著者
中川 敏
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第47回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.37, 2013 (Released:2013-05-27)

本発表は他者にエージェンシーを付与する(志向姿勢をとる)ことについて考察する。第一部では、生活世界においてわれわれが他者にエージェンシーを付与するのはどのような状況なのかを考察する。第二部では、他者が論理空間の外部ならば、 他者は「謎」として現れるという野矢茂樹の指摘を受け、 そのような他者に対する姿勢、志向姿勢を越えた姿勢(倫理姿勢)の可能性について考察する。
著者
中川 敏子
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.81-89,110, 2004

これまでの日本におけるスポーツとジェンダーに関する研究の多くは、ステレオタイプに基づいた女性選手像とそれを報道するマスメディア批判に終始している。女性たちは、歴史的にスポーツの発展に貢献していることが明らかにもかかわらず、表象においては、保守的な男女の性役割に基づいた言説におしとどめられてきた。フィギュアスケートは、かつて男性のスポーツとされていたが、女子選手が進出し、今日では女性のためのスポーツとさえ言われている。こうしたなかで、女子選手がどのように表象されてきたのかを分析することは重要と思われる。本論文では、1920年代から1930年代に活躍し「銀盤の女王」と呼ばれたソニヤ・ヘニーを取り上げる。彼女の氷上での功績および映画での役柄、実人生を見ながら、女子フィギュアスケーターがどのように表象され、どのように位置づけられてきたのかを歴史的コンテクストに着目して考察する。まず、1900年以降においては、フィギュアスケートの発展に貢献した4人の女性たちに着目し、彼女たちの功績があってヘニーの活躍が可能になったことに言及する。つぎに、1930年代にヘニーが出演した映画作品6本からヒロインの表象のされ方を明らかにする。それによって、「銀盤の女王」のステレオタイプがどのように形成されたのかを分析する。そして、どのように新しい理想の女性像が出現し、その一つであったはずの「銀盤の女王」が保守的で伝統的な男性中心の思想により歪曲されてしまったのかを論じる。
著者
中川 敏宏
出版者
専修大学法科大学院
雑誌
専修ロージャーナル (ISSN:18806708)
巻号頁・発行日
no.8, pp.153-166, 2013-01

2012年5月24日,韓国大法院は,日本による植民地統治下において三菱重工(旧三菱)・不二越により強制徴用を受けたとして,その被用者らが同会社を相手に損害賠償と未払賃金の支払いを請求した事件において,原審である釜山高等法院が同じ請求を棄却した日本における判決(最高裁で本件原告らが敗訴確定)を受け入れ原告らの請求を棄却したのに対して,その原判決を破棄し,釜山高等法院に事件を差し戻した。この日本企業に対する戦後補償の可能性を認めた大法院判決は,韓国のマスコミでも大きく取り上げられ,さらなる追加訴訟を提起する動きも伝えられている。その意味で,本判決は,韓国において,対日本企業のみならず対日本国の戦後賠償問題に関し象徴的な意味を有するものになるであろう。本判決については,今後わが国でも様々な観点からの検証・分析が求められるが,そのような多角的な検証・分析は訳者の能力の域を出ており,ここでは,本判決の重要性に鑑み,公表されている三菱重工に対する訴訟の大法院判決を取り上げ,判決文の翻訳を試みたい。翻訳に際して,できるかぎり原文のニュアンスを尊重したが,日本人読者への便宜から,日本における一般的呼称等に従っている箇所がある(例えば,韓国と日本を指す際,韓国語では「韓日」と表現されるところは「日韓」と訳出している)。
著者
中川 敏
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.68, no.2, pp.262-279, 2003-09-30 (Released:2018-03-22)

この論文の目的は密接に関連した二点からなる:(1)ギアーツの「文化システムとしての宗教」とそれに対するアサッドの批判をあたらしい光の中で再解釈すること、そして、(2)そうすることによって、このような論争から帰結するとされる理論的な袋小路から抜け出す道を探り、同時に、人類学的な比較というもののあたらしい可能性を探り出すことである。アサッドの批判は、端的に言えば、ギアーツの議論はエスノセントリックである、ということである。ギアーツの宗教の定義は、ギアーツ自身の文化に特徴的な宗教、すなわち宗教改革以降のキリスト教の考え方に、無意識にせよ、多大な影響を受けているのである、とアサッドは主張するのである。このような批判からギアーツの議論をすくい出すために、私が主張したいのは、ギアーツの議論をローティの反・反エスノセントリズムの議論の脈絡で読め、ということである。反・反エスノセントリズムとは、簡単に言えば、自らのエスノセントリズムに自覚的であるべきであり、そして、(エスノセントリズムを破棄せよというのではなく、)あくまでそれから出発し、他の立場を受け入れることができるようにそのエスノセントリズムを拡大していくべきである、という考え方である。この立場は、もちろん、単純なエスノセントリズムではない(ちょうど反・反相対主義が単純な相対主義ではないように)。それゆえ、あくまで思考実験の中だけにせよ、ギアーツの自称する立場、すなわち、反・反相対主義と相容れない立場ではないと考えることは可能であろう。反・反エスノセントリズムという光の中で、当該の論文の中でのギアーツの作業は、次のようにとらえられることになる-彼は自らのもつ「宗教」に対するステレオタイプ(パットナムの言葉であるが)をできるだけ解明(カルナップの言葉であるが)しようとしているのだ、と。このようにしてギアーツの作業をとらえると、論争それ白身がまったく異なった様相を呈してくることとなる-それはもはや論争ではなく、対話(あるいは、ローティのお気に入りの言葉をつかえば、会話)なのである。二人の対話は経験に近い概念(「痛み」「苦しみ」「訓練」などなど)と経験に遠い概念、すなわち「宗教」との間を振り子運動する。対話者はさまざまな時代、さまざまな場所から民族誌的事実を引用し、そうすることによって、自らのエスノセントリックなステレオタイプを解明していくのだ。この対話こそが、私は主張したい、人類学の比較の模範演技である、と。
著者
中川 敏宏
出版者
専修大学法科大学院
雑誌
専修ロージャーナル = Senshu Law Journal (ISSN:18806708)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.153-166, 2013-01-25 (Released:2013-05-14)

2012年5月24日,韓国大法院は,日本による植民地統治下において三菱重工(旧三菱)・不二越により強制徴用を受けたとして,その被用者らが同会社を相手に損害賠償と未払賃金の支払いを請求した事件において,原審である釜山高等法院が同じ請求を棄却した日本における判決(最高裁で本件原告らが敗訴確定)を受け入れ原告らの請求を棄却したのに対して,その原判決を破棄し,釜山高等法院に事件を差し戻した。この日本企業に対する戦後補償の可能性を認めた大法院判決は,韓国のマスコミでも大きく取り上げられ,さらなる追加訴訟を提起する動きも伝えられている。その意味で,本判決は,韓国において,対日本企業のみならず対日本国の戦後賠償問題に関し象徴的な意味を有するものになるであろう。本判決については,今後わが国でも様々な観点からの検証・分析が求められるが,そのような多角的な検証・分析は訳者の能力の域を出ており,ここでは,本判決の重要性に鑑み,公表されている三菱重工に対する訴訟の大法院判決を取り上げ,判決文の翻訳を試みたい。翻訳に際して,できるかぎり原文のニュアンスを尊重したが,日本人読者への便宜から,日本における一般的呼称等に従っている箇所がある(例えば,韓国と日本を指す際,韓国語では「韓日」と表現されるところは「日韓」と訳出している)。
著者
中川 敏子
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.81-89,110, 2004-03-21 (Released:2011-05-30)
参考文献数
21

これまでの日本におけるスポーツとジェンダーに関する研究の多くは、ステレオタイプに基づいた女性選手像とそれを報道するマスメディア批判に終始している。女性たちは、歴史的にスポーツの発展に貢献していることが明らかにもかかわらず、表象においては、保守的な男女の性役割に基づいた言説におしとどめられてきた。フィギュアスケートは、かつて男性のスポーツとされていたが、女子選手が進出し、今日では女性のためのスポーツとさえ言われている。こうしたなかで、女子選手がどのように表象されてきたのかを分析することは重要と思われる。本論文では、1920年代から1930年代に活躍し「銀盤の女王」と呼ばれたソニヤ・ヘニーを取り上げる。彼女の氷上での功績および映画での役柄、実人生を見ながら、女子フィギュアスケーターがどのように表象され、どのように位置づけられてきたのかを歴史的コンテクストに着目して考察する。まず、1900年以降においては、フィギュアスケートの発展に貢献した4人の女性たちに着目し、彼女たちの功績があってヘニーの活躍が可能になったことに言及する。つぎに、1930年代にヘニーが出演した映画作品6本からヒロインの表象のされ方を明らかにする。それによって、「銀盤の女王」のステレオタイプがどのように形成されたのかを分析する。そして、どのように新しい理想の女性像が出現し、その一つであったはずの「銀盤の女王」が保守的で伝統的な男性中心の思想により歪曲されてしまったのかを論じる。
著者
中川 敏
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.68, no.2, pp.262-279, 2003

この論文の目的は密接に関連した二点からなる:(1)ギアーツの「文化システムとしての宗教」とそれに対するアサッドの批判をあたらしい光の中で再解釈すること、そして、(2)そうすることによって、このような論争から帰結するとされる理論的な袋小路から抜け出す道を探り、同時に、人類学的な比較というもののあたらしい可能性を探り出すことである。アサッドの批判は、端的に言えば、ギアーツの議論はエスノセントリックである、ということである。ギアーツの宗教の定義は、ギアーツ自身の文化に特徴的な宗教、すなわち宗教改革以降のキリスト教の考え方に、無意識にせよ、多大な影響を受けているのである、とアサッドは主張するのである。このような批判からギアーツの議論をすくい出すために、私が主張したいのは、ギアーツの議論をローティの反・反エスノセントリズムの議論の脈絡で読め、ということである。反・反エスノセントリズムとは、簡単に言えば、自らのエスノセントリズムに自覚的であるべきであり、そして、(エスノセントリズムを破棄せよというのではなく、)あくまでそれから出発し、他の立場を受け入れることができるようにそのエスノセントリズムを拡大していくべきである、という考え方である。この立場は、もちろん、単純なエスノセントリズムではない(ちょうど反・反相対主義が単純な相対主義ではないように)。それゆえ、あくまで思考実験の中だけにせよ、ギアーツの自称する立場、すなわち、反・反相対主義と相容れない立場ではないと考えることは可能であろう。反・反エスノセントリズムという光の中で、当該の論文の中でのギアーツの作業は、次のようにとらえられることになる-彼は自らのもつ「宗教」に対するステレオタイプ(パットナムの言葉であるが)をできるだけ解明(カルナップの言葉であるが)しようとしているのだ、と。このようにしてギアーツの作業をとらえると、論争それ白身がまったく異なった様相を呈してくることとなる-それはもはや論争ではなく、対話(あるいは、ローティのお気に入りの言葉をつかえば、会話)なのである。二人の対話は経験に近い概念(「痛み」「苦しみ」「訓練」などなど)と経験に遠い概念、すなわち「宗教」との間を振り子運動する。対話者はさまざまな時代、さまざまな場所から民族誌的事実を引用し、そうすることによって、自らのエスノセントリックなステレオタイプを解明していくのだ。この対話こそが、私は主張したい、人類学の比較の模範演技である、と。
著者
清水 邦義 吉村 友里 中川 敏法 松本 清 鷲岡 ゆき 羽賀 栄理子 本傳 晃義 中島 大輔 西條 裕美 藤田 弘毅 渡邉 雄一郎 岡本 元一 井上 伸史 安成 信次 永野 純 山田 祐樹 岡本 剛 大貫 宏一郎 石川 洋哉 藤本 登留
出版者
一般社団法人 日本木材学会
雑誌
木材学会誌 (ISSN:00214795)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.126-130, 2017-05-25 (Released:2017-06-01)
参考文献数
4
被引用文献数
3 2

木材を用いた家の価値が見直されている中で,木材から放散される揮発性成分の機能性が注目されている。季節ごとの温度や湿度の変化の大きい我が国においては,木材から放出される揮発性成分も大きく変化していると考えられる。本研究では,スギ(Cryptomeria japonica)の無垢材を内装に用いた建物(A棟)と,表面に塗装を施された内装材またはビニールクロスで覆われた内装材を用いた建物(B棟)の室内において,年間を通して揮発性成分を定期的に捕集し,ガスクロマトグラフ質量分析計(GC/MS)分析による比較を行った。その結果,木材の揮発性成分の大半を占めるセスキテルペン類の量は,どちらの棟においても冬季より夏季で高く,年間を通してB棟よりもA棟の方が常に高いことが明らかになった。
著者
中川 敏宏
出版者
専修大学法科大学院
雑誌
専修ロージャーナル (ISSN:18806708)
巻号頁・発行日
no.8, pp.153-166, 2013-01

2012年5月24日,韓国大法院は,日本による植民地統治下において三菱重工(旧三菱)・不二越により強制徴用を受けたとして,その被用者らが同会社を相手に損害賠償と未払賃金の支払いを請求した事件において,原審である釜山高等法院が同じ請求を棄却した日本における判決(最高裁で本件原告らが敗訴確定)を受け入れ原告らの請求を棄却したのに対して,その原判決を破棄し,釜山高等法院に事件を差し戻した。この日本企業に対する戦後補償の可能性を認めた大法院判決は,韓国のマスコミでも大きく取り上げられ,さらなる追加訴訟を提起する動きも伝えられている。その意味で,本判決は,韓国において,対日本企業のみならず対日本国の戦後賠償問題に関し象徴的な意味を有するものになるであろう。本判決については,今後わが国でも様々な観点からの検証・分析が求められるが,そのような多角的な検証・分析は訳者の能力の域を出ており,ここでは,本判決の重要性に鑑み,公表されている三菱重工に対する訴訟の大法院判決を取り上げ,判決文の翻訳を試みたい。翻訳に際して,できるかぎり原文のニュアンスを尊重したが,日本人読者への便宜から,日本における一般的呼称等に従っている箇所がある(例えば,韓国と日本を指す際,韓国語では「韓日」と表現されるところは「日韓」と訳出している)。
著者
小泉 潤二 春日 直樹 中川 敏 栗本 英世 石川 登 花渕 馨也 春日 直樹 中川 敏 栗本 英世 中川 理 石川 登 花渕 馨也 松川 恭子
出版者
大阪大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2005

本研究は、トランスナショナルな、つまり国家、国民、民族を超える現代世界の動態的現象を人類学的に把握し分析するために、「境界」に生まれるもの、つまり境界の生産性に着目した。中米、アフリカ、東南アジア、オセアニア、ヨーロッパなど各地で現地調査を実施して経験的資料を集め、国家や民族やモダニティなど多様な要因により複雑に構築される境界の理解を進めるとともに、その境界を越える人やモノの流れの現実を明らかにした。
著者
春日 直樹 小泉 潤二 中川 敏 栗本 英世 田辺 明生 石井 美保 森田 敦郎 中川 理
出版者
一橋大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2009

本研究は「社会的なもの」の構築過程をラディカルに再検討して、社会的なものと自然的なものとを同一水準で論じる方法を探求した。「社会」と「自然」が概念と実在としていかに一緒に構築されていくのかを問い、因襲的な二分法を超えるような諸関係と状況について、またそうした状況下でさまざまな存在がいかに生成するかについて、明らかにした。本研究は最終的に、人類学・科学技術研究・科学史・哲学が融合する次元を提供し、それによってあらたな実在の可能性と生成に寄与することを目指した。