資本主義」と「資本家階級と労働者階級」に関する基本命題をさまざまな言語形態の《前提》表現によって発話の中に滑り込ませ,ウェルズの批判をかわしていく.そして,上記のウェルズの立場に対立する立場として「豊富な歴史的経験」を持ち出し,ウェルズが批判する「古臭さ」から「豊富な歴史的経験」へと価値評価を逆転させる.
著者
高木 智世 森田 笑
出版者
社会言語科学会
雑誌
社会言語科学 (ISSN:13443909)
巻号頁・発行日
vol.18, no.1, pp.93-110, 2015-09-30 (Released:2017-05-03)

日本語会話でしばしば用いられる「ええと」は,従来,「フィラー」や「言いよどみ」などと呼ばれてきた.本稿では,質問に対する反応の開始部分に現れる「ええと」が,相互行為を組織する上でどのような働きを担っているかを明らかにする.具体的にどのような環境において,質問に対する反応が「ええと」で開始されるかを精査することにより,上述の位置における「ええと」が,単なる「時間稼ぎ」や発話産出過程の認知的プロセスの反映ではなく,質問に対する反応を産出する上での「応答者」としてのスタンスを標示していることを明らかにする.日本語話者は,質問を向けられたとき,まずは「ええと」を産出することにより,「今自分に宛てられたその質問に応答するには,ある難しさを伴うが,それでも,応答の産出に最大限に努める」という主張を受け手(質問者)に示すことができる.すなわち,「ええと」を反応のターンの開始部分で用いることは,相互行為の進展が阻まれているように見える事態において,「今ここ」の状況についての間主観性を確立し,相互行為の前進を約束するために利用可能な手続きなのである.
著者
京野 千穂 内田 由紀子 吉成 祐子
出版者
社会言語科学会
雑誌
社会言語科学 (ISSN:13443909)
巻号頁・発行日
vol.17, no.2, pp.56-67, 2015-03-31 (Released:2017-04-26)

援助場面を叙述する際に使用されるテモラウとテクレルの違いを明らかにするために,日本語母語話者に対し2種類の調査を行った.調査1では援助を受けた場面について,その状況と援助時における与え手との会話を思い出し,記述してもらった.その結果,会話内で与え手からの申し出があった場合,テクレルで状況を記述する傾向が見られた.一方,会話での受け手からの依頼は,テモラウによる記述には結びつかなかった.調査2では,テクレルあるいはテモラウで記述された状況文を呈示し,援助の与え手と受け手の会話を想像して記述してもらった.会話内の依頼表現と申し出表現を数えたところ,テクレルを含む状況文に対しては,与え手からの申し出表現が約8割,そして依頼表現が2割となった.一方,テモラウを含む状況文に対しては会話内の依頼表現と申し出表現がそれぞれ5割と同程度出現することが明らかになった.これらの結果から,テクレルと与え手からの申し出のほうが,テモラウと受け手の依頼との結びつきより強く,また,テモラウは与え手の申し出とも結びつくものであることを示した.上記結果は,テモラウ・テクレル文の構造と関連し,また,後続する感情表現とも関連することを論じる.
著者
山本 真理
出版者
社会言語科学会
雑誌
社会言語科学 (ISSN:13443909)
巻号頁・発行日
vol.16, no.1, pp.139-159, 2013-09-30 (Released:2017-05-02)

本研究では,物語の語りにおいて参与者が行う,物語の登場人物の声として聞かれる発話を「セリフ発話」と呼ぶ。本稿では,そのうち物語の内容を知らないはずの「受け手」が「セリフ発話」で参入する現象に焦点を当て,これらが物語を語る活動においてどのような機能を果たしているのかを相互行為分析の枠組みを用いて分析する.分析を通して,セリフ発話による受け手の参入が,極めて的確に語り手の物語を理解していることを示す一つの方法になっていることがわかった.その時,受け手は語り手の発話や身体的動作に敏感に反応することにより,適切な参入を実現し,語り手の描写の焦点を再構成していた,それは物語の構築における受け手の積極的な貢献であり,物語の構築が相互行為的に達成されていることを示す一つの証拠となる.更に,セリフ発話から開始される連鎖についても分析を行う。
著者
大久保 加奈子
出版者
社会言語科学会
雑誌
社会言語科学 (ISSN:13443909)
巻号頁・発行日
vol.16, no.1, pp.127-138, 2013-09-30 (Released:2017-05-02)
被引用文献数
2

日本語の引用表現では,「と」や「って」などの引用マーカーを用いた形式が典型とされることが多いが,本稿では,引用部分の直後に引用マーカーや伝達動詞が付かず,いったん切れた後で次のことばが続く「ゼロ型引用表現」について,政治家による演説をデータとして用い,どのような談話の流れの中で,どのような目的で用いられるのかに注目して分析する.ゼロ型引用表現は,他者の発言内容を客観的に報告することを求められるような状況において使用すると相手に違和感を与えてしまう表現であるが,他者のことばを題目として取りたててそのことばに対する評価を述べ,他者のことばに対する評価を聞き手と共有しようとする際や,他者のことばを臨場感豊かに生き生きと描き,聞き手を物語の世界に引きこむような際に用いられていた.
著者
武田 康宏
出版者
社会言語科学会
雑誌
社会言語科学 (ISSN:13443909)
巻号頁・発行日
vol.22, no.1, pp.38-46, 2019

<p>国語施策の歴史は,内閣告示の実行などによって,社会一般における表記の緩やかな統一を図るとともに,公用文や法令における揺れのない表記法,言わばある種の「正書法」の形成過程でもあった.昭和30年代の国語審議会における正書法についての議論を振り返った上で,公用文が揺れのない表記を前提としていることを,日本語において正書法を導入しようした場合のひな形として捉え直す.それらによって,日本語における正書法に検討の余地があったのかどうかを改めて考えようとする.</p>
著者
柴田 香奈子
出版者
社会言語科学会
雑誌
社会言語科学 (ISSN:13443909)
巻号頁・発行日
vol.21, no.2, pp.34-49, 2019

<p>本稿は,厳律シトー会で使用されている修道院手話を研究対象とし,従来の修道院手話研究や言語学分野における手話研究と比較検討して,修道院手話に備わる言語的な側面と文法化について議論する.これまで修道院手話は,概して「身振りのようなもの」として理解され,社会言語学や言語学などにおいて注目されることが少なく,未だその実像は明らかにされていない.本稿ではこういった現状を踏まえ,現在でも修道院手話の使用が残るドイツ,オランダ,日本の厳律シトー会においてフィールドワークを実施した.そこで収集した発話データを分析した結果,疑問表現に関して,(a) Wh疑問文に見られるWhマーカー,(b) Yes/No疑問文に見られるQuestionマーカー,(c) Yes/No疑問文を変化させた依頼表現,という3点が観察された.(a), (b)では,疑問文にみられる文法化について検討し,(c)では,なぜ疑問表現を依頼表現に変化させるのかについて,修道士間の序列や地位といった内的な社会構造と関連付けて分析する.そして修道士が修道院手話を介して,どのように他者と関わりコミュニケーションを成立させているかについて考察をおこなう.</p>
著者
日比谷 潤子
出版者
社会言語科学会
雑誌
社会言語科学 (ISSN:13443909)
巻号頁・発行日
vol.3, no.1, pp.17-23, 2000-12-31 (Released:2017-04-27)

本稿では,19世紀末から20世紀初頭にかけてカナダに移住した日本人が,ホスト社会の言語(英語)から母語(日本語)に単語を借用した時に,どのような現象が起こったかを分析していく.まず第1節で研究の目的を述べ、第2節で,日系カナダ人の歴史を概観する.次に第3節で,日本語と英語の音節構造を比較したうえで,現代日本語で英語から単語を借用する際に観察される音韻的諸特徴のうち,母音挿入について検討する.第4節では,日系カナダ人一世が書き残した資料にあらわれた借用語を母音挿入の観点から分析した結果を示し,最後に第5節で,今後の研究の方向を展望する.
著者
西田 文信
出版者
社会言語科学会
雑誌
社会言語科学 (ISSN:13443909)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.120-134, 2012

香港にはさまざまな国籍の人々が居住している.1997年以降は中国の共通語たる「普通話」の普及が図られて来ており,香港の言語状況は大きく変貌を遂げつつある.1990年4月4日に採択され,1997年7月1日より施行されている『中華人民共和國香港特別行政區基本法(The basic law of the Hong Kong special administrative region of the People's Republic of China)』の総則第9条では「香港特別行政區的行政機關,立法機關和司法機關,除使用中文外,還可使用英文,英文也是正式語文.」とし,中文および英文が正式な言語であると規定している.その他の言語に関する言及はない.一般的に,香港の非華人の言語すなわちコミュニティ言語の使用に関する意識は希薄であり,具体的な言語使用の場の分析は依然として皆無である.本稿では,香港在住のネパール人,特にグルン族の一世・二世・三世を主たる対象として,彼らの言語使用の場への参与観察的フィールド調査を行い,収集した自然発話データおよび実態調査の結果を基に,言語使用の諸相を整理し,彼らの言語生活および彼らを取り巻く言語問題を考察する.