著者
吉見 俊哉
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.4, pp.557-573, 2015

デジタル革命は社会的記憶の構造を持続的に変化させる. デジタル技術は同じ情報が大量複製されていっせいに伝播・流通し, 大量消費されていくというマス・コミュニケーションの回路に介入し, <生産→流通→消費> の空間軸の組織化を, <蓄積→検索→再利用> の時間軸の組織化へと転換させる. もはや <過去> は消えなくなり, 無限に集積されていく情報資源となる. ここで必要なのは, 文化の創造的「リサイクル」である. 古い記録映像は, 音や色を与えられて新しい教育の貴重な「資料」となり, 古い脚本のデータは新しいドラマ作品を創造していく基盤となる. この転換には, まず散在するさまざまな形態のメディア資産の財産目録を作成し, 原資料を安定的な保存環境に集めていく取り組みを進める必要がある. また, アーカイブ化されたデジタルデータについて, 共通フォーマットにより標準化を進め, 公開化と横断的な統合化を進めることも重要である. さらに, デジタルアーカイブ運用のための人材育成, 教育カリキュラムにアーキビスト育成を取り込んでいくことも必要となる. デジタル時代のアーカイブでは, 保存の対象はけっして政府・行政機関の公文書に限定されない. アーカイブ化される資料や情報には, 地域の人びとによって撮影されたり語られたりした情報が大量に含まれるし, マスメディアやインターネットの情報がともに保存されていく. それらの情報全体が, 国境を越えて結びついていくのである.
著者
筒井 清忠 中里 英樹 水垣 源太郎 野崎 賢也 沼尻 正之
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.47, no.1, pp.18-32, 1996-06-30 (Released:2009-10-13)

近代主義からポスト近代主義へという巨視的な視点から, 戦後日本における歴史社会学的研究の展開を後づける。とくに, 家族・宗教・農村・文化の各ジャンルにおいて歴史社会学が自己の研究の有効性をどのように示してきたのかが主な考察の対象となる。柳田民俗学, 農村の近代化, パーソンズ・ベラーの構造機能主義宗教社会学, アナール派の社会史のインパクト, モラル・エコノミーの視点, 等々多彩なトピックを見せながら歴史社会学が各ジャンルの中で隆盛を見せてきた様子が明らかにされる。現代はまだ発展・拡散の時期であり, 収束的な方向は21世紀に期されているのではという視点が示される。
著者
菅野 仁
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.41, no.1, pp.26-40,111*, 1990-06-30

本稿の課題は、「生」と「分業」という二つの概念の統一的把握を通して、G・ジンメルの「近代文化論」がもつ独自な意義を明らかにすることにある。<BR>これまでジンメルの近代文化論については、その中心的概念が「生」であるとし、その概念的、形而上学的性格を批判する見解や、「生」と「分業」との統一的把握のもとに近代文化の問題の核心に迫った意義深い文化論であると積極的評価を下す見解などがあった。本稿は基本的に後者の立場に依拠しており、ここではジンメルの近代文化論がどのような意味で積極的に評価しうるのかを、『貨幣の哲学』の近代文化論の検討を通じて明らかにしたいと考える。すなわちジンメルは、「生」と「分業」という二つの概念を主軸に近代文化がはらむ問題状況を、「主体の文化と客体の文化との齟齬的関係」としてとらえ直すことによって、ネガティヴな現象形態をとりつつ進展する近代文化の在り方のなかに「可能性」として蓄積されているポジティヴ性をみる、という複眼的視座からの近代文化論を展開したのである。本稿では、彼の近代文化論における「生」概念と「分業」概念との関係の在り方を明らかにすることを通して、近代文化をとらえるジンメルの複眼的視座がもつ独自な意義に迫りたい。
著者
片桐 雅隆
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.26, no.3, pp.74-89, 1976-02-29 (Released:2009-11-11)
参考文献数
7

Today, some sociologists turn their attentions to the problem of “Infra-Structure”. We can find some examples of such a trend in “Positivismus Streit” and “Sociology of Sociology”.And some of them offer criticisms on Sociological Functionalism from the “Infra-Structural” point of view. They focus their minds on the view of human beings and a society which Sociological Functionalists have in mind.It is also important to consider each theories of organizations from the “Infra-Structural”. point of view. Until now, many sociologists of organizations have argued against Balance model of organizations and proposed Conflict model as the alternative to it. We must evaluate Conflict model positively in some aspects, but it is also true that it has some limits. In order to go beyond Conflict model, we think it necessary to turn our attentions to Action model of organizations from the “Infra-Structural” point of view. And here, we call such a procedure “Humanistic approach”.At the third paragraph, in order to find a frame of reference of organizations founded on such an approach, we consider Weber's theory of organizations. And there, we find his view of human beings who decide their actions according to their own value-judgements. We can learn many things from such a view of human beings, even today.It is very important for the valuation of theories to consider from the “Intra-Structural” point of view. But now, beyond such a consideration, it becomes necessary to build a frame of reference of organizations which consist of such human beings as can decide their actions by themselves.
著者
吉澤 弥生
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.58, no.2, pp.170-187, 2007-09-30
被引用文献数
1

現在,芸術が日常生活や社会の中に浸透する動きをみせている.文化政策の基盤も整備されつつあり,そこでは文化芸術が人々の生活の質の向上や社会の活性化に寄与すると位置づけられ,その創造と享受への保障がうたわれている.文化芸術の社会性,公共性に注目が集まっているのだ.<br>大阪市は2001年に実験的芸術の振興を通して都市の活性化をめざす画期的なプランを策定した.その現場の1つ「新世界アーツパーク事業」では,4つのアートNPOが自らの表現活動を探求する中で,市民と芸術の接点を拡大し,地域との信頼関係を深めることに成功していた.この意味で実験的芸術への支援は,人々の日常生活の見直しや地域の活性化といった,発達過程として文化の育成に関与したと言える.だが文化庁の動向と同じく,大阪市は伝統芸術と市場価値のあるものへの支援へと方針を変えようとしている.<br>芸術は価値観の表現である.芸術を通した共同作業の中で人は,自己や他者,地域や社会といった問題と必然的に向き合う.こうした公共的な場を作るアートNPOの活動は,市民の自発的参加による市民社会構築の契機ともなりえている.文化政策においては支援対象の偏りや行政とNPOとの協働の仕方などの問題があるが,文化芸術の公共性をふまえ,多様な価値表現を認める寛容さと,文化の「涵養」に時間をかけて取り組めるような文化を持つことが望まれる.
著者
高津 等
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.11, no.3, pp.22-38, 1961-05-30
著者
稲津 秀樹
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.63, no.2, pp.185-202, 2012

本稿は, 国家間を移動する人びと/エスニシティのフィールドにおける出会いの過程に着目し, 調査者の<自己との対峙>を通じた問いを提出する意味と意義を考察した. 筆者の調査過程を振り返ると, 可視性に基づく問いと関係性に導かれる問いという2つの問い方が提出された. 前者では, 彼らと居合わせた空間における視覚の対象として捉えることで「外国人」として対象を措定し, 反対に自己を対象化せずに調査が行われる. このため調査者のまなざしが問われずに, 多様な関係性は「外国人」と「日本人」の二者関係へと集約され, 当の認識を生みだす場の力学自体が不問に付されていた. だが筆者は, 現場の人びとの関係性に導かれた場所での出来事から自己の存在論的な問い直しと共に, 彼らのことを「外国人」としてまなざす権力自体を捉え直す契機を与えられる. グローバル化により変容する「生きた人間同士の出会い」に立ち返り, その内実を上述の観点から再考することで, 彼らの存在を「外国人」として差異化する権力作動の問題を, 関係性が問われる場所の次元から批判的な議論の対象とする方向性が開かれる. その意義は, グローバル化がもたらす社会状況――多様な背景をもつ者が居合わせている「日常」――が在りつつも, なお成員間を差異化させる力とは何かという問いに対し, 結果としての二者関係認識を反復せずに越え出ていくような, フィールドワークの可能性と課題を導くからにほかならない.
著者
青山 賢治
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.64, no.4, pp.679-694, 2013 (Released:2015-03-31)
参考文献数
58

本稿は, 消費社会化が起こるための必要条件にかんする分析である. 消費社会化は, 余剰生産力と需要の関係において問題とされるが, それは十分条件ではない. アメリカの場合, 生産力の余剰に先行して, 空間の余剰があったことが記号論的空間の成立をもたらしたと考えられる. 本稿は, アメリカの西部フロンティアにかかわる空間編成を系譜学的に分析し, そこから記号論化された消費社会の成立を問題にする.19世紀初頭, 未踏で表象不可能な空間であった西部は, 博物誌, 地誌学の調査によって表象の空間へ移される. 1830年代, 表象 (不) 可能性の境界上で, 歪んだイメージを介したフロンティアが語られる. 19世紀半ば, 移住者向けガイドブックに, 博物誌, 新聞, 広告, 誇張話などが並置された記号論的領域が登場する.大陸横断鉄道以後, フロンティアは空間的外縁ではなく, 双極的時間の運動として現れる. レール沿線における未開と近代技術の接触から, フロンティアの不確定な前進=消滅が起こる. この不確定性が消滅したところでは, 都市と農村の形成が同時代的に実現される. 他方, 古いイメージと新しいメディア技術という双極性から, オールド・ウェストという「西部的なもの」の舞台や映画が成立する. カタログという商品=広告は, 都市と農村という空間的隔たりを, 最新モードのうちに結びつけ, 欲望を記号論的空間のなかで分節することで, 消費社会化をもたらす.
著者
武田 尚子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.4, pp.486-503, 2015

本稿は, テレビ草創期のNHKドキュメンタリー・シリーズの2本の番組を取り上げ, 地域研究資料としての意義を考察した. これらの番組は, 1960年代に広島県因島の家船集落を取材したもので, 漁村の貧困と不就学児童の問題に焦点をあてている. このシリーズは, 民俗学の視点を参照して, 底辺層の生活に迫り, その人々が直面している社会的ジレンマを視聴者に問うという方針で制作された. これとほぼ同時期に, 同じ集落で, 宮本常一が参加した民俗学調査が実施された. これら2つの調査・取材は, いずれも民俗学的関心に基づいて実施されたものであるが, 見出した知見には相違がみられる.テレビ・ドキュメンタリーは, 階層的視点が明確で, 貧困地域という集落特性を映像で実証的に示している点に意義がある. これによって, ミクロな地域社会の事象をマクロな社会構造に位置づけてとらえることが可能になった. しかし, その一方で, 民俗学調査報告書と比較すると, テレビ・ドキュメンタリーは, 該当地域に居住していた非識字者を貧困の視点でとらえる傾向がつよく, 非識字者の集団が保持していた口承文化の豊かさについて, 理解が浅い面があったことがわかる.以上のように本稿は, 民俗学調査と比較することによって, テレビ・ドキュメンタリー番組を地域資料として利用する場合の長所および留意点を明らかにしたものである.
著者
平本 毅
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.62, no.2, pp.153-171, 2011
被引用文献数
1

本稿では, 他者の「私事 (独自の経験やそれにかんする見解や態度) 語り」に対して「わかる」と明示的に理解を表明するやり方の, 会話の中での組織化のされ方を会話分析により記述する.<br>Harvey Sacksによる理解の<主張>と<立証>の区別を参照して論じながら, 以下2点の問題が提起される. (1) 語りに対する理解の表明の形式としては「弱い」<主張>であるはずの「わかる」が, 「私事語り」に対する理解の提示においてしばしば用いられるのはなぜか, (2) 「わかる」を含む発話連鎖により, 理解の提示を組織化することはいかにして可能になっているのか.<br>分析の結果, まず「わかる」は, 多くの場合単独では発されず, それに理解の<立証>の試みが付加されることにより<主張>の「弱さ」が補われることがわかった. このとき, 理解の<主張>は相手の語りの中途/語りの終了後の2つの位置に置かれるが, <立証>の試みは, 語りの終了後にしか置かれない. 理解の<主張>に加えて, 語りの終了後の位置で理解の<立証>を試みることによって, 聞き手は, 「私の心はあなたと同じ」であることを語り手に示しており, それを語り手が<受け入れ>るという発話連鎖を組織化することによって, 会話の中で理解が達成されることが論じられる. また, この「わかる」連鎖を利用した理解の提示は, 経験とそれへの見解や態度を語り手と聞き手が「分かち合う」かたちでのものであることが明らかになる.
著者
INOUE Ema
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.67, no.2, pp.222-237, 2016

<p>日本では2000年代から「移行の危機」にある若者が増加し, 危機の一面として, 社会関係資本の観点からの困難が指摘されてきた. しかし, 2000年代から始まった公的な若者支援は, その意義が強調される一方, これら社会的ネットワークをめぐる問題をいかに乗り越えるのか, その戦略は考察されていない. 本稿では, 地域若者サポートステーション事業を対象に, この論点を考察する.</p><p>本稿ではナン・リンの議論 (Lin 2001=2008) から, 社会関係資本の伝達基盤となる相互行為における①異質的相互行為へのアクセスの困難, ②同類的相互行為の道具的限界という潜在的困難を指摘し, 対処する戦略をみる. ①に関しては, 特にイギリスのコネクションズ・サービスではアウトリーチなどの手段を通じて低減が図られ, 日本でも部分的に実施された. しかし職員との相談 (第1 段階の異質的相互行為) を経ても, 進路決定に必要な次の異質的相互行為をためらう若者の存在が職員に認識され, 自らのもつ資源 (「強み」) の承認を相互に可能にする若者同士の人間関係を構築しうるプログラムが多く実施されるようになった. ②に関しては, 若者同士の人間関係を通じて承認を得た資源を基盤に, 従来の若者の考え方とは異なる視点から, 進路探索に必要な新たな異質的相互行為に役立つ資源を職員が提供する. 本稿では, この同類的相互行為と異質的相互行為が相互補完的な役割を果たす過程を示す.</p>
著者
嘉目 克彦
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.36, no.2, pp.204-216,280*-279, 1985-09-30

マックス・ヴェーバーの「マクロ社会学的研究計画」に対する問題関心の高まりとともに、近代西欧の「合理化」がヴェーバーの社会学と歴史研究の統一テーマであり、ヴェーバーの全作品を貫く「赤い糸」であること、したがってその作品理解の主要課題はいわゆる「合理化問題」の解明にあることが、最近改めて注目されはじめている。しかしその場合、「合理化」は「合理性」概念にかんする一定の解釈を前提にして論じられているのであって、この点では、早くから指摘されている「合理性」の「多義性」にかんする問題が従来と同様ほとんど考慮されていないといわざるを得ない。<BR>本稿は、「合理性」の論理的意味にかんして、「ものの属性としての合理性」という観点から従来の諸説を検討し、これまで多様に解釈されてきた「合理性」概念を一義的に理解するための道を模索した試論である。従来の解釈では結局のところ「合理性」が「体系性」、「経験的合法則性」および「首尾一貫性」として個別的に理解されているということ、これらの特殊的かつ要素的な「合理性」はしかし例えば「理解可能性」ないしは「伝達可能性」として一般化しうるということ、また「合理性」は結局「意味」の「理解」にかかわる概念であるということ、こうした点が本稿で指摘される。