著者
小玉 亮子
出版者
日本家族社会学会
雑誌
家族社会学研究 (ISSN:0916328X)
巻号頁・発行日
vol.22, no.2, pp.154-164, 2010-10-30 (Released:2011-10-30)
参考文献数
35
被引用文献数
1

長く教育学研究のメインストリームは学校であり,家族というテーマは,必ずしも市民権を得てこなかった。アリエスの『子供の誕生』(1960=1980)は,日本語で翻訳されるやいなや,非常に大きな反響を得た。ちょうど,子どもの問題が社会問題化した時期とも重なり,この著作は,従来の子ども理解の相対化のための理論的根拠を与えるものとなった。アリエス以降,自明のものであった近代的子ども観,近代家族,近代学校が問い直され,教育学の在り方それ自体に対する問題提起がなされた。同時に,子ども問題への社会関心の高まりに呼応して,家族をターゲットとした教育政策も次々と打ち出されるようになった。教育学研究においても,教育政策においても,家族はその重要なテーマとして位置づけられてきた。しかし,家族や学校への研究上・政策上の関心の高まりは,同時にそれらへのバッシングと結びついてきた側面があったことは否めないのではないだろうか。
著者
佐藤 和夫 汐見 稔幸 宮本 みち子 折出 健二 杉田 聡 片岡 洋子 汐見 稔幸 宮本 みち子 折出 健二 杉田 聡 片岡 洋子 山田 綾 小玉 亮子 重松 克也
出版者
千葉大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2006

男女共同参画社会を形成するにあたって不可欠な課題と言うべき男性の社会化と暴力性の問題を、ヨーロッパおよびアメリカ合衆国の研究と施策について、比較研究調査した上で、日本における男性の暴力予防のために必要な研究を行い、その可能性を学校教育から社会教育にまで広めて調査した。その上で、先進諸国における男性の暴力性の関する原理的問題を解明した。
著者
小玉 亮子
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.88, pp.7-25, 2011-06-10 (Released:2014-06-03)
参考文献数
20
被引用文献数
1

幼児教育は,それが誕生した時からきわめてポリティカルな問題であり,そこには,近代社会の三つのポリティクスをみることができる。本論文は,幼児教育に作用するポリティクスについて,その誕生のときにまで立ち戻って議論するものである。 第一に,国民国家のポリティクスがある。幼稚園を作ったフリードリッヒフレーベルは,ドイツという国のための学校体系が不可欠であると考えていた。19世期初頭においてドイツは分裂し弱体化した国であり,フィヒテやフレーベルといった人たちはドイツ人となることと,自分たちの国民国家を必要としていた。フレーベルは国民国家ドイツの教育体系の基礎として幼稚園を構想したのであった。幼稚園はドイツで普及したが,19世紀中ごろには幼稚園禁止令によって閉鎖させられてしまう。当時の反動政権は,幼稚園の自由な思想を危険なものだとみなしたのである。禁止された幼稚園運動は,国外に活路を見出し,結果的に世界に普及した。 それを促進したのが,19世紀の新しいメディアである万国博覧会である。博覧会の展示物のなかに,幼稚園とフレーベルが考案したおもちゃである恩物があった。幼稚園運動は,近代消費社会によってサポートされたのである。 第二のポリティクスは,階層のポリティクスである。幼稚園は私的なシステムとして造られ,恩物は売買される商品であった。フレーベルの教育思想はすべての階層の子どもたちにひらかれたものであったが,彼は事業を成功させるために,上・中流階層をターゲットにした。そのため当初から幼児教育システムは二元化したシステムになる要素を胚胎することとなった。 第三のポリティクスは,ジェンダーである。フレーベルによれば,幼稚園は学校とは異なるものである。そこにおける教育者のモデルは教師ではなく,母親である。幼稚園は女性のものとなると同時に,上層のためのものと下層のためのものに分断され,そこで働く女性たちのヒエラルヒーも形成された。 幼稚園を普及し拡大した,ジェンダーのポリティクスは,女性たちに働く場と特別な教育的役割を与えたが,女性たちに特殊な社会は,教師社会から分断され,社会的に低いものとみなされることとなった。
著者
小玉 亮子
出版者
横浜市立大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1999

本研究は、二〇世紀初頭のドイツにおいて、家族及ぴ家庭教育がどのように議論されたのかを明らかにすることを目的としている。特に、この時期、あるべき家庭教育の推進のための一つのシンボルとして、母の日が大きな役割をになったことに注目している。母の日はアメリカで生まれるやいなや世界中に広まっていったのだが、ドイツはその中でも特に受け入れられた国である。当時ドイツは、第二次世界大戦による敗戦の混乱のなかで、精神的立て直しが急務の課題となっていた。その課題をひきうけるべく1925年に「民族の復興のための特別委員会」がつくられた。ここに参加したのは、民間団体、地方自治体、有識者個人等さまざまであったが、そのなかで「ドイツこだくさん家族全国連盟」があった。この団体は、あるべき家族像をうちだしながら、民族の立て直しを図ることを目的としたもので、そこで、母の日は重要な位置づけを与えられた。本研究では、この「ドイツこだくさん全国連盟」の機関誌の推移をみながら、民族の復興がしだいに強調されるなかで、母の日がより重視されてくる過程を追った。母の日をめぐる議論は、一方で、理想の家族や母をたたえつつ、他方で現実の家族や女性を非難する言説によって構成されている。国家や民族の強化や立て直しといった時代の要請、また、近代家族をみずからの地位の確立に役立てようとする家族とそして女たちの期待と共犯しつつ、母の日は普及していった。ワイマール期のこのような展開は、来る全体主義の時代とは無関係ではなく、むしろ、政治体制が全体主義に移行するより以前に、助走が始まっていたことを明らかにするものである。
著者
椨 瑞希子 小玉 亮子 赤坂 榮 Hevey Denise Ang Lynn Schoyerer Gabriel Riedel Birgit
出版者
聖徳大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2014-04-01

本研究の目的は、日本、ドイツ、イギリスの3か国における家庭的保育の実態を明らかにすることを通して、子どもの視点が欠落しがちな3歳未満児保育の望ましい在り方を探ることにある。文献調査を通じて、3国いずれにあっても、①私的な営みとして存在していたものが過去20年の間に既存の就学前施設と同等の法的位置づけを得たこと、②家庭的保育法制化の誘因は緊急かつ大幅な保育拡充政策であったこと、③法制化の道程と到達点は各国における保育の歴史的背景によって異なること、④家庭的保育の衰退もしくは停滞が認められること、を明らかにした。日独、日英研究者による合同調査を通して、家庭的保育者の働き方や意識の異同も確認した。
著者
小玉 亮子
出版者
横浜市立大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2003

本研究は、1920年代において、家庭教育がどのように議論され、どのような役割が求められたのかを、明らかにすることを目的とした。このことは、列強の競合する時代に、国民国家としてのアイデンティティの強化が求められるなかで、近代家族がどのような役割を果たしたのかを分析するものである。本研究におけるキーワードは<母の日>である。1920年代という時代に、国際的にどのように議論されたのか、また国民国家内部でどのように議論されたのか、多くの国家で母の日が制度化されていく際の議論をその相互の関連性を検討した。母の日が創出されたアメリカでの議論、国民国家の再建という課題をおったドイツにおいて母の日が果たした役割を、ドイツとアメリカとの緊張関係に注目しながら分析し、国民国家と近代家族の緊張関係を明らかにすることを試みた。研究成果は大きく分けて二部構成となっている。第一部では、1920年代前後における母の日と家族に関する議論をまとめた。Kodama, 2003のMather's Dayの論文は、2003年にミネソタ大学比較女性史ワークショップにおいて報告したものを、ワークショップ参加者の助言をふまえて再構成した。小玉2006の「母の日」の論文では、議会資料を追加して議論をすすめ、小玉2007の「父の日」の論文は、父の日の成立過程を明らかにすることにより、いっそう母の日の役割が浮かびあがることから執筆されたものである。さらに、小玉2004の「少子化」に関する論文は、ドイツで母の日が普及する背景となった、出生率低下という社会問題を検討したものである。さらに、小玉2007の「ヴァイマル憲法」の論文は、母の日がドイツで普及したヴァイマル期の国制のなかで、家族と母性に関する議論を分析した。第二部では、親子関係、家族関係に関する、現代日本における言説分析をおこなった。1920年代の比較家族史研究は、現代日本における家族分析を考慮することによりいっそう現代的意義が浮き彫りになると考えている。今日的問題を射程にいれて歴史を検討する、その試みのための現代分析の論文も執筆した。
著者
加藤 千香子 橋本 順光 松原 宏之 小玉 亮子
出版者
横浜国立大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2007

本研究では、まず世紀転換期における特徴的な国民規範形成のプロセスの検証がなされた。日本における「青年」の構築と組織化、アメリカでの性にかかわる問題、ドイツにおける「少子化」問題、イギリスでの黄禍論や「武士道」概念といった焦点を浮かび上がらせ、それらが同時代の世界との緊密な関係のうえに登場したことが検証された。他方、国民規範が企図した社会秩序の安定化については、必ずしも果たされたわけではないことも明らかにされた。
著者
對馬 達雄 今井 康雄 遠藤 孝夫 小玉 亮子 池田 全之 山名 淳
出版者
秋田大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2009

本研究は、戦後ドイツを通底する課題である「過去の克服」という課題に、これまで等閑視されてきた精神史、文化史、広く人間形成の側面からその本質に迫ることを目的としている。本年度は、7名の分担者が交付申請書記載のそれぞれの研究テーマに則して、文献・資料の分析を進め、2回の全体研究会を通じて、共同研究としての統一性を保ちつつ研究を進めた。より具体的には、まず遠藤は、州憲法及び基本法の制定を通して、ナチズム克服の理念としてキリスト教の復権が行われたこと、小玉はナチズムにより解体の危機に瀕していた家族の再建に関する議論と施策が行われたこと、渡邊はナチ教義の注入手段と化していた歴史教育の再建において、ヴェーニガーの「政治的歴史教育」の理念が重要な役割を果たしたことを明らかにした。また、池田は20世紀ドイツを代表する哲学者ハイデガー、リット、ヤスパースの「過去」に対する思想的対応の相違を腑分けし、今井は「政治的成人性」の理念を中核とするアドルノの教育思想の特質を「過去の克服」との関連で明らかにし、對馬は反ナチ運動の復権を司法界において最初に宣明した「レーマー裁判」の意義を検事ブリッツ・バウアーの思想と行動に関連づけて明確にした。そして、山名は「追悼施設教育学」の成立経緯とその今日的意味を「記憶文化」と関連づけて明らかにした。これらの研究成果は、平成23年3月に上梓された對馬達雄編著『ドイツ過去の克服と人間形成』の各論文として収録された。
著者
竹内 順子 柴坂 寿子 佐治 由美子 菊地 知子 塩崎 美穂 入江 礼子 小玉 亮子 私市 和子 中澤 智子 石塚 美穂子 肥後 雅代 今井 由美子 片桐 孝子 高坂 悦子 浜崎 由紀子 藤田 まどか 阿部 厚子 江波 諄子 杉本 裕子
出版者
お茶の水女子大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2009

乳幼児0~2歳が過ごす学内保育所(お茶の水女子大学附属「いずみナーサリー(以下、ナーサリー)」)の教育的質の向上と、大学全体のコミュニティとしての教育環境「大学の中で赤ちゃんが笑う」構想を実現するために、下の3つの視点から研究を総合的にすすめた。(1)週1日から週5日の通所日数自由選択や一時保育、また、1日の保育時間もフレキシブルに決められる多元的保育体制において、保育の質を保証するための保育方法、カリキュラム(学び/育ちの履歴)開発(2)環境的教材、芸術的表現教材の開発(3)大学の特性を生かし多世代・他分野との協働を生かしたコミュニティ的実践。平成24年3月に最終報告書「大学の中で赤ちゃんが笑うII」を発行した。
著者
細谷 実 加藤 千香子 小玉 亮子 熊田 一雄
出版者
関東学院大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2003

本研究が4年間に予定していた計画と、それぞれにおいて得られた成果は以下の通りである。(1)近現代日本の言説空間においてどのような男性性がたちあらわれ、どのような社会的事象を生みだしたのか、またそれぞれの男性性がどのような布置の中で競合・協働してきたのか、という全体像のマッピング:新聞雑誌等の文献大量調査については、1930年代『東京朝日新聞』『東京日日新聞』等にあらわれた「モダン・ボーイ」と「三勇士」言説の分析、明治期『愛国婦人』における兵士言説分析、中学校同人誌r初雁』における「青年」言説分析などをおこなった。一方で教科書や育児書などの分析は完全に終了せず、今後の課題となった。したがって、競合・協働の全体像のマッピングの完成までにはまだ必要な作業が残されているが、研究協力者等よりアメリカやドイツの男性史の知見について専門的知識の提供を得たことで、全体像についての仮説提示までにはいたることができた。(2)男性性の歴史的構築におけるキーパーソン達についての人物研究を行い、個別の思想についてのより具体的で詳細な考察を深め、かっそれを(1)で明らかにした近現代日本における男性性問の競合・協働の全体像の中に位置付ける:大町桂月、出口王仁三郎、山田わか、石川啄木、福沢諭吉、新渡戸稲造、中山みきなど、さまざまな人物研究を行なった。その結果、国民軍形成過程における「武士形象」と「男」であることとの複雑な関係性など、新たな知見を1獲得した。(3)(1)(2)の成果を公刊し、また成果に関するシンポジウムを開催する:2003年度に年次報告書『モダン・マスキュリニティーズ2003年』を刊行・頒布したことで、男性史への関心をひろく喚起することができた。シンポジウムについては、ジェンダー史学会のシンポジウム参加などを行なったものの、本研究プロジェクト単独での開催には至らず、今後の課題となった。