著者
石上文正
出版者
人間環境大学
雑誌
人間と環境 電子版 (ISSN:21858373)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.1-16, 2016-03-31

2015 年6 月23 日、安倍晋三首相は、「戦後70 年沖縄全戦没者追悼式」に参列した。この行事を扱った英国のThe Guardian の記事を、「節合」ではなく「結合」という概念を用いて分析した。その結果、この記事の主たるテーマは、安倍首相・政権への批判であり、その理由・原因の第一は、平和憲法の解釈の変更を伴う安保法案制定の動きであり、第2 は、基地の過重負担とそれと深く関わっている基地移設問題であることが判明した。安倍首相への批判に併せて、安倍首相のイメージを悪化させるためのさまざまな手段(たとえば、安倍首相への戦争イメージの付与)が用いられている。同記事の最後に「性奴隷もしくは慰安婦」に関するトピックが結合されていて、「節合」概念を考えるために、この結合が「必然的」なものか「非必然的」なものかについても議論した。
著者
内藤 可夫
出版者
人間環境大学
雑誌
人間環境論集 (ISSN:13473395)
巻号頁・発行日
no.8, pp.1-13, 2009

『悲劇の誕生』の刊行直後に書かれている『ギリシアの悲劇時代における哲学』には、後にニーチェ独自の思想の中心ともなった「生成」を説くヘラクレイトスが解釈されている。ニーチェは解釈に際して「人格」の理解を求めており、一方、哲学体系自体は中心的なテーマになっていない。ハイデッガーによるこの解釈に対する批判は元初の思索に誤解を与えた点にある。だが、それにもかかわらず、ニーチェの古代ギリシアへの思索に意義があるのは、異文化のもっとも深い認識に達した人間の理解への試みを通じて、彼自身が、自分自身の内に全体的なものへと関わる仕方(人格のあり方)を見出そうとした点にある。ニーチェにとっての人格とは、理性と生の全体との関係のあり方のことを意味しているのである。
著者
倉田 亮
出版者
人間環境大学
雑誌
人間環境論集 = Human environments study monographs (ISSN:13473395)
巻号頁・発行日
no.1, pp.27-61, 2001-07-31
著者
吉田 喜久子
出版者
人間環境大学
雑誌
(ISSN:1348124X)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.17-28, 2007-03-31

宗教の死生観が問題とされる際、神道の場合は、現世を越える超越的価値をもたない所謂「現世主義」であるとされることはよくあるが、例えば仏教的立場からは、更にその現世主義に「心情的なニヒリズムの影」がつきまとっている、というような批判さえ提出されている。しかし、神道に対する「現世主義」という通念も、そこに「心情的なニヒリズム」を見出す捉え方も、神道における「いのち」を、人間の肉体的生命、乃至この世の生命というように誤解したところから生じている。人間も自然も、自分で生きているのではない、いのちに生かされて生きている、いのちの顕現である。そのようないのちとは、この世とあの世というような範疇のみならず、此岸とか彼岸といった、普遍主義的宗教の概念にも属せしめられない。神道の中核に「いのちの敬虔」を見た本居宣長の神道観は、そのことをよく表している。
著者
森 順子
出版者
人間環境大学
雑誌
こころとことば = Mind and language (ISSN:13472895)
巻号頁・発行日
no.8, pp.47-60, 2009-03-31

シェイクスピアが作品の中で主要人物に国有の名前をつけないということは稀である。 マクベスの妻は始めから終わりまで、マクベス夫人と呼ばれる。これはマクベスとマクベス夫人との緊密な関係を象徴するものである。二人は独自の方法で愛し合う。マクベスとマクベス夫人に特有な夫婦愛の実体を心理的な側面から分析解明する。
著者
岩崎 宗治
出版者
人間環境大学
雑誌
こころとことば (ISSN:13472895)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.45-53, 2007-03-31

イギリス・ルネサンスの1590年代、<ソネット連作>流行のなかで書かれたシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』には、ペトラルカ恋愛詩の愛の観念がアイロニカルに扱われている。だが、ここにはまた、家父長制の維持装置としての結婚観も、発生期の「個人主義的情緒愛」と結びついた結婚愛の理念も、共存している。さらに、そうしたエリート文化に対して、カーニヴァル的肉体としての乳母に象徴される民衆的な性愛の観念がある。そうした文化のダイアロジズムのなかで、恋人たちの悲劇的な死は、生と死と再生の循環のなかに回収される。
著者
坂本 真也
出版者
人間環境大学
雑誌
人間と環境 (ISSN:21858365)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.85-96, 2011-11-15

本研究では、スクールカウンセリングにおける教員研修としてPCAGIP法を用いた事例検討の実践から、その有効性や課題について検討することを目的とした。事例検討では、スクールカウンセラーはファシリテーターとして働き、他の参加者メンバーは自由で話しやすい雰囲気の中、討議を行った。本研修では、事例提供者の負担が少ないこと、さまざまな視点から事例Aへの対応を考えられたことなどの特徴が見られた。その結果、(1)スクールカウンセラーと教員間の連携強化やチームで関わる経験になったこと、(2)教員が学級経営や児童とのかかわりに関して予防的に関わっていける可能性を示唆した感想が得られた。また、今後の課題として、PCAGIP法による事例検討のプロセスを詳細に検討していく必要性が見出された。
著者
岩崎 宗治
出版者
人間環境大学
雑誌
人間と環境 (ISSN:21858365)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.73-84, 2011-11-15

シェイクスピアの『ソネット集』(一六〇九)は、一五四篇のソネット連作と三二九行の物語詩「恋人の嘆き」を併せて一巻として出版された。これはサミュエル・ダニエルの『ディーリア』の構成に倣って書かれた作品であって、全巻を一つのまとまりとして読むと、この詩集は愛の動因をキューピッドに帰するペトラルカ恋愛詩の伝統を棄てて、現実の人間の性的欲望を愛の動因とする恋愛詩集であると読める。このように愛の核心を欲望と認知することは、近代個人主義の一面と見ることができる。
著者
森 順子
出版者
人間環境大学
雑誌
人間と環境 (ISSN:21858365)
巻号頁・発行日
no.2, pp.31-43, 2011-11-15

シェイクスピアは『ジョン王』、『リチャード三世』、『コリオレーナス』において未熟な母親を描いている。未熟さはわが子との関係において生じる。いずれも未熟さに対し無自覚に生きた母親たちである。自分のこころを省みることのない母親は、こどものこころを慮ることもできない。しかし、この未熟な母親をこどもは受けとめる。そのこどもの姿をとおして見えてくるものがある。シェイクスピアの視線である。未熟な母親を切り捨てず、一人の人間として見つめる視線である。愚かな生き方をしてしまった人間に対する憐憫のこもった視線である。母子関係の観点から未熟な母親像を考察する。
著者
日比野 雅彦
出版者
人間環境大学
雑誌
こころとことば (ISSN:13472895)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.37-46, 2009-03-31

外国語を学ぶと文化の違いに気が付くことがある。とりわけ日常生活の表現にとまどうことが多い。専門的な内容を扱う語は一義的な意味しかもたないため問題は少ないが、日常語は同じような表現でも様々な意味をもつことが多い。また、生活に密着した食べ物や動植物にも表現に差異を伴うものが多く見られる。また、日本語は英語やフランス語と比べて擬音語が多いことも知られている。日常生活に関連する表現を調べてみると興味深い文化の様々な側面が見えてくる。
著者
奥村 和美
出版者
人間環境大学
雑誌
(ISSN:1348124X)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.27-33, 2003-03-20

『萬葉集』の漢字表現に初学書である『千字文』がどのような意識のもとに利用されているのか、『千字文』の出典としてのありかたを考察する。まず、アメツチを「玄黄」(巻13-3288番歌)と記すことについては、一般的な訓詁の知識によるものであって『平字文』を特に典拠としたとは言えないことを明らかにする。次に、月のミチカケを「盈呉」(巻7-1270香歌、巻19-4160番歌)と記すことについては、『千字文』を出典とし、李暹注に典拠として示される『周易』の文脈を十分に理解した上で、その典拠を短く圧縮したところの一種の佳句のように利用したと捉える。また次に、吉田宜の書翰中の「年矢」(巻五)という表現については、『千字文』を出典とするのみならずその李暹注を通して『論語』をも踏まえると考える。このように注をあわせてみれば、『千字文』は、引用すべき原典の要約版のように使われていると言えるのであって、それは類書の利用に近い側面をもつ。つまり、『萬葉集』において『千字文』は佳字佳句から成る類書的性格の書物として利用されていたと言うことができる。
著者
文野 峯子
出版者
人間環境大学
雑誌
(ISSN:1348124X)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.35-51, 2003-03-20

近年社会言語学,教育学,心理学などの分野において,「学習」に関する新しい観方が注目されている.新しい学習観は,従来の「学習=情報処理の過程」という観方を批判し,教室における教授-学習過程を,教師と学習者がお互いの意図を伝え合い解釈し合うことによって協慟でつくりあげる動的なプロセスであるととらえる.本稿は,日本語教育の教室談話研究においても,学習観の見なおしとそれに伴う新たな研究方法が必要であることを指摘する.従来のカテゴリー分析に代わる新たな方法論導入の提案である.本稿は,まず62秒間の授業を分析することにより,日本語の授業が動的なプロセスであること,すなわち予め決められたカテゴリーに当てはめる分析方法ではその実態の把握が困難であることを確認する.分析の結果,明らかにされたのは以下の3点である.1)授業は教師からの一方向的な伝達過程ではなく,きわめて複雑なコミュニケーションであること 2)授業の複雑な構造は,参加者全員が協働でつくりあげ維持していること 3)教師・学習者という役割分担やその場が教室であるということは,やりとりを通して可視化されてくること 本稿はこれらの結果を踏まえ,日本語教室の談話の解明には,教室におけるやりとりを動的なプロセスとしてとらえる視点が重要であること,そして変化するプロセスそのものに焦点を当てその意味を詳細に解釈・記述していく研究方法が必要であることを主張する.
著者
星 貴江
出版者
人間環境大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2014-04-01

本研究は、硬膜外麻酔による無痛分娩を選択した女性のself-esteemおよび育児に関する調査を行い、心理的ケアモデルの開発と試作を行うことを目的とした。今回の調査からは、硬膜外麻酔による無痛分娩を選択した女性は、自尊感情の低下がなく、産後うつ傾向が低いことが示された。無痛分娩を希望した理由は様々であったが、出産に対する満足度が高く、それぞれ無痛分娩での出産を肯定的に評価し、価値あるものとし認識し、自己概念を再形成し育児を行っていたと考えられる。妊娠中からの無痛分娩希望者へのケア体制、サポート体制の把握、また出産における対象の個々の体験を大切にし、支援していく必要性が示唆された。
著者
佐野 亘
出版者
人間環境大学
雑誌
人間と環境 (ISSN:13434780)
巻号頁・発行日
no.4, pp.17-29, 2001-01

近年、民主主義の促進を通じて環境問題を解決すべきとする主張がある。多くの環境問題が「官僚制の失敗」や「利益集団の圧力」によって発生しており、その解決には、一般市民の意見を政治の場に反映することが必要であるという。実際、岐阜県御嵩町のように、住民投票によって環境破壊がくいとめられることが少なくない。また、環境問題に対する市民の意識の低さも、民主主義の促進によってこそ改善される。地方分権がすすみ、住民投票がおこなわれることにより、人々は環境をめぐる決定に直面し、生活環境の重要性を再認識することになろう。だが、私見では、民主主義は常にあらゆる環境問題を解決できるわけではない。第一に、「環境」という価値と民主主義は必ずしも一致するわけではない。また、環境をめぐる問題はときに深刻な価値の対立を引き起こすが、民主主義はこのような対立を妥協に導くことはあっても、解決するものではない。さらに、民主主義の「境界」の問題がある。環境問題はしばしば政治的共同体の範囲を超えて、外国や将来世代にも影響を及ぼす。このような場合には、民主主義という手続だけでは環境問題を解決するには不十分だろう。
著者
内藤可夫
出版者
人間環境大学
雑誌
人間と環境 (ISSN:21858365)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.41-54, 2015-12-30

20 世紀最大の発見とも言われるミラーニューロンについて、その哲学的意味の解明の努力はほとんど行われていない。だが、存在概念や自我の否定という現代哲学の文脈から考えるならば、その重大な意義は明らかである。他者は人間にとってアプリオリだと言える。また、自我は他者の写しであり、存在概念も他者概念から派生すると考えるのが自然である。今後「概念」の概念自体もこの機能を手掛かりに考えられるようになるだろう。また、鉤状束の機能から、それらの持つ意味は畏れであると予想する事ができる。
著者
森 順子
出版者
人間環境大学
雑誌
こころとことば (ISSN:13472895)
巻号頁・発行日
no.1, pp.51-63, 2002-03

作家、宇野千代の九十九年間の人生は、絶対的権力者としての父親の存在を抜きにしては語ることが出来ない。それは恐怖心として、彼女の精神の髄まで刻み込まれる。父親の言葉によって植え付けられた自信喪失に懊悩し続ける中で、宇野千代がいかにして生涯、自分自身であることを希求して生き抜いたかを探る。
著者
川村 陽子
出版者
人間環境大学
雑誌
人間と環境 : 人間環境学研究所研究報告 : journal of Institute for Human and Environmental Studies (ISSN:13434780)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.27-35, 1998-07-31

Brown & Levinsonによれば、言語行動で人が相手とやりとりをする時の行為は、相手の面子(face)を脅かす可能性のある面子威嚇行為[Face Threatening Act (FTA)]であるという。したがって、対人コミュニケーションではこのFTAの度合いを緩和するポライトネスが求められる。本稿では、積極的配慮(positive politeness)と消極的配慮(negative politeness)の観点から、対人コミュニケーションにおけるポライトネスの諸相を考察した。さらに、積極的配慮と消極的配慮は、人間の発話行為(speech act)において、それぞれ個別的に実現されるものではなく、言語形式と発話内容の相互作用により複合的に実現されるものであることを示した。
著者
神谷 昇司
出版者
人間環境大学
雑誌
(ISSN:1348124X)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.1-16, 2007-03-31

平成十七年一年間の我が家の茶会記を淡交社刊『なごみ』に連載しました。「年間の道具の取り合わせをみて、茶会に対する思い・客への心づかい・季節の移ろい・茶道具の妙味・茶道具周辺の時代背景などを感じていただけると思います。茶の湯は、亭主と客の二人称で観客のいない即興劇が、時間的経過の中で展開されます。この茶室空間は、亭主の「創意・工夫」によって、あるときは主客の緊張した空間にも、寛いだ華やかな空間にもなります。一月はお正月のおめでたい「初釜」を、厳寒の二月は逆勝手「大炉(だいろ)の茶会」、三月は「ひな祭り」(上巳(じょうし)の節句)、四月は「桜の花見茶会」と進み炉を塞いで、五月は畳の上に風炉・釜を置く「初風炉の茶会」を五月節句でとりあげました。六月は岐阜・長良川の「鵜飼の趣向」、七月は「七夕」、八月は「涼味の茶会」、九月は「月をテーマ」に、十月は風炉の最後の季節で「名残の茶会」、十一月は炉の正月、炉開き・茶壷の口を解く口切の時期です。ちょうど父八十八歳、母八十歳、足して百六十八歳の「いろは茶会」を取り上げました。最後の十二月では利休居士の孫、元伯宗旦の命日に厳修する「遠忌茶会」で締めくくりました。今回は一月から四月までとしました。それぞれの茶会における亭主の思い入れを感じていただければ幸いです。
著者
石上 文正
出版者
人間環境大学
雑誌
こころとことば (ISSN:13472895)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.1-30, 2002-03-31

2001年9月11日の惨事に関わるブッシュ大統領の演説のフレーム分析を行った。とくに戦争に関する演説にしばしば活性化する二項対立フレームがいつ確立し、どのように変容したかを明らかにした。早くも惨事の夜に受け身型二項対立フレームが確立し、翌日にはさまざまな再定義が行われ、攻撃型二項対立フレームも確立した。また対立する二項には抽象化・拡大化・具体化・微細化等のさまざまな操作が加えられ、世界はさまざまなレベルで二分され、その対立が際だたされた。このテクストの分析から見る限り、惨事の翌日には軍事行動を決意したことがうかがえる。
著者
森 順子
出版者
人間環境大学
雑誌
こころとことば = Mind and language (ISSN:13472895)
巻号頁・発行日
no.1, pp.51-63, 2002-03-31

作家、宇野千代の九十九年間の人生は、絶対的権力者としての父親の存在を抜きにしては語ることが出来ない。それは恐怖心として、彼女の精神の髄まで刻み込まれる。父親の言葉によって植え付けられた自信喪失に懊悩し続ける中で、宇野千代がいかにして生涯、自分自身であることを希求して生き抜いたかを探る。Chiyo UNO was a Japanese novelist and essayist who lived for 99 years. She suffered from loss of self-confidence throughout most of her life under the emotionally abusive influence of her father. He was an absolute patriarch and continuously spoke ill of her dark complexioned face. He was a terror to her. The present writer would like to focus upon this emotional abuse and its effect upon her and to speculate upon how she overcame difficulties and tried to be mentally independent, striking out a path of her own in life.