- 著者
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新山 喜嗣
- 出版者
- 秋田大学
- 雑誌
- 秋田大学医学部保健学科紀要 (ISSN:13478664)
- 巻号頁・発行日
- vol.13, no.2, pp.31-39, 2005-10-31
筆者は,これまでカプグラ症候群の本質規定にあたって,本症候群では他者において「このもの性」としての<私>の変更が行われるものとする小論を発表してきた.しかし,本来は自分自身のものとされる<私>が他者においても存立するか否かという問題にっいて,それらの小論では充分な検討がなされないまま議論が進められていた.したがって,本稿では他者における<私>の存立の是非に焦点を当てた検討を試み,同時に,カプグラ症候群で変更する<私>がもつ存在論的な意味についても検討した.最初に,ここで意図されている<私>概念を最初に提起した永井均の所論から,他者における<私>の存立を否定する彼の主張を概観した.永井によれば,<私>とは自分自身だけがもつ唯一性であって,それが誰もが持ちうる唯一性一般に歪曲されることは許されないことであった.続いて,このような永井の他者論に対して否定的な見解をもつ3名の論者による主張を概観した.しかし,これら論者の主張においても,他者における<私>の存立が充分な根拠をもって確保されているとは言い難いものと思われた.したがって,カプグラ症候群に関する先のような本質規定が妥当なものであるたあには,他者での<私>が存立するための根拠を,異なる視点から新たに探し出すことが必要であると思われた.