著者
森川 鐵朗 西山 保子 Tetsuo Morikawa Yasuko Nishiyama
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.365-375, 1997-09

日本の科学教科書における物理量の計算法は,中等教育と高等教育において,全く違う考え方に立っている。以下,前者を日本の高等学校の教科書に典型的に見られる方法なので日本式とよび,後者を国際単位系や英語圏の教科書に採用されている方法なので国際式とよぶ。日本式の計算法では,単位は数値のわきに置く記号と考えて,数値間で式をたて演算し,単位はあとで調整付加する。国際式の計算法では,物理量は数値と単位の積に等しいと考えて,物理量を単位とは無関係に記号であらわし,単位つきのまま物理量間で直接演算する。本稿では両者の相違を,物理量の分類,物理量の関数,量の計算法の古典などにさかのぼって議論し,さらに日本の中等教科書にみられる問題点を,いくつかの例を参照しながら検討する。未知の量として数値ではなくて物理量を選び,式をたてる,計算法を採用するとよい。日本の中等教育と高等教育との間にある上記の不連続性は,早急に解消されるべきである。
著者
高本 條治
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.123-136, 1995-09

ウナギ料理を注文する際に使われるとされる「ばくはウナギだ。」という文(いわゆる「ウナギ文」)は,多くの日本語文法研究者の関心を集めてきた。ウナギ文に関する記述や説明は,当初は統語論の領域で繰り広げられ,その後,語用論の領域へと徐々に移行してきている。このウナギ文の文法化の問題について,語用論的な観点から継続的に論述していきたいと考えるが,本稿では,どのような観点からウナギ文を考察するかを明らかにし,「ばくはウナギだ」という文に対して,先行研究がどのようなパラフレーズを行っているかを振り返る。
著者
平野 俊介
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.21, no.2, pp.457-475, 2002

バルトークの初期の作品である〈14のバガテルOp.6〉は,バルトークの純粋な創作から民謡に基づく作品まで実に多様な様式の曲が含まれている。従って,この作品を分析することにより,若いバルトークがどれくらい独自の音楽語法を駆使し得たかを知ることができる。本研究では,各曲の考察を通して,初期のバルトークの変化に富んだ創作過程や音素材の多様な扱いに光を当て,それを明確にすることができた。Fourteen bagatelles are one of Bartok's early works. These pieces are made of various original works and pieces based on Hungarian peasant songs. Therefore, through the analysis of these pieces we can find out Bartok's original methods of composition. As a consequence of this research, through the study of each piece I hav revealed various usage of sound materials and varied creative processes in Bartok's early years.
著者
梅野 正信
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.53-65, 2015-03

日本による植民地支配下及び実質的な統制下に設置されていた中学校,高等女学校,師範学校では,他の諸学校と同様に校友会雑誌が編纂されていた。校友会雑誌は,行政機関や当局の検閲を受け統制されていたが,生徒による記述が掲載されている点で貴重な史料である。本研究では,台湾,朝鮮半島,関東庁,樺太庁,「満洲国」で編纂されていた校友会雑誌に描かれたアジア認識を考察する。これらの諸地域の校友会雑誌は,これまで本格的な研究対象とされてこなかったが,本稿においては,先行研究と比較して史料分析の方法を中心に検討した結果,誌面構成,誌面を統制する行政・軍,学校側関係者の記載欄,散文や修学旅行に関する記載欄など,題目ごとの記述からアジア認識に関わる関連語を抽出する研究,横断的比較研究が可能であること等を確認した。
著者
角谷 詩織 無藤 隆
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.101-112, 2010-02-28

本研究では、テレビ番組の種類として、特に、日本民間放送連盟から放送モラルについての要請が出された経緯をもつ、ドラマ、お笑いのバラエティ、トーク番組、歌・音楽番組の視聴が、子どもの社会的・心理的不適応を高めるのかについて検討する。首都圏40km圏内から無作為抽出された、第一回調査時の小学5年生1,006名を対象とし、2001年2月〜2004年2月の間、毎年1回の縦断的調査を実施した。テレビ要因の他に、子どものメディア所持、テレビゲーム、スポーツや勉強の得意不得意、担任教師との信頼関係、生活習慣、学校の楽しさといった、子どもの社会的・心理的適応に重要な影響力をもつとされている要因を含めた分析を行った。縦断的因果関係を検討するに当たり、小学5年生から小学6年生、中学1,2年生へ、小学6年生から中学1,2年生、中学1年生から中学2年生への縦断的偏相関係を求めた。分析の結果、長期的に子どもの社会的・心理的不適応を高める要因が見出された。児童期後期におけるドラマ、お笑いのバラエティ、トーク番組、歌・音楽番組の視聴は、特に中学生になってからのルール違反傾向や不安傾向を高める要因として機能する可能性が示唆された。「よく見る番組」の要因は、小学5年生から中学2年生にかけて、社会的・心理的不適応状態に比較的安定した影響力を示したことから、その影響が無視できないものであることが推測された。
著者
中里 理子 Michiko Nakazato
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.207-218, 2010-02

岩波古典文学大系本『狂言集』上下巻(大蔵流山本東本)に見られるオノマトペを収集し, その特徴を整理した。浄瑠璃や歌舞伎の脚本に見られたオノマトペとは性格が異なり, 次のような特徴が認められた。1)擬音語は, 動物の鳴き声に音マネ的な性格がある。物音の場合は, 慣用的なオノマトペにより舞台上の効果音として用いている。2)擬態語は, 心情を表すオノマトペがほとんど見られない。また, いくつかの定型的表現により, 類型的な劇の構造, 典型的な舞台背景, 典型的な人物像を観客にイメージしやすくさせている。強調表現を効果的に使っている。3)オノマトペに関する言葉遊びとしては, 同音を導くもの, 対句的な使われ方のものが見られ, おかしみを誘う効果がある。
著者
中里 理子
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.19, no.2, pp.818-805, 2000-03

『浮雲』を中心に明治前期の作品を対象として、和語系・漢語系オノマトペの使用状況を概観し、両者の関係を考えた。調査の結果から、和語系オノマトペで表現し得ない部分(その多くは心情表現に結びつく語)を、漢語系オノマトペで補ったこと、漢語系オノマトペの中でも既に広く用いられているものを中心に、言文一致文に取り入れようとしたのではないかということがうかがわれた。前者に関しては、和語系オノマトペにおいて、細かい意味を使い分ける働きをする型が未発達であること、オノマトぺの種類自体がまだ少ないことが、その遠因となっており、和語系オノマトペが発達するまでの間、漢語系のものが使われたであろうことが考えられる。
著者
森川 鉄朗 室谷 利夫
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.19, no.1, pp.67-81, 1999
被引用文献数
1

現代の物理や化学では,2N,10m,2g/cm^3のような,表現(数字列)(空白)(単位記号)が使われている。本稿では,この表現を処理する場合,分解して数字列の代数演算をするならば日本算数方式とよび,まとめてそのままあつかうならば国際方式とよぶ。日本の中等物理化学教科書には,日本算数方式の伝統があり,国際方式は国際文書や英語圏の教科書などを含めて,世界で広く採用されている。両者のあつかい方を分析し,相違の四論点として,「(数字列)(空白)(単位記号)は物理量(の表現)」「数字列は数でない」「空白はかけ算」「単位は物理量」を抽出した。このとき,国際方式の判定条件として,複数の表現を直接的に乗除算していること,を採用した。また,「単位は物理量」とはっきりと意識しているか否かは,ケルビンとセルシウス度との間の換算式をみて判定した。国際方式は,歴史的地理的に温度差はあるけれども,これらの四論点を肯定する方向に進んでいるように思われる。日本算数方式による物理化学教科書では,物理量の意識がきわめて薄いことがわかる。そこで,日本の中等物理化学教育では,どのような順序で四論点を肯定的に導入するべきかを論じた。さらに,物理量間の演算では,代数演算で利用される比例式や方程式に替えて,常に物理的に意味のある表現を逐次たどるべきであるとした。Expressions (string of Arabic numerals)(space)(symbol of units), such as 2 N, 10 m and 2 g/cm^3, appear in the physical and/or chemical literature. There are two methods of operating such expressions; hereafter, one is called an arithmetical method which deals with all expressions under the rules of arithmetic; the other is called an international method in which every expression obeys the rules of quantity calculus. The former is adopted in many textbooks of Japan, and the latter is of world-wide use in international documents and textbooks in English. The present note makes four points of the argument clear such that: The expression stands for a physical quantity; the string of Arabic numerals is not a number but a numerical value; the space means a mark of multiplication; and the symbol of units denotes a physical quantity. Then a given method of operation can be regarded as international when the expressions are multiplied and/or divided directly by themselves. Whether the unit is a physical quantity or not in textbooks, is judged in terms of conversion relationships between degrees in Kelvin and Celsius. It seems that the international method has been developing gradually according to the direction of the four points, and that there is little sense of physical quantities in physical/chemical textbooks which make use of the arithmetical method. The present note hence discusses a course for teaching the four points in the physical/chemical education of the junior/senior high schools of Japan, and suggests that every physical/chemical problem should be solved step by step by use of the physical expressions.
著者
河合 康 Yasushi Kawai
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.75-86, 2009-02

本稿では,近年のグローバリゼーションの流れの中で,国際的に関心が高まっている国際教育協力について,障害児教育分野に焦点を当てて検討した。その結果,障害児教育分野における国際教育協力は理数科教育などに比べて遅れがみられる分野であるとされてきたが,21世紀に入り,拠点システム構築事業,国際協力イニシアチブなどの政府レベルでの活動によって,その裾野が広がりつつあることが明らかにされた。特に,協働授業研究,青年海外協力隊派遣現職教員への支援及び関連情報の整備・管理において進展が認められることが指摘された。今後の方向性としては,初期条件の検討とマッチング,学校現場に密着した国際教育協力の展開,通常教育との相違点の認識,留学生受け入れ施策の強化,などの必要性が提言された。
著者
高本 條治
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.21, no.1, pp.189-216, 2001

太宰治の有名な小説作品『斜陽』には「トロイカ」という名が記された「文庫本」が登場する。『斜陽』は,太田静子の『斜陽日記』に依拠して書かれたものとされるが,『斜陽日記』の該当個所にもやはり「トロイカ」という「小さい本」が出てくる。しかし,「トロイカ」というタイトルをもつ文庫本の存在を確認することはできなかった。もしそうした本が実際には存在しないなら,読者は文脈に応じてその本に関する想定を創造的に構成しなくてはならないことになる。小論では,「トロイカ」は,チェーホフの戯曲作品『三人姉妹』を示す符牒ではないかという解釈を提示する。また,そう解釈した場合に,どのような効果が文脈上達成されうるのかを具体的に考察し,「トロイカ」を『三人姉妹』の符牒であると見る解釈が十分に可能であるということを語用論の観点から述べる。In Osamu Dazai's most famous novelette Shayo, we find the description of a paperback labeled Troika. It is well known that Dazai wrote this novelette on the model of Shizuko Ota's Shyo Nikki. Also in its corresponding passage, we can find almost the same description of a small book labeled Troika. However, it has been unsuccessful to identify the actual entity of the paperback-type book titled Troika. If there are not such a book, every reader has to creatively construct some assumptions for the book according to her contextualization. In this paper, I bring up one interpretative possibility that Troika could be the secret code for Chekhov's drama Tri Sestroy (The Three Sisters). I argue how contextual effects can be achieved under this way of interpretation, and claim from the viewpoint of linguistic pragmatics that my interpretation regarding Troika as the code for Tri Sestroy must be convincing enough.