- 著者
-
伊東 勇貴
熊木 洋太
- 出版者
- The Association of Japanese Geographers
- 雑誌
- 日本地理学会発表要旨集
- 巻号頁・発行日
- pp.100199, 2016 (Released:2016-04-08)
房総半島の千倉付近には,元禄関東地震(1703年)と同様の地殻変動(数mの隆起)を伴う地震(以後,元禄型地震)によって離水したと考えられている4段の明瞭な海成段丘面がある。これらは上位から沼Ⅰ~Ⅳ面と呼ばれ,それぞれ沼Ⅰ面:7200年前頃,沼Ⅱ面:5000年前頃,沼Ⅲ面:3000年前頃,沼Ⅳ面:AD1703年の元禄関東地震時に離水したことが明らかにされている(中田ほか,1980;藤原ほか,1999など)。この地域に河口を持つ河川沿いでは,これらの海成段丘面に連続する河岸段丘面が存在し,地震時の相対的な海面低下による河床低下が上流に波及して河岸段丘が形成されたと考えられる。これらの河川は丘陵域に発する小規模なもので,この期間の上流側の環境変化は小さいと考えられ,相対的海面低下による河岸段丘形成過程を検討するのに適しているが,これまでほとんど研究されてこなかった。本研究では,千倉平野とその北側の古川平野を流下する河川沿いの段丘面を区分し,各面の分布や形状,縦断形の特徴を把握した。また各段丘面構成層の観察を行った。特に後述する古川Ⅳ面および千倉Ⅳ面の段丘構成層については,堆積物中に材化石,貝化石を発見したので,加速器質量分析法による14C年代測定を行った。これらの結果に基づいて,河岸段丘の発達過程について考察した結果,以下の結論が得られた。 1)千倉平野を流下する瀬戸川と川尻川の両河川沿いには4段の段丘面(千倉Ⅰ~Ⅳ面)が存在している。古川平野を流下する三原川,温石川,丸山川沿いにも4段の段丘面(古川Ⅰ~Ⅳ面)が存在している。これらはいずれも両地域にまたがって発達する沼Ⅰ~Ⅳ面に連続するか,最下流部での面高度がほぼ一致することから,沼Ⅰ~Ⅳ面を離水させた地震性隆起が原因となって形成されたと考えられる。 2)千倉Ⅱ面・古川Ⅱ面の形成は7200年前以降5000年前までのおよそ2200年間(期間1)に,千倉Ⅲ面・古川Ⅲ面の形成は5000年前以降3000年前までのおよそ2000年間(期間2)に,千倉Ⅳ面・古川Ⅳ面は3000年前からAD1703年までのおよそ2700年間(期間3)に形成されたと考えられる。 3)瀬戸川下流での露頭観察と年代測定結果から,千倉Ⅳ面の構成層(層厚約6m)の堆積開始は906~743 cal BP頃の少し前だと考えられる。したがって,瀬戸川下流での千倉Ⅳ面堆積物は,500~700年あまりの短期間で堆積し,これ以前の2000年間程度はもっぱら侵食傾向にあったと考えられる。 4)各期間には,谷が下刻による峡谷の状態から,側刻・堆積による幅広い地形面を形成する状態へ変化すると考えられる。また上述の瀬戸川下流のデータからは,その変化が生じるには,相対的海面低下後2000年近い時間が必要であると考えられる。 5)千倉Ⅳ面・古川Ⅳ面は,千倉Ⅱ面・古川Ⅱ面や千倉Ⅲ面・古川Ⅲ面より上流側にまで分布している。期間3がそれ以前の期間1,2より相当長いことから,遷急点がより上流側まで後退し,側刻・堆積作用によって段丘面が形成された範囲がより上流側にまで達したからと考えられる。 6)温石川,丸山川,瀬戸川,川尻川の現河床に見られる遷急点から求められる遷急点の平均後退速度は,それぞれ3m/y,6m/y,3m/y,2m/y程度である。また,各期間の終了時の遷急点の位置が幅広い段丘面分布範囲のやや上流にあり,当時の河口の位置が段丘面分布域の最下流部にあったと仮定すると,丸山川における期間1・2での遷急点の平均後退速度は,それぞれ1.7m/y,1.4m/y程度,瀬戸川における期間3の遷急点の平均後退速度は0.8m/y,川尻川における期間3の遷急点の平均後退速度は0.6m/y程度となり,期間が長くなると平均後退速度は小さくなる傾向が認められる。これらの値は,柳田(1991)が日高山脈の西側で段丘が発達するが最終氷期に堆積段丘は発達しない河川で得た値(1~3m/y)とほぼ同等である。