著者
福島原発事故による甲状腺被ばくの真相を明らかにする会 富山大学科学コミュニケーション研究室 本行 忠志 田口 茂 加藤 聡子 山田 耕作 大倉 弘之 林 衛 高橋 博子 藤岡 毅 福島 敦子

今年3月22日時点で、福島県民健康調査で発見された甲状腺がん患者は302名、検査外で見つかっている43名と合わせて福島県で350人近くの小児・若年性甲状腺がんの発生が明らかになっている。通常、年間100万人に1~2人とされている小児甲状腺がんの数10倍の発見率だといえる。これほどの甲状腺がん多発の原因は福島原発事故による甲状腺被ばく以外に考えられないにも関わらず、福島県民健康調査検討委員会および甲状腺検査評価部会は放射線の影響とは考えにくいなどと結論づけている。これら見解を盾に政府及び福島県政は原発事故がもたらした放射線被ばくによる健康被害を認めず、被害拡大を防ぐ措置も取らず、原発事故被害者への補償も放棄している。 小児甲状腺がん発見率の異常な増大は事実として認めているにも関わらず、放射線の影響を否定するための論理として、「過剰診断論」や「超高感度超音波スクリーニングによる効果論」「肥満論」など様々な異説が福島県立医科大学の研究者や検討委員会主流派の「専門家」らによってあたかも強い根拠があるかのように主張された。 放射線被害を否定するこうした見解に対し、委員会外部の専門家たちが厳しい科学的批判を加えたが、それらを一挙に封じるため、日本政府(外務省)は国連科学委員会(UNSCEAR)に多額の資金を提供し報告書作成を画策した。放射線起因説につながる諸文を排除し、それを否定する日本の研究者が自分たちの結論に沿うよう恣意的にデータや文献を提供し、彼らの主導の下、創作されたのがUNSCEAR2020/21 報告書である。それは甲状腺被ばく線量を低く見積もり、甲状腺がん多発が放射線の影響ではないという主張である。同報告は被ばくによる健康影響否定の根拠として、東京電力や国・行政機関、それらを支える専門家の最大の拠り所として用いられている。 日本のマスコミや国民は、国際機関の報告には疑問を持たず権威を感じる傾向がある。原発事故被害者や支援者の中にすら、小児甲状腺がん多発問題を科学論争として正面から闘えないという動揺が一部に存在する。しかし、UNSCEAR 報告書は科学的文献とよぶには極めてお粗末である。そのお粗末さを暴いたのが「明らかにする会」ブックレット第3号である。 今回の出版記念講演では、一見難解と思われるこれらの論争の本質的内容を、専門知識を持たない普通の人たちが理解できるように、執筆者全員が工夫して講演を試みる。
著者
柿原 泰 藤岡 毅 山内 知也 高橋 博子 林 衛 中原 聖乃 中尾 麻伊香 市川 浩 布川 弘
出版者
東京海洋大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2016-04-01

本研究は、放射線影響をめぐる科学的な調査研究について、その形成と展開を歴史的に解明するとともに、それらが国際機関等の場でどのように評価され、防護基準の策定にいかにいかされたのかの経緯を解明することを目的とし、広島・長崎の原爆被害者に対する調査研究からチェルノブイリや福島の原発事故による影響まで、科学史を軸に据えつつ、歴史と現状の両面から、学際的に研究を進めてきた。他のグループとの共催のものも含め、学会等でのシンポジウムや公開の国際ワークショップを含めた複数の研究会合等を企画・開催し、研究成果の発表を行なうことができた。
著者
柿原 泰 藤岡 毅 高橋 博子 吉田 由布子 山内 知也 瀬川 嘉之
巻号頁・発行日
2018-05-27

会議名: 日本科学史学会第65回年会・シンポジウムS4「放射線影響評価の国際機関(UNSCEAR)の歴史と現在―東電福島原発事故の健康影響をめぐる日本の論争を理解するために―」
著者
今中 哲二 川野 徳幸 竹峰 誠一郎 進藤 眞人 鈴木 真奈美 真下 俊樹 平林 今日子 高橋 博子 振津 かつみ 木村 真三 七沢 潔 玉山 ともよ
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2014-04-01

代表者の今中は以前よりチェルノブイリ原発事故の調査を行ってきた。福島原発事故の長期的問題を考えるため、広島・長崎原爆被害やセミパラチンスク核実験被害の調査を行っている川野徳幸、マーシャル諸島での核実験被害調査を行っている竹峰誠一郎らとともに、原子力開発がはじまって以来世界中で発生した様々な核災害の後始末について調査を行った。核災害は、放射線被曝や放射能汚染といった問題にとどまらず、社会的に幅広い被害をもたらしており、その多くは災害が起きてから50年以上たっても解決されないことが示された。得られた成果は2017年11月12日に東京で開催した報告会で発表し、12編の報告を含むレポートにまとめた。
著者
高橋 博子
出版者
広島市立大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2008-04-08

本研究の目的は、広島・長崎で収集された被爆資料が、米国政府が冷戦政策の中でどのように利用され、いかなる核時代が作られていったのかを、近年公開された資料や広島・長崎の被爆者や核実験によるヒバクシャの証言の分析に基づいて浮き彫りにすることにある。核兵器という人類の生み出した兵器が、非人道的であるのはいうまでもないことであり、本研究では、単に核兵器の開発史や核戦略史をたどるだけではなく、核兵器による被害者を視野に入れた、米国の核開発史の全体像を具体的、かつ実証的に検討した。
著者
柿原 泰 藤岡 毅 山内 知也 濱岡 豊 高橋 博子 中原 聖乃 林 衛 徳永 恵美香
出版者
東京海洋大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2021-04-01

本研究は、放射線影響をめぐる科学的な調査研究をもとにした放射線防護の体系(その理論、基本原則の考え方、諸概念等)がいかに形成されたのか、そして実際に社会的な場面で放射線防護の実践がいかになされたのか、その実態と問題点について、科学史・科学論的研究を基に明らかにしつつ、とくにこれまでの放射線防護に欠けていると考えられる市民的観点からの再検討を加え、あるべき姿を提示すべく調査研究を進める。
著者
高橋 博子
出版者
アメリカ学会
雑誌
アメリカ研究 (ISSN:03872815)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.1-19, 2008-03-25 (Released:2021-11-06)

After the detonation of the atomic bomb in Hiroshima and Nagasaki, many people were exposed to the blast, heat and initial radiation. In addition to these people, many more people were exposed to the residual radiation which came from black rain, water and food, radioactive dust and so on. In 1947, the Atomic Bomb Casualty Commission was established by the Presidential Order of Harry Truman for research on people exposed to the Atomic Bomb. This article focuses on how the U. S. Government handled the facts about residual radiation and how ABCC scientists discussed it in the 1940s and 50s.On September 5, 1945, Wilfred Burchett, a correspondent for the Daily Express, based on data gathered in Hiroshima reported as follows: “People are still dying, mysteriously and horribly―people who were uninjured in the cataclysm―from an unknown something which I can only describe as the atomic plague.” Concerned about this report, Brigadier General F. Thomas Farrell, chief of the War Department’s atomic bomb mission (Manhattan Project), issued a statement denying that the damage was from radiation. He said, “the atomic bombs dropped on Hiroshima and Nagasaki were detonated at such a high altitude that no radiation remained, and that even if some people died later, it was because of injuries sustained at the time of the explosion.” According to The New York Times on September 13, 1945, he said, “The weapon’s chief effect was blast" and that "his group of scientists" found no evidence of continuing radioactivity in the blasted area on Sep. 9 when they began their investigation.After this statement, the Manhattan Engineer district continued an investigation of residual radiation in Hiroshima and Nagasaki. Mentioning the data which were collected in late September and early October 1945, they concluded, “No harmful amount of persistent radioactivity was present after the explosion.”However, in 1950, scientists of ABCC noticed the effects of residual radiation and started the “Residual Radiation Survey” by collecting information on the people who had radiation signs and symptoms after entering the city after the bombing. However, according to Lowell Woodbury, physician in the statistic department of the ABCC, “Due to pressure of other work and a shortage of investigators, this project was not actually initiated.”Woodbury pointed out the possibility that “The black rain left a deposit sufficiently radioactive to cause radiation signs and symptoms in extremely sensitive individuals, and that deposit was largely washed away in the September rains and typhoon,” and the necessity of more detailed investigations. But this investigation was not conducted. On the other hand, the conclusion of the Manhattan District Report, “No harmful effect of residual radiation in Hiroshima and Nagasaki,” even though it was conducted after the typhoon and rains, is still the standard which is applied today.The US government has continuously denied the influence of residual radiation in Hiroshima and Nagasaki. However this official view was not based on detailed scientific research.