著者
ENDO Gen
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan series B (ISSN:18834396)
巻号頁・発行日
vol.96, no.1, pp.1-24, 2023-09-30 (Released:2023-09-29)
参考文献数
44

This study aims to revisit the claim of the “supermarket revolution theory” that modern retail formats leverage commercial standards, such as Good Agricultural Practice (GAP), to govern the production and distribution of fresh produce in developing countries. Using mangoes for export in Thailand as a case study, an empirical analysis was conducted focusing on the actual situation of GAP certification in Thailand and the role of producer organizations in mango distribution. The results revealed that the GAP certification system has not been thoroughly implemented. Even small-scale farmers who are not GAP-certified avoid this problem by organizing, and producer organizations play an important role in intermediate distribution. Conversely, large retailers and exporters also rely on the intermediate distribution function of producer organizations to source mangoes. In other words, Thailand’s mango production and distribution system, rather than being a “preferred-supplier system” led by large retailers, has a complementary relationship between the suppliers and retailers.
著者
青野 寿彦
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.41, no.5, pp.344-349, 1968-05-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
8
著者
Thi Thu Ha DUONG Doo-Chul Kim
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan series B (ISSN:18834396)
巻号頁・発行日
vol.95, no.2, pp.69-82, 2022-12-29 (Released:2022-12-28)
参考文献数
39

This study aims to analyze the results of Vietnam’s land consolidation program of 2006 and to explore why it remains incomplete through a case study of Binh Dao Commune, a typical coastal plain commune in the country’s central region. Using a geographic information system, combined with secondary data and in-depth interviews with stakeholders, we created digital maps of the spatial structure of farmland parcels and rural infrastructure before and after the land consolidation program to determine the changes therein. In parallel, a clearer picture of the land consolidation program’s implementation mechanism is presented. The findings show that the land consolidation program in Binh Dao Commune contributed to a decrease in the average number of plots per household from 7.9 to 4.2; however, the change in the average farm size was not significant, with a mean increase of only 16.4 m2 per household, from 2,071.2 m2 to 2,087.6 m2. The agricultural road and irrigation systems in Binh Dao Commune were also significantly improved as a by-product of land consolidation. However, the fragmented classification system of agricultural land stemming from the principle of equality redistribution by the socialist agricultural revolution led to the program’s incomplete results.
著者
丸本 美紀
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100076, 2013 (Released:2014-03-14)

1. はじめに榧根(1989)によると、「気候は『寒暖』と『乾湿』によって表現できる」としている。奈良盆地と京都盆地はKÖPPENの世界の気候区分によると同じ温暖湿潤気候区に属し、日本の気候区分でも同じ瀬戸内気候区の東端に属している。また、地形においても両地域は盆地であるため、盆地気候を有していることも同じである。その上、両地域は隣接しており、その間は標高120mほどの丘陵で区切られているにすぎない。しかし、古代より奈良盆地では「干ばつ」が多発し多くの溜池が築造され、一方、京都盆地では夏の蒸し暑さや大雨・洪水というかなり異なった気候特性を持っている。そこで本研究では、両地域における気候特性、特に乾湿に注目し、奈良盆地と京都盆地の気候の乾湿がどのように異なるのか、気候学的水収支の解析を行った。2. 研究方法一般に、「ある土地における気候」を表現するものとして、気温と降水量の平年値から作成した雨温図やハイサーグラフなどが使用される。しかし、各気候要素の季節変動が、毎年平均値と同じような変動をするとは限らない。また平均値では災害となりやすい高温と低温、あるいは大雨と少雨が相殺されてしまう恐れがある。そのため本研究では、奈良地方気象台と京都地方気象台における1954年~2012年の日最高気温月平均値と月降水量を用い、平年値と毎年の年候的ハイサーグラフを作成し、比較を行った。また気候学的水収支は、Rf =P-E (Rf:流出量、P:降水量、E:蒸発量)で示される。本研究では、Thornthwaite法を用いて、 奈良と京都における最大可能蒸発散量と実蒸発量、水分余剰量、水分不足量を求め、両地域の年候的比較を行った。データはハイサーグラフと同じ奈良地方気象台と京都地方気象台の1954年~2012年の月平均気温と月降水量を使用した。3. 解析結果ハイサーグラフの平年値と毎年のグラフからは、平年値と同じような気候がほとんど出現しないことが分かった。また奈良と京都の比較では、おおよそ毎年冬季の気候が同じであるのに対して、夏季の気候、特に降水量が異なるということが分かった。Thornthwaiteによる蒸発散量の解析では、年間の水分余剰量はほぼ奈良よりも京都の方が多く、これが両地域における乾湿の差に反映していると思われる。このような乾湿の差は、両地域における瀬戸内気候の影響の違いと考えられる。今後は、両地域の気候において、さらに影響を及ぼしていると思われる盆地気候がどのように異なるのか、気温の年較差・日較差から解析を行う予定である
著者
山本 荘毅
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.51, no.7, pp.517-527, 1978-07-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
90
被引用文献数
1

The author summarized a history of development of groundwater hydrology in Japan. In general, the historical development of hydrology can be viewed through a series of periods and through series of events and articles such as number of books, papers and theories related to groundwater studies. Correlating to the historical division of Chow, Ven Te and that of Hida, N. et al., he proposed the division of development of groundwater hydrology in Japan as follows: a) Period of noninterference study (_??_1940), I-II1 b) Period of study of researcher's own free will ('40_??_'50), II2 c) Period of study under governmental readerships ('50_??_'55), II3 d) Period of cooperation with government and researcher ('55_??_'60), II3 e) Period of independant and free study ('60_??_date), IIISince these periods may overlap, their time division should not be considered exact. Generally speaking, all stages correspond to that of Chow's but those begin on about ten years later than those of western one. He tried to explain such a stage of development by political and socio-economic situations and stimulation of UNESCO's IHD. Because groundwater science is an interdisciplinal and practical science for needs of water resources in a country. Finally, he pointed out present problems of modern groundwater sciences on data with regards to accurracy, collection and coordinations, terminology and its redefinition, and groundwater law in Japan.
著者
山本 晴彦
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100241, 2014 (Released:2014-03-31)

1.日露戦争の開戦による臨時観測所の開設日露戦争に際して軍事並びに航路保護の目的から、1904年3月の勅令第60号により、中央気象台(現在の気象庁)の管轄のもとに5月までの間に臨時観測所が釜山(第1)、木浦(第2)、仁川(第3)、鎮南浦(第4)、元山(第5)に設置された。関東州においても、その直後の8月に青泥窪(第6、大連)・営口(第7)、翌年には戦火の拡大により4月には奉天(第8)、5月に旅順(第6・出張所)と順次設けられた。さらに、朝鮮には城津(第9)、樺太には九春古丹(第10、大泊)にも臨時観測所が開設され、計11ヶ所の観測所は日本の中央気象台臨時観測課)が統轄した。また、清国には臨時観測員を日本領事館に派遣し臨時出張所(芝罘、天津、杭州、南京、漢口、沙市)を開設した。2.東清鉄道(北満鉄道)による北満気象観測ロシアにより北満で連続的に気象観測が開始されたのは哈爾浜の1898年が最初で、少し遅れて1903年に鉄道沿線の数ヶ所で、その後測候所は漸次、数が増えていった。「北満農業気候概論」では、哈爾浜は1989年から、満洲里、海拉爾、免渡河、扎蘭屯、斉々哈爾、一面坡、牡丹江、太平嶺は1908年から、その他の観測所は全観測期間の観測資料が掲載されている。なお、一部の表では、博克図、安達、哈爾浜農事試験場、三姓、密門、愛河農事試験場、延吉も含め、計16ヶ所の観測所の気象概要が記載されている。多くの測候所は東清鉄道沿線に位置するが、三姓と延吉のみが例外的に沿線より外れている。1935年3月、北満鉄道は満洲国に譲渡されることとなり、これらの気象観測所と観測記録は満洲国中央観象台に引き継がれた。3.関東州における気象観測施設の変遷1906年7月、関東州に関東都督府を置く「関東都督府官制」が制定され、9月からは文部省が管轄していた中央気象台の臨時観測所は関東都督府へ移管され、大連、営口、奉天、旅順の臨時観測所は測候所に改称された。本台の大連観測所には技師1人、技手4人、営口・奉天・長春・旅順の各支所には技手1人のみの配置で、わずか9人で関東都督府観測所の本台と各支所の観測業務が行われていた。1926年6月には「関東都督府観測所」が「関東庁観測所」へ改称され、前年の1月からは南満洲鉄道株式会社の委託観測所での観測記録の整理、無線電信に関する気象業務が加わっていることから、徐々に増員が図られている。1929年9月には上層気流観測も加わっている。1934年12月には「関東庁観測所」が「関東観測所」に改称され、四平街でも観測所が開設され、1938年にはら関東気象台に改称され、技手が22名と当初の3倍弱の人員にまでに増員されている。なお、後述するが、満洲国中央観象台が1933年11月に創設され、奉天・四平街は移管、長春(新京)は新設されたが、周水子(大連飛行場出張所)、海洋島、貔山窩、普蘭店に測候所が開設されて、航空気象を中心に充実し、技師9人、属4人、技手45人の58人の体制となっている。4.南満洲鉄道株式会社における気象観測施設の開設1906年に設立された南満洲鉄道(株)は、1909年の熊岳城を初めとし、鉄道沿線の附属地に農事試験場・試作場・事務所を開設し、農業試験研究における業務内容の一部に気象観測を附設していった。1931年には、公主嶺、鳳凰城、鄭家屯、洮南、開原、斉々哈爾、敦化、林西、海龍、哈爾浜、海倫、遼陽の13ヶ所にまで拡充された。本観測記録は、「産業資料第35輯 第三次 満洲農業気象報告」など3冊に纏められ、中央観象台の気象資料にも掲載されている。5.満洲国中央観象台の創立と変遷 当初は関東観測所の長春(新京)支所を借りて気象業務を開始したが、関東軍参謀部の満洲国観象機関設置計画により、国防上きわめて重要な満洲北部の満ソ国境の黒河と満洲西部の海拉爾の地方観象台の整備を1934年に先行させ、翌年には新京の南嶺地区に本台が整備された。創設当初は、台長以下、技正3人、属官3人、技士6人のわずか13名の人員体制であり、日本の測候所クラスの規模であった。1935年には7ヶ所(富錦、綏芬河、満洲里、克山、赤嶺、興安、哈爾浜)、翌1936年は6ヶ所(牡丹江、索倫、延吉、承徳、密山、東寧)に観象台・観象所が開設され、定員も約60名まで増員されている。以降、毎年のように観測台・所の開設による測候職員等の増員が図られ、1940年には340名となり、北満の満ソ国境付近の鷗浦、呼瑪、佛山、羅子溝にも観象所が相次いで開設されている。これにより、1943年は458人、1944年には716人にまで職員が膨れ上がっている。
著者
松沢 光雄
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.39, no.9, pp.618-624, 1966-09-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
1
被引用文献数
2

(1) 渋谷繁華街を繁華街核心域(中心回遊路・回遊路内包域),回遊路外接域,周縁域の3地域に区分する. (2) 副都心を形成する新宿・渋谷・池袋の繁華街の構造上の共通点から,副都心構造の類型を導きだすことを試みた・しかし,副都心とよぼれる繁華街は,その数が少なく9特殊的事象と類型的事象との区別が困難である場合が多い.また,これら繁華街の構造および規模は,時代の経済事情に影響され装身具の流行(毛皮店)や,遊戯内容の変化等(トルコ風呂,スーパーマーケット,つり堀,レーシングカーなどの消長)の条件に反応すると思われる点もあって,固定的解釈をもつことは困難である.しかし,出来る限り,類型性をもつものを整理するようつとめた. (3) 繁華街構造の研究は,人間の快楽的要求と集落構造との関係の研究に外ならず,従って,心理学的立場からの考察が必要であるが,本論ではその面にはふれなかった.
著者
佐々倉 航三
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.38, no.9, pp.572-578, 1965-09-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
7

都市気候の一環として都市の内外における湿度差が論ぜられるが,東京付近においてはその差は概ね5%ぐらいであり,その原因は主として郊外の方に水張が大きいことにあることを明かにした.また都心における湿度の経年変化が80年間に6% ぐらい低落したことを示し,その原因が主として都心における気温の経年上昇にあることを明かにした.
著者
松村 嘉久
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.171, 2014 (Released:2014-10-01)

1 はじめに 1980年代,満州国(1932-1945年)に郷愁を覚える日本人が,日中友好ムードのなか,中国東北を旅行するブームがあった(高媛2001)。それから30余年が過ぎ,満州国で過ごした記憶を持つ人々は,日本でも中国でも減り,これからの30年で確実にいなくなるであろう。満州国時代の観光資源に関しては,近い将来,その時代の当事者がいない状況で,見る側と見せる側とのせめぎあいのもと,編集され消費される時代が到来する。 満州国の首都・新京,現在の長春には,満州国時代の都市計画や地割が色濃く残り,当時の政府・軍部関係の近代建築を中心として,「観光」対象となり得る地域資源が多数存在する(周2011;邸ほか2010)。一般に,現代中国の近代化遺産は,植民地の負の「記憶」と重なるため,歴史的文化的な普遍的価値を評価しようとする動きがある一方,対外的にも対内的にも政治的な思惑や意味付けが埋め込まれ,不安定な状態に置かれ続けてきた。 本報告では,長春における満州国時代の近代遺産が現在,「観光」という文脈のもと,どのように保全・利用されているのか,加えて,見る側と見せる側のせめぎあいのなか,満州国時代の観光資源がどのように編集されてきたのかに迫りたい。2 満州国時代の観光資源の分布と保全・利用状況 人民広場や新民広場を中心に放射線状にのびる道路網,寸分狂わず南北軸を描く人民大街や新民大街。長春の衛星画像を見ると,日本や中国の伝統的都市にないヨーロッパ的な文法も取り込み,満州国の新首都を建設しようとした当時の技術者たちの意気込みが感じられる(越澤2002)。 満州国時代の近代建築が現存しているのは,旧市街地の人民広場や新民広場や文化広場の周辺,南北に走る人民大街や新民大街の沿道である。これら近代建築の多くは,補修保全され大学や病院などの施設として利用されていて,文物保護単位などで史跡指定はされているものの,一般の観光客は立ち入り難い状況にある。観光利用されているのは,太陽泛会所(旧満州国外交部)と松苑賓館(旧関東軍司令官官邸)くらいである。 中国共産党吉林省委員会(旧関東軍司令部)などは,外観の写真撮影すら阻まれる。革命政権の共産党は,旧権力の施設を接収利用したため,雲南省などの辺境でも,土司の要塞のような邸宅や大地主の立派な古民家の類も観光資源化されていない。 一方,旧市街地の中心の人民広場から,東北の外れに立地する「偽満皇宮博物館」と,西南の外れに立地する「長春電影制片廠」(旧満映)は,博物館として内外の観光客に公開されている。3 観光資源をめぐる諸相の動態 満州国時代の近代遺産を見る側は,満州国への郷愁を求めた80年代の日本人客から,90年代半ば以降,中国の国内観光客へと劇的に移行した。同時に,中国では国内観光振興と愛国主義教育との連動が強まり,見せる側の観光資源の意味づけも変容し,「愛国」・「抗日」・「中華民族」といったナショナリズムを喚起する言葉が目立つようになる(松村2000)。日本人の中国東北観光では,送り出す日本側での宣伝と,受け入れる中国側での解説に80年代からギャップがあり,90年代に広がった。 見せる側の論理に関して言及するなら,偽満皇宮博物館や長春電影制片廠などは,域外からの国内観光客の対内的なまなざしを意識して,満州国の負の記憶を増幅し,ナショナリズムを強化する象徴として,利用されている。しかしながら,その他の近代建築の多くは,それらを日常生活のなか淡々と利用することが,負の記憶を克服する手段であるかのように,全く観光資源化されていない。 2005年にマカオ歴史地区が世界文化遺産登録され,中国本土でも植民地支配と絡む近代化遺産を再評価する動きが高まった。近年,長春でも,対外的なインバウンド客のまなざしも意識しつつ,満州国時代の近代建築の普遍的価値を認め,観光利用しようとする機運も生まれつつある。日中双方で満州国世代がいなくなるなか,両国の未来を切りひらく議論は,満州国時代の遺産をどのように後世へ継承していくのかをめぐって,展開していくのかもしれない。参考文献越澤 明 2002. 『満州国の首都計画』ちくま学芸文庫. 高 媛 2001. 記憶産業(メモリアルインダストリー)としてのツーリズム─戦後における日本人の「満州」観光─. 現代思想29(4):219-229. 周 家彤 2011. 長春市における「満州国」遺跡群. 現代社会研究科研究報告6(愛知淑徳大学):97-111. 松村 嘉久 2000. 祖国中国をいかに見せるのか─観光,スペクタクル,中華民族主義─. 中国研究月報623:1-26. 邸 景一・荻野 純一 2010.『中国・東北歴史散歩─広大な大地に刻まれた近代日本の足跡─』日経BP出版.
著者
大和田 道雄
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.42, no.2, pp.138-144, 1969-02-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
6
被引用文献数
5 2
著者
高橋 健一
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.48, no.1, pp.43-62, 1975-01-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
25
被引用文献数
13 6

日南海岸青島の波蝕棚表面にみられる「波状岩」あるいは「鬼の洗濯板」とよぼれる波状起伏は,潮間帯の上半部にあって,その峰部は砂岩層,谷部は主に泥岩層からなる.調査地域における両岩石の最も主要な力学的侵蝕過程は,砂岩では,日射に関連した風化による表層部の強度低下を介した波浪や風による摩耗侵蝕であり,泥岩では,表層部の乾湿破砕で分離した小岩片の波浪による除去である.これらの過程の侵蝕基準面は,それぞれの風化過程の基準面に対応して,砂岩では平均高潮位付近にあり,泥岩では平均海面の少し下方にある.また,潮間帯における侵蝕速度は,泥岩の方が砂岩よりもはるかに大きい.このため,泥岩は砂岩よりも急速にかつ低い水準まで侵蝕され,潮間帯の上半部に波状起伏が形成された.なお,波状起伏の峰は,重力侵蝕によって低下するため,その突出程度は,砂岩層に発達する節理の間隔によって制約されている.
著者
佐藤 将
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100003, 2013 (Released:2014-03-14)

1.研究目的と分析方法これまで都心部での地価の高さから郊外部に住居を構える子育て世帯が多かったが,バブル経済の崩壊以降は都心近郊に居住する子育て世帯が多くなり,居住選択の多様化がみられるようになった.このように住宅すごろくが変化する中でこれまでの進学・就職時点での居住地選択の研究に加え,子どもを出産した時点での居住地選択を把握する必要もでてきた.報告者はこれまで出生順位ごとの子どもの出産時点での居住地分析から子育て世帯のライフコースごとの居住地動向の把握に努めたが,全体での把握に過ぎず,さらに属性を分解して分析を進める必要が出てきた. そこで本発表では首都圏の対象は特別区に通勤・通学するする人の割合が常住人口の1.5パーセント以上である市町村とこの基準に適合した市町村によって囲まれている市町村とし,その上で0歳児全体を分母とした子どもを出産した時点での核家族世帯数を出生順位別かつ子育て世帯を専業主婦世帯と共働き世帯に分けて市区町村ごとに分析し,居住地選択の地域差について検討した.2.分析結果第1子出産時点の居住地分布について専業主婦世帯では都心中心部で低い一方,特別区周辺の市区において高いことがわかった(図1).共働き世帯では都心中心部で高く,さらに中央線,南武線,東急東横線沿線地域においても高いことがわかった(図2).第2子出産時点の居住地分布について専業主婦世帯では第1子の専業主婦世帯で高かった地域に隣接した地域において高く,共働き世帯では都内および郊外周縁部において高いことがわかった.3.まとめ分析結果を踏まえて出生順位ごとの居住地選択選好の特徴を考察する.第1子出産直後の専業主婦世帯は久喜市,茅ケ崎市と都心から距離がある地域でも高いことから子育て環境を重視した居住地選択をしているといえる.一方,共働き世帯は都心または都心アクセスの容易な沿線が高いことから,交通の利便性,都心への近さを重視した居住地選択をしているといえる.第2子出産直後の専業主婦世帯は第1子と比較して居住地選択が類似あるいは隣接地であることから第1子を出産直後から居住またはより良い住宅環境を求め,近隣から引っ越してきた世帯が多い地域であるといえる.共働き世帯は都心,郊外周縁部ともに職住近接を要因とした居住地選択をしているといえる. このように専業主婦世帯と共働き世帯にわけて居住地選択を見ることで子育て世帯の地域ごとの特徴をつかむことができた.
著者
杉浦 芳夫
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.48, no.12, pp.847-867, 1975-12-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
26
被引用文献数
3 1

本稿の目的は,名古屋とその隣接地域における1957年のアジアかぜの流行を,モンテカルロ法を用いて,空間的拡散過程の観点から分析することにある. (1) ランダム・プロセス・モデル, (2) 通勤,通学者数から拡散確率圏を設定したモデルI, (3) モデルIに密度効果をくみこんだモデルIIからの模擬発生パターンを,現実の発生パターンと比較した結果,主としてモデルIからは,距離と都市規模が,更に,モデルIIからは,密度が,アジアかぜの拡散を規定していることがわかった. しかし,現実の発生パターンを完全に説明するためには, (1) 通勤,通学者数を用いた確率圏の再考, (2) 人口規模別のコンタクト発生回数の検討, (3) 境界効果の設定, (4) 感受性に関係する変数の検出とモデルへのくみこみがなされる必要があると思われる.
著者
大平 晃久
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100088, 2015 (Released:2015-10-05)

住宅営団は,1941年3月に「労務者其ノ他庶民ノ住宅供給ヲ図ル」(住宅営団法第一条)ために設立された特殊法人である.資本金は1億円でその全額が政府出資による公益性の強い企業体であり,1941年度から5か年で30万戸の供給を計画していた. 住宅営団が供給した住宅地について塩崎らは,戦後の都市化の中で良好な住宅ストックとなり,定住人口増加に寄与するとともに,公共施設や公園整備を促したことなどを評価している(塩崎・中山・矢田2000).また,戦前・戦中期の営団住宅地は軍需工場の近隣に多く,営団住宅地の研究は,総力戦体制下の中での地域像を解明するものになろう.さらに,都市形成の歴史地理的な解明としても営団住宅地の研究は意義を持つものと考えられる.   住宅営団による住宅地建設・経営の具体的な状況を全国的に把握できる資料として,1943年11月末時点での「一般会計住宅経営状況調書」(以下、「調書」)がある.ただし,営団はこれ以降の戦中も住宅地を建設し,戦後には戦災復興住宅地を数多く建設した.これらを含めた全国的動向は不明である. 営団住宅地の既往研究としては,特定の住宅地を扱うもののほか,大阪支所管内といった地域を対象に住宅地の位置や規模を復原・比定するものがある.九州の営団住宅地については,松尾らの研究がある(松尾・塩崎・堀田2003).ただし,住宅地19か所の位置を明らかにしたのみで,長崎県内では「調書」記載の5か所中,3か所にとどまる.加えて,営団住宅地は『新長崎市史』・『佐世保市史』などの地元自治体史でもほとんど取り上げられない.資料に乏しいことがこうした研究の遅れの原因といえるだろう. 本研究では,1941年~1947年の長崎県内で刊行された新聞を可能な限り閲覧し,住宅営団関連記事の収集を行った.合わせて,空中写真や住宅地図,土地台帳を用い,現地調査を踏まえて,長崎県内における戦前・戦中期の営団住宅地9か所(表1中の①~⑨,従来知られていなかったもの5か所),営団戦災復興住宅地4か所(⑪~⑭,同3か所)を明らかにした. 住宅地の位置,規模,残存状況は表1の通りである.住宅営団が供給した住宅地は,決して優れてはいないが特徴的な市街地として今日の景観に残るとともに,戦後につながるインフラ整備として明瞭なインパクトをもたらしたといえるだろう.
著者
關口 武
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.16, no.6, pp.374-395, 1940-06-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
25
被引用文献数
1
著者
SONG Shan OKAMOTO Kohei
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan series B (ISSN:18834396)
巻号頁・発行日
vol.93, no.2, pp.31-49, 2021-03-31 (Released:2021-03-31)
参考文献数
40
被引用文献数
2 2

The Shanghai household registered population is highly aged. The elderly occupy a large proportion and continues to increase because of the aging of the generations of one-child families. This study examines the influential factors in the elder care decision-making process of those households with registered elderly people, focusing on changing notions of elder care and changing parent–child relationships. In-depth interviews were conducted with both nursing home residents and community dwelling elderly individuals in downtown Shanghai. Our analysis of the interviews identified three main issues regarding elder care. First, the traditional Filial Piety is changing in response to modern society. Second, family members’ inability to provide elder care, the burdens of maintaining an independent household, and nursing home features and conditions are the main factors influencing the decision to enter a nursing home. Third, Filial Piety continues to be expressed through close residential distances between parents and children and a high visit frequency of children’s visits to elderly parents.