著者
小栗 一将
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.77, no.9, pp.632-635, 2022-09-05 (Released:2022-09-05)
参考文献数
26

歴史の小径アナログ電子回路による潮位と高潮の予測――石黒鎭雄博士の業績
著者
山本 剛
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.75, no.10, pp.610-618, 2020-10-05 (Released:2020-12-10)
参考文献数
44
被引用文献数
1

近年,超伝導体を用いた電気回路で量子計算機を実現しようとする研究が非常に活発に行われている.約20年前にクーパー対箱とよばれるデバイスを用いて1量子ビット動作が実証されて以来,巨視的量子現象とよばれる超伝導の強固な量子コヒーレンスと固体素子であるがゆえの集積技術との相性の良さを併せもつとの期待から,世界中のグループにより精力的な研究が続けられた.その結果,コヒーレンス時間,読出し方法,ビット間結合方法など様々な要素技術が大きく進歩した.昨年2019年にはGoogleらの研究チームが,53個の超伝導量子ビットからなる回路を用いて,ある問題の解を古典計算機よりも高速に求めるという量子超越性の実証実験を報告した.20年間の技術蓄積は確かに膨大であり,特に分野外の方や新たにこの分野に挑戦しようとする方には,どこから手を付けてよいか分からないということもあるかもしれない.しかし,各要素技術において様々な試行錯誤がなされた結果,比較的単純な現在の主流方式というものが存在し,それは上記Googleらの実験にもあてはまる.まず超伝導量子ビットの基本回路構成であるが,これはトランズモンとよばれるもので,その実体は非線形インダクタであるジョセフソン接合とキャパシタの単純な並列共振回路である.インダクタが非線形であるために,通常のLC共振器と異なり,離散準位のエネルギー間隔が一定でなくなる.それらの離散準位のうち最低二準位を量子ビットとして用いるのである.量子ビットの典型的なエネルギー準位間隔は,周波数に換算して5 GHz,温度に換算して~240 mKである.従って,熱揺らぎの影響を十分小さくするために,希釈冷凍機を用いて10 mK程度に素子は冷却される.また量子ビットの1ビットゲート操作は,この準位間隔に共鳴するマイクロ波パルスを照射することによって行われる.一方,量子ビットの読出しについては,分散読出しとよばれる手法が用いられる.分散読出しとは,量子ビットと分散的に結合した共振器の共振周波数が,量子ビットの状態に依存することを利用した読出し方法である.比較的容易に高効率かつ非破壊的な読出しが実現できるが,量子ビットと結合した共振器を微弱なマイクロ波でプローブするため,量子誤り訂正などで必要となる単一試行での読出しを十分な精度で行うためには,非常に低雑音なマイクロ波増幅器が必要となる.そしてそのようなマイクロ波増幅器として,やはりジョセフソン接合を含んだ超伝導回路で実現されるジョセフソンパラメトリック増幅器が用いられる.このような現行方式は,今後もしばらくは主流であり続けると思われる.しかし,例えば分散読出しを行うための現在の実験セットアップは,パラメトリック増幅器以外にも体積のかさばる半導体低温増幅器やアイソレータなども必要で,単純なスケールアップは数100ビット程度の回路規模で破綻すると思われる.また最近ではトランズモンよりもノイズ耐性に優れた改良型量子ビットの研究も盛んに行われている.他にも希釈冷凍機内のマイクロ波ケーブルの配線,量子ビットチップの高密度配線技術,制御エレクトロニクスなど大規模量子計算機実現に向けて,まだいくつものブレークスルーが必要であり,今後ますます分野横断的な研究開発が必要となってくるであろう.
著者
客野 遥
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.77, no.4, pp.215-221, 2022-04-05 (Released:2022-04-05)
参考文献数
26

水は私たちにとって最も身近な物質のひとつであり,あらゆる環境下に存在する.中でも,制限された空間に閉じ込められた水は,バルクとは異なる振る舞いを示す.このような空間的な制限下にある水は生体や地殻内などに存在し,非常に重要な役割を担っている.例えば,生体膜のチャネルにおける水やイオンの透過,タンパク質の折り畳み,粘土鉱物の膨潤などの現象が例に挙げられる.しかしその現象の多くは詳細な機構が未だ十分に明らかにされていない.また一方で,バルクにおいても水の物性はまだ十分に理解されていない(例えば4°Cで密度が最大になることなど).制限空間内の水の研究は,バルク水の未解明物性の解明にも貢献すると期待されている.さて,ナノサイズの空洞(制限ナノ空間)を有する物質は数多く存在し,その空洞次元,空洞サイズ,空洞壁の性質(親水/疎水性)などはさまざまである.たとえば,単層カーボンナノチューブ(Single-Walled Carbon Nanotubes, SWCNTs)は炭素原子のみから成るナノ構造物質であり,疎水性の1次元空洞を有する.一方,Mobil Composition of Matter 41(MCM-41)はシリカ材料から合成され,親水性の1次元空洞を有する.我々はこのようなナノ空洞の性質が,内包水の物性にどのように影響するかに着目して研究を行っている.本稿では,とくにSWCNTについての研究を紹介する.SWCNTはその直径Dをほぼ連続的に変化させることができるため,1次元空洞における水の性質を系統的に調べるのに適したモデルシステムである.これまでに,比較的直径が小さいSWCNT(D<~1.5 nm)については,さまざまな実験や計算機シミュレーションが世界中で盛んに行われてきた.一方で,直径をより大きくしたバルク領域につながる振る舞いに関しては,実験,シミュレーションともに報告が少なく重要課題の1つとなっていた.本研究では,直径が異なる複数のSWCNT試料(D>1.45 nm)を用いて,直径や温度に対して内包水の物性がどのように変化するかを系統的に調べた.研究手法は,核磁気共鳴実験,X線回折実験,古典分子動力学計算などである.その結果,210 K付近で内包水の構造と分子回転運動の両方に不連続な変化が観測された.詳細な解析により,これは異なる2つの状態(液体と固体,もしくは運動の速い液体から運動の遅い液体)の間での不連続転移であることが明らかになった.その転移温度TCはSWCNTの直径に依存し,直径をバルク(1/D→0)へ外挿するとTC~230 Kとなる.この温度は,バルク過冷却水において比熱や等温圧縮率などの熱力学量が無限大に発散するとされている特異温度TS~228 Kとほぼ一致する.これはナノ空洞内の水が,未解明であるバルク水の物性へと繋がる知見を与えることを示すものである.また,SWCNTについて得られた結果を,ナノ空洞を有する他の物質に内包された水と比較したところ,総じて,ナノ空洞のサイズが小さく空洞壁が疎水的であるほど水の分子回転運動が速いことがわかった.さらに,ナノ空洞の形状の効果を調べるため,チューブ軸に垂直な方向の外力で変形させたSWCNTに内包した水の分子動力学計算を行った.その結果,扁平化させたSWCNTでは,内包水がこれまでにない新しい氷構造(リボン状の氷)を形成することが示された.このように,さまざまなナノ空洞における水の性質を系統的に理解することは,水の基礎科学にとどまらず,新たなナノ流体デバイスやプロトン伝導体デバイスなどの創製にも貢献することが期待される.
著者
岡田 崇 望月 敦史
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.73, no.1, pp.15-20, 2018-01-05 (Released:2018-09-05)
参考文献数
12

細胞内では,生命活動を維持するために,代謝系と呼ばれる膨大な数の生化学反応が起こっている.これらの反応は,互いに生成物や反応物を共有することで,(代謝分子をノード,反応をエッジとする)複雑なネットワーク構造を形成している.代謝系のネットワーク構造の情報はデータベース化されており,その巨大なネットワークの全容が明らかになりつつある.代謝系を調べるための実験のひとつが,酵素の「撹乱実験」である.代謝反応はそれぞれ特定の酵素によって触媒されているが,人為的に酵素量・活性を変化させて,代謝分子たちの濃度がどう応答するかを調べる.撹乱実験は,近年,大規模なネットワークに対して盛んに為されているものの,その計測結果は直観的には理解しがたいことがある.そこで,理論側には,撹乱実験を説明・予測することが求められている.代謝系に限らずシグナル伝達系など,細胞内の複雑な化学反応の理論研究を進めるには,少なくともふたつの困難がある.ひとつ目は,ネットワーク情報自体が不完全である点である.ふたつ目は,近年の生命科学の著しい発展にも関わらず,各反応の速度関数の関数形やパラメータなどの定量的な情報は依然として乏しい点である.上記の困難を克服するために,最近われわれは,Structural Sensitivity Analysis(SSA,ネットワーク構造感度解析)という理論的手法を開発した.SSAは,反応系のネットワーク情報のみから,撹乱実験に対する代謝分子の定性的応答(増減)を決定する手法である.SSAに基づくと,撹乱応答には次のふたつの特徴が存在することがわかる:1)酵素の撹乱に対して,ノンゼロの応答を示す代謝分子はネットワークの一部に限られる.2)これらの応答たちはヒエラルキーを作る.実はこれらの特徴の背後には,SSAから証明される,「限局則(the law of localization)」という数学的な定理が存在する.限局則は,各酵素がネットワークのどの範囲を制御するのかを,ネットワーク構造の言葉で規定する定理である.より具体的には,ある部分ネットワークΓが「分子の数-反応の数+サイクルの数=0」というトポロジカルな条件を満たすとき,Γを触媒する酵素は,Γの内部の分子にしか影響を及ぼさない,という定理である.このような特殊な条件を満たす部分ネットワークを「緩衝構造」と呼ぶ.限局則は,生命システムの頑健性がネットワークのトポロジーから生じている可能性を示唆する.というのは,緩衝構造は,その内部の酵素の発現量の揺らぎの影響が外部へ伝播するのを防ぐ働きをするからである.実際,大腸菌の中心代謝系のネットワークには多数の緩衝構造が存在しており,これらは系に頑健性を与えていると考えられる.SSAおよび限局則は,大きなネットワークの振る舞いを理解したり,データベースのネットワーク情報を検証する際に非常に有用である.これらの理論的手法の実験的な検証・応用はまだ始まったばかりであるが,生命システムをネットワーク構造から理解する基本法則のひとつになると期待する.
著者
福田 庸太 平野 優 井上 豪 玉田 太郎
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.77, no.2, pp.83-87, 2022-02-05 (Released:2022-02-05)
参考文献数
14

生体内で様々な化学反応を触媒するタンパク質(酵素)の働きを理解するために,この微小な分子機械の全体像,すなわち原子レベルでの立体構造を明らかにする研究が盛んにおこなわれている.なかでも単結晶X線構造解析は最も一般的な手法である.他方,得られた構造情報を用いて量子力学に基づいた量子化学計算をおこない,酵素反応機構に迫る研究も多数おこなわれている.だが,X線結晶構造解析には様々な限界があり,時として実験結果と計算結果との齟齬が生まれ,真の化学反応機構の解明に到達することが難しい.そのような例として,地球上の窒素循環に関わる銅含有亜硝酸還元酵素(CuNIR)があげられる.これは亜硝酸イオンの一酸化窒素への一電子還元というごく単純な反応を触媒する酵素である. CuNIRについて,過去30年以上様々な研究グループが反応機構の解明に取り組んでおり, X線結晶構造解析も精力的におこなわれてきた.しかし,結晶構造に基づいて提案された機構と,理論計算から予想された機構には,電子伝達経路や反応中間状態に違いがあり,どちらが正しいかの議論が続いている.この理由の1つは,X線結晶構造解析では水素原子の観測が原理的に困難だということである.タンパク質を構成している原子の約半数が水素原子であり,タンパク質を取り巻く水分子にも水素原子が含まれている.さらに,CuNIRが触媒する反応は,亜硝酸イオンへ水素イオンが渡される過程を含む.よって,水素原子位置も含めた精密な構造情報を得ずして,反応機構の詳細に迫ることができないのは当然であろう.こうした問題を解決すべくわれわれは,水素原子の直接可視化に優れた中性子結晶構造解析をCuNIR研究に適用することを目指した.CuNIRの大型かつ高品質な結晶を作製し,中性子回折強度データ収集を大強度陽子加速器施設(J-PARC)の物質・生命科学実験施設(MLF)内にある茨城県生命物質構造解析装置(iBIX)を用いておこなった.構造解析の末に得られたCuNIRの構造では,酵素活性中心に存在するアミノ酸残基や水分子上の水素原子をすべて可視化することができた.これにより,亜硝酸イオンへの水素イオンの運搬に関わる2つの触媒残基について,アスパラギン酸は脱プロトン化されており,ヒスチジンはプロトン化されているということが判明した.つまり基質への水素イオン運搬はヒスチジンから始まることが示唆された.さらに,反応中心に存在する銅イオン上に,水分子からプロトンがひとつ外れた水酸化物イオンが観測された.この構造は計算化学的に予想されていたものの,直接可視化されたのは初めてである.また,同じく量子化学計算によって予想されていたタンパク質内電子伝達経路中に,電子伝達反応を有利にするような強固な水素結合が存在することも実験的に初めて証明できた.今回,中性子結晶構造解析によってわれわれが得たものは,これまで矛盾がみられたCuNIRをめぐる実験と理論の双方を繋げるものである.今後,原子構造から量子レベルで生命現象を理解する「量子構造生物学」への橋渡しとなることが期待される.
著者
大沢 文夫
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.49, no.11, pp.924-929, 1994-11-05 (Released:2008-04-14)
参考文献数
35
被引用文献数
1
著者
河野 昌仙
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.71, no.8, pp.533-540, 2016-08-05 (Released:2016-11-16)
参考文献数
20

電気を抵抗なく流す超伝導状態を常温・常圧で実現することができれば,我々の生活が一変するだろうと言われている.現在得られている超伝導体の中で,常圧で最も高い温度で超伝導状態になるものは,銅酸化物の高温超伝導体である.通常,絶対零度(-273.15°C)近くまで冷やさなければ超伝導状態にはならないが,銅酸化物の高温超伝導体では約-140°Cで超伝導状態になるものもある.このことから,常温超伝導体の実現に向けて,銅酸化物の高温超伝導のメカニズム解明が強く望まれている.しかし,そこには物性物理学の古くからの難題が立ちはだかっているのである.高温超伝導のメカニズムを探る上で重要となるのは,高温超伝導の舞台となる超伝導相周辺の電子状態である.興味深いことに銅酸化物高温超伝導体では,電気を抵抗なく流す超伝導状態が,電気を流さない反強磁性的絶縁体(モット絶縁体)から電子密度を少し変えることによって得られるのである.このことから,銅酸化物の高温超伝導はモット絶縁体近傍の特異な電子状態と関係しているのではないかと考えられるようになった.つまり,高温超伝導の問題は,モット絶縁体に近づくにつれて電子状態がどのように変化するのかという問題とかかわっている.この問題こそ,銅酸化物高温超伝導体が発見されるずっと以前から物性物理学の中心的課題の一つとして論争の的になってきたモット転移の問題なのである.モット転移の問題は,相互作用する電子の根本的な見方にかかわる量子多体効果の問題である.通常,モット絶縁体から十分に離れた金属状態では,伝導を担う電子は粒子のように動き回る.即ち,電荷-eとスピンħ/2を運ぶ電子が系の性質を特徴づけている.しかし,モット絶縁体では,電気(電荷)を流さずに磁気(スピン)を動かすことができる.直感的には,電子の電荷はクーロン反発力で退け合うために安定な電荷配置から動かすことができないが,電子のスピンを回転させることにより,小さなエネルギーで磁気的な揺らぎを伝えることができる.即ち,モット絶縁体の低エネルギー領域では,電荷とスピンの自由度が分離している.モット転移の問題は,電荷とスピンを運ぶ粒子のように振る舞っていた金属中の電子が,どのようにしてモット絶縁体の電荷とスピンの自由度が分離した状態へと変化するのかという問題である.銅酸化物の高温超伝導は,まさにこの電子状態の描像が移り変わるモット転移の近傍で観測されているのである.本稿では,モット転移の問題に関して,最近著者が行った理論研究の結果に基づいて解説を行う.前半では,モット転移は電子の動きをスピン自由度に残したまま電荷自由度が凍結する現象として特徴づけられることを述べる.そして後半では,銅酸化物高温超伝導体で観測されている電子状態の様々な異常な振る舞いを,モット転移の観点から統一的に説明する.本稿では高温超伝導のメカニズムの解明には至らないが,その舞台となるモット転移近傍の電子状態と,長年の課題であるモット転移の本質に対して,明快な描像を与えることを目的としている.この描像によって,モット転移や高温超伝導体の理解が一層深められれば幸いである.
著者
安田 憲司 塚﨑 敦 十倉 好紀
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.73, no.9, pp.640-647, 2018-09-05 (Released:2019-04-27)
参考文献数
43

磁性体や強誘電体,超伝導体といった対称性の破れを伴う秩序相に加え,物質中のバンド構造のトポロジーで分類されるトポロジカル相が物性物理学分野において近年注目を集めている.固体中のバンド構造が非自明なトポロジカル数を有する場合,その固体表面や界面にはバルクの状態と異なる特徴的なバンド分散を生じる.このような表面状態を観測する手法には,角度分解光電子分光や走査トンネル顕微分光法が主として用いられ,トポロジカル絶縁体,トポロジカル超伝導体,ディラック半金属,ワイル半金属などの新たな物質相の実験的検証が進められている.それに加えて近年では,カイラルアノマリーやワイル軌道など,特異なバンド構造に由来した新奇な輸送現象を観測して,外場などで制御しようとする取り組みが盛んになっている.トポロジカル秩序に由来する輸送現象として最も研究されてきたのが量子ホール効果である.量子ホール効果は,2次元電子系に外部磁場を印加することで試料端に1次元のカイラルエッジ伝導を生じて,ホール抵抗の量子化が観測される現象である.この外部磁場を磁化に置き換えた量子異常ホール効果は,以前から理論的な提案がなされていたが,磁性元素Crを添加したトポロジカル絶縁体薄膜(Bi1-x Sbx)2Te3において最近初めて実現された.量子異常ホール効果は,強磁場を要する量子ホール効果と異なり,零磁場でカイラルエッジ伝導を実現可能である上,磁気秩序変数によってトポロジカル数を制御できるという特徴を持っている.磁場や磁化の方向から一義的に決まる方向にしか運動できないカイラルエッジ伝導は,不純物や欠陥といった乱れによる電子散乱が禁制となるため,非散逸な1次元伝導を実現できる.そのため,カイラルエッジ伝導の次世代低消費電力素子への利用が期待されるが,試料端以外の場所に形成することが困難なため,制御性に乏しいという問題があった.この問題に対し量子異常ホール効果では,試料端のみならず磁壁においてもカイラルエッジ伝導を生じることから,磁区の制御によって伝導の方向のみならずその位置までも自在に制御可能になると期待される.我々は磁気力顕微鏡によって局所的に磁区を書き込む手法を確立し,デバイス試料内に一本だけ磁壁を有する状態を作り出した.この試料に対し,輸送特性のその場測定を行ったところ,単一磁区の状態と異なる特徴的な量子化抵抗値が観測され,磁壁でのカイラルエッジ伝導の発現が明らかになった.さらに,単一デバイス内に様々な磁区構造を形成して抵抗測定を行ったところ,いずれの磁区構造においても理論値との良い一致を示し,カイラルエッジ伝導からなる非散逸伝導回路を磁区の制御によって自在に設計できることが実証された.
著者
安池 智一 染田 清彦
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.60, no.6, pp.453-456, 2005-06-05 (Released:2008-04-14)
参考文献数
17

近年開発された高出力レーザーが作り出す電場の強度は, 電子が原子分子内で原子核から受けるクーロン場に匹敵する.そのような強光子場で, 電子雲は大きく歪み, 分子は新しい性質を持つようになる.本稿では, 強光子場中での共有結合性ヘリウム分子の形成について報告する.
著者
香取 秀俊
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.72, no.2, pp.84-85, 2017-02-05 (Released:2018-02-05)
参考文献数
8

現代物理のキーワード
著者
澤 博
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.74, no.1, pp.14-23, 2019-01-05 (Released:2019-07-10)
参考文献数
24

電気を流す有機物を合成する.これが「有機物は絶縁体である」という通常の常識を破る化学者の挑戦の一つであった.有機物は基本的に原子間の結合に持てる電子を使ってしまって,導電性という自由度を失っている.ところが,分子を形成する分子軌道の中で,フロンティア軌道の電子(いわゆる価電子)に自由度が残されるとき,金属的電気伝導だけでなく超伝導などのエキゾチックな物性を示すことがある.物質を構成する分子や原子の価電子の自由度に拮抗した相互作用が存在するとき,多体問題として扱われる多彩な電子相が現れる.現在では,多くの有機物,分子性結晶が合成され,超伝導や磁性など様々な物性を示す物質群が合成可能となった.これらの構成分子のなかの電子状態を記述するための量子化学計算は進化し重要な位置を占めているものの,結晶や凝集体の物性を計算によって全て予測することはいまだ困難である.様々な物性を総合的に理解するためにも,その舞台である結晶中の電子密度,とりわけ価電子密度の実験的な観測が必要である.主に電子による散乱であるX線回折実験を用いて結晶からの回折強度と位相の両方が決定できれば,原理的には逆フーリエ変換によって電荷密度分布を得ることができるはずである.しかし,現実の回折実験では有限な回折データしか得られないという原理的な限界が存在する.更に,物性に直接寄与する価電子帯だけの電荷の実空間情報を抽出することは殆どできない.我々はこの限界に挑戦するため,大型放射光施設SPring-8で得られる高輝度・高分解能なX線と良質な単結晶試料を用いて,結晶中の価電子密度分布を分離観測できることを示した.原子の持つ内殻の電子分布を差し引いた価電子情報だけを抽出するこの手法を,コア差フーリエ合成解析(CDFS; Core Differential Fourier Synthesis)法と名付けた.新手法の有効性の検証のために,多角的に物性が調べられた標準的な物質として,擬1次元性分子性導体(TMTTF)2PF6を選びこの手法の精度を精査した.同形の結晶構造を持つ一連の物質群には,低次元電子系に特有な,電荷密度波,スピン密度波に加えて,分子性伝導体として圧力下で初めて超伝導が観測されるなどの多彩な電子相が発現することから,1980年代から精力的に研究されてきた.分子性導体における電子相関によるMott絶縁相の存在,誘電率測定による電荷秩序相への転移など,この系の多彩な電子相がクローズアップされた.精力的な研究にもかかわらず,電荷秩序相の電荷の偏在の直接証拠を捉えられず“structure-less transition”と呼ばれて,実に40年間ミステリーであった.我々は,CDFS法によりTMTTF分子のフロンティア軌道の電子雲を捉えて電荷秩序の詳細を解明した.内殻電子と価電子を切り分けることで価電子状態を評価でき,TMTTF分子内の実空間電荷密度分布を得ることに成功し,多くの物理学者の予測が正しかったという長年の謎に決着を得た.CDFS法はまだ始まったばかりの新しい手法であるが,分子性結晶という複雑な系で成功を収めたことで,回折実験から電荷密度分布を得るための新たな選択肢を提供すると考えている.この手法には特殊な技術は必要なく,良質な単結晶と高品質の放射光X線回折データを得られる施設の利用で,誰にでも測定・解析が可能である.分子性結晶だけでなく遷移金属酸化物など多彩な物質群にも適用可能であり,軌道の物理の観点からこの手法の活用と様々な展開を期待している.
著者
吉田 紅
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.74, no.10, pp.691-699, 2019-10-05 (Released:2020-03-10)
参考文献数
18
被引用文献数
1

ブラックホールがこれほどまでに人々を魅了するのは,「一度入ってしまうと,二度と出てくることはできない」という神秘性からであろう.しかし,この不可逆性は物理学的な立場から見ると,非常に奇妙な代物である.我々がこれまで観測してきた全ての現象は量子力学を用いて説明することができるが,量子力学は可逆の理論である.現在の状態を知ることで過去の状態を完璧に遡ることが原理的には可能なのである.この量子力学と重力理論,特にブラックホールの物理との不整合は,ブラックホール情報損失問題と呼ばれている.長らくこの問いに対する我々の答えは,系を記述する運動方程式があまりに複雑すぎて過去まで遡ることができないだけだというものだった.たとえ最初は局所的だった量子情報も,ブラックホールに落ちていく過程で複雑な相互作用を経て,ブラックホールの外にいる観測者の立場からは,まるで非局所的なものに変換されたように見える.それは到底観測できないような物で,損失したも同然だ.この現象はスクランブリング(量子情報の非局所化)と呼ばれており,まさに量子版のバタフライ効果である.このような背景から,ブラックホールの量子カオス的な時間発展は,量子情報の非局所化が最も強く純粋な形で見られる系ではないかと思われてきた.しかし約十年ほど前に,ブラックホール情報損失と量子カオスに関する衝撃的な結果が2人の量子情報理論研究者ヘイデン(Hayden)とプレスキル(Preskill)によって発表された.彼らは通常考えられてきた物とは異なる,「古いブラックホール」と呼ばれるエントロピーの半分以上をすでにホーキング輻射で失ったブラックホールを考察した.そして,運動方程式をランダムなユニタリー発展と仮定する簡単なおもちゃの物理モデルを使うことで,ブラックホールに落ちてしまった情報を非常に短い時間スケールで取り出すことが「原理的には可能」であることを発見したのである.ブラックホールがまるで鏡のように情報を即座に跳ね返すというこのヘイデンとプレスキルの結論は,スクランブリング現象及び情報損失問題の研究に革命的な発展をもたらしつつある.これまでとは全く異なる新しい物理量が量子カオスの秩序パラメータとして考案され,新たな重力ホログラフィーの模型が提案された.その影響は重力,量子情報,そして物性物理にまで及び,最近ではこれらの概念は実験家の興味の対象にさえなっている.しかし,これらの結果が真に驚くべきものである点は,「情報の取り出し可能性」がまさに「ブラックホールの量子カオス性」からの帰結であることである.もし,ブラックホールが量子情報を非局所化しない非カオス系であったならば,ヘイデンとプレスキルの言ったような情報の取り出しは不可能なのだ.量子情報理論的概念の応用から得られたこれらの一連の結果は,情報喪失問題に対する新しいアプローチを生み出すこととなった.「ブラックホールからは二度と出てくることはできない」というのは迷信だったのであろうか? ブラックホールの事象の地平線は本当に絶対的な存在なのだろうか? これらの問いを,量子情報の非局所化という視点から今一度見つめ直してみよう.
著者
江沢 洋
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.49, no.12, pp.1009-1013, 1994-12-05 (Released:2008-04-14)
参考文献数
35

小谷先生は,朝永振一郎先生とともに"磁電管の発振機構と立体回路の理論的研究(共同研究)"に対して1948年度の学士院賞を受けておられる.その御業績が6月号の<小谷先生の物理学への貢献をふりかえって>特集にとりあげられていないとの御注意が牧二郎さん等から寄せられた.大野公男さんのおすすめにより拙い試みを敢てする.
著者
金川 哲也
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
大学の物理教育 (ISSN:1340993X)
巻号頁・発行日
vol.24, no.2, pp.72-76, 2018-07-15 (Released:2018-08-15)
参考文献数
2

1.“工学科”での熱力学教育の問題点筑波大学理工学群工学システム学類は,機械,土木,建築,電気,情報などの工学分野を包含する,理工学部“工学科”なる表現が適切な学科である (以下,“工学科”).著者は“工学科”のう
著者
粟田 英資 久保 晴信 守田 佳史 小竹 悟 白石 潤一
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.53, no.3, pp.170-180, 1998-03-05 (Released:2008-04-14)
参考文献数
61

楕円代数という名の国があります. 最近までは, この国のことを詳しく記した地図はありませんでした. この国には楕円関数に付随した代数の秘密が伝わっていると謂われています. それはBaxter達の模型を開ける大事な鍵になると信じられています. Baxter達の模型の臨界点での振舞を読み解く鍵となったのは共形場理論でした. 臨界点から離れたところを探るために, 次の鍵を見つけよつとして, 多くの人々が何年にも亘って知恵を出し合いました. 紆余曲折の末, それでも懸命に進み, 目的地へのある扉を叩くことになった人達がいました.
著者
梅垣 壽春 大矢 雅則 日合 文雄
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.35, no.3, pp.241-252, 1980-03-05 (Released:2008-04-14)
参考文献数
23

数学という基盤に立って物事を体系付けようとする場合, まず定義を与えることから始められる. 定義は論理的な約束, 或いは規約に基づいた条件の組合せによって設定される. エントロピーという物理学上の概念が三つの条件からなる公理系によって定義付けられたことによって遂には情報理論という全く新しい数学が構築され, 古くからの数学の問題が解決されたり, 新たな数学の概念が発見され, それが数学の進歩を促し, その結果自然科学以外の他の領域にも重大な関わりをもたらしている. エントロピーとは非常に不可思議な数理形式をしている. それが必ずS(P)=Σpklogpk-1とかS(f)=∫flogf-1dXというように表わされる必然性は偶然を支配する神々のなす業なのであろうか. 最近では再び物理, 詳しくは数理物理学ともいわれる境界領域に, 情報理論的に構成された相対エントロピーなどが頻りに立場して来ている. まさに, これは数学と物理学との交流の接点とでもいうべきか. 今後も問題点がこの接点の近傍で探求されることが期待される.
著者
畝山 多加志
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.76, no.10, pp.663-668, 2021-10-05 (Released:2021-10-05)
参考文献数
22

物性の研究ではマクロスケールの(巨視的な)物性について測定や解析が行われることが多い.マクロスケールの物質の示す複雑な緩和や応答も元をたどれば究極的にはミクロスケールの(微視的な)分子や原子の構造に還元できると期待される.これは物理(特に統計力学)の考え方としては標準的なものであろう.ソフトマターのように構成要素が複雑な場合には,ミクロスケールとマクロスケールの中間であるメソスケールにおいて特徴的な構造や運動をもつことがある.この場合もやはりメソスケールの挙動は究極的にはミクロスケールに還元できると考えられる.原理的には分子や原子の初期状態の位置と運動量がわかれば系の時間発展は一意に決まるのだから,メソスケールだろうとマクロスケールだろうとミクロスケールの情報からすべて計算が可能なように思える.もちろん,初期状態を完全に知ることはできないし,カオス的な振る舞いもあるため状況はそこまで単純ではない.メソスケールの運動や緩和,あるいはメソスケールの情報を強く反映するマクロスケールの物性を理解するには,メソスケールの運動を直接的に記述し解析することが望ましい.これはミクロスケールの情報のうち興味ある一部の情報(着目する粒子の位置や運動量)のみを取り出す粗視化とよばれる手法を用いて実現できる.粗視化によって消える自由度の効果は系統的に取り込め,未知の初期状態の影響はランダムな揺動力という形で運動方程式中に現れる.このランダムな揺動力がBrown運動の起源となり,粒子の運動の軌跡は不規則な形状を呈することになる.さらに,粒子の感じるポテンシャルや時間遅れの効果等を取り込むことで,メソスケールの運動の一般的記述が可能になるとされている.ところが,このような手法で十分に一般的なメソスケールの運動を記述可能かというと,実はそうではない.既存の手法で記述不可能な対象が少なからず存在するのである.例えば,高分子の運動は分子同士が互いにすり抜けられないという動的な拘束のために単純な形では記述できない.近年,そのようなある種の特殊なBrown運動の記述について,新しい視点からのモデル化や理解が進展しつつある.メソスケールの系を記述する際に通常着目する自由度である位置や運動量に加えて,拡散係数やポテンシャルといった量も自由度として考慮するというものである.従来の方法では,拡散係数やポテンシャルは環境の効果を平均化したものであり,平均値からのずれがランダムな揺動力として取り扱われていた.これに対して,新しい方法では,拡散係数やポテンシャル自体が時々刻々と変化する環境の影響を受けてランダムに変化する量であるとする.一見,ランダムに変化する部分が変わっただけでさほどの影響がないように思えるかもしれないが,ゆらぐ拡散係数やポテンシャルを使うことで従来の方法とは定性的に異なる運動を記述することができる.ゆらぐ拡散係数やポテンシャルを用いた新しい方法は新しい運動方程式のクラスを形成しているものと考えられる.新しい方法はソフトマターをはじめとしたさまざまな系に適用できるものと期待される.例えば,高分子の動的な拘束を表現するために各論的・現象論的にさまざまな運動モデルが提案されているが,これらをゆらぐ拡散係数やポテンシャルを使った枠組みで統一的に解釈し直すことができる.また,過冷却液体中の分子の示す一時的にトラップされるような運動も,新しい方法を用いることで単純な形で記述することができる.