著者
三村 昌義
雑誌
芸能の科学 = Geinō no kagaku
巻号頁・発行日
no.19 : 芸能論考XII, pp.93-121, 1991-12-10
著者
福田 アジオ
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.49, pp.237-272, 1993-03-25

日本の墓制の民俗学的研究で従来最も関心が寄せられてきたのは両墓制の問題である。両墓制研究の焦点はそれが古いか新しいかという点にあった。もちろん古いとする考えが民俗学研究者のなかでは多数派であり、日本人の古来の他界観・霊魂観を示すものとしてきた。それらの多くの研究は二つの施設のそれぞれの名称やその間の儀礼的な関係に注目し、両墓への墓参の継続期間や他方への移行時期に注意を払ってきた。またこの墓制を古いとする考えは石塔以前の姿を追究する傾向を生み、墓地・墓石以外の仏堂、位牌堂、あるいは霊山、死者の赴く山などの事象を研究の対象とするようなことが多くなった。以上のような従来の両墓制研究は、村落における空間的配置の問題には必ずしも注目してこなかった。空間的配置に注目しても、両墓のみを取り出して、その距離を問題とするものが多く、村落空間全体のなかに位置付ける努力は少なかった。本稿では、両墓制を村落空間の問題として理解し、両墓制が村落そのものの歴史的形成過程と密接に関連して登場してきたものであると同時に、両墓制の両墓の配置は石塔建立の民俗が村落社会で一般化する段階での埋葬墓地のあり方の相違が作り出したものということを論証しようとした。近江地方のいくつかの村落の墓制では、埋葬墓地が例外なくヤマの領域にあるのに対して石塔建立墓地が村落によって一定しないことが、両墓遠隔型、両墓近接型という両墓制の諸類型を作り出している。それに対して、関東地方などの墓制は遺体埋葬が屋敷内ないしは屋敷続きに行われていたところへ石塔建立の一般化があって、単墓制が成立したものと思われる。したがって、石塔建立の一般化の時期における埋葬墓地のあるべき場所についての観念の相違が両墓制と単墓制という二つの墓制を成立させ、日本の大きな地方差を作り出したものと考えられる。
著者
枝 重夫 EDA SHIGEO
出版者
松本歯科大学学会
雑誌
松本歯学 = Journal of the Matsumoto Dental University Society (ISSN:21887233)
巻号頁・発行日
vol.42, no.2, pp.118-120, 2016-12-25

Previously I presented 291 publications regarding biographies of Dr. Hideyo Noguchi and his related persons to Matsumoto Shigaku (13 : 1–34, 198₇ ; 15 : 21₇–231, 198₇ ; 20 : 80–99, 1994 ; 23 : 194–210, 199₇ ; 26 : 13₇–145, 2000). In this paper an additional book (Fig. 242), a color silver coin (Fig. 243), 4 postage stamps (Figs. 244–24₇) and a medal (2008, Figs. 248, A, B) were described. Noguchiʼs postage stamps were issued already 2 (1949 and 2013) in Japan ; 2 (19₇6) in Ecuador; 1 (1993) in Guyana; 3 (199₇) in Ghana. The Noguchiʼs memorial coin is the first in the medical world of Japan.
著者
森岡 正博
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要
巻号頁・発行日
vol.3, pp.79-104, 1990-09-30

二十世紀の学問は、専門分化された縦割りの学問であった。二十一世紀には、専門分野横断的な新しいスタイルの学問が誕生しなければならない。そのような横断的学問のひとつとして、「文化位相学」を提案する。文化位相学は、「文化位相」という手法を用いることで、文化を扱うすべての学問を横断する形で形成される。
著者
森谷 利香 池田 七衣
雑誌
摂南大学看護学研究 = Setsunan University Nursing Research
巻号頁・発行日
vol.2, no.1, pp.22-30, 2014-03

本研究は多発性硬化症(Multiple Sclerosis;MS)病者の漸進的筋弛緩法(Progressive Muscle Relaxation; PMR)による疲労への影響及び、実施上の課題を考察することが目的である。4事例を対象に2週間継続してPMRを行った。PMRは16筋群を対象とし、30分のCDで行うものである。1日目、7日目、14日目に研究者が訪問し、共に実施の後、評価を行った。それ以外は、対象者が一人で実施した。結果、全員が安全かつ適切に実施できた。そして2人の主観的疲労が低下し、日誌においても疲労が軽減したという記載があった。また2人の活力が上昇し、活動量が増加したという記載があり、疲労の改善による影響と推察された。同時に不眠や痛みが改善したとの記述があった。つまり、MSの二次的疲労の原因と考えられている不眠やストレスへの介入としてPMRが有用である可能性がある。一方で身体的QOLが標準を下回る対象者が2人いた。PMRに伴う知覚異常や身体へのネガティヴな認知との関連についての検討が必要である。
著者
古川 元也
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.180, pp.129-140, 2014-02-28

室町時代後期の都市京都を考える際に、社会的組織として重要な構成要素となるのは洛中日蓮教団(宗祖日蓮を師と仰ぐ信仰集団)である。洛中の日蓮教団は鎌倉時代後期から南北朝期に日蓮門下六老祖の一人である日朗が京都への布教を開始し、その後大覚妙実、日像の布教によって教線を拡大し、後醍醐天皇による四海唱導布教の綸旨を得てからは、四条門流を中心に諸派の離合集散を繰り返しながらも宗勢を増してゆくのである。日蓮教団は天文五年に宗門にとっての一大法難ともいうべき天文法華の乱(天文法難)に遭ったとされ、最終的には帰洛を勅許されるも一時的には洛中より追放されていた。その後も教団内部における門流の対立や和合、織田信長による天正七年の安土宗論敗北など教団内の運営は安定性を欠き、通説的理解では十六世紀後半の教団の恢復は十分にはなされなかったとされている。ところで、天文法華の乱を前後して制作されている洛中洛外図の諸本には日蓮教団系寺院が描きこまれている。従来の洛中洛外図研究ではこれら寺院の存在が景観年代の確定に寄与したこともあったが、洛中洛外図の諸本が制作依頼者の意図に基づく理想的景観を盛りこんだ工房作であることを考えれば、個別の景観年代追求はさほど意味のあることでもない。また、これら日蓮教団寺院は諸本によって差異があり、描写も一様ではない。むしろ考究すべきは、洛中より追放処分を受けた教団が描き続けられなければならない理由はどのようなものなのかであり、洛中諸本山のうちの描写される本山とそれ以外の本山に差異はあるのか、そのことはどのような社会的背景を持つのかを確定する必要があろう。本稿では、成立年代とその制作背景が確定されつつある洛中洛外図の研究成果を援用しつつ、描かれた日蓮教団諸本山が意味する点について論及したい。
著者
臼井 亮人 中島 武三志 菅野 由弘
雑誌
エンタテインメントコンピューティングシンポジウム2017論文集
巻号頁・発行日
vol.2017, pp.184-187, 2017-09-09

近年VRの技術に注目が集まる中で、クロスモーダル現象(五感が相互に作用しあうことによって起こる現象)による錯覚が重要視されている。クロスモーダル現象に関する研究は視覚に関するものが多いが、聴覚に関しても着目することでVRの臨場感の向上やメタリアリティの発展につながるのではと考え今回の研究に取り組んだ。具体的には弾力性のある仮想物体に対するインタラクションに対して感覚を得られるか調べた。