著者
関 光世
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 = Acta humanistica et scientifica Universitatis Sangio Kyotiensis (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
no.50, pp.131-143, 2017-03

本論は,英国ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)のジョンストンコレクションに残された『猛虎集』を手がかりに,徐志摩(1897-1931)と清朝最後の皇帝愛新覚羅溥儀(1906-1967)の帝師を務めたレジナルド・フレミング・ジョンストン(1874-1938)との交流について,可能な限り明らかにしたものである。 この『猛虎集』初版本には,徐志摩のサインが残されているとの記録がある。しかし,筆者の現地調査によって未公表の献辞が確認できており,その文言は,二人の交流が従来知られているよりも長く,深いものであることを示唆している。徐志摩とハーディ(1840-1928)やフライ(1866-1934)らとの交流はよく知られているが,留学から帰国した後の西洋人との交流については,ほとんど取り上げられていない。 本論は,献辞の文言や日付などの情報を手がかりに,コレクションに残された他の中国知識人の書籍,ジョンストンの著書『紫禁城の黄昏』, 溥儀の自伝『わが半生』,徐志摩の日記や書簡など関係資料を参照し,二人の交流の起点と終点及びその過程について仮説による叙述を試み,以下の点を明らかにした。 1. 徐志摩とジョンストンの出会いは,1924 年のタゴール(1861-1941)訪中時よりも早い1922 年冬,つまり徐志摩の帰国直後であった可能性が高く,タゴール訪中は二人の交流が一層深まる契機となったに過ぎない。 2.二人の出会いと交流において,胡適は仲介者として重要な役割を果たした。 3.『 賀雙卿雪壓軒集』上のサインは,二人の交流が長期間継続しただけでなく,彼らの交友関係が,中国文学界においては相当程度共通していたことを物語っている。 4. 献辞の文言や当時の社会情勢から,『猛虎集』初版本は,出版から徐志摩が事故死するまでの短い期間に直接手渡されたと判断し,その時期と場所を概ね特定した。 以上を総合すると,徐志摩とジョンストンの交流は,徐志摩が留学から帰国した直後に始まり,タゴールの皇帝謁見を機に深まり,1931 年,互いに極めて多忙な中で最後の対面を果たすまで続いたと結論づけることができる。 本論は,ジョンストンコレクションに見られるジョンストンと徐志摩及び胡適ら中国の知識人との交流の詳細を初めて解明し,従来ほとんど取り上げられたことのなかった徐志摩とジョンストンの交流の起点と終点,及びその過程を明らかにしており,徐志摩の西洋理解,ひいては1920 年代における中国と西洋の文化交流について,その一端を理解する上で価値あるものである。
著者
生田 眞人
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.1-17, 2008-03

本論考では第一次世界大戦と第二次世界大戦との狭間である,いわゆる両次大戦間期という激動の時代にオーストリア・ウィーンに生きたユーラ・ゾイファー(Jura Soyfer, 1912-1938)の生涯をたどり,劇作と政治活動の両面で彼のウィーン文化への貢献とその意義を考察する。 既に高校時代にオーストリア・社会民主主義労働者党(通例,後に「労働者」を削除した呼称を用いたので,以下社民党と略称)の青年部に属して政治詩や政治的エッセイを書いていたゾイファーはオーストリア・社民党の日和見的,譲歩過多の政策に飽き足らず次第にオーストリア・共産党を信奉するようになっていく。その過程でラディカルな政治演劇を発表し続けたゾイファーは作品も発禁,演劇作品も上演を禁止されるようになる。本人も逮捕されるに至るが,1938 年2月にはシュシュニクの恩赦令により釈放されるものの,ゾイファーはその後一ヶ月足らずの3月13 日,スイスへの亡命を図って国境で再逮捕されるに至る。その後の運命は過酷で,ゾイファーはダッハウ強制収容所送りとなり,さらにブーヘンヴァルト強制収容所へ移送され,同所で病死した。 短い生涯ながら,カバレット(寄席文学演芸)での小作品や劇場で上演されるべき演劇作品を多数創作したゾイファーは,その中でも特に政治的アピールを含むテーマと娯楽性に富む上演形式をたくみに結合し,ユニークな政治演劇を創造した。本論では特に「世界没落」をテーマとし,そのテーマをそのままタイトルとする作品に注目し,忘れられた劇作家ゾイファーの復権をも視野に入れて,彼の政治活動との関連で,彼の演劇を中心とする文学の本質を究明する。
著者
木村 成介 川勝 弥一
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 = Acta humanistica et scientifica Universitatis Sangio Kyotiensis (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
no.49, pp.161-181, 2016-03

代表的な京野菜に水菜と壬生菜がある。水菜は深い切れ込みのある葉(切葉)をもち,壬生菜は葉縁が滑らかでヘラのような形の葉(丸葉)をもつ。両者は葉の形からすると全く関係ない植物のように見えるが,同一種であり,江戸時代に壬生地方において水菜から生じた新品種が壬生菜であると言われている。これまで,水菜の切葉から壬生菜の丸葉への変化が,どの時期にどのようにおこったのか,また,葉形変化の原因については明らかとなっていなかった。本論文では,江戸時代から明治時代に書かれた農書や本草書の記述をもとに,壬生菜の丸葉の成立過程について調査し,壬生菜という呼称が葉の形が丸葉に変化する前の18 世紀後半から使われ始めていたことや,19 世紀の中頃に壬生菜の丸葉が成立したことを明らかにした。また,水菜とカブ類との交配が丸葉成立の要因ではないかと推察した。
著者
草野 友子
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.196-212, 2011-03

本稿は,中国の新出土文献「銀雀山漢墓竹簡(ぎんじゃくざんかんぼちっかん)」(以下,銀雀山漢簡)の「論政論兵之類」に分類される『為国之過』を取り上げ,その文献的特質を考察するものである。 銀雀山漢簡は,1972 年に出土した竹簡であり,その内容は主に古代兵書である。全容は三分冊によって公開されることが予告されていたが,『孫子兵法』『孫臏兵法』などを収録した 『銀雀山漢墓竹簡(壹)』の刊行後,続巻の刊行が中断した。 しかし,2010年になってようやく『銀雀山漢墓竹簡(貳)』が刊行された。第二輯において公開された『為国之過』は,国を治める際の過失について,箇条書き風に説かれている文献である。そこには,国家の存亡,君主・臣下・民の相互関係,戦争時における対策などについて具体的に書かれており,その理想と現実とが述べられている。 本稿では,『為国之過』の内容を確認した上で,その全体構成と本文献の特質を明らかにしていきたい。
著者
荒井 文雄
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.287-317, 2011-03

この研究ノートでは、学区制度の廃止に向けた政策を取るフランスにおいて、社会階層によって異なった様相をみせる学校選択の全体像を多面的にとらえる。すなわち、私企業高級管理職等に代表される上層階層の多角的教育投資行動の中に位置づけられる学校選択から、公共部門上層階層や中間階層にみられる学校選択をめぐる葛藤や、さらに、従来、学校選択に無縁な階層とされた庶民階層の動向にも注目する。各社会階層の学校選択行動の特徴を検討することを通して、学区制の廃止が、学校における階層混合および教育の社会的格差解消に貢献するか、批判的に検討する。
著者
並松 信久
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.25-54, 2006-03

謝花昇は沖縄で生まれ,第一回県費留学生として東京で農学を学び,農業技師として沖縄県庁の高等官となる。しかし土地問題をめぐって知事と対立し,県庁を辞職後,民権運動に身を投じる。しかし運動は挫折し,36歳の時に精神に変調をきたし帰郷した後,43歳の短い生涯を閉じる。謝花が沖縄の民権運動において指導的な役割を果たしたことに関しては,すでに数多くの研究成果がある。しかしながら,謝花が学んだ近代農学との関連については論じられることが少なかった。謝花の活動と近代農学とを結びつけた研究成果がまったく見当たらないというわけではないが,謝花が依拠した近代農学の特徴と謝花の活動との関連が問われることはなかった。 謝花の農業思想は,沖縄県の経済的自立と政治的自治とを求める実践や運動の過程で形成されたものであり,その中心的な課題は農業と土地をめぐる問題の解決であった。この問題の解決にあたって謝花が依拠するのは,帝国大学農科大学農学科で学んだ近代農学であった。近代農学は多くの欠点をもっていたとはいえ,農業経営や農業技術面での合理性は保たれていた。勧業政策を推進する立場におかれた謝花は必然的に沖縄振興の構想を提示する必要に迫られる。謝花の早世によって構想は完結したものとはいえないが,謝花の著書や講演,そして遺稿となった論文によって沖縄構想がなされたことは明らかである。 しかし謝花による沖縄構想の実現は,その合理性のゆえに,沖縄に残る多くの旧慣が障害となる。そして謝花の沖縄構想は徐々に政治の不合理性に直面せざるをえなくなり,その転換を迫られる。農業分野から政治分野へと転換であるが,この転換は謝花の沖縄構想の限界ではない。沖縄構想の合理性は色あせるものではなく,現代でも示唆的な面が少なくない。謝花は科学者や研究者ではないので,近代農学の実践者とは言い難いのかもしれないが,その精神において科学的合理性を備えていた。謝花は,科学的合理性という精神を備えているという点で科学主義に忠実であった。謝花は科学主義によって権力に抵抗し,地域的な利己主義と対立していった。この過程で謝花の農業思想が形成され,沖縄構想が提示されたものの,それを否定するような悲劇が起こった。
著者
菅野 類
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.112-130, 2008-03

イタリア人の悲劇作家,ヴィットーリオ・アルフィエーリが1777 年の5月にトリノを離れトスカーナへ向かったのは,イタリア語の表現力を向上させるためだったことは良く知られている。しかし,本稿筆者はその旅のもうひとつの理由が,トリノの知的状況内にあったのではないかと考えている。 1773 年,ヴィットーリオ・アメデーオ三世が即位したことをきっかけに,トリノの知的環境は劇的に変化した。伝統的な厳しい統制から解き放たれたことで,トリノはかつてない文化的活況を迎えたのである。しかし,過度の自由は制限されるべきであるとの保守的意見は存続し,1777 年に出版されたベンヴェヌート・ロッビオの『えせ哲学論』により勢いを取り戻す。ロッビオは知的風潮の堕落を警戒し,社会秩序を守るために検閲の重要性を訴えたのだった。アルフィエーリが『専制論』の原案を書き,主にトリノ社会を念頭に置いたものと見られる君主制批判を展開したのも,ちょうどその年のことであった。 これらの対照的な意見がほぼ同時に現れたことは,単なる偶然とは思われない。ロッビオとアルフィエーリは同じ文芸サークルに所属しており,さらにロッビオはアルフィエーリに悲劇の書き方を指導していた。相手の態度と考え方を直接知りうる関係に二人はあったのである。『えせ哲学論』の出版以降,ロッビオは政府の文化政策に関わっている。これは,トリノにおいて保守的論調が支配的となったことを意味する。一方アルフィエーリは,自由な立場で執筆活動を続けられるよう,祖国との関係を絶つ決意をする。たとえ明確に言及されてはいないとしても,トリノの知識人社会における居心地の悪さが,アルフィエーリをトリノから遠ざけた要因のひとつであったものと考えられる。
著者
中川 さつき
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.48, pp.389-406, 2015-03

『ウティカのカトーネ』(1728)はメタスタジオにとって3 作目の音楽劇である。主人公カトーネは共和政ローマの理念を守るために,和平を拒んで名誉ある死を選ぶ。カトーネの高潔なモラルと,ライバルであるチェーザレの寛容の徳との対比がこの劇の核である。簡潔で力強い台詞と劇的な緊張感に満ちた傑作であるが,同時代の観客は愛国的なテーマにそれほど心惹かれず,また主人公が呪詛の言葉を吐きながら死んでゆく場面は激しい反発を巻き起こした。メタスタジオ自身はこの作品を偏愛していたが,『アッティリオ・レーゴロ』(1740)で一度だけ英雄悲劇に立ち戻ったことを例外として,その後は宮廷の人々の好みに従って,君主と臣下の理想的な関係を描いたハッピー・エンドの劇を書き続けたのであった。
著者
川又 啓子
出版者
京都産業大学
雑誌
京都マネジメント・レビュー (ISSN:13475304)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.119-133, 2002-12

はじめにⅠ.日本のアート環境Ⅱ.アート・マネジメントの現状と課題Ⅲ.アートかマネジメントかむすびにかえて
著者
廣野 由里子 竹内 実
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 自然科学系列 (ISSN:09165916)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.63-93, 2010-03

タバコ喫煙は肺疾患や肺癌などの発症と深く関わっていることが知られている.タバコ煙の中には約6000種類以上の化学物質が含まれる.肺には,肺の免疫系において重要な役割を果たしている肺胞マクロファージ(Alveolar Macrophages:AM) が常在し,吸入されたタバコ煙がAMの機能に影響を与える可能性が考えられる.我々は以前より,喫煙によるAMの抗原提示能,食作用,サイトカイン産生などの免疫機能の抑制を報告してきたが,この抑制機構についてはいまだ解明されていない.この抑制の機序の一つとして,喫煙によるAMのDNA損傷とそれに引き続く細胞反応が関わっている可能性が考えられる.そこで今回,タバコ主流煙曝露によるAMのDNA損傷への影響,それに引き続くアポトーシスの誘導,細胞増殖およびDNA修復の可能性について検討した. タバコ喫煙は,C57BL/6マウスに1日20 本,10日間,タバコ主流煙を曝露し,AMは気管支肺胞洗浄により回収した.喫煙によりAM数の増加,AMの大型化と細胞内部構造の複雑化,AMの細胞質内への封入体の出現が認められ,喫煙によるAMの形態学的な変化が認められた.AMは食作用により異物を取り込み,活性酸素を産生し取り込んだ異物を殺菌,除去する.喫煙によりAMがタバコ煙粒子を取り込み,活性酸素種を産生することが考えられたため,喫煙によるAMの活性酸素種産生への影響を検討した.AMの活性酸素種(H₂O₂, O₂-)産生は,喫煙により増加した.活性酸素種はDNA損傷を誘導することから,喫煙によるAMのDNA損傷への影響を検討したところ,喫煙により,AMのDNA損傷が誘導されることが確認された.DNA損傷に続く細胞反応のひとつに,アポトーシスが知られていることから,喫煙により誘導されたDNA損傷が,アポトーシスを引き起こすか否かについて検討した.Fasレセプター(CD95) の発現は,喫煙により減少した.アポトーシスの初期の特徴であるミトコンドリア膜電位の低下が喫煙により認められた.一方,アポトーシスの実行役であるCaspase-3 mRNA発現およびCaspase-3/7活性は減少し,喫煙によってAMのアポトーシスが抑制されることが明らかになった.次にアポトーシス抑制因子であるXIAP, survivinのmRNA発現を検討したが,非喫煙群と喫煙群で差はなかった.また,細胞の生存に重要な役割を果たすAktのmRNA発現およびリン酸化は,喫煙により有意に減少した.喫煙によるアポトーシス抑制は,DNA損傷の修復もしくは細胞増殖が原因であることが考えられたため,AMのDNA合成について検討した.喫煙により3H-Thymidineの取り込みが増加し,喫煙がAMのDNA合成を促進することが確認された.このDNA合成が細胞増殖のためであるかどうかを検討したが,生存細胞数は非喫煙群と喫煙群で差はなかった.また,細胞周期に関しても,非喫煙群と喫煙群で差はなかった.さらに,喫煙群から回収したAMを24時間培養することにより,DNA損傷が修復されたことから,喫煙によるAMの3H-Thymidineの取り込みの増加は,細胞増殖ではなくDNA損傷の修復によることが示唆された. 以上の結果より,喫煙によるDNA損傷と修復の繰り返しや修復の間違いが,AMの免疫機能抑制に関わり,機能低下したAMがアポトーシスを起こさずDNA修復を通して肺内に留まり続けることが,喫煙による肺疾患や肺癌の発症と密接に関わっている可能性が示唆された.
著者
東 俊之
出版者
京都産業大学
雑誌
京都マネジメント・レビュー (ISSN:13475304)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.125-144, 2005-12

はじめにⅠ.リーダーシップ論の系譜Ⅱ.変革型リーダーシップ論の展開Ⅲ.組織変革論と変革型リーダーシップⅣ.変革型リーダーシップ論の新展開と今後の課題おわりに
著者
並松 信久
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.116-146, 2008-03

笹森儀助(1845-1915)は『南嶋探験』の著者として著名である。『南嶋探験』は笹森が1893(明治26)年に約5ヶ月にわたって,沖縄本島はもとより宮古・石垣・西表・与那国,そして帰路に奄美の島々をまわり,辺境防備や資源探査,農村生活の視察,産業の実情などを調査した記録である。この記録は詳細であるが故に多くの影響をもたらした。 これまでの研究では,笹森の事績が徐々に明らかになっているものの,笹森はなぜ詳細な調査をすることができたのか,つまり調査以前と調査との関連,さらに詳細な調査はその後どのような影響を与えたのか,つまり調査後の展開などについては明らかになっていなかった。本稿では調査前については,士族授産事業(「農牧社」の運営)を通して多くの農業研究者や老農,そして農業研究施設から笹森が農業知識を吸収した点を明らかにして,南島調査に至ったことを説明した。さらに調査中には謝花昇(1865-1908)や知事の奈良原繁(1834-1918)とも会って,資料収集につとめるとともに,旧慣制度などについて議論している。こういったことが調査記録をさらに充実したものにしていた。 調査後の影響については,学問上の影響と政治上の影響があった。学問上の影響では,その後の沖縄研究の端緒を開いたといえる。これはその後に展開される「沖縄学」という柳田国男(1875-1962)や伊波普猷(1876-1947)などによる民俗学的な研究とは異なっていた。笹森の調査には地域振興や地域の自立という視点があったが,沖縄学ではそういった視点が希薄となる。笹森は南島調査の後,奄美大島で実際の行政に携わっているが,ここには地域振興や地域の自立という視点が遺憾なく発揮されている。また政治上の影響については,人頭税などの旧慣制度の廃止に大きな影響をもったということである。笹森によって記述された「圧倒的な事実」が政策批判につながった結果である。目 次1 はじめに2 士族授産と農業知識3 実態調査と詳細な記録 (1)調査の準備 (2)旧慣制度と生活実態 (3)糖業と土地制度 (4)調査の総括4 地域振興の実践5 地域振興と沖縄研究の展開
著者
関 光世
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.82-101, 2008-03

0 はじめに1 二人称敬語体代詞"您"をめぐる諸説と問題点 1.1 "您"についての説明 1.2 陳(1986)の論点 1.3 ディクテーション結果から見た問題点2 《编辑部的故事》に見る"你"と"您"の使用 2.1 話し手自身の特徴―年齢・性別・性格 2.2 聞き手との関係―高親密度下における使用状況 2.3 親密度の変化とその影響 2.4 意図的な変換と無意識の変換3 まとめ 3.1 《编辑部的故事》における代詞の選択と変換 3.2 効果的な学習のための提案
著者
高原 秀介
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.157-170, 2009-03

1.「民主化の推進」(1)ラテンアメリカから始動した「民主化の推進」(2)安全保障の観点から重視された「民主化の推進」2.「反帝国主義」(1)世紀転換期のアメリカとウィルソン(2)ウィルソンと「反帝国主義」3.「民族自決主義」(1)「14ヵ条」に見られる「民族自決主義」の真意(2)ウィルソンの「民族自決主義」のあいまいさ4.「単独行動主義」(1)ウィルソン外交に見られる「単独行動主義」おわりに
著者
西村 佳子 西田 小百合
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.177-192, 2013-03

確定拠出年金導入企業は、加入者に運用資産メニューを提示し、加入者は制約の下で運用を行う。本 稿では、雇用主(企業)側の行動を明らかにする第一歩として、企業型確定拠出年金担当者に対するア ンケート調査のデータを用いて、雇用主の確定拠出年金提供に対する姿勢(熟練度や熱心さ)と提供さ れる選択肢の関係について分析を行った。分析の結果、他の退職給付制度や年金からの資金の移換がな く、確定拠出年金の導入時期が遅く、担当者の熱心でかつ熟練度が高く、従業員数が少ない企業は、元 本確保型金融商品に偏らない運用資産メニューを提示する傾向があることがわかった。反対に、移換資 産があり、確定拠出年金の導入時期が早かった企業は、確定拠出年金の運用資産メニューに占める元本 保証型金融商品の割合が高い傾向があることが明らかになった。1.はじめに2.確定拠出年金導入企業が加入者に与える影響3.確定拠出年金導入企業に関する分析4.おわりに
著者
河北 秀世
出版者
京都産業大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2007

本研究は、太陽系の化石とも呼べる彗星(始原天体)に含まれる化学組成比を元にして、私たちの太陽系のもととなった物質を探ることを主眼にしている。本研究では多数の破片に分裂したシュバスマン・バハマン第3彗星の観測を元に、もともとの彗星核に内在していた非均質性について議論した。その結果、彗星核は非常に均質であり、原始太陽系円盤内での微惑星の動径方向移動はあまり顕著ではなかったのではないかという結論に達した。また、その他の彗星についても、近赤外線高分散分光観測を多数実施し、その統計的性質に迫った。その結果、従来提案されているような単純な分類では不十分であることを明らかにした。