著者
冨田 芳郎
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.39, no.8, pp.555-563, 1966-08-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
11

これまで天竜川はその中流の中部(なかっぺ)付近で豊川を截頭し,その後に天竜水系の大千瀬川が豊川の旧河谷の風隙からその空谷或は化石谷に沿って頭部侵食による分水移動を行って,現在池場の長さ500m内外,海抜321mの谷中分水で裁頭後の豊川本流の源流と対峙していると考えられている.しかしこの池場の谷の地形を見ると,豊川の截頭前の旧河谷とは考えられず,むしろ西南日本の地体構造における内帯と外帯との境界線をなす中央構造線に沿う断層谷とみるべきで,この戴頭による流路争奪の事実はこの地域の地形発達史の現段階では考えられない.すなわち,池場とその西側の上流河谷の幅は,谷中谷の上谷があるとしても,旧豊川本流河谷としては甚だ狭いし,池場の両側の谷壁は,所謂screesというべき崖錐斜面であり,谷底はU字形の盆谷 (Muldental) で,流路の跡と見るべき河床の地形ではない.また池場の谷底の堆積物は拳大栗実大の亜角礫と粘土質の軟かいmatrixから成り,土石流による無層理又は不整層理の崩れ易い堆積物から成り,裁頭前の豊川の中流性旧河床を立証するような河流堆積層は認められない.ただ池場の谷の東西両側の谷底にそれぞれ現在の小流による小段丘があるだけである.さらに池場の谷の断層は崖錐層の被覆で確認されないが,池場から松平に至る間の流紋岩や石英安山岩には鏡肌を示す節理面があって板状節理を示し,節理面の方向が屡々中央構造線の方向と一致するものがあることから,この構造線に沿う破砕帯と考えられる. 由来断層谷といっても,多くはそこには河が流れて,河蝕が行われるが,この点では池場の谷は純粋な断層谷といえよう.しかし規模が小さいが,ここからENEの天竜川支流の水窪川の西方にあって,明かに中央構造線に沿った断層谷と見るべきものが,18km内外の長さで,佐久間から水窪まで及んでいる.1部は水窪川の支流や天竜小支流の厚地川で削られているが,その谷間では,開析段丘面のような緩斜面は崖錐の堆積面である.またこの谷には河蝕による分水峠があるが,一連の断層谷と見るべきで,池場の谷はその一小部分としての地形はよく似ているので,池場の谷を断層谷と認定して,この谷は戯頭された豊川の旧河谷ではなく,流路争奪の事実を疑うのである.
著者
山田 晴通
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100196, 2012 (Released:2013-03-08)

今日の大学教育の現場において、何らかの自習課題、宿題等を与えた場合に、学生がまずインターネット上の検索サイトを利用して情報を求めようとするのは、既にいわば常道となっている。また、Yahoo!知恵袋に課題をそのまま質問として投じるようなことさえ起こっている。そして、そうした検索の結果としてヒットする可能性が高く、レポートの作成に参考される事の多いサイトのひとつがウィキペディア、特にその日本語版である。<BR> そもそもウィキペディアは、ネットにアクセスできる者であれば、誰もが加筆編集に参加できることが最大の特徴であり、一定の権威のある専門家が項目を執筆するような在来型の百科事典とは性格が大きく異なっている。このため、ウィキペディアの個別の記事の内容について、その正確さや、イデオロギー的中立性などが厳しく批判されることも、しばしば生じている。<BR>  こうした状況は、より多くの学術研究者、専門性を持ったアカデミシャンがウィキペディアに参加していくことで、改善されていく事が期待できるが、現実には、アカデミズムに身を置く研究者にとって積極的にウィキペディアに関わるメリットはほぼ皆無の状況にあり、ウィキペディアに参加する研究者を増やしていくことは容易ではない。土木学会(2010)の例のように、学会の活動の一環として、一定の品質管理がなされた記事の作成・編集を行なう取り組みが仕掛けられなければ、ある学問分野に関係するウィキペディアの記事が数多くの専門家の手で量産されるといった状況は成立し得ない。<BR> 例えば、大学レベルの地理教育において学生が学ぶべき内容が、関連するウィキペディアの記事に反映されていれば、学生の自習用の教材としてそれを用いる事が可能になり、より効率的に学生の自修を促せるようになるものと期待できる。そのためには、定評ある教科書等からキーワードを拾ったり、実際に地理学教育に携わっている大学教員からシラバスで重視している概念を集め、その記事を新たに作成したり、既存に記事に加筆して強化したりする取り組みを、学会が関わる形で展開する必要がある。また実際に、少しでも多くの大学における地理学関係の授業において、ウィキペディアの記事を教材として実際に使用し、その経験がフィードバックされるようにしていくことも重要である。
著者
田中 眞吾 沖村 孝 田中 茂
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.56, no.4, pp.262-281, 1983-04-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
23
被引用文献数
3 4

神戸市中心部の自然的背景は,1,000m近い起伏をもつ山地が直接,海にのぞみ,低平地を欠くといううらみがあった.第2次大戦後の都市発展のための低平地の確保は,このような自然的背景から,市街地の後背山地の開発と,その土砂による前面の海面の埋立てという2面において行なわれた.すなわち,その両面において大規模地形改変が進行した. 背山における大規模地形改変と土砂採取は, 1960年代より急増し,地域的には市街地に近接した六甲山地南麓から次第に西方の丘陵地・六甲山西部山頂地区を経て,より遠隔地へと移動し,開発規模も大型化した.また,これらの開発の事業主体は,主として公共企業体によっているという特色をもっている.このようにして,すでにポートアイランドを代表とする10km2の低平地が得られ,港湾・公共・工業なちびに住宅の各用途に向けられている. これらの事業は,しばしばの大災害属歴をもつ六甲山地や,既成の大人口密集地や伝統産業地区(たとえば灘の酒造地区)などとの深いかかわりあいをもつゆえに,すでに1950年代後半の時期から,環境アセスメント的配慮がなされ,防災・環境保全・景観保全などの諸点から,土取りや土砂輸送などの具体面において,数多くのユニークな方式がとられてきた.これらは,今後の大規模地形改変に際して,種々の示唆を提示しているものと思われる.
著者
千田 稔
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.50, no.5, pp.257-275, 1977-05-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
32
被引用文献数
1 1

都市的集落の発生は農業生産力の拡大に伴う社会的余剰の産出が契機になるといわれるが,イングランド南部においては,花粉分析の成果によれば鉄器時代に森林の開拓が見られ農業が進展したことが知られ,その時期に形成された高城 (Hillfort) という防御集落には都市的様相を認めることができる.この高城のうち15エーカー以上のものについては, 13km間隔の正六角形網の領域パターンを構成する中心集落として立地すると解釈でき,さらにこれらの高城群が直径60~80kmの円に包摂されるような領域を形成していたことが指摘される.この領域的規模は部族領域かあるいはそれを分割したものとしてあらわれるが,鉄器時代末期のoppidum (マチ)を中心集落とする領域形成にも継承され,さらにローマ支配時のキヴィタス (Civitas) の空間的広がりにおいても踏襲されるものである.こうした規則性を支える原理については,今後の検討の余地がある.
著者
山田 晴通
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100039, 2015 (Released:2015-10-05)

水岡不二雄一橋大学名誉教授は、一橋大学教授であった2011年夏に、Third Global Conference on Economic Geography 2011(韓国ソウル)において「The resignation obliterated: The Japan Association of Economic Geographers and Toshio Nohara, a prominent critical economic geographer」 と題した報告をされた。発表者=山田はこの集会に参加しておらず、この発表があったという事実も2015年春に初めて知った。この報告は、要旨がインターネット上で公開されている(Mizuoka, 2011)。 しかし、少なくともこの要旨を見る限りでは、水岡報告は、Wikipediaにおけるルールなど、事実関係についての誤解に基づいた、不適切な憶測を含むものであり、読み手に、山田個人についての社会的評価を含め、諸々の誤解を生じさせる虞れが大きいものである。 また、英文で綴られたこの要旨の内容は、Wikipedia日本語版において、2010年にごく短期間だけ編集を行なった「経済地狸学会」(強調は引用者)という利用者が、日本語で書き込んだ内容と酷似した箇所を含んでいる。この利用者は、当時、記事「経済地理学」のノートページに山田の編集を批判する、やはり誤った認識に基づくコメントを書き込んだ後、それに応答して問題点を指摘した山田の、問いかけを含むコメントには答えないまま、その後はいっさい活動していない。(2015年7月13日現在) もし、水岡教授が「経済地狸学会」を名乗った利用者と同一人物であるなら、なぜ、Wikipediaの中で起こった問題について、Wikipedia内での対話を拒み、適切なコミュニケーションを通した解決を図らず、山田からの指摘に応答もしないまま、Wikipedia外の、また、山田が参加するはずがない海外の集会において、山田が既にWikipediaにおいて指摘した問題点について何らの自己批判も反省もないまま、英語で発表をされたのか、真意をご説明いただきたい。このような発表の仕方は、山田との建設的な議論を求める真摯な姿勢を示すものではないように思われる。 逆に、もし、水岡教授が「経済地狸学会」を名乗った利用者と同一人物ではないのなら、水岡教授は、2011年のご自身の報告と、2010年時点の「経済地狸学会」の書き込みの類似性について、具体的な説明、あるいは、釈明をすべきである。著作権者である「経済地狸学会」が水岡教授を著作権侵害で訴える可能性が限りなくゼロに近いとしても、ネット上で別人の名義で公開されている記述と酷似した内容のコメントを、自らの名義で発表したことは、研究者としての倫理性に疑念を生じさせる遺憾な事態である。   山田が、日本地理学会の場において公開状という形で水岡教授への質問を公にするのは、本学会が水岡教授と山田が共に所属する数少ない学会のひとつだからである。水岡教授は、従来から論争においては正々堂々と、婉曲な表現などは用いず、論難すべき対象に対しては厳しい直接的な言葉を用いられてきた方である。この公開状にも、真摯に対応され、建設的な議論が展開することを期待する。
著者
高野 史男
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.32, no.12, pp.629-642, 1959-12-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
37
被引用文献数
4 5

最近の各地における急激な都市化現象の進行とともに都市化の研究が学界の関心事となつたが,都市化の概念はまだ確立していない.都市化には都市化のエネルギーがどこからどんな形で作用するかによつて,(1)大都市型都市化,(2)地域中心型都市化,(3)工業化型都市化,(4)在来工業型都市化,の4つの類型がある.現実にはこれらの混合型も多い.これらの諸類型は経済の種々な発展段階に対応して歴史的に形成されたもので,(2)と(4)は産業革命による近代的生産様式の発展以前またはそれと無関係に行われるものであり(前近代的都市化),(1)と(3)は近代的生産様式に基礎をおく近代社会に特有のものである(近代的都市化),とくに(3)は独占資本主義段階においてあらわれる.これら諸類型に共通な点はruralな地域がurbanな地域に変質する過程の存在であり,そこに都市化の本質がある.ここで地域というものを土地と人間との結合によつて成立するものと考えれば,地域のruralからurbanへの変質は土地利用と労働形態との2面に示されることになる.また都市化は近代以後の概念であることからすれば,都市化とは近代産業の発展によつてrura1な地域がurbanな地域へ変質する過程に外ならない.したがつて厳密には近代的都市化のみが真の都市化である.そして都市化は工業化よりも広く近代化よりも狭い概念であるといえる. 地理学における都市化研究は都市化過程の対象(土地利用と労働),主体(資本),原因およびそれらの地域的時間的対比などによつて構成さるべきであろう.
著者
三上 岳彦
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100318, 2015 (Released:2015-04-13)

気象庁・東京観測点が2014年12月2日に、大手町から製法約900mの北の丸公園に移転した。移転による気温日変化を明らかにするため、両地点の気温日変化を比較分析した。その結果、新観測点の北の丸の夏期平均気温は、約10年の大手町・旧観測点とほぼ等しいことが明らかになった。両地点の気温差は、特に夜間~早朝の時間帯に大きくなり、皇居の冷気にじみ出しにともなう顕著なクールアイランド効果が認められた。
著者
鈴木 秀夫
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.35, no.2, pp.67-76, 1962-02-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
14
被引用文献数
14 9

最終氷期の周氷河現象が,低い所では,北海道の大部分と,下北半島にみられることを示し,この地形的事実から,当時の気候区界を求めた。これによつて,日本海は,北部を除いては,冬期,凍結していなかつたと推定する。
著者
フンク カロリン
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100065, 2014 (Released:2014-03-31)

観光者が様々な観光形態を求めることになり、「新しい観光」と言われる現象を生み出している。その中でアート・ツーリズムが今後の経済活動に重要な役割を果たすとされている創造的階層の旅行形態として(竹田・陳2012:78)、または地域住民の積極的な関わりを可能とする地域活性化手段として(Klien 2010: 519)期待されている。 現在日本で最もアート・ツーリズムの取り組みとして注目を浴びているのは香川県直島町とその周辺で開かれる瀬戸内国際芸術祭である。そこで本研究は直島におけるアート・ツーリズムに注目し、観光者と観光産業関係者の特徴と彼らが抱く直島に対する考えを調べる。また、訪れている観光者は、普段どの程度アートに関心を持っているのか、一般観光者層と異なるのか、アート・ツーリズムは観光産業にどのような効果をもたらしたのか明らかにする。   2.研究対象と方法 直島町は1917年に三菱鉱業(現在の三菱マテリアル)の精錬所を誘致し、鉱業の島として繁栄してきたが、銅市場の変化も影響し、精錬場の労働者数とともに直島の人口も1970年代から減少しはじめた。1970年から教育文化施設を島の中心部に集め、「文化ゾーン」を作り出した。1985年、当時の町長と当時の福武書店(現在ベネッセ・コーポレーション)社長の合意に基づいて、島の南部エリアを中心に総合的な観光開発が始まった。直島国際キャンプ場、ホテルと美術館を合体したベネッセハウス、本村地区で展開された家プロジェクト、地中美術館、犬島アートプロジェクトなど、アートを用いて25年をかけた文化・リゾートエリアが直島に誕生し、プロジェクトはその周辺の島にも広がった。その結果、島は現在、北部の産業エリア、中心部の生活・教育エリア、南部の文化・リゾートエリアに別れている。 現地調査は2012年11月24-25日に観光者、観光産業施設、住民という3つのグループを対象にアンケートを実施した。回答者数は観光者255人、観光産業施設40ヶ所、住民34人であったが、この報告では観光者と観光産業のみ取り上げる。   3.調査結果 アンケート調査で把握した限り、直島を訪れる観光者は旅行全体や普段の生活でもアートに強い関心を持つ人、アートとともに自然を楽しむ人、訪れた相手とゆっくり島を歩き回りたい人など様々であり、性別や年齢層による差もみられる。したがって他の観光地とは全く異なる客層を引きつけているというよりは、客層が拡大し、多様化しているといえよう。 観光産業については地中美術館の開館とそれに伴う観光者数の増加が影響し、2004年以降に島外からの若い人々が移住し、観光産業、特に宿泊施設に取り組む傾向が強まった。しかし、観光者向けのサービス、特に外国人旅行者に対する情報提供などはまだ限られている。外国人の増加に対してもそれほど積極的ではない観光産業従事者が多く、国際観光地としての成長はこれからの課題である。施設管理、サービス、値段がともに高水準であるベネッセの施設に比べると、その他の観光産業は小規模で、個人的で、施設の水準があまり高くなく、そのギャップは大きい。また、彼等はアートに強い関心を持つ、または積極的にアートプロジェクトに関わるようなことがあまりなく、「アート」に対する思いよりも、「島」へのこだわりや、自立して事業を行いたい志向が強いようにみえる。観光産業の成長はアート・ツーリズムの魅力の効果というよりも、アート・ツーリズムを通じて観光地として成功した効果によるところが強いといえる。 Klien, S. (2010): Contemporary art and regional revitalisation: selected artworks in the Echigo-Tsumari Art Triennial 2000–6. Japan Forum 22/3-4, 513–543 竹田茂生,陳那森 (2012) :観光アートの現状と展望. 関西国際大学紀要, 13, 77-90
著者
山村 順次
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.42, no.5, pp.295-313, 1969-05-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
19
被引用文献数
2 1

温泉観光集落の発達と構造に関する一般的傾向の把握を目的とし,東京観光1次圏内の温泉観光地のうち,俳香保・鬼怒川の両温泉を選定して研究を進めた.本稿では,とくに観光資本の性格の差異とその変質過程とを注目するとともに,温泉観光集落の経済的機能の実態把握に努めた. 近世初期に確立し,歴史性を有した伊香保は,少数の有力地元資本や町当局が温泉地開発のイニシアチブを握って,外来資本に対して閉鎖的姿勢を示し,それゆえ観光産業化のテンポが遅れがちで,観光市場もローカル性で特色づけられた.これに対して,昭和初期に成長した新興の鬼怒川は,地元資本の外来資本導入の開放的姿勢のもとに,交通資本をはじめとする中,観光資本の積極的な観光開発や宣伝活動が展開され,観光産業の高度化や観光市場の広域化を促進させたことが明らかとなった.
著者
野上 道男
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.54, no.2, pp.86-101, 1981-02-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
40
被引用文献数
3 1

平野(1966a)によって提案されたモデル, ut=auxx+buxを河川縦断面形の発達過程に適用し,土砂流量 J=-(aux+bu)の面から検討を加えた.上の2階偏微分方程式は移流を伴う拡散過程を表わす式でもある.高度(拡散問題では濃度に相当)を構成するすべての粒子がブラウン運動を行なっているとするか,あるいは土砂流量が勾配に正比例するということを前提として認めるか,このいずれかであれば地形発達過程を(移流のない)拡散過程でアナロジーすることができる.上に凹である河川縦断面形において,上の式の拡散項が堆積を表わし,移流項が侵蝕を表わす.移流項による土砂の流れはその方向が勾配の向きとは逆であり(拡散流はもちろん順方向),移流に相当するものとして,高度に比例するような流量を生じさせるどのような強制力を想定すればよいのか,地形的あるいは物理的解釈が難しい.このように拡散相当項については大きな仮定または前提があり,移流相当項についてはその強制力が何であるか特定できないなど,モデルとしての物理的根拠が薄弱であるという欠点がこの数学モデルにはある.しかし,数学的な形式は整っておりその定常解が,河川の平衡縦断面形として最もふさわしい指数曲線, u=C1+C2 exp(-rx) (ただし, r=b/a; C1, C2……定数)になるという大きな利点がある.そこで,このモデルを多摩川の段丘発達のシミュレーションに適用してみた.段丘面の縦断面形については寿円(1965b)のデータを用い,武蔵野面のそれを初期条件とした.境界条件としては定点である上端の土砂流量で与えることが望ましいのであるが,そうすると問題が不適切となるので,定点の勾配を時間の関数として指定することにした.下端は河口にとったが,河口における勾配一定という条件のもとで,海面高度を時間の関数で指定するという方法によった(自由境界値問題).係数a, bと平衡縦断面形の形状係数rの間にはr=b/aという関係があるが, aまたはbの値は現在の平衡土砂流量の推定値から計算で求め,各時代のaまたはbの値はこの値を基準にしてシミュレーションをくりかえし,平衡土砂流量が不合理な値とならないような値を選んだ. シミュレーションの結果は良好で現実の河川縦断面形の発達をよく表現することができた.たとえば,最上流部のfill-strathing,更新世末の中上流部における古い面へのoverflow,下流部における海面低下に起因する谷地形の形成,後氷期の海面上昇による溺れ谷地形の形成,そして最近7,000年間の堆積の進行による河口の前進などがうまく表現されている.
著者
谷 謙二
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100061, 2014 (Released:2014-03-31)

1.はじめに 近年、Web地図サービスが質・量ともに向上し、さまざまな地図情報が公開されるようになった。これには、タイルマップという標準化された地図画像形式でWebサーバ上に地図画像ファイルを置くことで、Google Maps APIやOpenLayers等を用いてWeb上で簡単に閲覧システムを構築できるようになったことが公開地図情報の増加に寄与している。筆者は、2005年から旧版地形図を閲覧するためのWindows上で動作するソフト、時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ」を開発し、公開しているが(谷 2009,2011)、2013年9月にWebサイト時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」(http://ktgis.net/kjmapw/)を公開し、Webブラウザ上で閲覧できるようにした。ここでは、システムの機能と開発過程および利用状況について報告する。 2.システムと機能および開発過程 本サイトでは、ユーザーがWebサイトのファイルにアクセスするとJavaScriptが読み込まれ、Google Maps API v3を使用してWebサーバ上の地形図画像ファイルを読み込んでいく。実行されるプログラムはブラウザ上で動作し、サーバ側にはファイルが置かれているだけでシンプルな構成となっている。図1は閲覧画面であり、左側に収録された過去の地形図画像、右側にはGoogleマップが表示される2画面構成で、位置を特定しやすくするほか、変化もわかりやすい。また、標高に応じた色分けもオーバーレイしている。さらに、街歩き等でスマートフォン等の画面の小さい携帯情報端末でも使用できるよう、ブラウザのサイズに応じてレイアウトが変更されるようにし、現在地を中心に移動軌跡を表示できるようにした。 地形図画像ファイルはWindowsデスクトップ版のファイルを再利用し、フリーソフト「MapTiler」1.0 Beta2を使ってタイルマップ形式に分割した。ただしこれは画像ファイルを1つずつしか変換できないため、重複部分を1つの画像にまとめるツールなどはVB2010で自作した。8地域に関してズームレベル8~16のデータセットを作成し、120万の画像ファイルをサーバにアップロードした。画像ファイルはGoogle Maps APIを用いて表示され、そのための処理をJavaScriptで自作した。8月に作成を開始し、9月15日に公開した。その後も標高を表示する等の改良を行った。3.利用状況  本サイトの情報はTwitter等のSNSを通じて拡散され、最初の半月では1日平均4,400件と大量のアクセスがあったが、それ以降は500~1500アクセス/日で落ち着いている。従来のインストール作業の必要なデスクトップ版に比べ、簡単に閲覧できるWeb版の方が多くのユーザーの獲得という点ではより有効である。過去の地形図は地域の歴史を知るだけでなく、防災や住宅購入の下調べ等様々な用途に役立つので、さらに普及をはかっていきたい。 文 献谷 謙二 2009.時系列地形図閲覧ソフト『今昔マップ2』(首都圏編・中京圏編・京阪神圏編)の開発 .GIS-理論と応用:17(2),1-10. 谷 謙二 2011.時系列地形図閲覧ソフト『今昔マップ2』への東日本大震災被災地域データセットの追加について.埼玉大学教育学部地理学研究報告:31,36-42.
著者
池谷 和信
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100224, 2012 (Released:2013-03-08)

1 はじめに 途上国における定期市は、野菜や家畜や衣料品などの流通のなかで生産者と消費者とをつなぐ結節点として経済的に重要な役割を果たしてきた(石原1987ほか)。同時に、定期市は様々な社会集団が相互に交流する場として社会文化的な側面を持つ。これまで報告者は、乾燥帯アフリカにおける牛市・ラクダ市に焦点を当ててフルベやソマリの牧畜民と定期市とのかかわりについて報告したが、ここではモンスーンアジアのバングラデシュの家畜市のなかで豚市に焦点を当てて、地域における豚の流通の実際を把握する。同時に、アフリカとアジアの家畜市における地域間比較の際の枠組みについて考察する。現地調査は、2011年12月にバングラデシュ北部のマイメンシン・ディストリクトを中心に約2週間にわたって行われた。対象地域は、ベンガル系のイスラム教徒が多数を占めているが、豚市に密接にかかわるのはベンガル系の非イスラム教徒およびマイノリティのマンディ(ガロ)の人々である。なお、豚市の分布および豚の売買の概観に関してはすでに報告した(池谷2011)。2 結果と考察 今回の調査では、年中行なわれている2つの豚市(Gaptoli,Shombugon)に加えて、12月から3月までの季節限定の2つの豚市(Bakgahitola, Haluaghat)を訪問した。その結果、「都市近郊型」と「都市郊外型」の2つのタイプに豚市は分類できる。前者は、大部分の購買者がベンガル系ヒンドゥー教徒であり、100km以上離れた地域からの購入者(仲買人)もみられた。これに対して後者では、購買者の大部分は近隣で暮らすマンディの人々である。 後者の事例を詳しくみてみると、マンディはキリスト教徒であり、クリスマス前後の時期の食用のため、およびそれ以降年始までの時期に親族の結婚式ほかなどが集中して、そこで豚を消費するために9-11ヵ月の大型の豚を購入していた。同時に、前回と同様な傾向として3-5ヵ月の小豚を肥育用に購入していた。この場合、飼育してきた豚を対象時期に地域需要に応じて販売するために新たな肥育豚を備えるということもみられた。 2つの季節限定型の市では,大部分の購買者がマンディであり仲買人が豚の群れをそのまま市場に移動してきていた。このため、市の開設時には牧夫が常に群れを監視していた。しかし、どうして市が3月まで継続する必要があるのかは明らかではない。 その一方、市に参与して豚を販売する仲買人の暮らす村を訪問することで、そこには多数の仲買人(ベンガル系ヒンドゥー教徒)が集まっていること、ダッカ市場、チッタゴン市場、本研究が対象とする豚市、近隣地域市場などのように個々の仲買人によって市場が異なっていた。彼らは、自らの群れを所有している人も多いが、別の群れの所有者から家畜を購入する。但し、肉量の大きい成獣を求めるダッカ市場と肥育用の幼獣を求める家畜市への供給では、仲買人の販売戦略が異なっている。 以上、国内の豚流通のなかで家畜市を媒介とする流通の位置づけ、および家畜市をめぐるベンガル系非イスラム教徒と近隣民族とのかかわり方が明らかになった。また、アジアとアフリカでは、家畜の流通における家畜市の役割やその比重が異なっていると考えられる。文献池谷和信2011「バングラデシュにおける家畜市と豚」日本地理学会予稿集石原 潤1987『定期市の研究:機能と構造』名古屋大学出版会
著者
板倉 勝高
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.32, no.7, pp.351-364, 1959-07-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
11

The geographical distribution of Japanese chemical plants operated by the corporations whose capital stock is over 1, 000, 000, 000 can be summed up as follows from the viewpoint of added value indexes. The plants for productive goods falling under Group No. 1 such as fertilizer, sodium, and vinyl are spreading all over the country, whereas those for direct consumption goods such as medicine, paint, end pigment are mostly located in Tokyo and Osaka areas. During the initial period of development of the industries of Group No. 1, these city areas were within easy access to cheap village labour and coal fields and, what was more, they could supply surplus electric power at night to these industries, whose advantageous features, however, are no more available. Despite this, chemical interests in these city districts are still expanding their production facilities by addition of new plants and by enlar gement of existing ones. This phenomenon is due to close interdependence among chemical industries for the supply of raw materials. A large chemical company is characterized by the self-sustenance of materials, producing its whole requirements in its component plants, which is true especially in the recent petroleum chemical industry. They can be grouped into several classes according to holding companies, but interests owned by the private banking institutions in the city are by no means small in volume. Since the chemical industry has very small outside jobs and since its finished goods are mostly turned out from factories in city areas, its production activities have almost nothing to do with its neighbourhood, excepting the procurement of labour. Explanation of Tables and Figures. Table 1. (a) Geographical distribution of the nation's chemical plants shown by value added. (b) Geographical distribution of the operatives employed in the chemical plants in each prefecture shown by value added. Table 2. Chemical plant combination. Table 3. Chemical ;plant combination of Group No. 1. Fig. 1. Location of the nation's chemical plants. Fig. 2. Sketch showing interdependence among the chemical plants for materials. Fig. 3. Geographical distribntion of the petroleum chemical plant. Fig. 4. Structural sketch of a petroleum chemical plant.
著者
能代 透
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100096, 2014 (Released:2014-03-31)

I はじめに 本研究はフランスのZUS(都市優先対策地区)空間の政策を批判的に論じるものである。 フランスの都市郊外での移民系若者と治安部隊との衝突とが「フランスのZUS政策」と深くかかわっている。 その底流に、ムスリム移民と向き合う「ポストコロニアリズム」と国民不可分性(単一性)を憲法に掲げる「共和制国民国家」と、それを揺るがせ多文化主義を促す「EU統合」の動きがあり、その狭間で「トリレンマ(矛盾)」を抱えるフランス共和国のリアリティを都市空間の側面から研究した。II フランス郊外(バンリュー) 郊外(バンリュー)はその特徴により言葉以上に特別の意味をもつ。 かつての城壁都市の周辺地帯に位置しており、フランス特有の経緯による都市構造を形成している。第二次大戦後の復興期の労働者用に1950年代後半から、グラン・アンサンブル計画で郊外に低家賃社会住宅(HLM)の高層住宅団地(通称シテ)群が均衡都市郊外に政策で大量建設された。しかし、交通網、商店街、企業誘致などの街づくりが伴わなかったため都心部(旧城壁内)から隔離され、シテは低所得者層が集住するようになった。 さらに1980年代から脱工業化で、工場閉鎖、大量失業者、産業空洞化が始まり、次第にマグレブ系労働移民者階級が集住する空間となり、年を経て多様性を失い、ホスト社会の差別とセグリゲーションを受けるマグレブ移民二世が集住し、イスラム教義に基づくコングリゲーション(防衛・互助・文化維持・抵抗)が進行し、ジハード(ムスリムの防衛戦)に向かうマグマが増殖する空間となった。 ヨーロッパ最大のムスリム居住国である現在のフランスにおいて、それは「共和制理念とイスラム教義」の観念の対立となり、都市の「危険な均衡」をもたらせている。III 監視・防諜の装置としてのZUS 1995年、アルジェリア系「武装イスラム集団」が関与したとされる爆弾テロが、リヨンやパリで続発していた。 フランスに「同化」していたはずの移民二世が、この組織に加わっていたことが分かり、フランス社会に大きな衝撃を与えた。 マグレブ移民が集住する「郊外」は、イスラム過激派の温床とされ、フランス政府は1996年に都市再活性化協定法で国家権力が自治体との契約統治を超えて、各都市で直接介入できる特定区(ZUS)を郊外(バンリュー)のシテを重点的に指定した。ZUSは表向きには貧困地区対策であるが、監視・防諜装置として誕生し機能した。 そのことは入手したにフランス諜報研究センター(CF2R)の2005年9月付報告書で明らかにされた。1)        それによると、「フランス国内の630カ所の郊外地区(ZUS)の180万人の住民が、移民としての出自の文化や社会と強く結び付き、イスラム過激派が郊外の若者たちの組織化が進み、フランス社会に分裂の危機をもたらす危険性が高まっている」との報告がフランスの防諜機関である中央情報局(RG)から内務省に上がっていた。 これはZUSをムスリムの監視と防諜の装置としていた「証拠」である。 2005年10月、パリ郊外のクリシー・ス・ボアの団地で移民系少年と警官に衝突事件が発生した。 その後にボスケ地区のモスクで抗議集会中のムスリムたちに治安部隊が催涙弾を打ち込んだため、衝突が一気に拡大した。 彼らの精神と結束の拠り所であるモスクへの攻撃を彼らが許すことはなく、権力の治安部隊との衝突がフランス全土に広がった。 IV おわりに 現在のフランスは、約500万人のムスリムが暮らしているが、彼らの「外に見える行為」を実践するイスラム信仰は、フランス共和国の世俗主義の観念になじまない。 移民二世・三世の重層的な空間への帰属意識がアイデンティティの不安定化を招き、フランスで生まれた移民子孫たちが差別を受ける中でイスラムに覚醒していく。 政府がその実態を把握しようとしてもフランスの国民不可分性の理念から一部集団への表立った調査ができず、中央情報局による防諜活動を必要とした。取り上げたZUSは日本でも差別・貧困・荒廃の社会問題として注目されることが多く研究も多いが、本研究ではそのZUSに関する政策・制度をフランス均衡都市の地理学的構造に着目して研究した。  注1)   Centre Francais de Recherche sur le Renseignment、Eric Denécé LE DÉVELOPPEMENT DE L’ISALAM FONDAMENTALISTE EN FRANCE, ASPECT SÉCURITAIRES, ÉCONOMIQUES ET SOCIAUX  Rapport de recherché No.1 Septembre 2005, P7-9 「LA MONTÉE EN PUISSANCE DE L’ISLAM RADICAL DANS LES BANLIEUES FRANCAISES、
著者
平井 松午
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100060, 2012 (Released:2013-03-08)

1.はじめに 江戸幕府は,安政元年(1854)の日米和親条約に基づく箱館開港にともない,翌年2月に松前藩領を除く蝦夷地全域を幕府直轄地とし,明治維新を迎えることになる。この蝦夷地第二次幕領期には,仙台藩・南部藩・津軽藩・秋田藩,安政6年以降はこれに会津藩・庄内藩が加わって,東北諸藩による蝦夷地の分領支配および警衛が行われた。そのため,東北諸藩は蝦夷地の各地に元陣屋や出張陣屋などを構え,数百人規模の藩兵を派遣してロシアの南下政策に備えることとなった(図1)。 本報告は,絵図資料等をもとに,GISソフトを用いて安政期におけるこれら蝦夷地陣屋の位置比定や景観復原を行い,その形態的特徴を明らかにすることにある。2.蝦夷地陣屋の絵図資料と陣屋の構造 東北諸藩による蝦夷地陣屋の建設にあたっては,陣屋建設地の事前見分,警衛持場絵図,陣屋周辺の絵図や陣屋配置図・陣屋建物差図・台場絵図等の作成,地元(東北)での建築部材の調達など,幕府や箱館奉行所の指導の下に準備が進められたとみられる。 これらの絵図や関連文書は,弘前市立図書館,盛岡市立中央公民館,函館市立中央図書館などに残されており,これらの絵図をGISソフト上で重ね合わせることで陣屋景観の3D復原も可能となる。 図2は,津軽藩・南部藩の蝦夷地警衛の拠点となった箱館近郊の千代ヶ台陣屋および水元陣屋の復原図である。ともに,外郭土塁や内郭土塁,水濠などで二重三重に囲繞された堅固な構造を有していたことが判明した。 しかしながら,こうした絵図資料を欠く陣屋も多く,その中には位置比定さえも困難な陣屋もある。報告時には,空中写真や発掘資料なども活用して,他藩の陣屋や出張陣屋についても景観復原を試みる。付記本報告は,平成22~25年度科研費・基盤研究(B)「文化遺産としての幕末蝦夷地陣屋・囲郭の景観復原-GIS・3次元画像ソフトの活用」(研究代表者:戸祭由美夫奈良女子大学名誉教授,ヶ台番号22320170)の成果の一部である。参考文献戸祭由美夫2000.幕末に建設された北海道の囲郭-五稜郭の囲郭プランのもつ意義の研究-.足利健亮先生追悼論文集編纂委員会編『地図と歴史空間』303-315。大明堂.
著者
籾山 政子 片山 功仁慧 福田 勝久
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.43, no.8, pp.445-463, 1970-08-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
17
被引用文献数
1 1

現代の死亡の季節変動形態は,大別して“冬季集中型”と“緩慢型”とになり,前者は日本及び西欧諸国に,後者は北欧及び北米大陸にみられる.しかも両形態は歴史的にみれば,それぞれ変遷を示し,冬季集中型はますます集中化し,後者は一層緩慢化する傾向にある. 一般にこれら地域の暖房様式の違いが,変動形態の相違を招来したと考えられる.即ち緩慢型地域は冬季の気温が零度以下の低温に達し,大規模暖房なしには環境に適応し得なかった.集中暖房,地域暖房による人工気候造りが,社会の進展につれて,本来の冬山低下,即ち緩慢化の形成を招来した.一方,冬季集中型地域は冬季も比較的温暖なため,室内の人工気候は却って寒:冷に経過し,相対的に冬山低下をはぽんでいる.夏山の克服につづく,冬山克服への努力が要望される段階に来ている. また,詳細な地域的考察を行うと,見事な緩慢型を示すアメリカも文化的地域では緩慢化が著明だが南部の後進的地域,ことに黒人は冬季集中型を呈するなど地球差は顕著である.
著者
千葉 徳爾
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.32, no.9, pp.468-480, 1959-09-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
6
被引用文献数
1

野生大型哺乳類の分布は,それらを人類の居住空間における競争者とみなすとき,地理的に意義がある.動物を熊・羚羊・鹿および猪に限り,地域的には最も資料の豊富な九州島の北半においてこれを検討した.とくに,国東半島については種々の資料と実地調査とにもとづいて,野獣の生態と環境の歴史的変遷の吟味を行なつた. 得られた成果を要約すれば,銃器の進歩によつて人類の攻撃による個体の減少が,その増殖数を上回つてきた場合には,地形的にこの地方で人類が農耕によつて生活しうる限界(距離1kmにつき起伏量300m)以上の急峻な部分の存在すること,およびそのような地域に生活しうるか否かの生態的条件を各動物がもつかどうかの2つが,最も重要な分布決定要因となることが確認された.急峻な地形に生存し,かつ分布の最も広いのは鹿であり,この限界以下の緩傾斜地のみに生態的条件によつて居住を制約される猪は,居住空間が人類と完全に重復するために,量的ならびに面積的減少の速度がいちじるしい.
著者
梶川 勇作
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.46, no.3, pp.211-215, 1973-03-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
4
被引用文献数
1

Christaller and Lösch had used the hexagon as the modular unit in their models. One of the commonest criticisms for the hexagonal framework is that it is for too rigid and abstract. But Haggett was trying to test in his book whether hexagonal arrangement does in fact exist. One of his results was that one-third of Brazilian counties (municipios) had exactly six neghbours and the mean contact number (number of adjacent territories) was 5.71. Thus, he concluded that criticism for the hexagonal system as over-theoretical may have been too hasty. In this paper author is testing the contact number of some administrative areas in Japan. These mean contact numbers are 5.5 for the prefecture (fig. 1), 5.9 for the old state (fig. 2), 5.8 for the county (tab. 1), 5.5 for the communal unit and 5.7 for the section (fig. 4), Moreover, it is suggested that the frequency of the contact number (fig. 3 and 5) have the order of 6, 5, 4, 7 and 8. These results show that hexagon is the modular unit even in the administrative areas of Japan. It is also suggested that the frequency curve of the contact number tends to be identified with the stochastic one and is similar to Bunge's experimental result of the floating-magnet in the tab.
著者
相馬 正胤
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.44, no.4, pp.301-318, 1971-04-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
14
被引用文献数
2

地域の変貌を進化の運動形態として捉え,山村地域の実体に迫ろうとした。 人口減少の動向から,四国山岳地方の東西を対比する.みつまた栽培を通じて,地域分化の様相を東部・西部比較しつつ考察した.西部の春焼式焼畑地域は解体し,高位置の林業地域と低位置の農耕地域とに分化しつつある。 林業地:域形成の営力を明らかにするため,公営事業滲透の事情と森林組合労務組織の意義・役割とについて述べた。 林地の開発を刺戟するChannelは新設の交通路線である.このような交通路が四国山地の分水嶺を横断する部分において,林業開発は誘発される.高知県本川村を対象に,林業労働を通じて,村が林業地域に編入されてゆく過程を捉えようとした。 地域の変貌をみると,地域は分化と複合のたえざる運動を繰り返しつつ,みずからの構造を深化してゆくことがわかる.