著者
富永 健一
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.7, no.2, pp.31-55,146, 1957-02-25 (Released:2009-11-11)
参考文献数
66
被引用文献数
1

1. It would be a theoretical presumption to many sociologists and social psychologists that our societies are not formless but have certain organized pattern. But, on the other hand, there would be various possibilities from what theoretical framework those organized pattern should be abstracted. In this paper, let us think on this point that the societies are not formless because of some pattern uniformities, not randomness, in our interpersonal overt behaviors ; the interpersonal behaviors are observable manifest variables, so all constructive concepts of sociology and social psychology can be inferred from them. 2. On the external objective point of view, a concept that is inferred from the more or less consistent order is what we call the “social system.” Against this, on the internal subjective point of view of motivated individuals, a concept that is inferred from pattern uniformities is what we call the “attitude”. Both social system and attitude are the scientific construct inferred from observable manifest valiables of interpersonal behaviors, and they must be distinguished from each other in terms of object-subject criteria. 3. What is called a “system” is as follows : its two or more units or factors are mutually interdependent such that any change in state of one unit or factor xj is followed by change in state of others x1, …, xi-1, Xi+1, …, xn and the latter is followed again by change in the former and so on. Thus, when we apply this to behabioral units or factors we can speak of the social system that shows the relationship within social objects. 4. We find a series of sociological theories which adopt this concept. In the case of classical Pareto's theory, the social system was considered to be a state of dynamic equilibrium in cycles of interdependence of four factors : a. residues ; b. interests ; c. derivations ; d. social heterogeneity and circulation. Closely related to this theory we can find George C. Horman's theory. He defines the social system as composed of two analytical aspects (i.e., external system and internal system) and three composite factors (i.e., activities, interactions, and sentiments). Therefore, these two I shall name “Pareto-Homans model” of the social system. Pareto's is a priori model, but Homans' is, so to call it, ex post facto model for codification. 5. Tolcott Parsons' famous theory of the social system rests on the same basis, yet the main feature that characterizes his theory lies in the categorization in terms of combinations of five (or recently, chiefly four) “pattern variables”. This way of thinking is akin to that of Allen H. Bartons' “property space.” Combinations of pattern variables are not merely setting of typology but indicate the “phase movement” and the role-differentiation in action space. This Theory, putting its empirical. reference to Robert F. Bales' interaction process analysis, I call “Parsons-Bales model, ” which, as attempt to theorize more than is empirically known, can be termed speculative model. 6. Above two models will be both able to be characterized as a kind of model of dynamic equilbrium. This model always needs some a priori theoretical postulates : that is, automatic control mechanism or feedback system. Because of this postulate, if we are to make use of this model to our empirical reality, the problem of conceptual validity will arise. Strongly contrasted to this model would be the concept of “mass” society.
著者
片桐 雅隆 樫村 愛子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.61, no.4, pp.366-385, 2011-03-31 (Released:2013-03-01)
参考文献数
71

本稿の前半では,心理学化する社会論の前史として,社会学の歴史の中で,社会学と心理学/精神分析との関連を跡づけた.1.1の「創設期の社会学と心理学」では,創設期の社会学の方法の中で,心理学がどのような位置にあったかを明らかにする.1.2の「大衆社会論と心理学/精神分析との接点」では,媒介的な関係の解体による心理的な不安の成立が,社会学における心理学や精神分析の視点の導入の契機となったことを指摘する.1.3の「『心理学化』社会論の登場――戦後のアメリカ社会学」では,自己の構築の自己言及化という観点から,アメリカにおける心理学化社会のさまざまな動向を明らかにする.1.4の「ギデンズとベックの個人化論と自己論」では,高次近代や第2の近代における自己のあり方や,その論点と心理学社会論との差異などを指摘する.後半では,第2の近代が始まり出す1970年代以降について,個人化の契機における社会(「社会的なもの」)の再編成の技術として心理学化を分析した.その起点は「68年」にあり,古い秩序を解体して新しい社会を構成しようとした「68年」イデオロギーが「資本主義の新しい精神」(ボルタンスキ,シアペロ)となって共同性を意図せず解体しネオリベラリズムを生み出すもととなったこと,この社会の解体にあたって社会の再編技術として心理学/精神分析が利用されたことを見る.それはアメリカ社会で顕著であるとともに,アメリカ社会では建国の早い段階から心理学/精神分析が統治技術として導入され精神分析が変形された.日本においては,福祉国家化の遅れに連動する個人の自立の遅れのため,心理学化は周辺現象としてしか起こらず,90年代の個人化の契機は「欠如の個人主義」(カステル)のような過酷なかたちで現れ,心理学化は十分構成されないままポスト心理学化へと移行している.
著者
江原 由美子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.32, no.3, pp.54-69, 1981-12-31 (Released:2009-10-19)
参考文献数
55

シユッツのレリヴァンス概念は、彼の理論において重要な位置を与えられている。だがその理解は非常に困難である。おそらくその一因は、彼が文脈によって意味を変えて使用していることにあると思われる。この観点から本稿では第一にレリヴアンス概念の多様な文脈を整理する。次に、従来のシユッツのレリヴァンス概念についての解釈を手がかりに、レリヴァンスの意味が、 (1) 個人が選択された側面に帰属する属性、 (2) 個人の選択機能、又は選択する作用、 (3) 類型や知識の関連性という相異なる三様に解釈できることを示す。さらにレリヴァンス (体糸) の共有という論点においても、シユッツの記述に矛盾が見出せることを示す。次にレリヴァンスの問題とは何かを考察し、それが、自然的態度においてはけっして問われない、常識的思考そのものを成りたたしめている諸前提を明らかにするという問題であったことを把握する。しかしシユッツがそれを論じる視点は一様ではなく、 (1) 現象学的反省の視点、 (2) 観察者の視点という相異なる視点から考察していたのだと考えられる。ここから先に述べたレリヴァンス概念の三様の解釈の意義を明らかにする。すなわち、彼は、 (1) 日常生活者の視点、 (2) 現象学的反省の視点、 (3) 観察者の視点という三視点のそれぞれに応じてレリヴァンス概念を別の意味で使用したという仮説を呈示する。以上の考察に基づき、レリヴァンス問題の特異性を論じた上で、レリヴァンス論の継承方向を検討する。
著者
三隅 一人
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.59, no.4, pp.716-733, 2009-03-31 (Released:2010-04-01)
参考文献数
35
被引用文献数
1

本稿は,社会関係資本のSSM的な階層研究への導入に際して突きあたる原理問題を,機会の平等に照らして考察する.まず,社会関係資本を導入した階層研究の展開をおさえつつ,その導入が改めて問いかける労働市場と社会構造との関係に関わる原理問題を確認する.機能主義階層論のコトバでいえば,それは社会関係資本が抱え込む機会の平等(それが指標する労働市場の機能性)に照らした両義性の問題である.階層研究に求められるのはその両義性をそれとして分析し,社会関係にもとづく機会の平等を語るためのコトバである.本稿ではこの問題にアプローチする例解を思考実験的に示す.それは,当該の社会が初職入職をもっぱら社会関係資本に依存すると仮定した場合,そこでの機会の平等はいかなるものか,そしてそれはどういう階層性を帯びて表れるのか,という思考実験である.また,この思考実験を比較階層文化論の準拠枠に展開する目論見から,国際比較を試みる.2005年SSMの日本・韓国・台湾の調査データでみると,友人先輩関係資本および台湾における家族親戚関係資本は,それへの依存が必ずしも機会の平等を損なうものではないことが示される.また,そこでの移動パターンは,そもそもの学歴バイアスや産業構造の成熟度を反映して国ごとに違いを呈しつつも,それぞれに一定のホワイトカラー階層を生成する力を秘めている.
著者
藤崎 宏子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.64, no.4, pp.604-624, 2013 (Released:2015-03-31)
参考文献数
38
被引用文献数
1

1970年代以降の福祉国家再編の過程で, 家族を中心とする私的な関係性のなかで対応されてきたケアが社会問題として位置づけられ, 独自の政策的対応を必要とするようになった. しかしながらこの過程は, 単線的に, そしてスムーズに進んだわけではない. とりわけ家族主義的な規範が根強い日本社会では, ケアを「家族」に繋ぎとめようとする抵抗勢力がかたちを変えつつ存在し続けている. 本稿では, 70年代以降のケア政策の動向を追うことにより, 各年代の政策が前提とする, あるいは期待する家族モデルがどのように変容してきたかを明らかにすることを目的とした. 取り上げる政策範疇は子育てと高齢者介護における「労働」「費用」への支援策とし, 主要な分析資料は各種政策文書に求めた. 分析の結果, 70~80年代には子育て支援・高齢者介護政策ともに, 性別役割分業型家族を前提としたケア政策が採られたが, 90年代以降にはそのモデルは分岐していく. 子育て支援策においては, 男女の雇用環境の変化とこれにともなう家族の変容が認識されつつも, なお「男性稼ぎ手家族」を完全に放棄できない現状がある. 高齢者介護政策では, 高齢者の居住形態や介護態勢の多様化を受けて, 少なくとも制度設計上は「個人単位」が前提とされるようになった. ただし, 両領域ともに政策の家族モデルと社会的現実との齟齬は大きく, 多くの課題が残されている.
著者
穐山 新
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.66, no.1, pp.2-18, 2015 (Released:2016-06-30)
参考文献数
52

本稿の目的は, 比較歴史社会学的な手法を用いて, シティズンシップにおける「共同社会」を統合する原理を, 戦前期における日本と中国の社会的権利をめぐる思想と政策を通じて明らかにしていくことにある. 日本でも中国でも共通して, 「社会連帯」を通じて共同社会に能動的に貢献できる人格を生み出していくことがめざされていたが, 「社会連帯」の否定的な対概念である, 怠惰な依存者を生み出すものとしての「慈善」に対する理解には, 以下のような相違が見られた.日本における「慈善」は, 篤志家の施与や温情による救済という, 救済者のパターナリズムを意味した. それゆえ, 方面委員制度として具体化されたように, 「社会連帯」の理念ではそうした非対称的な関係を解消するための, 家庭・地域の日常的な場における社交や, 救済者がみずからの優越的地位を自己否定する「無報酬の心」が強調された. それに対して中国における「慈善」は, 慈善事業を運営する個々の郷紳の人格的能力という偶然性に依拠した「組織性」を欠いた救済 (「各自為政」) を意味した. そのため, 中国で「社会連帯」を可能にするためには, 何よりもまず「組織」の形成および確立と, そうした組織を束ねて運営する能力を有する「人」の発掘と育成が課題となった.以上の検討を通じて本稿では, 救済者の自己犠牲の精神と組織への強力なコミットメントという, 両者における共同社会を統合する原理の違いが生み出されたことを明らかにした.
著者
山口 一男
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.50, no.2, pp.231-252, 1999-09-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
10
被引用文献数
2 2

本稿は潜在クラス分析と関連する回帰分析を用いて性別役割態度の潜在クラスと社会階層との関連について日本および米国の既婚女性を分析し結果を比較する。潜在クラスについては日本では「性別役割支持型」, 「性的平等支持・職業志向型」, 「性的平等支持・非職業志向型」の3クラス, 米国では「性別役割支持・両立否定型」, 「性別役割支持・両立肯定型」, 「性的平等支持型」の3クラスが存在する事を示し, 潜在クラスの割合が本人, 夫, 父親の階層属性にどう関連しているかを明らかにする。また「性別役割支持型」対「性的平等支持型」の割合比へのそれらの属性の影響を日米で比較する。最後に分析結果の理論的意味と今後の展望を議論する。
著者
柄本 三代子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.4, pp.521-540, 2015

本稿は, 東日本大震災後多くの人びとの関心を引きつけながら専門家の評価・判断が依然として分かれたままの, 福島第一原発事故後の放射能汚染による被ばくのリスクと不安について, わかりやすさが求められるテレビ報道において, いかに説明され語られているかを考察した.たんに福島第一原発事故後の被ばくのみを分析対象とするのではなく, 利用可能なアーカイブを駆使し, 広島・長崎原爆やチェルノブイリ原発事故をめぐる報道も分析対象とした. これにより, 被ばくの不安とリスクが語られる際の共通性抽出を目的とした. データは視聴可能なものの中から1986年から2014年までに放送された番組を対象とした. 科学的リアリティの構築に「素人の語り」がどのように寄与しているのかという点に着目した.数十年にわたる被ばくの語りを対象化することにより, 現在の被ばくの影響や不安についての関心が, 専門家によってはあいまいでわかりにくい説明がなされたまま, 未来へと先送りにされていく事態について明らかにした.専門家による言説だけでなく素人の言説も考察対象とすることにより, わかりやすさが求められるテレビジョンの中で, 科学的不確実性を多分にはらむ被ばくが語られる際には, 素人によってわかりやすい説明がなされるだけでなく, わかりにくい専門家の話を素人が支えることも必要とされている点についても明らかにした.
著者
伊藤 守
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.4, pp.541-556, 2015
被引用文献数
1

本稿の目的は, 日本における映像アーカイブズの現状を概括し, そのうえで映像アーカイブ研究, とりわけテレビ番組アーカイブを活用した映像分析の方法を考察することにある. アーカイブに向けた動きが欧米と比較して遅かった日本においても, 記録映画の収集・保存・公開の機運が高まり, テレビ番組に関してもNHKアーカイブス・トライアル研究が開始され, ようやくアーカイブを活用した研究が着手される状況となった. 今後, その動きがメディア研究のみならず歴史社会学や地域社会学や文化社会学, さらには建築 (史) 学や防災科学など自然科学分野に対しても重要な調査研究の領域となることが予測できる.こうしたアーカイブの整備によって歴史的に蓄積されてきた映像を分析対象するに際して, あらたな方法論ないし方法意識を彫琢していく必要がある. あるテーマを設定し, それに関わる膨大な量の映像を「表象」分析することはきわめて重要な課題と言える. だが, 「アーカイブ研究」はそれにとどまらない可能性を潜在していると考えられるからである. 本稿では, M. フーコーの言説分析を参照しながら, アーカイブに立脚した分析を行うための諸課題を仮説的に提示する.
著者
松本 康
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.56, no.1, pp.147-164, 2005-06-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
17
被引用文献数
5 4

Fischerの「下位文化理論」が都市における友人関係の興隆を予測して以来, 日本では都市度と友人関係に関する多くの調査研究がなされてきたが, その結果はまちまちであった.本稿では, 2000年に実施された名古屋都市圏調査のデータを用いて, 都市度と友人関係に関する経験的・理論的争点を検討する.分析の結果, 「友人興隆」仮説に反して, 友人数は都市度が増すにつれて減少していた.それは主に地元都市圏出身者が, 都市的地域で地元仲間集団を衰退させていたからである.しかし, 彼らの中距離友人数は, 都市度が増すにつれて増加していた.また, 遠距離友人数は, 都市度とは無関係で, 回答者の移動履歴の影響をうけていた.多くの経験的関連が移動履歴によって条件づけられていたという事実は, 社会的ネットワークの「選択-制約」モデルよりも「構造化」モデルを支持するものである.後者は, 諸個人の移動履歴によって関係資源の地理的分布が異なり, 都市圏内部に関係資源を豊富にもつ場合にのみ, 友人関係の再生産は都市度に影響されると強調する.さらにマクロにみると, 都市化の初期段階では, 移住者が多いために, 都市圏内部の社会的ネットワークは希薄であったかもしれないが, 一世代後には, 地元都市圏出身者の増大によって, 中距離友人ネットワークが増大すると推測される.こうして本研究は, アーバニズム理論に時間的・空間的視点を提供するものである.