著者
植田 知子
出版者
同志社大学
雑誌
社会科学 (ISSN:04196759)
巻号頁・発行日
vol.82, pp.1-20, 2008-11

大黒屋又兵衛は、江戸後期から明治初期にかけて主に古手・呉服問屋として江戸で活躍した商人である。店舗は江戸富沢町に設けていたが、住居は一貫して江州高島郡霜降村に定め、当時の商人番付にも名を連ねた富商の一人である。しかし、その活躍に比べて商人としては未詳の部分が多く、又兵衛の出自や商人となった経路等についての解明はほとんど進んでいない。本稿は、杉浦大黒屋関連諸史料の検討と、大黒屋又兵衛の菩提寺における聞き取り調査から、大黒屋又兵衛が京都商人杉浦大黒屋の別家の一人であることを明らかにしたものである。
著者
岡本 真希子 オカモト マキコ Okamoto Makiko
出版者
同志社大学人文科学研究所
雑誌
社会科学 = The social sciences (ISSN:04196759)
巻号頁・発行日
vol.42, no.4, pp.73-111, 2013-02

論説(Article)本稿の課題は,日本統治期台湾の官僚組織における通訳育成について,台湾語学習の教材を提供した月刊誌『語苑』を主な対象としながら,1930-40年代を中心に検討することである。1930年代前半は、台湾総督府が「国語」普及政策を推進するなかで,台湾語通訳育成問題は政策と矛盾し複雑な様相を帯びていった。また,1930年代後半以後の「皇民化」政策期には,『語苑』は「同化」・「教化」のための台湾語通訳育成を主張するなど,いっそう複雑で矛盾した状況が生じていった。本稿では,戦時期植民地統治下における台湾語通訳育成という検討課題を通して,植民地主義と密接な関係を持つ通訳育成問題の諸相を明らかにするものである。本研究主要透過日治時期發行於台灣的語學(台語)雜誌《語苑》,探討台灣總督府官僚組織內部的培養通譯問題,以1930-1940年代為中心。1930年代前半臺灣總督府推動<國語>(日本語)普及政策下,其政策和培養臺灣語通譯問題發生矛盾和複雜的樣貌。然後1930年代後半<皇民化>政策期後,《語苑》主張為了<同化>、<教化>的培養台灣語通譯,出現更複雜和矛盾的狀況。本研究透過戰爭時期殖民地統治下培養台灣語通譯的課題,探討和殖民主義有密切關係的培養通譯問題樣貌。
著者
植村 正治
出版者
同志社大学
雑誌
社会科学 (ISSN:04196759)
巻号頁・発行日
vol.89, pp.21-47, 2010-11

本稿では,近代工業技術の日本への技術移転の一つの方法として,工学教育機関の設立が重要であったという視点から,明治初期工学教育機関である工学寮を取り上げて,その設立の経緯について細かく検討した。当初,明治政府は小学校と大学校からなる「工部学校」もしくは「工学校」という名称の教育機関を想定した。ところが,イギリス人教師の来日が遅れたため,当初の予定では明治5年7月だったのが,実際の授業開始は6年10月となった。しかも,開港したのは大学校だけで,小学校については遅れて開校したものの,10年6月には廃校となり,その年に工学寮は文字通り工部大学校に名称変更となっている。本稿では,主に工学寮開校までを取り扱い,イギリス人教師の人選,校舎の建設や配置,工学寮カリキュラムや諸規則,第1回入学生の内訳などを見てきた。これ以降の組織変更や,技術移転という視点にとって見逃すことのできない,工学寮(工部大学校)における工学技術の教育内容については別の機会に検討したい。
著者
矢野 環 岩坪 健 福田 智子 ヤノ タマキ イワツボ タケシ フクダ トモコ Yano Tamaki Iwatsubo Takeshi Fukuda Tomoko
出版者
同志社大学人文科学研究所
雑誌
社会科学 = The social sciences (ISSN:04196759)
巻号頁・発行日
vol.43, no.3, pp.27-51, 2013-11

資料(Material)竹幽文庫蔵『源氏千種香』は、『源氏物語』五十四帖にちなんだ五十四種類の組香の作法を記した伝書である。安永二年(一七七三)の自叙をもつ。菊岡沾涼著『香道蘭之園』所収本は、元文二年(一七三七)頃の成立だが、桐壺香・夢浮橋香がない。そこで、箒木香・梅枝香・玉鬘香・若菜下香について、さらに両者を比較したところ、組香の方法は、蘭之園本に比べ、竹幽本の方が総じて複雑になっていることがわかった。また、物語の内容と合わない箇所が少なくない蘭之園本に対し、竹幽本は、物語に合わせて手直ししていることが認められる。すなわち、蘭之園本は、『源氏小鏡』(第一系統)を参照して作成されているようであるが、竹幽本は、『源氏小鏡』(第二系統)、あるいは『源氏物語』そのものに拠っていると考えられるのである。
著者
井ヶ田 良治 山岡 高志
出版者
同志社大学
雑誌
社会科学 (ISSN:04196759)
巻号頁・発行日
vol.76, pp.139-164, 2006

山岡中尉の日清戦争従軍日誌の続編である。1894年10月22日から同年12月4日までの記述を含む。山岡中尉の部隊は、10月23日には義州に進み、同地に駐屯し、24日には鴨緑江を渡りはじめ、中州へいたった。25日に渡江し、虎山附近で激戦。清国軍はようやく退却をはじめ、それを追撃した。中隊長が負傷したので、山岡中尉が中隊長を代理した。10月26日に清国軍が撤退したが、抵抗する清国兵には、非文明といえる虐殺を行った。11月18日に岫巖城に入城し、しばらく駐屯する。This is the sequel of Lieutenant Yamaoka's diary in the Sino-Japanese War of 1894-95.This paper contains the diary from 22 October to 4 December. His troop advanced on Yi zhou on the 23d October and was encamped in this city. On the 24th his troop began to wade across the Yalu Jiang , on the 25th got across the river. and engaged with Chinese troops. Afterthen the Chinese troops began to retreat ,the Jppanese troops chased them. Then the chief of his company was wounded, Yamaoka acted for the chief of the company. On the 26th October the Chinese troops retreated, Japanese troops chased and slaughtered them. On the 18th Novenber Japanese troops occupyed to stay in Xiu yan chang.
著者
杉岡 秀紀 久保 友美
出版者
同志社大学
雑誌
社会科学 (ISSN:04196759)
巻号頁・発行日
vol.79, pp.129-158, 2007

大学(学生)ボランティアセンター(以下、大学VC)が大学に出来たのは、1987年の大阪キリスト教短期大学がその起源とされているが、(1)「大学生への教育効果」、(2)「社会・地域とのインターミディアリ機能」、(3)「大学の社会貢献」の3つをその存在意義として、1995年の阪神・淡路大震災以降一気に増えた感がある。しかし、同時にここ数年で見ると,量質ともに少し伸び悩んでいる印象がぬぐいされない。そこで,本研究では,大学VCの意義・役割,類型,事業内容などの概要を整理する中で、昨今注目されつつあるサービス・ラーニング(「学生達が人々とコミュニティのニーズに対応した活動に従事する中で学ぶ、経験的学習のひとつの形のこと。以下、「SL」)という概念に注目し、その大学VCへの導入の可能性を、関西を中心とする大学VCからのヒアリングの中から探ってみた。結論から言えば、大学ごとに多少の差異はあるものの、今後の大学VCには、「SL」の視点を導入することが、センターの存続のためにも必要不可欠な視点であるという事である。なお、この視点というのは地域と大学との連携協働のまちづくりを進める上でも重要なファクターになると筆者らは考える。
著者
植田 知子
出版者
同志社大学
雑誌
社会科学 (ISSN:04196759)
巻号頁・発行日
vol.91, pp.1-20, 2011-05

京都の呉服商杉浦三郎兵衛家(屋号、大黒屋。創業寛文三年(一六六三))では、初代の頃から別家制度が採られたと見られるが、それは明治期にも維持され続けた。小稿は、明治期に別家制度を廃止した商家があるなかで大黒屋がどのように別家制度を維持し、また、別家制度の中身がどのように変化したのかを考察したものである。今回検討した結果からは、学校教育の普及や徴兵制による影響が大黒屋の雇用や昇進面に及んだことがうかがえ、それらが「登り」の制度の形骸化と、別家の若年化をもたらした一因であることが見えてきた。
著者
岩見 憲一
出版者
同志社大学
雑誌
社会科学 (ISSN:04196759)
巻号頁・発行日
vol.91, pp.175-198, 2011-05

1955年,電化と日本の米食文化の接点で生まれた自動式電気釜は,当時,家事の面で最も影響が大きいといわれた「白物御三家」の内,唯一日本独自の発明品である。本稿では「竈と羽釜」に代わり,「生活の前提」を支える「ランドマーク商品」になった自動炊飯器の創造力と破壊力を検証する。誰でも失敗せずにご飯が炊け,釜についた煤や噴きこぼれや竈周りの後始末の手間もなく,特に,寝ている間にご飯が炊ける便利さは,女性のライフスタイルを一変させた。さらに,コンセントさえあればどこでも炊飯できることは,台所の風景を一変させた。反面,伝統的な竈炊きのおいしいご飯の味や炊く技が失われ,子供の手伝から学ぶことや躾を失なわれるという,見えざる負性を持っている。近年,自動炊飯器は,米食文化を有する国々で普及しつつある。自動炊飯器を使用するようになった香港の事例についても触れる。
著者
井ヶ田 良治 山岡 高志
出版者
同志社大学
雑誌
社会科学 (ISSN:04196759)
巻号頁・発行日
vol.75, pp.29-69, 2005-09

本日誌は、山岡金蔵陸軍中尉の日清戦争従軍日誌の全文である。山岡中尉は、当時、山県有朋が軍司令官をつとめた第一軍に属する名古屋の第三師団(師団長桂太郎中将)の第六聯隊、第一大隊、第三中隊の第二小隊長として従軍している。明治27(1894)年8月4日に起筆し、明治28(1895)年5月26日に擱筆されているこの日誌は、数年後の明治30年夏になって、かつて戦陣にあって書かれた日記に、連日のように書かれた父君宛ての書簡を挿入し、あらためて清書されたものである。今回は、その中の明治27年10月21日分までを掲載した。はじめて外地に出征したことでもあり、かつ、陸軍士官学校出の若い専門軍人としての自負と誇りに満ちた山岡中尉は、見るもの聞くものすべてに好奇の目を向け、その日誌は豊かで詳細な記述にあふれ、その多方面からの情報収拾と合わせて、まれに見るほど内容豊かな日誌となっている。単なる事実記録にとどまらず、はじめて本格的な戦争を開始した当時の日本の国民感情を知る好個の素材を提供するものといえよう。史料紹介
著者
谷山 勇太
出版者
同志社大学
雑誌
社会科学 (ISSN:04196759)
巻号頁・発行日
vol.78, pp.23-55, 2007

宝永7年(1710)から万延元年(1860)まで約150年の間書き継がれた天龍寺の寺務日誌『年中記録』。そのなかには、嵐山の麓の河原に営まれた日切茶店の出店記録が書き留められた。本稿では、嵐山を花見に訪れる人びとを目当てに商いした日切茶店の営みを通して、近世という時間のなかで生まれた花の名所嵐山の成熟を追う。
著者
井ヶ田 良治 山岡 高志
出版者
同志社大学
雑誌
社会科学 (ISSN:04196759)
巻号頁・発行日
vol.78, pp.209-250, 2007

山岡中尉の日清戦争従軍日誌の続編である。1895年1月18日から同年3月7日までの記述を含む。1月22日、吉林軍襲来、撃退、敵敗走する。2月4日山県中尉戦死。2月16日敵軍襲来するも、野砲で撃退。2月22日敵軍襲来、野砲を発射して応戦(海城第四回防衛戦)。敵は負傷兵を車に載せて退却。
著者
服部 伸
出版者
同志社大学
雑誌
社会科学 (ISSN:04196759)
巻号頁・発行日
vol.74, pp.47-72, 2005
著者
小林 丈広
出版者
同志社大学人文科学研究所
雑誌
社会科学 (ISSN:04196759)
巻号頁・発行日
no.79, pp.1-15, 2007

論説近代の地域住民組織のあり方を考えるために、祇園祭に山鉾を出す天神山町に残る町式目を検討した。前半では、その前提として、町共有文書のあり方やその調査の歩みについて概観した。町共有文書の調査や保存は、町運営や町づくりなどと同様に公共的性格を持つが、その実態は一部の人にしか知られていない。そこで、その紹介も兼ねて、調査の経過も記述した。後半では、天神山町に残るいくつかの町式目の変遷をたどった。とくに、一九〇二年の「借家人町則」に着目し、それが隣接する山伏山町の「借宅者町則」をモデルにしたものであることを明らかにした。近代京都の町運営の転換点については、これまで公同組合の設置を重視する見方が根強くあったが、少なくとも山鉾町では、山鉾の維持問題がその契機となった。町組織のような地域住民組織の歴史的研究はまだ始まったばかりであり、こうした具体例を通じて、個別事例を積み重ねていくことが重要であろう。
著者
水原 紹
出版者
同志社大学
雑誌
社会科学 (ISSN:04196759)
巻号頁・発行日
vol.84, pp.33-55, 2009-07

本研究は『社会科学』第78号で検討したランドマーク商品としての携帯音楽プレーヤー(ウォークマン)に現在主流となっている携帯音楽プレーヤーのiPodを加え,比較を試みたものである。既に「ランドマーク商品」としてウォークマンをはじめとする携帯音楽プレーヤー(前回は携帯「オーディオ機器」と表記)のランドマーク性について検討してみたが,携帯音楽プレーヤーは今も進化の途中であり,特に2001年に発売されたアップル社のiPodの与えた影響というものは大きい。そこで同じ携帯の音楽プレーヤーではあるが,実際かつてのウォークマンとはどう違うのか,その社会的影響力はウォークマン以上に大きいと考える。ウォークマンが音楽の聴き方を変え,若者のライフスタイルを変えたのは周知の事実であるが,iPodはこれに加えてソフト産業そのもののあり方にまで大きな影響を与えた。またそれはアップルとソニーというコンピューター会社と家電会社という製品の種類の異なった会社だからこそできた発想の違いであり,コンピューター会社だからこそできたアプローチでもあった。携帯音楽プレーヤーは予想外の全く次元の違う分野から高度に発展をすることでそれまで予想もしなかったランドマーク商品を生み出したと言えよう。