著者
横山 勝英
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.23, no.1, pp.68-96,111, 1972-07-30 (Released:2009-11-11)

The purpose of this paper is to make clear the social meaning of the size and distribution of outcaste communities in the feudatory of the Kaga clan by means of mapping method. The size and distribution of outcaste (so-called “buraku”) will be significant for the macroscopic analysis of the “buraku” provided that the “buraku” can be said to be a phenomenon that stems from the problem of the social structure of power. A major premise of this analysis is that if outcaste communities had not had their own social functions and privileges, it would not happen that they have kept on being discriminated and segregated so long for the reason that they have been minorities against feudal authorities. That is, they had their own social functions and privileges peculiar to them. The functions and privileges were not the same for each community, because these functions and privileges were associated with the maintenance of the feudal order which had a very complex system in itself. Since the provinces of Kaga, Ecchu, and Noto had not been integrated before the Kaga clan was organized, total society had not existed before then. Each of these provinces had the principle of the social organization of its own. In the integrating process of the Kaga clan, the feudal lord (daimyo) could not help taking these principles into consideration. Consequently, most of the people who had been subordinated to manors (shoen), shrines, temples or villages were treated as the outcaste called Kawata or Tonai, while private servants who were subordinated to patriarchal families were not treated in the same way. The social change of the Kaga clan followed three stages : first, a militaristic society controlled by the samurai ; second, an agricultiral society consisted of uniform village communities, “mura”, and maintained by the recurrence of the same social production ; and third, an ascribed society maintained by an ascribed status system. The Kaga clan invited several people called Kawata to the castle towns, Kanazawa and Takaoka for processing leather that was necessary for arms in 1609. In the first stage of the Kaga clan, the control over building a military system was the moss important problem to establish the total society. In the second stage, the command of land tax was a pressing necessity for putting the finances of the feudal clan on a firm basis. For this reason, the Kaga clan enforced the low of Kaisaku which aimed at exploiting all the surplus labor of the peasants, and on the other hand, encouraged them to develop newly cultivated rice fields. As the result, some of the peasants deserted their villages and flowed into towns. However, as there were limits to finding employment in town, the number of beggers (Hinin) increased gradually since 1651. In 1670, Hiningoya (a hut for Hinin to live in) were set up at Kanazawa. And, since 1671, the Kaga clan appropriated people who were interned into Hiningoya for developing newly cultivated rice fields. However, there were limits to developing newly cultivated rice fields, too. Since 1677, as the third stage, the Kaga clan could not help emphasizing the maintenance of status system, which was based on the political system of the time. Consequently, in 1961, the police tasks were assigned to Tonai. In 1800, landownership of Tonai and Eta (Kawata) was prohibited. As mentioned above, Kawata (Eta), Tonai and Hinin had their own social functions which corresponded to the change of feudal society : first, military functions, second, developemental functions for newly cultivated rice fields, and third, political functions. At the first and second stages, discrimination was nothing but a extension of that of the Middle ages ; feudal discrimination and segregation began at the third stage.
著者
江原 由美子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.64, no.4, pp.553-571, 2013

本稿の主題は, 現代フェミニズムと家族との関連性を考察することである. まず, 第1に, 現代フェミニズムの家族に関する主要な論点を明らかにする. それは「家族の否定」ではなく, 「性別分業家族」批判であった. 「性別分業家族」においては, 女性の過重な家庭内役割のゆえに, 女性の経済的自立が困難だったからである. 次に, 現代フェミニズムの家族批判の根底にある公私分離規範に関する論点を, 「家族領域」を社会から切り離す公私分離規範批判と, 女性の「身体の自由」権を認めない公私分離規範批判の, 2点で把握し, それらがいずれも, いわゆる「近代家族」への批判につながることを示す. この観点から「近代家族」類型を位置づけると, 「近代家族」とは, 女性の人権を認めない前近代的要素を含んでいる家族類型と位置づけることができる. 最後に, 現代フェミニズムの公私分離規範批判から導かれた論点に関連する家族変動要因を, ハビトゥスの水準と, 社会制度的水準において把握し, 「ジェンダー秩序論」の視点から, 「これからの家族」を考える.
著者
崎山 治男
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.61, no.4, pp.440-454, 2011

本稿は,心理主義化の批判のあり方と,感情労働と心理主義化との関連を示すことをめざすものである.<br>従来の心理主義化批判は,基本的には「あるべき」感情を措定しそこからの疎外を心理学的な知がもたらすと批判するものであった.だがそれは論理的な困難をもつばかりではなく,人々が感情労働といった場で進んで心理学的な知を求めたりする現実をあらわすことはできない.<br>感情労働が進んで求められるのは,実は常にそれが多様な自己感情の感受に開かれていることと,感情の互酬性に起因した,感情のやりとりの中での肯定的な感情の感受がありえることに起因する.そして,肯定的な感情の感受を支えるために,EQに代表されるような心理主義的な知が動員されていく.<br>そこに潜む心理主義の現代的陥穽が,多様な感情経験を肯定的なそれへと縮減してしまう現象なのである.
著者
出口 泰靖
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.452-464, 2012-12-31 (Released:2014-02-10)
参考文献数
22
著者
稲葉 奈々子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.2, pp.210-223, 2014

新自由主義的な政策に基づく住宅など社会保障の市場化に抗して活動を開始した「DAL (住宅への権利運動)」を中心に, フランスの反グローバリズム運動を分析することが本稿の課題である. 社会保障の市場化は, 社会運動の古いテーマであった再分配の問題をふたたび表舞台に引き出した. 社会保障の市場化によって社会的排除を経験したのは, まず貧困層の移民家族であった. DALの担い手はフランスの旧植民地出身の移民一世が9割以上を占める. DALの運動は, グローバルな規模の構造的不平等を指摘し, 植民地出身者の毀損されたアイデンティティの承認と, 公正な分配を求める運動を連動させて展開する可能性があった. しかし実際には, 新自由主義的な政策が社会の領域をも市場原理で席巻していくことへの異議申し立てとして展開した. 市場経済至上主義に対して「万人にアクセス可能な公共性」を掲げたため, 運動はミドルクラスの支持を得て, 住宅への権利を保障する複数の重要な法律の制定が実現した. そこに植民地主義的な権力関係を問題にするアイデンティティの政治が入る余地はなく, また担い手の移民たちも生活の改善のために勤勉に働く1世で, 「普通の生活」の実現が運動参加の動機であった. 結果として反グローバリズム運動を新自由主義に適合的な行為者が担うという矛盾がみられ, また, 構造的な不平等の是正は実現しなかった.
著者
野入 直美
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.67, no.4, pp.448-465, 2016 (Released:2018-03-31)
参考文献数
34

本稿では, 沖縄本島中北部に位置する金武という地域に着目する. 金武町は, 沖縄の海外移民発祥の地であり, 沖縄の米軍基地の中でも危険度の高さで知られるキャンプ・ハンセンを抱える基地の町でもある.金武はいかにして「海外雄飛の里」となり, また基地の町となったのか. 本稿では, 金武町における移民をめぐる地域アイデンティティの構築を, 移民送出期の歴史よりも戦後の地域再編成に着目して検討する. 沖縄の移民研究には, 戦後の沖縄社会が成り立ってきた過程の中に移民の議論を位置づけるものがほとんどない. 本稿では, 金武町の戦後の成り立ち, 地域アイデンティティの構築をめぐって, 移民と米軍基地がどのように関連しているのかを考察する. これは沖縄の移民を, 戦後の沖縄社会の成り立ちの中に位置づける試論である. また地域アイデンティティの議論に, 越境という要素を取り入れる試みでもある.また, 本稿では, 戦前の金武村で暮らしたハワイ沖縄帰米2世と, 現代の金武町で育ったアメラジアンのライフヒストリーをとりあげる. 彼らの語りは, 移民送出期が終わった後の金武における多様な越境を照らし出す. 仲間勝さんと宮城アンナさんは, 2つの故郷を同時に生きる越境者として, 困難の中で仕事を立ち上げ, 模索を重ねて学んできた. そのとき, 彼らは期せずして, 地域アイデンティティの構築につながる関与を行っている. 本稿では, そのような関与に着目して越境者の生活史をとりあげる.
著者
額賀 淑郎
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.67, no.2, pp.132-147, 2016 (Released:2017-09-30)
参考文献数
40

社会学の秩序問題は多様な対立を調整する社会メカニズムの研究である. これまで多くの理論研究によって複数の秩序概念が示されたが, その主な構成要素であるコンセンサスを分析した研究は少ない. そのため, 本稿は政治哲学者J. ロールズが提唱した重なり合う合意の分析に焦点を当てる. 「重なり合う合意」とは, 立憲民主社会において自由で平等な人格をもつ市民が, それぞれの多様な世界観から共通の基本原則を支持し, その結果, 社会において長期の正義が可能になるという理念である. 本稿の目標は, 1) ロールズの重なり合う合意を分析し理念型の重複合意モデルとして再構成すること, 2) 重複合意モデルの事例分析が可能になる条件を分析すること, である.結果として, ロールズの重なり合う合意は, 狭い重なり合う合意と広い重なり合う合意に分類できること, その広い重複合意モデルは秩序問題の分析モデルとして利用できること, を示した. まず, 重なり合う合意は異なる抽象レベルの倫理判断の整合性という「反照的均衡」を前提とするが, その分類によって重なり合う合意を2分類した. 次に, 広い重複合意モデルには, 利益相反の回避, 機会均等の手続き, 集団構成の多様性, 共有価値の同一性, 背景理論・基本原則・データ間の整合性, 長期の安定性, という条件が必要であると考察できた.
著者
橋本 摂子
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.49-63, 2003-06-30 (Released:2010-04-23)
参考文献数
18
被引用文献数
2 2

階層研究において, 女性の社会的地位をどのようにあらわすかは, 現在でも結論が出ていない問題の一つである.これまでに提案された解決策は, 主として2種類にわけられる.職業尺度を維持したまま, 地位の表示形式を変更する方法と, 尺度自体を変更する方法である.しかし見出されるべき「不平等」がリベラリズムに基づいた不平等である限り, 地位の表示形式は個人単位でなければならない.そしてこれまで用いられてきた職業地位はリベラリズム的倫理観に深い関わりをもつ尺度であり, その経験的妥当性こそが階層研究のリアリティを支えてきた.地位指標のこうした政治性は, 無職者と有職者を統合することでは女性の地位問題が解決しないことを意味している.階層研究の主題は, 職業を通じた個人単位の資源獲得ゲームにおける不平等の発見でしかない.女性問題はそこからの排除と疎外という形でのみ位置づけ可能となる.
著者
閻 美芳
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.68, no.2, pp.176-193, 2017

<p>中国は, 法律も道徳も人間関係に還元されてしまう「差序格局」が優越する社会といわれてきた. ところが, 実際に中国の民衆生活に降り立ってみると, 「差序格局」のほかにも, 「理 (礼)」などの社会規範も併存している様子がみえてくる. そこで本稿では, 山東省の一農村の日常生活を分析するなかから, これまでの中国研究が注目してきた「差序格局」構造をもつ社会において, 実際に中国の一般民衆がどのようなプロセスを経て行為の正当性基準 (根拠) を探り出し, 自らもそれに従っていくのか, そのメカニズムを考察した.</p><p>考察の結果, 民衆の公平感覚を担保する「情」に心を向かわせ, 「下からの公」を生成するのは, 「体情」であることが明らかとなった. 体情の「体」とは, その人と身を重ね合わせ, その人の身になって行動することを意味する. また「情」とは, 窮地に立たされた弱者にこころを寄せて, 思いやることをさしている. 中国の人びとは, この動詞形の「体情」(情ヲ体スル) を介して, あくまでも人間の情に忠実な, その場に必要とされる「下からの公」を, そのつど見出していた. 「体情」に焦点を当てることで, 中国社会をより立体的に理解できるだけではなく, 相手の「情」がわかることを前提とする中国の一般民衆のもつ人間観・社会観の提示につながるだろう.</p>
著者
山中 浩司
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.150-165, 2012-06-30 (Released:2013-11-22)
参考文献数
61
被引用文献数
2
著者
米村 昭二
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.31, no.3, pp.88-92, 1980-12-31 (Released:2009-10-19)