著者
野村 哲郎 祝前 博明
出版者
京都産業大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2008

自然選択は、生物の適応的進化を説明する上で中心的な役割を果たしてきた。しかしながら、野外で実際に自然選択が働いたことを示す実例は極めて少ない。本研究では、ナミテントウの鞘翅斑紋多型における地理的勾配ならびにその年代変化を全国規模で調べ、環境変化とくに気候の温暖化との関係について調査した。本州、四国および九州のほとんどの採集地において、過去60年の間に黒化型(二紋型、四紋型、斑型)の遺伝子頻度が上昇し、非黒化型(紅型)の遺伝子頻度が低下していた。遺伝子頻度に見られた変化は、採集地に近接した気象測候所における繁殖季節の気温の上昇と呼応する傾向を示した。これらの結果は、自然選択による小進化の一例になり得るものと考えられた。
著者
高木 征弘
出版者
京都産業大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2013-04-01

金星大気スーパーローテーションの熱潮汐波メカニズムと子午面循環メカニズムの両方に着目した研究を行った結果,雲層高度のスーパーローテーションには両者がともに作動していることを明らかにした。また,これによる金星上層大気の現実的な大気構造の再現に成功し,雲層中で活発な傾圧不安定波が励起されていること,従来「ロスビー波」と呼ばれてきた波はこの傾圧不安定波で説明できること,極域のコールドカラーの成因には熱潮汐波の誘導する子午面循環が重要であることなどの結果を得た。
著者
並松 信久
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 = Acta humanistica et scientifica Universitatis Sangio Kyotiensis (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
no.49, pp.359-389, 2016-03

柳宗悦(以下は柳)は河井寛次郎や濱田庄司らとともに「民芸運動」を展開したことで著名である。その民芸運動の一環として柳は,戦前の日本人では珍しく,沖縄,アイヌ,台湾の文化に強い関心をもった。これらの地域は日本の「周縁」に位置付けられ,近代化が遅れているという理由で,低い評価しか与えられていなかったからである。柳は沖縄文化に着目し,その周縁の文化の豊かさに気付き,それらは日本の将来にとって重要なものであると説く。柳と沖縄文化に関する先行研究では,民芸運動において,柳による沖縄への関心がどのような意味をもったのか,そして沖縄のほうは民芸運動をどのように受け止めたのかは明らかになっていない。本稿では,戦時体制によって極端な集中化・画一化が進んでいくなかで,日本の周縁に注目する民芸運動は大きな変容を遂げ,そして沖縄という周縁の地域振興には有効ではなかったことを明らかにした。この根本的な要因は2 点ある。1 点目は沖縄の文化的な「個性」を重視した柳が,その個性は何に由来するのか明確に語っていない点である。これは柳が歴史性を重視していないことに由来する。2 点目は民芸の担い手である「民衆」のとらえ方である。柳における民衆は,本来は実存しない理念的概念であったが,それをそのまま実在の民衆に当てはめようとした点に問題があった。
著者
中埜 喜雄
出版者
京都産業大学
雑誌
産大法学 (ISSN:02863782)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.76-108, 1981-06
著者
若井 勲夫
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 = Acta humanistica et scientifica Universitatis Sangio Kyotiensis (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
no.49, pp.538-531, 2016-03

筆者は「神護寺蔵『和気氏三幅対』の成立と訓釈」を本誌四十六号(平成二十五年三月)に、続いて、その補訂を同四十八号(同二十七年三月)に発表した。これは江戸時代初期に和気清麻呂の後裔の半井瑞雪が高雄山神護寺の開創者である和気清麻呂、和気医道を盛り返し和気氏中興の祖とされる定成の子である時成、その子基成、の三名の肖像画に賛偈を禅僧に書かせたものを当寺に寄進したものである。筆者はその偈(漢詩)について題詞、本文、左注を解読し、訓読して書き下した上に、現代語訳と語釈をつけた。また、その賛が出来上る経緯と揮毫者について考証、解説した。補訂では半井瑞雪の系図上の位置づけを確証し、併せて二、三の問題を修正し補足した。さらに、徳川家光が半井成忠(瑞堅)に与へた狩野三兄弟の「三幅一対」が右の「三幅対」と同一であるかについて論述したが、それを証する史料が不足し、課題を指摘するに留めた。本稿は右の二編に続いて、さらに補足、訂正する点が出てきたので、再び補訂版とするものである。以下、その要点を箇条書きで記す。(一)和気時成像の偈をそのまま右から左に読んで解釈してきたが、これは全く初歩的な誤りであった。対聯、二幅対、三幅対で向って右に位置するものの書法は左から右に書くことになってゐる。そこで、全面的に読み直して、訓読、現代語訳、語釈を改めた。その際、一部の解釈を考証し直して修正した。(二)この三幅の肖像画は半井家と神護寺で「三幅対」として伝へられてゐる。今回、偈の書き方だけでなく、文字の作法、初稿で触れた衣裳や坐り方などにより、明確に三幅が一対となって描かれてゐることが確実となった。(三)和気真人(清麻呂)像の偈について、一ヶ所、訓みを改め、語釈でその是非を語法の点から考証した。また、「和気真人」は清麻呂であり、平安前期の和気時雨ではないことは前々稿で述べたが、「法眼」の称号について説明し、改めて右の補足とした。(四)和気基成像の偈について、一ヶ所、対句の表現であることを明確にして、訓みを改め、語釈でその解説をした。また、基成の伝記的な説明を少し付け加へた。〈付記〉本稿は正篇の補訂版に続いて再度の修正である。本論集の論文は機関リポジトリとして広く公開されてゐる。特に今回は、賛偈の読解の基幹に関はる重大な問題であり、これをこのまま放置することは誤った内容が広まる恐れがある。よって、ここに「続補訂」として発表することにした。