著者
並松 信久
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.85-122, 2013-03

津田仙(1837-1908)は、明治期においてキリスト教と深い関わりをもった農学者である。その事績は多方面にわたり、農産物の栽培・販売・輸入を手がけ、「学農社」を創設して、農業書籍や『農業雑誌』などの出版事業をはじめ、多くの農業活動を行なっている。その一方でキリスト教との関わりも深く、キリスト教精神に基づく学校の設立に関係している。 これまでの研究では、津田の農学者としての側面とキリスト教徒としての側面が、どのように結びついているのかという点は、あまり説明されてこなかった。本稿は津田の啓蒙活動を通して、農業とキリスト教の結びつきを明らかにした。 津田は農業改良や農業教育の実践、さらに盲唖教育や女子教育をはじめとする学校教育への理解と協力など、多方面の活動を行なっているが、それらはすべて伝統と偏見を打破する啓蒙活動であったといえる。しかもその啓蒙活動は国家や政府の支援に依らない「民間」活動であった。津田の農業における 啓蒙活動は、官僚化に対する抵抗という側面をもっていた。津田にとって国家や政府の支援に代わるも のがキリスト教(プロテスタント)であり、それが官僚化への抵抗と結びついた。 津田の場合、農業の科学的根拠やキリスト教の教理に関する造詣は深いものではない。しかし津田は啓蒙を重視しているので、難しい学術的な原理をできるだけ平易に説明し、簡明な言語によって農民に 知識を伝え、農山漁村の振興の助けとなることを重視する。津田がめざすのは、農民が自立して、営利的ないし合理的な経済生活を営めるようにすることである。それを達成するには、農民における営利性の自覚が必要である。この自覚は、津田によればキリスト教によってこそ導かれる。 津田の啓蒙活動をきっかけに、地域の特産品が生まれている。たとえば山梨県の葡萄栽培や葡萄酒製造であり、大阪・泉州の玉葱生産である。また農民の組織化にも成功した地域があった。たとえば北海道の開拓地であり、長野県の松本農事協会である。この津田の啓蒙活動の影響は、国内だけでなく海外 にも及んだ。津田は学農社農学校と同様、キリスト教を創立の精神や指導方針に掲げる学校の設立に協力する。「東京盲唖学院」(現・筑波大学付属盲学校)、「海岸女学校」、「普連土女学校」(現・普連土学 園)、「耕教学舎」(現・青山学院大学)、そして娘の津田梅子(1864-1929)が創設した津田塾大学などであった。
著者
林 隆二 伊藤 琴音 南 太貴 乙倉 孝臣 山内 尚子
出版者
京都産業大学
雑誌
高等教育フォーラム (ISSN:21862907)
巻号頁・発行日
no.3, pp.59-64, 2013-03-31

2012年6月29日に、ハーバード大学マイケル・サンデルの教授法を題材に、燦結成1周年記念イベント「京都産業大学にとって白熱教室とは?」を、学生FDスタッフ「燦(SAN)」の企画運営により実施した。質の高い学士課程教育が求められる中で、学生の主体的な学びをどう促すか、マイケル・サンデルのような大人数による双方向型授業を導入することにより、教員は教授法をどのように工夫しなければならないのか、履修する学生の姿勢はどう変わらなければならないのか、参加した学生・教員・職員はどう変わろうと思ったのか。本稿では、燦の企画から終了後の振り返りまでの活動記録と、今後の課題と展望について報告する。
著者
並松 信久
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.1-29, 2007-03

現代イギリスの農業環境政策は、政策の受け皿となる農業従事者に土地管理人としての役割を求めている。この役割は現在、新たに築いていこうとするものではなく、すでに18~19世紀のイギリス農業においてみられることであった。イギリスは農業環境政策の実施にあたって、この伝統的な考え方に大きく依存している。 本稿は18~19世紀イギリスにおいて土地管理という概念が、どのようにして形成されたのかを検討したものである。従来までの研究においては、土地管理に関しては共有地の利用を取り上げることが多かった。本稿ではむしろ共有地が減少していったとされる農業革命期を対象にして、この時期の土地所有構造や農業規模、そして囲い込みなどを再検討することによって、土地所有主体である地主、土地利用主体である借地農という分類(伝統的な分類ではもう一つの農業労働者が入る)だけでなく、土地管理主体である土地管理人(あるいは執事)という存在を明らかにした。 土地管理人は主に地主所領の管理を担当する専門職となっていくが、所領経営には欠かせない存在となっていった。19世紀中期に生まれるイギリスの農業カレッジは、土地管理人を養成したともいえる。地主所領は19世紀末頃まで土地管理人によって維持されることになるが、その後、衰退する。しかしながら、土地管理という考え方は消えることなく、20世紀になってその対象を土地という平面だけではなく環境という立体へと、さらに広げていく。
著者
新 恵里
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.187-206, 2009-03

本稿は、犯罪被害者遺族が、事件直後に直面する司法解剖や手続きにおける制度上の問題について、被害者支援の視点からとりあげ、あるべき制度について検討するものである。 司法解剖は、殺人や傷害致死などの死亡事件において、必ず被害者遺族が直面する、司法手続きの一つである。これまで、遺族や法医学者などの指摘があるものの、ケアの必要性や方法について、具体的に議論、検討されることはほとんどなかった。しかしながら、司法解剖は、被害者遺族が未だ事件を受け止められない事件直後に直面し、解剖の終わった遺体と対面する遺族もいるなど、非常に衝撃が大きく、その時の心理的苦痛や精神的ダメージは、長年にわたって続くことが多い。 本稿では、わが国の被害者遺族へのインタビューによる調査および文献、アメリカ、オーストラリア等諸外国の政策状況の調査から、①わが国の法医鑑定制度の整備が、被害者側にとっても期待されること、②遺族が司法解剖に関する一連のプロレスに関わることの重要性、③司法解剖に際して、捜査官、法医学者と遺族を結ぶコーディネーターの存在が必要であること、④解剖後のグリーフケアの必要性について論じた。
著者
今井 洋子
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.74-90, 2006-03

漱石とコルタサルの作品の比較を始めたきっかけとなった『草枕』『石蹴り遊び』の中に見られる“オフェリアコンプレックス”“女性読者蔑視”を出発点として,これら作品の女性像についてフェミニズムの視点から分析する。 本論では『草枕』の那美さん,『石蹴り遊び』のラ・マガに代表される宿命の女たちはなぜ殺されたかを考察した。二人はこれまで男を惹きつけてやまない宿命の女として解釈されてきたが,近年フェミニズム批評によって,オフェリアコンプレックスの分析とともに,男の側の女性嫌悪が暴かれてきた。那美さんもラ・マガもその魔性によって抹消されたのではない。自我を持とうとしたゆえに男の共同体からの排除されねばならなかった。これが,彼女たちが殺された理由の一つである。漱石とコルタサルが生きた時代と場所と文化のコンテクストを考慮すれば,性の描写の違いは当然のことである。しかし,アジアとラテンアメリカからヨーロッパにやってきた知識人の疎外という意味では時代を超えた相似形を示す。つまり,漱石が産業革命後のロンドンに行き,その機械文明に疑問を抱いたように,ポストコロニアルのラテンアメリカからパリに行ったコルタサルは,西欧の論理に疑問を抱くのである。那美さんも,ラ・マガも,西欧の文明に対する“自然”を象徴する。しかし,その自然は西欧文明に“あさはかに”かぶれてしまっていた。これが彼女たちが殺されなければならなったもうひとつの理由である。
著者
梶浦 大吾 酒井 啓太 原 哲也
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 自然科学系列 (ISSN:13483323)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.230-247, 2005-03

スカラー場の非最小結合はBrans-Dicke(B-D)理論[1]として知られており,アインシュタインの一般相対性理論の拡張の一つとして,その理論的意味が論じられている.ここでは,スカラー場に加えてベクトル場も非最小結合をしている場合,どのような効果が期待できるかを調べた.簡潔なモデルの下でのベクトル場を導入し,ラグランジアン密度から計量,ベクトル,スカラーを変分して0にして各々方程式を導いた.ベクトル場を導入しても,等価原理は成立しており,粒子の測地線の式は変更されない事が分かった.また弱い近似でベクトル場の効果を調べたが,スカラー場とほぼ同じ形で効果が期待される.
著者
福井 唯嗣
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集 社会科学系列 = Acta humanistica et scientifica,Universitatis Sangio Kyotiensis. Social science series (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
no.31, pp.75-100, 2014-03

2013年8月にまとめられた社会保障制度改革国民会議報告書には、後期高齢者医療制度存続という医療保険制度に関して一つの大きな方針転換があった。現在示されている政府方針には、市町村国保の都道府県単位化による財政基盤強化、被用者保険の後期高齢者支援金について全面総報酬割の導入により節約される国庫負担を財源とする市町村国保支援などがある。本稿では、これらが今後の市町村国保財政に及ぼす影響を、長期推計モデルによって定量的に考察した。 また、後期高齢者医療制度廃止を前提とすれば、現行の保険者間財政調整に代わるさまざまな財政調整が可能となる。本稿では、長期推計モデルを用いた政策シミュレーションにより、それぞれの財政調整が将来における市町村国保の所要保険料に及ぼす影響を推計し、望ましい財政調整のあり方について検討した。 現行制度、とくに前期高齢者納付金(交付金)の下では、高齢化率の低い自治体の保険料を高める一方、地域の医療費の多寡は保険料には反映されない。一方、制度平均の1人当たり保険料と1人当たり給付費によるリスク構造調整を導入した場合には、地域の医療費の多寡は保険料に強く反映されるため、医療費適正化を自治体に促す場合には有効な選択肢であるといえる。
著者
内田 健一
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 = Acta humanistica et scientifica Universitatis Sangio Kyotiensis (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
no.52, pp.125-151, 2019-03

ダンヌンツィオにとってのペトラルカに関する唯一の本格的な先行研究として,ジベッリーニの『ダンヌンツィオとペトラルカ』(2006)が挙げられる。この網羅的な調査は,詩,小説,評論などのジャンル別で,必ずしも年代順ではない。一方,本稿は,ダンヌンツィオのペトラルカに対する態度を,若い頃から晩年に至るまで通時的に分析し,屈折した微妙な関係の推移を明らかにする。 ダンヌンツィオの最初の明確なペトラルカとの接点はセスティーナという詩形で,それを使って『結びのセスティーナ』(1886)や『深淵カラノ溜息』(1890)を作った。また『カンツォニエーレ』第22番セスティーナの一節を『ヴィッラ・キージ』(1889)で用い,恋人のバルバラ宛ての手紙にも書いた。詩人パスコリに関する評論(1892)では,セスティーナの音楽的な神秘を重視した。 その後,ペトラルカはカンツォーネという詩形と結びつけられる。ダンヌンツィオは『アテネ人への演説』(1899)でイタリア文学の代表としてペトラルカを挙げ,『沈黙の町たち』(1903)で文学の不滅性を讃える。しかし,1906年のジャコーザ追悼文では,カンツォーネなどの定型詩が時代遅れだと述べる。 1889年の『快楽』の詩論で,11音節詩行の名匠ペトラルカは,詩の創作のインスピレーションの源泉とされる。1900年の『夾竹桃』は,ペトラルカがインスピレーションを与えた最後の重要な作品である。そこでダンヌンツィオは,ダプネーを月桂樹ではなく夾竹桃に変身させ,ペトラルカにはない官能性を付け加えた。 自伝的な『快楽』に描かれた若いダンヌンツィオの桂冠詩人の栄光への夢は,約10年後の『火』の作品の虚構の中で実現されることとなる。『コーラ・ディ・リエンツォの生涯』(1905–6)で桂冠を授与されるペトラルカは,社会の平和をもたらす使者のようである。 しかし,詩形と同じように,ペトラルカは桂冠詩人モデルとしても古くなり,1913年の『コーラの生涯』の序文では,20世紀の自由で大胆な詩人に相応しい激しい人生観が表明される。第一次大戦中,平和主義的なペトラルカはほとんど言及されない。戦後に出版された『鉄槌の火花』(1924)で提示される新しい桂冠詩人は,謙虚さではなく高慢さ,人間性ではなく獣性を特色とするものだった。 ダンヌンツィオとペトラルカは,桂冠詩人という外面においては共通していたが,社会観や人間観という内面については違っていた。それゆえダンヌンツィオはペトラルカを強く意識しながらも,あまり多くを語ることをせず,屈折した微妙な関係が深まっていったのである。
著者
藤野 敦子
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.155-176, 2013-03

国際労働機関(ILO)の条約の中に、1970年に採択された有給休暇条約(ILO132号条約)がある。本条約では、雇用者に3労働週以上の年次有給休暇が与えられ、そのうち少なくとも2労働週は連続休暇でなければならないと規定している。一方、我が国では、労働基準法39条に年次有給休暇制度が規定されているが、年次有給休暇は10日間から与えられ、それは連続休暇である必要がない。我が国の年次有給休暇制度は国際基準と考えられるILOの基準を満たしていない上に、2010年において、付与された平均年次有給休暇17.8日に対し、取得率はわずか48.1%であった。なぜ、我が国では有給休暇が取得されないのだろうか。我が国の年次有給休暇制度の問題点は何なのだろうか。 本稿では、このような問題意識から、我が国の有給休暇取得日数や1週間以上の連続休暇の取得に影響する要因を、筆者が2010年に正社員男女1300人を対象にWeb上で実施した「正社員の仕事と休暇に関するアンケート」から得られたデータを用いて分析する。分析結果をもとに、年次有給休暇制度がどうあるべきか政策的な示唆を導き出す。 分析の結果は、有給休暇及び連続休暇の取得は、企業の属性や雇用者個人の属性及び雇用者の家族状況に左右されることを示している。具体的には、大企業勤務者、専門・技術職についている者、配偶者も正規就業で働いている者に有給休暇の取得日数が多く、連続休暇も取りやすい。また、週労働時間が長い場合には有給休暇の取得日数を減らし、職場の人間関係のいいこと、年収が多いことは連続休暇の取得を促進する。さらに、年次有給休暇付与日数が多い雇用者ほど、有給休暇日数が多く取得され、連続休暇も取りやすいが、逆に有給休暇の保有日数の多い雇用者ほど、どちらも取得しない傾向が見られる。 これらの結果から、有給休暇を考慮した働き方の管理、雇用対策と組み合わせた代替要員の確保、ジェンダー平等政策の推進、余暇意識の醸成といった雇用環境や個人の意識を向上させる政策がいくつか提案できる。また、労働基準法で定められている有給休暇の次年度繰越の再考など、法そのものの改善についても示唆できる。
著者
高山 秀三
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.47, pp.279-320, 2014-03

三島由紀夫はゲーテやトーマス・マンに傾倒していたが,このことは必然的に彼らがその代表者だったドイツ教養小説の伝統に三島が何らかのかたちで影響を受けていたことを意味する。教養小説(Bildungsroman)はゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』やマンの『魔の山』のように,素朴な青年を主人公として,その内面的成長を描く文学ジャンルである。教養小説の主人公は人生の意味を探究し,教養Bildungを身につけようという人文主義的な理想を抱いている。教養小説は,市民階級興隆期の産物であって,その人生肯定的性格も当時の市民層のもつ楽観性から生じている。 三島文学にシニシズムや虚無感や破壊衝動が濃厚であることを考えれば,三島由紀夫と,根本的に理想主義と人生肯定を特質とする教養小説は一見まったくそぐわない。しかし,否定的な傾向を前面に押し出ている三島文学のなかにも生を肯定することへの志向はひそかに存在している。『潮騒』はその顕著な一例だが,おしなべて『仮面の告白』や『金閣寺』など三島の青年期の小説には,その自伝的な要素のなかに意外につよい教養小説的性格を読みとることができる。本論は,三島の青年期最後の記念碑的作品である『鏡子の家』を『魔の山』と比較しながら,そのひそかな教養小説的性格を明らかにしている。市民層没落の時代に書かれた『魔の山』は,『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』のようには明るい未来を予示する展開を持ち得ず,あくまでもパロディー的な教養小説になっている。同様に,『鏡子の家』もニヒリズムが蔓延する時代の芸術作品である以上,そこで人文主義的な教養理想が高らかに歌い上げられるというようなことはない。むしろ,三島由紀夫はこの小説を「ニヒリズム研究」の書であると公言している。しかし,この小説の執筆時において人生との和解を志していた三島が,この小説にひそかな教養小説的性格を与えたことは注目に値する。
著者
淡路 靖弘
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 自然科学系列 (ISSN:13483323)
巻号頁・発行日
vol.47, pp.35-49, 2020-03-31

本研究はACL 再建術で採用されるBTB 法(Bone- Tendon-Bone : BTB) とSTG 法(Semitendinosus/Gracilis : STG)の術後の経過及びパフォーマンス差異を検証したものである。多くのアスリートは競技中に膝関節の安定をもたらすのに重要な役割を果たす前十字靭帯を断裂させている。前十字靭帯の断裂によりアスリートは再び競技復帰するのに6 ~ 12 か月もの時間をかけリハビリテーションに励んでいる。より早くアスリートを競技復帰させるために医師は2 つの術法を選択する。一つは膝蓋????を用いるBTB 法で,もう一つは半????様筋????及び薄筋を用いたSTG 法である。筆者は2 つの術法を経過と共に観察し????痛レベル,筋力,下肢周囲径,下肢パフォーマンスに有意な差異を明らかにした。
著者
花岡 智恵
出版者
京都産業大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2014-04-01

選好パラメータは人々の行動を規定する重要な役割を果たしている。本研究では人々の選好パラメータがどのように形成されるのか、という観点から実証研究を行った。具体的には、第一に、若い頃の不況経験が選好パラメータに与える影響、第二に、子どもの頃の家庭での過ごし方や学校生活が選好の形成に与える影響、第三に、自然災害のような負のショックが個人の選好に与える影響を検証した。分析の結果、若い頃の経験が成人以降の選好に影響を与えていること、選好の形成には男女差があることが示唆された。
著者
松川 克彦
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
no.25, pp.119-143, 2008-03

大国による単独支配ではなく、複数国家間の勢力均衡あるいは国際協調を好むのはヨーロッパの伝統であった。しかしながら均衡を望ましいとするこうした傾向が、20世紀のヨーロッパにわずか20年の間隔で二個の世界戦争を発生させた。本稿は「均衡」追及の問題性の一例として、第一次大戦終了時におけるイギリスの政策と、それが現実にいかなる問題を惹き起こすことになったかということについて考察する。 第一次大戦中帝政ロシアは崩壊し、代わって臨時政府が、その後にはボリシェヴィキの政府が出現した。イギリスは当初、協商国としてのロシアの復活を試みるが、まもなくそれを断念してボリシェヴィキとの取引を始める。これが1920年には結局イギリスによる、ボリシェヴィキ政府承認につながるのである。 敵対関係よりは強調が、対立よりは和解のほうが望ましいとする感情は理解できるものであるが、このような協調を求めて始まった英ロの接近はロシアに隣接する諸国に深刻な打撃を与えた。ボリシェヴィキは、バルト諸国、ベラルシ、あるいはウクライナをロシアの国内問題として承認することをイギリスに要求し、後者はそれを承認したからである。ポーランドに関してもイギリスは、ロシアとの間で同様な取引を行うつもりであった。しかしながらポーランドはそのような取引によって自国の運命が決せられることを拒否して、ボリシェヴィキとの戦争に突入するのである。 ポーランドは首都ワルシャワをソヴィエト軍によって脅かされながら、辛うじてこれを撃退することに成功して勝利を収める。1920 年夏のこの戦いにポーランドが勝利したことによって、いわゆるヴェルサイユ体制が確定する。ヴェルサイユ体制とは具体的には、ポーランドの存在そのものであった。この体制を守ることが、イギリス、フランスに課せられた国際的な義務であったにもかかわらず、英仏両国は、ドイツにたいしてまたロシアにたいして無原則な妥協を繰り返してく。 そもそも戦間期とよばれる一時代が存在したこと、そしてそれはなぜわずか20 年で終了しなければならなかったのか。それは、英仏等のいわゆる大国が、勢力の均衡を求めることに急であり、第一次大戦後の国際体制であるヴェルサイユ体制を擁護しなかったこと、ポーランドが代表するような小国の権利を守ろうとしなかったところに原因がある。1.はじめに2.ポーランドの分割とロシア3.ボリシェヴィキとポーランド分割無効宣言4.ポーランド問題とイギリスの政策5.イギリスとボリシェヴィキ・ロシア6.ソヴィエト軍のポーランド侵略開始7.「ヴィスワの奇跡」8.まとめとして
著者
中西 佳世子
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 = Acta humanistica et scientifica Universitatis Sangio Kyotiensis (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
no.50, pp.231-244, 2017-03

ナサニエル・ホーソーンの故郷セイレムを舞台とする『七破風の屋敷(The House of SevenGables)』(1851)は過去と現在の連続性を前面に出した作品である。その序章の語り手は,本体の物語が代々のピンチョン家にふりかかる災いを描く「呪いの成就」の物語であると予告する。しかし,実際の物語は「機械仕掛けの神」を用いたかのように,ピンチョン家の末裔に唐突に訪れた幸運な結末で閉じられる。こうした序文と本体の矛盾および不自然な物語の結末は,この作品の欠陥とされてきた。しかし,物語におけるセイレムの噂をする「群集」の存在,ならびに物語を通して継続的に行われるプロヴィデンスへの言及に注目すると,ホーソーンが「呪いの成就」と「呪いの解体」という,相反する方向に進むプロットを巧妙に組み込んでいることが分かる。物語の語り手は,噂をする「群集」の側の視点で「呪いの成就」のプロットを展開させる一方,その「群集」とは距離をおき,彼らには知り得ないプロヴィデンスの計画があることを示唆しながら「呪いの解体」のプロットを展開させるのだ。本論は『七破風の屋敷』の噂をする「群集」とプロヴィデンスへの言及に注目することで,相反するプロットを持つ物語の二重構造を明らかにし,そこに提起される「個人」と「集団」の問題,および,作家と社会の関係性を考察するものである。
著者
朱 立峰 寺町 信雄
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
no.28, pp.115-139, 2011-03

本論文は、関(2002)論文が開発・提案した付加価値指標・輸出高度化指標とその偏差値・任意の2国の対米輸出競合度という分析ツールを用いて、日中韓およびASEANの工業製品(およびIT関連製品)の雁行形態的な対米輸出構造について議論したものである。扱った期間は1999年-2007年である。工業製品における日中韓ASEANの雁行形態的な対米輸出構造を示す統計的な輸出高度化指標の偏差値の順位は、期間を通じて高い順に日本→韓国→ASEAN→中国と変わらない結果をえている。他方、IT関連製品における日中韓ASEANの雁行形態的な対米輸出構造に関連する偏差値も、同様の順位を示す結果をえている。しかしながら、年の経過とともに、中国の対米輸出規模が多額になるに伴い、日韓ASEANの中国との対米輸出競合度は大きな数値を示すようになり、特にIT関連製品においては、日韓ASEANと中国とは補完的な関係というよりは競合的な関係を強くしているという結果をえている。関(2002)論文は、主に日本と中国の1990年-2000年における工業製品(およびIT関連製品)の雁行形態的な対米輸出構造について分析を行なっている。工業製品については大筋われわれと同じ結論であるが、IT関連製品については異なる結論となっている。
著者
時田 浩
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 = Acta humanistica et scientifica Universitatis Sangio Kyotiensis (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
no.49, pp.267-281, 2016-03

『頭痛肩こり樋口一葉』は井上ひさし(1934–2010)が1984年に執筆した戯曲である。音楽劇としての魅力と,女性だけ6人の登場人物たちの人生模様の切実さとが観客の興味を引いて,繰り返し上演される代表作となっている。 樋口一葉(1872–1896)は貧困の中に夭折し,一般には薄倖の作家として考えられているが,井上ひさしはそうは捉えない。この作品の中で,井上は一葉を悲劇のヒロインにはせず,むしろ作家としては幸福な生涯を生きたと考える。それゆえ作品は笑いのあふれる喜劇として描かれ,観客に登場人物に同化するのではなく,その生き方の意味を考えるように仕向けることが意図されている。 戯曲化する際には,一葉の小説『十三夜』や『にごりえ』を作品中に取りこみ,登場人物の結婚の現実をコミカルに描写したり,幽霊を登場させることで作品の世界の広がりを大きくし,世間全体を劇中に取りこむことに成功している。 女性6人のドラマというと,三島由紀夫の『サド侯爵夫人』が名高い。井上ひさしはこの人物構成を採りいれ,男性を舞台に1人も登場させないことで,当時の社会を支配していた男性原理を浮かび上がらせようとした。それは同時に一葉の文学の本質をも明らかにすることも可能にした。
著者
荒井 文雄
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 = Acta humanistica et scientifica Universitatis Sangio Kyotiensis (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
no.49, pp.465-491, 2016-03

東京電力福島第一原子力発電所の過酷事故から数年が経過し,放射能汚染地から避難した住民は,原子力エネルギー政策の継続を掲げる政府の方針によって,被災地の復興のために,ふるさとへの帰還をうながされている。この論考では,原発事故後の帰還と復興をうながす言説を,〈象徴暴力〉の観点から分析する新たなアプローチを取った。〈象徴暴力〉とは,フランスの社会学者ピエール・ブルデューによる概念で,被支配者が自分から支配を正当化して受け入れるメカニズムの中心をなす。帰還と復興を暗示的に推奨する新聞記事の分析をとおして,これらのメディア言説が〈象徴暴力〉の特性を持ち,その効果を発揮していることを示した。なお,「福島第一原発事故関連報道と象徴暴力(上)」では,論考全体のうち,前半部1~3章を分割してとりあげた。