著者
松浦 晴美 本多 留美
出版者
日本コミュニケーション障害学会
雑誌
コミュニケーション障害学 (ISSN:13478451)
巻号頁・発行日
vol.22, no.1, pp.41-46, 2005-04-30 (Released:2009-11-19)
参考文献数
5

介護老人保健施設(老健)等に勤務するSTは増加の一途をたどっているが,そうした場でのST業務のガイドラインは確立されていない.老健等のSTに対し2004年に小規模な調査を行った結果から,自分達の役割を病院のSTとは異なるものとして積極的にとらえている一方,さまざまな悩みを抱えている姿が見えた.本稿では,養成校を卒業したてのSTが老健に就職し,卒業校の教員達のスーパーバイズを受けながら,老健でのSTの役割や業務を模索していくようすを報告する.老健での経験を通じて,STの役割を「生活の場でのコミュニケーション,QOLの向上に関わる」「個人に合ったコミュニケーション環境を整える」「認知症の方への評価やアプローチを行う」「スタッフ,家族,地域住民にコミュニケーション障害への認識を高める働きかけを行う」と考えるようになった.こうした視点は,生活を軸にした新しいリハビリテーションの概念と通じるものである.
著者
松浦 茂樹
出版者
一般社団法人 日本治山治水協会
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.51-72, 2019-08-01 (Released:2020-11-02)
参考文献数
13

江戸時代,「ヒト」としての「黒鍬」は,幕府職制としての「黒鍬」と,川除普請や新田開発を行った土工のプロとしての「黒鍬」がいた。彼らは直接的には関係がない。天保14年(1843)に行われた印旛沼開削普請で登場した「江戸黒鍬」は,筋骨隆々で全身に刺青が描かれ,その働きは他の人夫と比べ抜群であった。彼らは,隅田川浚渫に従事していたのだろう。江戸時代後期,利根川沿いの各地にも「黒鍬」はいた。彼らは,肉体労働を行うとともに技能者として土工現場を指導していた。一方,出稼ぎの黒鍬集団の地としては尾張知多半島が有名であるが,畿内そして関東にも進出していた。 明治に入ると,鉄道などの社会インフラ整備が進められていったが,大規模工事を担う新たな土工のプロが出現した。職業分類では「土方」と整理されたが,「黒鍬」と「俠客」の中から育っていった。「俠客」は,大勢の人夫をまとめる力をもつ者として参入してきたのである。なお,土を掘削したり運んだり基礎を固める作業を意味する用語「土工」も,earth work を訳したものとして誕生した。
著者
松浦 隆幸
出版者
日経BP社
雑誌
日経アーキテクチュア (ISSN:03850870)
巻号頁・発行日
no.823, pp.80-85, 2006-05-22

ホテル ウィズ・ザ・スタイル 福岡(福岡市博多区)小坂竜氏の作品をスタディーする2回目は、福岡市のホテル「ウィズ・ザ・スタイル 福岡」。ボリュームの「分散」や空間の「ずれ」、視線の「抜け」といった手法を組み合わせることで、素足感覚でくつろげる都会のリゾートホテルを生み出している。
著者
河上 淳一 後藤 昌史 松浦 恒明 寄谷 彩 政所 和也 永松 隆 今井 孝樹 烏山 昌起 原田 伸哉 工藤 憂 志波 直人
出版者
日本理学療法士学会
雑誌
理学療法学 (ISSN:02893770)
巻号頁・発行日
vol.47, no.6, pp.587-592, 2020 (Released:2020-12-18)
参考文献数
26

【目的】本研究の目的は,腱板断裂患者に対し患者立脚評価を用いた治療方針の予測をすることである。【方法】対象は腱板断裂患者229 名で,初診1 ヵ月以降の治療方針(手術または保存)を目的変数,患者立脚評価を説明変数とした決定木分析と傾向スコア分析を行い,治療方針のオッズ比を算出した。【結果】決定木分析にてもっとも手術療法が選択される手術療法傾向群と,もっとも保存療法が選択される保存療法傾向群に分け,それ以外を中間群とした。傾向スコア分析を考慮したオッズ比は,保存療法傾向群に対して手術療法傾向群で11.50 倍,中間群に対して手術療法傾向群で3.47 倍の手術療法が選択された。【結論】腱板断裂患者の治療方針の予測には,SST における4 つの質問の重要性が示唆された。
著者
松浦 啓一
出版者
The Ichthyological Society of Japan
雑誌
魚類学雑誌 (ISSN:00215090)
巻号頁・発行日
vol.41, no.1, pp.29-33, 1994

モヨウフグ属の新種<I>Arothron caeruleopunctatus</I>アラレフグ (新称) を4個体の標本に基づいて記載した.本種はケショウフグ<I>Arothron mappa</I>とモヨウフグ<I>A. stellatus</I>に似ているが, 頭部と体に多数の淡青色点があること, 眼の周囲に同心円状の淡青色値と褐色線があることによって識別される.本種は西部インド洋のレユニオン, 中部インド洋のモルジブ, 西部太平洋のインドネシア, パプアニューギニア, 日本, マーシャル諸島およびサンゴ海に分布する.
著者
松浦義則
出版者
福井県
雑誌
福井県文書館研究紀要
巻号頁・発行日
no.4, 2007-03-30
著者
吉田 浩通 松浦 哲也
出版者
公益社団法人 日本理学療法士協会
雑誌
理学療法学Supplement Vol.36 Suppl. No.2 (第44回日本理学療法学術大会 抄録集)
巻号頁・発行日
pp.C3P2397, 2009 (Released:2009-04-25)

【はじめに】徳島県下における少年野球検診事業の歴史は古く、約30年の実績がある.開始当初は医師の参加によるもので行われていた.平成13年度より検診事業に理学療法士も参加するようになり、現在に至っている.今回、検診システムを紹介するとともに平成19年度における結果を報告する.また検診事業を通し、成長期障害予防における今後の理学療法士の課題について検討した.【対象と方法】検診は、徳島県下全ての小学生野球チームが出場した大会時に行った.検診システムは、大会前のアンケート調査、現場での一次検診、病院での二次検診の3段階で行った.アンケートでは、野球経験年数、練習頻度、ポジション、疼痛既往の有無、野球継続の意志等について解答してもらった.疼痛既往のあった選手、投手、捕手を一次検診者とし、一次検診では各関節可動域、圧痛、ストレス痛についてチェックした.一次検診結果をチーム単位で集計し、有所見者および投手、捕手には協力医療機関での二次検診(X線検査を中心とした画像診断)にて診断を確定し、必要であれば医師、理学療法士による評価、治療を開始した.【結果】平成19年度の大会参加チームは154チームで現場の一次検診を受診したのは139チームであり、受診率は90.3%であった.一次検診を受診した1812名のうち、二次検診が必要と判断されたのは1126名で、このうち二次検診に応じたのは291名であり、二次検診受診率は25.8%であった.二次検診の結果、X線異常を認めたのは77.7%(226名)で、異常部位は計265部位であった.内訳は肘75.9%、肩9.1%、踵7.5%、膝4.5%、その他3.0%であった.【考察】一次検診受診率は90.3%と高いが、二次検診受診率は25.8%と低い.二次検診の結果、画像診断等で77.7%の異常を認めたことからも、現場での一次検診の有用性が認められる.異常の内訳は、肘関節が圧倒的に多く、肩、踵、膝の順であった.野球の競技特性による結果と考えられるが、同時に全身に障害が発生するということも示唆される.また、長年の検診データの結果から、障害発生率は減少傾向にない.我々理学療法士に今後求められることは、検診技術を向上させ定期的なチェックを継続して行い、成長期障害を早期発見すること、障害予防の観点にたち、指導者や保護者、選手に対し日常練習時のプログラムの提案や、スポーツ動作の分析と動作指導等を行い、フィードバックを行う機会を設けることが重要になってくると考える.
著者
松浦 良充
出版者
教育哲学会
雑誌
教育哲学研究 (ISSN:03873153)
巻号頁・発行日
vol.2006, no.94, pp.128-136, 2006-11-10 (Released:2009-09-04)

教育哲学と教育思想史研究との関係をどのように考えるか。この問題を、私たちの学会はくりかえし問うてきた。現在でもさまざまな立場や議論が存在するだろう。これまで教育哲学の名の下に展開してきた研究の少なからぬ部分が、教育思想、特に欧米のそれらの紹介や分析であったことは周知の事実である。そしてそのような実態に対して、しばしば強い懸念が示されてきてもいる。他方教育哲学は、現在の日本の教育問題に対して考察を挑もうとするとき、その枠組みをなす概念装置を必要とする。そうした概念装置をより精緻で有効なものに練りあげるために、既存の教育思想を資源として活用することは論難されるべきことではない。しかも「教育」という概念や認識の枠組みが、近代社会において生成した歴史的な構成物であることを考慮に入れれば、欧米の教育思想が参照されることには一定の正当性があると言えよう。もっとも、教育哲学の名の下に展開している教育思想の研究が、必ずしも教育思想史研究になっているわけではない。それらの多くは、その教育思想が課題として直面したはずの社会的状況や歴史的文脈とは無関係に、ただ抽象的な概念のみが抽出されて論じられることが多いからである。かといつて社会的・歴史的視点がないのが教育哲学、あるのが教育思想史ということにはならない。実は、現代日本の教育問題自体が歴史的文脈のなかで構成されているのである。したがって教育哲学の考察も必然的に歴史的な視野をふまえて展開されるべきである。そうした視野や文脈を無視するからこそ、教育哲学が教育の現実的問題に有効なはたらきをなしえていない、との批判を浴びることにもなるのであろう。一方、教育思想史研究も、それが単なる過去や異国へのディレッタント的な関心以上のものをめざすのならば、現代の教育問題とそれを構成している歴史的文脈と無関係なところに、その研究課題を設定するわけにはゆかない。その意味で、教育哲学と教育思想史研究は、それぞれが対象とする課題の歴史的文脈を照合しつつ、共有できる概念装置を練りあげるために協働することができるはずである。そしてその接点を構成するのが、教育にかかわる概念史研究である。
著者
松浦 良充
出版者
教育哲学会
雑誌
教育哲学研究 (ISSN:03873153)
巻号頁・発行日
vol.1986, no.54, pp.57-71, 1986-11-10 (Released:2009-09-04)
参考文献数
60

The purpose of this paper is, by means of a critical examination, to point out problems in the logical structure of an educational reform plan proposed by the paideia group under the direction of Mortimer J. Adler during the years 1982-1984.These reflections include the following points : (1) Under what kind of problem awareness in connection with the social and educational situation in America did Adler develop his reform plans ?(2) To what degree does his reform plan conform to his problem awareness ?As a result of these reflections the following points become clear : Adler's problem awareness included two points : (1) For the realization of democratic education it is necessary to establish an educational system with quantative and qualitative equality ; (2) educational reform is necessary for the economic development of America. On this basis he maintains that all American children should be offered the same educational objectives and the same educational curriculum. However, by analyzing the logical structure of the reform conception it becomes clear that (1) in his concept of 'equality', the inequality 'in the point of degree' of children's capacity on the one hand, and the inequality of the educational 'outcome' on the other hand, is presupposed ; (2) school education is expected to serve the function of promoting the values of the existing industrial society. These two points are in conflict with Adler's problem awareness and thus his reform theory contains, from the viewpoint of logical structure, problems as yet to be overcome.