著者
河野 忠 鈴木 康久
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

1780(安永9)年に出版された『都名所図会』は,日本で最初の名所図会といわれている。その中には当時の京都が文字による情報だけでなく,挿絵や鳥瞰図として写実的に描かれており,現在の観光ガイドブック的な存在として製本が間に合わないほどの売れ行きとなった。また,1787(天明7)年には,その続編となる『拾遺名所図会』が出版された。その中には名水の記述も多く,全部で150程度を数えることが出来る。1985年当時の環境庁が日本名水百選を発表したが,『都名所図会』に登場する名水は,さながら18世紀京都における名水百選といっても過言ではないだろう。これらの名水は現在どの様な状況に於かれているのだろう,という素朴な疑問から本研究を開始し,京都中の名水を対象に人文科学的および自然科学的な調査を実施した。『都名所図会』に登場する名水の分布は主に京都市街地に集中しているが,北は鞍馬山以北,南は奈良との境にまで及んでいる。多くの名水でその場所は特定できるものの,正確な場所が不明な名水も少なくない。しかし,それはほぼ市街地中央部から南西部に限られている。また,この地域の名水は,石碑のみのものや,新しく掘られたものが少なくないことが分かった。水質および同位体の分析結果から,京都盆地の地下水の水質は,井戸深度に依存するというよりも,地域によって特徴付けられていることが示された。盆地一帯の地下水は概ねCa-HCO3型を示しているが,地域によって(Na+Ca)-HCO3型やNa-Cl型,Na-HCO3型の水質組成を示す地点も見られた。京都盆地には複数の帯水層があることが確認されているが,盆地の地質は砂礫層が厚く堆積しているため,涵養された水は比較的速く浸透する。鴨川近辺の地下水は河川水が混合し,その影響が現れていると考えられる。また,北部山地の湧水では,石灰岩地域の影響を受けてCa-HCO3型の水質組成を示していた。一方,堀川周辺の地下水は井戸深度が比較的浅く,相対的にNO3-濃度が高くなっている箇所もあり,人間活動の影響を受けていると考えられる。名水の現状は,都市化や地下鉄開業などの影響もあって,鴨川以西,地下鉄東西線以南の地域はほぼ涸渇状態となっている。当時の地下水位が数m程度と推定されるものの,現在は50m前後,深いもので100mにも低下している。酒造メーカーの集中する伏見や宇治でも同様で,すべての井戸は新たに再掘削したものであり,宇治の八名水と言われた湧水群は,宇治上神社の「桐原水」のみが細々と湧出を見る程度である。東山以東や京都市街地以外の名水は,比較的当時の状態を保っていると考えられ,水質汚染もほとんど見られない。それに対して市街地にある名水は,西陣や伏見御香宮神社の「御香水」で,硝酸イオンが各々27.6,17.5mg/l検出された。また,近年の都市化や地下鉄開業による地下水環境への影響が名水の存在に大きな影を落としていることも判明した。その一方で,現存する多くの名水は,様々な伝説伝承を語り継ぎ,京都の水文化を物語る重要な文化財となっていることも明らかとなった。本研究は,平成21-23年度科研費補助金(基盤研究C)「『名所図会』を用いた京都盆地における水環境の復元」(研究代表者:河野 忠)の一部を使用した。
著者
河原 大 矢野 桂司 中谷 友樹 磯田 弦 河角 龍典 高瀬 裕 井上 学 岩切 賢 塚本 章宏
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2004, pp.118, 2004

<b>_I_ 研究目的</b><br>本研究の最終的な目的は、2・3次元GISとVR(Virtual Reality)技術を活用して、歴史都市京都のバーチャル時・空間を構築することにある。そのためには、過去における京都の町並みの景観を構成するコンテンツを特定し、それらの精確な位置情報を収集する必要がある。本発表では、現在から過去にさかのぼる形で、現在、戦後、大正の3時期を設定し、各時期の京都のバーチャル時・空間を構築する。<br><b>_II_ 京都の景観コンテンツ -京町家を中心として-</b><br> 京都では第二次大戦の被害が少なかったこともあり、神社・寺院や近世末から戦前に建てられた京町家や近代建築などが多数現存している。したがって、現在の京都バーチャル・シティーを構築したのちに新しく建てられた建物を京町家に置き換えていくことで、過去の町並みの景観復原をおこなうことが可能になる。 以下では、現代、戦後、大正の順に、京都の町並みの中で主要な景観コンテンツである京町家の特定をしていく。<br><b>1)現代</b> 現在における京都市のバーチャル・シティーのベースとして、本研究では、現在もっとも精度が高い3次元都市モデルであるMAP CUBE<sup>TM</sup>を用いることにする。MAP CUBE<sup>TM</sup>は、2次元都市地図(縮尺は2500分の1精度)上のポリゴンの建物形状を2次元GISのベース((株)インクリメントP)として、各建物の高さをレーザー・プロファイラーにより計測し((株)パスコ)、建物の3次元形状を作成したもの((株)CAD CENTER)である(そのレーザーの計測間隔は約2mで、高さ精度は±15cmである)。また、各各建物の3次元VRモデルは、MAP CUBE<sup>TM</sup>の3次元形状モデルに、現地でのデジタル撮影により取得された画像を、テクスチャ・マッピングしたものである。なお、建物以外の地表面に関しては、空中写真などをテクスチャ・マッピングすることができる(専用の3次元GISソフトUrban Viewerによって、操作することができる)。<br> 京都市は、平成10年に『京町家まちづくり調査』として、都心4区を中心とする範域の京町家の悉皆外観調査を実施し、約28,000件もの京町家を特定した。本研究では、この調査データを効率よく2次元GIS化するとともに、1998年以降の変化を補足する追跡調査を実施している。この調査によって、現時点での京町家の建物形状(ポリゴン)、建物類型、建物状態などが2次元GISとしてデータベース化されている。<br> 本研究ではさらに、2次元GISとして特定された現在の京町家データベースを、Urban Viewerを用いて、3次元表示させていく。<br><b>2)戦後</b> 戦後の京町家の分布状態を明らかにするために、空中写真から京町家を特定し2次元GIS化した。具体的には、1948年の米軍撮影空中写真、1961年の国土地理院撮影空中写真、1974年の国土地理院撮影空中写真、1987年国土地理院撮影空中写真、2000年中日本航空撮影空中写真の53 年間13 年ごと5期の空中写真について判読を実施した。<br> 都心地域(北は御池通、南は四条通一筋南の綾小路通、東は河原町通、西は烏丸通の3 筋西の西洞院通に囲まれる東西約1100m 南北約800m の範域)において、1948年時点で約6,250件、1961年時点で約5,900件、1974年時点で約4,550件、1987年時点で約2,900件、2000年時点で約1,800件と、京町家が減少していることが判明した。また、その場合、大通りに面する京町家から内側へと次第に減少していく傾向が明らかになった。<br><b>3)大正</b> 大正期の京町家の空間的分布を明らかにするために、『大正元年京都地籍図』(立命館大学附属図書館所蔵)をデジタル化し、さらに2次元GISを用いて、当時の地割をベクタ化した。この地籍図は約1200_から_2000分の1の縮尺で、現在の都心とその周辺地域の範囲を合計375枚でカバーしている。<br>各地割ごとに京町家が建てられていたと想定し、すでに竣工された近代建築についても特定した上で、地割の大きさにあわせて、3次元のバーチャル・シティー上に京町家を配置し、町並みの景観を復原していくことができる。<br><b>_III_ 京都のバーチャル時・空間</b><br> 本研究では、京都の町並みの景観を構成する重要なコンテンツとして京町家をとりあげ、悉皆外観調査、過去の空中写真、過去の地籍図を最大限に活用して、現在、戦後、大正の京町家の2次元GISをデータベース化するとともに、3次元都市モデルにそれら京町家を統合し、京都バーチャル時・空間を構築した。<br>その結果、歴史都市京都の町並みの変遷を3次元的に視覚化させ、時・空間上での景観復原を可能とした。
著者
大和田 道雄 秋山 祐佳里 畔柳 洋子 中川 由雅 石川 由紀 櫻井 麻理
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2005, pp.216, 2005

_I_ 研究目的<BR> 近年,我が国の大都市では,夏季の夏型気圧配置時において異常高温が出現する傾向がみられるようになってきた。これは,都市域の拡大や排熱量の増加,および地表面の透水層や緑地の減少等によるヒートアイランド強度が強まったことも考えられるが,夏型気圧配置のパターンや出現頻度が変わってきたことも事実である。特に,名古屋と大阪では,1990年以降,東京に比較して異常高温の出現率が高まる傾向にある。そこで,本研究はその要因を夏型気圧配置の出現傾向と大気大循環場から探ろうとするものである。<BR>_II_ 資料および解析方法<BR> まず,異常高温の出現頻度が増加傾向を示す1980年以降の夏型気圧配置分類を行った。夏型気圧配置は,北太平洋高気圧の張り出し方によって出現頻度が最も多い南高北低型と東高西低型,全面高気圧型,およびオホーツク海高気圧型に分類した。さらに,北太平洋高気圧の張り出しが亜熱帯ジェット気流の緯度的・経度的位置,およびトラフ・リッジに対応することから,チベット高原を中心にしたユーラシア大陸に形成される南アジア高気圧の関係を把握するため,NCEP/NCARの再解析データから200hPa面における南アジア高気圧の盛衰との関係を求めた。<BR>_III_ 結 果<BR> 名古屋・東京・大阪の過去約45年間における35℃以上の出現日数を時系列で表し,移動平均に直した結果,2000年以降は東京が4_から_5日であるのに対し,名古屋と大阪は15日以上出現するようになった。これは,1970年当時に比較して約3倍である。これらの異常高温日数は,年による変動が大きくほぼ6年周期で現れる。その原因は明らかではないが,1994年から1995年にかけての名古屋では37℃以上の異常高温が5日近くも現れた。この時の気圧配置は1994年が全面高気圧型,1995年は南港北低型が多く支配した年である。したがって,1994年は全国的に猛暑となったが,1995年に関しては名古屋特有の暑さであった。これは,名古屋が南高北低型の気圧配置時において北太平洋高気圧の西縁部にあたるため,南西の風が鈴鹿山脈を越えてフェーン現象をもたらすからである。南高北低型が現れる時の上層気圧場は,200hPa面における南アジア高気圧の中心がイランモードになっていて,東アジアがわずかに北東シフトしている。その結果,日本付近は亜熱帯ジェット気流がリッジを形成しており,西日本に高気圧が張り出しやすい状態になっていた。これに対し,全面高気圧が多く現れた1994年は,南アジア高気圧の中心がイランとチベットの両方にあって,日本列島が広く大陸からの高気圧に覆われている。このため,北太平洋高気圧の西への張り出しが容易となるだけであなく,上層は大陸からの高気圧に覆われて猛暑年となったものと思われる。したがって,名古屋の猛暑傾向は,イランを中心とする南アジア高気圧の盛衰に左右されていることが判明した。
著者
野上 道男
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2006, pp.5, 2006

研究の目的と問題の所在:<BR> 未来の地形を予測することは地形学の最終目標である.過去を調べるのも現在を知り、未来を予知するためであろう.地球気候モデルが50年後、100年後の気候をシミュレーションによって予測しようとしているように、ここでは10万年後の地形を予知するという目標を立てた.これまでに蓄積された地形学の知識は数式あるいはロジックで表現されているというわけではないので、いろいろ困難は多いが、比較的知識の蓄積が多い過去10万年を目標とした.さらに単なる形態模写ではなく、物質の移動に基礎をおくシミュレーションを目指すことにした.シミュレーションに必要なのは地形変化現象の数値モデル化、モデルとは独立な初期条件・境界条件、およびモデルの中で使われるパラメータの値である.このパラメータは位置が持つ属性やその時間変化として具体的に、その値が与えられる必要がある.<BR><BR>初期条件:<BR> 筑波山および周辺地区の10m-DEM(北海道地図作成)から一辺10mの正六角形DEMを作って使用した.筑波山を200m水没させて架空の島とし、初期条件とした.海面低下時に陸上と同じ詳細な地形データが必要なためである. <BR><BR>境界条件:<BR> 海面変化(気候変化)、地殻運動、火山灰降下を境界条件とした.いうまでもなく海面変化および気候変化は局地的な地形発達とは独立であり、過去10万年の変化がもう一度繰り返されるとした.これはかなり蓋然性の高い仮定であると考えている.一般に地殻運動は段丘形成・分布に大きな影響があることが知られているので、その効果を見るために、間欠的ではあるが長期的には定速な傾動運動を与えてみた.火山灰の降下はこのシミュレーションには必須ではないが、地形面の年代確定のために、間欠的に起こるとした.<BR> 地形変化現象のモデリングとパラメータ: 斜面では拡散モデルで表現される従順化と間欠的かつ確率的な斜面崩壊があるとした.河川では河床礫の摩耗を伴う拡散現象としての砂礫セディメント移動と間欠的に起こる洪水による移動があるとした.海岸付近では波の方向と離岸流の方向、波食限界深などを仮定した.また海食崖の後退については、受食される海食崖の高さ・崖前面の水深の限界などに仮値を与えた.離岸流による物質移動については深さに反比例する拡散係数を持つ拡散現象であるとした.<BR> なお陸上の拡散現象にかかわる拡散係数は岩相と気候で変わるものとした.岩相は基盤岩と軟弱層堆積物に2分し、気候は氷期と間氷期の2時期に分けそれぞれ異なる値を与えた.斜面および河川の堆積物については、現実地形についての計測値を取り入れた.間欠的に起こる現象については台風や梅雨の集中豪雨の頻度を参考に妥当な値を与えた.<BR><BR>シミュレーションの実施:<BR> このシミュレーションでは質量保存則は厳重に守っているので、物質移動によってのみ地形変化(高度変化)が起こるという地形学の大原則は満たされている.そこで、斜面から河川・海へ領域を越えて移動する砂礫フラックス、および河川から海に移動するフラックスを集計してモニタリングした.これらの量は陸地の平均浸食深(速度)そのものである.また拡散係数が基盤岩と堆積物で大幅に変わることから、斜面および河床における基盤岩露出率もモニタリングした. <BR> 斜面および河川における拡散現象については計算を毎年行うことにし、それに先立ち落水線の探査と流域面積の計算を行い、斜面・河川・海岸の3領域を設定した.隔年発生現象については該当年に達したとき、その現象を記述する関数を呼び、それによる地形変化を計算し、500年ごとにそのときの地形、陰影図などを出力させた.<BR><BR>結果:<BR> 陰影図は201枚となるので、これを動画化して10万年間の地形変化を観察した.時間を短縮して、普段は「動かざる大地」を変化するものとして観察するメリットは大きい.もちろん、シミュレーションプログラム開発の過程で、この観察に基づいて、地形学的に許せない変化が起きていないかなどを観察しながら、試行錯誤的にアルゴリズムやパラメータを修正してきた.最終的には不自然なフラックス調整は必要なかった.
著者
菊池 慶之 手島 健治
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2012, 2012

<b>1</b><b>.はじめに<br></b>オフィスビルの取壊と建替を空間的に扱った研究は非常に少ない.これは,オフィスビルの取壊に関して公表されているデータが非常に少ないことや,オフィスビルの耐用年数は長く,取壊自体が少なかったことに起因するものと考えられる.しかし東京においては,大型オフィスビルの大量供給と企業のオフィススペース再編の動きを背景に,2003年頃から老朽化した狭小なオフィスビルの取壊と建替の動きが顕在化してきた.このようなオフィスビルの取壊と建替は,CBDをより高密で集約された業務地域に再編成する可能性がある.そこで本稿では東京都心3区におけるオフィスビルの取壊と取壊後の建替動向を検討し,オフィスビル建替の空間的特徴を明らかにする. 分析にあたっては,日本不動産研究所が実施している全国オフィスビル調査の詳細資料を用いる.全国オフィスビル調査では,2006年から全国のオフィスビルストックに関するデータを公表し,取壊ビルについても集計結果を公表している.調査対象は建物用途が主に事務所機能のビルであり,東京都心3区においては床面積5,000㎡以上のすべてのオフィスビルについて,毎年12月末時点の状況が分かる.このうち本稿では,オフィスストックの全数を把握できる2004年から2010年にかけての取壊を分析対象とした.<br><b>2</b><b>.オフィスビルの取壊<br></b>東京都心3区においては,2004年~2010年にかけて182棟(257万㎡)の取壊があり,2003年末時点のオフィスビルの11.2%(床面積:8.3%)にあたる.取壊オフィスビルの平均築後年数は38年となっている.区別にみると千代田区55棟(123万㎡),中央区66棟(66万㎡),港区61棟(68万㎡)となる.2003年末時点のオフィス床面積に対する取壊比率を町丁別にみると,JR山手線沿線などの利便性に優れたエリアで高くなる傾向にある.<br><b>3</b><b>.オフィスビルの建替<br></b>取壊後の建替の動向を見ると,取壊182棟のうち167棟は建替が完了しているか計画・建設中で建替後の用途が判明している.建替後の用途はオフィスが138棟(83%)と最も多く,続いて住宅が15棟(9%),商業店舗9棟(5%)の順となる.建替後の用途を区別にみると,千代田区では92%がオフィスであるのに対して,中央区,港区では2割強がオフィス以外に用途転換されている.<br><b>4</b><b>.おわりに<br></b>東日本大震災を受けて,オフィスビルの耐震性が改めて注目されているほか,省エネ性能やエネルギー効率などの環境対応も重視されつつあることから,今後性能の劣る築古ビルの取壊が増えていくことが予想される.一方で,立地に劣るオフィスビルでは取壊後の用途転換が進む傾向にあり,東京都心3区では業務地域の再編成が進行しつつあるものと言えよう.
著者
舒 梦雨
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

1.はじめに <br>&nbsp; &nbsp; ジャイアントパンダは世界で最も絶滅に瀕している動物で、中国の西南地区に広く分布している。最近の200年以来、気候の変化と人為的な原因でジャイアントパンダの生息地域どんどん破壊されている。ジャイアントパンダの生息地域面積も減少し続いている。この研究は中国四川省の臥龍自然保護区内のジャイアントパンダの生息地の状況を分析します。 &nbsp;<br><br> 2.目的 <br>&nbsp; &nbsp; この研究はパンダ生存に関するいくつの影響因子を選んで、パンダの生息地を評価する。実際の野生パンダの分布に比べて、パンダにとってどんなかん環境はいいのか、パンダ生存にとって有益なのか、その 生息地の状況を簡単的に分析する。その分析の結果に基づいて、生息地に適当な保護手段を探し出す。 &nbsp; <br><br>3.方法 <br>&nbsp; &nbsp; まずはパンダ生存に関する比較的に重要な影響因子を七つ選択します。その七つの因子は竹の種類、水源からの距離、道路からの距離、人間聚落からの距離、標高そして地形の傾斜です。各因子を3つあるいは4つのレベルを分けて、従来の研究結果に基づいて各レベルに値Rを設定する。 Rはパンダ生存の抵抗力、Rの値は大きくなるほどパンダの生存にとって不利になります。 &nbsp; <br><br> 4.結果 <br>&nbsp; &nbsp; 実際のパンダ分布地域の50%はRが2から31の範囲内にいます。45%のR値が31から53の範囲内にいます。Rが53以上の分布地域は僅か5%。評価の結果と実際のパンダ分布が基本的に一致しています。
著者
増野 高司
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

本報告では,宴席を設けた花見客を対象として,宴席の場所取りの実態を把握するとともに,花見客へのインタビューをもとに,その活動実態を明らかにする.そして,筆者がおこなった全国各地の事例と比較することから,弘前公園の花見の特徴について考察を試みる.<br><br> 調査地は青森県弘前市の中心部に位置する弘前公園(別名:鷹揚公園)である.弘前公園(総面積約49万2千㎡)は,弘前藩を治めた津軽家代々の居城だった弘前城を基に設立された公園である.1918年に第1回の観桜会が開催され,その後弘前さくらまつりに名称を変更し,毎年祭りが開催されている.<br><br> 弘前さくらまつりでは,青森県内のみならず全国から花見客が訪れサクラを楽しむ.弘前市の発表によると,2013年のさくらまつり期間(4月23日~5月6日)には,約202万人が弘前公園を訪れたという.弘前さくらまつりは,全国で開催されるさまざまな祭りと比べても,屈指の規模を誇る祭りといえる.<br><br> さくらまつり期間中には,弘前公園内の各地で,花見客がブルーシートなどを敷き宴席を設ける.本報告では,弘前城本丸地域に宴席を設けた花見客を調査対象とし,直接観察およびインタビューによる調査を実施した.弘前城本丸地域への入場は有料だが,ここからは弘前城に加え岩木山を展望することができ,人気の場所取りスポットのひとつとなっている.現地調査は2013年4月末から5月半ばにかけて,さくらまつり期間を中心に実施した. <br><br> 弘前公園の花見客は,大学生を含めた弘前市の地元の方,日帰り可能な地域の方,そして遠方からの観光客など多様だが,その花見活動は,サクラの咲き具合や天候に加えて,花見の予定日の設定方法,そして花見をするグループの規模などにより,多様であることが示唆された.<br>
著者
横内 颯太 橋本 雄一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

1.研究の目的と方法 地理学分野において,日本のスキー観光の動向は呉羽(2009)などで明らかにされており,バブル経済崩壊以降におけるスキー客の減少や観光産業の衰退が述べられている。しかし,この時期に北海道ニセコ地域は,外国人観光客を取り込むことで活性化を図り,近年ではICTを活用して国際的観光地としてのブランド化を進めている。そこで本研究は,ニセコ町におけるスキーリゾート開発におけるICT活用の実態を明らかにし,その課題を検討する。そのために,まずニセコ町におけるICT導入の経緯,次にスキーリゾートに関する具体的なICT活用を明らかにし,最後に,当該地域のICT活用の課題について述べる。 2.ニセコ町国際ICTリゾートタウン化構想 近年のニセコ町では,年間140万人を超える観光客があるが,北海道経済産業局(2009年)「北海道経済産業局北海道の観光産業のグローバル化促進調査事業報告書」で指摘されたように,情報入手に関する満足度が低い。そこで,2012年から「ニセコ町国際ICTリゾートタウン化構想」として,情報入手を容易にし,地域を活性化のための共通基盤となるICT整備が進められた。なお,この事業の一環である「冬季Wi-Fi実証実験」は,ビッグデータをスキーリゾート開発に活用しようという稀な実験である。 3.冬季Wi-Fi実証実験 「冬季Wi-Fi実証実験」(2013年1月~3月)では,道の駅や観光案内所,またスキー場周辺の宿泊施設など,観光の拠点となる場所の公衆無線LANに加え,スキー場を中心としたWi-Fi が整備された。さらに,スキー場利用客のためのスマートフォン用アプリも試験的に導入され,これによってスキー場利用のルール,施設位置,走行ログ,雪崩情報などを確認できるようになった。なお,このアプリは情報をサーバに蓄積してビッグデータを作成するため,これを解析することで,国・地域別利用者の嗜好を考慮した高度なサービスを行えるようにする狙いがあった。 4.ニセコ町におけるICT活用の課題 ニセコ町における上記取り組みには,システム間情報連携に関する技術面での課題や,無料公衆無線LAN設置に関する制度面での課題が確認された。 今後,このICT活用の取り組みは,リゾート開発だけではなく,ニセコ町が2014年から進めている「ICT街づくり推進事業」において続けられる予定である。特に,ビックデータ活用については行政保有データと複合的に連携させて「ニセコスマートコミュニティ共通ICT基盤」を構築することで,除排雪や防災などでの活用が期待されている。これらの動きを含めて,観光関係だけでなく,まちづくり全体での自治体によるICT活用を明らかにすることが,本研究の課題である。
著者
塩崎 大輔 橋本 雄一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

<b>1</b><b>.研究目的</b><b></b> <br>日本の積雪寒冷地における代表的な地域開発としてスキーリゾート開発があげられるが、バブル期以降のスキー観光の停滞、衰退が著しいことが指摘されている(呉羽,2009)。こうした状況の中、北海道ニセコ地域では外国人観光客の取り込みを図り、特に北海道ニセコひらふ地区においては外国人向けコンドミニアムの建築など開発が盛んな地域として注目され、小澤ほか(2011)や呉羽(2014)など多くの知見が得られてきた。しかし、これまでのニセコ地域を対象とする研究では、特に開発が盛んであるひらふ地区に着目した研究が多く、ニセコ地域全体の開発に関する蓄積は少ない。そこで本研究は建築計画概要書データを用いてニセコ地域における開発の変化を明らかにすることを目的とする。 <br> <b>2</b><b>.研究方法及び資料</b><b></b> <br>本研究の対象地域は北海道虻田郡倶知安町及びニセコ町である。本研究を行うにあたって、倶知安町及びニセコ町の建築確認申請概要書に記載されている新規建築計画680件の建築確認申請概要書をデータベース化する。このデータベースを用いて新規建築の件数及び面積から開発行動の経年変化を分析し、ニセコ地域全域の開発の実態を明らかにする。次にニセコ地域における新規建築の分布変化をみることにより、ニセコ地域における開発の動向を分析する。最後にこれらの分析結果を総合し、本研究は積雪寒冷地におけるリゾート地域における開発の時系列変化を考察する。 <br> <b>3</b><b>.研究結果</b><b></b> <br>(1)ニセコ地域の新規建築の件数及び面積の時系列変化をみることにより、地方地域の開発行動が景気の影響を受けて変化していることが明らかとなった。2006年以降、ニセコ地域全域の新規建築確認申請件数は119件から174件まで増加した。しかし2009年には107件と2006年の件数を下回った。これはリーマンショック後の世界的な金融危機の影響が表れていると考えられる。 <br>(2)2006年から2010年までのニセコ地域の新規建築物の分布変化をみると、2006年には倶知安町ひらふ地区に開発が集中しており、2008年には樺山地区が新たに開発されるなど開発エリアの拡大がみられた(図1)。また2009年にニセコ町字曽我に大規模な開発計画が存在したが、未だ着工はされていない。ニセコ町アンヌプリスキー場周辺では温泉資源が有効活用されており、より高付加価値を求めた企業がニセコ町において開発計画を立てたが、景気の悪化に伴い計画が中断したと考えられる。 <br>(3)新規建築の建築主に着目してみると、日本以外では特にオーストラリアと中国香港の建築主が多く、そのほとんどがひらふ地区で開発を行うという動向が明らかとなった。またひらふ地区では企業と個人の双方が開発を進めていたが、樺山地区やニセコ町では企業による開発が目立った。これはヒラフ地区がすでに開発され土地も細分化されており、企業がより大きい開発地の一括取得を目指した結果であると考えられる。
著者
渡辺 満久 中田 高 後藤 秀昭 鈴木 康弘 西澤 あずさ 堀内 大嗣 木戸 ゆかり
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

海底活断層の位置・形状は、巨大地震の発生域や地震規模を推定する上で欠くことのできない基礎的資料である。本報告では、地震と津波が繰り返し発生している日本海東縁部において、海底地形の解析を行った。海底DEMデータと陸上地形(いずれも250 mグリッド)とを重ね合わせ、立体視可能なアナグリフ画像を作成し、陸上における地形解析と同世の作業を行った。 日本海東縁は新生のプレート境界として注目され、これまでにも海底地形や地質構造の特徴をもとに活断層が多数認定されてきた。また、歴史地震の震源モデルなどについても、いくつかの詳しい検討が報告されている。本研究によって、これまでの活断層トレースと比較して、その位置・形状や連続性に対する精度・信頼性が高い結果が得られたと考えられる。 松前海台の南西部(松前半島の西約100 km)~男鹿半島北部付近を境に、活断層の密度が異なる。北部では、活断層の数はやや少なく、南北あるいは北北西-南南東走向の活断層が多い。奥尻島の東西にある活断層をはじめとして、長大な活断層が目立つ。1993年北海道南西沖地震(M7.8)の震源断層モデルとして、奥尻島の西方で西傾斜の逆断層が想定されているが、海底にはこれに対応する活断層は認定できない。この地震の震源断層に関しては、詳細な海底活断層の分布との関係で再検討が必要であろう。後志トラフの西縁は、奥尻島東縁から連続する活断層に限られている。その東方には北北西-南南東走向の複数の活断層があり、積丹半島の西方沖には半島を隆起させる活断層が確認できる。 松前海台の南端から南方へ、約120 km連続する活断層トレースが認められる。これは、余震分布などと調和的であることから、1983年日本海中部地震(M7.7)の震源断層に相当すると考えられる。久六島西方では活断層のトレースが一旦途切れるようにも見えるが、これは、データの精度の問題かもしれない。これより南部では、北北東-南南西走向の活断層が密に分布している。粟島の北方の深海平坦面を、南から北へ延びる最上海底谷は、深海平坦面を変位させる(北北西側が隆起)の活断層を横切って、先行性の流路を形成している。このような変動地形は、極めて活動的な活断層が存在することを示している。なお、1964年新潟地震の起震断層に関しては、浅部の解像度が悪いため、十分には検討できない。 アナグリフ画像を用いて海底地形の立体視解析を行うことにより、日本海東縁部の海底活断層の位置・形状を精度よく示すことができた。その結果、歴史地震の震源域との比較が可能となった。また、海底活断層の位置・形状に加えて、周辺の変動地形の特徴を明らかにすることによって、地震発生域や津波の発生源の特定や減災になどに関して、より具体的な検証や提案が可能になると考えられる。今後は、歴史地震と海底活断層との関係をさらに詳細に検討してゆく予定である。
著者
藤村 健一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

百舌鳥・古市古墳群は大阪府堺市・藤井寺市・羽曳野市に位置する。2017年、これに含まれる45件49基の古墳が文化審議会によって世界文化遺産の推薦候補に選ばれた。早ければ2019年にも正式に登録される可能性がある。<br> 推薦候補に選ばれた古墳には、仁徳、履中、反正、応神、仲哀、允恭の各天皇陵古墳が含まれる。このうち、堺市の仁徳天皇陵古墳は国内最大、羽曳野市の応神天皇陵古墳は国内2番目の規模の古墳である。天皇陵は皇室祭祀の場所であり、現在でも宮内庁が管理している。<br> 発表者は2016年、京都の拝観寺院(観光寺院)の意味や性格について報告した。これらの寺院に対しては、主に宗教空間、観光施設、文化財(文化遺産)という3種類の意味が付与されている。これらは互いに異なる立場から意味づけられており、対立する可能性をはらむ。1980年代の古都税紛争は、このことが一因であったと考えられる。<br> 天皇陵古墳に対しても、様々な立場から異なる意味づけがなされ、そのことが摩擦を生んでいる。本研究では百舌鳥・古市古墳群の天皇陵古墳を事例として、そこに付与された様々な意味を整理・分析するとともに、意味づけを行っている人々についても調査し、摩擦の要因を解明する。<br> 百舌鳥・古市古墳群の天皇陵古墳に付与された意味は、①聖域、②文化財、③観光地・観光資源、④世界文化遺産の4つに集約できる。①の見方をとるのは主に宮内庁と皇室、神道界の人々や、皇室崇敬者・皇陵巡拝者である。②の見方をとるのは、主に古墳を研究する歴史(考古)学者である。③は地元の経済界や観光業者・観光客を中心とした見方である。④は、主に世界遺産登録運動の推進役である地元自治体や文化庁の見方である。<br> ①~④の意味には重複する部分もあるが、これらは一致しておらず齟齬もある。とりわけ、①の見方をとる立場と②の見方をとる立場の間では対立が顕著である。天皇陵古墳を②とみなす歴史学者は、宮内庁を批判してきた。<br> ①の立場をとるのは宮内庁・皇室関係者だけでない。神道界や皇室崇敬者、皇陵巡拝者には、天皇や皇室に対する尊崇の念をもって天皇陵を聖域視する人々が少なくない。<br> こうした人々の中には、天皇陵古墳をもっぱら文化財とみなす歴史学界や、世界遺産登録を推進する行政、観光資源としての利用を図る業者を非難する人もいる。ただし、現代の皇陵巡拝者は必ずしも皇室崇敬者に限らない。彼らは「陵印」収集など多様な動機をもって巡拝している。
著者
吉田 国光 形田 夏実
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

<b>1.研究課題</b><br> 本研究では,石川県金沢市において「伝統野菜」として生産される15品目の「加賀野菜」を事例に,それらの作物の生産および出荷の動態を分析することで,小規模な都市近郊産地の存続に向けて農産物のブランド化が果たす経済的・非経済役割を明らかにすることを目的とする. <b><br>2.研究手順と対象地域</b><br> 研究手順としては,まず統計資料などをもとに対象地域の農業的特徴とその変遷を検討し,「加賀野菜」としてブランド化される品目の概況を示す.次に,金沢市農産物ブランド協会への聞き取り調査で得たデータをもとに,農産物のブランド化をめぐる組織体制や制度について整理する.さらに,対象地域における各品目の生産部会への聞き取り調査をもとに,15品目の生産と流通の動態を,慣行栽培と「加賀野菜」栽培との差異に着目して分析することから,各品目のブランド化が産地の存続に果たしてきた役割を明らかにする. 研究対象地域に選定した石川県金沢市は近世より城下町として発展してきた.市街地周辺部では自然条件の微細な差異に応じて様々な農業生産が展開している.気候条件として,夏期は高温で降雨が少なく,冬期には降雨・雪が多く日照時間は少ない.地形条件としては金沢市中心部の東西部を犀川と浅野川が流れ,南東部は山地となっている.中心部から周辺部へと広がる金沢平野では金沢市の水田が卓越している.海沿いには砂丘地が広がり,サツマイモやダイコン,スイカ,ブドウなどの畑作・果樹作が盛んである,2010年国勢調査によると,産業別就業者の割合は第1次産業で1.5%,第2次産業で22.0%,第3次産業で76.5%となっている.このうち農業就業者は減少傾向にある.<br><b>3.「加賀野菜」をめぐるブランド化の諸相</b><br> F1種の登場以降,「加賀野菜」を含む在来品種の生産農家は減少傾向にあった.こうしたなかで種の保存・継承の気運が高まり,1990年に金沢市地場農産物生産安定懇話会が組織され,在来品種の保存に向けた取り組みが開始された.1992年には加賀野菜保存懇話会が新たに組織され,保存対象となる在来品種を「加賀野菜」と命名した.1997年には,金沢市特産農産物の生産振興と消費拡大の推進を目的とする金沢市農産物ブランド協会が設立され,「加賀野菜」を通じた農業振興が取り組まれるようになった.「加賀野菜」は「昭和20年以前から栽培され,現在も主として金沢で栽培されている野菜」と定義され,「金時草」,「ヘタ紫なす」,「加賀太きゅうり」,「せり」,「加賀れんこん」,「さつまいも」,「たけのこ」,「源助だいこん」,「打木赤皮甘栗かぼちゃ」,「金沢一本太ねぎ」,「加賀つるまめ」,「二塚からしな」,「くわい」,「赤ずいき」,「金沢春菊」の15品目が認定されている. これら15品目の生産・流通の動態を分析した結果,15品目は3つに類型化できた.まず1つ目として,「さつまいも」,「れんこん」,「加賀太きゅうり」,「源助だいこん」では生産量が多く,県外流通の割合も高かったことから,ブランド化が生産者へ経済的メリットを与えているといえる.これらの生産者の多くは専業農家であり,これらの品目から得られる農業収入の割合も高かった.これらの品目の生産者は金沢市という小規模産地の中核的存在といえ,ブランド化が産地の存続に一定の経済的役割を果たしていると考えられる.2つ目の「ヘタ紫なす」,「加賀つるまめ」,「金沢一本太ねぎ」,「くわい」,「赤ずいき」,「金沢春菊」,「せり」,「二塚からしな」では生産量が少なく,流通も県内を中心としていた.ブランド化が生産者へ与える経済的メリットは小さいといえる.しかし,これらの品目の生産農家数は僅かとなっており,ブランド化が在来品種の保存に一定の役割を果たしていると考えられる.在来品種の保存自体に経済的メリットは見出しにくいものの,「加賀野菜」に必須の要素となる「歴史性」を担保する非経済的役割を果たしていると考えられる.3つ目の「たけのこ」,「金時草」,「打木赤皮甘栗かぼちゃ」については,先の2類型の中間的な性格を有していた.以上のことから,「加賀野菜」として統一されたブランドが構築される一方で,作物の特徴によってブランド化の意義は異なる様相を呈し,金沢市という都市近郊の小規模な農業産地の存続に様々な役割を果たしていた.
著者
福岡 義隆 松本 太 白敷 幸子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2005, pp.15, 2005

1.はじめに都市の温暖化を緩和することは昨今の温暖化対策上でも火急の課題となっている。温暖化対策の一つである緑化として公園や街路樹などがあるが、それらを合計してもわが国の都市の緑地率は、欧米にくらべて極めて低い。緑地がどのくらい必要なのか、都市の発展を維持しながらの最適規模の緑化率を求め、それを目標に対策を講じねばならない。 通常の緑化空間の急速な拡充・改善が望めない現状においては、「屋上緑化」や「壁面緑化」という特殊空間緑化政策が国や自治体で推進されつつあるが、その実態と効果についての基礎的な研究は国内外ともに極めて少ない。都市内緑地の多い欧米でも殆どない。そこで、本研究では「さいたま新都心」駅前に建設された屋上緑地「けやきひろば」(欅広場)を屋上緑化施設とみなして、その温暖化への緩和効果を微気象学的に把握することを一つの目的としている。けやきの森が有するであろう気象緩和効果と、それに伴う階下の温熱環境への影響などについて、気温・湿度の分布状態や、樹冠部での熱収支・水収支のメカニズムなどから定量的に把握する。2.研究方法「けやきひろば」は埼玉県さいたま市の「さいたま新都心」JR駅わきサッカー場さいたまアリーナ前に、2000年に造られた大規な屋上緑化施設(植栽は2001年2月完成)の一種である。面積約10,200_m2_(おおよそ100mx100m)で、樹高約10mのケヤキが220本植栽されている。直下の1階は商店飲食店街および室内的ガーデンなどが混在し、地下1階は駐車場となっている。「けやきひろば」における屋上緑化効果の研究については、2001年から2004年にかけて、3年間、夏秋冬春の各季節に1昼夜(24時間)、気温・湿度・風などの微気象の予備観測を行ってきた。2005年から2007年にかけて本調査を実施し、併せてサーモトレーサによる熱画像撮影(NEC三栄)も始めている。予備調査では「けやきひろば」における30箇所での気温・湿度の分布状態に加え、周辺の気温分布、夏季においては1階(この「けやきひろば」直下)における7箇所での気温・湿度などとの関係を比較考察し、おおよその緑化効果が予測できた.3.研究結果(1)これまでの傾向では、特に夏季は屋上の芝生の広場にくらべ樹下が低温で、階下は更に低くなり、早朝は丁度逆になることも分かった。(2)けやき広場と周辺の気温差については2005年夏秋冬の観測結果の一部から、図1及び図2のように明らかに屋上緑化である「けやき広場」は周辺より0.1_から_1.7℃低温であることが示された。(3)サーモトレーサによる熱画像でみると、真夏(8月)の例では、けやき林の樹下で約35℃、樹間で37_から_38℃、樹幹部で約40℃、ビル屋上のコンクリート表面は40_から_44℃であった。
著者
香川 雄一 岡島 早希
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

1.はじめに<b> </b>航空輸送は迅速性に優れた輸送手段であるが、航空機が発着する空港周辺地域においては、航空機による騒音問題が発生している。我が国では、大阪国際空港や米軍基地に関する騒音訴訟が周辺住民によって提起されてきた。こうした地域を対象とした研究は数多くみられる一方で、航空機騒音が発生しながら、これまであまり注目されてこなかった地域も存在している。 現在、航空機の低騒音化が進み、発生源対策は大きな改善がみられる。そのため、今後は住宅防音工事をはじめとした空港周辺対策の重要性が増していくと考えられる。そこで本研究では、名古屋飛行場周辺住民による航空機騒音に対する意識を明らかにし、今後の空港周辺対策における課題を明らかにしていく。本研究の意義は、空港周辺自治体の参考となることと航空機騒音問題の解決に寄与することである。<br>2.研究方法 まず、予備調査により把握した全国の空港周辺自治体に対し、空港周辺対策の実態等に関するアンケート調査を実施した。次に、名古屋飛行場の周辺住民を対象としたアンケート調査を行った。調査票は、騒音対策区域に含まれる区域内の地域と、それ以外の区域外の地域に分けて配布した。この調査結果をもとに、クロス集計やGISを用いた分析を行った。その結果から、名古屋飛行場に関する空港周辺対策の改善策を提案する。<br>3.結果及び考察 全国の空港周辺自治体を対象としたアンケート調査では、航空機騒音に係る環境基準の達成状況は改善傾向であることがわかった。しかし、航空自衛隊基地の周辺など、一部の地域では騒音に対する苦情も寄せられており、地域差がうかがえた。名古屋飛行場の周辺住民を対象に行ったアンケート調査結果をクロス集計したところ、区域内外とも、航空機騒音に対してうるさいと感じる住民が多く存在することを把握した。中部国際空港開設に伴う、2005年の県営化によって民間機の発着数が減少した後も、主に自衛隊機による騒音被害が発生していることがうかがえた。また、航空機騒音への問題意識に関してGISを用いて地図化したところ、飛行ルート直下の地域では区域内だけでなく区域外においても騒音への被害意識が高いことがわかった。住宅防音工事等の助成を受けるには、対象区域や築年数などの条件を満たさなければならないため、施工を断念する住民も存在する。さらに、施工後の修理に困っている住民もおり、継続的な対応の充実が望まれる。空港周辺対策に関する認知度は、全体的にかなり高い結果となったが、若い世代や居住年数が短い住民を中心にやや低い傾向をみせた。本調査の結果により、名古屋飛行場の空港周辺対策の改善策として、防音工事等の助成を受けられる条件の緩和と工事後も補助の充実が望まれる。県営化によって対象区域が縮小されたが、現在においても住宅防音工事をはじめとする空港周辺対策の必要は高いと推測される。また、空港周辺対策に関して周知を行い、住民の関心を高めることも必要である。空港周辺地域においては経済的な利点も存在するが、航空機騒音に悩む住民が存在することを忘れてはならない。今後も、地域住民と空港が共生していくための対策が必要である。
著者
安達 常将
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2004, pp.81, 2004

本発表は,今まであまり注目されてこなかった「深夜バス」に焦点を当てたものである.社会経済的視点からバスを分析した地理学的研究には,従来から過疎地域のバスや高速バスを扱った研究があり,最近ではコミュニティバスに関する研究も増えている.しかし,大都市圏郊外の路線バスを対象とした研究は比較的少なく,特に本発表が対象とした「深夜バス」に関するものはほとんど存在しないといえる.<br><br> ここでは「深夜バス」という語を,深夜路線バスと深夜急行バスを合わせたものと定義する.前者は,23時以降に郊外の主要駅と住宅地を結ぶ運賃倍額のバスで,鉄道からの乗り換え客が利用の大半を占める.後者は,終電後に都心のターミナル駅と郊外を結ぶバスで,終電に乗れなかった人達が輸送の対象となる.したがって,深夜において一定以上の交通需要が発生する区間で運行される点で両者は共通するものの,バスとしての性格には相違が見られる.この点に注意しつつ,「深夜バス」の発達過程を追い,深夜における交通需要の変化とその社会背景を明らかにしていきたい.<br><br> 対象地域は「深夜バス」が最も発達している南関東1都3県とした.国土交通省関東運輸局に「深夜バス」運行事業者を問い合わせの上,各事業者に対し,各系統の起終点・キロ程・ダイヤ・運行開始年月日・利用者層に関するアンケートを行った.さらに,一部の事業者に対しては聞き取りも実施した.その結果,以下のことが明らかとなった.<br><br> 実質的な「深夜バス」の誕生は,1971年に東武が運行を開始した上尾駅から西上尾第一団地までの路線である.ここには行政からの強い要請があった.23時以降の運賃倍額徴収制度もこのとき設けられたものである.大規模住宅団地が郊外で造営され,通勤が長距離化する一方で,深夜における郊外駅からの公共交通の確保が課題となっていたことが背景にある.<br><br> 本格的に「深夜バス」が発達するのは,1980年代後半からである.これは社会の夜型化を反映するものと推測され,バブル期に系統数が急増した.ピークの1989年には,最多の44系統が新設されるとともに,深夜急行バスが初めて登場した.バブル期は,深夜における郊外からの公共交通だけでなく,郊外への公共交通も不足していたのである.<br><br> しかし,バブル崩壊に伴い,「深夜バス」も縮小に転じる.深夜急行バスでは路線の統合や廃止が相次ぎ,深夜路線バスでは運行本数の減少や終車時刻の繰上げが行われた.バブル崩壊以降の1990年代を通し,深夜急行バスの新設はほとんどなく,深夜路線バスも開設ペースが鈍化し,東京都心から近距離の補完的な開設が目立った.<br><br> 再びこの状況が変化するのは2000年以降である.2003年に開設された深夜路線バスの系統数は20に達し,バブル期以来の数字を記録した.つまり,現在再び「深夜バス」に対する需要が高まっていることを指摘できる.運行事業者の話によると,「深夜バス」は,残業帰りの足としての安価な交通機関として人気があり,長引く不景気が「深夜バス」の発達を助長している.バブル期に比べ深夜時間帯における全体の交通需要は少ないものの,安価な交通機関としてシェアを拡大していることが,近年の発達につながっていると考えることができる.<br><br> 本発表は,主にマクロな視点に立ったものであったが,「深夜バス」の発達過程を明らかにする上で,今後はミクロな視点に立った分析も必要であろう.<br> <br>
著者
水田 良幸
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

1.要旨<br>&nbsp; 国土地理院では ,これまで ,国の地図作成機関として 国の地図作成機関として 国の地図作成機関として 国の地図作成機関として 国の地図作成機関として 国の地図作成機関として 国の地図作成機関として 国の地図作成機関として 国の地図作成機関として 国の地図作成機関として 国の地図作成機関として ,地名を図 に表記することで多くの地名を扱ってきた に表記することで多くの地名を扱ってきた .また ,国際的な枠組みで ある国連地名標準化 会議 に 参加するともに 参加するともに 参加するともに 参加するともに 参加するともに 参加するともに 参加するともに 参加するともに 参加するとも,地名のローマ字表記や 英語表記などの地名 の地図表記に関わる の地図表記に関わる の地図表記に関わる の地図表記に関わる の地図表記に関わる の地図表記に関わる の地図表記に関わる の地図表記に関わる の地図表記に関わる 基準 ,地 名集の作成など名表記の標準化に資する取り組みを行ってきた 表記の標準化に資する取り組みを行ってきた .本稿では ,これら の 地名に関する 国土理院の取り組みついて報告地名に関する 国土理院の取り組みついて報告する.<br><br> 2.国土地理院の取り組みの概要<br>2.1地名の図表<br>国土地理院では,2万5千分1地形図をはじめとした国の基本図を整備しており,基本図の重要な構成要素として行政名,居住地名,自然地名等の地名を地図に表記している.行政名,居住地名については,地方自治法や住居表示に関する法律などの法律に基づき定められた名称を地図に記載する.一方,多くの自然地名については,地名そのものを決定する仕組みや基づく法律が基本的にはないため,地元で呼び習わされている名称を地元自治体に調査・確認して地図に記載している.山名などで複数の地域,自治体に跨る場合には,関連する自治体に調査,確認をし,場合によっては自治体間での調整を経て地図に表記している.なお,複数の名称が存在する場合には,地図上で併記するなどの対応をとる.また,自然地名については,国土地理院が作成する地図(陸図)と海上保安庁が作成する地図(海図)で統一した地名表記を行うための協議会を昭和37年に設置し,両図の地名表記の統一を図っている.現在,国土地理院の地図において居住地名と自然地名をあわせて約42万件の地名が記載されている.<br><br> 2.2国連地名標準化会議<br>地名の標準化に関する国際的な枠組みとして,1967年から国連地名標準化会議が開催され,国土地理院は1971年の第2回会議から参加している.5年ごとに開催される国連地名標準化会議の他,2年に一度開催される国連地名専門家会合にも参加しており,日本の地名の現状や国土地理院の地名に関する取り組みを報告している.<br><br> 2.3 地図に記載する地名表記に関する基準の作成<br>国際化の進展や訪日外国人の増加に伴い,国土地理院では地図に記載する地名表記の基準の作成に取り組んでいる.具体的には,地名等のローマ字表記や英語表記ルールの作成である.地名の英語表記ルールは,2020年の東京オリンピック・パラリンピックの円滑な開催,観光先進国実現のため,訪日外国人にわかりやすい地図作成ルール化の一環として,有識者を交えて検討した結果を踏まえて作成したものであり,平成27年3月に公表している.地名等の英語表記ルールは,今後国土地理院が作成する英語版地図に適用するとともに,公共測量作業規程の準則に組み込み,地方公共団体,民間の地図会社等にも普及を図っている.また,ローマ字表記の原則,地名等の英語表記ルールについては,国連地名標準化会議において,地名表記の標準化に関する取り組みとして報告している.<br><br> 3.まとめ<br>国土地理院では,国の地図作成機関として,多くの地名を地図に表記している.特に自然地名については,地元で使われている地名,呼称を関係する地元自治体に調査・確認・調整を行い,地図に表記している.地図の表記に関しては,海上保安庁と連携し,地名表記の標準化にも取り組んできた.また,国際化の流れの中で,ローマ字表記,英語表記の基準の作成など,外国人や海外に向けた取り組みを行っている.特に近年急増する訪日外国人に対して,外国人にわかりやすい地名表記を普及させることは喫緊の課題である.<br><br><br><br>
著者
櫛引 素夫 西山 弘泰
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

<b>1.はじめに</b><br> 青森大学は2013年から、立地する青森市・幸畑地域を対象に、交流をベースとした教育・研究・地域貢献活動「幸畑プロジェクト」を展開してきた。特に幸畑団地(人口約4,500人、約2,300世帯)との協働に基づく住民ニーズに応じた空き家調査、住民主体の空き家活用の試行などが進展、転入の実態も明らかになった。成果の一部は2014~2018年の日本地理学会、東北地理学会で報告した。<br> 本研究では5年間の活動を総括し、幸畑団地の空き家発生から再利用・住宅新築に至るプロセスを分析するとともに、空き家をめぐる課題や調査活動について、①地域社会における位置づけ、②大学が果たすべき役割、③地域の将来像の検討と構築に大学や地理学はどう関わり得るか、といった観点から考察する。<br><br><b>2.幸畑プロジェクトの進展</b><br> 幸畑団地は、青森市がコンパクトシティ政策で脚光を浴びた2000年代に、高齢者の街なか居住や子育て世代との「住み替え」のモデル地域として各種施策が進められた。しかし、その結果、皮肉にも「衰退する郊外の象徴」という意識が青森市内や地元に浸透、2013年ごろには住民自身も人口減少や空き家増加に危機感と不安を抱いていた。<br> 発表者は、団地内で空き家の悉皆調査を初めて実施するとともに、住民への報告会を企画した。一連の過程で地域や大学と情報・認識の共有がなされ、さまざまな協働の起点ができた。2014年には青森大学を交えて幸畑団地地区まちづくり協議会が発足し、その後、空き家活用試行や「お試し移住」体験に取り組んだ。<br><br><b>3.経緯と成果</b><br> 空き家調査を端緒として、定期的に幸畑団地を調べ、結果を住民、市内の行政・不動産関係者らと検討する仕組みが整った。調査は常にまちづくり協議会と大学との共同作業として設計、実施し、信頼関係の深化や住民の主体性構築を重視した。2016年には地元町会と学生が合同で新規転入者の調査票調査を実施し、県内の多様な地域から住民が集まっている状況を把握できた。<br> 2018年に5年ぶり2回目の悉皆調査を実施した結果、過去の調査と併せて、①人口減少と高齢化は市平均を上回るペースで進行している、②にもかかわらず住宅の新築が進み、5年で120軒前後が新築された可能性がある、③空き家や空き地を再利用して住宅を新築した事例が多数存在する、④最大要因は安い地価と乗用車2台以上を置ける敷地の広さである、⑤新築を含め、地区によっては年に1割程度の住民が借家を中心に入れ替わっている、⑥子育て世代を中心に住宅新築を伴う転入が続いており、30年後を視野に入れた地域運営の検討が急務である、といった状況が明らかになった。<br> 空き家は、単身・夫婦の高齢者の入院や遠方の子どもによる引き取りなどによって発生するが、配偶者との死別後、空き家に戻り再居住を始めた住民も確認された。また、新築・リフォームに伴う転入者は①幸畑団地で育って転出後、親の近くへ転入、②市内の他地域出身者が転入、③市外出身者が転入、といったケースがあることが分かった。<br> 青森大学は地域との接点を持たず卒業する学生が少なくなかったが、近年は地域貢献演習などのカリキュラムが充実、地域が協働対象として定着している。<br><br><b>4.展望</b><br> 空き家問題は「地域住民がどこまで関与するか、できるか」が大きな焦点となる。危険空き家が発生してしまえば、法的・技術的には、一般住民の手が届きにくい。しかし、空き家発生につながる可能性が高い高齢者世帯などを対象に、事前に周囲と対応を相談する仕組みをつくるなどの対策を講じれば、発生抑止が期待できる。地域の見守り活動などと絡め、空き家やその前段階の家屋の活用・維持を考えていく上で、「空き家問題を地域として受け止め、考える」機運の醸成は重要である。<br>幸畑団地の空き家が減少しているとはいえ、幸畑プロジェクトそのものが「物件としての空き家の解消」「空き家の継続的活用」につながっているわけではない。コミュニティ衰退に伴う課題も山積している。それでも、空き家問題への取り組みは地域の実情把握や意識変革、協働の起点となった。幸畑地域は現在、青森市全体の将来像を考える人々の拠点となりつつあり、市域をカバーする「地域メディア」づくりが、幸畑を中心に始まっている。また、筆者らが2018年12月に青森大学で開催した「幸畑団地居住フォーラム」では、出席者から、空き家調査・対策にとどまらず、地域と大学の協働をベースに、学生も主役とした、創造的な〝攻め〟の地域づくりを期待する提案がなされた。<br>「物件としての空き家問題」を超えた持続可能な地域づくりに向けて大学の役割は重要である。また、時間・空間と「人の生き方」を軸に、地域に併走できる地理学には、大きな優位性と使命があると結論づけられよう。<br>(JSPS科研費15H03276・由井義通研究代表)
著者
佐野 誠
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

近年、人口減少や高齢化に伴い高齢者の移動について問題になっている。「高齢者生活意識調査」(2014)によれば、高齢者の13%が「外出時」に困難を感じているとされる。特に大都市郊外では、免許保有率が低く買い物や通院をするためには公共交通機関を用いる必要性がある。<br><br>横浜市をはじめとする東京大都市圏郊外では、起伏の激しい地形を切り開き開発がすすめられた地域が多く、高齢化の進展とともに行動に関する問題が顕在化しており、適正な行政の負担による公共交通空白地の解消が課題となっている。<br><br>地域住民にとって移動コストの軽減をいかに図るかが、高齢化の進む地域における公共交通導入に向けた取り組みに結びついていると考えられる。<br><br>横浜市では2007年度末までに人口の88.4%が駅まで15分以内に到達できるようになったとされるものの、それ以降においてもバス路線の開設や改善を求める地域が存在している。そこで本研究では、横浜市の政策が転換した2007年時点の交通空白地分析を行い、交通問題を抱える地域を把握する。このことから、地方部とは異なる都市部の交通問題を明らかにすることを目的とする。<br><br>また、これら空白地域を含め地域交通が導入された地域において、どのような経緯で導入されたのか、またどのような主体によって開設されたのかについて明らかにする。<br><br>まず、交通空白地を選定するにあたり、GISを用いて交通不便地域を選定する。既存の交通空白地帯の研究ではバス停または駅からの直線距離を用いられているが、実際に歩行することを考慮し、総務省統計局が公開している「地図で見る統計」とフリーGISソフト「QGIS」を活用し、道路線データを用いたネットワーク分析を行う。徒歩で到達できるエリア(4㎞/hとし、駅から1㎞=15分、バス停から500m≒8分)に含まれない地域に居住する人口を、250mメッシュデータを用いて分析する。人口のメッシュデータは総務省統計局、駅とバス停情報は国土数値情報で公開されているものを用いる。また、明らかになった地域において路線バスなどの導入状況を、事業者やバスマップ、新聞記事や聞き取り調査などから明らかにする。<br><br><br>既存の方法では横浜市域の人口集中地域において、ほぼ交通不便地域は解消されているものと考えられていたが、金沢区や瀬谷区、緑区、旭区などにおいて線路や崖線によってアクセスが困難な地域が明らかになった。<br><br>これらの地域においては事業者による路線開設のほかにも、横浜市の「地域交通サポート事業」を受けて路線を開設したケースも見受けられた。<br><br>開設が確認できた地域のうち、調査が可能であった地域について導入経緯を調査した結果、地域住民からの要望を自治会・町内会がとりまとめ行政・事業者へ要望をしたことが明らかになった。中には、地域が誘致したもの利用がつかず、廃止議論が出てから利用が活性化するケースもあり、地域による議論の盛り上がりが路線開設に重要な役割があるものと考えられる。
著者
平 篤志
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2003, pp.20, 2003

本稿の目的は,フランス・ドイツ・スイス国境地帯に位置するアルザス地域における多国籍企業の立地展開の特徴を地域経済の動向と関連づけながら解明することである.まず,当該地域における多国籍企業の立地パターンと属性について説明し,次に多国籍企業による直接投資と当該地域の社会経済的変化との関係について分析を試みる.研究方法として,既存の資料・文献類を分析したほか,聞き取り調査と資料収集を中心とした現地調査を2002年7月に実施した. アルザス地域は,西側で接するロレーヌ地域とともに,古くから交通・交易の要衝であり,また近代工業の成長とともにカリに代表される地下資源の存在が注目されるにおよび,過去において仏独間で当該地域獲得のための戦争が繰り返されてきたところである.アルザス地域は,農畜産物によっても知られるが,18世紀にヴォージュ地方で興った綿工業が端緒となり,フランス有数の繊維工業地帯となった.さらに,ライン川沿岸には,金属,化学,機械,電機などの工業が立地し,製造業は今日においても地域経済の中で重要な地位を占めている.アルザス地域は現在,EU統合が進行する中,EU中軸地帯としての地理的位置を獲得し,国境を接するドイツ・スイス側地域との連携を強めながらさらなる発展を目指している. アルザス地域のこのような地理的位置と工業的基礎および高水準の労働力の存在は,多くの多国籍企業の立地をもたらした.当該地域における多国籍企業の立地は,1950年代のドイツ系企業に始まる.1999年時点において,当該地域には482社(全国比率5.3%)の多国籍企業(外資出資比率50%超)が進出している.その過半数(63%)が,ストラスブールを中心とする北部のバ・ラン県に立地している.業種別にみると,機械および化学工業を主体とする製造業が直接投資の中心であるが,サービス業に従事する多国籍企業も増加しつつある. これら多国籍企業は,地域内の雇用創出に貢献している.多国籍企業の全従業員数は,アルザス地域の民間企業従業員総数の4割を超え,雇用創出数ではフランス国内地域別で第3位である.多国籍企業の中では,EU系の,中でもドイツ系企業が多くの労働者(2.2万人,39%)を雇用している.つづいて,アメリカ合衆国系企業(1.4万人),そしてスイス系企業(8,000人)が重要な雇用者である.日系企業は,自動車,電気機器関連の企業が進出しており,全体の雇用者数は約3,000人である. アルザス地域のこれからの課題は,国境をまたいだドイツおよびスイスの周辺地域との連携をさらに密接なものとしつつ,EU圏外からも外資導入を積極的に進めながら,EU中軸地帯に位置する地理的優位性を最大限に生かした成長戦略を策定し,実行に移していくことである.
著者
田上 善夫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2007, pp.198, 2007

<BR>I はじめに<BR> 山地周辺などに社寺をはじめ多くの信仰施設がおかれるが,その成立は近世の新田開発や寺社政策による寺町の形成以前にさかのぼるものが多い。また西国三十三観音霊場などの伝統的な霊場の札所も,山の中腹や山麓に多くおかれる。それらはさらに樹木,巨岩,滝などの傍らに位置することも多いが,神社にせよ寺院にせよそれのみでなく,境内社や小祠その他多くの施設の複合として存在するものが多い。こうしたものの中には,その影響範囲が山岳とその周辺地域にとどまらず,全国的に広がるものもみられ,また地域にはそれらの影響範囲が重畳している。こうした施設の個々の位置における関係,またそれらの相互間での関係について,若干の検討を試みる。<BR>II 山岳にかかわる信仰施設<BR> 中央日本のとくに北信越,東海,日本海地方を中心に,立山,朝日,八乙女,戸隠,鹿沢,身延,秋葉,蓬莱,谷汲,横蔵,青葉,中山,大山,清水,美保などにおいて,主要な施設について現地調査を行った。また山岳信仰に通じる施設は,現在もさまざまな神社などとなって伝わっている。このうち神社について,「全国神社祭祀祭礼総合調査(神社本庁,1995)」を利用して,主要なものを抽出した。神社名称またそのよみかたはさまざまであるが,たとえば白山神社は,はくさん,しらやま,しらみね,などとよむものとした。抽出した主要な神社について,全国で集計すると,山について山・嶽・峰にかかわる名を冠するもの,また水について水・滝にかかわる名を冠するものがとくに多い(表)。また固有の山岳名を冠するものも多く,白山,大山などはとくに多い。一般に数が多いほど広域にわたるが,富山の牛嶽や新潟の守門などのように少数のものは地域的な分布にとどまっている。<BR>III 関連する主要な神社の分布<BR> 前記の山岳にかかわる主要神社は,およそ以下のような範囲に広がる。羽黒神社は,越後と,山形・置賜から中通りを経て関東平野に多くの分布がみられる。日光神社は関東平野北部と越後平野に,赤城神社は群馬と埼玉方面に多い。富士神社は中央日本に多いが,富士山周辺にはみられない。弥彦神社は越後平野と会津に,戸隠神社はとくに安曇野に多く,石動神社は,能登から越後平野に多く,立山神社は立山周辺と石川・福井,剣神社は宝達,上越,福井,濃尾に多い。白山神社は北陸とくに福井,濃尾平野を中心とするが,白山から東方へ広がり関東にも多く,中心は福井市,岐阜市付近にある(図)。分布範囲は平野部に広がる一方,全体での中心は経済・社会的中心から異なる位置にある。<BR>IV 山岳社寺の変容<BR> 先述の白山の神の本地は十一面観音とされるように,神仏のかかわりは深く,寺社には神宮寺や鎮守社が相伴われるものが多い。神社の名称に山や水を示すものが多いように,もともと多くは山岳においてさまざまに祀られ,さらに中には地方の山岳の神あるいは祖先の神として,有力なものも現れたと考えられる。多くの神社の祭神には大和の神名が含まれ,さらに本地の仏が祀られるとともに,さまざまな信仰施設の複合へと変容した。さらにとくに地方において多様な対象を結んで霊場が開創されているが,広域においても神仏の複合した霊場が開創されている。中世における一国霊場のもつ神官・僧侶と為政者の領国支配の機能が指摘されるが,こうした山岳社寺の複合にも多くの機能が含まれるものと考えられる。