著者
石井 照久 菊池 友希子 立花 希一 望月 一枝
出版者
秋田大学
雑誌
秋田大学教養基礎教育研究年報 (ISSN:13449311)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.47-54, 2012-03-26
被引用文献数
3

日本語原作のマンガや文芸作品などでは.登場人物の性別が明かされずに物語が進み,途中で,性別が明かされることがある。この手法は,読み手の想像をかきたて物語を面白くする効果がある。それではそういった日本語原作のマンガや文芸作品が他の言語に翻訳された場合はどうなるのだろうか?英語や独語では,主語を省略することがほとんど不可能であるし性別が明白な代名詞を用いる。そこで本研究では,登場人物の本当の性別を伏せて物語が進む日本語作品が英語や独語に翻訳された場合に,どのように表現されたり,工夫されたりしているのかを解析した。その結果,日本語原作の直訳に近い翻訳例,逆に原作に忠実でない意訳された翻訳例が見出された。さらに原作よりも早く性別を明かしてしまっている翻訳例も見つかった。これらの翻訳は,翻訳者が日本人かどうかによって異なるようであった。本報告は,秋田大学教養基礎教育科目「総合ゼミ」の講座C「文化にみられる性」において、平成23年度I期の授業で展開された成果報告でもある。
著者
佐藤 圭
出版者
秋田大学
雑誌
秋大史学 (ISSN:0386894X)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.20-39, 1997-03
著者
澁谷 真二 今野 和夫
出版者
秋田大学
雑誌
秋田大学教育文化学部教育実践研究紀要 (ISSN:13449214)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.53-62, 2006-04-28

友達関係は人生においてなくてはならないものだが,障害のある人にとっては,ノーマライゼーションの実現ということにおいて障害のない人との友達関係も欠かせない.この重要なテーマについての試行的・探索的な本研究では,作業所に福祉就労する知的障害者(41名,うち31名が20歳台)の保護者に対して質問紙調査を実施した.その結果,彼らには友達が少なく,特に障害のない友達をもっている人は僅少であること,保護者たちは子どもが就学前や学童期の頃は障害のない友達ができるようにといろいろ取り組んでいることが示唆された.また現在,程度に強弱はあるが,半数を明らかに上回る保護者(6割強)が,子どもに障害のない友達がいればよいと思い,一方でその実現を容易でないと考えていることが示された. さらに本研究では,筆者の一人(渋谷)が友達関係を深めてきている知的障害(ダウン症候群)の青年の母親に面接し,母親が友達関係の大切さを認識し,障害の有無を問わず友達ができるようにと青年の幼い頃から何かと配慮と行動を重ねてきていることが確認できた. 以上の結果を踏まえ,友達関係の構築に向けた支援のあり方について,また研究上の課題について言及した.
著者
塩屋 順耳
出版者
秋田大学
雑誌
秋大史学 (ISSN:0386894X)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.1-24, 1993-03
著者
浜岡 秀勝 石塚 沙矢香 阿久津 雅紀 清水 浩志郎
出版者
秋田大学
雑誌
秋田大学工学資源学部研究報告 (ISSN:13457241)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.37-43, 2003-10-31

Aomori, Akita and Morioka City are the capital cities of each prefecture and have almost same population. However, the liveliness in the urban central district is not same among these cities because of the difference of the townscape. In this study, each townscape is divided into several elements to understand the relationship between the liveliness and townscape. It is found that two elements, such as "buildings" and "crowd", influence toward the liveliness from the result of comparison analysis. Analytic Hierarchy Process is selected to clarify the contribution of these elements toward the liveliness in each city. From the result of this analysis, it is shown that the share of "buildings" and "road structure" holds the majority in the liveliness.
著者
外池 智
出版者
秋田大学
雑誌
秋田大学教育文化学部教育実践研究紀要 (ISSN:13449214)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.17-30, 2003-03

「古里かるたわたしたちの八橋・寺内」は,1979-1980(昭和54-55)年の野尻滋校長期(1978-1982)に秋田市立八橋小学校で作成された「郷土かるた」である.野尻氏はその後,同じ秋田市の他地域を題材に5つのかるたを作成している.県単位ではなく市町村単位の同一地区で,計6つの「郷土かるた」が作成された例は他に類をみない.本研究では,主に歴史的視点を中心とした地域素材の教材化について,この「八橋・寺内かるた」を具体的事例としてその作成過程を明らかにするとともに,同じ秋田市の「郷土かるた」である「土崎郷土かるた」,全国的に著名な「上毛かるた」との比較によりその題材における特色を明らかにした.「八橋・寺内かるた」は,いわば学校が生み出した文化である.こうした教材は,その作成者のみならず,作成の舞台となった学校において継承・発展されることによって,地域文化としての意義を有する.それは,これまで個別に開発・「消費」される教材を,他の教員,当該学校として共有化することであり,ひいては地域の文化として継承することである.
著者
美作 宗太郎
出版者
秋田大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2009 (Released:2009-04-01)

陳旧打撲傷を肉眼的に証明することは難しい.そこで,紫外光を利用して陳旧打撲傷を診断する方法を試みた.結果として,390nm付近の波長の紫外光が陳旧打撲傷の可視化に適切であることが判明した.また,測色学的検討によって,打撲傷の色調のうち黄色の成分が紫外光により明瞭になることが判明した.紫外線撮影法については,更なる検討が必要である.
著者
石井 照久 菅原 麻有
出版者
秋田大学
雑誌
秋田大学教育文化学部教育実践研究紀要 (ISSN:13449214)
巻号頁・発行日
vol.32, pp.125-133, 2010-05-31

平成の大合併に伴い秋田県では69あった市町村が25になった。各市町村は平成の大合併以前から独自にシンボル生物(木、花、鳥、魚、昆虫など)を制定していることが多かった。本研究では、シンボル生物が平成の大合併に伴いどのように変遷されていったのか、またシンボル生物がどのように教育に利用されてきたのか(利用されているのか)を明らかにすることを目的とした。 秋田県に69あった市町村のうち、なんらかのシンボル生物を制定していたのは上小阿仁村と旧角館町を除く67市町村であった。そして合併の前後で変更がなかった秋田県内10市町村(上小阿仁村を含む)のシンボル生物にはもちろん変更がなかった。合併の形態には新設合併と編入合併がある。秋田県で新設された市町村のうち、シンボル生物をまだ制定していないのは3市1町(能代市、三種町、横手市、湯沢市)であった。また編入合併の場合では、廃止された自治体が制定していたシンボル生物は消滅し、編入先の自治体が制定していたシンボル生物がそのまま残っていた。 シンボル生物の教育現場への利用について秋田県の小中高の学校教員にアンケートを行ったところ、シンボル生物自体があまり意識されておらず、教育にシンボル生物を活用しているケースは少なかった。一方、教育現場ではないが、各地域のシンボル生物が自治体の章、デザインマンホール、カントリーサインなどに描写されていたり、地域の情報ブログなどでシンボル生物の名称が使用されていたりと地域にシンボル生物が密着しているケースもみられた。
著者
佐川 馨
出版者
秋田大学
雑誌
秋田大学教育文化学部研究紀要. 教育科学 (ISSN:13485288)
巻号頁・発行日
vol.66, pp.63-71, 2011-03

This paper takes up the two songs of the Prefecture-"Song of the People of Akita Prefecture" and "Song of the People of the Prefecture"一and aims, in its first part, to deal with the history leading up to the establishment of the 80-year-old "Song of the People of Akita Prefecture" in the back drop of the first half of the Showa Era(1926-1989), in an effort to clarify the relationship between the establishment of the prefectural songs and the development of education in the local area. The following is a summary of the results of this research.1. Between the time that words for the prefectural songs were elicited from the public for entry into competition and the time that decisions on the selection and establishment of the songs were made, there was only a short span of time, which was a rare case as a project by a municipality.2. Tokyo Music School, which was entrusted with the composition of the music for the songs, spent only 9 days from the receipt of the request to the selection and revision of words, to the composition of music and to the dispatch of its products.3. The words selected for the songs shared common features in that they all incorporated the nature, the industry and the history, along with the various achievements by forerunners in the area-which has traces of influence from "songs of geography and history."4. The governor of the prefecture at the time of the establishment of the prefectural songs was Hiroki Hiekata, whose previous job was the head of the Department of Internal Affairs at Kanagawa Prefectural Government and from this fact it is very likely that he arranged the establishment of the prefectural songs for Akita modeling after his pilot project of establishing a prefectural song for Kanagawa Prefecture.5. The local education in Akita Prefecture in the early years of the Showa Era owes a great deal to Michitoshi Odauchi, a native of Akita City, to say nothing of the prefecture's pioneer efforts of various kinds and thus, the "Song of the People of Akita Prefecture" was born out of the prefecture's policies toward education and enlightenment of its people as well as the successful development of education in the local community.
著者
立花 希一
出版者
秋田大学
雑誌
秋田大学教育文化学部研究紀要. 人文科学・社会科学 (ISSN:1348527X)
巻号頁・発行日
vol.67, pp.57-66, 2012-03

There were two psychologists, Karl Buhler and Alfred Adler, who had taught Popper. Popper rarely confessed his intellectual debt, but he exceptionally said that he owed to Karl Buhler. On the other hand, Popper condemned Adler's Individual Psychology as a pseudo-science. However, as we read Adler, we are surprised to find that Popper was greatly influenced by Adler in various points such as the logic of social situation, optimism, the regulative idea of the absolute truth, the view of science as modified commonsense and so on. Popper accepted Buhler's psychology of learning. Viewing from these contexts, it seems to us that Popper's thought was not original at all. However Popper changed the psychology of learning into the logic of scientific learning and proposed falsificationist methodology of science. His originality is found in this point.
著者
兒玉 英也 篠原 ひとみ 志賀 くに子 渡邊 美奈子
出版者
秋田大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2011 (Released:2011-08-05)

妊娠末期の妊婦の定常状態の自律神経活動と妊婦のQOL(睡眠、メンタルヘルス、疲労感)との関係を調査したパイロットスタディの結果、睡眠の満足度と有意な関係が認められた。そこで160例の妊婦を対象とし、睡眠障害と安静時の心拍変動との関係を調査したところ、習慣的にいびきをかく妊婦の自律神経活動は交感神経優位にあると考えられた。64例の妊婦の夜間の動脈血酸素飽和度のモニタリングを行い心拍変動との関係を調査したところ、夜間に重度の低酸素症を経験した妊婦において副交感神経活動の減弱が認められた。妊婦の自律神経活動には潜在的な睡眠時無呼吸の影響が考えられ、看護介入を考慮する場合には考慮する必要がある。
著者
佐川 馨
出版者
秋田大学
雑誌
秋田大学教育文化学部研究紀要. 教育科学 (ISSN:13485288)
巻号頁・発行日
vol.62, pp.93-102, 2007-03

The purpose of this research was to investigate the transition of "Japanese Music" in the "Course of Study for Music". This paper analyzed how the Course of Study had been revised between the tentative plan in 1947 and the revised one for high school in 1960. This research presented two findings. First, "Japanese Music" had been incorporated since the tentative plan in 1947. Second, every time the Course of Study was revised, the importance of learning "Japanese music" was emphasized, which led to the development of the common teaching materials and the publication of relevant guide books. However, if the teachers themselves do not appreciate "Japanese Music" , the teaching of "Japanese Music will be neither developed nor matured. It is important to reconfirm the idea and the meaning of the teaching of the other areas of music education as well as the teaching of "Japanese Music".
著者
篠原 ひとみ 兒玉 英也 吉田 倫子 成田 好美
出版者
秋田大学
雑誌
秋田大学医学部保健学科紀要 (ISSN:13478664)
巻号頁・発行日
vol.16, no.2, pp.9-15, 2008-10

乳児期の夜泣きに関して母親211人に対しアンケート調査を行い, 児の夜泣き経験をもつとの回答のあった64人を対象として, 本研究では夜泣きの重症度に関わる要因を検討した. 夜泣きの重症度を測る尺度として「一週間の夜泣きの総時間数」を設定した. 夜泣きの重症度は, 平均6.8±10.1時間(0.09〜42.0時間) で, 10時間を越えると, 母親の「寝不足感が常にある」, 「疲労感が常にある」との回答が多くみられた. 夜泣きの重症度は出生体重と関連があり, 10時間を越える児の出生体重は有意に少なかった(p<0.05). また, 10時間を越える児では, 日中に30分以上持続する泣きがみられる頻度の高い傾向があり(p=0.08), 昼寝の回数が有意に少なかった(p<0.01). 本研究から, 夜泣きの重症度が10時間を越える場合は, 何らかの看護介入を考慮する必要があると思われる. 夜泣きの重症度は児の出生体重や日中の睡眠パターンとの関連が認められる.
著者
天野 恵美子
出版者
秋田大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2005 (Released:2005-04-01)

海外市場において広く受け入れられ、各国固有の食文化との相互作用の中で独自の変容を遂げてきた日本食の「普及と現地食文化との融合過程」を明らかにするため、1980年代から北米および中国市場で事業を行ってきた複数の食品企業のマーケティングについて文献調査および現地ヒアリング調査を行った。市場参入に際して、現地市場(生活習慣や商慣習等)に精通している事業者と共同でマ十ケティング活動を行い、製品開発・販売段階においては現地の食嗜好や食習慣を調査し、現地消費者に受容されるよう適応化(マーケティング戦略の変更・修正)努力を行っていた。また市場開拓・普及期においては、「異文化・外来食」として知られていない食品そのものの認知度を高める地道なプロモーション活動や調理方法などについての啓蒙活動など、新規市場参入ゆえに必要となるマーケティング努力もあった。注目すべきは、食品企業が市場拡大を見据えて、「外来食」に対して先入観のない子ども世代の味覚形成にはたらきかけ、「次世代の顧客獲得」を目指すマーケティング活動を積極的に展開してきたことであり、日本食を提供する従来型の飲食店だけではなく、海外出店を加速させてきたコンビニエンスストア(CVS)が、日本の食(おにぎり、弁当、寿司、おでん等)を紹介する有力なチャネルとして現地に定着し、日本食普及の1大拠点となってきているということである。こうしたマーケティング手法やCVSの動向については、今後も継続的に検証・分析していく必要がある。以上、文化伝播・交流経路としての食品企業のマーケティング研究を通じて、食の異文化接触と受容、普及にともなって生ずる現地食文化との融合、現地食文化の変容という国際化時代の食の今日的位相を検証した。