著者
山本 芳明
出版者
学習院大学
雑誌
人文 (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
no.7, pp.276-257, 2008

嘉村礒多は、昭和三年から八年にかけての短期間に、自らの身辺を題材とした、三十ほどの短編小説を書いただけのマイナー作家であるにも拘らず、彼の文学史的な地位は大変高い。嘉村が正典に登録されているといっても誤りではない。こうした事態をもたらしたものは、発表された作品に対する、同時代の評者の熱烈な支持と考えられる。それは同時代評を検討することによって確認することができる。デビュー以来、モダニズム文学・プロレタリア文学の両陣営から一定の肯定的評価を得ていた嘉村であったが、転換点となったのは、昭和五年一月号の「新潮」に発表された「曇り日」であった。この作品によって、嘉村は私小説という限定を突破して、時代を超えた人間性を描いた作家として認知されるに至った。作品は主人公の「私」の卑小さを徹底して描いており、その一貫した筆致が同時代の評者に強烈な印象を与えていた。ただし、「曇り日」は嘉村の文壇的地位を決定的に高めたわけではなく、昭和七年が嘉村を文壇の頂点に押し上げた年となる。
著者
山本 芳明
雑誌
人文 (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.276-257, 2009-03-28

嘉村礒多は、昭和三年から八年にかけての短期間に、自らの身辺を題材とした、三十ほどの短編小説を書いただけのマイナー作家であるにも拘らず、彼の文学史的な地位は大変高い。嘉村が正典に登録されているといっても誤りではない。こうした事態をもたらしたものは、発表された作品に対する、同時代の評者の熱烈な支持と考えられる。それは同時代評を検討することによって確認することができる。デビュー以来、モダニズム文学・プロレタリア文学の両陣営から一定の肯定的評価を得ていた嘉村であったが、転換点となったのは、昭和五年一月号の「新潮」に発表された「曇り日」であった。この作品によって、嘉村は私小説という限定を突破して、時代を超えた人間性を描いた作家として認知されるに至った。作品は主人公の「私」の卑小さを徹底して描いており、その一貫した筆致が同時代の評者に強烈な印象を与えていた。ただし、「曇り日」は嘉村の文壇的地位を決定的に高めたわけではなく、昭和七年が嘉村を文壇の頂点に押し上げた年となる。
著者
荒木 純子
雑誌
人文
巻号頁・発行日
no.16, pp.87-106, 2018-03

1953 年初演のアーサー・ミラーの戯曲『るつぼ』は、1692 年のセイラムでの魔女狩りを扱ったものである。1940 年代50 年代にアメリカで起きたいわゆる赤狩りにも触発されたことが知られている。本稿は、現在も再演されることが多いこの古典作品の意義を、これまでのピューリタン研究の文脈にも照らし、1つの歴史解釈として検討してみる。1930 年代にピューリタンの原典読み直しにより、ピューリタンはより人間的な存在として捉えられるようになった。さらに1960年代以降の新しい社会史の台頭により、セイラムの魔女狩り研究も17 世紀末の社会的政治的不安への心因性の反応という観点から説明されるようになった。そのようなピューリタンの知識に照らしてみると、ミラーはこの作品の中で、意図した通りに事件の「本質」を描いているようである。そしてその「本質」が、今日不寛容になっている社会で、人々の心に強く響くのであろう。

1 0 0 0 IR 人文 第61号

出版者
京都大学人文科学研究所
雑誌
人文 (ISSN:0389147X)
巻号頁・発行日
vol.61, pp.1-61, 2014-06-30

[随想]捨てる捨てない : 研究室の雑物整理 / 高田 時雄 [1][随想]科学に編みこまれて / 瀬戸口 明久 [5][講演・夏期公開講座]歴史都市と修学旅行 : 奈良・京都・伊勢の近代 / 高木 博志 [9][講演・夏期公開講座]城下町大坂 : 情報を発信する町人 / 岩城 卓二 [11][講演・夏期公開講座]『金瓶梅』挿図に描かれた生活空間 / 高井 たかね [14][講演・夏期公開講座]講演会ポスターギャラリー二〇一三 [17][彙報] [22][共同研究の話題]東アジア伝統科学の「知」と「術」 / 鄭 宰相 [26][共同研究の話題]いまここにあるということ / 井波 陵一 [28][共同研究の話題]研究班と読書会 / 石川 禎浩 [30][所のうち・そと]へンリー・ミヤタケさんと日米戦争 / 竹沢 泰子 [33][所のうち・そと]掃除のおじさん / 藤原 辰史 [35][所のうち・そと]現代中国センター配架図書に関する二、三の覚書 / 小野寺 史郎 [38][所のうち・そと]朝鮮民族運動史研究と野球 / 小野 容照 [40][所のうち・そと]恋と戦争の外交術 : オペレッタと第一次世界大戦 / 小川 佐和子 [42]書いたもの一覧 [46]

1 0 0 0 IR 人文 第63号

出版者
京都大学人文科学研究所
雑誌
人文 (ISSN:0389147X)
巻号頁・発行日
no.63, pp.1-61, 2016-06-30

[随想]研究所本館移転の思い出水野 直樹 [1][講演]夏期公開講座 : 石橋湛山を読む--自由主義と現実主義の真面目を尋ねて山室 信一 [5][講演]夏期公開講座 : 『官場現形記』を読む--清末中国「腐敗」官僚の世界村上 衛 [7][講演]夏期公開講座 : 『アンのゆりかご』を読む--村岡花子と植民地朝鮮小野 容照 [9][講演]講演会ポスターギャラリー 二〇一五 [13][彙報] [18][共同研究の話題]人文学研究資料とWeb /永崎 研宣 [24][共同研究の話題]「一」と「多」のトポロジー武田 時昌 [26][所のうち・そと]筆誤からみえた二百年前の言語調査の現場池田 巧 [29][所のうち・そと]「文化大革命」の半世紀岩井 茂樹 [31][所のうち・そと]「非正規雇用」武士の叫び岩城 卓二 [33][所のうち・そと]夢二再訪高階 絵里加 [35][所のうち・そと]空想詩人、のち革命家―サン= ジュストの『オルガン』立木 康介 [38][所のうち・そと]続・朱字のミステリー藤井 律之 [40][所のうち・そと]アジアのことをアジアの外で教えて船山 徹 [43][所のうち・そと]イン・ザ・コンタクトゾーンホルカ・イリナ [45]書いたもの一覧 [48]
著者
細川 明日香
雑誌
人文 (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
no.13, pp.280-253, 2015-03-01

本稿は、花車の起源と花車図の成立、図像や意味の変遷を論ずるものである。花車図とは、花車すなわち、花々を積んだ大八車を表わすものである。この図像は江戸時代初期から見られ、その作例は優に一〇〇を超える。しかしながら、現在に至るまで、その起源や出現、成立時期は詳らかになっていない。加えて、図像の変遷を追い、その変容について述べるものもほとんどない。そこで本稿では、まず、花車図の出現・成立当初の作例を検討することで、未だ見解の一致が見られない花車の起源について所見を述べる。次に、花車図が成立したと思われる寛永年間から、およそ二五〇年後の一九世紀末までに表された花車図を三つの時期にわけ、その変遷を辿る。最終的には各時期の特徴を析出し、機能及び受容の様態の変化を明らかにする。
著者
門田 明
出版者
鹿児島県立短期大学
雑誌
人文 (ISSN:13410520)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.41_a-13_a, 1990-08-31
著者
左近司 祥子
出版者
学習院大学
雑誌
人文 (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
no.4, pp.5-27, 2005

美を扱う芸術と善を扱う哲学といえば、プラトンは、対話篇『国家』で両者を対立関係においていたと普通思われている。この論文では、そういったプラトンが、善と美をどう扱っていたかを考えてみたい。古代ギリシャ人は善と美を同一視していたと通常理解されている。プラトンは、この二つの言葉にどういうイメージを持っていたかをまず指摘する。その作業は、プラトンが対話編の中で、その単語をどういう風に使用しているかを見ることによってなされる。さらに、プラトンの十八番とも言われるイデアに話を移し、このばあい、善のイデアと美のイデアのことだが、それらについてはプラトンはどう考えていたのかを明らかにする。そのことを通して、プラトンが体系を語ろうとした哲学者でなかったことも再確認される。 ここからがこの論文の主要部分である。彼の哲学を体系化しなかったプラトンに反して、彼の哲学を体系化しようとした哲学者たちがいる。紀元後三世紀に活躍した、ネオ・プラトニストのプロティノスである。彼が善のイデアと美のイデアをどう関係付け、彼の体系の中に位置づけたかを考え、彼にとっての、善を追求する哲学における美の役割を明らかにしていく。そして、実はこの彼の美の思想が、ルネサンス期、ルネサンスのネオ・プラトニスト、M. フィチーノを通して、芸術を志す人々に大きな影響を与えていったのである。 この論文では、1998 年に出たLaurent 氏の論文を足がかりに、プロティノスの語る「美」の真意を明らかにしたい。そのときに、頭に入れておかねばならないのは、体系化を拒否していた人の作品を体系化したという点である。体系的に、だから、鳥瞰図として全体を見ることは当然だが、それだけではない。プラトンがこだわり続けた、「憧れ心」のことである。この心を持って、上のものを仰ぎ見ている人間にとって、ことはいったいどういう仕方で、どういう風に現れてくるのかという関心をもって語る語り方も忘れてはいけないということである。そういった観点からは美はどうなるのか。哲学を志すものにとって、美とは何なのかを明らかにするのが、この論文の主旨である。As a neo-Platonist, Plotinus tried to systematize Plato's philosophical theory, which Plato himself had never done, by drawing an objective and comprehensive bird's-eye view: the universal hierarchy with the One(or the Good)at its summit. This simple scheme is not sufficient, however, to explain Plato's whole theory, in which the continuous desire for wisdom has such significance. Therefore, Plotinus contrived another explanation based on humans' yearing for the One. Previous studies on Plotinus paid little attention to the importance of this perspective in his philosophy. To emphasize the importance, take the beauty for instance, which is defined as a screen before the One. According to only the former explanation, the beauty is a mere horizon to distinguish the intelligible world (nohtØq køsmoq)located in second rank from the One, while the latter point of view reveals the beauty's indispensability to philosophy, however dangerous it may be. That is why neo- Platonism flourished in the Renaissance period, the century of beauty.
著者
金子 亮太
雑誌
人文 (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
no.12, pp.86-102, 2014-03-01

人と人との関係を意識せずにはいられない。今日のこころの病とは他者との関係そのものの失調であるとさえ言える。河合(2004)は、現代人の病理が“関係性喪失の病”として現れることを指摘しており、またこの関係性の喪失は神話の喪失に他ならないとする。ここで言う「関係性」とは、単に対人的な関係を示すのではなく、個人の根源的な帰属意識やアイデンティティの基盤となるものであり、現代においてはそれが希薄になっているとの指摘である。また、神話は無意識的な経験知の体系として帰属意識やアイデンティティの根元たるコミュニティを形成すると考える。ここから、関係性が希薄になることと神話が失われることは表裏一体であるといえる。帰属意識やアイデンティティを形成するコミュニティが解体したことで、他者との結びつきも必然的に衰退したのである。\ところで、Mauss(1925/2008)は古代的社会における贈与が互恵的な関係を生み出すことを記述している。そこでは贈与が他者との関係性を結ぶものであったと考えられる。贈与とは、実在性やエネルギーの受け渡しであり、またその関係性そのものである。贈与によって、〈自〉と〈他〉は向かい合い、そこには体験やイメージが生み出され、〈自〉の主体感覚が生成されていく。また、それは同時に〈自〉/〈他〉の境界を再定義することでもある。〈自〉という主体が〈他〉という未知性・異質性と交わることで、ひるがえって〈自〉の同一性再認識することでもある。\贈与によって〈自〉は再構成され新たな可能性に開かれる。しかし、これは同時に〈他〉という未知性・異質性と交わることで主体はコントロールを失い、〈自〉が〈傷〉つき〈死〉にさえ直面する危機的な体験でもある。古代的文化においては、神話は経験知の体系として、コミュニティへの帰属意識として、このような〈傷〉つきにさえ意義を与えるものであったといえる。しかし、神話の失われた現代では、〈自〉の再構成する過程の中で主体は不可避に〈傷〉を負うこととなる。関係性の失われた現代において、心理臨床はこの〈傷〉つきの問題に向かい合わねばならない。\ In this paper, the relationships arise out of gift-giving. In modern clinical psychology, everything is associated with the relationships between people. It can be said that mental illness is a disorder in relationships with others.\ is has been indicated in modern pathology as a “disease of loss of relationships” by Kawai (2004). He also considers the loss of relationships as a counterpart to the loss of myth. “Relationships” signi es not only relationships with others, but also the primitive foundation of a sense of belonging or identi cation. He points out that these foundations have weakened in modern times. And It can be said that myths as the unconscious system of empirical knowledge can also make communities which is the root of a sense of belonging or identi cation. So the feebleness of relationships and loss of myths are referring to the same thing. And connection with others also inevitably declines.\ Incidentally, Mauss(1925/2008) has pointed out that the gift in ancient society produces a mutually bene cial relationship. e gift in ancient times is considered as a thing that creates relationships with others. e gift is commutation of substantiality or energy and the relationship itself. e gift is intended to match opposite <self> as subject to an <other>, then <self> obtains subjective senses by produced experiences or images. At the same time, it rede nes the borderline between <self> and <other>, and contributes to recognitions of identity of <self> concerned with <other> as strangeness or heterogeneousness.\ e gift is not only the experience of new possibility by <self> rede ning, but also critical experience of the confrontation of <pain> or <death> of <self>, through the subject’s losing controls when involved with <other>. In ancient culture, myths as the empirical knowledge or sense of belonging to community give signi cance to these <pain>. But, in modern age, the loss of myths, leaves the subject vulnerable to <pain> in the process of <self> reorganization. So in modern times, in clinical psychology the problem of <pain> has to be confronted when dealing with the loss of relationships.
著者
宮崎 文典
出版者
学習院大学
雑誌
人文 (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
no.13, pp.7-20, 2014

本稿は、プラトン『リュシス』における友(φίλος)としての人がもつ意味を、特に友としての人の欲求と行為、またこれらと知との関係という点から検討するものである。ソクラテスとリュシスとの最初の対話(207d-210d)で語られる友としての人は、知者と思われることによって、有用なこともそうでないことも区別なく欲し、どんな欲求も無制限に充たしうるというものである。だが、こうした性格は、当対話篇中の以降の議論において、友としての人がもつべき欲求から悪しき欲求を除外するというかたちで修正されていく。そして、友としての人は、その人が欠いている知を愛し求めることをもとに、対話することを望み、おこなう人として捉えられる。こうした性格づけは、当対話篇で描かれるソクラテスと少年たち(リュシスとメネクセノス)との対話の実践のうちに示されている。こうして、無知を自覚し知を求める人同士の相互性のうちに、知を愛し求めること(φιλοσοφία)が見出される。This paper examines the meaning of the person as riend (φίλος) in Plato's Lysis, specially with regard to the rson's desires and actions, and how these relate to wisdom. The person as friend who is referred to in the first conversation between Socrates and Lysis (207d-210d) is someone who may, by virtue of being regarded as wise, indiscriminately desire both beneficial things and harmful ones, and infinitely satisfy every desire. In the subsequent arguments in this dialogue, however, the character of the person as friend is modified: harmful desires are excluded from the desires that such a person should have. Then, the concept of the person as friend is grasped as a person who wishes to have a conversation and performs it on the ground of loving and seeking the wisdom he lacks. This characterization is implied in the practice of the conversations between Socrates and the two young boys, Lysis and Menexenus, depicted in this dialogue. We then see the love of wisdom (φιλοσοφία) in the reciprocity among people who acknowledge their own ignorance and seek wisdom.
著者
小手川 正二郎
雑誌
人文 (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
no.12, pp.25-39, 2014-03-01

「他人を理解する」とは、どのようなことか。自分の理解の枠組みに他人を切り縮めることなく、いかにして他人を理解することができるのか。フランスの哲学者レヴィナスが答えようとしたのは、このような問いであったと思われる。本論文は、レヴィナスの特異な理性概念に着目して、レヴィナスが主著『全体性と無限』(1961 年)で「他人を理解すること」をどのような事態として捉えるに至ったかを考察・吟味することを目的とする。\ まずレヴィナスの理性概念が孕む問題点を瞥見した後で、「理性」が一貫して他人との関係の担い手とみなされる理由を、『全体性と無限』に先行するテクストに遡って究明する。次に『全体性と無限』の読解を通じて、〈他人によって自我の理解が問い直されることから出発して他人を理解する可能性〉について考察する。最終的には、レヴィナスの理性論が、しばしばレヴィナスに帰される〈他者〉(l’Autre)論ではなく、〈他人〉(Autrui)論を基盤に据えていることを明らかにすることを試みる。\What does ‘an understanding of others’ consist of? How can we understand others without reducing them to those that we do understand? is is the question that Emmanuel Levinas, a French philosopher, struggled to answer throughout his life. Focusing on his unusual notion of ‘reason’ in Totality and Infinity (1961), I try to clarify Levinas’ thinking of ‘an understanding of others’. To start with, having taken a look at some implications of his notion of ‘reason’, I examine why Levinas holds that ‘reason’ is the bearer of a relationship to others. Secondly, analyzing Totality and Infinity, I consider the possibility of understanding the other person without reducing them to those as we understand them. Finally, I try to demonstrate that Levinas’ theory of reason is based on his theory of the other person (Autrui), but not that of the Other (l’Autre) which has been until nowattributed to him.
著者
宮本 盛太郎
出版者
京都大学教養部
雑誌
人文 (ISSN:04398947)
巻号頁・発行日
no.26, pp.p34-55, 1980
著者
石原 香絵
雑誌
人文 (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
no.17, pp.259-281, 2019-03

長年にわたってアーカイブズ振興に取り組んできたユネスコは、アーカイブズの一部を占める視聴覚資料を確実に収集・保存し、アクセスを提供する活動の基盤となる知識を体系化すべく、オーストラリアを代表する視聴覚アーキビストのレイ・エドモンドソンに基礎文献の執筆を委託した。この基礎文献は初版が出版された1998 年以来読み継がれ、最新の『視聴覚アーカイブ活動──その哲学と原則 第3 版』が2016 年に出版されたところである。視聴覚アーキビスト養成やネットワーク強化の重要性を説き、専門用語を定義し、デジタル格差・アドボカシー・環境インパクトといった新しいトピックを取り入れつつも、視聴覚アーカイブ活動の揺るぎない根幹を成す哲学と原則を講じる同文献は、日本におけるこの領域の立ち遅れを改善するための示唆に満ちている。本調査の成果として2017 年に完成した邦訳の公表をきっかけに、視聴覚資料の救済に向けた議論の深まりが期待される。|UNESCO is a long-term supporter of archival studies. In 1998, Ray Edmondson, a leading audiovisual archivist in Australia, was entrusted with the task of assembling a basic primer on audiovisual archiving to ensure the collection, preservation, and provision of access to audiovisual materials. Since then, his Audiovisual Archiving: Philosophy and principles has become a key text in the field with its lates(t 3rd)edition published in 2016. The book defines basic terminology and emphasizes the importance of education and training of audiovisual archivists, as well as networking within the profession, and although it introduces new topics such as the digital divide, advocacy, or environmental impact, its core philosophy and principles remain consistent. The Japanese version published in 2018 is expected to stimulate discussion and raise awareness of this area of study in order to save audiovisual materials, in which Japan lags behind other countries.
著者
鈴木 由加里
雑誌
人文 (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.39-56, 2007-03-26

フランス哲学が日本に輸入されて以来、多くの哲学者が紹介されたが、現在では忘れられている哲学者も少なくない。ジャン─ マリー・ギュヨーもそのような哲学者の一人である。ギュヨーは、中江兆民の編んだ『政理叢談』において、その著作が紹介され、明治末期から大正期にかけては、多くの邦訳が出版され、また英訳を介して文壇及び大正期の文化に影響を与えた。アカデミズムでも美学・教育学・道徳学において一時期取り上げられたが、その後アカデミズムでは取り上げられず、主体的に論じられることもないまま現在に至っている。 明治末から大正期にかけて発展した大学制度においては、哲学といえば新カント派のドイツ哲学であり、それに対抗するものとして、当時のフランス哲学が在野の文化人や一部の大学の研究者によって取り上げられてきたものである。フランス哲学の受容において、重視されたのは、「現代性」「同時代性」であり、それ故、明治大正期に取り上げられたベルクソンやブートルーなどは「現代哲学」として受容されていたのである。 難解であるけれども思想的な深さをもつドイツ哲学に対して、明晰判明であるが浅いフランス哲学という批判を退けるために、ギュヨーを初めとするフランス哲学者がアカデミズムにおいて紹介されたのである。その目的は、ギュヨーの思想の研究ではなく、むしろフランス哲学の特性を証明するためであった。 そこには、ドイツ哲学を経由したフランス哲学観を離れてフランス哲学を研究することへの希求が存在している。しかし、そのフランス哲学受容の必要性の主張の裏には、「現代哲学」としてのフランス哲学を研究し、それを日本的な哲学の創生に役立てるという目的も同時に存在しているのである。欧米の思想の輸入過多に対して、日本的なるもの、日本独自の哲学という西欧思想との融合に際して、フランス哲学が利用されていたのである。そのような目的において、ギュヨーの哲学は役立つと考えられなかったためにアカデミズムの中で研究されなくなっていった。ギュヨーの生命の哲学を日本的な文脈の中に置き換えることは難しく、19 世期末に夭逝した哲学者であったために哲学史における評価も定まらず、ベルクソンの哲学ほど利用価値がないと判断されたために忘れられた哲学者となっていったのである。
著者
Kim Chaeyeong
雑誌
人文 (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
no.17, pp.45-61, 2019-03

社会全体の幸福の最大化を目指す理論として一般に理解される功利主義は、諸個人の権利を充分に考慮しないという批判にしばしば晒されてきた。ミルは著作『功利主義』において、権利が功利性の原理により導き出されることを示す試みを行っているが、批判者は、功利性の原理が社会全体の利益(幸福)の総和という観点を採用している以上、そこにおいて諸個人の利益、延いては権利を尊重することは出来ないと指摘する。この論文の目的は、個人の権利の土台が一般的功利にあることを示すことにより、その権利を功利主義の中に取り込むことが出来ることを明らかにすることである。そのために、まず権利概念がミルの功利主義においてどのように位置づけられているかを検討し、次にハートやベンサム、ラズの議論の考察を通じて、諸個人の権利が利益の総和でも個人の利益でもなく、社会の全成員によって共有される共通利益としての一般的功利により基礎づけられることを示すことを試みる。|Utilitarianism, formulated in a clear manner by Jeremy Bentham, has been confronted with numerous criticisms, especially those concerning its disregard for individual rights. In his work Utilitarianism, John Stuart Mill attempted to place the idea of rights within the framework of his own version of utilitarianism. However, critics have continued to claim that the theory cannot consider the rights of separate individuals because its aim is to promote the aggregate of the interests of all parties in a society. In this paper I would like to show that there is a possibility of accommodating rights in Mill's utilitarianism. To achieve this goal, I will first have a careful look at the ideas of justice, rights, and utility in Utilitarianism, and clarify their mutual relations. Secondly, I will discuss Hart's criticism, and argue that Mill indeed failed to justify individual rights by "general utility," insofar as he understood it as the aggregate of the interests or happiness of all. Thirdly and finally, I will explore the foundation of rights by taking up the views of Bentham, Mill and Raz. In particular, I will link Raz's idea of the common good with Mill's notion of "general utility," and argue that "general utility," properly understood as the common interest shared by all members of a society, is, in Mill's considered opinion, the real foundation of rights.
著者
長谷川 順二
雑誌
人文 (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
no.14, pp.7-31, 2016-03-01

『水経注』は、北魏当時の河川位置が詳細に記されている地理書である。特に変動著しい黄河においては北魏期および前代の前漢黄河の2 本の河道が記されているため、黄河変遷研究における最も重要な文献とされる。この時期を含む後漢から唐代にかけての黄河は800 年間に渡って大規模な変動が発生せず、黄河の「安流期」とされてきた。しかし近年は文献記述や環境史に基づく考察から、この時期においても黄河は氾濫や決壊を繰り返してきたという説が登場し、「安流期」の有無を巡って多くの専門家による議論が行われている。本稿では後漢から南北朝を経て唐宋に至る各時期の正史や『元和郡県志』などの地理書をはじめとした文献記述に加えてRS データおよび現地調査の成果を活用して、『水経注』に多く見られる記述の錯綜箇所を整理した上での北魏期黄河の河道復元を目指し、その第一歩として河南省濮陽市から山東省高唐県にかけての古河道復元を試みる。In the current changes in research on the course of the Yellow River, there is a theory thathas gained a lot of support over the years that there was no big change in the Yellow River for over 800 years from the time of the Eastern Han (後漢) dynasty to the Tang (唐) Dynasty. In recent years, however, this has been refuted, as it appears that, at that time, the Yellow River had experienced repeated flooding and collapse. Many experts have discussed this subject, but no definitive conclusions have been found.Using the results of remote sensing data analysis and field surveys, I reconstructed the course of the Yellow River during the Western Han (前漢) period. In this paper, which presents research not only based on the conventional literature, it is possible to re-consider the subject by taking into account new information, such as analysis of remote sensing data and the results of field surveys, to reveal the actual situation of the Yellow River during the Northern Wei (北魏) period. As a first step, I reconstruct the river channel of the Yellow River course in the Northern Wei (北魏) period from Henan Puyang City (河南省濮陽市) to Shandong Gao-Tang County (山東省高唐県), based on the description found in “Shui-jing-zhu” (水経注).
著者
安部 清哉
雑誌
人文 (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
no.8, pp.246-210, 2010-03-28

語彙史研究に関して、次のことを論じた。①研究史を概観し、理論的研究における課題を明らかにし、それを踏まえて、②語彙研究における研究パラダイムとして の「語彙的カテゴリー」を分類整理し、その体系化を試みた。また、③語彙独自の特性によって語彙史を解明することが有効であるという考えに立ち、語彙独自 の構造的特性と史的特性として、「反作用」「反現象」「中和」の諸現象と「部分語彙の諸特性」に関して論じた。