著者
酒匂 まどか Madoka SAKO
出版者
鳴門教育大学教員教育国際協力センター
雑誌
鳴門教育大学国際教育協力研究 = NUE Journal of International Educational Cooperation (ISSN:18810799)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.61-68, 2021-02-01

本稿の目的は,インクルーシブ教育における「すべての子どもたち」という言葉に着目しながら,インクルーシブ授業の実践化に向けて必要な視点を明らかにすることである。世界的な動向としてインクルーシブ教育への転換が推奨される中,その定義や解釈は各国においてさまざまであり,本来の理念が異なった形で解釈される事例も少なくない。本稿では,サラマンカ声明やユネスコの定義を再検討することを通して,「すべての子どもたち」が包摂されるインクルーシブな学級とは,「一人ひとりが多元的な価値をもち,その価値が学習に豊かさをもたらす場」であるととらえ,こうした認識がインクルーシブ授業の実践を支える可能性をもつことを指摘した。さらに,多様な子どもたちによる共同の学びをどのようにつくり出していけばよいか,「参加」と「差異」という視点からインクルーシブ授業の具体的な実践化に向けて検討した。
著者
佐野 淳也 Junya Sano
出版者
同志社大学
巻号頁・発行日
2020-03-05

「内発的地域イノベーション・エコシステム」とは、地域課題の革新的な解決を可能にする多様なプレイヤーによる機能的ネットワークであり、相互作用と共進化により持続する自律的システムである。人口減少を迎える小規模自治体において、いかにそうしたエコシステムを生み出し、地域公共財としての社会関係資本を蓄積しながら、しなやかに地域社会を維持・発展させていくことが可能なのかについて、国内の先進事例をもとに分析を行った。
著者
村田 勇三郎
雑誌
大妻女子大学紀要. 文系
巻号頁・発行日
vol.39, pp.182-165, 2007-03
著者
磯島 和樹 萩原 将文
雑誌
情報処理学会論文誌 (ISSN:18827764)
巻号頁・発行日
vol.62, no.1, pp.378-386, 2021-01-15

本論文では,話題語を応答に反映させる話題語Seq2Seqを用いた,共感と助言に着目した自動相談システムを提案する.相談においては相手の感情に共感する発話と,相手に対して情報を与える助言の発話が求められる.提案システムでは相談者の入力文から抽出した感性語や話題語をもとに共感と助言の2つの発話を使い分ける.共感の発話にはテンプレート文を用い,助言の発話には話題語を応答に反映させる話題語Seq2Seqを提案する.話題語Seq2Seqにより,ありきたりな応答を生成しやすい従来のSeq2Seqを改善し,相談内容に関する多様な応答を生成できるようになった.評価実験では,従来のSeq2Seqを用いた相談システムと比較する主観評価実験を行った.その結果,従来システムよりも多様でユーザに寄り添う応答を生成できることが示された.
著者
小林 孝雄
出版者
文教大学
雑誌
生活科学研究 = Bulletin of Living Science (ISSN:02852454)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.43-53, 2018-03-30

ロジャーズによる「治療的人格変化の必要十分条件」論文は、ロジャーズ理論における最重要論文とみなされている。しかしながら、この論文は、自然科学的心理学の枠組みで記述することを要請されたもので、必ずしもロジャーズの意図に沿ったものではない。とはいえ、自然科学的心理学で認められることもロジャーズが望んだことでもあった。この論文は、記述されることになった経緯があるのであり、この論文単独では、ロジャーズ理論を正しく理解することはできない。本論考では、この論文の成立経緯と、前後のロジャーズ理論の展開について、主に「共感的理解」に注目し、ロジャーズ理論の正しい理解のために必要な論点を整理する。
著者
山内 信幸 Nobuyuki Yamauchi
出版者
同志社大学文化情報学会
雑誌
文化情報学 = Journal of culture and information science (ISSN:18808603)
巻号頁・発行日
vol.7, no.2, pp.1-12, 2012-03-31

本稿では、「強意」という表現について、英語の強意副詞の分析から得られた知見によって、強意表現が「程度」から「強意」という連続体の中で段階性をもって具現化されるという前提で、日本語の強意副詞、とりわけ、「全然」の分析に応用し、その意味記述を試みた。まず、英語の強意副詞については、インフォーマントチェックによる検証を基に、強意副詞とされる増幅詞を分析の対象として、日本語の「全く」あるいは「非常に」には一律に対応するものではなく、強意の意味・機能にも程度差があることを確認した。また、コーパスによる研究によっても、この言語事実が裏打ちできることを指摘した。次に、英語の分析で得られた知見を日本語の分析の応用する試みとして、日本語の強意副詞と目される「全然」をとりあげて、その意味・機能を探った。まず、複数の国語辞典の記述を基に問題点を抽出し、従来から認められてきた「全然」+否定形については自明のこととして、本稿の分析対象からははずし、「全然」+肯定形について、時代の変遷とともに、その用法を検討した。『広辞苑』の語義記述を基にして、強意を表す「全く」と程度を表す「全く」および「非常に」に分類し、すべてが、程度から強意という連続した意味論上のスケール上に属しながら、その意味・機能が変化し、最終的には、新しい意味・機能が、欠落していた、あるいは、一時的に用いられていた意味・機能を補完するという主張を先行研究に触れつつ検討した。
著者
酒井 克彦
出版者
中央ロー・ジャーナル編集委員会
雑誌
中央ロー・ジャーナル (ISSN:13496239)
巻号頁・発行日
vol.13, no.4, pp.47-62, 2017-03-31

平成23年に国税通則法が改正され、税務調査手続に関する各種の規定が設けられた。そこでは、修正申告の勧奨をすることができる旨の規定は新設されたものの、その勧奨の在り方に関する規定は存在しない。これまでは、納税者の明確な拒絶に反して繰り返し修正申告を勧めるといったケースなど、法の趣旨を逸脱すると認められる場合に当たらない限り、修正申告の勧奨の違法性が問われることはなかったと思われる。しかしながら、投資者保護あるいは消費者保護法制が想定するような「誤解をさせる行為」や「困惑をさせる行為」は、修正申告の勧奨の場面においても同様にあるのであるから、これらの行為が抑制されるような立法的手当はあり得るのではなかろうか。本稿では、この点についてのルール化を図る必要性について論じている。
著者
岡 惠介
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.87, pp.217-236, 2001-03-30

北上山地の山村ではかつて凶作・飢饉が頻発し,藩の重税や耕地面積の狭さもあって,通年分の食料をいかに確保するかは最重要の課題であった。北上山地の山村の人々の多くは地域の野生植物を最大限に利用し,山を開墾して耕地面積を広げることによって,不足しがちな食料を確保してきた[岡 1990]。このような戦略を「居住地域内完結型生存戦略」ととらえ,東北の山村では一般的な戦略だとする意見もある[名本 1996]。筆者の調査地である北上山地の山村・岩泉町安家においては,戦後の食糧難の時代にも,シタミ(ナラ類の堅果)がアク抜きして利用され,焼畑が開墾された。これらは藩政時代の飢饉時の対応とほぼ同じであり,いわば100年以上の有効性を持ち得た持続可能性の高い戦略であった。この戦略をとるためには,東北地方の中でも北上山地に集中して分布する,広大なミズナラ林[青野ら 1975]の存在が不可欠であった。そして藩政時代のたたら製鉄や昭和10年以降の製炭産業の経営にも,豊かなミズナラ林が必要であった。安家にも出稼ぎは明治期から一部にあった。しかしこの居住地域外を志向する生存戦略が拡大しなかったのは,明治以降に発達した地頭名子制度によって,村人が小作・名子化していったことと,農村恐慌対策による通年稼働型の製炭産業の隆盛が大きかった。農村恐慌の時代には,東北農村からの娘の身売りが問題になった。しかし安家では,食料の確保が難しかった家は村内の富裕層に子供を奉公に出したため,外部への娘の身売りはなかった。また山村の富裕層は,平地農村の娘を引き取って育てることもあった。これらが可能だったのはまだ山村の経済がかなり自給的だったためで,その自給性を畑作・焼畑と共に支えたミズナラ林の存在は大きい。富裕層は小作・名子の労働によって豊かだったのであり,その小作・名子の生存を支えた柱の一つとしてシタミがあったからである。
著者
奥田 孝晴
出版者
文教大学湘南総合研究所
雑誌
湘南フォーラム : 文教大学湘南総合研究所紀要 = Shonan forum : journal of the Shonan Research Institute Bunkyo University (ISSN:18834752)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.19-42, 2017-03-19

This paper has focused on the issue of existing unequal power structures in the world, as well as those in Japan in similar shape. So-called center-periphery relation being formed by irrational sociopolitical alienation can be typically found between Tokyo and Tohoku, northeast part of Japan that has been established in historical perspective. Tohoku has been discriminated as backward region for a long time as well as it has been designated as mono-cultured production base of rice and raw silk like inner colony from the Japanese successive authorities. Due to its oppressed position, however, Tohoku had splendid thinkers of radical critics in the past.For Example, Shoueki ANDHO criticized exploitation of the feudal establishment in the Edo era in the 17th century from viewpoint of his ideal of equal and ecological society. And Kanji ISHIWARA, a prominent military strategist of the Showa era in the 20th century schemed to make Imperial Japan be freed from its inferior status as “periphery” in the established global imperialist order through winning final war against the Unite States as “center” of it. In this paper, the author has made an academic trial to show the existing center-periphery structure in the Japanese society through critical thinking on historical perspective and tried to find wisdom for solution from viewpoint of our globalization studies as intellectual movement.