著者
山田 美香
出版者
名古屋市立大学
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.83-95, 2008-06

本論文は、植民地時期台湾における少年刑務所行刑をふまえ、看守、教誨師について論じるものである。とくに刑務所内で教育に従事した教誨師や看守がどのような経歴を持っていたのか、また警察官及司獄官練習所について論じる。それによって彼らが行刑教育に如何に関わったのかを明らかにする。台湾では、看守となる者の経歴は多様であったが、基本的に刑務所看守という職業の性質上、軍隊経験者、台湾に通じた者が採用された。他の職業から中途採用されるルート、本願寺から派遣された者が本願寺ルートを通して登用試験を受けることなく、総督府の看守となるというルートもあった。また、少数の看守を選抜した監獄官練習所・刑務官練習所では、看守にできる限り法治主義に基づく法律の講義、現地に融合するための台湾語の習得に時間を割いた。教誨師は、本願寺派が多数を派遣した。
著者
森 哲彦
出版者
名古屋市立大学
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.1-14, 2008-12-23

カントの哲学フレーズに「人は哲学を学ぶことはできない...ただ哲学することを学びうるのみである」(B866)とある。カントのいうこの「哲学を学ぶ」とは、知の認識偏重に対する諫めのことで「哲学すること」とは、哲学を通しての思考を求めていることである。カントも前批判期で苦闘して道を開いたように「哲学すること」は、哲学と哲学史の相互関係問題でもある。つまり「哲学すること」にとっては、誰かの根源的なものを問う哲学や人間社会の現実を思考する思想を手掛かりとして、歴史的に対話することが問題となる。従って「哲学の過去に立ち戻ることは、常に同時に哲学的自己省察と自己反省という行為でなければならない」といえよう。さて十八世紀後半のカントが課題とする理性、人間、人格、平和、啓蒙、多元主義をめぐる諸問題は、今日的課題とある種の類似関係がある、と思われる。そうだとするとこのような問題意識を自覚するために、本論では、カント批判哲学の理性哲学、実践哲学、美学、宗教哲学、そして人間学を解明るものである。なおカントは、今日に至るまでドイツや日本のみならず世界的にも、多くの市民により、高く評価されてきている。では人々を引き付けて止まないカントの偉大な精神とはなにか。まず第一は、批判の精神といえよう。カントの批判精神は、恣意的、独断的見解や懐疑的見解を退け、厳密な思考により、対象を全体的な関連から明晰に解明する。つまり批判とは「書物や体系の批判のことではなく、理性が全ての経験に依存せずに切望するべく全ての認識に関してのことであり、従って形而上学一般の可能性もしくは不可能性の決定、この学の源泉、範囲、限界を規定」(AXII)することにより、普遍的なものを求める精神である。第二は、人格尊重の精神である。カントによれば、理性的存在者としての人格は、相対的価値しかもたないものから区別され、目的自体として絶対的価値をもつとする。つまりカントは、人間尊厳の根拠のために、普遍的な道徳的法則を立て、理性自ら立法する自律的、理性的人格を確立する。その理性的人格は、良心の声、絶対的な道徳の声、道徳的義務の声を要請する。そしてこの道徳的義務の使命を発するところの人間を尊ぶカントの人格主義が、カントの名を不朽のものにしているのである。
著者
手嶋 大侑
出版者
名古屋市立大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2017-04-26

平成29年度は、平安時代中期における皇族・貴族の荘園と国司の任命権である年官の関係を分析した。その結果、平安時代中期における皇族・貴族は、年官を利用することによって、地方有力者との人的ネットワークを形成・良好化し、彼らに荘園管理を任せることで、安定した荘園経営を実現させていたことを明らかにした。これまで、平安時代中期の地方社会の説明は、国司長官による支配という文脈で語られてきた。しかし、本研究の成果により、これまで不明瞭であった平安時代中期における皇族・貴族領荘園の様相が具体的に明らかになったことで、当該時期における地方社会の在り方に対する従来の理解に新たな知見を提供することができた。この点は大変意義あることだと思われる。それと同時に、この研究では、中央と地方を一体的に捉えて荘園を検討しており、中央と地方の連関を具体的に実証した点にも意義がある。これは、これまでの学説に再検討を迫る意味を持っている。また、本研究では、任官史料と荘園史料を組み合わせて考察する方法を採用しており、この研究方法はこれまで無かったものである。そして、この研究方法によって成果が得られたことにより、この方法が有効であることを実証することができた。このことは、近年、停滞気味であった平安時代の荘園研究に新たな研究視角・方法を提供したことになり、これによって、荘園研究が進むことが予想される。この点においても、本研究の成果は重要であると考えている。
著者
日沖 敦子
出版者
名古屋市立大学
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.170-151, 2006-01-10

今日、西国三十三ヵ所観音順礼二十二番札所としても知られる総持寺(茨木市)に伝わる縁起絵巻は『今昔物語集』以後、多くの説話、物語に所収される藤原山蔭説話を伝える一縁起として名高い。尾崎久弥氏による全文翻刻紹介により、茨木市総持寺蔵『総持寺縁起絵巻』の存在が広く知られるようになって以降、梁瀬一雄氏によって、全体的な藤原山蔭説話の整理が試みられ、その後、星田公一氏によって、さらに、説話、縁起史料の発掘と整理が試みられた。池上洵一、金谷信之氏によっても検討が重ねられ、これらの諸先学により、藤原山蔭説話の体系的把握が可能となった。また、本絵巻を含め、藤原山蔭の一連の説話文学研究は、お伽草子『秋月物語』や『鉢かづき』を検討するうえでも極めて重要な課題である。これらの諸先学に続く研究として、各縁起の基礎的研究がまず第一の課題として挙げられよう。近年の注目すべき研究として、平安鎌倉期の総持寺と世俗権力の様相について言及した岡野浩二氏の御論が挙げられる。各時代の社会構造が文学に与える影響を考える上でも本史料は貴重なものとなろう。本稿では、「総持寺縁起」研究の端緒として、未だ広く紹介されることのなかった茨木市常称寺に所蔵される『総持寺縁起絵巻』の紹介を試みる。
著者
奥村 太志
出版者
名古屋市立大学
雑誌
名古屋市立大学看護学部紀要 (ISSN:13464132)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.47-55, 2002-03
被引用文献数
3

本研究は,退院の意向を持ちながら,10年以上の長期入院に至っている2名の精神分裂病患者が持つ,現状や退院に対する意識の特徴について,半構成的面接を通して述べられた患者の体験に基づいて検討したものである。その結果,以下の点が明らかになった。1)患者は,退院が現実的に困難な理由として,社会資源利用についての情報が不足していることや,家族の状況として受け入れが難しいことを認識していた。2)患者は,保護的環境である病院の中で,病院に順応するという形で無理をしない生き方を獲得してきたにもかかわらず,社会に適応するための準備をするという意味では無理をしなくてはならないという矛盾を抱えていた。つまり,今の自分にとって社会復帰が実現不可能かもしれないという自己評価の低下が,リハビリテーションなどへの活動意欲の低下へとつながり,現実には長期入院に至っていた。3)患者は,自分自身が入院に至った理由を病気によるものではなく,家族や周囲の理解不足や,生育暦に影響された自分の対応のまずさにあったと考え,さらに長期入院という経過そのものが,自分の社会適応を阻んでいるとしていた。同時に,過去の体験を消化できず,未だに拘り続ける自分を認識しており,それが現実レベルの不安となり,対処方法が見つからずにいた。4)患者は,面接を通して,病院の中でどのような生活をし,どのような体験をしてきたかを言語化することによって,客観的に自己を捉え,現状を認識し,洞察することができたと考えられた。
著者
森 哲彦
出版者
名古屋市立大学
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.1-11, 2008-06

カントは、1760年代前半の独断的、論理的形而上学期において、伝統的なドイツ形而上学に依存しつつも、真に自立した形而上学者の立場を表明する。統いて1760年代半ば以降の経験的、懐疑的形而上学期では、ドイツの伝統的哲学と関わりながらも、研究に社交的文明精神を導入することにより、人間学的観察と道徳的原則の探究を行うものとなる。このようなカントの新しい思想的「変化」は「カントにおける一つの革命」と評される。本論で取り上げる著作『美と崇高の感情の観察』1764年においてカントは、当時ドイツで紹介されていたイギリス道徳哲学、とりわけハチスンの道徳感情論を取り上げ、伝統的な哲学者としてよりも観察者の眼をもって「美と崇高の感情」に現れる様々な諸相を、美学的、人間学的に分析する。だが文明化した社会の「多様性のただ中の統一性」を観察するイギリス道徳感情論にカントは満足せず、文明化した人間社会を批判するルソーの思想に出会い、新たな転向を迎えるものとなる。カントがルソーの思想を取り上げる著作は『美と崇高の感情の覚書』1765年である。この著作は、前著作『観察』の余白にカント自身によって書き込まれた種々の断片的な文章により構成されている。そこにおいてカントは、ルソーがいうように堕落した文明を批判し、単純で自足した自然にもどることを、提唱するのではなく、文明化した社会を人間、自然、自由、および意志の完全性により啓蒙し、新しい道徳的原則を、志向しようとするものである。
著者
佐藤 滋正
出版者
名古屋市立大学
雑誌
オイコノミカ (ISSN:03891364)
巻号頁・発行日
vol.42, no.3, pp.79-103, 2006-03-01