著者
菅原 恵 北澤 一利
出版者
北海道教育大学
雑誌
釧路論集 : 北海道教育大学釧路分校研究報告 (ISSN:02878216)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.95-99, 2005-10-30

平成17年5月10日、介護保除法改正案が衆議院本会議で可決された。改正案の柱となったのは、要介護度が低い要支援・要介護1の人を対象に「新予防給付」を導入し、介護予防中心の筋力トレーニングや栄養指導を充実させることであった。そのねらいとして厚生労働省は、毎年10%ずつ増えている介護給村費の抑制と要支援・要介護1の認定者の増加を食い止めることを挙げている。これらの介護保険事業は、各市町村が地域の実情に応じた計画を立て、実施することとなっている。北海道教育大学釧路校保健体育科では、平成15年度より標茶町と協働して、同町で実施されている既存事業への参加や住民の健康・体カデータを保存管理し分析するシステムを開発するなど住民の健康管理のための合同事業を進めてきた。本稿では、標茶町で実施されている介護予防事業の実態について調査した結果を報告する。標茶町が実施した介護予防事業のうち、対象者の身体機能にはっきりと効果があったのは「転倒予防教室」であった。平成16年度に実施した転倒予防教室では、「レッグパワー測定」、「健脚度チェック」において、すべての参加者に15〜20%筋力向上効果が現れている。しかし、転倒予防教室以外の取り組みについては、はっきりした効果は得られなかった。今後もさらに重要視されていくであろう介護予防事業をよりいっそう効果的に展開していくためには、対象者へのフィードバックといった個人への対応も重要であるが、事業自体を評価していくシステムの必要性も高まっていくと考えられる。
著者
大塚 達也
出版者
北海道教育大学
雑誌
語学文学 (ISSN:02868962)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.1-10, 2006-03
著者
高橋 渉 三浦 聡美 長瀬 真知子 吉野 志織 大谷 裕香里 村山 雅子 原 智人 宇賀村 睦
出版者
北海道教育大学
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.33-39, 2001-02-09

「こどものじかん・りべろ」でミキちゃんが家以外ではじめてオシッコしたこと,マユちゃんが大声を出して泣くようになったこと,「ウレシパ共同作業所」でケースケ君が甘えるようになったこと,これら3名の子どもたちとのかかわりを通して,「のびのび」こそ,子どもにとって最も大切な育ち・育ての条件と思われることを述べた。常識的に困ったとされる行動であったとしても,大人から見た善し悪しで子どもの行動を性急に評価し規制するのではなく,その行動を今を生きる姿としてあるがままに受け止め,その行動を通して交わることが重要であることを述べ,また,実際の過程は多くの迷い,躓き,悔悟,感動,腹立ちを含むなまなましいものであることにふれた。
著者
小玉 恭子
出版者
北海道教育大学
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.33-36, 1986-03-15

交流教育の必要性が叫ばれている現在,交流保育も近年注目されつつある。このような社会的状況のなか本研究では,旭川聾学校幼稚部と旭川天使幼稚園との8年間にわたる交流保育の実践について,幼稚園側の視点から捉え,交流保育の成立過程および進展の様子をたどり,交流保育において保育機関の担うべき役割を明確にしていくことを目的として,両校の職員などの面接調査および交流保育実践の参加観察を行った。この交流保育は,自然なかたちでスタートして8年間経過しているが,黎明期・発展期・充実期を経て,その都度,実践的反省をくりかえしながら真の交流保育を目指している。この過程の分析から結果として得られたことは,両校の子ども達の間で友だちとしての意識がめばえてきたことや,子ども達だけの交流にとどまらず親にも交流の輪が広がってきたことである。これに加えて,子ども達の真の交流を願うなら,教師同士が忌憚なく意見を交わすことができる土壌をつくることが,交流保育の根底となるべきであるということが明らかとなった。保育機関では,このような交流のなかから,子ども達相互の正しい理解と仲間意識をもたせることが可能である。しかし,交流の本当の成果というのは,それを義務教育の場,さらには広く地域社会へもつなげてゆけるような子ども達の育ちをみとどけた時に確証されるものと考える。
著者
宮城 信也
出版者
北海道教育大学
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.53-56, 1987-03-15

本論は自閉児が家庭や学校などでどのような危険な場面に遭遇しているのか,それに対して親や教師はどのような指導をしているのかについて,親,教師(幼稚園,小・中情緒障害学級,精薄養護学校)への面接調査を行ったものである。調査対象は親については軽度14名,中度8名,重度4名,計26名,教師については幼稚園2校,小・中情緒障害学級5校,精薄養護学校(附属の寄宿舎含む)2校である。主な結果は次のとおりである。家庭にあっては,行方不明,とびだし,危険な場所での遊びなど多くの危険例が認められる。障害程度別に見ていくと軽度の場合,2歳から6歳までが多くの危険にさらされている時期である。中度の場合,異食,自傷行為を除くと軽度と同じ傾向である。重度の場合,他傷行為のような危険例は少ないが,生活年齢が高くなっても多くの危険にさらされている。学校場面においても,障害の程度によって多様な危険例が示され,通級制情緒障害学級と精薄養護学校では子どもの危険な行動,それに対する安全指導,教師の指導上の悩み,などにちがいが見られ,通級制情緒障害学級での危険は比較的少ない。精薄養護学校では,行方不明や火遊び,他傷行為などに多くの配慮を必要としているが,子どもの内面の理解による危険発生の予防,教職員のチームワークによる対応がなされている。
著者
竹内 康浩
出版者
北海道教育大学
雑誌
釧路論集 : 北海道教育大学釧路分校研究報告 (ISSN:02878216)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.87-93, 2003-11-30

先に私は『「正史」はいかに書かれてきたか』を著わし、中国の歴史書の成立とその編纂の伝統について若干の考察を試みた。そこにおける問題意識は、中国歴代王朝において執念とでも言うべき情熱を以て行われた正史編纂事業の持つ意味と、正史を編纂するに当たって設けられたさまざまな基準、とを中心とした。しかしそれら以外にもまだ問題がある。即ち、過去に実在しなかったものを実在したかのように記しながら、しかしそれを書いた人物が「捏造」意識を全く持たなかったであろう書き換えが、実は歴史書の中には極めて多数存在するのである。実際には存在しなかった人物が活躍し、実際には存在しなかった地名が各地に散在することとなっても、編纂者はそれを程遠として意識せず、それどころかむしろ細心の配慮を以て書き換えを励行したのである。その書き換えは、編纂者の個人的主観によるものではない。中国に古くから存在する「避諱」という習慣に基づくものである。「避諱」は単なる習慣というレベルを越えて、「同時代の常識による無意識的な表現様式」として、著作を始めあらゆる表現行為に対して影響を与えている。従来は、歴史書編纂という行為について、まさにその「歴史」に関わるという特別な営みの面を余りにも重視してきたのではないであろうか。歴史書編纂という行為に対しても、表現行為一般の中における位置づけを正当に与える必要があり、そのために、過去における「無意識的な表現様式」の部分にも光を当てねばならない、と考えるものである。まさにその問題提起として、本稿は、「避諱」という習慣を取り上げて検討を加えるものであり、まず、その問題意識と方法論とを提示するものである。
著者
佐藤 毅 岡崎 勝博 菅原 恵 造田 哲也 北澤 一利 小澤 治夫
出版者
北海道教育大学
雑誌
釧路論集 : 北海道教育大学釧路分校研究報告 (ISSN:02878216)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.89-94, 2005-10-30

近年、子どもたちの生活には睡眠不足や食生活の不適切などが見られ、そうした問題が子どもたちから快活さを失わせている。北海道は自然に恵まれた生活環境にあるが、子どもたちの生活や健康あるいは体力の実態には懸念もされている。そこで、道東の中学生の生活がいかなるものかを明らかにすることを目的として本調査を行った。その結果、東京都内の中学生と比較して北海道内の中学生の方が健康状態は悪いと感じている生徒が多く、特に「眠い」と感じている割合が大変高かった。その原因は就寝時間が遅く、睡眠時間が6時間以下という生徒の割合が30%以上であるということが考えられる。その他に感じている症状としては、「目が疲れる」「考えがまとまらない」「いらいらする」などがあげられた。さらに、道内中学生は学習意欲についても低く、その理由としては「気分がすぐれない」「体調が悪い」といったものが多くあげられている。「勉強や宿題」「友人関係」など精神面に関わるものより、健康状態に関わった理由が多いのは、慢性的な睡眠不足が影響を及ぼしていると考えられる。また、体力測定の結果から道内中学生は筋力や瞬発力は優れているが、持久力が劣っていることがわかった。瞬間的に力を発揮することはできるが、健康状態の悪い道内中学生は、長い時間力を出し続けること、がんばり続けることが苦手であるということが考えられる。今後、学校においては生徒の生活習慣改善を図る指導や、家庭への啓蒙を継続的に行っていく必要がある。さらに、体力を向上させる体育の授業の構築を継続的に行っていくことが重要である。
著者
畑中 雅昭 中保 仁 岡 信恵 亀淵 興紀 笠井 保志 白川 理恵 富田 晃子 長 和彦 古川 宇一
出版者
北海道教育大学
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.79-90, 1998-02-10

本報告では,旭川市内にある小学校特殊学級の自閉的傾向と診断された男児へのIEP(個別教育計画),TEACCHプログラムの考え方を取り入れた関わりについて述べたものである。朝起きてから家を出るまでの特に歯みがきと洗顔を中心とした行動の習慣化をめざし家庭での指導とその支援を工夫した。少しずつだが自発的に行動がみられるようになってきた。個別学習ではコミュニケーション能力の向上をめざして課題や指導の工夫を続けた。課題が終わると,「まるをつけてください」と言葉で要求したり,動作を表す言葉を理解したりすることができるようになってきている。
著者
河島 淳子 高橋 知恵子
出版者
北海道教育大学
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.1-10, 1997-02-07

河島の20数年にわたる自閉症児指導とトモニ療育センターにおける河島・高橋による実践をもとに,自閉症児の算数指導の実際を述べた。算数指導はたんに数量の理解にとどまらず,言語理解,対人関係,生活指導面でも重要な指導内容を含んでいることを指摘し,指導の具体的な方法を示した。
著者
佐野 比呂己 本橋 幸康 井口 貴美子 太田 幸夫 大村 勅夫 菅原 利晃 花坂 歩 谷口 守 増子 優二
出版者
北海道教育大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2011

これまで研究されてこなかった柳田国男監修高等学校国語科教科書について、その所収教材を中心に研究を進めてきた。所収教材そのものを分析、考察するとともに、分析・考察をもとに、研究協力者である高等学校教員との連携により高等学校国語教室での実践を行った。実践を検討する中で、教材としての有用性、問題点を抽出し、教材価値の検討を行い、時代は経過しても現代の高校生の国語教室において価値ある教材であるという共通認識を持ち、実践研究報告を学術雑誌に投稿、掲載された。
著者
早瀬 伸子 横山 桂子 五十嵐 慈保子〔他〕
出版者
北海道教育大学
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.57-64, 1997-02-07

1996年度,親の希望も参考にして個別指導目標を作成し,その具体的な指導の手だてを考え,学習時間,休み時間,給食時間,清掃時間などに継続して個別に指導した。二学期末に,児童はチャイムがなると学習の用意をし,静かに課題に取り組むようになった。3年のD君は,一学期一時間に何度も教室から飛び出し,自分の好きな所に行こうとし,それが阻止されると叩いたり噛じった。二学期末には,絵カードでトイレやパソコンなど自分のしたいことを伝え,指示や課題に素直に取り組むようになり,教室から飛び出さなくなった。2年のAちゃんは,一学期は突然泣き出したり,人を叩いた。二学期末には,泣き出すことが少なくなり,級友と追いかけっこをし,課題に取り組むなど予想以上の成果を得た。
著者
西 香寿巳
出版者
北海道教育大学
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.87-90, 1988-03-15

精神発達遅滞を伴う子どもには,食生活上の問題を持つ者が多く見られ,食事指導は障害児教育の重要な課題の一つである。本論は,偏食傾向の激しい児童の食事指導と,食事行動の変容過程,他の面での成長や変化をまとめたものである。対象とした子どもは,T養護学校の小学一年生,M児,中度精神遅滞で,身辺自立は一応できているものの,強い偏食傾向があった。4月からのT校及び寄宿舎での日常生活の指導・食事指導によって,偏食は著しく減少した。偏食の改善は,Mの行動が意欲的になったこと,表情が明るくなったことなどと,並行してあらわれている。又,教師や友だちへ自らかかわりが,持てるようになってきている。食事指導の特徴は,単に食事行動の改善にとどまることなく,同時に人間同志のかかわりを持つことを狙いとしており,愛情深く厳しく行われる。T校の食事指導には,人間関係を育てる重要な役割が含まれている。
著者
明神 もと子
出版者
北海道教育大学
雑誌
釧路論集 : 北海道教育大学釧路分校研究報告 (ISSN:02878216)
巻号頁・発行日
vol.36, pp.77-83, 2004-11-30

ヴィゴツキーの心理学理論は現代の幼児教育に対しても、重要な視点を提供している。子どもを生まれながら社会的存在ととらえ、大人との、また、子ども同士の相互作用の発達における役割を強調する。現下の発達水準ではなく、発達の可能な水準に焦点をあわせた、大人による援助が子どもの発達を促進するという観点は、子ども中心か教師中心の一方の教育方法に傾きやすい日本の幼児教育に多くの示唆を与えている。幼児教育は子どもの心理発達を理解せずにはなりたたない。しかし、発達理論と教育実践の結びつきの必要性は叫ばれても、そのような研究は少ない。心理学で子どもの心理発達を理解しても、それがすぐに、教育方法や評価にむすびつかないからである。ヴィゴツキーの理論は、発達と教育を統一し、幼児教育の独自性を明確に表現している。本稿ははじめに、学会発表をもとに、日本の幼児教育に果たしている心理学研究の実態と課題をしめした。ついで、ヴィゴツキーの就学前教育に関する報告の概要を述べ、そのなかから、発達の最近接領域と幼稚園の指導計画に関する課題をとりだし、日本の研究者の見解もまじえながら考察をした。日本の幼児教育には、子ども中心主義の理念のもとで、系統性を欠くプログラムになり、保育者の指導性があいまいにされていることや学校との連続性が配慮されていないことの問題がある。これらの解決のためには、ヴィゴツキーの就学前教育のプログラムを「自然発生的-反応的タイプ」と特徴づける考えから多くを学ぶことができる。