- 著者
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村上 亮
- 出版者
- 同志社大学
- 雑誌
- 社会科学 (ISSN:04196759)
- 巻号頁・発行日
- vol.103, pp.31-52, 2014-08
本稿は,ハプスブルク統治下ボスニア・ヘルツェゴヴィナにおいて展開された農業政策を事例として,ハプスブルク独特の二重帝国(アウスグライヒ)体制の一端を明らかにすることを目的とする。ボスニアは,帝国内唯一の「共通行政地域」として共通財務省の管轄下におかれ,その統治はオーストリアとハンガリーが共同対処する「共通案件」とされた。またこの地では,就業人口の9割近くが農業に従事しており,その中心をなす畜産は重要な意義をもっていた。今回はとくに,第一次世界大戦前夜に構想されたボスニア地方行政府官吏フランゲシュの農業振興法案が成立するまでの過程に着目し,次の点を明らかにした。第一は,フランゲシュの振興法案が,家畜の品種改良の促進,農業機関の設立,農業信用制度の創設を中心とするもので,ボスニアの事情と帝国本国とボスニアとの経済関係を勘案して作成されたことである。第二は,ボスニア統治が「共通案件」であったため,法案はその施行までに帝国中枢,とりわけハンガリー政府からの妨害に直面したことである。しかし,帝国中枢もボスニア議会(1910-14年)を始めとする現地の意向を勘案せざるを得ず,振興法案は縮減されたものの成立した。本稿の検証を通じて,「共通案件」をめぐる複雑な政策決定過程を跡づけた。