著者
田林 明
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.146, 2014 (Released:2014-10-01)

領域 北陸地方は古代の北陸道に由来する名称で、福井(若狭、越前)、石川(加賀、能登)、富山(越中)、新潟(越後、佐渡)の4県(7国)の範囲である。北端と東端は山形県境の念珠ヶ関と朝日岳、南端と西端は京都府境の三国岳と青葉山であり、東西の直線距離は約480kmもあるが、幅は最も広い能登半島付近でも100kmほどで、狭いところでは10~20kmにすぎない。2012年の面積と人口は25,208km2と539.1万で、それぞれ全国の6.8%と4.3%を占めた。自然環境 北陸地方では、海岸から他地域との境界の方向に平野と丘陵そして山地と配列されており、山地の面積が広い。境界地帯には北東から南西方向に、朝日・飯豊山地、越後山地、三国山脈、飛騨山脈と両白山地、伊吹山地と続き、険しい地形は他地方との人や物や情報の流動を妨げてきた。また、フォッサマグナが新潟県西部を南北に走っており、その西縁をなす飛騨山脈が日本海岸まで達していることから、北陸地方内の流動が大きく妨げられた。それ以外では、主要平野相互の境界となる山地や丘陵は、交通の大きな障害とはならなかった。陸地は他地方に対して閉鎖的であったが、日本海は他の地方に対しても、対岸のアジア大陸に対しても開かれていた。北陸地方はまた、世界有数の豪雪地帯でこれが人々の生活に大きな影響を与えてきた。積雪日数は平地で60日、山地で120日におよび、積雪量は平野部では50cm程度であっても、山地では4~5mにも達することがある。積雪は日常生活や稲作、水力発電などのために貴重な水資源であったが、農業やその他の経済活動、交通、日常生活の障害となってきた。地域の性格 北陸地方は日本の中央部に位置するが日本海側にあるため、中心部からの隔絶性が強い。また、日本中央部に東西に長く広がっている北陸地方は、西日本と東日本の漸移的な性格をもっている。新潟県と富山県は東京と、福井県は大阪との結びつきが強く、石川県は大阪とのほか東京との結びつきも無視できない。また、北陸地方は寒地型稲作の南限に位置するとされ、寒さや短い成長期間を克服するために歴史的に様々な技術改良が試みられた1つの拠点としての性格をもっていた。文化的に北陸地方が西日本の境界であることはよく指摘されている。例えば、富山・新潟県境と愛知・静岡県境を結ぶ線が、東西方言の境界とされている。また、経済活動についても独特な性格がみられる。積雪によって冬季の農作業が制限されるために、農業は水稲単作によって特徴づけられ、また、古くから出稼ぎなどの農外就業が盛んであった。1960年代からの工場進出によって、出稼ぎが通勤兼業に転換された。北陸地方では古くから地場産業が盛んであり、各地での織物業のほかに、刃物や食器、漆器や陶磁器、薬、桐ダンスなど多様な産業があった。さらに大正期から昭和初期にかけ電力と石灰石、石油や天然ガスなどの資源開発によって近代工業が発達した。江戸期から明治初期にかけては、高い米の生産性と北前船による物流の繁栄により、北陸地方の経済的地は高かった。しかし、明治期後半以降、太平洋側を中心とする経済開発が進められる、北陸地方の経済的地位は低下し、労働力とエネルギー、食料の供給地となった。 北陸地方の人間に共通する特徴としては、まじめさ、がまん強さ、人情の厚さ、近所づきあいの深さとよそ者意識の強さなどがある。また、北陸地方では浄土真宗が古くから栄えたところである。浄土真宗の教えは「弥陀の本願を信じて念仏となえることであり、勤勉に働き蓄財することが弥陀のみこころにかなう」とされた。1960年代までは浄土真宗が北陸地方の人々の生活に深く浸透しており」、これが北陸地方の人々の生活を規定する重要な要因であった。地域性とジオパーク 北陸地方の各県にはそれぞれ性格の異なったジオパークが立地しており、それぞれが固有の地域資源を活用してジオストリーをつくり地域振興を進めようとしている。さらには、北陸地方という1つのまとまった独特の地域の性格を活かしながら、ジオパーク相互の連携が図られるならば、より複合的で多様なジオパークの魅力を発信することができるだろう。
著者
吉野 正敏 工藤 剛彦 星野 光子
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.46, no.3, pp.205-210, 1973-03-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
7
被引用文献数
2 1

えられた結果を要約すると次の通りになる. 1) 海風の開始時刻は,夏は10時(±1時間)で,その他の季節は12~13時のことが多い.しかし,季節変化は比較的小さい.終了時刻は,18時以降で夏に遅く23~24時になり,季節変化が比較的大きい. 2) 風向が陸風から海風に移行するとき,または海風から陸風に移行するときは, 1~2時間の移行時間がある場合が多い.どちらが長いかは,地点により異なる. 3) この移行時間の風向は,陸風から海風へ,または海風から陸風へ時計廻りに連結する風向である. 4) 海風と陸風の風速を比較した場合,海風の方が強い.春~夏における最大風速では,海風を1とすると陸風はほぼ0.7~0.8倍の強さである. 5) 海風の風速の最大は13~16時ごろ現われる.しかし午前に極大がでるところもある.陸風には,海風ほど顕著に現われる時間帯がない. 6) 夕なぎは明らかで海風の最強時の1/2~1/3の風速に弱まる.朝なぎは明らかでない. 7) 日の出後で,しかも陸風の終るころ, 8~10時に風速の極大がでることがある. 8) 海風の風速,安定した風向の出現からみると,海風が明らかに発達するのは, 4月から10月までである.
著者
赤木 祥彦
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.34, no.2, pp.55-67, 1961-02-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
48
被引用文献数
4 1

中国山地に発達しているペディメントのうち, 3段の侵蝕平坦面の境に発達しているそれにっいて検討したが,結果は次のようである. (1) ペディメントは比高のある崖の前面で,しかもペディメントの部分が花崗岩類で構成されており,背後急斜面の頂上部,あるいは大部分が硬岩層で構成されている所に発達しており,岩石の種類・配置によつて制約されている. (2) 背後急斜面とペディメントの間には傾斜の不連続部がある. (3) ほとんどのペディメントが小谷によつて開析されており,現在ではペディメントは発達していない. (4) ペディメント上はすべて角礫ないし亜角礫が花崗岩の風化土壌をマトリックスとして堆積しており,その中に不規則にシルト層が堆積していることがある. (5) ペディメントは急斜面が風化作用・重力の働き・雨水の働きにより後退してその概形が形成され,礫の移動によりさらに侵蝕されたと考えられる.礫の移動は主に重力の働きによるのではなく,流水の働きによつた. (6) ペディメント形成当時の気候はおそらく,現在より,より乾燥した気候であつたであろう.
著者
貝塚 爽平
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.25, no.6, pp.242-246, 1952-06-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
6

In this paper, the origin of asynmetrical river terrace of Dosi-gawa (river) hass been considered. From the shape of terrace and the distribution of terrace gravel, it is concluded that Doshi-gawa is an example of C. A. Cotton's “Valley-side superposition, ” and the lateral sliding of the trunk river on the ancient valley floor was caused by the pushing of fan-shape deposits of tributaries. And, the asynmetrical pressure of tributary deposits are derived from the difference of catchment areas and bights on both side sloes of the trunk river.
著者
大和 広明 高橋 日出男 三上 岳彦
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100057, 2012 (Released:2013-03-08)

筆者らの研究グループでは首都圏全体のヒートアイランド現象を空間的・時間的に高密度に観測するために,気温の観測網を展開している.この観測網を「広域METROS」と呼称している. この広域METROSのデータを使って,夏季日中に南寄りの風が吹いた日を対象に気温分布を解析したところ,首都圏の気温分布は海風の影響を強く受けていたことが明らかになった.典型的な海風前線が見られた日には,海風前線が関東平野の中央部を進行する13~15時には,海風が進入している沿岸域が低温となり,海風前線の前面で気温が高い傾向が見られた.このうち,東京の風下では特に他の地域に比べて海風前線の進入が遅く,風が弱く,気温が高かった.東京の風下に形成される高温域の中心は埼玉県川越市付近に位置していた.この時間帯には従来のAMeDASデータの解析から関東平野の高温の中心であるとされた埼玉県熊谷市付近でも周囲よりも気温が高く,午後の早い時間の内陸の高温域は,関東平野の中央部と北西部の2つの地域に分離されることが明らかになった.一方で、総観規模でやや強い南寄りの風が吹きやすい気圧配置の日の気温分布を解析したところ,海風前線が風の水平分布からはほとんど見られずに,午後の早い時間帯に川越市付近に顕著な高温域が見られずに,関東平野の北部に高温の中心が位置していた.このことから,川越市付近の高温域の形成には海風前線が関係していることが示唆された. 内陸の高温域(川越市付近と熊谷市付近)の気温が沿岸部と比較して相対的に一番高くなるのは,典型的な海風前線が見られる日であった.特に川越と沿岸部の気温が拡大する時には東京の風下で海風前線が停滞しているときであった. 内陸の高温域で気温が高くなりやすい原因として下降流の存在が考えられた.川越付近では海風前線の通過前に露点温度の顕著な現象が観測される.これは海風前線前面に存在する弱い下降流に対応していると考えられ,海風前線の進入が遅いことで川越付近では長く下降流域に存在することによって気温が高くなると考えられる.一方で,熊谷付近では海からの空気の進入が他の風向の日に比べて遅く,谷風循環の下降流が長く続くために,気温が高くなっていると考えられる.また,地上の観測データから移流量を計算したところ,高温域形成に移流の影響はないと結論づけられた.
著者
中條 曉仁
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100128, 2014 (Released:2014-03-31)

近年の離島をはじめとする農山漁村ではコミュニティの小規模高齢化や地域経済の空洞化が進み,それらをいかに維持あるいは補完するかが喫緊の課題となっている。観光まちづくりは,こうした地域の状況に対する有効な取り組みとして注目されている。また,都市農村交流という点でも重視されている。本報告では,条件不利地域であり隔絶性の強い離島における観光まちづくりの実践を取り上げ,それが進められてきたプロセスとそれを可能にする地域的条件,および課題を検討する。 対象地域として取り上げるのは,長崎県五島列島北部に位置する小値賀町である。同町は佐世保市から西に90kmの航路距離にあり,人口2,780人,高齢人口比率は45%(2012年)に達している。主な産業は漁業であるが,近年は魚価の低迷と担い手不足に直面するなど,地域問題がさまざまな面で顕在化している。 小値賀町で観光開発が始まったのは,1988年代に策定された「ワイルドパーク構想」であった。同町を構成する野﨑島において宿泊施設と野生シカを飼育する牧場が整備されたが,集客施設というハードを整備しただけの観光開発は来訪者の増加にはつながらず失敗に終わる。 1990年代の観光開発の失敗経験を受けて,2000年以降ソフト面を重視した事業が展開される。すなわち,町内に広がる西海国立公園と野﨑島の宿泊施設を活用した「ながさき島の自然学校」を開設(2000年~;自然体験活動事業)したり,欧州の音楽家を招いてコンサートや音楽講習会を開催する「おぢか国際音楽祭」が開催(2001年~)されたりしていることが挙げられる。こうした事業展開は,地域資源の魅力発揮と域外交流人口を拡大する基盤整備として位置づけられる。 こうした中で,小値賀町は「平成の大合併」という地域再編に直面する。人口減少と高齢化に伴う財政の悪化に対して,2002~2008年にかけて佐世保市や隣接する宇久町との合併が繰り返し模索され,町を二分する議論に発展し住民投票に至った。最終的に周辺市町とは合併せずに単独町政を維持することを選択したが,合併問題を契機に住民の多くが町の将来を考え,それが観光まちづくりへの意識を醸成させることになったといわれている。 観光まちづくりの主体となる組織として,NPO法人「おぢかアイランドツーリズム協会」が町内の既存の観光組合等を統合して2006年に設立され,観光窓口の一元化が図られた。さらに,2009年にはそれを母体としてさらなる事業拡大を目指して「小値賀観光まちづくり公社」が発足している。同組織はIターン者を担い手としてまき込みながら,NPOから引き継いだ民泊や修学旅行の受け入れ事業を拡大することに加え,町内の古民家を買収・改装して高付加価値の宿泊施設やレストランの経営事業を展開し,小値賀町における観光まちづくりの主体となっている。こうした事業展開は来訪宿泊客と観光収入の増加をもたらし,民泊参加世帯の増加や新たな雇用の創出など一定の地域的効果をもたらしている。小値賀町における観光まちづくりのねらいの一つは,観光を基幹産業となってきた漁業を補完する産業に育成することにあるといえる。 小値賀町の観光まちづくりは,域外交流人口の拡大から地域経済を維持・拡大するための展開にその性格を変化させ,地域経済に対して一定の効果が認められる。また,女性や高齢者が主要な担い手として関与しているという点でも重要である。しかし,観光まちづくりが経済的手段としてのみ担い手にとらえられているかどうかについてはさらなる検討が必要である。また,現状では集落が担い手となっているわけではなく,高齢社会化に直面するコミュニティの維持にいかに対応していくかが課題である。
著者
森 壽美衞
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.7, no.6, pp.477-501, 1931-06-01 (Released:2008-12-24)
著者
中田 高 高橋 達郎 木庭 元晴
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.51, no.2, pp.87-108, 1978-02-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
61
被引用文献数
25 28

琉球列島の完新世離水サンゴ礁の地形とその年代から,地震性地殻変動地域におけるサンゴ礁形成過程と完新世後半の海水準変動曲線の復元を試みた.このため,離水サンゴ礁の地形断面を簡易測量によって作成し,異なった層準面から得られた58個のサンゴ化石試料の14C年代からサンゴの礁発達過程を明らかにしようとした.小宝島,宝島および喜界島において復元された相対的海水準変動曲線から,間歇的地震性隆起によってサンゴ礁の離水段化が進んだことがわかった.地殻変動は長期的には等速的であり,間歇的地震性隆起により段化は進むが,地震間の地殻変動が比較的静穏な時期には海水準変動は氷河性海水準変動そのものであるという考えから,喜界島の相対的海水準変動曲線から間歓的隆起量を除去し,海水準変動曲線を復元した.この海水準変動曲線は,日本で一般的に受け入れられているFairbridge curveにみられる,いわゆる後氷期の高位海水準は認められず, Shepard curveに代表されるゆるやかに上昇し現海水準に達する海水準変動曲線に近い.
著者
川口 丈夫
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.11, no.1, pp.1-23, 1935-01-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
2
被引用文献数
1 1
著者
卯田 卓矢 益田 理広 金 錦 細谷 美紀 久保 倫子 松井 圭介
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.120, 2013 (Released:2013-09-04)

北陸地方は「真宗王国」とも称されるように浄土真宗(以下,真宗)の篤信地帯として知られている.真宗は「講」を基盤とした集団活動を通して教線を拡大させたといわれるが,北陸においても小地域単位での講の組織化が信仰を拡大,あるいは持続させていく上で大きな役割を果たした. 他方で,講のような信仰集団は,精神的な結びつきを生むだけでなく,村落の社会構造を反映し,村落社会の秩序や成員相互の紐帯を維持・強化する機能も有している.真宗の講組織においても,庚申講や山の神講などの信仰的講と同様に,村落社会と構造的に結びつていることが指摘されてきた.宇治(1996)は,村落の社会構造が寺御講や村御講の基盤となり,かつ講組織の維持にも深く関係すると述べている.また,宇治は村落構造を分析する視点として,集落内の階層性や血縁関係,社会組織などに着目している. そこで,本研究ではこの視点を踏まえ,富山県下新川郡入善町の道市地区を事例に,当地区の血縁・同族関係,社会組織との関係性から,講組織の構造とその持続性について明らかにすることを目的とする. 入善町道市地区は市街地の入膳地区から1kmほど西に位置し,人口は241人である(2012年9月現在).住民によると,ここ50年の間に当地区へ転入したのは2世帯のみであり,新住民が僅少であることが地区の特徴の一つといえる. 道市地区の社会組織は班,及び地区を単位とする組織から構成される.班は同族関係を基盤に形成され,冠婚葬祭などの諸行事において顕著に結びつく.一方,地区の組織は自治会と各種団体が存在し,住民は年齢ごとに地区の様々な行事の運営,維持に携わる.こういった活動は地区の伝統や文化を継承することの重要性を自然と吸収し,道市住民としての自覚を養うことに寄与している. 次に真宗の講組織について見ると,当地区では住民のほとんどが大谷派,及び本願寺派の門徒である.講組織は寺御講,村御講,報恩講が存在し,地区内の門徒はいずれの講にも積極的に参加している.その中で,村御講は毎月大谷派と本願寺派の門徒が合同で営み,講の当番は各戸の戸主が担当し,当番と同じ班の戸主の参加が慣例となっている.ここからは,班と深く結びつく形で村御講が営まれていることがわかる. 以上を踏まえ,講組織(村御講)の構造とその持続性について検討すると,村御講は班との構造的な関係性,班及び地区の社会組織の活動を通した住民意識,また真宗門徒が多数を占め,かつ新住民の僅少といった道市地区の地域性が重層的に結びつく中で,現在に至るまで維持されていることが確認できる. 当地区を含む北陸地方では真宗の篤信地帯という特性から,講組織の維持に対して信仰や宗教的側面に関心が向けられることが少なくなかったが,こういった地域の社会構造との関係についても注視する必要があると考えられる.
著者
山元 貴継 鎌田 誠史 浦山 隆一 澁谷 鎮明
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100329, 2014 (Released:2014-03-31)

報告の背景と目的  沖縄本島南部および宮古・八重山諸島を含む広い範囲で,「格子状集落」と呼ばれる,長方形状の街区群によって構成された集落がみられる.この「格子状集落」は,琉球王朝下で18世紀以降,既存集落の再構成や,集落移転などを伴う新規集落造成の中で,各地にみられるようになったとされる.そして,「格子状集落」の成立は,琉球王朝が実施した,土地はあくまで集落共有のものとして私有を認めず,住民には耕作権などのみを与えるとする土地旧慣「地割制度」が背景となっていることが指摘されてきた.土地を計画的に配分し,一定期間後にはその再配分を行う「地割制度」の前提のもと,四角形かつほぼ同面積の屋敷地を整然と配列させた街区群で構成された「格子状集落」が,琉球王朝下で広くみられるようなったという解釈となる. ただし「格子状集落」も,土地整理事業(1899年~)に伴い「地割制度」が撤廃されて土地の私有が進み,土地集積や細分化も進展して,さらには沖縄戦の被害も受けた.その沖縄戦の中で,土地整理事業以降使われてきた地籍図の多くが失われ,住民も大きく入れ替わっており,「格子状集落」の原型的な構造がどのようなものであったのかについて明らかにしにくくなっている.そこで本報告では,かろうじて土地調査事業当時のものとみられる地籍図面の写しを残す南城市玉城(旧玉城村)の前川集落などを事例とし,それらの図面をもとに,「格子状集落」に映る集落について,原型的な空間構造の復元を試みる.同時に,聞き取り調査および現地確認の成果をもとに,周囲の農耕地を含めたそれらの構成がいかなる条件のもとで形づくられた可能性があるのかを検討する.研究対象集落の空間構成  前川集落は,『球陽』などによれば,1736年に現位置に移すことを認められた.かつて住民の多くは,ここから1km以上離れた通称「古島(旧集落)」に居住していたが,以降段階的な住民の移住と,後の人口増加により,前川集落は現在のような規模に発達した.現在集落は,南向き緩斜面の標高45~90mにわたって長方形状の街区が整然と並び,そこに住宅が建ち並んで,まさしく「格子状集落」となっている. 土地調査事業に基づく地籍図面などを確認すると,宅地の増加や細分化以前の,同集落の原型的な空間構造を把握できる.そこでは,「格子状集落」とはいえ同集落内の街路は大きく曲線を描き,各街区が弓なりな形態をみせていたことがより明確となる.また,全体的には南北方向1筆×東西方向3~7筆で構成された「横一列型」街区が卓越するものの,とくに集落中央部などにおいて,南北方向が2筆となるといった不定型な街区もみられる.ほかに各宅地(屋敷地)は,地筆により約2倍の面積差があったことが明らかとなった.面積が大きく不定型な宅地は相対的に集落の中央部にあり,そこから上方・下方に向かうに従って,それぞれ正方形に近く定形で,比較的面積の小さい宅地群がみられるようになる.そして,これらの宅地群の周囲には同心円的に,集落の宅地部の幅の約2倍長さを半径とする範囲まで,農地が展開していた.その範囲の周囲を取り囲むように,第二次世界大戦の前後までは,「抱護」と呼ばれた松並木群があったとされ,その存在を示す山林地筆が環状に分布していた. こうした傾向を,国土基本図および航空写真の判読で明らかになる地形条件と重ね合わせてみると,集落のうち宅地は,緩斜面の中でも舌状になっている部分に発達していることが示される.そして,面積の大きい宅地は傾斜約1/10の斜面部分を中心に存在しており,比較的面積の小さい宅地群は,そこからより急斜面となる上方と,ほぼ平坦地となる下方へと展開していた.同様の構成は,八重瀬町具志頭(旧具志頭村)の安里集落などでも確認できる.また,宅地-農耕地の外側を囲む形になる山林地筆は,集落周囲の急崖や,わずかな高まりを丁寧にたどって分布していた. 「格子状集落」拡大のプロセス 以上の分析の過程においては,住民の多くがかつて居住していた「古島」の平坦地を離れて,この舌状の緩斜面に「格子状集落」を展開させた形となることが明らかとなる.そして,集落中央の面積が大きく不定型な宅地は,集落内でも最も早期に移住者の子孫が居住してきた屋敷地に該当する.そこを軸に当初は上方に,後に下方に街区を拡大させて現在の集落構成となったとする住民の認識をもとにすれば,集落の拡大はより急斜面での街区の造成を伴っていた.その過程において,東西方向の等高線に沿うような曲線街路が設定されることになり,かつ,各屋敷地内にあまり高低差をつくらないようにする,南北方向の幅を狭くした宅地群-「格子状集落」を形づくる「横一列型」街区が前提となったのではないかと想定された.
著者
關口 武
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.16, no.7, pp.453-476, 1940-07-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
15

Numerous wind names have been known in Japan from old, par-ticularly among fishermen. Some of them were investigated, with the following results; (1) Of names for the S and N winds which are the two prevailing ones in Japan, there are quite a few, used almost everywhere along the sea, but not so in the case of the E and W winds. (2) “Anazi (Anaze)”, “Narai”, “Tamakaze” mean the NW winter monsoon. Their distributions are shown in Fig. 1, 2, 3. Generally speaking, they are disliked for their windiness. (3) “Maxi (Maze)”, “Hae (Hai)”, “Minami”, “Kudari” are names for the SE monsoon in summer. Their distributions are shown in Figs. 5, 6, 7, 8. Generally they are favourable winds. (4) From these distributions, Japan can be divided into three divi-sions. (a) Setouti Division…… “Anazi”, “Mazi”, “Hae”. (b) Pacific Division…… “Narai”, “Minanii” (c) Japan Sea Division “Tamakaze”, “Kudari” (5) These divisions greatly resemble the three varieties of fish-hook, namely, (a) is the region of the round type of fish-hook, (b) of the angular type, and (c) of the longish type. (6) “Ai” distributed along the Japan Sea, stands for the NE breeze in summer. It has been the wind for mariners in the Japan Sea from ancient times, especially in the Edo Age. (7) “Hikata”, which has the same distribution as the “Ai”, is the land breeze from the Tyugoku Range in the summer evenings. (8) The above two names have the longest histories. They are mentioned in the records of in the Nary dynasty. about thirteen cen-turies ago. Their distributions (Figs. 4, 9) are very characteristic, that is, they are known only along the Japan Sea coast. (9) “koti”, E wind, having the widest distribution, is the most popular wind name. It is generally regarded as spring wind (=cukoo wind), but fishermen dread it, because it often brings rain or storm. (Fig. 10) (10) Changes of meaning of a word, in cultural boundary region, have very typical expressions in these wind names: their original meanings are forgotten, their blowing seasons, direction and proper-ties are modified very often in boundary regions such as Tohoku and Kyusyu districts.
著者
安田 初雄
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.29, no.2, pp.90-101, 1956-02-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
32
著者
鏡味 完二
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.18, no.11, pp.886-902, 1942-11-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
9
著者
山本 正三
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.30, no.4, pp.275-289, 1957-04-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
9
被引用文献数
1
著者
下川 和夫
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.53, no.3, pp.171-188, 1980-03-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
59
被引用文献数
10 9

只見川上流域に分布するアバランシュ・シュートの形態を記載し,その分布を規定する諸要因を考察した.アバランシュ・シュートは全層雪崩の面的な侵食作用によって形成され,浅いU字型の横断面形と,直線ないし僅かに凹型の縦断面形を呈する.調査地域におけるその規模は,横幅10~80m,走路長150~700m,比高100~500mの範囲内である.傾斜は35~50°であり,雪崩の発生しうる傾斜より傾斜の範囲が狭い.雪崩の発生要因をふまえて考察したアバランシュ・シュートの分布を規定する要因は,一面においては地質,他方では斜面傾斜である.つまり,新第三系や流紋岩地域で分布密度が高く,古生界や花闘岩地域で低い.一方,傾斜35°以上の斜面の分布頻度との対応関係が顕著である.しかし,アバランシュ・シュートの分布と積雪深,斜面長,斜面の標高などの雪崩の発生要因との相関はみられない.その方位分布についてみると,雪庇や吹き溜りが形成される冬の季節風の風下側で,やや発現頻度が高い.
著者
当麻 成志
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.31, no.8, pp.477-486, 1958-08-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
20
被引用文献数
1 1

Maruyama-kyo was one of the biggest new religious groups which sprang up in Japan around 1880. The writer intends to explain how it grew strong in so short a time and what process it passed through in its growth and decline. I. The rapid development of the religion can be attributed to the facts: (1) There occurred a sudden revolutionary change in social economy; (2) and then the cultures of the districts, where Mt. Fuji is in sight, were intermingled with each other, and with it Maruyama-kyo made a wide-spread though it was limited to those areas. II. The community structures of those villages, where this religion took root, can be classified into three types in accordance with each social geographic situation of city-environs, plains and mountainous regions. III. As soon as peace came to society and social economy recovered its normal state, Maruyama-kyo ceased developing and began to be naturalized as was the case with the old religion-Buddhism. It was found that there were two types in its naturalizing process according to the courses along which Maruyama-kyo developed.
著者
山本 健太 市原 真優 和田 崇
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100046, 2015 (Released:2015-04-13)

【背景】演劇の消費は,劇場などの空間でなされる.そのため,演劇活動は,劇場が多く立地する大都市を中心に展開してきた.他方で,近年になり,一部の中堅,若手演劇人の中から,地方還流の動きも出てきている. 【調査概要】このような状況に鑑み,本発表では,地方における小劇場演劇の実態を担い手と観客の双方から示し,地方における演劇文化の発展可能性について検討する.調査対象は,広島市で活動する劇団と,協力の得られた劇団Aの2014年8月公演の観客(144人[回収率66.7%])である.調査方法は劇団主宰者へのインタビュー,観客へのアンケートである.東京などの大都市と異なり,地方都市では活動している劇団は必ずしも多くない.広島市の場合,活動が確認できた劇団は31団体である.このうち11団体の関係者からインタビューの協力を得られた.調査協力を得られた劇団Aは,広島市南区民文化センターの「演劇マネジメント活性化事業」による演劇若手人材育成ワークショップであり,当該センターの公設劇団と位置付けられている.【劇団員】劇団員はいずれも広島県内に定住し,本職を有しており,演劇活動は趣味である.演劇で生計を立てておらず,団員の上京意思は高くない.広島市内で活動を続けること,主宰者と演劇することに意義を見出している.主宰者も,団員選考にあたっては,長期にわたって共に作品を作り上げていける人物であることを重視している. 【活動場所】演劇活動の場は,稽古場所と公演場所に区分できる.広島においては,それらの大半が公共施設である.市内には,公演場所となるホールを有する施設は18ある.これらのうち,一部の施設では,客席数が500を超えており規模が大きく,あまり利用されていない.稽古場は,青少年センター,公民館,男女共同参画社会推進センターなどに限定される.これらはいずれも低料金であることから選択されている.しかし,夜間の利用時間に制限があり,劇団の需要を十分に満たしているとは言えない.【情報の発信】公演情報の発信手段として,チラシ,フリーペーパー,SNSなどが挙げられた.また,新聞やラジオなどを通じた広報もしている.ただし,これらの広報手段は,後述するように観客の情報源とは必ずしも一致しない. チケット販売経路では,手売りが一般的である.手売りの購入者は劇団関係者の親族や友人,知人などの「身内的な客」であることが推察される.そのほか,インターネットやプレイガイドでの販売も挙げられた.ただし,対象となった劇団の客層は「顔なじみ客」が多く,手売りで購入する場合が多い.インタビュー調査でも,手売り以外の窓口は,劇団の主要客層とのミスマッチから,十分に機能していないと指摘された.【観劇者の特徴】女性の比率が高い.対象劇団の特性から,学生の比率が高い.大半が市内在住である.東京や大阪での調査結果と比較すると,演劇経験者の比率が高い.【情報の受信】観客の96%が公演の情報源として劇団関係者との会話やメールを挙げている.他方で,インターネット経由の情報を指摘したものは16%にとどまった.チケット購入経路でも,65%が役者,スタッフからと回答しており,彼らが「身内的な観客」であることを示唆している. 【まとめ】地方における演劇活動は場所,時間ともに非常に限定される.公演は,「身内的な観客」によって支えられている.それら以外の客層をいかに育て,取り込んでいくかが重要である.担い手と観客の仲介役としての劇場の役割が期待される.
著者
菅野 峰明 平井 誠
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.80, 2006 (Released:2006-05-18)

1.はじめに アメリカ合衆国のフロリダ州は第二次世界大戦後、北東部や中西部から暖かい気候を求める高齢者の流入が続き、高齢者率の高い州として知られるようになった。フロリダ州において65歳以上の人口が全人口に占める比率は16.8%(2004年)であり、全米の州の中で最も高齢者比率が高い。フロリダ州への1995_から_2000年の国内純人口移動60.7万人のうち、14.9万人が65歳以上の高齢者であり、全体の24.6%を高齢者が占めた。これらの高齢者の流入は、退職した人々が余生を温和な気候の地域で送るため、と説明されてきた。ところが、最近の高齢者の移動を見ると、伝統的に高齢者が定住することの多かった東海岸の南部よりも西海岸に人口移動率の高い郡が見られるようになった.フロリダ半島の西海岸地域には高齢者のための新しく開発されたリタイアメント・コミュニティが多い。そこで、高齢者が居住地としてフロリダ州の西海岸のリタイアメント・コミュニティを選択する要因を明らかにするために2004年9月と2005年9月にフロリダ州タンパ・セントピーターズバーグ都市圏において実地調査を行った。2.リタイアメント・コミュニティ 1960年にアリゾナ州フェニックス市郊外に建設されたサン・シティの成功により、フロリダ州でもリタイアメント・コミュニティが多数建設されるようになった。リタイアメント・コミュニティの規模は数十戸から数千戸まで規模は様々であるが、住民に対するサービスとして、ゴルフコース、テニスコート、屋内外プール、サウナ、エアロビクスの部屋、室内トレーニング場等を備え、さらに日常の生活を支援する建物の中に図書館、インターネットに接続できるコンピュータールームを備えているところもある。新しいリタイアメント・コミュニティはゲーテッド・コミュニティとなっており、防犯態勢が整備されている。 タンパ都市圏内にあるリタイアメント・コミュニティのサン・シティ・センターで付属施設、コミュニティ内のクラブ活動等の調査と住民を対象にしたアンケート調査を行った。サン・シティ・センターは1961年に建設が始まり、現在では7,500世帯、約13,000人が居住している。住民へのアンケートの結果、このリタイアメント・コミュニティを選択した理由として一番多かったのは、温暖な気候(72%)、次いでフロリダのライフスタイル(71%)、犯罪の少なさと安全性(34%)、生活費の安さ(26%)、親類への近さ(24%)と続き、これまで言われてきたことが裏付けられた(第1表)。かつてフロリダ州で高齢者比率が多かったマイアミ大都市圏では高齢者の純移動率が減少に転じてしまった。これは、フロリダ州の南東部から半島西部への高齢者の移動のためである。それはヒスパニック系が増加し、犯罪率の高いマイアミ大都市圏から安全性の高い半島西部のリタイアメント・コミュニティへの移動と関係している。この移動はさらに、大都市圏におけるアパートやコンドミニアムの居住から戸建て中心のリタイアメント・コミュニティへの移動ということにもなる。