著者
石井 照久 菅原 麻有
出版者
秋田大学
雑誌
秋田大学教育文化学部教育実践研究紀要 (ISSN:13449214)
巻号頁・発行日
vol.32, pp.125-133, 2010-05-31

平成の大合併に伴い秋田県では69あった市町村が25になった。各市町村は平成の大合併以前から独自にシンボル生物(木、花、鳥、魚、昆虫など)を制定していることが多かった。本研究では、シンボル生物が平成の大合併に伴いどのように変遷されていったのか、またシンボル生物がどのように教育に利用されてきたのか(利用されているのか)を明らかにすることを目的とした。 秋田県に69あった市町村のうち、なんらかのシンボル生物を制定していたのは上小阿仁村と旧角館町を除く67市町村であった。そして合併の前後で変更がなかった秋田県内10市町村(上小阿仁村を含む)のシンボル生物にはもちろん変更がなかった。合併の形態には新設合併と編入合併がある。秋田県で新設された市町村のうち、シンボル生物をまだ制定していないのは3市1町(能代市、三種町、横手市、湯沢市)であった。また編入合併の場合では、廃止された自治体が制定していたシンボル生物は消滅し、編入先の自治体が制定していたシンボル生物がそのまま残っていた。 シンボル生物の教育現場への利用について秋田県の小中高の学校教員にアンケートを行ったところ、シンボル生物自体があまり意識されておらず、教育にシンボル生物を活用しているケースは少なかった。一方、教育現場ではないが、各地域のシンボル生物が自治体の章、デザインマンホール、カントリーサインなどに描写されていたり、地域の情報ブログなどでシンボル生物の名称が使用されていたりと地域にシンボル生物が密着しているケースもみられた。
著者
外池 智
出版者
秋田大学
雑誌
秋田大学教育文化学部教育実践研究紀要 (ISSN:13449214)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.17-30, 2003-03

「古里かるたわたしたちの八橋・寺内」は,1979-1980(昭和54-55)年の野尻滋校長期(1978-1982)に秋田市立八橋小学校で作成された「郷土かるた」である.野尻氏はその後,同じ秋田市の他地域を題材に5つのかるたを作成している.県単位ではなく市町村単位の同一地区で,計6つの「郷土かるた」が作成された例は他に類をみない.本研究では,主に歴史的視点を中心とした地域素材の教材化について,この「八橋・寺内かるた」を具体的事例としてその作成過程を明らかにするとともに,同じ秋田市の「郷土かるた」である「土崎郷土かるた」,全国的に著名な「上毛かるた」との比較によりその題材における特色を明らかにした.「八橋・寺内かるた」は,いわば学校が生み出した文化である.こうした教材は,その作成者のみならず,作成の舞台となった学校において継承・発展されることによって,地域文化としての意義を有する.それは,これまで個別に開発・「消費」される教材を,他の教員,当該学校として共有化することであり,ひいては地域の文化として継承することである.
著者
澁谷 真二 今野 和夫
出版者
秋田大学
雑誌
秋田大学教育文化学部教育実践研究紀要 (ISSN:13449214)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.53-62, 2006-04-28

友達関係は人生においてなくてはならないものだが,障害のある人にとっては,ノーマライゼーションの実現ということにおいて障害のない人との友達関係も欠かせない.この重要なテーマについての試行的・探索的な本研究では,作業所に福祉就労する知的障害者(41名,うち31名が20歳台)の保護者に対して質問紙調査を実施した.その結果,彼らには友達が少なく,特に障害のない友達をもっている人は僅少であること,保護者たちは子どもが就学前や学童期の頃は障害のない友達ができるようにといろいろ取り組んでいることが示唆された.また現在,程度に強弱はあるが,半数を明らかに上回る保護者(6割強)が,子どもに障害のない友達がいればよいと思い,一方でその実現を容易でないと考えていることが示された. さらに本研究では,筆者の一人(渋谷)が友達関係を深めてきている知的障害(ダウン症候群)の青年の母親に面接し,母親が友達関係の大切さを認識し,障害の有無を問わず友達ができるようにと青年の幼い頃から何かと配慮と行動を重ねてきていることが確認できた. 以上の結果を踏まえ,友達関係の構築に向けた支援のあり方について,また研究上の課題について言及した.
著者
柴田 健 SHIBATA Ken
出版者
秋田大学教育文化学部附属教育実践研究支援センター
雑誌
秋田大学教育文化学部教育実践研究紀要 (ISSN:13449214)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.203-212, 2016-03-31

スクールカウンセラーの学校教育への浸透に伴い,学校教育の「心理主義化」が問題となっている.2011年3 月に発生した東日本大震災に伴い,秋田県は多数の被災転校生を受け入れることとなり,これをきっかけに急激な「心理主義化」が進んだ.被災転校生には「心の傷」があるという言説が流布し,学校に緊急スクールカウンセラーが導入され,被災転校生のカウンセリングや教員へのコンサルテーションが行われることとなった.筆者は緊急スクールカウンセラーの一人として,教員へのコンサルテーションを中心に活動した.コンサルテーションを行うに当たっては,「心の傷」言説に与することなく,転校生受け入れの際に教員が行った活動や工夫を明らかにするというインタビュアーの役割を取った.本稿では,3 つのコンサルテーション活動について報告し,社会構成主義的心理療法の観点から考察を行った.
著者
方 銘 石川 三佐男
出版者
秋田大学
雑誌
秋田大学教育文化学部教育実践研究紀要 (ISSN:13449214)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.153-169, 2008-05

近年の中国古代文学研究は出土文献の大量発見と相侯って、学説の見直しや再検討が必要であるなど、大きな変革期を迎えている。こうした変革期にあって被招聘人・方銘氏と招聘人・石川三佐男は十年余に渉って学術交流を行ってきた。このたび当該の問題について共同研究を行う運びとなった。方銘氏招聘に際しては共同研究(日中共同日本アジア文化研究‐近年の出土文献と戦国文学‐を推進する)を目的とし、身分は特別公開講演会講師(秋田大学を会場に学生・教職員・一般市民を対象とする特別公開講演会を行う)とした。招聘費用は招聘人の研究経費を充てることとした。平成十九年十二月十五日、秋田大学を会場に「中国文化と日本文化への誘い」と題する中国甘粛省・秋田県・中国出土資料学会・秋田大学特別連携講演会が開催され、方銘氏の「近年の出土文献と戦国文学」と題する講演が行われた。他には甘粛省考古文物研究所副研究員・趙建龍氏の「シルクロード周辺の歴史と文化」と題する講演と東京大学東洋文化研究所教授・平勢隆郎氏の『亀趺と茨城の文化および秋田のことなど」と題する講演も行われた。聴講者は百七十余名に及び、得難い知見や感動を共有し合うことができた。本研究は方氏の講演内容を基調とし、これに東京大学及び大阪大学での資料調査や学術交流による共同研究の成果を加筆・増補して成っている。要点の第一は、出土文献と孔子の地位の再確認。ここでは近年の出土文献の中に『易伝』『魯穆公問子思』『窮達以時』『五行』『唐虞之道』『忠信之道』『成之間之』『尊徳義』『性自命出』『六徳』『上海博物館蔵戦国楚竹書』『孔子詩論』『論語』等々、孔子の歴史的地位を示す重要資料が含まれていることから、戦国文学を研究するには孔子から着手しなければならない。孔子は春秋末期の人だが春秋以前の中国文化集大成者であり、戦国文化の創始者である。戦国文学は孔子と切り離すことができない、と指摘している。第二は、出土文献と孔子の大同理想と公羊三世の学説との関係。ここでは孔子は『礼記』礼運篇の中で「大同」の理想を説いている。大同は万民がすべて平等で民主政治が行われることを指していう。孔子が尭と舜と禹の聖治をほめたたえたのは彼らの統治が民に奉仕することを賞賛するためである。現代人は孔子が「周礼」を回復しようとしたと強調するが、周礼の特徴は「小康」の政治であり、これは民主政治に反するものである。孔子の最終理想は大同を実現することにある。彼は礼楽を破壊した政治環境の中で「周礼」の回復を図ることを通じて大同の理想を実現する基礎を積み上げようとしたのである。孔子の立場から言えば先に大同があり、その次に小康、その次に乱世、これは社会が自覚的に体験する退化の必然である。乱世から直接太平を実現することはあり得ない。変化の過程を経過する必要がある。そこで孔子は社会の退化を救うためにはまず小康をめざし、それが実現すれば太平が可能になると考えた。孔子の乱世から小康へ、小康から大同へという考え方は一種の科学的思考であり、人類の内心にも合って近代的人文精神が目指す社会発展の理想にも合致している。その意味では孔子は人類の本当の人権、平等、自由、博愛、独立を実現することを希求した偉大な学者である、という。第三は、出土文献と孔子の完全無欠な審美思想についての新見解。ここでは孔子の視点からすると審美追究は人類究極の理想と合致し、また「六経」(易経・書経・詩経・春秋・礼記・楽経)は普遍的人文精神を貫徹している。聖人を尊び六経を学ぶのは一種積極的な価値がある。そのため戦国時代に醸成された征聖宗経の出発点は人を慈しむことに発し、その客観的効果は文芸作品に人道的配慮を持つようにさせたのである。その意味でも審美追究の出発点と客観的効果には積極的意義がある、と指摘している。第四は、出土文献の中には山東臨沂銀雀山漢墓出土『晏子』、長沙馬王堆漢墓出土『黄帝四経』、同『老子』甲・乙本等々、戦国諸子の文献がたくさん含まれている。いっぽう『漢書』芸文志は『黄帝四経』『荘子』『道徳経』等をすべて道家に組み入れている。しかし出土文献に照らして考えると老子の学説は干渉主義と自由主義を兼ねているのに対し、荘子の学説は干渉主義を除けばむしろ自由主義を容認している。黄老学説の趣旨は指導者に無為の方法を用いて民を統治することを教えるが、荘子は民に無為の方法を用いて指導者の統治から逃れることを教えた。人民本位の視点からすれば、荘子と孔子及び儒家の立場は一致し、老子と法家は一致する、と述べている。第五は、出土文献と賦の内包と外延。戦国時代の「賦」の作家では宋玉が有名である。一九七二年、山東省臨沂銀雀山漢墓から「唐革」と題する竹簡二十篇二百字余りが発見された。「革」は「勒」と意味が通じる。唐革はつまり「唐勒」である。「唐革」はあるいは「唐勒賦」の逸篇であるかも知れない。「唐革」の賦篇は欠落があるが、対句や形容の修辞から見ると散句に属し、屈原の作品や荀子の賦にいう助字「兮」の用法とも異なっている。形式の特徴から見ると『文選』や『古文苑』に収録されている宋玉の諸作とよく似ている。これは宋玉の時代に「高唐賦」や「女神賦」のような優れた作品を創作する環境が整っていたことを示している。同時に「賦興楚盛漢」(賦は楚の国で興って漢代に盛んになった)という伝承の正当性を示している。その意味でも「唐勒賦」の発見は中国文学史上の「賦」に関する研究に重要な意味を投げかけている、と述べている(この指摘は「上海博物館蔵戦国楚竹書」にはある植物をテーマに据えた「賦篇」が含まれていると伝えられることからも看過できないものがある。「賦篇」の早期公開を切望してやまない)。
著者
徐 志嘯 石川 三佐男
出版者
秋田大学教育文化学部
雑誌
秋田大学教育文化学部教育実践研究紀要 (ISSN:13449214)
巻号頁・発行日
no.26, pp.89-99, 2004-04

本研究は平成十五年度秋田大学教育改善推進費の助成を得て行った合作研究「日本亜州文化研究」の成果である。それを踏まえての徐による秋田大学教育文化学部における学術講演、二十日余に及ぶ徐と石川の意見交換が基本になっている。ちなみに本論考で扱った赤塚忠先生は、石川三佐男の大学院時代の指導教官である。東京大学教授・日本中国学会理事長等を歴任されるなど、日本を代表する中国思想・哲学・文学研究者として世界的に知られる。本論考の主な内容は以下の通りである。一、楚文化の起源とその特徴 : 1、特有の楚文化、2、楚文化形成の原因、3、楚文化を切り開く段階、4、楚庄王と楚文化の繁盛、5、呉起変法と楚文化の変化、6、楚文化の特徴と歴史中の位置、二、赤塚忠先生の楚辞研究 : 1、赤塚先生について、2、赤塚忠先生の楚辞研究の内容と方法、3、赤塚先生の楚辞研究の特点と貢献
著者
毛利 春治 林 信太郎 浦野 弘
出版者
秋田大学
雑誌
秋田大学教育文化学部教育実践研究紀要 (ISSN:13449214)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.105-112, 2005-04-28

サイエンス・パートナーシップ・プログラム事業の教育連携講座として,「チョコレートマグマを使った火山実験教室」を実践した.講義形式の授業,演示実験,実物標本の提示,噴火映像,キッチン火山学実験など,多彩な方法を導入し,生徒参加型の授業を構成した.生徒の設問への解答や実験ノート,感想について分析した結果,今回の教育連携講座は短時間にも関らず十分な成果を上げることができたと評価できる.
著者
石井 照久 保坂 学 佐藤 宏紀 三浦 益子
出版者
秋田大学
雑誌
秋田大学教育文化学部教育実践研究紀要 (ISSN:13449214)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.145-156, 2012-05-31

中学校理科の生物分野と高校生物において,教師が指導上難しさを感じることのある単元や箇所を抽出し,指導を困難にしている原因を明らかにするととともに改善策を検討した.抽出された事項は,(1)教科書の記載に関するもの,(2)色に関するもの,(3)実験の技術に関するもの,(4)教授法に関するもの,に大別された.そのうち(1)には,教師の指導を困難にしているだけでなく,生徒の理解を混乱させるものも含まれていた.それぞれの改善策を検討した結果,教師側の教材研究・実験技術の向上,などにより改善できる場合もあったが,教科書出版会社に改善を依頼したほうがいい場合もあった.また,容易には解決できない事項もあった.本報告は,秋田大学大学院教育学研究科の教科教育専攻理科教育専修の授業科目「生物学研究II」において,平成23年度前期の授業で展開された成果報告でもある.Difficulties in teaching of biological classes in junior high school and high school were reported. Difficulties in teaching were classified into four categories; 1) Technical terms in the textbooks, 2) Problems of colors in experiments, 3) Technical problems in experiments and 4) Teaching methods. In this report, the solutions to those problems were discussed. This report depends on the "Biological special course II" which is one of the educations of Division of Natural Sciences Education, Course of Major Subjects Education, Graduate School of Education, Akita University.
著者
外池 智
出版者
秋田大学
雑誌
秋田大学教育文化学部教育実践研究紀要 (ISSN:13449214)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.11-24, 2012-05-31

本研究は,2009-2011年度の採択された科学研究費補助金基盤研究(C)「地域における戦争遺跡の複合的・総合的アーカイブと学習材としての活用」の総括の一部を報告するものである.本研究では,2007・2008年度の報告を踏まえ,まず現在の全国における戦争遺跡について,特に文化庁を中心とした「近代化遺産総合調査」による取り組みを整理するともに,全国における戦争遺跡の指定・登録の現状とその類型的分析を試みた.さらに現在は文化財としての指定・登録が全くなされていない秋田県を事例として取り上げ,県下の戦争遺跡を抽出するとともにその類型的分析を行った.また,今回は戦争遺跡を活用した実践的取り組みとして,秋田大学における「社会科巡見」で取り組んでいる実践事例を紹介した.This research is 2009-2011 Auxiliary gold research adopted in fiscal science research (C) in "utilization as a complex and comprehensive archive of the war-related sites in the region and learning materials" part of the summary report. In this study, 2007-2008 Modernization of legacy general survey based on the report of the fiscal year, first with cultural affairs especially about the war-related sites in the current national efforts to organize at least, tried to present the war-related sites in the country of registration and its typological analysis. More featured registered and designated as important cultural assets was not made at all now Akita Prefecture as an example, went to extract the war ruins of the prefecture with its typological analysis. Also introduced practices working in "social studies fieldwork" in Akita University as a pragmatic approach this time utilizing the war-related sites.
著者
外池 智
出版者
秋田大学
雑誌
秋田大学教育文化学部教育実践研究紀要 (ISSN:13449214)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.13-31, 2008-05

今日,戦後60年を越える年月を経て,「ヒト」から「モノ」へ,確実に戦争の記憶や記録,痕跡が移行していく中,体験者の持つリアリティーに迫る理解・共感可能な学習をどのように展開していくのかは歴史教育の重要な課題となっている.本研究では,戦争遺跡に注目し,まず現在の全国における戦争遺跡について,特に文化庁を中心とした「近代追跡調査」による取り組みを整理するともに,その類型的分析を試みた.また,秋田県を事例に,同様の類型的分析を試みた.さらに,そうした戦争遺跡のその学校教育における学習材としての活用について,秋田県を事例に取り上げ,特に土崎空襲を題材にした小・中・高校のそれぞれの実践,すなわち,文化祭において戦後60年(土崎空襲60年)を機に全面的に取り上げた秋田中央高校,沖縄への修学旅行と関連させ,沖縄と土崎との比較研究を取り入れた下浜中学校,「総合的な学習の時間」で体系的に取り組んでいる土崎南小学校と港北小学校について検討した.Under the cicumstances that the number of people with wartime experiences is decreasing, it is an urgent task to establish the teaching of history in which students can share the experiences of those people. As a first step toward this aim, the research under discussion collected data on some of the war sites across japan, especially those related to investigations into modern historical remains, and analyzed them through categorization. Then, the research examined how such data are being used in actual teaching by focusing on the cases of Akita Chuo High School, Shimohama Junior High School, Tsuchizaki Minami Elementary School, and Kouhoku Elementary School, where the Tsuchizaki Air Raids was taken up as a topic of teaching.