著者
多賀谷環中仙 著
出版者
米山堂
巻号頁・発行日
vol.梅, 1929
著者
森崎 潤 阿萬 裕久
出版者
一般社団法人電子情報通信学会
雑誌
電子情報通信学会技術研究報告. KBSE, 知能ソフトウェア工学 (ISSN:09135685)
巻号頁・発行日
vol.107, no.159, pp.7-12, 2007-07-17
被引用文献数
1

ソースコードの保守工程において,特定のコード断片がバージョンアップのたびに繰り返し変更されるという変更の連鎖が発生することがある.連鎖の途中にある場合,同じ箇所へのたび重なる変更によりコードが不安定な状態にあると考えられる.本稿では,Eclipseに対する測定実験及びデータ分析を行い,変更の連鎖が起こったケースの安定性について調査・検討を行っている.その結果,変更の連鎖が発生したケースでは,連鎖中よりも連載終了後の法が変更量が小さい.つまり連鎖が終了すると安定する傾向にあるということが確認されている.あわせて,短い連鎖の方がその傾向が強いということも確認されている.また変更の連鎖が起こった場合,その不安定な状態は約18%の確率で後のバージョンアップへ持続されているという結果も得られている.
著者
浦山 雅弘 原 隆宏
出版者
日本臨床外科学会
雑誌
日本臨床外科学会雑誌 (ISSN:13452843)
巻号頁・発行日
vol.63, no.2, pp.417-420, 2002-02-25 (Released:2009-01-22)
参考文献数
9

症例は62歳女性,約52年前急性虫垂炎で手術を受けており,その創部周囲に発赤,疼痛が出現し来院した.血液学的に炎症所見を認め,腹部X線およびCT検査にて糞石様所見があり,虫垂炎が疑われた.虫垂炎の手術既往があったため,抗生物質投与で経過観察したが,翌日,腹部所見が増悪したため,手術を施行した. 52年前の創部は筋層が離開しており,皮下に炎症を伴った虫垂が約2cmほど遺残しており,先端が癒着していた.定型的に虫垂切除を施行した.術後経過は良好であった. 一般に,虫垂切除術の既往があれば,右下腹部痛を示す急性腹症の際に急性虫垂炎は除外され得る.自験例は初回手術時に遺残した虫垂に再度炎症を生じた遺残虫垂炎の症例で,非常に稀な例と考えられた.近年,虫垂炎の診断には超音波が有用とされているが,本症例ではCT検査がより有用であった.
著者
市来 弘志
巻号頁・発行日
2014-01-22 (Released:2013-11-08)

本論文は五胡十六国時代における華北の遊牧民の歴史について、多角的に考察したものである。第一部「五胡十六国時代民族史への視点――研究史」では五胡十六国民族史の研究史と諸先学の問題意識について述べた。一九世紀末から二〇世紀初頭にかけて、多民族を包括する「帝国」としての清朝を、近代国民国家としての「中国」に改変するために、全く実態のない方便あるいは仮説的概念として提唱された「中華民族」論は、複雑な政治過程の中で次第にあたかも実態を持つかのように取り扱われ、晩年の孫文に至って大漢族主義と変わらぬものと成り果てた。当時の学術界にはこれとは立場を異にする顧頡剛のグループなども存在したが、結局費孝通によって集大成された「中華民族」論は、中華人民共和国の体制イデオロギーと化していった。費孝通は漢族と他の「少数民族」を対等の立場に置くと標榜して民族識別工作に従事したが、歴史観としてはやはり漢族に主たる地位を認め、大漢族主義への傾斜を拭い去れなかった。魏晋南北朝民族史研究においては、胡と漢に対等の歴史的地位を認め胡の側の主体性を重視する日本・韓国の研究に対し、中国の研究は胡漢の民族融合を認めながらも、あくまで漢の側が主であるという立場に固執する。このような大漢族主義的傾向は中国の最も良心的な研究者にもあり、民族に関する考え方が根本的に異なることが浮き彫りとなる。第二部「五胡十六国時代前期における民族関係――冉魏政権をめぐって」では当時の激しい民族対立の例として、五胡十六国時代前期を代表する大国である後趙の末期に起きた、冉閔による胡人虐殺事件を中心に取り上げ、その背景及び冉閔政権の性格について検討した。冉閔と冉魏政権の軌跡は、当時における胡漢の激しい対立を象徴するものであるが、同時に胡漢が入り乱れて単純に「胡漢対立」だけでは説明できないこの時代の複雑な状況をもよく示している。第四部で詳述するが、四世紀の河北地域は徙民政策により大量の胡人が居住し、人口の上では先住民である漢人を上回っていた。また胡人は鄴や襄国の周囲で牧畜を営み、農業は主要産業ではなくなっていた。胡人が後趙の政治軍事の主導権を握り支配者として君臨していたのは言うまでもない。当地の漢人の地位はあらゆる意味で大幅に低下していた。それ故に漢人の胡人への反発と敵意は反って激烈なものとなった。冉閔の胡人虐殺の背景にはこのような状況があった。しかし当地の胡化・牧畜化という滔々たる流れはこの事件を経ても止まることはなかった。三五二年の時点において当地に漢人政権を存立させる社会的基盤は既に無く、冉閔の政権は短命に終わらざるを得なかったのである。第三部「五胡十六国時代後期における遊牧民の活動――大夏と統万城」では、前秦崩壊後の五胡十六国時代後期を代表する大国の一つ大夏について、建国者赫連勃勃の築いた統万城を中心に歴史地理的観点から分析を加えた。劉衛辰以来の匈奴鉄佛部と大夏国の軌跡は、四世紀以前は長城線周辺にあった遊牧民が次第に中国内地に進出し、先住の諸民族を征服支配していくという当時の趨勢の代表的なものである。劉衛辰から赫連勃勃にかけての匈奴鉄佛部・大夏国の軌跡を通観すると、関中平原を征服するまでは一貫して遊牧地区及び半農半牧地区を活動領域としており、中国本土に居住して長い南匈奴、羯、氐、羌とは明らかに性格が異なる。大夏は北魏と並んで、塞外の遊牧民が中国本土を征服統治した国である。大夏の発展は華北地域の胡化・牧畜化の深化を示すものである。第四部「華北における牧畜民と牧畜業」では、華北に移住した遊牧民達が持ち込んだ牧畜業の影響および自然環境の問題について論じた。この時代においては、黄河下流の河北、河西、黄河上流の関中など各地で牧畜民の進出と産業の牧畜化が進行していた。これは当時の気候変化の影響を強く受けたものだが、同時に牧畜民の進出は各地の自然環境を変化させていった。こうして華北各地の景観は次第に牧畜的なものに改変され、この地はさながら内陸アジアの一部と言って良い状態になっていった。自然環境・産業・景観までが様相を一変させていったのである以上のように民族観、民族関係、政治、考古遺跡、牧畜業などの産業、自然環境など様々な角度から五胡十六国時代を論じてきた。全体として言えるのは、この時代を通じて「胡化」「牧畜化」現象が華北の政治・軍事・経済・社会・生活・自然環境・景観などあらゆる方面で進行し、それ以前とは全く異なる時代を生みだしていったことである。華北の各地各階層各方面に牧畜民の確固たる社会が成立し、従来の漢人社会と厳しい緊張関係を孕みながらも共存し、時に激しく対立しながらも相互に影響し合っていた。五胡と呼ばれる牧畜民は少数の「ゲスト」などではなく主人公であり、彼らの進出は一時的現象ではなかった。彼らは当時の情勢や環境に巧みに適応し、先住民である漢人の文化を吸収しながら、時代に即した政治制度や新しい産業形態、生活文化を発展させた。そしてやがて様々な文化が混じり合う中から、それ以前とは全く違う社会を作り出していく。五胡十六国時代を通じて華北社会は根本から変容を遂げたのである。
著者
橋新 裕一
出版者
特定非営利活動法人 日本レーザー医学会
雑誌
日本レーザー医学会誌 (ISSN:02886200)
巻号頁・発行日
vol.32, no.4, pp.456-462, 2012-02-15 (Released:2014-02-05)
参考文献数
18

「事故は起きる」ものと絶えず認識しておくべきである.社団法人レーザー学会が約1 年間に亘ってアンケート調査を実施した.著者はホームページや文献で事故例を調査した.事故の多くは実験室で起こった.また,日本で一般的に用いられているNd:YAG レーザーによる事故が多かった.中心窩が傷害を受けた事故では,視力障害を招く.著者はCO2レーザーやNd:YAG レーザーで火傷したり,服を焦がしたりした経験を持つ.KrF エキシマレーザーで角膜に傷害を被った経験もあった.これらの事故の発生状況などの詳細を紹介する.安全対策として,光波長に合わせた防護ゴーグルを着用することが重要である.また,定期的な安全教育を継続することも肝要である.