著者
須山 聡
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100092, 2015 (Released:2015-04-13)

本論は高齢化と過疎化の進展の結果,居住者がいなくなるという,図式的な「過疎化言説」を批判的に捉え,離島の過疎を客観的に評価する材料を提供し,離島の無人化について新たな知見を得た。戦後,全国で78島が無人化したが,多くは過疎化以外の要因によるもので,過疎化にともなう人口減少の末の「無人化島」はわずか15島にすぎないことがわかった。さらにそれらのうち12島は行政からの勧奨に応じた集団離島によって無人化した。無人島の発生は,過疎の終着点ではなく,むしろ行政が無人島化を最終的に進めた。集団離島に際しての行政/住民の意志決定プロセスを,詳細に検討する必要があることがわかった。
著者
齋 実沙子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

本研究は、結婚式場の広告において「場所イメージ」がどのように利用されているのか、また、どのような役割を果たしているのかを明らかにすることを目的としている。<BR> 「場所イメージ」とは、場所を想起する際のイメージのことであり(内田,1987)、消費社会における量産商品の広告では、商品イメージの差別化を図る手段の1つとして「場所イメージ」が利用されている。そこで本研究は、結婚情報誌として圧倒的な売り上げを誇る『ゼクシィ』を事例に、結婚式場の広告の中にある「場所イメージ」に関する表象を調べることで、結婚式場に求められる「場所イメージ」やその利用状況、またその役割を明らかにした。なお、その際に本研究では、エリア・会場形態・時間という3つの視点から「場所イメージ」の利用について検証を試みた。<BR> まず、『ゼクシィ』の特徴として、独自に区分されたエリア別に広告が掲載されていることが挙げられる。そこで、これらのエリア区分から【横浜・川崎】エリア、【湘南】エリア、【埼玉】エリア、【東京23区】エリアの4つを選定して「場所イメージ」に関する表象の分析を行った。その結果、各エリア毎に「場所イメージ」に関する表象の使用状況が明らかに異なることが分かり、例えば、【湘南】エリアでは「海」のイメージを想起させる広告が大多数であるのに対し、【埼玉】エリアではそこが「埼玉」であることを感じさせない広告が多くなっていた。このように、結婚式場の広告において「場所イメージ」は、結婚式場のイメージに相応しいものとそうでないものとが意図的に取捨選択された上で使用されており、すなわち、「場所イメージ」を利用する、あるいは不必要なイメージであれば利用しないことで、より結婚式場らしいイメージを広告の中で作り上げていることが分かった。<BR> 次に、『ゼクシィ』にはエリア別の広告掲載の他にも、【ホテルウエディング】という会場形態別の特集があるため、これとエリア別の掲載箇所を比較した。するとその結果、「場所イメージ」の利用は会場形態によって異なり、特に一流ホテルでは「場所イメージ」が全く利用されていないことが分かった。これは、ホテルが既に結婚式場に相応しい「高級感」や「特別感」といったイメージを持っているためであり、これに対して、そのようなイメージを持っていない会場では、広告の中で「場所イメージ」を利用することでそれらのイメージを補完あるいは強化しているのである。すなわち、「場所イメージ」は、結婚式場が既存のステレオタイプのイメージを持っていない場合において、特に有効に作用することが分かった。<BR> 最後に、これに時間軸を加えると2012年現在、このように巧みに利用されている「場所イメージ」は、2001年当時はそれほど利用されておらず、つまりこの間に結婚式場の広告において「場所イメージ」の利用が発達したことでより高度化・複雑化したことが分かった。これは、『ゼクシィ』が結婚情報誌市場を独占し、各結婚式場は1つの誌面上だけで他社との競合を強いられたため、広告でのイメージによる差異化が必須となった結果でもあるが、このような差異化はあくまでも微妙な差異の戯れに過ぎず、むしろ、皮肉にもそれによって並列されてしまっている。<BR> 以上、結婚式場の広告における「場所イメージ」の利用状況は、それらの背景の違いによって様々であることが分かったが、これら全ての類型に共通することは、「場所イメージ」を利用している利用していないに関わらず、本来の場所を「隠している」ということである。なぜなら、結婚式場が広告される段階で、既に「場所イメージ」は取捨選択されているため、結婚式場の広告の中で「場所イメージ」を利用していない場合はもちろん、利用している場合も不必要なものはいったん全て広告から排除されているからである。そのため、結果的にそこで表現される「場所イメージ」は、実際に私たちが抱く「場所イメージ」とはまた少し異なるものとなっており、すなわち、それらは結婚式場の広告用に「結婚式場に相応しい場所」として新たに作られた、よりキッチュな「場所」と「場所イメージ」になっているのである。そして、それらは繰り返し利用されることで再生産され、あたかも最初から「結婚式場に相応しい場所」であったかのように定着し、受け入れられるようになっていくといえよう。<BR> また、このように「場所イメージ」が気軽に多用されるようになったことで、「場所のステレオタイプ」化もより進行し、ステレオタイプ化され単純化された「場所イメージ」は、かえって複雑な現代社会を作り出しているようにもみえる。すなわち、結婚式場の広告における「場所イメージ」の利用とその変化は、現実とイメージとがより一層錯綜したハイパーリアルな社会になっていることの1つの現れであろう。
著者
福井 幸太郎 飯田 肇
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2012, 2012

飛騨山脈,剱岳(2999 m)にある小窓雪渓および三ノ窓雪渓で,2011年春にアイスレーダー観測を行い,厚さ30 m以上,長さ900~1200 mに達する日本最大級の長大な氷体の存在を確認した.同年秋に行った高精度GPSを使った流動観測の結果,小窓,三ノ窓両雪渓の氷体では,1ヶ月間に最大30 cmを超える比較的大きな流動が観測された.流動観測を行った秋の時期は,融雪末期にあたり,雪氷体が最もうすく,流動速度が1年でもっとも小さい時期にあたる.このため,小窓,三ノ窓両雪渓は,日本では未報告であった1年を通じて連続して流動する「氷河」であると考えられる.&nbsp;立山の主峰である雄山(3003 m)東面の御前沢(ごぜんざわ)雪渓では,2009年秋にアイスレーダー観測を行い,雪渓下流部に厚さ約30 m,長さ400 mの氷体を確認した.2010年秋と2011年秋に高精度GPSを使って氷体の流動観測を行った結果,誤差以上の有意な流動が観測された.流動速度は1ヶ月あたり10 cm以下と小さいものの,2年連続で秋の時期に流動している結果が得られたため,御前沢雪渓も氷河であると考えられる.
著者
有江 賢志朗 奈良間 千之 福井 幸太郎 飯田 肇 高橋 一徳
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

<p><b>1.はじめに </b></p><p> 福井・飯田(2012)と福井ら(2018)は,飛騨山脈の多年性雪渓において,近年の小型かつ高精度な測量機器を用いて氷厚と流速の測定を実施した.その結果,流動現象が確認された六つの多年性雪渓は氷河(小窓氷河,三ノ窓氷河,カクネ里氷河,池ノ谷氷河,御前沢氷河,内蔵助氷河)であると判明した.飛騨山脈は,氷河と多年性雪渓が存在する山域となった.しかしながら,飛騨山脈のすべての多年性雪渓で氷河調査がおこなわれたわけではなく,飛騨山脈の氷河分布の全貌は明らかでない.福井ら(2018)は,飛騨山脈の未調査の多年性雪渓のうち,氷体が塑性変形を起こすのに十分な氷厚を持ち氷河の可能性があるのは,後立山連峰の唐松沢雪渓,不帰沢雪渓,杓子沢雪渓などごくわずかであると指摘している.そこで,本研究では,唐松沢雪渓において氷厚と流動の測定をおこない,現存氷河であるかどうかを検討した.さらに,本研究の唐松沢雪渓で測定された氷厚と流動速度を,氷河の塑性変形による氷河の内部変形の一般則であるグレンの流動則で比較し,唐松沢雪渓の流動機構について考察した.</p><p><b>2.</b><b>研究手法</b></p><p> 氷河と多年性雪渓は,氷体が顕著な流動現象を示すかどうかで区別される.本研究では,唐松沢雪渓の氷厚を測定するために,アンテナから電波を地下に照射し,その反射から地下の内部構造を調べる地中レーダー探査による氷厚測定を実施した.また,縦断測線と横断測線との交点ではクロスチェックをおこない正確な氷厚を求めた.測定日は2018年9月21日である.さらに,雪渓上に垂直に打ち込んだステークの位置情報を融雪末期に2回GNSS測量を用いて測定し,その差分から唐松沢雪渓の融雪末期の流動速度を測定した.また,雪渓末端の岩盤に不動点を設置し,2回の位置情報のずれをGNSS測量の誤差とした.2回の測定日は,2018年9月23日と10月22日である.図1に地中レーダー探査の側線とGNSS測量の測点を示した.</p><p><b>3.結果</b></p><p> 地中レーダー探査の結果,唐松沢雪渓は30m以上の氷厚を持ち,塑性変形するのに十分な氷厚を持つことが確認された.</p><p> また,流動測定の結果,2018年融雪末期の29日間で,P1で18cm,P2で25cm,P3で19cm,P4で18cm,P5で19cm,北東方向(雪渓の最大傾斜方向)に水平移動していた.雪渓末端部の河床の岩盤の不動点(P6)での水平移動距離は2㎝であった.今回の測量誤差を2㎝とすると,雪渓上の水平移動で示された雪渓の流動は,誤差を大きく上回る有意な値であるといえる.流動測定を実施した融雪末期は,積雪荷重が1年で最も小さいため,流動速度も1年で最小の時期であると考えられている.このことから,唐松沢雪渓は一年を通して流動していることが示唆され,現存氷河であることが判明した.</p><p> さらに,唐松沢雪渓で測定された表面流動速度は,グレンの流動則による塑性変形の理論値を上回っていた.このことから,唐松沢雪渓の融雪末期における底面すべりの可能性が示唆される.</p><p><b>引用文献</b></p><p>福井幸太郎・飯田肇(2012):飛騨山脈,立山・剱山域の3つの多年性雪渓の氷厚と流動―日本に現存する氷河の可能性について―.雪氷,74,213-222.</p><p>福井幸太郎・飯田肇・小坂共栄(2018):飛騨山脈で新たに見出された現存氷河とその特性.地理学評論,91,43-61.</p>
著者
鈴木 晃志郎
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.83, 2014 (Released:2014-10-01)

1990年代に飛躍的な進歩を遂げたICT(情報通信技術)は、誰もがウェブ上で情報交換できる時代をもたらした。いまや紙地図は急速にウェブや携帯端末上で閲覧できる電子地図へと主役の座を明け渡しつつある。二者の決定的な違いは、地理情報を介した情報伝達が双方向性をもつことである。Google Mapなどの電子地図とLINEやFacebookなどのコミュニケーションツールの連携で、利用者はタグや文章、写真を貼り付けてオリジナルの主題図を作成でき、不特定多数に公開できるようになった。また、OpenStreetmapなどに代表される参加型GISの領域では、官公庁や製図家に限られていた地理情報基盤整備の局面における、一般人の参画を可能にしつつある。 しかし、こうしためざましい技術革新に比して、利用者側に要求されるモラルや責任、リテラシーについての議論は大きく立ち後れている。阪神大震災の教訓を踏まえ、電子地理情報の基盤整備に尽力してきた地理学者たちは、2007年に制定された「地理空間情報活用推進基本法」に貢献を果たすなど、電子国土の実現に深くコミットしてきた。電子地理情報の利活用におけるユビキタス化は、その直接・間接的な帰結でもある。ゆえに、ユビキタス・マッピング社会の実現は、地理学者により厳しくその利活用をめぐるリスクや課題も含めて省察することを求めているといっても過言ではない。本発表はこうした現状認識の下、地理学者がこの問題に関わっていく必要性を大きく以下の3点から検討したい。(1)地図の電子化とICTの革新がもたらした地理情報利用上の課題を、地理学者たちはどう議論し、そこからどのような論点が示されてきたのかを概観する。この問題を論じてきた地理学者は、そのほとんどが地図の電子化がもたらす問題を「プライバシーの漏洩」と「サーベイランス社会の強化」に見ており、監視・漏洩する主体を、地理情報へのアクセス権をコントロールすることのできる政府や企業などの一握りの権力者に想定している。本発表ではまず、その概念整理を行う。(2)地理学における既往の研究では、地理情報へのアクセスや掲載/不掲載の選択権を、一握りの権力(企業や行政、専門家)が独占的にコントロールできることを主に問題としてきた。しかし、逆にいえば、権力構造が集約的であるがゆえに、それら主体の発信した情報に対する社会的・道義的責任の所在も比較的はっきりしており、そのことが管理主体のリテラシーを高める動機ともなり得た。これに対し、ユビキタス・マッピング社会の到来は (A)個人情報保護に関する利用者の知識や関心が一様ではない、(B)匿名かつ不特定多数の、(C)ごく普通の一般人が情報を公開する権力を持つことを意味する。それでいて、情報開示に至るプロセスには、情報提供を求めてプラットフォームを提供する人間と、求めに応じて情報提供する人間が介在し、一個人による誹謗中傷とも趣を異にした水平的な組織性も併せ持っている。ユビキタス・マッピング社会は、そんな彼らによって生み出される時にデマや風聞、悪意を含んだ情報を、インターネットを介してカジュアルに、広く拡散する権力をも「いつでも・どこでも・だれでも」持てるものへと変えてはいないだろうか。本発表では、ある不動産業者が同業他社あるいは個人の事故物件情報を開示しているサイトと、八王子に住む中学生によってアップロードされた動画に反感を抱いた視聴者たちが、アップロード主の個人情報を暴くべく開設した情報共有サイトの例を紹介して、さらに踏み込んだ検討の必要性を示す。(3)地理情報をめぐるモラルや責任の問題は、端的には情報倫理の問題である。本発表で示した問題意識のうち、特にプライバシーをめぐる問題は、コンピュータの性能が飛躍的に向上した1980年代以降に出現した情報倫理(Information ethics)の領域で多く議論されてきた。本発表では、これら情報倫理の知見からいくつかを参照しながら(2)で示された論点を整理し、特に地理教育的な側面から、学際的な連携と地理学からの貢献可能性を探ることを試みる。
著者
小森 次郎
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

<p>2019年10月12日,台風19号の接近により南関東を東京湾へ流れる多摩川(全長138 km)周辺でも豪雨となり,流域内6か所のアメダス観測点ではいずれも24時間降雨量の観測史上最多を記録した.国土交通省の石原水位観測所(河口から27.6 km)と田園調布水位観測所(同13.4 k)では約90年の観測史上最高の水位となり河川の計画高水位を超えた.これにより下流の右岸では東京都調布市・狛江市・世田谷区・大田区が,左岸では神奈川県川崎市多摩区・高津区・中原区・川崎区の15地域で住宅等の浸水被害が発生した(図1).本発表ではこれら地域の現地調査で明らかになった被害の特徴と,そこから考えられる課題について報告する.なお,この調査では発災翌日の10月13日に撮影された国土地理院の航空写真が大いに役立った(2020年1月22日現在,電子国土Webサイトで閲覧可能).</p><p></p><p>【浸水被害の特徴】</p><p></p><p>・浸水の原因は①多摩川につながる樋管からの逆流,②多摩川から支流河川へのバックウォーター現象,③堤防より低い水門を越えた多摩川からの越水,の三つに分類される.</p><p></p><p>・多摩区布田と高津区二子以外の主な浸水域は江戸期の瀬替えを経た多摩川の旧河道の地形に相当する.</p><p></p><p>・多摩川は溝の口の下流側を境に上流は網状流河川,下流は蛇行河川を呈するが(門村(1961)地理科学,1, 16-26),浸水域の広がりかたもこの違いを反映している.</p><p></p><p>【課題】</p><p></p><p>・①の多摩川につながる樋管からの逆流については,記録的な増水の中で水門を開放していた川崎市や調布・狛江境界での河川管理について特に検証が必要である.</p><p></p><p>・現状のハザードマップは,広域の内水氾濫や河川の氾濫による建物被害を示したものであり,今回のような樋管や用水路周辺の局地的な浸水の危険性を理解することはできない.</p><p>・1974年の多摩川水害以降,目立った洪水がなかったことで住民の川への防災意識や土地の成り立ちに関する知識が薄まっていた可能性がある.</p>
著者
前田 拓志 藁谷 哲也
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

<b>1</b><b>.目的</b> <br> 新第三紀から第四紀の堆積岩を基盤に持つ,房総半島および新潟県中越地域の河川において,近世以降人為的な蛇行切断が行われてきた.これらは,房総半島では「川廻し」,中越地域では「瀬替え」と呼称され,一般に蛇行頚状部を掘削して新たに直線的な流路をつける(曲流短絡する)ことで,廃棄河道を新田として開発する目的で行われた.曲流短絡による一連の地形(以下,曲流短絡地形)には以下のような特徴があると考えた.①切断された流路(旧流路)は,無能河川となり,その後下刻作用を受けない.つまり,旧流路の河床面(旧河床面)は短絡以前の地形面を保存している.②一方,旧河床面と対比される(かつて連続していた)現河床面は,その後も下刻作用を受ける.つまり,現河床面と旧河床面の比高を,曲流短絡以降の下刻による河床の低下量とみなすことができる.また,短絡以降の時間は,下刻作用継続期間とみなすことができる.そこで本研究では,現・旧河床面における比高を<i>H</i> ,下刻作用継続時間を<i>T</i>として,短絡以降の平均下刻速度<i>H/T</i>を求め,さらにそれを制約する要素を検討した. &nbsp; <br> <b>2</b><b>.研究方法</b> <br> 既存文献および史料より,房総丘陵と魚沼丘陵から流路の短絡時期が推定できた7地点を研究対象として選定した. 7地点はいずれも,おもに受食性の大きい新第三系の泥岩を基盤に持つ渓流部である.それぞれの地点において,現地調査のもと現・旧河床面の比高を測量した.また,下刻速度を制約する変数を考察するために河床勾配,流域面積,年降水量の情報を取得した.一方,河床を構成する岩石の力学的強度を求めるために,シュミットハンマーKS型を用いて反発強度を測定するとともに,岩石試料をもとに圧裂引張強度を測定した. &nbsp; <br> <b>3</b><b>.結果と考察</b> <br> 現・旧河床面の比高および下刻作用継続時間は,それぞれ0.11~2.05m,103~235年間であることがわかり,平均下刻速度1.08~15.89mm/yが得られた.下刻速度は,河床を構成する岩石の抵抗力<i>R</i>に対する下刻侵食力<i>F</i>の比に制約を受けると考えられる.そこでまず,下刻侵食力<i>F</i>と侵食に対する抵抗力<i>R</i>の変数について検討した.下刻侵食力<i>F</i>は,流水が河床底面にあたえる力,すなわち流体の強さである掃流力として表すことができると考えられる.掃流力は,水深,河床勾配および流体の密度に比例して増大する.入手できた変数を用いて下刻侵食力<i>F</i>を以下のように考えた. <br> <i>F</i> &prop;(&gamma;,<i>A</i>,<i>P</i>,tan&theta;,<i>W<sup> </sup></i><sup>-1</sup>) <br> ここで,&gamma;:流水の単位体積重量(9810N/m<sup>3</sup>と仮定),<i>A</i>:流域面積,<i>P</i>:年間降水量,tan&theta;:河床勾配,<i>W</i>:河床幅員である.一方,侵食に対する抵抗力<i>R</i>は,河床を構成する岩石の力学的強度によって表すことができると考えられる.流水によって,岩盤には河床に沿ってせん断力が作用する.したがって,侵食に対する抵抗力<i>R</i>は,河床を構成する岩石のせん断強度(<i>S</i><sub>s</sub>)によって次のように表すことができると考えた. <br> <i>R</i> &prop;<i>S</i><sub>s</sub> <br>以上を整理すると,基盤岩石の抵抗力<i>R</i>に対する下刻侵食力<i>F</i>の比を表す変数が,以下に示す速度の次元をもつ指標(<i>F/R</i> index)として表される. <br> <i>F/R </i>= &gamma;<i>A P</i> tan&theta; <i>W </i><sup>-1</sup> <i>S</i><sub>s</sub><sup>-1</sup> <br>それぞれの地点について<i>F/R</i> index値を計算し,下刻速度との関係を分析した.その結果,短絡区間の上流側では下刻速度と<i>F/R</i> indexとの間に関係性が認められないのに対して,下流側では両者の間に高い相関(r=0.92)が認められた.これは,短絡区間の上流側と下流側の地形条件の違いが,下刻速度に影響を与えたと推察される.曲流を短絡しているので短絡区間の河床勾配は,その前後の河床勾配に比べて大きくなり,遷急区間となる.したがって,短絡の下流側の下刻速度は,この遷急区間の河床勾配が優位に作用していることが示唆された.
著者
吉村 光敏 八木 令子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

<p>千葉県市原市田淵にある上総層群国本層の露頭は、更新世前期・中期境界の指標となる「地磁気逆転地層」がよく観察され、国の天然記念物指定地となっている。また2020年1月には、この地層を含む「千葉セクショ ン」を、「国際境界模式層断面とポイント(GSSP)」とすることが 正式に認定され、更新世中期の地層に、「チバニアン(期)」の名称 が使われることになった。このような話題を受けて、数年前より現地を訪れる人が増えており、現在、地元自治体を中心に観察路整備、ビジターセンターのオープン、ガイド育成などが進められている。そこで今回、これらの地層が見られる場所がどのようなところかを示すため、露頭周辺の地形とその成り立ちについて明らかにした。 </p><p>露頭が位置する崖は、房総丘陵を北流する養老川本流沿いの河岸段丘分布域にあたる。地磁気逆転を示す露頭は、完新世の最も新しい段丘面である久留里Ⅴ面(鹿島1981)の段丘崖にあり、 段丘面と現河床の比高はおよそ5メートルである。養老川本流右岸は、久留里Ⅲ面期の蛇行流路が短絡した後、比高60mに及ぶ本流下刻と側刻により蛇行切断段丘が形成された。さらに蛇行跡旧河床面は、支流により開析され、曲流する侵食谷となった。谷底は、江戸時代に川廻し新田として河道変更と埋め土が行われ、小規模な連続型の川廻し地形が形成された。これら川廻し地形のうち、フルカワは近年盛り土され原形を留めないが、シンカワのトンネルなどは現在も残り、観察することができる。ここには洪水対策としての微地形も見られ る。また地磁気逆転地層の露頭近くに位置する不動滝は、流路変更による人工の滝である。このことから、養老川中流の集落では、中世〜近世の頃には、様々な地形改変が行われていたと考えられる。</p><p> なお2019年9月から10月にかけて連続して発生した台 風15号、19号、及び21号 関連の集中豪雨によって、旧河道跡は水没し、支流の川廻し地形跡にも、想定された洪水水位の上まで水が上がったことが観察されている。</p>
著者
大谷 侑也
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100129, 2016 (Released:2016-04-08)

東アフリカ中央部にそびえるケニア山(5199m)は赤道直下にあるにもかかわらず、その頂に氷河を有する。しかし、近年の地球規模での気候変動により、その「熱帯の氷河」は急速に縮小している。もし山麓域の地下水が消えゆく氷河を主な水源としているならば、将来的にその量は減少すると考えられる。それが現実となった場合、地域住民生活および生態系に及ぼされる影響は大きいと考えられる。また、同じ東アフリカに位置するキリマンジャロ山の氷河も同様に近年、急速に縮小している。その山麓域のアンボセリ湿地はサバンナにおいて貴重な水場となっており、豊かな生態系を育んでいる。しかし、その湿地水の由来や水質、氷河との関係性を調べた研究は未だ無い。当該地域の生態系を維持、保全する上でそのような情報を得ることは喫緊の課題である。 ケニア山およびキリマンジャロ山と、両地域の山麓の水環境を把握するため、2015年に現地調査を行った。ケニア山では河川水、湧水、氷河、降水を採水し、現地観測を行った。山麓域では湧水、河川水を採水、現地観測を行った。キリマンジャロ山では氷河融解水を採水し、山麓域のアンボセリ湿地では湿地水、湧水をサンプリングした。サンプルは総合地球環境学研究所(地球研)のpicarro2号器(picarro社製)を用いて酸素同位体比測定(δ18O)を行った。その結果、ケニア山および山麓域で標高毎に採水された降水サンプルのδ18Oから、明瞭な高度効果(標高が高くなると酸素・水素同位体比の値が低くなる効果)が見られた。この直線により、湧水の涵養標高を推定することができる。ケニア山山麓域で採水された湧水のδ18Oの値は-4.1‰、−3.6‰であった。この値を高度効果の直線にあてはめると、約5000m付近の水が地下にしみ出し、山麓で湧出していると推察される。5000m付近は氷河や雪の解け水が多く存在する場所であり、今回の結果から、それが麓の湧水に多く寄与している可能性が示された。一方でキリマンジャロ山山麓のアンボセリ湿地水のδ18Oは−0.9‰から−5.5‰まで幅広い結果が得られた。このことから湧水地点によってその涵養源が異なることが示唆された。  また、ケニア山山麓の湧水中のウラン濃度は同じ成層火山である富士山のものと比べ100倍近い値を示した。地下水中のウラン濃度は、地下の花崗岩の存在量が多いほど濃くなることが知られている。玄武岩はマグマが地下で冷却され固まったものである。ケニア山は活発な活動を続ける東アフリカ大地溝帯の中央に位置するため、その地下には大量のマグマが存在する。今回得られた湧水中ウラン濃度から、ケニア山の地下には大地溝帯のマグマが姿を変えた花崗岩が大量に存在することが示唆された。
著者
中村 洋介 中村 和郎
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.128, 2006 (Released:2006-05-18)

1.はじめに 本発表では、一本の積雲列がしばしば三浦半島から東京・世田谷方向に延びていることを発見したので報告する。関東南部の積雲列は東京環状八号線(通称「環八」)上にできる低層の積雲列「環八雲」が知られる。塚本(1990)は、夏季に形成される環八上空の積雲列を「ヒートアイランド雲」と名づけ、環八付近の高温域に東京湾と相模湾からの海風が収束し、大気汚染物質が凝結核になることで形成されると報告した。本報告での積雲列は、三浦半島の中央を南北に延びる横浜横須賀道路(通称「横横」)に沿って出現する。比較的交通量の多い横浜横須賀道路上空に一列の積雲が連なることからこの雲を仮に「横横雲」と名付けた。本発表では、「横横雲」の出現日、出現時の風向、気温、海水温、気圧配置と現段階で考察される出現の成因について報告する。分析には気象庁アメダス、神奈川県環境科学センター、神奈川県農林水産情報センター、神奈川県水産技術センターの資料を使用した。2.「横横雲」の出現 「横横雲」は低層の複数の積雲がほぼ南北方向に長く一列に並ぶ雲列である。2005年は年間20回程度の発生を確認した。観測は横浜市戸塚区小雀町の丘陵上からの目視である。積雲列を追跡すると、日平均通行台数13万台の横浜横須賀道路上空に発生していた。発生時期は3_から_9月に多くみられ、発生時の多くは移動性高気圧や太平洋高気圧に関東地方が覆われている。「横横雲」は早朝から夕方にかけて発生し、夜間は消滅する。発生時、積雲の各セルは北方向へ流れている。発生時の風向は、三浦半島の東京湾側では南東成分の風向、相模湾側では南西成分の風向を示す(図1)。冬季の北成分の風向時は発生しない。 「横横雲」発生時の2005年4月24日に積雲列を北方向に追跡すると、横浜横須賀道路から第三京浜上空に延び、川崎IC付近で世田谷(環八)方向に続いていた。一方で2005年8月4日に南方向に追跡すると逗子付近で雲が形成されていることを確認した。3.「横横雲」の成因 三浦半島のほぼ中央を南北に積雲列が並び、発生時には積雲列に向かって風が収束している。暖められた三浦半島の陸域と周りを囲む比較的低い海水温域による海風の発生が東京湾と相模湾からの風の収束を生み、「横横雲」が発生していると推察される。発生には横浜横須賀道路の交通量の関わりも考えられるが、より交通量の多い横浜新道上空には発生していないなど明瞭な交通量との因果関係は特定できなかった。4.おわりに 甲斐ほか(1995)や糸賀ほか(1998)では、「環八雲」は太平洋高気圧か移動性高気圧に覆われる南風成分の日に出現し、海風の収束とヒートアイランドによる上昇気流が成因であると報告している。「横横雲」の成因もこれらの報告と類似している点もあると推察されるが、これまでの「環八雲」の報告では東京都内のみの分析であり、本調査で「環八雲」は「横横雲」として神奈川県東部にも延びている可能性があることが分かった。中西・菅谷(2004)は、暖候期において相模湾・東京湾・鹿島灘からの海風が収束してつくられる東京湾周辺の雲列下で午後に降水がみられることを報告している。2005年7月25日には、「横横雲」出現後の17時に三浦半島から栃木県小山にかけてのレインバンドがみられた。今後は「横横雲」と降雨の関連についても検討してゆきたい。参考文献糸賀ほか 1998.環八雲が発生した日の気候学的特徴_-_1989_から_1993年8月の統計解析_-_.天気45:13‐22.甲斐ほか 1995.東京環状八号線道路付近の上空に発生する雲(環八雲)の事例解析_-_1989年8月21日の例_-_.天気42:11‐21.塚本1990.ヒートアイランド現象と雲_-_1989年夏の観測から_-_.気象34:8‐11.中西・菅谷2004.夏季の東京湾周辺に発生する雲列と局地気象および午後の降水との関係.天気52:729-73
著者
前田 拓志 藁谷 哲也
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100140, 2015 (Released:2015-04-13)

1.目的 新第三紀から第四紀の堆積岩を基盤に持つ,房総半島および新潟県中越地域の河川において,近世以降人為的な蛇行切断が行われてきた.これらは,房総半島では「川廻し」,中越地域では「瀬替え」と呼称され,一般に蛇行頚状部を掘削して新たに直線的な流路をつける(曲流短絡する)ことで,廃棄河道を新田として開発する目的で行われた.曲流短絡による一連の地形(以下,曲流短絡地形)には以下のような特徴があると考えた.①切断された流路(旧流路)は,無能河川となり,その後下刻作用を受けない.つまり,旧流路の河床面(旧河床面)は短絡以前の地形面を保存している.②一方,旧河床面と対比される(かつて連続していた)現河床面は,その後も下刻作用を受ける.つまり,現河床面と旧河床面の比高を,曲流短絡以降の下刻による河床の低下量とみなすことができる.また,短絡以降の時間は,下刻作用継続期間とみなすことができる.そこで本研究では,現・旧河床面における比高をH ,下刻作用継続時間をTとして,短絡以降の平均下刻速度H/Tを求め,さらにそれを制約する要素を検討した.   2.研究方法 既存文献および史料より,房総丘陵と魚沼丘陵から流路の短絡時期が推定できた7地点を研究対象として選定した. 7地点はいずれも,おもに受食性の大きい新第三系の泥岩を基盤に持つ渓流部である.それぞれの地点において,現地調査のもと現・旧河床面の比高を測量した.また,下刻速度を制約する変数を考察するために河床勾配,流域面積,年降水量の情報を取得した.一方,河床を構成する岩石の力学的強度を求めるために,シュミットハンマーKS型を用いて反発強度を測定するとともに,岩石試料をもとに圧裂引張強度を測定した.   3.結果と考察 現・旧河床面の比高および下刻作用継続時間は,それぞれ0.11~2.05m,103~235年間であることがわかり,平均下刻速度1.08~15.89mm/yが得られた.下刻速度は,河床を構成する岩石の抵抗力Rに対する下刻侵食力Fの比に制約を受けると考えられる.そこでまず,下刻侵食力Fと侵食に対する抵抗力Rの変数について検討した.下刻侵食力Fは,流水が河床底面にあたえる力,すなわち流体の強さである掃流力として表すことができると考えられる.掃流力は,水深,河床勾配および流体の密度に比例して増大する.入手できた変数を用いて下刻侵食力Fを以下のように考えた. F ∝(γ,A,P,tanθ,W -1) ここで,γ:流水の単位体積重量(9810N/m3と仮定),A:流域面積,P:年間降水量,tanθ:河床勾配,W:河床幅員である.一方,侵食に対する抵抗力Rは,河床を構成する岩石の力学的強度によって表すことができると考えられる.流水によって,岩盤には河床に沿ってせん断力が作用する.したがって,侵食に対する抵抗力Rは,河床を構成する岩石のせん断強度(Ss)によって次のように表すことができると考えた. R ∝Ss 以上を整理すると,基盤岩石の抵抗力Rに対する下刻侵食力Fの比を表す変数が,以下に示す速度の次元をもつ指標(F/R index)として表される. F/R = γA P tanθ W -1 Ss-1 それぞれの地点についてF/R index値を計算し,下刻速度との関係を分析した.その結果,短絡区間の上流側では下刻速度とF/R indexとの間に関係性が認められないのに対して,下流側では両者の間に高い相関(r=0.92)が認められた.これは,短絡区間の上流側と下流側の地形条件の違いが,下刻速度に影響を与えたと推察される.曲流を短絡しているので短絡区間の河床勾配は,その前後の河床勾配に比べて大きくなり,遷急区間となる.したがって,短絡の下流側の下刻速度は,この遷急区間の河床勾配が優位に作用していることが示唆された.
著者
石川 怜志 須貝 俊彦
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100187, 2014 (Released:2014-03-31)

1. 背景・目的 天井川とは, 河床面が周辺平野面より高くなった河川である. 堤防により河道が固定されると洪水流の氾濫が抑制され, 堤外地での堆積が進行して河床が上昇し, 天井川が形成されると考えられてきた(町田ら, 1981). 築堤という人間が関与することで形成された天井川の形成要因と発達過程を明らかにすることは, 科学的, 社会的要求を満たす重要な研究課題である. そこで本研究では河川地形としての天井川の形態や天井川周囲の平野面や上流域の地形学的特徴を検討し, 天井川の形成要因と発達過程を明らかにすることを目的とする.2. 対象地・方法 明瞭な天井川が存在する地域である山城盆地・六甲山麓低地・甲府盆地・近江盆地を対象地として選定した. この4地域において, 国土地理院のDEMデータ等を用いて天井川を認定した. ArcGISを用いて天井川の河床縦断形を作成し, 近似関数をあてはめた(Ohmori, 1997). 既存の地形分類図を河床縦断図にあてはめ, 天井川がどの地形から始まるかを確認した. 近江盆地内において改修の影響が少ないと考えられる天井川を4河川, 天井川化が明瞭でない河川を1河川選び, 天井川発達を議論するためのモデル河川とした. 河床縦断図から河床勾配を約500 m毎に算出した. 更にこれらの河川において河床礫径の計測を行い, 混合比(d84/d16)と限界掃流力を算出した. 水位データから, 掃流力の算出を行って掃流力の比較および掃流砂量の算出を行った. 河道に沿って周囲の地形面の縦断図を作成し, 標高と河床高の差をとって相対河床高を算出した. 3. 結果・考察 多くの天井川は扇状地を有していた. 扇状地を持たない河川は, 上流域から蛇行原に移り変わる位置で天井川化が始まっており, 遷緩点が堆積に関与していると考えられた. 扇状地を有する河川では, 天井川区間の上流端位置は扇頂から扇端まで様々であった. 天井川の河床縦断形のほとんどが累乗・線形関数で近似された. これは, 天井川の屈曲度が小さいことを示し, Ohmori(1997)が扇状地内の河川で指摘したように, 河川が平衡を保つために礫の堆積位置を前進させることで河床が上昇した可能性を示唆する. 礫径と河床勾配の縦断変化について述べる. 河床のある点で礫の細粒化は弱まり, 河床勾配も一定に近い値が続いた. この位置は天井川区間の上流端とは一致せず, より上流に位置し, 天井川区間下流端付近まで続いており, 天井川区間より上流から河床上昇が生じていると考えられた. 掃流力は限界掃流力より大きいためアーマーコート化は生じておらず, 現在の河床の特徴が河床上昇に伴って生じたと考えられる. 掃流力は河床勾配の変化に伴って変動しており, ほぼ全ての地点で掃流による土砂運搬が卓越していたと考えられる. 礫径の細粒化速度は選択運搬を示し, 天井川の混合度は5程度と低い. 天井川の上流では最大礫径の限界掃流力と掃流力が釣り合っている一方, 天井川を構成する礫径は128 mm(-7 φ)以下であり, 2年に一度程度の頻度で発生する洪水時における掃流力は, 限界掃流力を大きく上回っていた. -7 φの礫の流下限界は河床勾配が約1‰に急変し, 掃流力が急減する部分である(Ohmori, 1997). 周囲の地形面には天井川区間の上流端より下流に遷緩線が存在した. よって-7 φ以下の礫が選択的に緩勾配地点まで流下し, 掃流力減少に伴う堆積が生じ, 河川が平衡を保つ形で河床が上昇したと考えられる. つまり築堤と砂礫の供給によって掃流力等, 河川の平衡条件が変動し, 遷緩点まで輸送された砂礫が掃流力の減少によって堆積し, 河床上昇が生じた. このプロセスの繰り返しが天井川化であると考えられた. 一方, 掃流砂量は上流から緩やかに減少する傾向を見せるものの, 激しく増減していた. 天井川区間において掃流砂量の各地点での比は10以内に収まり, ほぼ一定の値を示していた. しかし, 掃流砂量の精度を見積もることは難しく, 掃流砂量から河川が平衡状態にあるかを判断するのは検討の必要があると考えられる. 本研究では相対河床高は天井川区間の大部分で一定の値を保ち, 天井川区間が下流域の一部であったことから河床上昇による勾配の変動は無かった可能性が高い. これは砂礫供給量の増大による河床上昇は勾配の増加を伴い, 河床上昇は堆積面の上流端から生じているという従来の見解と異なる. 一方, 1 m/年のような非常に大きな堆積速度が推定されている天井川も存在する. つまり天井川の形成には砂礫供給量の顕著な増大を伴う場合とそうでない場合の, 二つの可能性があると考えられる.
著者
松井 歩
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

<p>1. 報告の背景と目的</p><p> 沿岸域は多様な人間活動の舞台である.日本における沿岸域の管理は伝統的に,近世以来の排他的な沿岸域の利用権を持つ沿岸漁業者集団によって担われてきた.しかし,1980年代後半以降の日本における沿岸漁業の衰退は,多様な主体による統合的な沿岸域管理の必要性を提起した.</p><p> そのような中で,本報告で取り上げる沿岸域での観光業は,沿岸漁業コミュニティとともに沿岸域を管理する新たなアクターとして注目を集めている.一方で,沿岸域における観光活動は基本的に人間活動の困難な海洋空間がその「舞台」となるため,従来の管理主体との間でのコンフリクトも発生している(フンク 2009).これらのコンフリクトはいかにして発生するのか,そして,合意形成はいかにしてなされるのか.本報告ではこれらの諸点について検討していきたい.</p><p></p><p>2. 事例と方法</p><p> 本報告では,石川県能登島,七尾湾におけるドルフィン・ツーリズムをその対象とする.事例地域では2001年秋に野生のミナミハンドウイルカ(<i>T. aduncus,</i>以下,イルカ)2頭が発見され,その後定住・繁殖する中でイルカ観光業が発展してきた.また,七尾湾は現時点でのミナミハンドウイルカ定住域の北限でもある.</p><p> 本報告は2018年5月,2019年7月に実施した現地調査および,2019年に散発的に実施したNPO法人や研究者など,地域外のアクターに対するインタビュー調査に基づく.また,ドルフィン・ツーリズムの沿革を明らかにするために2001年に能登島で野生のイルカが確認された以降,2018年5月までの地方紙における新聞記事74件を収集・分析した.</p><p></p><p>3. 石川県能登島におけるドルフィン・ツーリズムの展開</p><p>事例地域におけるドルフィン・ツーリズムの展開は大まかには4つの時期に区分できる.以下ではその概略を示す.</p><p>1)発見期(2001-2004) </p><p> まず,2001年から2004年は能登島において野生のイルカが地元住民によって発見され,急速に資源化された「発見期」として位置づけられる.事例地域で最初期にドルフィン・ツーリズムを開始したグループは同時期に定年退職を迎えた地元住民・観光業経営世帯であり,専門の知識を有する者は関係していなかった.</p><p>2)発展期(2005-2010)</p><p> 次に,2005年から2010年までが,専門知識の流入とともに事例地域におけるドルフィン・ツーリズムが体系化・組織化された「発展期」となる.同時期にはエコツーリズム・環境教育を実施するNPO法人が参入し,その主導でイルカの保護と観光の持続的な展開を趣旨とする団体が地域内に設立された.明文化されたルール内では,イルカへの接近方法や時間・隻数の上限,観光客の安全対策などが定められた.</p><p>3)攪乱期(2011-2017)</p><p> しかし,2011年以降,イルカが繁殖するとともにその行動範囲は広域化し,従来の方法では催行中のイルカ遭遇率を保持することが困難となった.そして,必然的に観光船の行動範囲が拡大する中で地域漁業とのコンフリクトが顕在化していく.2014年にはNPOが撤退するなど,同時期は事例地域におけるドルフィン・ツーリズムが大きく変化した「攪乱期」として位置づけられる.</p><p>4)再整備期(2018-)</p><p> 2018年になると,攪乱期に起こったコンフリクトを解消する上で,イルカ保護委員会と地元漁協の集団間での話し合いの場が持たれるようになる.拡大したドルフィン・ツーリズムの空間スケールに対応する上で,組織のスケールを拡大し,観光協会内で七尾湾全域での保護組織が設立された.</p><p> 以上まで,能登島におけるドルフィンツーリズムの展開についてその概略を示した.本報告の主眼である漁業とのコンフリクトを検討する上で重要であると思われる点について,以下では簡単に示しておきたい.</p><p> まず,イルカの多元的な側面を注視する必要がある.そもそも能登島におけるイルカは熊本県天草で個体識別されたイルカであり,外部から偶発的に流入してきた存在である.その定住と繁殖,そしてそれに伴う行動範囲の拡大は事例地域におけるドルフィン・ツーリズムの展開に大きな影響を与えた.</p><p> さらに,様々なスケールにおける知識の移動への着目も有効となるだろう.ホエールウォッチングは国際的に「クジラの非消費的利用」の一形態として,反捕鯨的な思想を背景に持つ(Choi 2009).国際的な知識を有するNPO法人や科学者といった地域外アクターは,事例地域における最初期の独自的なドルフィン・ツーリズムを国際標準的な形態へと変化させるきっかけとなった.これらの諸点をふまえることで,冒頭の問いに対してより踏み込んだ検討が可能となるだろう.</p>
著者
束田 大樹
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

<b>1.研究の背景と目的</b><br> 1993年に制度が開始された「道の駅」は、当時の建設省によって103カ所の施設が登録されてから、毎年増え続け、その数は2019年1月現在、1145カ所にものぼる。高速道路のSAやPAと同じく、一般道路にも休憩施設を整備することを目的としたため、制度開始当初は道路休憩施設という意味合いが強かった。しかし近年、道の駅は、農産物直売による農業振興、観光拠点としての地域振興、更には地域福祉、交通結節点、防災等の役割も担うようになってきており、地域の核となる施設に変化している。<br> 道の駅は原則、地方自治体やそれに代わり得る公的な団体が設置し、管理・運営は地方自治体、または自治体からの業務委託や指定管理により、第三セクターや地域の民間事業者等が行う。そのため、道の駅は地方自治体それぞれの、道路休憩施設や地域振興に対する考え方や財政事情、土地の特徴がよく表れる施設である。<br> この研究では、自治体が道の駅を設置した背景と目的、設置をした際の国や県の関与、現在の運営状況を明らかにし、立地による違いを分析することを目的とする。<br><br><b>2.対象地域と調査方法</b><br> 対象地域は、群馬県内の道の駅を設置しているすべての自治体と全32か所の道の駅とする。県北部や西部は山間地域が多くを占め、南部や東部には関東平野が広がるため、山間部と平野部の道の駅を比較するのに適当な地域であると判断したからである。<br> 調査方法は、対象地域内各自治体の担当部署への聞き取りを行い、得られた情報をもとに、各自治体にとっての道の駅位置付けを分析する。そして、対象地域を、過疎地域、特定農山村地域、それ以外の地域(主に平野部)に分け、地域ごとに立地する道の駅の特徴を比較する。<br><br><b>3.研究結果</b><br> 調査結果の中で特に注目されるのは、整備手法、設置の際の補助金、条例の3点である。<br> 道の駅の整備方法は、道路管理者と自治体で整備する「一体型」と、自治体で全て整備を行う「単独型」に分けられる。全国的には「一体型」の方が多いが、群馬県は、「一体型」は32か所中4か所しかなく12.5%と極めて低い。<br> 補助金は、一番多かったのが、農林水産省の農業振興に関する補助金であった。道路休憩施設ではあるが、国土交通省の社会資本整備等の補助金は農林水産省の約半数にとどまった。<br> 条例は、自治体が道の駅を設置する際に制定した条例の「設置の目的」に関する条文に注目すると、農業振興や地域振興が多く、道路休憩を目的として明記している自治体は少なかった。<br> 群馬県の道の駅は「単独型」が多く、自治体が独自で設置しているため、道路休憩よりも地域振興や農業振興を重点化する傾向になると考えられる。地域ごとに比較すると、過疎地域、特定農山村地域の道の駅は、農林水産省から受けた補助金が多く、設置目的も地域振興や農業振興が多い。逆にそれ以外の地域では、国土交通省から受けた補助金が多く、設置目的も道路休憩の意味合いが強い。地域の状況によって自治体が道の駅に求めるものが異なるのである。
著者
由井 義通
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2006, pp.41, 2006

1.問題の所在経済のグローバル化の進展は,労働力の国際的な移動をもたらせた.企業活動は国際的に展開し,それに伴って駐在員として,あるいはその家族の随伴移動を生じさせながら海外勤務者が増加していることは容易に想像できる.また,近年では海外就職に内容を特化した就職情報誌が刊行されるなど,就職先として海外を選び,自らの意志で「海外で働く」ことを選択することが珍しくなくなっている.このような国際的な人口移動の内容に関しては,まだ十分な検討がなされているとはいえない.1994_から_95年に日本人の海外就職ブームが起こったとされるが,それはホンコンでの就職がマスコミなどで取り上げられたことで火がついた.当時,日本における深刻な景気後退に伴う就職の困難さも海外での就職に目を向けさせたといえる.また,海外の日系企業においても,駐在員を減らし,現地採用者への切り替えたりすることによってコスト削減を図るところが出てきた.しかしながら,海外就職は就労ビザ取得の制約が大きく作用するため,専門的技能や知識などをもった労働者しか就労ビザの発給をしない欧米諸国では就労することは困難である.そのような状況のなか,シンガポールでは4年制大学卒業者であれば比較的容易に就労ビザを取得することができるうえに,英語で仕事ができることや治安が良いことなど,海外就職希望者にとって好条件がそろっている.それに加えて,受け入れ側となる企業においても,東南アジア全体を統括するリージョナルセンターとして機能を拡張している日系企業やそれらとの取引の多い外資系企業が,日本語を話すことができる就業者を求めている.また,上記のような経済的背景とは違った観点から海外就職者に特徴的な現象を報告したThangほか( 2002, 2004)の先行研究がある.それらの研究では,シンガポールでは多くの日本人女性が就労の機会を得ており,彼女たちが海外就職を希望した理由が日本の雇用状況や就業における女性の地位のアンチテーゼ的な意味を持つことや,日本人女性にとって海外で働くことの意義,海外就職の際の求職活動などが詳細に報告されていた.海外勤務を求めて人材紹介会社に登録する日本人の約80%が女性で,彼女たちの大部分が人材紹介会社の求人情報を利用して求職活動をしていることから,本研究は,海外で働く日本人女性の就労と生活を明らかにする調査とリンクさせ,海外就職における人材紹介会社の役割に関する調査を実施した.本発表はその研究成果について報告する.2.研究方法人材紹介会社への聞き取り調査は,2006年2月に日本国内で海外への人材紹介をしているJ社本社,2006年3月と8月にシンガポールでC社,J社,P社,T社に実施した.上記の聞き取り対象の人材紹介会社は,日本商工会議所や日本シンガポール協会の紹介などを通したもので,シンガポール内では大手と中堅の日系人材紹介会社である.併せて人材紹介会社や研究グループの知人の紹介などによって,シンガポールで働く日本人女性に対してもインタビュー調査を行った.3.シンガポールの人材紹介会社日本国内の大手人材紹介会社の大部分は,シンガポールにオフィスを置いている.転職行動の盛んなシンガポールには現地資本や外資の人材紹介会社が数多くあるが,日系人材紹介会社は,シンガポールやその周辺国の日系企業や外資系企業への現地採用日本人社員の人材紹介,第二に日系企業の現地採用外国人(日本語の会話能力があるシンガポール人やマレーシアの中国系)を主たる業務としている.日本企業が人材紹介会社を通して人材を募るのは,人材選定の作業を人材紹介会社に任せることができるからである.なぜなら,人材募集の広告をシンガポールの新聞等で行う場合,多数の応募があるため,人材選定のスクーリングを人材紹介会社に依存せざるをえないからである.4.人材紹介会社の求人情報一部を除いて人材紹介会社の求人情報は,web上で公開されている.本研究では,J社のweb上に公開されている求人情報について国別に集計した結果,タイやインドネシアでは製造業の求職情報が大部分を占めるのに対して,シンガポールでは職種では営業職,IT関連のカスタマーサービスやSE,事務職,サービス業など多様な雇用があることが明らかとなった.
著者
岡部 遊志
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.36, 2013 (Released:2013-09-04)

1,はじめに フランスの国土政策は,長きにわたりフランスの首都圏地域,すなわちパリ地域からの富の分散を,主要な政策の要素としてきた.しかし近年,フランスの競争力の低下が懸念されるに伴って,パリ周辺地域も国土政策や地域政策の対象となっている. 本発表では,現地調査などに基づき,パリを擁するイル・ド・フランス地域圏におけるクラスター政策を中心とした地域政策の新展開と,それに関連する政府間関係について発表する.2,イル・ド・フランス地域圏の概要と課題 フランスの国土政策には,国土の均衡ある発展を目指すという思想が根底にはあり,1960年代に工場の立地規制や研究機関の域外移転が行われるなど,イル・ド・フランス地域圏は常に分散政策の対象となってきた.しかし2000年代,グローバル化の進展に伴い,イル・ド・フランス地域圏はフランスにおいて国際的な競争力を発揮できる唯一の地域としてみなされている. イル・ド・フランス地域圏は人口や経済活動がフランスの他の都市に比べ大きく卓越し,競争力に関して高いポテンシャルを持った地域である.現在,工場の閉鎖や海外移転などの影響で,競争力は低下しているといわれているが,パリの南西部に企業の本社や研究開発機能,大学,研究機関などが集積し,R&D拠点としての重要性が増加している. しかし,首都圏地域としての問題点も挙げられる.1つは過大さの弊害であり,情報の多さゆえに人とのネットワークの構築や情報への適切なアクセスが難しくなっている.2つ目は交通体系,居住空間などインフラ面の問題で,競争力が十分に発揮されていないとされる.そして,こうした問題に対応するために各主体が地域政策を行っている.なお,フランスで地域政策を担うのは,制度上は地域圏であるが,イル・ド・フランス地域圏では,首都圏地域の整備を行うために中央政府がグラン・パリという新たな枠組みを作るなど,中央政府が積極的に関わってきている.3,イル・ド・フランス地域圏におけるクラスター政策 近年注目される地域政策はフランス版クラスター政策の「競争力の極」政策である.イル・ド・フランス地域圏には「競争力の極」が複数(表)ありフランスにおいても最大である. その中でもシステマティックSystem@ticはフランスにおいて代表的なクラスターである.この極はICT分野の「競争力の極」であり,フランスを代表する大企業が参加している.この極の予算では,中央政府が負担する割合が大きくなっているが,自治体も重要な割合を占め,そうした多様な主体からの予算負担により,特許や研究においてもフランスの中でも大きな地位を占める. イル・ド・フランス地域圏,特にパリ周辺地域では主体同士のネットワーキングが情報の過剰と首都地域における過密により困難であったが,中央政府と地方自治体が共同で行う「競争力の極」政策によって,主体同士のネットワーキングがコーディネートされ,競争力を発揮する基盤の強化が行われてきている.
著者
岩谷 宣行
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.108, 2004 (Released:2004-11-01)

1.はじめに私たちの生活において,「レンタル」という行為は広く認知されている.企業・個人問わず,そのモノを購入する場合と比較して費用節約に及ぼす効果は大きく,またその業態の社会経済における位置づけも上昇してきている.立地とその特性を追求した地理学的研究は,小売業に関するものが大部分を占めている.そしてそれらは都市の地域構造を考察する際に大きな役割を担っている.しかし,レンタル業というものに視点をおいて行われた研究はみられない.レンタル業はその特徴的な業態から,蓄積されてきた同種の研究と同様にこれから検討していくことの意義は大きいものと考える.その中で,地域的な背景が店舗展開に影響を及ぼしていると思われるレンタカー業を研究対象として設定した. 2.研究対象地域と研究方法 「旅客地域流動調査」における交通機関別旅客輸送分担率によると,自家用車分担率が高く,また全国で最もモータリゼーション化が進んでいるといえる群馬県を対象地域とした.そして,全国展開するレンタカー事業者8社48店舗を考察対象とした.協力が得られ,聞き取り調査を行うことができたのは6社40店舗である.2社8店舗については観察で調査の一部として扱った.3.立地特性 群馬県におけるレンタカー店舗の立地は14市町村にみられる.その半数は高崎市と前橋市に立地している.太田市・月夜野町が両市に続くものの,その他の10市町村には1ないしは2店舗の立地がみられるにすぎず,その格差は大きい.各店舗の立地特性から,駅前に近接する店舗を「駅前指向型」,幹線道路に面する店舗を「幹線道路指向型」として立地形態分類をすると,両者の立地がみられるのは高崎市・前橋市・太田市・桐生市である.また,各店舗を利用者のレンタカー利用目的から,「レジャー中心型店舗」・「ビジネス中心型店舗」・「代車中心型店舗」・「複合型店舗」の4パターンに分類した.レジャー中心型店舗は北毛地域と西毛地域に集中しており,そのいずれもが1990年以降開設されたものである.ビジネス中心型店舗はJR高崎駅前とJR前橋駅前に集中している.代車中心型店舗は1988年以降に開設された新しい形態で,県央地域と東毛地域に立地している.複合型店舗は県央地域と東毛地域に立地している.4.地域的展開群馬県内において,県央・北毛・西毛・東毛の各地域によってレンタカー店舗の立地・利用形態には大きな差異が認められた.その差異をもたらした要因は,それらの地域が都市機能をもつ地域か観光機能をもつ地域かにあるといえる. 群馬県内における都市地域は,県央地域と東毛地域に広がっている.これらの地域は人口が多いことから,自動車に対する需要が高い.自動車同士による交通事故の発生を成立条件とし,地元住民が利用者の大部分となる代車中心型店舗は,県央・東毛両地域にのみ立地している.また,主として新幹線が停車することで,交通の結節点となり拠点性を発揮しているJR高崎駅前には,群馬県外からのビジネス需要に応えるビジネス中心型店舗が立地している. 一方,北毛地域や西毛地域は,都市地域的な要素が少なく,観光地域的な色彩が強い.両地域に存在する観光地の多くは,鉄道駅からさらなるアクセス手段を必要としている.そのため,両地域ではレジャー利用が主体となるレンタカー店舗がほとんどを占めている. そのレジャー中心型店舗は,地元住民の需要を主たる成立条件としていない.都市的機能を有しないこれら両地域では,その機能が成立の基本となるビジネス中心型店舗・代車中心型店舗は立地しえないのである.
著者
荒木 一視
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100002, 2015 (Released:2015-10-05)

報告者は日本の近代化を担った工業労働者に対する食料供給はどのようにして担われたのかという観点から研究を進めてきた。その過程で,米の海外植民地依存が都市労働者の食料供給を支えたことが浮かび上がってきた。特に朝鮮からの米移入の重要性は際立っている。その反面,朝鮮の農民への食料供給はどのようにして担われてきたのかという関心は決して高くなかった。 戦間期の東アジアを巡る主要な食料貿易としては①朝鮮から日本(内地)への米,②台湾からの米,③同様に台湾からの砂糖,④満洲からの大豆等がよく知られており,それらに関する先行研究も多い。実際,1932年には①が約108万トン,②が約51万トン,③が約80万トン,④が46万トンなどとなっている。戦間期を通じて米需要全体の1~2割程度がこれら植民地から供給され,内地の食料需要を支えた。これに対して,朝鮮農民の食料需要がどのようにして支えられたのかに着目したとき,22万トン(1932年)もの輸入量がある満洲から朝鮮向けの粟貿易が重要な役割を果たしているのではないかと考えた。戦後,十分な議論がなされたとはいえない満洲から朝鮮に送られた粟に焦点を当てて,そのフードチェーンの解明に取り組んだ。(本報告は戦間期の統計に基づいた研究であり,朝鮮や台湾は当時の植民地の呼称として使用した。同様に満洲や奉天(瀋陽)などの標記についても,もととなる統計に従って,そのまま使用した。)  戦間期の朝鮮・満洲間の貿易は「満洲国」建国以前の1932年までのそれ以降に大きく分けることができる。それ以前の1920年代を中心とした時期は,満洲から朝鮮への輸入が卓越する時期,それ以後は逆に満洲向けの輸出が卓越する時期である。前者の時期には粟,柞蚕生糸,豆粕,木炭,石炭などの輸入品,後者の時期には,金属,薬剤,車両,木材,衣類などの輸出品が主力であったが,期間を通じて最大の貿易額を維持したのが粟で,輸入額1千万円を超える品目は移輸出入を通じて他にはない。 この時期の満洲の主要な貿易港は,大連,営口,安東(丹東)の3港であり,大連は最大の貿易量を誇り,営口は主として中国との貿易,安東は朝鮮との貿易を担った。安東と鴨緑江を挟んで向かい合うのが朝鮮側の新義州で,ここが朝鮮側の対満洲貿易の主要貿易港となった。なお,貿易港とはいうものの貿易量の大半は鴨緑江橋梁を利用した鉄道によるものである。1911年の同橋梁の完成により京義線(京城・新義州)と安奉線(安東・奉天)が連結され。貿易の中軸を担うようになった。 『新義州税関貿易概覧』による1926(昭和1)年と1939(昭和14)年の食料貿易状況は以下の通りである。1926年の輸出では魚類,果実,1939年では米,りんご,1926年の輸入では粟,1939年では粟,黍,コウリャン,蕎麦,大豆,小豆が主用品として取り上げられている。 まず輸出品であるが,1926年の魚類はシェア5割の釜山を最大の産地とし,仕向先は大連と奉天でほぼ5割を占め,それに安東や撫順が続く。果実では黄海道のリンゴ産地,和歌山県のミカン産地から安東向けが中心である。1939年の米は平安北道各地から安東,奉天,ハルピンさらに天津に仕向けられている。リンゴは黄海道や平安南道から安東,奉天,ハルピン,新京向けが中心となる。いずれも主要な農業産地や有力漁港から満洲の大都市向けに輸出されている。 次に輸入品であるが,両年を通じて粟は四平街や奉天など京奉(新京・奉天)線沿線各地を中心として,ハルピンや通遼,白城子など満洲各地から集荷され,朝鮮各地に仕向けられている。平安北道が4割近くのシェアを持つものの,仕向先は平安南道,黄海道,京畿道,忠清北道・南道,全羅北道・南道,慶尚北道・南道,江原道,咸鏡北道・南道と全道に及ぶ。その一方,当時大人口を擁した京城や,仁川,釜山,平壌などの入荷量は決して多くない。これは輸出品が主として大都市に仕向けられていたのとは対照的である。例えば,魚類の場合,連京線(大連・新京)沿線の9駅を含む合計15駅が仕向先となっているのに対し,粟の場合は京義線の27駅を始めとして,朝鮮全土に広がる幹線・支線を合わせて33の鉄道路線の合計154駅が仕向先としてリストアップされている。これは仕向先が新義州や平壌に集中する蕎麦などとも異なり,産地と都市の消費地を連結するチェーンというよりも,産地と農村の消費地を連結するチェーンと見なすことができる。当時の朝鮮からの米移出を支えた背景に,大量の満洲粟の輸入と朝鮮全土の農村部への供給があったことを指摘できる。
著者
陳 效娥
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

<p>1.はじめに</p><p> 大阪の玄関口であるJR大阪駅と地下鉄、私鉄の各梅田駅の周辺には商業施設や業務施設などが密集している。そのため日中は通勤・通学客や買い物客で賑わい、夜はJR大阪駅の東側にある阪急東通り商店街の飲食店を利用する客で活況を呈している。大阪を代表する盛り場の一つである阪急東通り商店街では深夜遅くまで営業する店が多く、若年層を取り込んだ、まさに多様な人々が混じり合う場となっている。その中でも、阪急東通り商店街の「パークアベニュー堂山」界隈には、特殊で多様な性的指向/嗜好、ジェンダー・アイデンティティを持つ人々向けの店が立ち並んでいる。</p><p></p><p>2.研究の目的</p><p> 「パークアベニュー堂山」界隈に立地しているセクシュアル・マイノリティ関連の店の大半は、ゲイ・バーである。その数は160軒を超える。しかし、ゲイ男性向け以外にもレズビアン、トランスジェンダー、異性装者向けの店が混在しており、多様性が受け入れられている場であるといえる。そもそもなぜ、この地域に異性愛規範から「逸脱している」とされる人々が受け入れられたのか。</p><p> 本発表では、「パークアベニュー堂山」が位置している大阪市堂山町に焦点をあて、この地域がどのような歴史的過程を経て異性愛規範から「逸脱している」人々を受容する場となったのか、地理的文脈から解明することを目的とする。</p><p> 研究の対象時期は、堂山町にとって大きな転換期の一つであった戦後に着目し、現在に至るまでとする。地域の変遷をみるため、住宅地図や行政の資料を用いて土地利用、主要業態の変化を追跡する。終戦直後から1950年代までは資料が少ないため、商業雑誌などを含む多様な文献を検討する。</p><p></p><p>3.小括</p><p> 堂山町に位置する東通り商店街界隈の大部分は戦前まで太融寺の寺域で、そこは住宅地に利用されていたが、戦争中の空襲で大半が焼失された。終戦直後、ここは住宅地から商店街へと次第に変わっていった(サントリー不易流行研究所1999)。『北区誌』(1955)によれば、1950年代後半になると、太融寺界隈には連れ込み旅館、ラブホテル、性風俗関連の店が増加し、堂山町界隈は盛り場として賑わうようになった。1960年代〜1970年代には、高級料亭やジャズハウスなども開業し、多様な文化が流れ込んできた(サントリー不易流行研究所1999)。しかし経済成長期の終焉とともに、比較的安価なバー、スナックなどに入れ替えが生じた。戦後の堂山町は、多様な文化が混じり合う場であった。このような背景が今日セクシュアル・マイノリティ向けの店舗立地の誘因に関係しているのではないか。現在阪急東通り商店街は異性愛者向けの店と多様な性的指向/嗜好、ジェンダー・アイデンティティを持つ人々向けの店が共存する遊興空間となっている。</p><p></p><p>参考文献</p><p>サントリー不易流行研究所1999.『変わる盛り場—「私」がつくり遊ぶ街』30-35.学芸出版社</p><p>大阪市北区役所1955.『北区誌』381-384.</p>
著者
申 知燕 李 永閔
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100200, 2016 (Released:2016-04-08)

1.はじめに 資本主義経済のグローバル化は,世界各国において商品やサービスはもちろん,労働力の国際移住までをも活発にさせた.労働のグローバル化とも言われる国際移住の増加は,特にグローバルシティにおいて顕著に現れており,生産者サービスに従事する熟練労働力,ならびに彼らにサービスを提供するための非熟練労働力の急増が起きている.特に,グローバルシティに流入する近年の移住者の中には,トランスナショナルな移住者という,国境を越えて様々な地域で家族・知り合い・民族集団との人的ネットワークを活用し生活情報を共有・利用しているような移住者が増加しており,既存の移民者が形成したローカルを変化させている.エスニック・エンクレイブ(ethnic enclave)のように,旧来の移住者が形成した集住地は,移住者がホスト社会に同化するまで一時的に留まるためのものであったが,近年はトランスナショナルな移住者の登場によって複数の文化や人的ネットワークが交差する中でアイデンティティの競合が起こり,多様な特性を持つ空間へと変化している. 従って,本研究では,トランスナショナルな移住者によってグローバルシティにおける移住者の集住地がとめどなく混成的に変化していることを確認することを目標にした.具体的には,コリアタウンの景観および韓人と朝鮮族の民族間関係を分析し,朝鮮族移住者の柔軟なアイデンティティがいかに集住地とその内部の移住者間の関係を変化させるのかを把握することを試みた.本研究の分析にあたり,2012年5月および2013年6月に現地調査を行い,韓人,朝鮮族,中国人など合計42人から得たヒアリング資料を収集・分析した.   2.事例地域の概要 本研究の事例地域としてニューヨーク州ニューヨーク市クィーンズ区のフラッシングに位置するコリアタウンを選定した.フラッシングでは1970年代から韓人移住者向けの商業施設が立地し,現在はニューヨークにあるコリアタウンの中でも最も歴史が長く,人口も多い,典型的なエスニック・エンクレイブとなっている.フラッシング地区における2010年の韓人人口は約3万人に上るが,近年は居住者の高齢化や新規移住者層の属性の変化によって人口の流出・現象が起きており,老朽化しつつある.   3.知見 本研究から得た結論は以下の2点となる.1点目は,フラッシングのコリアタウンが大型化・老朽化し,近隣地区にチャイナタウンが形成されたことが朝鮮族の流入のきっかけとなったことである.韓人移住者の郊外化や,自営業者の引退などによってフラッシングのコリアタウンは縮小傾向に陥った.韓国・中国のアイデンティティ両方を持つ朝鮮族は,韓人の経営する店で従業員として勤務するか,コリアタウンとチャイナタウンの境目で自営業を行い,韓国人・中国人・朝鮮族全部を顧客として誘致する.このような朝鮮族の活動によって,コリアタウンは多様な民族景観が結合された liminal spaceとなる. 2点目は,フラッシングの朝鮮族は,自らの必要に沿って,戦略的かつ選択的にアイデンティティを発揮し,コリアタウン内外で生活を営む点である.韓国語・中国語を駆使する能力や,中国国籍を活用して韓人教会のコミュニティで活動することで,彼らは生活基盤やアメリカの永住権を獲得する.彼らの柔軟なアイデンティティは,コリアタウン内の韓人にとっては同胞意識や異質感,敵対心などを同時に感じさせる要因となり,朝鮮族と韓人の間の葛藤や差別の原因にもなる.