著者
飯島 真里子
出版者
日本農業史学会
雑誌
農業史研究 (ISSN:13475614)
巻号頁・発行日
vol.55, pp.15-24, 2021 (Released:2022-03-25)

In the formative period when Taiwan was under Japanese rule (1895–1945), modernizing the sugar manufacturing industry was a pressing issue. To promote the economy and reduce reliance on imported sugar, as agricultural economist Nitobe Inazō insisted in his Tōgyō Kairyō Ikensho (Opinion Paper on Improving the Sugar Industry), Taiwan was expected to mass-produce sugarcane-based raw sugar. However, the Japanese Empire had little experience with this type of modernization; therefore, Hawai‘i, having established itself as the leading sugar-producing region in the late-19th-century Pacific, became a frequent and significant reference for Taiwan. This study focuses primarily on the implementation of what Bosma and Knights called a "global factory." Large-scale sugar-manufacturing machinery and factories became standards in the sugar-industry world by the early 20th century, including in Taiwan. The study purports that people who had connections with Hawai‘i, including immigrants, contributed to establishing the industry in Taiwan. These people were divided into two groups: those involved in the government-initiated migrant-labor project between Japan and the Hawaiian kingdom (1885–1894), and those who worked in the sugarcane fields at factories in Hawai‘i. The former group, including Robert W. Irwin and Takechi Tadamichi, was directly involved in the migration project and, later, the establishment of the Taiwan Sugar Company in 1901. The latter group was considered by Taiwan’s sugar company managers the experienced "engineers" who were able to operate machinery and run factories. This case study attempts to connect the history of Japanese migration to Hawai‘i and the Japanese colonial history of Taiwan by examining the sugar-related interactions between the two islands. Eventually, these interactions shaped the image of Taiwan as a protégé of Hawai‘i in the 1930s. Similar to the global history of other cash crops, skills and systems of sugar production were transplanted from the west to the rest of the world. In emphasizing the multiple trans-Pacific movements of people, machinery, and skills related to sugar, this study challenges the west-centered global history of sugar and reveals segments of power dynamics that appeared within sugar-producing islands in the pre-war Pacific.
著者
飯島 真里子 大野 俊
出版者
九州大学アジア総合政策センター
雑誌
九州大学アジア総合政策センター紀要 (ISSN:18814220)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.35-54, 2010-03

One of the conspicuous new-comer ethnic groups of Japan in recent years is Nikkeijin (Nikkei or descendants of Japanese ancestry) from Brazil, Peru, the Philippines, Indonesia and others. It is estimated that more or less than 400,000 Nikkeijin and their family members are currently residing in Japan. The authors have focused on 'returned' Philippine Nikkeijin (descendants of pre-Pacific War Japanese immigrants to the Philippines), whose population has been rapidly increasing for the last decade. They examined their lives, citizenships and identities based on the analysis of the nationwide questionnaire survey conducted in Japan during the period from December 2008 to March 2009. The results suggest that the number of permanent visa and dual citizenship holders has been increasing. They also found that the number of Yonsei (the fourth generation) workers has increased in parallel with activating of the generation 'upgrading' movement among the Philippine Nikkeijin community. Over 30 % of the respondents answered that their "homeland" is both of Philippines and Japan, and they seemed to have dual identity.日本には現在、40万人前後の外国籍の日系人とその家族が暮らしているが、この中には近隣アジア諸国から「帰還」した日系人もいる。その中でも近年、急増したフィリピン日系人(戦前期フィリピンへの日本人移民の子孫) について、筆者たちは2008年12月から2009年3月にかけて、彼らの生活・市民権・アイデンティティなどを探る質問票配布による全国実態調査を実施した。その結果、日本での滞在長期化・定住化が進み、永住権や日比の二重国籍の保有者が増加傾向にあることが示唆された。世界の日系人社会の中でも特異な「世代格上げ」が広がり、合法的に就労する4世が増えている実情も判明した。さらに、フィリピンと日本の両方を「祖国」と認識する回答者が3割を超えるなど、ダブル・アイデンティティの持ち主が少なくないこともわかった。
著者
野入 直美 飯島 真里子 佐藤 量 蘭 信三 西崎 純代 菅野 敦志 中村 春菜 八尾 祥平
出版者
琉球大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2019-04-01

本研究は、(1)引揚者が戦後の沖縄社会でどのように包摂され、いかなる階層に位置したか、(2)引揚者はどのような社会的役割を果たしたか、(3)「専門職引揚者」の社会移動は、他県でも見出せるパターンが沖縄で集約的に表れているのではないかということを、沖縄の台湾・満洲「引揚げエリート」を事例に解明し、(4)戦後沖縄社会を<引揚げ>という新しい視点からとらえなおす。「引揚げエリート」とは、日本帝国圏の在住期から戦後にかけて、水平・上昇の社会移動を遂げ、沖縄の戦後再建を担った人びとを指す。その中心は、外地において教員、公官吏などの専門職に就き、その経験を資源として戦後を生きた「専門職引揚者」であった。
著者
野入 直美 蘭 信三 飯島 真里子 松田 ヒロ子 森 亜紀子 坪田 美貴 (中西 美貴)
出版者
琉球大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2010

フィリピン、台湾、旧南洋群島、満州からの沖縄引揚者の研究は、3年間の研究成果を『移民研究』第9号(2013年刊行予定)の特集として発表すべく、現在、原稿の最終とりまとめ作業を行っている。 フィリピン引揚者については、沖縄社会における引揚者の戦没者に対する慰霊に関する調査として、沖縄県立平和記念公園内ダバオ之塔で行われる慰霊祭の参与観察と参加者へのインタビューを行った。それにより、慰霊祭が始まった1960年末と現在の慰霊の形、目的、内容、参加者の変遷を明らかにした。また、成果報告を発表するにあたり、戦没者慰霊に関する先行研究(国内外)の動向を調査し、本テーマの位置づけを再検討した。 台湾引揚者については、沖縄県内で刊行された『那覇女性史』や『近代沖縄女性史』などの女性史移住先の台湾の記載は非常に少なく、ほとんど視野に入っていないことを踏まえ、それを補うために市町村誌史の蒐集、整理とともに、台湾経験者およびその家族へのインタビュー調査を行った。 旧南洋群島引揚者については、「旧南洋群島から沖縄へ引揚げた人々の移民経験・戦争体験および戦後経験とはいかなるものだったのか」を、帝国圏他地域からの引揚者の経験と比較検討しつつ明らかにすることを目的とし、これまでに沖縄本島と宮古諸島伊良部島で行った旧南洋群島引揚者149名への聞き取り調査で得られた音声データを文字資料化し、県史・市町村史に掲載された旧南洋群島引揚者の証言と比較・検討した。さらに、この作業によって明らかにされた旧南洋群島引揚者の経験と、他帝国圏から沖縄へ引揚げた人々の経験がどのように共通し、異なるのかを検討した。
著者
飯島 真里子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.80, no.4, pp.592-614, 2016 (Released:2017-02-28)
参考文献数
42

本稿では、フィリピン日系ディアスポラの第二世代による戦後の多様な帰還現象に注目し、帰還経験が当事者の故郷認識に与える影響について考察する。フィリピン日系ディアスポラとは、戦前のフィリピン(本研究では主にダバオを対象とする)に形成された日本人移民社会にルーツをもち、終戦直後の引揚げ政策により離散を強いられた集団とそのコミュニティをさす。日本人家族は祖国に引揚げたが、日本人移民を配偶者としていたフィリピン人妻とその子ども(日系二世)は残留したため、戦前の移民社会は日本とフィリピンに分かれ、それぞれの戦後を経験した。本論文で扱うディアスポラの帰還現象は以下の3つである。まず、第一の帰還現象として、終戦直後の本国への「引揚げ」を取り上げる。次に、第二の帰還現象として、1960年代末から引揚者によって企画されたフィリピンへの「墓参団」を扱う。この墓参団は、戦中に亡くなった肉親の慰霊だけではなく、日系二世や旧友との再会や居住地の再訪など戦前の移民生活の記憶をたどる旅ともなっている。最後に、第三の帰還現象として、1990年代末から始まった「祖国」日本の国籍取得を目的としたフィリピン残留日系二世の「集団帰国」を取り上げる。 これら3つの帰還は、時期、背景、経路も異なる。第一の帰還のように祖国での定住をともなう帰還形態もあれば、第二、第三の帰還のように一時的かつ短期間の帰還形態もある。また、その移動方向もフィリピンから日本(第一、三の帰還)への流れもあれば、逆方向の流れもある(第二の帰還)。本論文では、「帰還」を分析概念として使用することで、3つの帰還的移動を総合的に検討し、これらの継続性と連関性を明らかにする。これにより、「引揚げ」を中心的に扱ってきた日本帝国史研究と「日系人の還流」を扱ってきた移民研究をつなぐ視点を提供できると考える。 さらには、当事者の帰還経験を分析することによって、第二世代の故郷認識の多様性を描き出し、ディアスポラの「故郷」の存在やあり方が一元的でも固定的でもないことを論じる。
著者
泉 淳 前嶋 和弘 西山 隆行 馬 暁華 堀 芳枝 渡辺 将人 飯島 真里子 平塚 博子
出版者
東京国際大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2011-04-01

米国のイスラム系は、その内部構成の多様さにもかかわらず、その政治的関与と発言力を拡大させている。これは、米国内の他の少数派集団にも共通する傾向である。しかし、中東・イスラム地域における政治的不安定を反映して、米国内で「イスラム恐怖症」とも呼ばれる現象が顕著となったため、米国のイスラム系はこれへの防御的反応として政治的発言を活発化せざるを得ないという特殊性を持つ。このため、イスラム系は米国の政治外交に積極的な影響を与えるには至っていないが、人権擁護を中心とする社会的諸活動においては大きな進展を見せている。長期的には、イスラム系の政治的関与と発言力は、より積極化するものと考えられる。
著者
蘭 信三 外村 大 野入 直美 松浦 雄介 上田 貴子 坂部 晶子 高野 和良 高畑 幸 飯島 真里子 花井 みわ 竹野 学 福本 拓 大久保 明男 倉石 一郎 山本 かほり 田村 将人 田村 将人
出版者
上智大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2008

本研究の成果は以下のようである。まず、(1)第二次世界大戦後の東アジアにおけるひとの移動は日本帝国崩壊によって策定された新たな国境線によって引揚げ、送還、残留、定着という大規模な人口移動と社会統合がなされたことを明らかにした。しかし、(2)例えば日韓間の「密航」や中国朝鮮族居住地域と北部朝鮮間の移動のように、冷戦体制が整うまでは依然として残る個々人の戦前期の生活戦略による移動というミクロな側面も継続されていたことを明らかにした。そして、(3)帝国崩壊後も中国に残留した日本人の帰国のように、それは単純に「遅れた帰国」という戦後処理(コロニアリズム)の文脈だけではなく、日中双方における冷戦体制崩壊後のグローバル化の進行という文脈、という二つのモメントに規定されていたことを明らかにした。