著者
佐藤 裕
出版者
富山大学人文学部
雑誌
富山大学人文学部紀要 (ISSN:03865975)
巻号頁・発行日
no.59, pp.1-33, 2013

ウィトゲンシュタインの哲学,特に「哲学探究」を中心とする,いわゆる「後期」のそれは,社会学という学問分野においても多くの議論を呼び起こしてきた。とりわけ,「規則(に従うこと)」や「私的言語」といった論点は,「言語(活動)」と「社会」との接点に位置しており,社会学者にとって意義のある検討課題であろう。 しかし,後期ウィトゲンシュタインの「中心テーマ」と評されることもある,「言語ゲーム」という概念それ自体は,それほど主題化されてこなかったのではないかと私は考えている。これは,ウィトゲンシュタイン自身がこの概念を明確には定義しておらず,むしろ積極的な定義を避けているようにも見える,といったことにもよるだろうし,この概念を理論的な概念であるというよりは理論の方向性を(漠然と)示すものとして受け止められてきたためではないかとも思う。 しかしながら,少なくとも社会学にとっては,この「言語ゲーム」という概念は,それ自体が詳細に検討する価値のある概念なのではないかと私は考えている。そこで,本論では「言語ゲーム」という概念そのものを主題化することにより,社会学におけるこの概念の利用可能性を検討したい。
著者
山浦 晴男
出版者
医学書院
雑誌
看護研究 (ISSN:00228370)
巻号頁・発行日
vol.50, no.3, pp.218-227, 2017-06-15

はじめに この小論は,次の文献と筆者の体験をもとに,クラシックGTとKJ法およびそれに準拠した質的統合法(KJ法)を比較検討している。 Ⅰ. 川喜田二郎(1967).発想法─創造性開発のために.中央公論社. Ⅱ. 川喜田二郎(1986).KJ法─渾沌をして語らしめる.中央公論社. Ⅲ. B.G.グレイザー&A.L.ストラウス/後藤隆,大出春江,水野節夫訳(1996).データ対話型理論の発見─調査からいかに理論をうみだすか.新曜社. Ⅳ. 山浦晴男(2008).科学的な質的研究のための質的統合法(KJ法)と考察法の理論と技術.看護研究,41(1),11-32. Ⅴ. 山浦晴男(2012).質的統合法入門─考え方と手順.医学書院. Ⅵ. V.Bマーティン&A.ユンニルド編/志村健一,小島通代,水野節夫監訳(2017).グラウンデッド・セオリー─バーニー・グレーザーの哲学・方法・実践.ミネルヴァ書房. これらの文献とともに,KJ法の創案者川喜田二郎氏に直接指導を受けた20年間の体験と,その後の26年間にわたる筆者の実践経験に基づき,比較検討を行なった。 日本ではグレイザーの流れに基づくクラシック・グラウンデッド・セオリー(以下,クラシックGT)のほかに,ストラウスの流れをくむグラウンデッド・セオリー(以下,GT)が普及しているとされている。そこで次の文献も参照したが,本小論では主にクラシックGTとの比較を行なっている。 Ⅶ. 木下康二(2003).グラウンデッド・セオリー・アプローチの実践─質的研究への誘い.弘文堂. Ⅷ. 戈木クレイグヒル滋子(2005).質的研究方法ゼミナール─グラウンデッド・セオリー・アプローチを学ぶ.医学書院. Ⅸ. 戈木クレイグヒル滋子(2006).グラウンデッド・セオリー・アプローチ─理論を生みだすまで.新曜社. Ⅹ. 髙木廣文(2011).質的研究を科学する.医学書院. これらに加えてさらに,次の文献を参照している。 Ⅺ. マイケル・ポランニー/高橋勇夫訳(2003).暗黙知の次元.筑摩書房. Ⅻ. 伊藤邦武(2016).プラグマティズム入門.筑摩書房. なお,筆者はクラシックGTおよびGTの直接的な体験がなく,文献ならびに小島通代氏の講義と口頭での学びの範囲での理解であり,そこに理解の限界があることを申し添えたい。また,以降の本文中の引用については,一部を除いて,上に挙げた文献番号を示す形とさせていただきたい。

2 0 0 0 OA 言語学

著者
藤岡勝二 述
出版者
哲学館
巻号頁・発行日
1901
著者
松浦 良充
出版者
The Japanese Society for the Philosophy of Education
雑誌
教育哲学研究 (ISSN:03873153)
巻号頁・発行日
no.94, pp.128-136, 2006

教育哲学と教育思想史研究との関係をどのように考えるか。<BR>この問題を、私たちの学会はくりかえし問うてきた。現在でもさまざまな立場や議論が存在するだろう。これまで教育哲学の名の下に展開してきた研究の少なからぬ部分が、教育思想、特に欧米のそれらの紹介や分析であったことは周知の事実である。そしてそのような実態に対して、しばしば強い懸念が示されてきてもいる。他方教育哲学は、現在の日本の教育問題に対して考察を挑もうとするとき、その枠組みをなす概念装置を必要とする。そうした概念装置をより精緻で有効なものに練りあげるために、既存の教育思想を資源として活用することは論難されるべきことではない。しかも「教育」という概念や認識の枠組みが、近代社会において生成した歴史的な構成物であることを考慮に入れれば、欧米の教育思想が参照されることには一定の正当性があると言えよう。<BR>もっとも、教育哲学の名の下に展開している教育思想の研究が、必ずしも教育思想史研究になっているわけではない。それらの多くは、その教育思想が課題として直面したはずの社会的状況や歴史的文脈とは無関係に、ただ抽象的な概念のみが抽出されて論じられることが多いからである。かといつて社会的・歴史的視点がないのが教育哲学、あるのが教育思想史ということにはならない。実は、現代日本の教育問題自体が歴史的文脈のなかで構成されているのである。したがって教育哲学の考察も必然的に歴史的な視野をふまえて展開されるべきである。そうした視野や文脈を無視するからこそ、教育哲学が教育の現実的問題に有効なはたらきをなしえていない、との批判を浴びることにもなるのであろう。<BR>一方、教育思想史研究も、それが単なる過去や異国へのディレッタント的な関心以上のものをめざすのならば、現代の教育問題とそれを構成している歴史的文脈と無関係なところに、その研究課題を設定するわけにはゆかない。その意味で、教育哲学と教育思想史研究は、それぞれが対象とする課題の歴史的文脈を照合しつつ、共有できる概念装置を練りあげるために協働することができるはずである。そしてその接点を構成するのが、教育にかかわる概念史研究である。
著者
長尾 真理
出版者
三田哲學會
雑誌
哲学 (ISSN:05632099)
巻号頁・発行日
vol.113, pp.131-164, 2005-03

1. はじめに2. 「対象関係論」の成立3. 「対象関係論」の特質4. ウィニコットと乳幼児の世界5. 自我の発達と母親の役割 (1) 絶対的依存段階 (2) 相対的依存段階 1) 鏡としての母親の役割 2) 移行対象の理論 (3) 人格統合の段階 1) 対象を使用する能力 2) 「一人でいられる能力」 3) 「思いやり」を持つ能力 (4) 自我の発達と母親の役割6. おわりに投稿論文
著者
神田 愛子 カンダ アイコ Kanda Aiko
出版者
同志社大学一神教学際研究センター(CISMOR)
雑誌
一神教世界 = The world of monotheistic religions (ISSN:21850380)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.17-32, 2014-03-31

12世紀のユダヤ思想家マイモニデス(1138-1204)は、スペインのコルドバでラビの家系に生まれ育った。当時この地域はムワッヒド朝(1130-1269)下にあり、迫害を逃れるため一家はアンダルス南部と北アフリカを流転、モロッコのフェズ、イスラエルの港町アッコを経てカイロ旧市街フスタートに定住、自身はアイユーブ朝(1171-1250)の宮廷医となる。彼の著作には、アンダルス時代の『論理学』(Maqāla fī ṣināʿat al-manṭiq)や、ユダヤ暦に関する『置閏法』(Maʾamar ha-ʿibbur, 1157/1158)、転居後に執筆した『ミシュナー註解』(Pirush ha-mishnayot, 1161-1168)、『イエメン書簡』(Iggeret Teman, 1172)、『ミシュネー・トーラー』(Mishneh Torah, 1168-1177)、また哲学的著作『迷える者の手引き』(Dalālat al-ḥāʾirīn, 1185-1191)、『復活論』(Maʾamar tehiyyat ha-metim, 1191)の他、地中海沿岸のユダヤ共同体に書き送ったレスポンサや書簡が残存している。イスラーム王朝興亡の只中にあって、ユダヤ人のラビとして、またイスラーム王朝の宮廷医として、彼の遍歴が彼の著作にどう反映したのかを、『イエメン書簡』を中心に考察する。Moses Maimonides was born and grew up in Cordoba, Spain. At that time, Al-Andalus was under the control of the Almohad (1130-1269). Maimonides' family moved around Southern Spain and North Africa, through Fez and Acre, and finally settled in Fustat. He became a physician of the Ayyubid (1171-1250). His works include Treatise on the Art of Logic (Maqāla fī ṣināʿat al-manṭiq) and On the Jewish Calendar (Maʾamar ha-ʿibbur, 1157/1158), written during his stay in Al-Andalus; Commentary on the Mishnar (Pirush ha-mishnayot, 1161-1168), Epistle to Yemen (Iggeret Teman, 1172), and MishnehTorah (Mishneh Torah, 1168-1177) written after he settled in Fustat. His philosophical works include The Guide of the Perplexed (Dalālat al-ḥāʾirīn, 1185-1191) and The Treatise on Resurrection (Maʾamar tehiyyat ha-metim, 1191). Other works of Maimonides are responsa and epistles sent to the Jewish communities in the Mediterranean region. This essay will examine how his biography and the socio-political environment affected his works, in particular, Epistle to Yemen.
著者
フィチーノ マルシリオ 野村 昌章
出版者
龍谷大学
雑誌
龍谷哲学論集 (ISSN:09176284)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.101-124, 2005-01-31