2 0 0 0 築山庭造伝

著者
北村援琴 著
出版者
加島書店
巻号頁・発行日
vol.前編解説, 1965
著者
福岡 安則 黒坂 愛衣
出版者
埼玉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
日本アジア研究 : 埼玉大学大学院人文社会科学研究科博士後期課程 (学際系) 紀要 = Journal of Japanese & Asian studies (ISSN:13490028)
巻号頁・発行日
no.15, pp.67-98, 2018

この聞き取りの記録は,国立ハンセン病療養所「星塚敬愛園」に暮らす90代男性のライフストーリーである。語り手の上田正幸さん(園名)は,1923(大正12)年,長崎県の佐世保生まれ。5 歳以降,郷里の鹿児島県で育つ。尋常小学校5 年で発病,学校で除け者にされるようになり,高等科には進まず,うちの百姓仕事を手伝っていたが,18 歳のとき,1941(昭和16)年7 月の「大収容」で星塚敬愛園に入所。以来,70 数年を療養所で暮らしている。彼の語りは,海軍を退役して,故郷に戻って農業をしながら町会議員をつとめていた父親の思い出から始まる。父への想いをとおして,ふるさとへの想いが語られている。同時に,園内の浄土真宗の信者たちの世話役である「真宗同愛会」の会長をつとめたこともある正幸さんは,師と仰ぐ先輩入園者,山中五郎師が全国に浄財を募って園内に「星塚寺院」を建立した話を,短歌に託して思い出深く語る。彼は,まさに篤信の真宗信徒なのである。「ハンセン病問題に関する検証会議」の『最終報告書』(2005)では,宗教は入所者たちから「らい予防法」体制下での強制隔離政策への批判精神を奪うものとして機能したという側面が強調されたけれども,この語りの標題を「篤信の仏教徒が国賠訴訟の先頭に立つ」としたように,正幸さんは,1998 年に熊本地裁に提訴された「らい予防法違憲国賠訴訟」の第一次原告13 名の一人であった。ハンセン病療養所のなかでの信仰心のもつ意味について,いま一度,実情に即して見つめなおす必要があろう。彼をして原告に立つことを決断させたものは,社会に残された妹さんの「あんちゃんも苦労したんだね」の一言であった。じつに,彼の妹も2 人の弟も,結婚差別の被害に遇っている。聞き取りは,2010 年6 月20 日,午前と午後,あわせて4 時間半に及んだ。聞き手は福岡安則,黒坂愛衣,金沙織。2014 年6 月28 日に補充の聞き取りをおこなったが,紙幅の関係で基本的に割愛。2015 年2 月24 日,読み上げのかたちで原稿確認をおこなった。発表までに時間がかかってしまったが,正幸さんがお元気なうちに活字にできて,ホッとしている。2017 年10 月末に最終稿を星塚敬愛園の上田正幸さんにお送りしたところ,近侍の方から,「上田正幸さんより依頼を受けて校正のお手伝いをいたしました。2 日間にわたり読みあげをして,原稿の確認を行いました。……『自分を残すことができた。自分のほとんどが書いてある。生涯だ。私の物語だ』『縁があれば,またお会いいたしましょう』との言付けでした」との丁寧な手紙が添えられて,数ヵ所,朱の入った原稿を送り返していただいた。語り手と近侍の方に感謝申し上げる。This interview is the life story of a man in his 90s living in Hoshizuka-Keiaien, the national sanatorium. Mr. Shoukou Ueda, the interviewee was born in Sasebo, Nagasaki in 1923 and grew up in Kaghoshima prefecture after he became 5 years old. He got Hansen's disease when he was in the fifth grade of elementary school and had been an outcast. He was graduated from only elementary school and helped farming work of his family. He was sent to Hoshizuka-Keiaien when he was 18 years old through so-called the Grand Confinement in July, 1941. Since that time he has lived in the sanatorium for over 70 years.His life story begins with the memory of his father who had served as a town assemblyman of his hometown after retiring from the navy. He talked about his hometown memory through the memory of his father.At the same time, Mr. Ueda who had served as the president of Shinshu-Doaikai, the society supporting believers of the Jodo-Shinshu sect was telling the story through the tanka (Japanese poem of thirty-one syllables) that Mr. Goro Yamanaka, a senior resident of the sanatorium built Hoshizuka-Temple in the sanatorium with the donation from all over the country. Mr. Ueda is a devout Buddhist believer.The final report of the Investigation Conference of the Problems of Hansen's Disease (2005) emphasizing the part of the religion's function as the tool to undermine the sanatorium residents' criticism on the Segregation Policy under the Leprosy Prevention Law. However, as the title of this research note, "A Devout Buddhist Led the Van in the Compensation Lawsuit against the Government" tells, Mr. Ueda was one of the 13 members of the plaintiffs in the first lawsuit against the Unconstitutionality of the Leprosy Prevention Law at the Kumamoto local court in 1998. We believe it is essential to review the meaning and function of religion in the Hansen's disease sanatoriums.Mr. Ueda said that his younger sister's word saying, "You my brother had a hard time, too" made him stand as the plaintiff of the lawsuit. As a matter of fact, his sister and two brothers received marriage discrimination just because they were the family of a Hansen's disease patient.This interview was practiced in June 20th in 2010. It took four and a half hours through the before noon and the afternoon. Interviewers were Yasunori Fukuoka, Ai Kurosaka and Sajik Kim. Although a follow-up interview was practiced in June 28th in 2014, we have to omit the interview due to the lack of space. We finally verified the contents of the interview with Mr. Ueda by the format of reading and listening in February 24th 2015. We are happy that we can publish this interview with Mr. Ueda while he is still in good health.
著者
塚脇 澄子
出版者
舞踊学会
雑誌
舞踊學 (ISSN:09114017)
巻号頁・発行日
vol.1999, no.22, pp.88, 1999
著者
小林 弘明 久保田 泰徳 山田 博道 保本 朋宏 沖田 美紀 平田 晴美 金森 久幸 豊田 安基江
出版者
公益社団法人 日本獣医師会
雑誌
日本獣医師会雑誌 (ISSN:04466454)
巻号頁・発行日
vol.56, no.1, pp.15-20, 2003-01-20 (Released:2011-06-17)
参考文献数
9
被引用文献数
1 1

平成12年3月, 黒毛和種繁殖牛を9頭飼育する農家で, 畜主が牛舎近くで枝打ちした木の枝を敷料として使用したところ, 約12時間後に5頭が神経症状を示し, そのうち3頭が約60時間以内に死亡した. 病性鑑定の結果, 第一胃内容からシキミ葉を多数認め, また, シキミ葉から0.5mg/gのアニサチンを検出した. さらにシキミ葉抽出液をマウスに投与したところ, 立毛, 嘔吐様症状, 開脚姿勢, 歩様異常等の神経症状を認めたことから, 本症例をシキミによる中毒と診断した.
著者
万多親王
出版者
加賀屋善蔵
巻号頁・発行日
vol.[2], 1812
著者
松井 広
出版者
公益社団法人 日本薬理学会
雑誌
日本薬理学雑誌 (ISSN:00155691)
巻号頁・発行日
vol.148, no.2, pp.64-68, 2016 (Released:2016-08-01)
参考文献数
27

光遺伝学は,開発当初から,主に脳神経細胞に適用されてきた.しかし,光遺伝学のアイディア自体は,どんな細胞の光制御にも応用可能である.多種の細胞が形作るネットワークを,何らかの信号が行き交うことで,多細胞生物である我々は,ひとつの個体として,整合性のある活動を行っている.本稿では,脳内グリア細胞に光遺伝学を適用した例を紹介する.また,光遺伝学は,細胞内pH操作のツールとしても活用できる.私たちの研究を通して,細胞内pH変動から始まるシグナル・カスケードの重要性が明らかになってきた.本稿の後半では,脳内において,細胞内pHが変動する要因,また,pH変動が及ぼす効果について,これまでの先行研究をまとめて総説する.
著者
谷岡 曜子
出版者
一般社団法人 芸術工学会
雑誌
芸術工学会誌 (ISSN:13423061)
巻号頁・発行日
vol.82, pp.54-61, 2021

本研究では、ストーリーマンガのコマの数に関して、技法書やインターネット上で語られる通説から4つの仮説を抽出した。仮説ⅰ.コマ数の最頻値は5~7コマ、仮説ⅱ.最初のページのコマ数は全体のコマ数平均よりも少ない、仮説ⅲ.最後のページのコマ数は全体のコマ数平均よりも少ない、仮説ⅳ.全体を通してコマ数を変動させ緩急をつける。 これらの仮説の検証のためのサンプル群は、販売数統計サイト「オリコン」より、2017年2~7月期のマンガ販売数上位20作品、計120作品のうち、4コママンガ作品と重複を除く74作品の1話目とした。 仮説ⅰ~ⅳの検証の結果、ⅰ.1ページあたりの平均コマ数は4.99となり、従来の通説よりもコマ数が少ないという結果になった。1ページあたりのコマ数は時代の影響を受けやすく、仮説より少ない結果となったのはスマートフォンやタブレットなど、コミックスよりも小さなサイズの画面で鑑賞する読者の増加によると考えられる。ⅱ.最初のページのコマ数は平均よりも少なく、3.9コマであった。従来の仮説の理由となっていた、冒頭に印象的な絵や情報を配置するために大きくコマを取ることが、コマ数が減った原因であろうと考えられる。ⅲ.最後のページのコマ数は最初のページのコマ数よりも少なく、3.2コマとなった。最後のページには余韻を残す、または次回への誘引が求められるため、その影響を受けていると考えられる。ⅳ.全体を通してコマ数を変動させ緩急をつけるべきであるという仮説の検証のため、1作品を等分に4分割し、頭から区間①~④とし、区間の比較によって1話の大まかなコマ数の変化を調査した。その結果、ページあたりの平均コマ数を比較すると、区間②を頂点とした山型のグラフができた。 しかしながらコマ数が少なくなるという結果の出た区間①は、物語の重要な情報が集中する区間であり、コマ数は増えるように思われる。こうした結果になった原因は、読者への情報の提示に、わかりやすさが優先された結果であり、コマ数は情報と演出の両方から影響を受けていることがわかる。 検証の結果、仮説ⅱ~ⅳは正しい。仮説ⅰに関しては、実際には仮説よりもコマの数が少ないという結果となった。
著者
浮田 典良
出版者
一般社団法人 人文地理学会
雑誌
人文地理 (ISSN:00187216)
巻号頁・発行日
vol.22, no.4, pp.405-419, 1970-08-28 (Released:2009-04-28)
参考文献数
26

2 0 0 0 OA 秘書類纂

著者
伊藤博文 編
出版者
秘書類纂刊行会
巻号頁・発行日
vol.台湾資料, 1936