著者
松村 正三
出版者
科学技術政策研究所 科学技術動向研究センター
雑誌
科学技術動向 (ISSN:13493663)
巻号頁・発行日
no.091, pp.25-39, 2008-10-01 (Released:2013-06-12)
著者
白石 栄一
出版者
科学技術政策研究所 科学技術動向研究センター
雑誌
科学技術動向 (ISSN:13493663)
巻号頁・発行日
no.095, pp.34-45, 2009-02-01 (Released:2013-06-12)
著者
肖 珊珊
出版者
関西大学大学院東アジア文化研究科
雑誌
東アジア文化交渉研究 = Journal of East Asian cultural interaction studies (ISSN:18827748)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.329-341, 2017-03-31

文部科学省グローバルCOEプログラム 関西大学文化交渉学教育研究拠点
著者
高原 秀介
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.157-170, 2009-03

1.「民主化の推進」(1)ラテンアメリカから始動した「民主化の推進」(2)安全保障の観点から重視された「民主化の推進」2.「反帝国主義」(1)世紀転換期のアメリカとウィルソン(2)ウィルソンと「反帝国主義」3.「民族自決主義」(1)「14ヵ条」に見られる「民族自決主義」の真意(2)ウィルソンの「民族自決主義」のあいまいさ4.「単独行動主義」(1)ウィルソン外交に見られる「単独行動主義」おわりに
著者
中川 右也
出版者
愛知教育大学大学院・静岡大学大学院教育学研究科共同教科開発学専攻(後期3年博士課程)
雑誌
教科開発学論集 (ISSN:21877327)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.59-75, 2018-03-31

本研究は、近年の教育現場におけるアクティブラーニング型授業に応じた、帰納的句動詞学習法を提案するものである。句動詞習得は、動詞と不変化詞の部分の総和から、句動詞全体の意味が予想できないというゲシュタルト性により困難を伴うこともあるが、理論言語学の1 つ、認知言語学の知見を応用し、概念メタファという意味の有縁性に着目することによって、納得しながら定着が図れる学習法を試みる。語彙習得においては、教師主導型の演繹的学習が多い中、帰納的句動詞学習へと転換できるよう、ジグソー法を援用した学習法を設計し、その有用性について先行研究と調査結果の考察を交えながら示す。本研究は、認知言語学と第二言語習得の観点からの外国語教授法とを統合した教科学と、学習科学や心理学などを融合し、新たな視点を持った教科開発学という研究分野の構築を目指すものである。
著者
出口 三平 清水 厳三郎
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 = The Zinbun Gakuhō : Journal of Humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.108, pp.163-187, 2015-12-30

特集 : 日本宗教史像の再構築 --トランスナショナルヒストリーを中心として-- ≪第IV部 : 宗教のつなぎ方 --大本の宗教提携と平和運動をめぐって--≫
著者
久保田 義弘
出版者
札幌学院大学総合研究所
雑誌
札幌学院大学経済論集 = Sapporo Gakuin University Review of Economics (ISSN:18848974)
巻号頁・発行日
no.5, pp.41-62, 2013-03

本稿では,16世紀中期のスコットランドの宗教改革前夜の国際情勢の中で,スコットランド王国がイングランド王国とフランス王国に翻弄されながらも,自国のアイデンティティを模索し,スコットランドの自律あるいは自立に政治生命を賭けた国王メアリー女王の時代を調べる。イングランド王国によるスコットランド王国の征服・併合の策謀は,エドワード1世(在位1272年-1307年)やエドワード3世(在位1327年-1377年)に見られるたが,しかし,第1次独立戦争(1306年から1328年まで)や第2次独立戦争(1329年から1377年ごろまで)におけるスコットランドの勝利によって回避された。テューダ朝ヘンリー7世の治世下での経済力の伸展をベースにして,ヘンリー8世のフランス侵攻戦略によってイングランド王国による一体化攻勢が再開された。本稿の最初の節ではメアリー女王がフランスへの脱出し,フランス王妃になり,そして帰国したメアリー女王と王母マリー・ドゥ・ロレーヌの宗教政策と会衆指導層の戦いを概観する。次節では,メアリー女王の再婚と私設秘書ダヴィッド・リッチオならびにダーンリー卿ヘンリー・ステュワートの暗殺と,メアリー女王のイングランドでの陰謀の失敗とメアリーの死を概観する。それと同時に,1560年2月27日にイングランドとの間で結んだベリク協定(Treaty of Berwick)とエディンバラ条約(Treaty of Edinburgh)によって,スコットランドとイングランドの絆が強くなり,フランスとの古い同盟は反古にされ,両国の合同が間近にせまっていた。