- 著者
-
朝比奈 正二郎
- 出版者
- 日本衛生動物学会
- 雑誌
- 衛生動物 (ISSN:04247086)
- 巻号頁・発行日
- vol.14, no.2, pp.69-75, 1963
- 被引用文献数
-
1
4
日本からゴキブリ類を分類学的に記録した最初の人は, De Haan(1842)かと思われるが, その種類("Blatta concinna")は実はマレー系の熱帯種で, 当時ジャワ産の標本を混じたらしく, この種類は日本の領土のどこからも発見されない.故に昆虫学者の手になる学名を付した邦産ゴキブリの記録としては, 松村松年(1898, 明治31年)がその著「日本昆虫学」p.56に3種類, "ゴキブリ(Periplaneta americana), チヤバネアブラムシ(Phyllodromia germanica), オオアブラムシ(Panesthia angustipennis)"を記載したのを以て最初としてよいかと思う.次に松村博士の千虫図解(1904)第1巻に4種類が図説され, つづいて素木博士の論文がいくつか(1905/06, 1906, 1907/08)でて, 新種や未記録種が記載され, 台湾産種にも及んだ.1913年の松村博士の新千虫図解第1巻には主とし台湾産18種が登載され, 当時Sauterの採集品をしらべたドイツのKarny (1915) も台湾産"32"種を記録した.Karnyはこれより先1908年にFilchnerの支那およびチベットの採集品を記載した際に本邦産のヤマトゴキブリを新種としてはなはだ不充分に記載した.爾来この類は積極的に採集も研究もされたことがないといつても過言でなく, その間1931年に一応素木博士の日本・台湾を含む"68種"の総まとめが行なわれ, 昭和の初期以来古川晴男博士(1930, 1938, 1941, 1948)も若干この類に手を染められただけにとどまる。したがつて最近までの邦産ゴキブリ類の分類学的知見は卒直に云つて, 全く"badly out of date"の状態であつて, 凡そ世界の水準から50年ないし100年位もおくれているといつても差支えない程であつた.一つにはこの類とまともに取組む人がいなかつたことにもよるが, 元来熱帯地を好むゴキブリ類は, 本邦ではその大部分の種類が九州以南特に琉球列島に棲息していて, 研究材料の不足, 観察の至らなかつた点が大きかつたためと考えられる.したがつて幼虫を成虫と誤つて名称を与えたもの"Cryptocercus spadicus Shiraki"(実はオオゴキブリの幼虫), "Opisthoplatia maculata Shiraki"(実はサツマゴキブリ幼虫)のごときものもあり, 素木博士(1931)の"Phyllodromia"(この属名は1903年以来用うべきでないことになつていた)属は今日から見れば5ないし6属を混じていたことになる.また旧い欧州の研究者の文献の入手も困難である上に, それらの中の記載も今日の水準から見れば, 極めて簡略不親切であつて, 生殖器などの図示を伴うものが少く, したがつてタイプ標本を見ることの不可能な場合には殆んど手のつけようがなかつたともいえる.今日でもこの状態は殆んど改善されていないが, 国内種の標本などの資料については, 今後のわれわれの努力によつて集積する外致し方がない.更に文献および国外種の標本の蒐集に関してはなお前途多難を思わせるものがある.今日世界のゴキブリの分類は, 新大陸所産のものについては比較的よく行なわれているが, 旧熱帯産のものは著しく混乱し模式標本を直接しらべ直さずには整理不可能であるかのごとき感がある.幸にしてここ20年以来, スエーデンLund大学のDr. K. Princisの努力によつて欧洲の博物館に保存されている多数の模式標本の再検討が進みつつあり, また基準となるような検索表や体系もできつつあるので前途には明るい見通しがあるように思う.幸か不幸か, 邦産のゴキブリ類は, 恐らく僅に30種以上50種はこえないものと思われるが, その殆んど全部は南方インド, マレー諸地域および中南部支那のものに関係のある属種であつて, 分類上の比較または位置の決定には可なり困難を感じさせるものがある.近年各地の研究者諸兄の御好意によつて, ゴキブリ類の標本は少しずつ手許に集りつつあるが, 本邦ではその成熟繁殖の時期が夏期, 特にその前半に集中し, 盛夏期または秋期には採集の能率が上らないように思われるし, 野外の樹上生活性のものは敏活に逸走し, 時に飛翔するために採集は必ずしも容易でない.わが国では特に戦後において, ゴキブリ類のあるものが屋内害虫として重要性を帯びてきており, 住家性の数種の学名の訂正などについては既に2・3整理を試みたが(朝比奈, 1955, 1960, 1961), これらの近似種あるいは野生種については, 今後一応整理のついたものから逐次覚え書きを作つてゆきたいと思う.本文に入るに先立ち, 今日まで標本その他について御援助を惜しまれなかつた同学諸先輩諸賢に深く謝意を表すると共に重ねて今後の御支援を願う次第である.