3 0 0 0 OA 今昔物語集

出版者
近藤圭造
巻号頁・発行日
vol.巻第26, 1882

3 0 0 0 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1916年09月30日, 1916-09-30
著者
松﨑 愛 Megumi Matsuzaki
巻号頁・発行日
2019

筑波大学修士(図書館情報学)学位論文・平成31年3月25日授与(41250号)
著者
水産講習所 編
出版者
農林省水産講習所
巻号頁・発行日
vol.自大正7年至8年, 1925
出版者
栃木県
巻号頁・発行日
vol.自明治12年度至明治29年度, 1911

3 0 0 0 OA 新編常陸国誌

著者
中山信名 編
出版者
積善館
巻号頁・発行日
vol.上, 1901
著者
木村 汎
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.13-35,iii-iv, 2002

ロシア連邦を構成する八九の行政単位の一つであるカリーニングラード地方は、日本人にとり次の意味で無視しえない地域である。ソ連邦崩壊後リトアニアが独立国となったために、カリーニングラード地方は、ロシア本土から地理的に切り離された陸の孤島となった。モスクワの中央政府は、そのような境遇となった同地方に「経済特区」の地位を認めた。経済特区とは、関税・査証・為替通貨などにかんし優遇措置を与えることを通じて内外からの投資を惹きつけ、よって当該地域の経済活動を活性化しようとする工夫のことである。ソ連邦解体後の一九九一~九二年にかけて、ロシア連邦内には約十四ヶ所の「経済特区」が設立された。 他方、ロシア政府は、一九九六年一一月以来、日本から領土返還を要求されている北方領土で日ロ両国が「共同経済開発」を行うことを提案している。「共同経済開発」とは、ロシア側の解釈によれば、一種の「経済特区」。ロシアによる「共同経済開発」提案の諾否を決定するにあたり、日本側は、類似の「経済特区」構想が現実にはどのような運命を辿っているのか、研究する必要がある。そのような観点からカリーニングラードの経済特区研究を行った研究は、皆無である。 結論を先に述べれば、ロシアの「経済特区」構想は、現在スローガン倒れに終わった。そのアイディアはロシア連邦の一三ヶ所で失敗し、わずかにカリーニングラードで「自由関税地区」としてのささやかな形をとり生き長らえているにすぎない。なぜか?本ペーパーは、その理由の探求を試みる。文献の読破に加えて、現地調査の成果にもとづいている。 カリーニングラードの経済特区化がはかばかしく進んでいない訳は、ひとえにモスクワ中央政府の態度と政策にある。カリーニングラードの経済特区化が進むあまり、同地方が中央のコントロールの手を離れ、諸外国(特にドイツ)への傾斜を深め、経済的オートノミーばかりでなく政治的自治を拡大する。――このような事態の展開を、モスクワは、危惧する。そのような懸念の存在のために、モスクワはたんにリップサービスをおこなうのみで、現実にはカリーニングラードの経済特区化を援助するための具体的な手立てを何ら講じていない。法律も制定しなければ、奨励金もあたえようとしない。このような中央政府の非協力のゆえに、現在、カリーニングラードは、ロシア本土に比べさらに苦しい経済的困窮下にある。自由関税地区としてのわずかな優遇措置を悪用して、中古車、麻薬などの密輸、売春の中継地と化している。 近い将来、リトアニアとポーランドのEU加盟が確実視されている。これが実現すると、両国に囲まれたカリーニングラード地方とEUとのあいだの壁が現在以上に高くなり、同地方は数々の分野で甚大なる被害をこうむるだろう。そのような事態に直面し、モスクワは一体どのようなカリーニングラード政策をとるのか。要注意である。 わが国が、ロシア政府による「共同経済開発」案を受諾すべきか否かの問に対する答えは、ほとんど明白といえる。仮にまだ明白でないとの慎重な態度をとる者は、諾否を決定する前に、ロシア「経済特区」(特にカリーニングラード)の実情をまず正確に把握する必要がある。

3 0 0 0 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1898年10月26日, 1898-10-26

3 0 0 0 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1891年07月30日, 1891-07-30

3 0 0 0 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1916年08月05日, 1916-08-05
出版者
丸善
巻号頁・発行日
vol.昭和3年度, 1928
著者
浦山 久嗣 戸ヶ崎 正男 鳥谷部 創治 石原 克己
出版者
社団法人 全日本鍼灸学会
雑誌
全日本鍼灸学会雑誌 (ISSN:02859955)
巻号頁・発行日
vol.61, no.4, pp.392-410, 2011 (Released:2012-02-06)
参考文献数
47

1997年版の『厚生白書』では、未病という言語を「疾病の予防管理」という意味で記されている。一方中国では、2006年「治未病」政策5カ年計画、2008年「治未病」プロジェクトにおいて、生活習慣病改善と医療費削減のため、 方針は予防・養生・保健重視へと質的に変わった。 「治未病」 につて、『素問』『霊枢』では予防・養生及び疾病の発病段階での初期・早期治療の意味で記され、 『難経』『金匱要略』では疾病の変化を予測し、病の伝変防止の意味で記され、一貫堂医学などでは体質改善の意味で記されている。 今回のシンポジウムで私は、被災地ボランティア活動報告及び、 マクロ的視点から医学・医療の現況 (現代と健康問題)、「健康・病・自己治癒力の関係」「治未病」 「道・命の世界」、中国の「治未病」政策に触れた。シンポジストには「治未病」の史的究明、日本における「治未病」と「未病治」といった用語の問題及び「治未病」の臨床実践として、自己治癒力と全体治療をベースにした上での養生法の一部、 初期治療、 病の伝変防止、 体質改善への取り組み、 「人迎気口診」と「脈状と病態」から初期治療の成果を述べていただいた。 これからの鍼灸界・人類一人一人の命の質、健康、幸福、医療経済などを考えた時、今回の「治未病」のシンポジウムの内容が医療・医学会並びに医療従事者、病む人など一人一人に大きな示唆を与えることが出来れば幸甚である。
著者
西山 厚
出版者
日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会大会研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.25, 2013

正倉院の内部は3つの部屋に分かれており、北倉には聖武天皇遺愛の品々、中倉にはさまざまな献納品と造東大寺司関連のもの、そして南倉には東大寺の宝物が納められている。そのいずれにも飲食に用いる器物が含まれており、あるいは楽器などの宝物に飲食の場面が描かれているものもある。人のための飲食器ばかりではなく、仏のための飲食器もみられる。中倉には厖大な古文書(正倉院文書)が伝わっており、それは写経所の帳簿であるのだが、紙背は反古となった公文書で、役人のための食糧についての記述も少なくない。正倉院宝物からみえてくる古代人の飲食の世界を、美しい画像を用いて紹介したい。