著者
桐村 喬
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

<b>I 研究の背景・目的</b><br> 近年,晩婚化の進展と,団塊世代の高齢化などを背景として,単身世帯が大きく増加するとともに,その割合も増大してきている(藤森2010).単身世帯増加の傾向は大都市圏においてより顕著であり,学生や新社会人などをはじめとする若年層だけではなく,より高い年齢層の単身世帯が増加し,単身世帯の年齢は多様化している.大都市圏における単身世帯の大幅な増加の地理的な側面として,1990年代後半から続く都心部での人口回復現象(宮澤・阿部2005)や,女性の単身世帯の都心居住志向の強さ(中澤2012)など,都心部における増加がこれまでに指摘されている.<br> 一方で,マクロな視点からの分析は不足しており,大都市圏全体からみた単身世帯増加の地理的な動向にはまだ不明な点が多い.また,単身世帯に関する地域統計は少なく,単身世帯増加の要因としての人口構造以外の地理的な背景については十分には明らかにされていない.<br> そこで,本発表では,日本の三大都市圏を対象として,近年,単身世帯の年齢の多様化が進展している地域を市区町村単位で把握したうえで,単身世帯に関する詳細な小地域統計が利用できる1995年と2000年の2時点の分析から,単身世帯の年齢の多様化の地理的な背景を明らかにすることを試みる.<br><b>II 市区町村単位での分析-1990~2010年-</b><br> まず,すべての市区町村について,年齢階級別の単身世帯数を把握できる1990年から2010年の国勢調査結果を利用して,総務省の定義による2010年時点の三大都市圏のうちで単身化が進展する地域を世代ごとに把握する.<br> 単身化を捉える指標として,コーホート単位で,年齢階級別人口に占める単身世帯比率の変化率と,年齢階級別単身世帯数の増加率を求めた.年齢階級別人口に占める単身世帯の比率は,いずれの年齢階級,年次,大都市圏においても,都心部ほど高く,郊外に向かうにつれて低くなる傾向であり,若いほど都心部で若干高くなることを除けば,年齢階級による地域差は明確ではない.コーホート単位での年齢階級別単身世帯比率の変化から,三大都市圏ともに,郊外での中高年層の比率の高まりと,1995年以降の都心部における若年層の比率の高まりが確認された.都心部では,若年層の増加率も高く,単身世帯の大幅な流入による絶対的な増加が進んだものと考えられる.一方,郊外の中高年層の増加率はそれほど高くはなく,中高年層の単身化の速度は若年層に比べて緩やかであるといえる.<br><b>III 小地域単位での分析と若干の考察-1995~2000年-</b><br> 年齢階級別単身世帯数が把握できる1995年と2000年の町丁・字単位の小地域統計を用いて,2000年における単身世帯の年齢構成を類型化し,年齢構成ごとの地域特性から単身世帯の年齢の多様化の背景を検討する.類型化は,一般世帯総数に占める単身世帯比率や単身世帯の年齢階級別構成比などをもとに,SOM(自己組織化マップ)を用いて行った.SOMによって要約された指標値に基づき,さらに6クラスターに分類し,クラスターごとの年齢階級別単身世帯数・配偶関係別人口,住宅の建て方・所有別世帯数,DID化の時期について整理した.<br> 都心部に広がる若年・単身卓越クラスターでは,2000年に20~24歳になる単身世帯および未婚者の増加が顕著である.また,郊外に広がる青年・壮年クラスターにおいて,中高年・高齢層(2000年に50歳以上)の単身世帯の大きな増加のほか,若年・青年層(同25~39歳)の単身世帯の増加傾向も確認でき,郊外では単身世帯の年齢の多様化が進んでいることがわかる.次に,青年・壮年クラスターは,持ち家や一戸建が多い地域であるものの,1995年から2000年の間に6階建以上の共同住宅に住む世帯が大きく増加し,若年・単身卓越クラスターと類似した変化を示した.一方,郊外に分布する中高年クラスターは,青年・壮年クラスターと同様に一戸建に住む世帯が多いものの,世帯数の増加は大都市圏全体と比べて低調である.DID化の時期との関係をみれば,青年・壮年クラスター,中高年クラスターについては,1960年代後半~1970年代後半に市街化された地域に多く分布することが示された.開発から20~30年が経過し,高齢化と単身化が同時に進行してきたことがうかがえる.<br> 単身世帯の年齢の多様化が生じてきたのは,三大都市圏ともに,1960年代後半~1970年代後半に市街化された郊外である.郊外でも高層共同住宅の供給が多い地域では,若年の単身世帯の増加が目立ち,増加傾向を示す単身世帯が中高年・高齢を中心とする地域と,若年も含まれる地域とに二分されている.今後は,詳細なメカニズムの解明に向けて,よりミクロな視点による分析を進める予定である.<br>
著者
広田 麻未
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

<b>Ⅰ はじめに<br></b>現代の国際的労働力移動は,かつてない規模で,かつ質的な変化をともないながら展開している.大規模な人の国際的移動は,複雑な経済的,社会的,そしてエスニックなネットワークのなかに埋め込まれており,移民は,野放しに自由なのではなく,大きな制約を受け,構造化されている. 熟練性や言語などが問われない単純労働は,世界中誰でも従事することが可能であるといえ,低賃金で社会的地位の低い労働として捉えられている.先進国においてはこういった仕事の多くを途上国からの移民が担っており,国際的労働力移動における先進国と途上国の間の問題としてしばしば議論されている. 英語教師としての出稼ぎは,労働力の送出国と受入国の間の英語力の差を背景として移動が発生しており,経済格差を背景とした,先進国への安い労働力としての出稼ぎとは異なる出稼ぎと捉えることができる.そこで本稿では,フィリピンからカンボジアへの英語教師としての労働力移動に着目し,先進国への非熟練労働者の出稼ぎとのキャリア形成における共通点及び相違点を明らかにする. <br><b><br>Ⅱ カンボジアにおける英語教育サービスの成長<br></b>カンボジアの英語教育サービスは,公教育の不備を補うように発展しており,就学前児童および義務教育段階の子どもを対象とした英語学校が主体となっている.カンボジア教育省が,初等教育における遅延入学,留年,中退といった課題の解決のため,就学前教育を推進していること,また,教育省の認可によって,民間の英語学校が,義務教育にあたる「クメール語教育」を提供できることが背景にある. また,調査を行った41校の英語学校のうち36校は外国人の教師を,23校はフィリピン人教師を雇用しており,そのうち11校では外国人のうち3分の2以上がフィリピン人であった. <br><b><br>Ⅲ 出稼ぎ英語教師のキャリア形成</b><br>フィリピン人の英語教師としての出稼ぎは,性別,結婚歴で異なるキャリアがあることがわかった.男性は,世帯内での経済貢献意識が強くなく,稼業目的以上に「英語力をいかしたい」,「海外で挑戦してみたい」といった個人的な動機付けが強く,カンボジアを移住先に選んでいた.女性にとっては,これまで指摘されてきた「矛盾した階級移動」を経験することなく,学歴や前職との関連のある仕事によって経済的地位を向上させることができる出稼ぎとなっていた.また,ASEAN域内での移動であり,地理的な近さとビザ取得の容易さから,定期的にフィリピンに帰国することができ,既婚者(特に母親)がその出稼ぎを正当化することができていた. 彼らは移住先社会で,経済的・社会的地位が比較的高い仕事に従事しているといえ,先進国での自己犠牲的な出稼ぎのイメージとは異なる出稼ぎである.しかし,カンボジアの英語教育においては,ネイティブ・スピーカーであることや,白人であること,欧米諸国出身であることがよしとされる価値観があり,フィリピン人教師は,彼らの補佐的・代理的な役割を担っていることが明らかになった.英語力や教師としての能力・経験ではなく,国籍や見た目によって「人材の価値」が決められており,途上国間の移動であっても,労働市場においては先進国(欧米諸国)と途上国間の「人材の階層化」がなされていることが見て取れた.
著者
山田 浩久
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

<p>_2019年における山形県の総宿泊者数は557万人泊であり,東北6県の中で第4位となっている。しかし,人口(2015年国勢調査)百万人あたりの総宿泊者数は496万人泊であり,第2位にまで順位を上げる。同数値は,北海道と関東7都県を加えた14都道県の中でも第4位となり,全国平均(469万人泊)も上回る。山形県は,ゲスト側から見れば東北6県の中でも中位以下の誘客力しか有していないが,収益の分配や受け入れの負荷といったホスト側からの視点で見ると,東日本でも有数の観光県であると言うことができる。ただし,人口100万人あたりの外国人宿泊者数(21万人泊)については,東北6県内で第4位であり,同全国平均(91万人泊)も大きく下回ることから,山形県の宿泊者数を支えているのは,国内旅行であることが分かる。また,山形県は総宿泊者数に占める県外居住者のシェア(68.0%)が,東北6県の中で最も低く,国内旅行の中でも特に県内旅行に依存する割合が高いことも同県の宿泊者数に指摘される大きな特徴になっている。</p><p> 山形県では2020年3月31日にCOVID 19感染者の1例目が報告され,4月に感染が拡大したが,5月4日に69例目の感染が報告されてからは2ヶ月間感染が確認されず,7月4日に70例目の感染が報告された。山形県の2020年における月別総宿泊者数の対前年同月比を見ると,3月までは60%台を保っていたが,4月には一気に20%を割り込み(18.9%),東北6県最大の下げ幅を記録した。これは4月中の感染拡大によるものである。同県では100万人あたりの累積感染者数(5月5日時点64人)が東北最多となり,特に国内在住者の旅行に負の影響を及ぼした。</p><p> 一般に,国の政策は都道府県を介してトップダウンで市町村に降ろされていく。こうした政策の伝達体制によって生まれる事業実施までのタイムラグは,現況に対する個別事業の遅れに繋がるが,一方で自治体の「考える時間」にもなっていた。日本の観光政策に関しても,2000年代初頭より国家戦略の一つに位置づけられるようになり,観光立国推進基本法による国の制度設計に基づいて都道府県レベルでの観光計画が策定され,それが市町村の観光事業によって具現化されてきたが,COVID19のパンデミックは,トップダウン型の政策伝達体制を機能不全に陥らせた。自治体は「考える時間」を与えられず,独自の判断によって観光に対する様々な問題に対処することになった。</p><p> 4月に発令された全国の緊急事態宣言を受けて山形県が行った主な観光支援施策は,観光立寄施設支援と宿泊支援に大別される。それらは,国の「Go Toトラベル事業」の内容と類似するが,同事業よりも2ヶ月も早く,対象を県内に限定して実施された。そこには,県内旅行に依存する割合が高いという山形県の事情が存在しているほか,同県が2015年に蔵王山の噴火警報発令に伴う風評被害対策のために旅行クーポンを販売した実績と教訓が活かされている。</p><p> COVID 19のパンデミックは収束の気配すらなく,観光も含めた関係人口の大幅減が継続する可能性もある。しかし,全国的な観光政策はインバウンド旅行を基調にしており,中長期的な国の戦略はインバウンドの解禁を想定している。行政による経済的な支援にも限界があり,山形県においても,ホスト側の安全と安心を重視する方針を広域からのゲストに安全と安心を担保する方針に切り替えていくことになることは必至である。観光のパラダイムシフトは,旅行時の「衛生」概念の革新に集約される。わが国において,その転換点は行政による国内観光の支援期間にしか無い。「Go Toトラベル事業」断行の意味もそこに見出される。</p><p> Post-COVID19に向けたスタッフ,施設,ルール作りにおいて,各都道府県が同じスタートライン上にあるという現在の状況は,観光後発県の位置に甘んじてきた山形県にとって,飛躍のチャンスとも言える。積極的な活動によって一歩先んずることができれば,それが他地域との差別化をもたらし,ブランド化にも繋がっていく。人の集まる場所に行く観光から人が集まらない場所に行く観光への変化は,オフシーズンの観光や低活性の観光地を変える大きなきっかけになるはずである。</p>
著者
佐護 浩一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

自然災害は毎年発生し、地質と深く関わりがある。 地質調査の仕事の基本型は、対象構造物が位置する場所の地質を調べることである。その成果は建設計画や保守点検に反映される。また、調査の対象がものではなく、町や人々の場合もある。そのような調査の一つとして、活断層調査がある。<br> 調査の目的は、活断層の活動履歴を明らかにすることである。最新の活動や活動間隔が明らかとなれば、対象とする活断層の将来起こりうる大地震の可能性を評価することができる。この調査には必要とされる地理的感覚が2つある。 1つは調査地の選定の際、地表のどこに活断層が位置しているのかなどを見極める感覚である。 1つは、地層の解釈の際、掘削地とその周辺はどのような地形なのかを理解することで、壁面だけでなく周囲を見渡して考える感覚である。<br> 自然災害に対峙する時、「なにが起きたのか」の分析は,多角的な視点(分野)による検討が必要である。地質調査の中で地理はその一翼を担える視点を持っている。地理の得意とするところは,地図が読めることで、先に挙げた、「周辺を見渡し、読み解くことができる」という力につながると考える。周辺を見渡し、場の条件を読み解く作業は分野を問わず、仕事をする上で必要であるとともに大切な要素と感じる。
著者
辻村 千尋
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100084, 2015 (Released:2015-04-13)

リニア中央新幹線計画は、JR東海によって計画されている、東京~大阪間をほぼ直線で結ぶ超伝導方式の鉄道計画である。昨年の12月に起工式が行なわれ、着工となり、2027年までに名古屋までの区間を完成させる予定である。本計画ではその8割が地下トンネルで残りの2割が橋梁という計画で、南アルプスを土被り1400mで通過する計画となっている。これらのことを踏まえ、関連する自治体、環境省、自然保護団体からは環境への影響が甚大になることへの危惧について意見が表明されてきた。演者は昨年秋の大会において、本計画に関する自然保護上の問題点を、手続きの観点、国土デザインの観点、合意形成の進め方の観点から提起し、地理学分野が果たすべき役割について問題提起をおこなった。本報告では、自然保護の観点から環境行政上の改善点を提言する事により地理学会の果たすべき役割について議論を深めたい。
著者
清水 龍来
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

米山海岸地域は、近年のGPS観測によって明らかになった最大剪断歪み速度の大きい地帯(新潟&minus;神戸構造帯)(Sagiya et al. 2000)に含まれ,日本海東縁変動帯の陸域への延長部と考えられている。そこでは、歪みが塑性的な変形として蓄積され、主要な活構造が分布している(大竹ほか 2002)。近年、本地域の南西部に位置する高田平野の東縁に高田平野東縁断層帯(渡辺ほか 2002)が報告され、また周辺海域において2007年7月16日新潟県中越沖地震(M6.8)の震源断層と考えられているF&minus;B断層や,より南西のF&minus;D断層(原子力・安全保安委員会 2009)も報告されており,詳細な変動様式の解明と定量的な評価に基づく本地域のネオテクトニクスの解明が必要である。本地域には数段の海成段丘が分布し、分布高度が南西に向かって増大する傾向が指摘されていた(渡辺ほか 1964)。しかし、米山海岸地域全域に渡る系統的な地形・地質調査に基づく編年・対比は行われておらず,また隆起を引き起こす活構造など詳細は不明であった。本研究では米山海岸地域全域の地形・地質調査を実施し段丘の編年・対比を試みた。その上でそれらが示す地殻変動の傾向と周辺の活構造との関連を考察した。<br> 本研究では米山海岸地域に分布する段丘地形を、HH、H1、H2、M1、M2、Lの5面に区分した。岸ほか(1996)はM1面構成層と風成砂層との境界付近にNG(中子軽石層=飯綱上樽cテフラ:15&ndash;13万年前噴出(鈴木 2001))を見いだし、M1面を下末吉面相当とした。本研究では、M1面構成層とされる安田層及び大湊砂層を、より南西方まで追跡し、M1面の分布を明らかにした。また小池・町田(2001)などによってMIS5eに対比されていた上輪新田付近の段丘について,東京電力株式会社(2008)は、構成層にクサリ礫を含むことに加え、風成層上端から90cm以内にAT,DKP,Aso-4を確認しその下位に数mの風成ローム層を挟んで、温暖期を特徴付けると考えられる古赤色土(松井・加藤 1962)が存在することから,本面の形成を下末吉期より大きく遡ると考えた。本研究でも東京電力株式会社(2008)の見解を支持する結果が得られ本面をH1面に対比した。<br> 研究地域全域に広く分布するM1面の分布高度から地殻変動の傾向を明らかにした。M1面の旧汀線及び分布高度は、柏崎平野付近において約20mで南西に向かって高度を増大し、青海川付近で約50m、笠島付近で45mと概して北東へ傾動する傾向を示すことがわかった。<br> 周辺に分布する活断層の活動が,段丘の形成や高度分布に影響すると仮定し、Okada(1992)のディスロケーションモデルに基づき活断層の地殻変動量をモデルを用いて計算した。またF&minus;B断層に関しては、国土地理院が公開している新潟県中越沖地震時の地殻変動データを参考にした。その結果、米山海岸地域の北東への傾動は、上越沖に分布するF&minus;D断層の活動による南西側の大きな隆起による効果と,F&minus;B断層の活動による北東側の沈降が大きく寄与すると考えられる。一方、ひずみ集中帯の重点調査研究による地殻構造調査では、高田平野東縁断層最北部では上端の深さは約3kmの東傾斜の断層が地下に認められている。この断層がより北東方向へ伸びるとすれば、米山海岸地域の傾動に寄与する可能性がある。 &nbsp;<br><br> 参考文献 <br>Okada 1992.<i>BSSA </i>82:1018-1040.大竹ほか編 2002『日本海東縁の活断層と地震テクトニクス』.岸ほか 1996.第四紀研究135:1-16.原子力・安全保安委員会 2009.東電柏崎刈羽原発敷地周辺の地質・地質構造に関わる報告書. 小池・町田編 2001.『海成段丘アトラス』.地震調査研究推進本部2009a.高田平野東縁断層帯の長期評価について:1-31.鈴木 2001.第四紀研究40:29-41.東京電力株式会社 2008.東京電力株式会社柏崎刈羽原子力発電所 敷地周辺の地質・地質構造に関わる補足説明:1-14.ひずみ集中帯の重点的調査観測・研究プロジェクト『平成23年度成果報告書』.松井・加藤 1962第四紀研究 2:161-179. 渡辺ほか 1964.地質学雑誌70:409.渡辺ほか 2002.国土地理院技術資料 D・1-No. 396. Zeuner 1959.<i>The Pleistocene Period </i>:447 Hutchins <br>
著者
鵜野 いずみ 後藤 寛
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

ヘアーサロンは首都圏を例にみると東京の青山,原宿,渋谷地区にかなりの集中がみられる.このことを前提に客が移動コストをかけて美容院に通う動機と美容院業界および美容師業の構造,そしてそれに多大な影響を与えていると思われるファッションメディアによる情報発信の構造を明らかにすることを目指す.<br>また直接に客を相手にする美容院と,ファッション雑誌の中で活動するヘアーメイクアーチストの関連は近くと遠いものではあるが,雑誌をはじめメディアが振りまくファッションの中心地としての青山/渋谷地区のイメージは多分に,同地区美容院の広域集客に貢献しているものと考えられる.<br>美容院の立地分布をNTTのiタウンページデータをもとに描くと,東京都心西部の青山,渋谷,原宿周辺に極めて強い集積が確認できる.この集積は周囲のオフィス従業者分布や小売業の集積とは分布が異なり,それらと比べてもはるかに大きなものである.このことからこれらの地域の美容院はかなり広域からの集客によって成り立っているとみられる.<br>他方で,昨今ではリクルートの「ホットペッパービューティー」に代表されるサイトに希望の条件を入力して美容院を検索し,同時に予約を入れるシステムが普及している.このようなサイトの構成自体が広域集客を可能にしているとともに,ヘアースタイルに対する需要を発掘,あるいは顕在化させながら美容院自体の多様化,専門分化をも促し,全体として美容院市場の深耕を促していると考えられる.
著者
松本 太 石井 康一郎 山口 隆子 安藤 晴夫 三上 岳彦 福岡 義隆
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2004, pp.142, 2004

1. はじめに 近年,地球温暖化とヒートアイランドによる温暖化に呼応して都市域では開花が早くなったり,紅葉が遅くなったりするなど,植物季節に変化が見られるようになったといわれている.そこで,松本・福岡(2003)は,埼玉県熊谷市を例として,2001年春に,都市の気温分布とソメイヨシノ(Prunus yedoensis)の開花日の局地差との関係を調査した.その結果,ソメイヨシノの開花日の分布に関しては都心部の高温域で早く,都市郊外の低温域で遅い傾向がみられ,ヒートアイランドが開花日に影響を与えていることが明らかになった.しかし,ヒートアイランドの調査は移動観測によって行われたために,開花日に影響を与えると考えられる積算気温と開花日との関係を詳細に検討するまでには至っていない.したがって,常時気象観測データが得られるような条件下でそれらの関係を検討する必要がある. 東京都環境科学研究所および東京都立大学(三上研究室)では東京都区内100カ所の小学校で百葉箱に自記録式の温湿度計を設置し,毎時10分間間隔で観測を行っている(METROS100).そこで,本研究では2004年春,それらの小学校のうち都心部から郊外部にかけての数地点を選定し,小学校内あるいは近辺におけるソメイヨシノの開花日の調査を行った.そして積算気温に着目しつつ,東京都区部におけるソメイヨシノの開花日に及ぼすヒートアイランドの影響について評価することを試みた.2. 調査方法ソメイヨシノの開花日の観察は2月下旬_から_3月下旬まで東京都区内,中央区,千代田区などを都心部,練馬区付近を郊外部として,当該地域の小学校や小学校付近の公園などを巡回し,調査を行った(図1).開花日の基準については気象庁の生物季節観測指針に従って判断した.すなわち1本の観察木で5,6輪以上の開花がみられた期日をもって開花日とした.なお,本研究では一つの地点で2本以上の木がある場合には,50%の木が開花したの基準に達した日を開花日とした. 3. 結果2004年は2月から3月にかけて,平年よりかなり気温が高く推移したために,気象庁発表では東京(靖国神社)はソメイヨシノ開花日の観測史上2番目に早い3月18日の開花となった.本研究で調査した地点では開花日は都心部の高温域で早く,郊外部の低温域で遅い傾向が見られ,都心部の早いところで開花日が3月18日であり,郊外部との開花日の局地差は最大で6日であった.よって,東京都区部においてもヒートアイランド現象が開花日に影響を与えていると考えられる.また,都心部と郊外部における開花日は各々におけるある起算日からの積算気温の変化傾向に相対的に対応している.以上のことから,ヒートアイランド現象によって都心部,郊外部におけるソメイヨシノの開花過程に影響を与える積算気温の推移に局地差が生じ,結果的に都市内外における開花日の局地差につながっていると考察された.謝辞2002年のMETROS100のシステム立ち上げ以来,東京都環境科学研究所の横山仁氏,市野美夏氏,秋山祐佳里氏,小島茂喜氏,現東京都水道局金町浄水場の塩田 勉氏,江戸川大学の森島 済氏,東京都立大学の泉 岳樹氏には,気象データの処理などに関して,多大なご尽力をいただきました.ここに記して深くお礼申し上げます.
著者
野上 道男
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100041, 2012 (Released:2013-03-08)

魏志倭人伝は日本の地誌に関する最初の文書である.方位や里程の定義が示されていないので、記事の地名がどこに相当するかについて、様々な説がある.日本では倭(ヰ)国をワ国と読み、元祖ヤマト近畿説の日本書記がある.中国では随書の倭国伝・旧唐書の倭国伝・新唐書の日本伝に混乱した記述がある、江戸時代には新井白石/本居宣長(18世紀初頭/紀末)の研究があり、明治時代を経て皇国史観の呪縛を離れたはずの現在に至るまで、いわゆる邪馬台国論争として決着がついていない.そして現在では所在地論は大きく近畿説と九州説に分けられ、観光(町おこし)と結びついて、ご当地争いが激化し、学術的な論争の域を越える状況にある. 年代の明らかでない出来事の記述は歴史にならない.同様に場所を特定しない事物の記述は地理情報ではない.つまり、魏志倭人伝の読み方は全て場所の特定(方位と里程)から始まる.倭人伝は記紀と重なる時代についてのほぼ同時代文書である.そこに記述された歴史がどこで展開されたのか、これは古代史にとって基本的な問題であろう. 主な要点は以下の通りである1)記事に南とあるのはN150Eである.(夏至の日出方向)2)倭及び韓伝で用いられた1里は67mである.(井田法の面積に起源があると推定)3)古代測量は「真来通る」「真来向く」方向線の認定が基本である.4)里程は全て地標間の距離である.5)来倭魏使の行程記述には往路帰路の混同がある.6)子午線方向の位置(距離)を天文測量で得る方法を知っていた.7)邪馬台国は卑弥呼が「都せし国」である.8)倭国の首都は北九州の伊都(イツ)国である.
著者
高島 淳史
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2003, pp.150, 2003

1.はじめに 中心市街地の衰退は、人口の郊外流出やモータリゼーションの進展を背景に全国的な問題となり、はや数十年が経つ。しかし、いまだ有効な対策がなされていないため、中心市街地の空洞化は進行している状況にある。そのため、現在中心市街地活性化の必要論、不必要論が議論されている。中心市街地再開発・再編成の必要性は以下のようにまとめることができる。_丸1_交流拠点としての「都市の顔」の役割、_丸2_コミュニティの保持、_丸3_都市のコンパクト化、_丸4_高齢者にとって住みよい環境、_丸5_環境に配慮した車に過度に依存しない生活の場である。以上のような観点から、全国各地で中心市街地活性化が行われている。本発表では、沼津市中心市街地活性化区域内の商店街を対象とし、中心市街地の現在までの経過を把握し、問題点を明らかにする。また、商店街の機能を把握した上で、商店街の活性化がどのように進められてきたのかを経年的に追う。その結果、商店街にもたらされた影響について考察し、活性化への問題点を探る。2.沼津市中心市街地の変遷1930年代の沼津市における商業の中心は、沼津港を核として旧国道1号以南にあった。しかし、1932年の西武百貨店をかわきりに、駅周辺に大型店が進出し、買い物客は交通の面でも便利な駅前に集まるようになり、旧国道1号以北に商店街が形成され、アーケードを整備し、商業の中心は移っていった。高度経済成長期が軌道に乗った1960年頃から70年にかけて中心市街地の人口は急激に増加したが、70年代に入るとモータリゼーションの影響を受け、中心市街地では人口流出が始まった。大型店(1000_m2_以上)については、1970年以降中心市街地に7店舗、郊外に38店舗と郊外化の傾向が強まっているといえる。 3.中心市街地活性化に向けての商店街の役割と活動大手町商店街、仲見世商店街の商店数、年間販売額は高く、依然商業の中心は駅南にあるといえる。一店舗当たりの年間販売額では、大手町商店街だけが際立って高い。仲見世商店街は店舗数が多いことで商店街の年間販売額を引き上げているが、各店舗の年間販売額は決して高くはない。一方、駅北は商店街ごとの商店数、年間販売額において、全体的に停滞もしくは減少を示している。また、駅北にあるイトーヨーカドーをキーテナントとしたイシバシプラザは、大型駐車場を完備しており、徐々に売上を伸ばしている。駅南の大手町商店街、仲見世商店街と駅北のイシバシプラザを活性化の核として、以上の現状より中心市街地の各商店街は、さまざまな年間行事を企画実践し、中心市街地のイメージアップと認知度の向上を図っている。また、若手を中心とした商店主の間に、まちづくりNPO設立の動きもあり、本格的な活動が始まっている。
著者
小林 護
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

<p>伝統的建造物群保存地区(以下、伝建地区)とは、1975年の文化財保護法改正によって生まれた町並み保存を目的とした制度である。翌1976年に指定が始まり、2018年4月1日現在43道府県97市町村117地区が指定された。伝建地区制度とそれまでの町並み保存の取り組みとの違いは、建造物の群体である町並みを丸ごと一体として保存するべき文化財して定義した点と国からの指定ではなく市町村からの選定であるという点にある。伝建地区を扱ったこれまでの多くの研究は、対象地域を一つに絞った個別分析であり、さらにいずれの研究においても、伝統的町並みの保存活動が行われるようになった1970年代以後の事象を扱っている。このことは、対象となる地域の歴史や伝建地区が保存の必要が語られるようにになる以前の状況から現在までの経年変化や、周辺の関係性についても考察されていない。そこで発表者は、伝建地区を見る上では、その地区がなぜ残存したのかについて地区がもつ地理的要素から伝建地区を理解する必要があるのではないかと考えた。つまり、伝建地区は単独で存在するのではなく、地域の歴史や都市化の影響を受けながら残存してきたと考える。よって特に市街地内伝建地区と、その周囲地域も含めたフィールド調査と文献調査から、近代化した市街地の中にあって古い町並みを残すこととなった要因を考察することが重要であると考える。本研究は市街地内に立地する伝建地区(以下、市街地内伝建地区)の成立とその残存要因(市街地内において伝統的な街並みが残存するに至った要因)を地域の地理的特性を複合的に分析することで明らかにすることを目的とした。</p><p></p><p>調査・解析の結果。以下のことが明らかになった。市街地内伝建地区の成立と残存の主要件として3つが考えられる。それは文献資料調査による(1)対象地域の経済力、(2)非戦災・非災害、GIS解析によって明らかになった(3)対象地域を含む周辺地域の中心市街地の移動。</p><p></p><p>(1)経済力:市街地内伝建地区の多くは、「小江戸」と呼ばれ栄えた川越市川越地区などの商業物流の中心地として経済的に発展した町であったことがあげられ、他の武家町や寺町もまた特権的な立場の町として経済的に富が集積した地域であったと言える。</p><p></p><p>(2)非災害・非戦災:残存要因としては震災や大火といった偶発的な自然災害を免れたことや戦災による被害を被らなかったことがあげられる。現在残存する市街地内伝建地区とはこういった諸要因が重なった場所であると考えられる。</p><p></p><p>(3)中心地の移動:伝建地区が鉄道の敷設と駅の建設に伴い都市の中心地が移動し、結果として遺存的に残った町が含まれることを指摘できる。この例として、かつては港湾都市として栄えた倉敷市倉敷川畔地区があげられる。明治期以降、交通の主役は街道から鉄道へ短期間に交代した。それに伴い中心市街地がこれまでの街道沿いから鉄道駅前に移動たことにより、旧街道沿いの伝建地区を含む中心市街地は衰退し、鉄道駅周辺の新たな中心市街地が都市の中心となり発達した。結果として古い町並みを残す旧中心市街地が新しい中心市街地に隣接または内包される形で残されたといえる。</p>
著者
渡部 帆南 奈良間 千之 河島 克久
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

<b>1.はじめに</b><br> 2015年4月25日にネパールの首都カトマンズから北西に位置するゴルカ郡でM7.8の地震が,5月12日にカトマンズから北東80kmでM7.3の地震が発生した.100回ほどの余震を含めたこの一連の地震により,ヒマラヤ高山の雪氷域では雪崩,氷河崩落,雪氷土砂崩落,土砂崩落など多数の斜面崩壊が生じた.カトマンズの北に位置するランタン谷では,地震により生じた2度の雪氷土砂崩落(6.81×10<sup>6</sup>m<sup>3</sup>と0.84×10<sup>6</sup>m<sup>3</sup>)により,ランタン村は雪氷土砂堆積物に覆われ,350名を超える犠牲者がでている(Kargel et al., 2015; Fujita et al., 2016).雪氷土砂崩落のトリガーは山岳斜面上部にある懸垂氷河の崩落や冬季の大量の積雪による雪崩だと考えられている.ヒマラヤ地域に限らず,懸垂氷河の崩落のサイクルや崩落する地形場の特徴は明らかでなく,懸垂氷河の崩落を調査し,今後の防災対策に役立つデータを作成する必要がある.そこで本研究では,ランタン谷に面するランタン・リルン峰の南西壁と東壁を対象に,地震前のGoogleEarthの画像とWorldView-2の地形表層モデル(DSM)データ,地震後のヘリコプターから空撮した2015年10月,2017年4月と10月,2018年11月の空撮画像から作成したオルソ画像とDSMデータを比較し,懸垂氷河の崩落箇所とその特徴を調べた.<br><b>2.研究地域</b><br> ランタン谷は,ネパールの首都カトマンズから北に約70kmに位置し,谷底は標高3000mほどある.ランタン・リルン峰(7246m)は谷の北に位置し,その上部には懸垂氷河が多数存在する.本研究では,ランタン谷に面するランタン・リルン峰の南西壁と東壁を対象にした.<br><b>3.研究方法</b><br> 地震後の2015年10月27日にヘリから撮影された空撮画像をSFMソフトでオルソ画像とDSMを作成した.地上基準点の情報はGoogleEarthとWorldView-2 DSM(解像度8m)から取得した.また,地震前のGoogleEarthの衛星画像と地震後のヘリ空撮のオルソ画像を比較し,懸垂氷河の崩落箇所を抽出した.また,2017年4月と10月,2018年11月に取得した空撮画像から作成したオルソ画像とDSMデータを用いて,ランタン・リルン峰の懸垂氷河分布図を作成し,懸垂氷河の崩落個所やその縦断プロファイルの変化を調べた.<br><b>4.懸垂氷河の分布と崩落の特徴</b><br> ランタン・リルン峰の南西壁と東壁の懸垂氷河の分布を調べたところ,南西壁では広く面的に発達したシート状の懸垂氷河が存在する.一方,東壁では大きな氷河はなく,個々の小規模な懸垂氷河が全体に分布する.東壁の下部には,懸垂氷河の崩落により形成されたリルン氷河が存在するが,南西壁の再生氷河は小さい.この結果は,氷河崩落による涵養量の違いによるものと考えられる.<br> 地震前後のオルソ画像を比較したところ,地震によって崩落したのは,標高5500~6700m,斜度20~60°に位置する懸垂氷河であった.崩落箇所は12箇所確認され,幅50~100m,高さ20~50mの氷体が消失していた.崩落箇所は,懸垂氷河の末端部や氷河中央部の凸部の傾斜変換点で生じている.また,2015年と2018年の懸垂氷河の変化を調べたところ,崖タイプと斜面タイプの両方で崩落があり,氷河末端部の前進も確認された.複数の崩落箇所の縦断プロファイルを比較した結果,氷河の末端部が氷体底部まですべり落ちているのではなく,末端部の表面上部だけが崩落していた.懸垂氷河の多くの崩落が50°以上の斜面で生じており,崩落後の末端部の形態から,分布する懸垂氷河は寒冷氷河の可能性が示唆される.<br> また,地震によってランタン村に堆積した雪氷土砂堆積物の融解過程を調べたところ,地震後の2015年10月から2018年11月までに60%ほどの体積が消失しており,堆積物のほとんどが雪氷体で構成されていると考えられる.
著者
大邑 潤三 土田 洋一 植村 善博
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.75, 2010

I 研究目的<br> 北丹後地震は1927(昭和2)年3月7日(月)18時27分、京都府北西部の丹後半島を中心に発生したM7.3の地震である。震源の深さは極めて浅く、震央は旧中郡河邊村付近であると推測されている。丹後半島地域の被害が最も激しく、全体で死者2,925人、負傷者7,806人、住宅被害17,599戸であった。<br>本地震では郷村地震断層近傍の峰山町で約97%、山田地震断層近傍の市場村で約94%という高い住宅倒壊(全壊)率を示しており、地震断層近傍の地域ほど住宅倒壊率が高い一般的傾向であると言える。<br>しかしこれまで住宅倒壊率に関して小地域レベルでの詳細な検討がされてこなかった。そこで今回小地域レベル(大字)での分析を行った結果、一般的傾向にあてはまらない集落の存在が明らかとなった。本研究ではこれらの地域が一般的傾向に当てはまらない原因について、地震断層からの距離や地形・地盤などの観点から考察する。〈BR〉II 被害分析の結果 今回大字別の被害分析を行うにあたって『丹後地震誌』(永濱1929)の大字別被害統計を採用した。ここから各集落の住宅倒壊率の状況を示した地図と、地震断層からの距離と住宅倒壊率の関係を示した相関図などを作成した。これから総合的に判断して_丸1_地震断層辺遠で倒壊率の高い集落、_丸2_地震断層近傍で倒壊率の低い集落の2種類に分類し表1の通り抽出した。尚、山田断層周辺の集落に関しては比較・抽出が難しいので今回は割愛した。<br>相関図による分析を行った結果、地震断層からの距離と住宅倒壊率との関係は全体的に一般的傾向を示しながらも、かなり散らばる形となった。また比較する集落数の違いはあるものの、郷村地震断層下盤側の被害率が高い傾向にある事も明らかとなった。 <br>作成した地図から郷村地震断層の変位量と住宅倒壊率との関係を分析した。変位量の大きな郷村地震断層中部の被害率が高く、変位量が小さくなる南に移動するに従って被害率も低くなる傾向にあることを確認できた。<br>次に、表1に示した郷村断層東側分類_丸1_の仲禅寺などの4集落は、いずれも島津村の集落である。中でも仲禅寺・島溝川直近には仲禅寺断層が走っており、住宅倒壊率が高い原因が活断層による地質・地盤構造の急激な変化にある可能性が考えられる。また同じく島津村の掛津・遊両集落は砂丘地形に立地している。西側_丸1_浜詰村浜詰は浜堤上、木津村上野は砂丘周辺に立地しており、砂質地盤が倒壊率に大きく影響していると考えられる。<br>以上、地震断層辺遠で住宅倒壊率の高い集落は、いずれも地質・地盤状況に強く影響されていると考えられる。活断層の存在や地質・地盤状況が住宅倒壊率にどれほどの影響を与えたか、ボーリングデータなどからより詳細に分析する必要がある。またこれら特徴的な被害が発生した原因を地質・地盤のみに限定して求めることなく、盛土や建築物の構造など様々なレベルや視点から分析する必要性を感じる。
著者
牛垣 雄矢
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

<b>1</b><b>.はじめに</b><br><br> 本発表では,変貌著しい工業都市川崎を写した景観写真を用いて,そこに写された景観要素を抽出し,都市の地理的特徴やその変化を把握する方法を検討する.<br><br><b>2.</b><b>川崎臨海部の景観写真を読む</b><br><br> 最初にみるのは,かつては重化学工業が集積した川崎臨海部を写した景観である.写真左のAとB は東京電力の火力発電所で,Cは天然ガス発電所である.火力発電の原料として利用されている液化天然ガスは,川崎港の輸入の大半を占める.Dはオイルターミナル石油精製所であり,重化学工業地帯として活況を呈していたころの景観要素が残っている.一方,E・F・Gはいずれも食品系製造業等の倉庫や物流センターである.川崎の臨海部は,国内屈指の貿易港をもち大消費地でもある東京と横浜に近接し,各方面への交通アクセスもよくモノの流れがさかんであるため,近年では冷蔵・冷凍食品の物流センターとしての役割が大きい.<br><br> 都市の景観要素の場合,対象物が「何なのか」分からない場合でも,スマホやタブレットにより地図アプリや検索サイトを利用することで,その景観要素が何であるか,その詳細な情報を得ることができる.それを当該地域の地理的特徴と関連させてとらえれば,景観写真を地理的に読み解くことができる.<br><br>次に見るのは,京浜急行大師線とその沿線の高層マンションを写した景観である.京急大師線は,川崎大師の存在によって関東初の電車として1899年に開通した.この敷設以降,川崎の近代工業化はその沿線で進み,1909年には蓄音器の日本コロンビアが,1914年には味の素が立地した.写真中央のマンションは,日本コロンビアの跡地に建てられている.川崎の工業化に大きな役割を担った京急大師線は,今日では沿線のマンション居住者の足となっている.<br><br><b>3.</b><b>川崎内陸部の景観写真を読む</b><br><br>次に見るのは,川崎内陸部のマンション群を写した景観で,AはJR南武線鹿島田駅周辺,Bは同矢向駅周辺,Cは武蔵小杉駅周辺に位置する.生産年齢人口やその子供世代の流入に伴う人口増加が顕著な点は今日の川崎の特徴であり,景観としてはマンションが林立する姿として表れる.Bの左にはキャノンの研究開発施設(D)がみられる.電気機械など組み立て型の工場は内陸部へ立地する傾向があり,川崎市でも戦前から南武線沿線に電気機械工場が立地し,近年はこれらが研究開発施設へと転換している.<br><br> 景観要素がその場所に立地する背景を考察するには,過去から現在にかけての変化を見るとよく,それには古地図が有効である.A~Eにはかつては工場が立地し,いずれも鉄道駅に近接しており,貨物による物流が主であった時代の立地として適地であった.その後これらの工場が安価な労働力を求めて海外や地方へ移転すると,駅前に広大な空地が生まれ,大規模マンションの建設を可能とした.今日,武蔵小杉駅や川崎駅周辺などにマンション等がみられるのは,かつて川崎が工業都市であったことと関係が深い.<br><br>次に見るのはさいわい緑道の一部を写した景観である.ここはかつて東京製綱川崎工場へ続く貨物線が通っていたが,この工場が移転し跡地に13棟の団地が建設されると,緑道へと変わった.この写真は,一帯がものづくり空間から生活空間へと変化したことを表している.<br><br><b>4.JR</b><b>川崎駅前の景観写真を読む</b><br><br> 次に見るのは,JR川崎駅周辺を写した景観である.AはSCのラゾーナ川崎プラザで,その人気の背景には乗降客数の多いJR川崎駅に近接していることがあげられる.ここは1908年に東芝の工場が立地した場所で,現在も敷地の一部に東芝のオフィスと科学館(B)が残っている. Cは日本最大級のパイプオルガンを有する音楽ホールが入るミューザ川崎で,これは「街が汚い」といった川崎の負のイメージを払しょくするために進められている「音楽の街」政策の中核的施設である.Dは,かつてはアパートが立地していた場所に立つ高層マンションである.駅前には分譲価格が1億円程の高価格な高層マンションもあり,この地区の居住者層にも変化がみられる.<br><br><b>5.</b><b>景観要素からみた川崎の都市構造</b><br><br>これまでみた景観写真に描かれた要素は,相互に関連しながら川崎という都市を構成しているため,それらの景観要素の関係性から都市構造をとらえる.今日の川崎の特徴であるマンションや研究所,SCなどの多くは工場跡地に立地していた.音楽の街としての川崎の政策も工場の集積による公害の経験と関係している.過去や今日の川崎の特徴を表す景観要素は,いずれも工場と直接的・間接的につながっており,川崎という都市の地理的特徴や構造,その変化を把握するには,工場を中核に添えて他の要素との関係性をみると理解しやすい.なお,これら川崎の地理的特徴や構造を構成する景観要素を抽出するには,対象とする地域や事象についての知識が必要となる.
著者
泉田 温人 内山 庄一郎 須貝 俊彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

<b>1.初めに</b> 平成27年9月関東・東北豪雨は鬼怒川流域に記録的な大雨をもたらし<sup>1)</sup>,10日12時50分に常総市三坂町地先(左岸21k付近;図1中の&times;)で鬼怒川の堤防が決壊した<sup>2)</sup>.鬼怒川水海道観測所においては同日13時に計画高水位(17.24m, Y.P.)を超過した<sup>3)</sup>.破堤箇所付近の鬼怒川は,風成層を載せる更新世段丘に挟まれた沖積低地の西端を流れ,河床勾配1/2500程度の砂床河川である.堤防の決壊区間から後背湿地に南流した洪水流による自然堤防上の地形及び洪水堆積物の特徴を報告する.<br><b>2.調査手法</b> トータルステーション測量とVRS方式のGNSS観測機による測量を実施し,洪水後の地形断面図を作成するとともに洪水前の5mメッシュDEM(国土地理院提供)と比較して洪水イベントによる地形変化を検討した.堆積物調査では現地での記載とレーザー回折式粒度分析装置による粒度分析を行った.<br><b>3.破堤地形の記載</b><br><b>地形の特徴</b><b>:</b>洪水流の中心では破堤堤防の付近に深さ2 m以上の落掘が形成され,その下流も150 m以上の距離の間,浸食作用が卓越し標高が30-40 cm低下したが,中心以外では侵食域は洪水流の根元に限られ標高変化の小さい領域が大きかった.この領域の途中には地形的な段差の下に比高30-40 cmの急崖を持つローブ状堆積地形が一部で形成された.また侵食を免れた道路などの洪水流下流側に砂が堆積する例が多く認められた.<br><b>堆積物の特徴</b><b>:</b>調査地のほぼ全域で地表から5-30 cmの深度まで洪水堆積物が分布し,その下部は上方粗粒化を示す泥質細砂-極細砂,上部は淘汰の良い細砂-中砂で主に構成されていた.前述のローブ状地形では層厚50-60 cmの泥を欠く中砂が地表まで堆積した.また,一部地点は泥が地表を被覆した.<br><b>4.まとめと今後の展望</b> 今回の破堤地形は過去に報告されたクレバス・スプレー<sup>4)</sup>と類似する特徴が多いが,地形の分布は人工物の影響を多少受けている.今後,UAVを用いた新たな地形調査法を含む地形と堆積物の詳細かつ広範な調査により,破堤箇所から遠方に至るまでの破堤地形の縦断的な地形変化のシーケンスが明らかにされ,過去の埋没破堤地形の同定に適用できる可能性がある.このことは,自然堤防の分布と共に勘案することで,クレバス・チャネルの出現に発する新河道の形成と本流路の争奪,そしてまた別の流路への河道変遷の過程を追跡し,氾濫原の地形発達の理解に繋がり得る.<br><br><b>参考文献</b>&nbsp; 1) 気象庁 (2015):平成27年報道発表資料,http://www.jma.go.jp/ jma/press/1509/18f/20150918_gouumeimei.html(2015年12月28日閲覧) 2) 国土交通省関東地方整備局 (2015):平成27年記者発表試料, http://www.ktr.mlit.go.jp/kisha/index00000080.html(2015年12月28日閲覧)3) 国土交通省:水文水質データベース, http://www1.river.go.jp/(2016年1月23日閲覧) 4) Bristow et. al. (1993) : Sedimentology, 46, 1029-1047
著者
大橋 和幸
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

1.はじめにOx濃度の年平均値は,1985~2004年度の20年間で約5ppb上昇しており(光化学オキシダント・対流圏オゾン検討会,2007),環境基準達成局数の割合は一般局・自排局ともに2010年に至っても0%であった(環境省報道発表資料,2012).この原因として,越境汚染や地域気象の状況が変化したことなどが指摘されている.また,以前よりわが国では週末の方が週日と比較して相対的にNOx濃度が低いにも関わらず,Ox濃度が高くなる週末効果という現象が確認されてきた.例えば,大原(2006)によると,Oxは週日の方がその場での生成量は多いが,週末はNOの排出量が減少するため,O3が分解されにくくなることが原因であるとしている.一方,神成(2006)は,HC-limitedの環境下において,週末にNOxの排出量が減少することによってO3生成抑制効果が解除されるため,週末に高濃度になるとしている.この様なOx濃度の近年における経年変化傾向や,週末効果といった短周期変動が指摘され,その原因が考えられてきているが,一方,こうした現象の時空間的特徴に関しては必ずしも明らかとなっていない.そこで本研究では関東地方を対象として,近年のOx濃度上昇および週末効果について,時空間変動からそれらの要因を考察することを目的とした.2.方法対象地域は関東地方1都6県とした.使用したデータは国立環境研究所で取り纏めている大気汚染常時監視測定データの1時間値であり,対象物質はOxである.対象期間は1980年4月から2011年3月までとした.はじめに,Oxの季節的・経年的な時間的特性を比較するため,月別平均値に対して主成分分析を行った.ただし,測定局により観測開始時期の違いや欠測値を含む期間が存在するため,対象地域内をグリッドで区切り,グリッド平均値を作成した後,解析を行っている.また,週末効果を把握する観点から,日平均値に対して同様のグリッド化を行ったデータに対しても主成分分析を行った.3.結果月平均値に対して行った主成分分析の結果,第1主成分には関東地方全域の濃度変動を示すモードが検出された.この成分は経年的に見ると,2000年頃からOx濃度が増加していることを示している.また,地域的な増加量の違いが認められ,北関東南部および千葉県では大きく,南関東では相対的に小さい傾向にあった.さらに,日平均値に対する解析結果から,週末効果に対する濃度変動は1980年代には小さく,近年において大きくなる傾向を持つことが明らかとなった.季節変化成分も顕著に認められ,春期(4月・5月)に増加の極大を持ち,経年的な増加傾向がこの時期における高濃度化と極大期の拡大に対応していることが示唆される.
著者
西宗 直之 小野寺 真一 成岡 朋弘 佐藤 高晴
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2003, pp.123, 2003

<B>1. はじめに</B><BR> 瀬戸内沿岸地域は温暖少雨の気候のため、日本で最も山火事の発生頻度が高い地域となっている。山火事は森林植生や生息動物などの森林生態系を改変するのはもちろん、侵食作用の増大による地形変動や土壌環境、場合によっては水理・水質などの環境に影響を及ぼすことが想定される。また、土壌侵食の活発化による土砂流出量の増加は、下流域の堆積過程に変化をもたらす可能性があり、土砂災害の防止という観点からも重要な研究課題のひとつである。したがって、山火事の発生による侵食速度の変化や流域から生産される土砂量の予測を行っていくために、現存する山火事跡地の侵食速度を算出し、火災発生後の土砂流出特性を把握することが必要となる。よって、本研究では山火事発生後の経過年数の異なる流域における山火事発生前後の流域侵食速度の変化を確認し、山火事発生後の年数の経過に伴う土砂流出パターンの変動を明らかにすることを目的とした。</BR></BR><B>2. 研究地域及び方法</B><BR><U>2.1. 山火事跡地の砂防ダムにおける堆砂量の測定</U><BR> 流域の全面積が山火事に遭った砂防ダムのうち、最上流部に位置するものを選定し、堆積深度を検土杖で測定した後に堆砂量を算出した。堆積速度は、上記の方法により得た堆砂量を砂防ダム建造年から経過した年数で除して求めた。山火事の発生以前に建造されたダムについては、検土杖により炭化物が認められる堆積層を山火事発生時とみなし、堆積速度を区別することにより火災前後の侵食速度をそれぞれ求めた。一連の調査は2003年3月に実施した。<U>2.2. 山火事跡地試験流域における観測</U><BR> 2.1の砂防ダム流域とは別に、3か所の山火事跡地流域において調査・観測(2000年4月から2003年5月に実施)を行った。毎回の降雨イベント後に土砂トラップに堆積した土砂量を測定した。<BR>1)IK:2000年8月に山火事発生(撹乱流域)<BR>2)TB:1994年8月に山火事発生(荒廃流域)<BR>3)TY:1978年8月に山火事発生(回復流域)<BR> これらは、植生の状況以外はほぼ同一の特徴を持つ。<BR><BR><B>3. 結果と考察</B><BR><U>3.1. 山火事跡地流域における侵食速度の推定</U> 表1に各砂防ダム流域における流域特性及び侵食速度を示す。各流域とも、山火事発生前の流域侵食速度が0.02から0.07mm/yrという低い値を示したのに対して、山火事発生後では0.33から0.42mm/yrと高い値を示した。特に、山火事の発生からあまり年数が経過していないIK1では、侵食速度は2.2mm/yrという非常に高い値を示した。これらは、発電用ダムで計測された中部地方の急峻な山地渓流における侵食速度(0.3から0.5mm/yr)(藤原ほか、1999)と比較して同等かそれ以上の値であった。特に火災発生直後の流域では土砂堆積量の急激な増加が確認されたことから、これらの侵食速度の増加は山火事に伴う活発な土壌侵食の影響を強く反映している結果であるといえよう。<BR><U>3.2. 火災時期の異なる流域における土砂流出特性の差異</U><BR> 図1に各流域におけるイベント降水量と土砂流出量の関係を示す。いずれもイベント降水量の増加に伴った土砂流出量の増加が認められるが、小規模降雨イベントでは傾きが小さく、ある一定のイベント降水量で傾きが急になる傾向がみられた。IK流域ではイベント降水量に対する掃流土砂流出量の傾きが大きく、イベント降水量20mm付近に傾斜変換点がみられた。TB流域では傾斜変換点がイベント降水量40mm付近にみられ、傾きは緩やかであった。TY流域ではイベント降水量80mm付近に傾斜変換点がみられ、大規模出水時の傾きが大きかった。傾斜変換点は火災発生後の年数経過に伴ってイベント降水量の多い地点に現れた。この存在は、前後のイベント降水量の違いによって土砂流出プロセスが変化しているものと推察される。
著者
遠藤 尚
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.27, 2009

<B>1.はじめに</B> インドネシア、ジャワ島における農業、農村については、「緑の革命」の影響が顕在化した1970-80年代を中心に、各地において多くの詳細な事例研究が行われてきた。一方、これまで農業センサスやその他の統計について、郡やそれ以下の行政単位別データの整備、提供が不十分な状況にあった。このため、研究機関が行う大規模調査の結果などを入手しない限り、農業に関する空間的な分析や地域間比較は困難であり、地域的特性を考慮した事例研究間の比較検討も十分行われてこなかった。このような状況下、2006年から実施されたJICA「小地域統計情報システム開発プロジェクト」において、2003年農業センサス、名簿調査データの県、郡別データベースが整備された。本報告では、1970年代以降、ジャカルタ首都圏の拡大と著しい人口成長を経験してきたジャワ島西部を対象として、上述の郡別データを元に作付作物や農家の土地所有経営状況などの分布状況を検討し、2003年時点のジャワ島西部における農業の全体像を明らかにする。また、報告者が2001年以降、西ジャワ州、ボゴール県の1農村において実施してきた世帯調査の結果から、ジャワ島西部における農家の世帯経営状況についても言及する。<BR><B>2.対象地域の概要</B> ジャワ島西部は、ジャカルタ首都特別州、西ジャワ州、バンテン州から構成され、特にジャカルタとその周辺地域はJABOTADEBEKと呼ばれる首都圏を形成している。2005年現在、ジャカルタを除く2州についても、1,110人/km<SUP>2</SUP>というジャワ島内でも人口密度の高い地域となっている。また、2000年時点で、西ジャワ州では就業人口の31%を農業が占め、ジャワ島内の水稲生産量の約35%、サツマイモ、ネギ、ジャガイモ、キャベツなど主要な野菜の50%以上が産出されている。<BR> 世帯調査の対象地域であるS村は、ジャカルタから南へ約60km、ボゴールから南西へ約10kmに位置するサラック山麓の農村である。2000年時点で、当村の世帯主の主職業の68%を農業が占めており、主な生産物は水稲、トウモロコシ、サツマイモ、キャッサバ、インゲンなどである。<BR><B>3.ジャワ島西部の農業と農家の世帯経営状況</B> 作付作物や農家の土地所有経営状況に関する農業センサスデータの分布状況は、水野(1993)が1970年代の農業経済調査所による調査結果から抽出した3つの土地所有階層構造類型と概ね一致していた。すなわち、土地所有の分化が進んだ水田稲作地帯である北海岸平野部、土地経営規模が非常に零細で北海岸平野部ほど分化が進んでいない水田稲作地域、プリアンガン高地盆地部、そして土地の自己所有地率が非常に高く、大規模所有がほとんどみられない畑作主体のプリアンガン高地部という分類である。ただし、農業センサスデータでは、首都圏と重なるジャカルタ周辺にこれらの3分類とは異なる農業の展開がみられた。ジャカルタ周辺では、園芸作物生産、畜産・家禽飼育、水産業に従事する農家の割合が、稲作農家の割合よりも高い地域が形成されていた。また、ジャカルタから南下する高速道路沿いには、畑作物生産農家の割合が20%以上と他地域よりも高く、より粗放的な農業が行われている郡も認められた。農業センサスに生産量に関する項目は含まれていないため、このようなジャカルタ周辺における農業が、ジャワ島西部、そしてインドネシアの農業に占める位置づけについては今後の課題である。<BR> 世帯調査の対象地域は首都圏の縁辺部に位置しており、土地利用に都市的な要素はみられない。ただし、作付作物は都市の市場の動向に従い頻繁に変化していた。また、比較的農業収入の割合が高い水田経営世帯であっても農業収入は46.8%と半分を下回っていた。加えて、特に若い世代の世帯主や子女の就業先として、ジャカルタやボゴールの労働市場が重要な役割を果たしていた。ジャワ農村では多就業が一般的であることは、先行研究からも明らかである。しかし、S村のように世帯経営上、非農業の割合が農業を上回る状況が、首都圏以外の農業地域においてどの程度認められるのか確認する必要があろう。<BR><BR>水野広祐 1993.西ジャワのプリアンガン高地における農村階層化と稲作経営‐バンドゥン県チルルク村の事例を中心として‐.梅原弘光・水野広祐編『東南アジア農村階層の変動』119-163.アジア経済研究所.
著者
兼子 純 山元 貴継 橋本 暁子 李 虎相 山下 亜紀郎 駒木 伸比古 全 志英
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

日韓両国とも,地方都市における中心商業地の衰退が社会問題化している。しかしながら,韓国の地方都市の中心商業地は,人口減少や住民高齢化のわりに空き店舗が目立たず,日本でいう「シャッター商店街」がみられにくい(山元,2018)。そこで本発表では,2016年と2018年に発表者らが行った土地利用実態調査の結果をデータベース化し,韓国地方都市の中心商業地における店舗構成の変化を明らかにすることを目的とする。<br><br>調査対象地域として,韓国南部の慶尚南道梁山(ヤンサン)市の中心商業地(新旧市街地)を選定した(図1)。梁山市は同道の東南部に位置し,釜山広域市の北側,蔚山広域市の南西側に接している。高速道路で周辺都市と連結されており,さらに,釜山都市鉄道2号線によって,釜山市の中心部とも直接結ばれている新興都市である(2017年人口:324,204)。旧市街地は梁山川の左岸に位置し,南部市場が立地している。新市街地は旧市街地の南西約1km,2008年に開通した地下鉄梁山駅前に位置している。近年では,両市街地と梁山川を挟んで対岸に位置する甑山(チュンサン)駅前で,新たな商業開発が進行している。<br><br> 韓国では短期間で店舗が入れ替わることもあって,日本の住宅地図に相当するような,大縮尺かつ店舗名などが記載された地図が作成されることはまずない(橋本ほか,2018)。そのため発表者らは,韓国における中心商業地の構造変化を明らかにするための基礎資料の作成を念頭に置き,2016年3月に梁山市の新市街地と旧市街地において土地利用調査を実施し,そのGISデータベースを構築した。この時の結果をもとに,2018年3月に同じ範囲かつ同様の調査手法で再度土地利用調査を実施し,2年間で店舗が変化している箇所の業種を抽出した。今回の発表では,1階で店舗が変化している部分を分析対象とする。<br><br> 2016年の調査では,新旧市街地での商業機能の分担,つまり旧市街地では伝統的な商品や生鮮食料品店の集積,新市街地では若年層向けの物販サービス機能が卓越し,チェーン店(それらが展開する業種)の立地が確認された。そうした両市街地における2016年から2018年の2年間で店舗構成が変化した箇所を確認すると,旧市街地では530区画中129区画(24.3%),新市街地では485区画中132区画(27.2%)で店舗が入れ替わっていた。<br> 旧市街地において,在来市場を中心とする中心部よりも周辺部で空き店舗が目立つようになり,市街地の範囲が縮小している。新市街地では,店舗の入れ替わりが激しいことに加えて,店舗区画の分割や統合なども顕著である。現地での聞き取り調査によると,賃貸契約は2年が一般的であるが,契約更新時の賃料上昇や韓国特有の権利金の存在もあって,現在では新市街地から,新規に建設が進む甑山駅周辺に移転する店舗が増加しつつあるという。当日の発表では,変化箇所の業種や地域,区割りの特徴などから,梁山市全体の商業地の構造変化について報告する。
著者
兼子 純 山元 貴継 山下 亜紀郎 駒木 伸比古 橋本 暁子 李 虎相 全 志英
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

<u>1.研究課題と目的</u><br> 日本においても韓国においても,国土構造として首都への一極集中が指摘され,首都圏と地方都市との格差が拡大している。共に少子高齢化が進行する両国において,地方都市の疲弊は著しく,都市の成立条件や外部環境,地域特性に合わせた持続的な活性化策の構築が必要とされている。その中で日本における地方都市研究では,モータリゼーション,居住機能・商業機能の郊外移転などによる,都市中心部の空洞化問題が注目されやすい。空洞化が進んだ都市中心部では,低・未利用地の増加,人口の高齢化,大型店の撤退問題,生鮮食料品店の不足によるフードデザート問題などが生じ,大きな社会問題となっている。 一方で韓国では,鉄道駅が都市拠点となりにくく,また同一都市内で「旧市街地」と「新市街地」とが空間的にも機能的にも別個に発達しやすいといった日本とは異なる都市構造(山元 2007)が多くみられる中で,バスターミナルに隣接した中心商業地などの更新が比較的進んでいる。そして,地理学の社会的な貢献が相対的に活発であって,国土計画などの政策立案にも積極的に参画する傾向が認められるものの,金(2012)によれば,研究機関が大都市(特に首都ソウル)に偏在し,計量的手法の重視および理論研究への偏重によって,事例研究の蓄積が薄い。 それらを踏まえた本研究の目的は,低成長期における韓国地方都市の都市構造の変容を明らかにすることを目指して,その手がかりとしての土地利用からみた商業地分析の手法を確立することである。なお,今回の報告は調査初年度の単年次のものであり,今後地域を拡大して継続的に研究を進める予定である。<br><u>2.韓国における一極集中と地域差</u> <br> 先述の通り,韓国は首都ソウルとその周辺部への一極集中が顕著である。その集中度は先進諸国の中でも著しく高く,釜山,大邱,光州,大田の各広域市(政令指定都市に相当)との差が大きい一方で,これら広域市と他の地方都市との格差も大きい。 <br><u>3.対象都市</u> <br> 地方都市をどのように定義するのかについては議論の余地があるが,本研究では首都ソウルとその周辺部を除く地域の諸都市を前提とする。今回の調査対象地域としては,韓国南部の慶尚南道梁山市の中心商業地を選定した。梁山市は同道の東南部に位置し,釜山広域市の北側,蔚山広域市の南西側に接している。高速道路で周辺都市と連結されており,さらに,釜山都市鉄道粱山線(2号線)によって,釜山市の中心部とも直接結ばれている。このように梁山市は,釜山大都市圏の一部を構成する都市である一方,工業用地の造成が進み,釜山大学病院をはじめとする医療サービスおよび医療教育の充実した新興都市として独立した勢力があり,人口増加も顕著である(2014年人口:292,376)。 そのうち新市街地は梁山川左岸に位置し,そこに梁山線が2008年に全通し,その終着点でもある梁山駅が開業した。同駅に近接して大型店E-MARTが立地しているほか,計画的に整備された区画に多くの商業施設が集積している。E-MARTに隣接してバスターミナルも立地し,全国各地への路線網を有する。一方,旧市街地は新市街地から見て国道35号線を挟んだ東に位置している。そこには梁山南部市場およびその周辺に生活に密着した小売店舗が集積しており,伝統的な商業景観が形成されている。<br><u>4.調査の方法</u> <br> 今後,韓国の各都市の都市構造の動態的変化を継続的に調査することを目指して,今回はその調査手法の確立を目指す。特に,韓国の商業地における店舗の入れ替わりは日本に比して頻繁で,その新陳代謝が都市を活気づける要因ともなっており,その変化に関心が持たれる。しかし,そうした変化を既存の資料から明らかにすることは難しく,実態調査が求められる。そこで今後,継続的に定点観察することを予定している中で,業種分類の設定の仕方なども重要となる。今回は予備的調査として,事例都市において商業地の調査手法を確立し,その方法を他都市に展開していくことを目指す。