著者
鈴木 潔
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.69, no.1, pp.1_47-1_69, 2018

<p>地方自治法96条1項には, 自治体議会の議決事項の1つとして, 自治体が当事者である不服申立て, 訴えの提起, 和解などが規定されている。自治体が法的紛争の当事者として訴訟を提起したり和解をしたりすることは原則として首長の判断だけでは行えず, 議会の議決が必要である。それでは, 自治体議員は何をもって訴訟方針の是非を判断しているのだろうか。いわゆる与党会派議員は 「紛争発生は相手方住民・事業者の無理解によるもの」 として首長を擁護する討論に終始し, 野党会派議員は 「紛争発生は行政の失態である」 として首長を非難する討論を繰り返しているのだろうか。本稿では, 「攻撃防御」, 「行政監視」, 「民意反映」, 「政策評価」 という4つのフレームに基づき, 日田市サテライト訴訟および国立市景観訴訟における市議会での質疑・討論を分析した。その結果, 質疑・討論の内容が相手方の主張を一方的に批判し, 行政当局の主張を徹底的に擁護する攻撃防御フレーム一辺倒のものでは必ずしもなく, 行政監視, 民意反映, 政策評価といった各フレームから多角的な論点が提示されていることが明らかとなった。</p>
著者
真田 尚剛
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.67, no.1, pp.1_163-1_184, 2016

<p>本稿は, 1976年10月に閣議決定された 「防衛計画の大綱」 (防衛大綱) に至る過程について, 1970年代前半における国内環境に着目し, 論じるものである。まず, 世論調査の結果と防衛政策関係者の認識の間に乖離があることを明らかにする。次に, 世界最大の航空機事故である雫石事故, 史上初めての自衛隊違憲判決である長沼裁判, 革新勢力の伸長による保革伯仲, 各地での反自衛隊事件を受けて, 防衛政策関係者が従来にないほどの強い危機感を覚えた点を分析する。最後に, 彼らが国内での個別具体的な事案の発生を受け, 防衛政策や自衛隊の正当化を図るために, 1972年10月の4次防で防衛構想と情勢判断を初めて明示し, 1976年10月にはさらに詳しい内容となる防衛大綱を策定するに至った点について解明する。結論として, 世論調査ではなく, 日本国内での防衛問題に関連する批判的な事案の発生により, 防衛政策関係者が防衛政策や自衛隊の正当化を図るべく, 国民への説明の必要性を認識し, 初めて防衛大綱を策定するに至ったことを立証する。</p>
著者
多湖 淳
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.68, no.2, pp.2_13-2_35, 2017

<p>国連は第二次世界大戦後の世界において, きわめて重要な意味をもつ国際制度であり続けてきた。特に安全保障理事会 (安保理) は武力行使容認決議によって, 頻繁に軍事制裁行動を加盟国に許可してきた。数多くの軍事行動を行ってきたアメリカも例にもれず, たびたび国連安保理の 「お墨付き」 を得てきた。しかし他方で, すべての事案で決議を得たわけではなく, 場合によってはその決議を得ずに武力行使を行うこともあった。こういった経緯を踏まえ, 本稿は国連の授権決議がもたらす, 功利主義的な観点から 「帰結」 を論じる。そして, ここでは特に拒否権の行使が 「驚き」になり, ゆえに特別の情報を提供するという可能性について検討を行う。友好国である英国やフランスの拒否権が驚きとなり, アメリカの武力行使そのものの評価に大きく影響することをサーベイ実験のデータで示す。</p>
著者
杉之原 真子
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.68, no.1, pp.1_36-1_56, 2017

<p>近年、モノの貿易だけでなく海外直接投資 (FDI) が経済グローバル化の重要な要素となった。1990年代以降は新興国からの投資が増大し、国内企業が持つ技術の流出や外国企業による市場の支配に関して、安全保障面から懸念も持たれている。経済成長につながる外資の誘致と、安全保障に配慮した規制の適切なバランスをとることは、各国で重要な政治的課題となっている。本稿では、2000年代半ば以降多くの先進国で新たな規制が導入されたことに着目し、米国と日本の事例を比較して、政策決定システムの違いが両国の政策決定に大きな影響を与えたと論じる。米国では議会主導で、外国企業による戦略的産業の買収を広範に規制する法律が制定されたが、その過程では、外国企業の買収を経済的理由から阻止したい他の企業が安全保障上の懸念を利用したことが、議会の外資脅威論を喚起した。一方日本では、官僚主導の審議会による漸進的な規制強化が行われたが、そのアジェンダ設定には敵対的買収への対抗策を設けたい経済団体が影響を及ぼしていた。</p>
著者
石田 淳
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.62, no.1, pp.1_113-1_132, 2011 (Released:2016-02-24)
参考文献数
47

The UN General Assembly's “Declaration on the Granting of Independence to Colonial Countries and Peoples” in 1960 rejected the imposed international standard of domestic governance. But the recent wave of responsibility to protect and transitional justice (including the establishment of International Criminal Tribunal for the Former Yugoslavia, International Criminal Tribunal for Rwanda, and International Criminal Court) resurrected the practice which the international society of sovereign states abandoned half a century ago. A variety of atrocities are now considered to be crimes of international concern so that the state, in which they take place, is held responsible to protect their victims and prosecute their perpetrators while the international society is prepared to intervene if it fails to do so.   Realists would argue that this combination of protection of the weak and prosecution of the strong deprive the latter of their incentives to make political compromises at the table of international or domestic bargaining, and as a result impede “negotiated settlement” and “negotiated transition.” The primary purpose of this article is to examine and question the validity of this realist claim.
著者
大庭 大
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.69, no.2, pp.2_246-2_270, 2018 (Released:2021-12-26)
参考文献数
38

社会保障構想の新たな潮流として 「事前分配 (pre-distribution)」 というアイディアを検討する。事前分配をめぐっては 「どのような政策を実施すべきか」 という実践的政策指針としての議論と, 「そもそも事前分配とは何か, どのようなものであるべきか」 という哲学的・規範的議論が混在している。本稿ではこの両方の位相における議論を扱い, 次のことを行う。第一に, 事前分配政策と既存の社会保障アプローチとの異同を明らかにし, 事前分配政策を社会保障のひとつのモデルとして提示する。第二に, J・ロールズの財産所有のデモクラシーを事前分配の政治哲学的構想を示すものとして位置づけ擁護する。本稿は事前分配の政策類型としての特徴を明確化すると同時に, それを評価するための視点としてどのような規範的構想が望ましいかを明らかにするものである。特に, 曖昧に語られている 「事前」 という言葉の意味に焦点を当てる。また, 本来つながっているはずでありながら分離して論じられがちな, 実践的政策提案の議論とあるべき政策をめぐる規範的考察の二つを接続し直すことも意図している。
著者
西村 裕一
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.70, no.1, pp.1_117-1_136, 2019 (Released:2020-06-21)

本稿は、戦前日本の主権論という与えられたテーマについて、憲法学者・美濃部達吉の主権論に焦点を当てることを通じて検討しようとするものである。すなわち、「立憲学派」 を代表する美濃部は、一方において立憲主義と矛盾する主権概念の使用に消極的であった。もっとも、他方で彼は、国家が有する統治権概念を再構成することによって、国家併合に基づく領土高権や対人高権の移転を正当化していた。このようにして、戦前日本における立憲主義と帝国主義との親和的な関係の一端を論じることができれば、本稿の目的はひとまず果たされたと言えよう。
著者
庄司 貴由
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.71, no.2, pp.2_168-2_190, 2020

<p>1993年後半、日本は歴史的転換期を迎えていた。非自民連立政権が誕生し、長らく続いた五五年体制が崩壊する。その直後、細川護熙首相が政治改革を最優先に掲げた結果、政治指導者たちはPKOをめぐる議論から遠退き始める。それでは、ONUSAL参加への道筋はいかにして整えられたのか。本稿の目的は、ONUSAL派遣をめぐる政策決定過程を、主として外務省に着目して明らかにすることである。</p><p> 日本の対エルサルバドル外交は、外務省中南米局が準備した 「二つのD」 (民主主義と開発) 政策によって開かれた。和平合意の成立を機に、中南米局は 「二つのD」 の 「中核国」 にエルサルバドルを据え、中南米外交の強化を図っていく。クリスティアーニ大統領から選挙監視要員の派遣を要請されるや、中南米局と総理府国際平和協力本部は内々で調査を進め、武装強盗など紛争当事者以外の脅威まで 「発見」 するに至った。そうして得られた情報は、当時議論が集中した自衛隊や政治改革と掛け離れ、国会での建設的な議論に結び付かなかった。だが、ONUSAL派遣をめぐる営みは、新たに地域局主導のアプローチが形成される端緒を意味したのである。</p>
著者
萩原 淳
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.68, no.2, pp.2_270-2_294, 2017 (Released:2020-12-26)
参考文献数
39

本稿の目的は, 枢密院が自らの組織をどのように 「運用」 し, それらに内閣などがいかに対応してきたのかを, 明治期からの枢密院の憲法解釈と顧問官統制に着目して論じ, 昭和初期に枢密院が 「政治化」 した歴史的背景を考察することである。 本稿は第1に, 昭和初期, 二大政党が議会回避を試み, 枢密院と対立を深めた背景には, 緊急勅令の先例や憲法解釈の曖昧さと二大政党の枢密院に対する戦略の相違が存在したことを指摘した。第2に, 倉富議長・平沼副議長は枢密院の運用にあたり枢密院の権限及び厳格な法令審査を維持し, 職権, 先例を踏まえて意思決定を行ったが, 両者は顧問官統制の失敗により予想外の紛糾を招き, 両者による枢密院の運用が大きく動揺したことを指摘した。 結論として, 昭和初期, 枢密院と政党内閣が対立を深めた背景には, ①枢密院と二大政党の憲法解釈をめぐる攻防の顕在化, ②枢密院内部の統制難, という枢密院内外の問題が存在し, それらが絡み合っていたことを明らかにした。
著者
水谷 仁
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.71, no.1, pp.1_223-1_245, 2020

<p>本稿は、マックス・ヴェーバーの帝国主義論について多角的に考察することを主な目的とする。先行研究において彼の帝国主義論は、ヴェーバーの国際政治思想におけるひとつの軸である、「世界政策」 (ヨーロッパにおけるドイツの大国としてのプレゼンスの追求) の延長上に位置づけられている。しかしヴェーバーは、グローバリゼーションという彼の生きる時代のドイツが直面した国際政治的な状況を視野に入れて帝国主義を論じ、ドイツが 「世界政策」 を保持し得なくなった後も、帝国主義について言及した。さらには、ドイツの帝国主義的な植民地領有に対する否定的な見解や、帝国主義そのものに対する制約、そしてドイツの帝国主義の放棄さえも主張していた。本稿は、ヴェーバーの帝国主義論を多角的に考察することで、ドイツ帝国主義の経済的・政治的なメリットやデメリットに対するグローバリゼーションの観点をも含んだ彼の評価と、「世界政策」 を保持し得なくなった後の、ヨーロッパにおけるドイツの国際政治的な生存の追求のための帝国主義に対する彼の批判を発見した。それに加え、帝国主義を批判するヴェーバーにドイツの植民地支配・侵略に対する視座が欠如していたという、ドイツ・ナショナリストとしてのヴェーバーの帝国主義論の陥穽をも明らかにした。</p>
著者
安原 浩
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.69, no.1, pp.1_13-1_23, 2018

<p>歴史的に見て, 政治と司法の間には常に緊張関係が存在した。戦後, 司法行政はすべて最高裁判所の裁判官会議が所管することが憲法上明記されたため, 戦前とは異なり行政機関や立法機関が裁判所の予算や人事に直接介入することは制度的に不可能となった。</p><p> ところが, 1960年代から1970年代にかけて, 公務員の労働基本権の制限などの違憲性をめぐって時の政府と最高裁が鋭く対立する事態が発生した。政権側の偏向判決批判に対して最高裁は司法の独立に対する介入は許さないという立場を堅持しつつ, 他方で青年法律家協会などの団体への裁判官の加入を露骨に規制する方針をとった。外部からの圧力に変わって, 裁判所内部の自主規制という内部的な圧力が裁判官の独立や気概を損なう危険が発生したのである。その結果, 1990年代になって, 最高裁長官がそれを慨嘆するほどになった。</p><p> 近年の憲法をめぐる種々の厳しい論争は, 再び政治からの介入の危険を予期させている。最高裁裁判官を任命する内閣が, その任命権を濫用しないようにするための方策, 下級審の裁判官が自己の良心に従った判断をできるようにするための方策など, 裁判官の独立の実態に即した改革が急務である。</p>
著者
橋川 文三
出版者
JAPANESE POLITICAL SCIENCE ASSOCIATION
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.104-138,228, 1968-09-30 (Released:2009-12-21)

It is generally known that a country trying to modernize itself in a short space of time is often confronted with the problem of fulfilling two divergent requirements at the same time. On the one hand it must establish a powerful state to exercise effective control over industrialization, and on the other hand it must deal with the popular demands for economic equality which are caused by the profound changes in social life. Just out of such twofold necessities, there are born varied types of national (or state) socialism, which aim in any case at the synthesis of nationalism and socialism.One of the most early exponents of such ideas in Japan, was perhaps Kazuteru Kita, who in his first work on “National Polity and Genuine Socialism” tried to interpret the new ideals of socialism in terms of traditional values. In this article, we first examine the contents of this book, and show how Kita combined the idea of socialism with that of nationalism. He was a young socialist, but he was an ardent patriot and an admirer of the Emperor Mneiji as well. He believed in the truth of socialism, but he sought some principle which could do justice to his own romantic view of the royal traditions. He found in the doctrine of evolution the very tenet which could satisfy in somewhat mystical way both the demand for socialism and that for patriotic nationalism. In brief, he was a socialist caught in the toils of the evolutionist conception.Takabatake was another example of a socialist who tried to demonstrate that a true socialist should be of necessity a true nationalist. Unlike Kita, he was a true disciple of Marx, and translated the voluminous “Kapital” into Japanese for the first time in this country. He studied the Marxian theory on state in detail, and found that both Marx and Engels were not right when they thought that the state would disappear or die away after the communist revolution. On the contrary, Takabatake asserted that the state would recover its own genuine function after the abolition of classes, since the existing state is only an instrument in the hand of the capitalist class to exploit the suppressed people, and was thus not a genuine state.He tried to formulate his own theory of state on the premise that the masses were seeking instinctively both for a powerful government and for socialistic equality, especially in the era after the World War I. He knew more profoundly than any one that the socialization of the state and the nationalization of socialism were inevitable in the middle of 20th century.
著者
遠藤 知子
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.68, no.2, pp.2_204-2_225, 2017 (Released:2020-12-26)
参考文献数
32

これまで就労と福祉を分離することの最大の規範的課題としてフリーライダーの問題に焦点が当てられてきた。スチュワート・ホワイトによれば, 他の条件が公正な場合, 社会的協働の成果を享受しつつその創造に参加しないことは貢献した人々から搾取することであり, 彼ら彼女らに対する互恵的な尊重を怠ることである。本稿では, 搾取とは当事者の間で協働のルールを決める手続きが不公正であることに起因する点を明らかにする。その上で公正な手続きにもとづいて導出されるロールズの自由原理を参照点とし, 働かずに福祉給付に依存することが労働者・納税者の平等な地位を侵害する搾取に当たるのかどうかを検証する。その結果, それぞれの自由の間で均衡を保つ閾値にまで働く人から働かない人に財を移転することは正当化しうることを明らかにする。互いの最大限広範な自由を平等に尊重することは公正な条件の下で両者にとって合意可能であるため, その限りで働く納税者が脱生産主義的な善の構想を抱く人々を支えることは, 両者の市民としての平等な地位を互恵的に尊重することと矛盾しない。
著者
楠 綾子
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.68, no.2, pp.2_226-2_247, 2017

<p>日本国内では1950年代半ごろまで, 日本の自衛力建設が進めば日米安全保障条約の相互防衛条約化と駐留米軍の撤退を米国政府に対して要請できるようになると考えられていた。相互防衛条約という形式と基地の提供は不可分ではないし, 米軍駐留と自衛力建設とのトレード・オフ関係が条約で規定されているわけでもない。にもかかわらず, 2国間の安全保障関係の態様と米軍への基地提供と再軍備がなぜ, このような関係でとらえられたのだろうか。本稿は, 1951年に調印された日米安保条約の形成過程と日本国内の批准過程に焦点を当て, 条約が法的に意味した範囲とその日本における解釈を明らかにする。北大西洋条約 (1949年7月) やANZUS条約と米比相互防衛条約 (1951年) とは異なり, 旧安保条約が基地提供に関する条項と2 国間の安全保障関係を一つの条約で規定したことと条約が暫定的な性格をもっていたことに注目し, なぜそうした方式が選択されたのか, それによって条約にどのような構造が生じ, いかなる解釈を可能としたのかを考察する。</p>