著者
藤垣 裕子
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.10, pp.25-41, 2004-11-30
被引用文献数
1

本稿の目的は,環境社会学に対して科学技術社会論がどのような貢献をすることができるか検討することである。科学技術社会論の論客の一人であるSteven Yearlyは,『STSハンドブック』の環境に関する章のなかで,「科学技術社会論は,環境に関する問題を明らかにしたり,論争を解決したりすることへの科学のあいまいな役割について説明する枠組みを提供する」(Yearly, 1995)と述べている。この科学のあいまいな役割について,本稿では,フレーミング,妥当性境界,状況依存性,変数結節,という概念を使って順に解説する。環境社会学と科学技術社会論の橋渡しは,現在の日本で別々の文脈で語られている市民運動論と社会構成主義,科学と民主主義の議論を,連動した形で再度編成することによって進み,かつ両者の間に豊かな交流をもたらすだろうと考えられる。
著者
丸山 康司
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
vol.3, pp.149-164, 1997

<p>環境問題に対する認識が深まるにつれて、自然との共存という概念が注目されてきている。だが、共存の対象となる自然についての認識は必ずしも深まってはいない。自然保護に関する意識を見ると、観念的な自然保護に規定されている傾向が認められ、人間の介入を規制することによって自然が保護されると理解されている。しかし、実際に自然と接触のある地域においては状況が異なり、より具体的なレベルで自然保護を理解している。ここで、注目されるのが生活と環境という領域における諸研究であるが、人間-自然関係のうち親和的ではない関係の持つ意味について、十分検討する必要がある。</p><p>青森県脇野沢村では、天然記念物である北限のサルによる食害問題が深刻化しており、サルの保護と地域社会の両立が大きな問題となっている。このことが問題化した原因としては、明治以降の狩猟、森林伐採、拡大造林、サルの観光資源化、不良作物の投棄などの事実が複合的に作用したことが指摘できる。自然との共存とは、これらを総合的に扱いながら問題の解決へ向けて対策をとることであると思われる。</p><p>ここでは、サルの保護と被害という状況の中で、総合的な解決に向けた試みが行われている。その1つの理由として、サルが存在感に満ちたものとして認識されていることがあげられる。このような認識を得るに当たってサルの否定的な要素も組み入れた上での総合的な接近が重要な意味を持っていると考えられる。</p>
著者
近藤 隆二郎
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
vol.13, pp.48-70, 2007
被引用文献数
2

<p>参加型と称される計画づくりの現場では,「ワークショップ=正当な参加」という暗黙の了解があるため,ワークショップそのものが目的化してしまう危うさや,結果として,生活感と乖離した抽象的なビジョンが決められていく傾向がある。形式的な参加に行政も市民もが妥協しているとも言える。市民が何らかのかたちで継続的に「かかわる」ことができる計画が必要である。そのためには,決定と所有が必須となる。末石冨太郎が言うように,何をさせられているかがわからない=何が可能かがあいまいなことにも問題がある。その絡み合いを紐解くことが市民調査の必要性でもある。また,現場へのかかわり(実践)をいかに共有していくかが鍵となる。抽象的な指針を超えて,そこに具体的なかかわり方を導き,体験していかねばならない。</p><p>そこで,身体的参加を提起したい。身体が地域にどうかかわるかを捉えたい。正統的周辺参加として,「身体で覚える」学習プロセスを重視したい。身体パタンのデータベース化と,計画に基づく新しい身体パタンとがどう関係するか,どう体得されていくかによって,計画の実効性が左右される。民俗学や社会学が蓄積してきた,ライフヒストリー的あるいは文化生態学的な蓄積もあらためて身体パタンとして解釈すれば,この身体的参加データベースに寄与することができる。</p><p>ここで専門家に求められる役割は,(1)いかに現在のシステムが絡み合っているかをひもとく役割,(2)身体のパタン・ランゲージを見いだす役割,(3)創発する場をコーディネート/メディエートする役割,である。</p>
著者
野澤 淳史
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
vol.20, pp.165-179, 2014

本稿は,福島第一原子力発電所事故の影響によるリスクと被害の結びつきを明らかにすることを目的とする。具体的には,福島市で自立生活を送る障害者を対象に,生活環境の変化をリスクと捉え福島に留まらざるをえなかった障害者が直面した介助者不足の深刻化について,福島市にある自立生活センターのスタッフを中心とする聞き取りにもとづいた分析を行うことで,具体的に現れた被害がどのようなことがらであるのかを考察する。福島原発事故発生以降,障害者にとってリスクとは,むしろ福島から離れることを意味していた。避難や移住をめぐって制度的な制約を受けやすい重度の障害者であるほどこのリスクは高くなり,福島に留まらざるをえない。そうした状況の中,子どもを守る親のリスク回避行動によって介助者が減少し,かつ震災後の介護労働現場の選好の偏りを受けて新規の介助者が集まらなくなり,不足の問題は深刻化した。障害者が留まらざるをえないという「選択」の結果として介助者不足が深刻化し,自立の機会が奪われていくとすれば,それは被害の具体的な現れとして規定することができるのではないか。
著者
矢作 友行
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.10, pp.117-130, 2004-11-30

近年,不確実性という事態に注目してこそ的確に把握しうるような環境問題が増加している。不確実性が焦点となる環境問題は,因果関係の不確実性に注目すれば,「原因の不確実性が主要な焦点となる問題」「結果の不確実性が主要な焦点となる問題」「原因の不確実性と結果の不確実性の両者が焦点となる問題」という3類型を区別できる。本稿では,原因と結果の不確実性が同時に焦点となっている杉並病問題を事例として取り上げて検討した。まず,準備的作業として,不確実性が焦点となる環境問題にアプローチするために「原因の不確実性/結果の不確実性」「原理的過誤/経験的過誤」「第1種の過誤/第2種の過誤」といった基礎概念枠組みを提起した。次に,杉並病問題の概要を紹介するとともに,原因と結果の不確実性の両面から杉並病問題の特徴を整理した。その上で,経験的過誤の諸類型として「基準主義の過誤」「対策時期の過誤」「問題設定の過誤」「便宜主義の過誤」を析出しつつ,杉並病問題が未解決状態にある要因連関を解明した。最後に,本稿の到達点の理論的含意と実践的意味についてまとめるとともに,今後の研究課題を示した。
著者
卯田 宗平
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究 (ISSN:24340618)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.20-33, 2017-12-20 (Released:2020-11-17)
参考文献数
16

本稿の目的は,⑴中国の鵜飼におけるカワウの繁殖作業から漁での利用にいたる事例を取りあげ,漁師たちの一連の働きかけを記述・分析するための視座を提示することである。そのうえで,⑵新たに着想した視座を日本の鵜飼の事例に展開することで,ウミウに対する鵜匠たちの働きかけの論理を明らかにするものである。鵜飼とは潜水して魚類を捕食するウ類を利用した漁法である。鵜飼に従事する人たちは魚を獲るための手段としてウ類を利用している。一般に,動物を手段として利用する場合,飼い主である人間はその動物になんらかの介入をすることで人間に馴れさせ,生業活動に適した行動特性を獲得させる必要がある。その一方,人間が動物の繁殖や行動に介入し続けることで,その動物におとなしさや従順さ,攻撃性の減退といった家畜動物特有の性質を過度に獲得されても困る。このため,漁師たちは手段としての動物を馴れさせるだけでなく,逆に人間に馴れさせすぎず,野生性をも保持させなければならない。本稿では,これら2つの志向を併せもち,個々の局面に応じてその双方を使い分けながら動物とかかわることをリバランスとよぶ。そのうえで,本稿ではウ類の繁殖作業から飼育,訓練,鵜飼での利用にいたる過程に着目し,漁師たちの一連の働きかけをこの新たな視座から記述・分析をする。この作業により,本稿ではこれまで問われることがなかった鵜飼の現場における動物利用の論理を明らかにする。
著者
熊本 博之
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究 (ISSN:24340618)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.22-40, 2015-12-25 (Released:2018-10-26)

普天間基地の移設予定地である辺野古には,「政治の時間」「運動の時間」「生活の時間」という3つの時間が流れており,辺野古が「政治の場」となったことで前2者が支配的になり,「生活の時間」が不可視化されている。本稿の目的は,軍事施設としての普天間代替施設に着目しながら,不可視化をもたらす構造を明らかにしたうえで,「生活の時間」を可視化することの必要性とそこから拓かれる地平を提示することにある。辺野古住民の「生活の時間」は,米海兵隊基地キャンプ・シュワブとの歴史を通して形成されたものであり,それゆえに辺野古は米軍基地の全面撤去を主張できない。普天間代替施設については「来ないに越したことはない」と考えているが,「生活の時間」に基づいた未来のことを考えると条件つきでの受け入れ容認の立場をとらざるを得ない。しかしこの複雑な態度は,「生活の時間」を共有しようとしない反対運動参加者からは理解され得ず,対立にまで発展し,ついに辺野古は反対運動の撤退を要請するに至った。だがその行為は結果的に辺野古から反対の選択肢を奪ってしまうことになる。そのような「統治への荷担」へと帰結しないためには,「生活の時間」を可視化し,共有することで,「政治の時間」への抗いを「統治への抗い」にしなければならない。
著者
武中 桂
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究 (ISSN:24340618)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.104-119, 2006-10-31 (Released:2018-12-25)
被引用文献数
1

本稿は,札幌市近郊の大規模森林を事例に,行政の管理下にある自然環境に対して,かねてからその周辺に暮らす人びとが今日に至るまでどのようにかかわってきたを考察したものである。野幌国有林は,昭和43年(1968年)に「北海道開基百年」を記念して道立自然公園に指定されて以来,「野幌森林公園」として知られている。ライフスタイルの変化や都市化などにより自然環境に触れる機会が減少傾向にある現代,そこは近隣住民にとっての「身近な自然」であり,多くの人びとに幅広く利用されている。一方で,指定直前まで,そこは周辺部落に暮らす人びとの生活の糧「ヤマ」であった。ただし,次第に生活の糧としての国有林の役割は薄れ,自然と「ヤマ」との関係は希薄になる。野幌部落の人びとは物理的な要因を認めつつも,その決定的な理由を「公園化」に求める。そしてそこが公園であるという現実を理解しながらも,彼らは今なお野幌国有林を「ヤマ」と呼び,「ヤマ」を守る活動を続け,そこを「ヤマ」として生活意識につなぎとめている。よって,現在の野幌国有林を,「重層的な環境意識を備えた空間」として提示することができる。さらに,野幌部落の人びとは今日に至っても国有林を「自分たちのヤマ」とし,「かかわることの正当性」を主張する。その根拠は,生活設計の結果として大地を切り開く行為としての「開拓」にある。つまり,具体的な働きかけの場面を喪失しても,入植当初からの土地に関する区分と領有意識を受け継いでいる意味において,ある種の「所有」を正当化しているのである。
著者
足立 重和
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究 (ISSN:24340618)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.42-58, 2004-11-30 (Released:2019-01-22)

現在,全国各地において,民俗芸能といった伝統文化を観光資源化しようとする動きは,地域づくりの主流になった感がある。しかし,観光化された伝統文化は,観光客の期待にこたえた文化形態であるため,地元住民からすれば違和感をともなうものになってしまう。筆者が調査してきた,岐阜県郡上市八幡町の「郡上おどり」もそのような状況にあり,地元住民は自分たちの盆踊りを踊らなくなってしまった。だが現在,一部の地元住民たちは,観光化とは異なった方向で「郡上おどり」を受け継ごうとしていた。本稿は,「郡上おどり」の事例研究を通じて,観光化とは異なった伝統文化の継承とはいったいどのようなものであるのか,を明らかにするものである。一部の地元住民による,観光化とは異なる伝統文化の継承とは,次のようなものである。まず,住民たちは,観光化以前の“たのしみある”盆踊りの情景をなつかしむというありふれた日常的実践をくりかえす。このような主体を,本稿では「ノスタルジック・セルフ」と呼ぶ。この「ノスタルジック・セルフ」が,歓談のなかで“たのしみある昔の姿”を追求し,その“たのしみ”に向かって現にある盆踊りに様々な工夫を凝らしていくことこそ,本稿でいう伝統文化の継承にほかならない。このノスタルジックな主体性に裏づけられた伝統文化の継承は,現在の観光化と文化財保存の文脈のなかで画一化する伝統文化の乗り越えにつながっていくのである。
著者
渡辺,伸一
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.7, 2001-10-31

環境の保護は,社会的に重要な課題である。しかし,環境保護の実際をみると,学術的な重要性や,保護が生み出す受益のために,特定の少数者に過重な負担や受忍を強いる例が散見される。「奈良のシカ」の事例は,こうした問題がみられてきた典型例である。奈良のシカは,「奈良公園の風景の中にとけこんで,わが国では数少ないすぐれた動物景観をうみ出している」とされる天然記念物であり,奈良における最も重要な観光資源の一つでもある。が,当地では,このシカによる農業被害(「鹿害」)を巡り,シカを保護する側(国,県,市,春日大社,愛護会)と被害農家との間での対立,紛争が長期化し,1979年には被害農家による提訴という事態にまで至ってしまった。本稿では,まず,鹿害問題の深刻化過程をみた後に,紛争長期化の背景を,「シカが生み出す多様な受益の維持」「保護主体間の責任関係の曖昧性」「受苦圈と受益圈の分解」「各保護主体にとっての保護目的の違い」等に着目しながら検討した。鹿害訴訟の提訴と和解(1985年)は,被害農家が長期に亘って強いられてきた状況を大さく改善させる契機となった。しかし,この新しい鹿害対策も,十分には機能してこなかった。そこで,後半では,鹿害対策の現状に検討を加えた上で,依然として問題の未解決状態が続いている理由と問題解決への糸口について考察した。
著者
三上 直之
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.11, pp.117-130, 2005-10-25
被引用文献数
1

環境社会学の調査・研究を,環境保全に向けた社会的実践と緊密に連携させるにはどうすればよいか。そのための一つの方法として,本稿では「参加型調査」という考え方に注目し,これを環境社会学の調査設計に生かす方法を探る。議論の素材として,筆者らが2004年から2005年にかけて行った「三番瀬円卓会議ふりかえりワークショップ」について報告する。このワークショップは,住民や漁業関係者,環境保護団体などが参加して干潟の環境再生を議論した千葉県の「三番瀬円卓会議」について,その運営プロセスや手法を,会議に参加した住民や研究者自らがインタビュー調査やワークショップなどによって検証したものであった。このように,住民らと研究者が簡易な社会調査やワークショップの手法を用いて,具体的な問題やプロジェクトについて検証・評価活動を行う「評価ワークショップ」は,様々な課題に応用可能な参加型調査の一つのモデルとなると思われる。三番瀬での評価ワークショップの実践は,社会集団や個人の主張・行為をベースとした問題の過程分析,問題連関の全体的な把握や提示,そのためのインタビュー・資料分析の技法といった環境社会学の調査法を,他分野の研究者との協働を通じて加工しながら,地域住民など当事者が環境問題をめぐる意思決定プロセスを検証・評価する際に提供することにより,環境保全の実践の場に生かす可能性を示している。
著者
帯谷 博明
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.6, pp.148-162, 2000-10-31
被引用文献数
2

近年,植林運動が全国的な高まりを見せているが,その中でも漁業者による運動は,1980年代後半に北海道と宮城県で相次いで始まり,90年代以降,全国規模で急速に拡大している。下流部の漁業者が上流部に植林を行い,流域環境を守ろうとするこの運動は,山から海までを一体のものとして捉える流域管理の思想に裏打ちされたものであり,その表出的な運動スタイルとも相俟って,大きな社会的インパクトを有している。本稿では,これらの運動が全国的に興隆するきっかけとなった「森は海の恋人」運動を考察の対象とする。ダム建設計画に対する危機感を背景として,宮城県唐桑町の養殖業者を中心に展開されているこの運動は,「大漁旗を掲げて木を植える」という行為を通して,流域環境保全の必要性を訴え,幅の広い支持層を獲得している。宮城県最北端の「周辺地域」に位置する,少数の漁業者の運動が発展し,ダム計画休止の一つの契機となるに至った背景にはどのような要因があるのか。本稿では,運動主体の資源および戦略,外部主体との関係,フレーミングに着目しながら,時系列的に運動過程を追い,運動がいかに展開し,外部環境との相互作用の中でその性格を変容させていくのかを明らかにする。さらに,本運動がもつ流域保全運動および環境・資源創造運動としての二重の意義を考察する。
著者
安田 章人
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
vol.14, pp.38-54, 2008

<p>本稿の目的は,アフリカにおける娯楽のための狩猟,スポーツハンティング(sport hunting)を事例に,グローバルな価値づけがなされた野生動物の資源利用の裏側にある歴史的な権力問題を指摘することにある。</p><p>アフリカにおけるスポーツハンティングは,植民地時代の西洋人が権力や富を象徴するためにアフリカの野生動物を狩猟したことに端を発する。現代になり,人間中心主義からの脱却を目指す環境思想からの狩猟に対する倫理的批判が隆盛したことや,スポーツハンティングを起源とする植民地主義的な政策に対する批判を一因として住民参加型保全の理念が台頭したこと,そしてエコツーリズムが勃興したことから,スポーツハンティングは影を潜めた。ところが,スポーツハンティングは現在まで消滅することなく活発におこなわれており,近年,莫大な経済的利益を生み出す管理された「持続可能性」のある狩猟として,住民参加型保全政策を支える主柱となると,一部の政府や保全論者に注目されている。</p><p>しかし,カメルーン・ベヌエ国立公園周辺でおこなわれているスポーツハンティングは,その地域の住民に雇用機会と利益分配を付与する一方で,植民地時代を彷彿とさせる「自然資源利用権の収奪」という重層的なインパクトをもたらしていた。この背景には,「持続可能性」という環境思想が,歴史的な権力構造を背景に地域住民による狩猟を断罪し,スポーツハンティングを正統化するために,新しい植民地主義的な政治的言説によって解釈されているという現象があった。</p>
著者
三浦 耕吉郎
出版者
環境社会学会 ; 1995-
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
vol.20, pp.54-76, 2014

日本の原子力政策の渦中で産声をあげ,東京電力福島第一原子力発電所の過酷事故以降も,その多義性と曖昧性を武器に「原発の安全神話」や「放射線安全論」を人びとの心のなかに浸透させていく役割を担ってきた「風評被害」という言葉。本稿では,「風評被害」という名づけの行為に着目しつつ,現代日本社会におけるこの語にまつわる複数の異なる用法を批判的に分析し,その政治的社会的効果を明らかにする。第1には,「風評被害」という用語が,(1)生産者側の被害のみに焦点をあて,消費者側の被害や理性的なリスク回避行動をみえなくさせている点,及び(2)安全基準をめぐるポリティクスの存在やそのプロセスをみえなくさせている点である。第2には,「放射能より風評被害の方が怖い」という表現に象徴される,健康被害よりも経済的被害を重視する転倒が原子力損害賠償紛争審査会の方針にも見出され,本来の「(原発事故による)直接的な被害」が「風評被害」と名づけられることによって,放射線被曝による健康被害の過小評価や,事故による加害責任の他者への転嫁がなされている点。第3には,「汚染や被害の強調は福島県への差別を助長する」という風評被害による差別への批判が,反対に,甲状腺がんの多発という事実を隠蔽することによって甲状腺がんの患者への差別を引き起こしている,という構造的差別の存在を指摘する。
著者
谷口 吉光
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.4, pp.174-187, 1998-10-05
被引用文献数
1

「環境社会学は社会学のパラダイム転換である」というパラダイム転換論の主張はアメリカ環境社会学の中心的な理論であると受けとめられてきた。しかし、アメリカ環境社会学者がすべてパラダイム転換論を支持しているわけではない。特に、パラダイム転換論が実証研究と乖離しているという批判はアメリカにおいて根強くあった。本稿は、次の5つの命題を検討しながら、アメリカ環境社会学におけるパラダイム転換論の意義と限界を明らかにしたい。(1)パラダイム転換論は70年代のアメリカ社会学の状況に大きく制約されている、(2)パラダイム転換論は「世界観」と「理論的・実証的研究」という2つのレベルから構成されている、(3)パラダイム転換論は必ずしも実証研究を導く理論的方向性を与えるものではない、(4)アメリカ環境社会学は非常に多様化しており、パラダイム転換論がカバーできない多くの研究領域がある、(5)社会と環境に関する最近の理論的研究の進展によって、パラダイム転換論の提起した問題が新たに展開する可能性が出てきた。結論として、パラダイム転換論は環境に関する社会学的研究を促進し、アメリカ環境社会学を社会学の専門分野として樹立することに多大な貢献があった。パラダイム転換論は歴史的使命を終え、それが提起した諸課題は新たな方向で展開しつつあるように見える。
著者
西谷内 博美
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.17, pp.67-80, 2011-11-20

インドでは集めたゴミをどう処理するのかということ以前に,各家庭からいかにゴミを集めるのかということが難題である。ところが,この難題を克服している住民の自治活動が一部の富裕住区に見られる。行政はこれに注目し普及を試みるが,その優良モデルの汎用性は実際の現象としても,理論的に類推しても限定的である。本稿では,その優良モデルと,ゴミが散らかっている一般的なゴミ処理実践を比較して,前者が成立する条件を明らかにする。そのことにより,優良モデルの即効性ある特効薬としての限界を指摘し,同時にこのモデルがインドの家庭ごみ収集問題に与えるより実践的な意義を探究する。
著者
品田 知美
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.3, pp.179-195, 1997-09-20

経済原理としての互酬は、これまで環境との関係では市場交換や再分配に比べて優位な扱いを受けてきたにもかかわらず、その理由が明確に語られたことはなかった。はじめに本稿では、互酬に対して「2以上の対等関係にある主体が、貨幣によらずに対象を取り引きすること」という操作的定義を与える。次に、環境と互酬の接点については、森林の取り引きを具体例とした理論的考察により、主体の対等関係および取り引きに仕随する内的意義という2つの要件からみて、互酬が市場交換よりも世代間や国家間の取り引きにおいて優位に立つ可能性を示す。その上で、"近代と両立しうる共同体"を指向する組織として共的セクターを位置づけ、ヤマギシ会、生活クラブ生協、(株)大地の3事例の検討を通して、互酬の存立要件を検証したところ、組織内部で互酬取り引きを存続させる場合、主体と対象に課すべき一定の制限が明らかになった。近年、組織内での互酬取り引きの維持はますます困難になりつつあるようだ。だが、主体の対等性という互酬の要件は近代社会の理念と親和的なので、組織内部に限らずとも、互酬は個人や他の民主的組織を主体とした私的領域において、十分に成立する余地がある。また、特殊な直場での交換にも、環境にとって有意義な「内的意義」を伴った取り引きが成立する余地が残されている。ここには、互酬と環境に関して共的セクターに限定しない議論の可能性が聞かれていると考える。
著者
寺田 良一
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
no.4, pp.7-23, 1998
被引用文献数
1

環境運動は、NPOや慈善組織など非営利法人制度を持つアメリカやイギリスで、穏健な中流の自然保護運動として早くから制度化され、組織基盤の確立や環境政策決定への影響力増大に寄与した。1970年前後に登場した「新しい社会運動」的性格を持つ環境運動も、アメリカを中心に「アドボカシー型NPO」として制度化が進み、圧力集団として影響力行使のチャネルを確立したが、同時に制度化により「体制編入」や運動の保守化が進んだと、草の根環境運動等から批判を受けることとなった。一方、アメリカで1980年以降台頭した産業公害、廃棄物問題等の社会的格差や不平等を問題にする草の根環境運動は、地域レベルの運動の支援強化、「エンパワーメント」を志向した制度化をめざす。本稿は、環境運動の制度化がもたらす「体制編入」と「エンパワーメント」という2つの効果を、政治的リベラリズムから新保守主義への転換という1970年代以降の公共政策をめぐる政治状況の変容から分析する。