著者
大前 敦巳
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.31-47, 1997-09

小論は,フランスの大学人学資格に相当するバカロレア試験を主題に取り上げ,近年の改革に伴う試験の内容と,その準備のために望ましいと考えられている勉強法について検討する。バカロレア試験の実施過程にはリセの教員が多く動員され,またほとんどの試験は授業内容に関連した論述と口述からなるため,バカロレアの主たる試験準備の方法は,リセの授業で受けた内容の復習を行うことが中心になる。復習のために推奨される最も一般的な方法は,授業でノートに記入したことをカードに整理することである。さらに,模範解答集や模擬試験の問題を解くことを通して,過去に作成したカードを補足・修正することが勧められる。フランスでもバカロレア受験がユニバーサル化したのに伴って,日本の受験勉強に見られるのと同様の問題が指摘されている。今日の進学競争について論じるためには,高等教育の大衆化という多くの国に共通の現象を踏まえた上で,各国に固有の問題を明らかにしていくことが重要であると考える。
著者
小埜 裕二
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.266-258, 2009-02-28

本稿では、まず富岡の現在の「無為で退屈な人生」のありようを見さだめたうえで、作品の結末部で富岡少年が現れる超現実的場面の意味について考察した。その後、「孔雀」において語られない過去と語られない未来の意味について言及した。「孔雀」における無為な富岡の人生は、意識下に抑えこんだ美への憧れをひそかに保ち続けた結果であるが、本作では意識下に抑えこんだ夢想世界がその閾を越えて現実世界にあふれだすところまで描かれている。その意味するところは大きい。虚構世界と現実世界との間の壁が無くなり、虚構世界が現実世界のものとなることを「孔雀」の結末は暗示していた。退屈で無為な生を拒否しようとする三島の思いが「孔雀」の夢の氾濫につながっていく経緯について論じた。In this research, I considered first, Tomioka "being idle, concerning boring life". Then, I considered concerning the meaning of the surrealistic scene where the Tomioka boy appears with conclusion of the work. After that, it referred concerning the meaning of the past and the future when the storyteller of the "Kujyaku" does not talk. Because Tomioka held down the yearning to the beauty boy in non consciousness, the boring life of Tomioka occurred, that Mishima talks. Simultaneously, the dream world which pushes under being conscious exceeding the threshold, Mishima talked that it starts overflowing in the actual world. That meaning is important. The wall with dream and actuality is gone, the wall with the fictitious world and the actual world, dream and the fictitious world occurring in the actual world it had shown the conclusion of the "Kujyaku". The thinking which denies boring life produced the inundation of dream of the "Kujyaku".
著者
丸山 良平
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.24, no.1, pp.257-270, 2004

本研究の目的は幼稚園3歳クラスに入園した幼児が,園を修了するまでの3年間にわたって数の合成,分解の問題を解答する際に指と数詞を使用する実態を縦断分析により明らかにすることである。対象児は新潟市の一幼稚園に就園している幼児85人である。この幼稚園では特別な数教育といわれる指導は行われていない。合成課題と分解課題はおはじきの集合によって示されたいくつかの問題で構成されている。これら課題を毎年度2回,計6回実施した。そのデータを分析して解答の際における指と数詞の使用の実態を検討した。The purpose of this study is to make longitudinal investigations into features of children's use of their fingers and numerals of addition and subtraction tasks of sets over three years after the children enrolled in kindergarten. Eighty-Five children from one kindergarten in Niigata participated in this project. They did not have any special arithmetic instruction at the kindergarten. Addition and subtraction tasks included several problems respectively using a set of some marbles. The data obtained from these tasks were collected twice every school year for three years and thus amount to six samples as a whole. We analyzed these data and elucidated children's using their fingers and numerals.
著者
江谷 和樹
出版者
上越教育大学
雑誌
奨励研究
巻号頁・発行日
2011

1研究目的本研究は、小学校音楽科におけるアジア伝統音楽の指導について、インドネシア・バリ、島に伝わる行列形態の打楽器合奏「ガムラン・バラガンジュールgamelan balaganjur」の表演特性に基づく教材開発を試み、児童の音楽行為を省察することを通して、この教材がもつ教材価値を明らかにする教育実践研究である。2研究方法バラガンジュールの表演は、演奏者同士のコミュニケーションを基盤に行われる。演奏が行われる状況の中で、演奏者同士が繰り広げる臨機応変な音楽行為を省察することで、教材としてのバラガンジュールの価値を分析するとともに、小学校音楽科授業における実践の可能性を探る。3研究成果(1)バラガンジュールの音楽構造が、「ギラッgilak」と呼ばれる基本旋律の繰り返しで構成されるため、小学校の児童でも個別の技能差に関わらず比較的容易に演奏に取り組めること。(2)演奏者同士が独自の合図を共有し、場の状況に応じて太鼓奏者が出す即興的な合図をきっかけに、一時停止、身体的パフォーマンスの挿入等、多様な表演ができること。(3)演奏者が特定の楽器に固定されず、一旦全てのパートを口頭伝承で習得するため、個々の奏者が常に音楽の全体像を把握して演奏でき、状況の変化に瞬時に対応することが可能であること。
著者
安藤 知子
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.1-11, 2010-02-28

近年、教育改革が多様に展開しているが、学校と改革諸施策の提案者の間での意味形成過程の相違にはほとんど関心が向けられずにきた。本稿の目的は、学校内部の視線で教育改革が浸透していく過程を描き出すことである。そのために、志木市立A中学校で観察調査を実施した。観察結果をPolanyi.の暗黙知の理論における意味の創発の考え方に依拠して分析した結果、学校内部からの「教育改革」への意味付与過程には4つの段階があると考えられた。それは、(1)新たな試みがこれまでの実践を支える理念の枠組みの中に位置付くように考えら、うまく位置付かない場合には、別のものとして扱われる段階、(2)多くの具体的諸細目が教員にとって切実な課題となり、それらの課題を解決するために焦点的に感知される段階、(3)複数の諸細目が、カテゴリー化され包括的に意味づけられる段階、(4)包括的に意味づけられた諸細目が、さらに上位レベルの意味から全体従属的に感知される段階の4つである。以上から、短期間での数値化された政策実施評価だけではなく、長期間にわたる学校での教育実践の意味変容、行動変容に着目する質的な評価も重要であることが指摘される。
著者
角谷 詩織
出版者
上越教育大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2007

本研究の目的は,小・中学生の放課後の過ごし方が,彼らの適応感や学業への態度(学習意欲など)にどのような影響を与えるのかを検討することである。質問紙調査(平成19年7月,平成20年3月,平成20年7,11月),観察(平成19年7月~平成21年12月),インタビュー(平成21年3月)を主たる研究手法とした。小学生での放課後の読書をはじめとするリテラシー活動,中学生における部活動が学習意欲や学業コンピテンスを高める可能性が示唆された。
著者
杉浦 英樹
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.22, no.1, pp.133-157, 2002-10 (Released:2015-06-17)

合衆国では1910年頃からモンテッソーリシステムが熱心に紹介され,注目を集めた。小稿では,この時期になされたキルパトリックのモンテッソーリ批判(1913&1914)の内容を,後の彼の70ロジュクト法の提起(1918)にどのような意味を与えたかという視点から検討した。この批判によって彼は進歩主義の立場から当時の合衆国の幼稚園運動を擁護しようとしたが,同時に批判の対象であるモンテッソーリの思想や実践にヒントを得ながら,彼自身がそれまで教師として培ってきた発想に教育学的な表現を与えている。その内答には,すでにプロジェクト法の理論的な萌芽も見出される。 In the U.S., after around 1910, the Montessori System was zealously introduced and was focused the attention. Kilpatrick's severe criticism of this system appeared in 1913 and 1914. His criticism is generally sited as a strong reason for decline of the Montessori Movement today. This paper examines his criticism from the viewpoint of what effect it had for his project method theory, proposed in 1918. By the criticism, Kilpatrick, as a progressive thinker, intended to defend the Kindergarten Movement in the U.S. in those days from the Montessori System. He had just become a scholar of education at Teachers College, could give pedagogical expression to his way of thinking that had already been gained thorough his own experience as a school teacher. He was much influenced by Dewey and Thorndike, and got ideas through criticism of the Montessori's educational thought and practice. We can find several original conceptions of the project method theory in his criticism.
著者
得丸 定子 佐藤 英恵 郷堀 ヨゼフ
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.257-268, 2010-02-28

核家族化, 個人化の進んでいる現代では, ペットは単なる飼育動物の域を超え「コンパニオン・アニマル」と呼ばれ, その親密な存在の死に伴う「ペットロス」という用語は, 学校教育現場でも用いられつつある。ペットの死に伴う感情やその死への関わりは, ティーチヤブル・モーメントとして「いのち教育」の好機である。しかし, それらの言葉の背後にある心情やその理解については, 十分に認識されていない現状である。ゆえに, いのち教育の一環としてのペットロスについての基礎的知見を得るために, 本調査を行った。結果として, 心理尺度では"協同努力型人生観""多彩型人生観""信仰型人生観""金銭重視型人生観"の4因子が抽出された。"協同努力型人生観"は最もペットロスに陥りやすく, "金銭重視型人生観"はペット葬に反対であり, 女性の方が男性よりもペットロスに陥りやすい結果が示された。自由記述では, 「ペット葬賛成」派が約6割を占めた。「ペット葬反対」派も回答としては反対ではあるが, その記述を考察すると「賛成」派であった。ペット喪失悲嘆から立ち直った契機としては「時間の経過」が最多であり, 先行研究で見られない記述として, 「ペットについての知識, ペットロスについてあらかじめ勉強しておく, 心の準備をしておく」が得られた。本調査により, 人生観や性別とペットロスとの関係性や, ペット葬の必要性への認識, ペット飼育の知識やペットロスについて事前学習の重要性が示され, 「いのち教育」の一環としてのペットロス学習の意義が得られた。
著者
中里 理子 Michiko Nakazato
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.131-143, 2009-02

徳田秋声の『足迹』『黴』に見られるオノマトペの特徴について、『新世帯』、島崎藤村の『家(上)』、田山花袋の『生』と比較しながら考察した。各作品からオノマトペを抽出し、1)心情を表すオノマトペ、2)笑いを表すオノマトペ、3)「見る」行為を表すオノマトペ、4)「湿度」に関わるオノマトペ、5)その他の特徴的なオノマトペという五つの観点から検討を加えた。特徴的なオノマトペに関しては、二作品に多用されていた静寂を表すオノマトペ、偶発的動作を表すオノマトペ、所在なく歩く行為を表すオノマトペ、女性主人公に使われた独特なオノマトペを取り上げた。『足迹』『黴』は、女性主人公の描写や作品の情景描写において、オノマトペにも共通性が見られた。また、『新世帯』も含めて、秋声が人物描写においても情景描写においても、オノマトペを多用して巧みに表現していることが見て取れた。
著者
中里 理子 Michiko Nakazato
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.22, no.1, pp.268-282, 2002-10

オノマトペの多義性についてその時徽を考え、一例を取り上げ実際に多義が派生しさらに解消されていく過程を考察した。まず、現代語の多義のオノマトペから意味相互の関連を考察し、(1)擬音と擬態の共通性、(2)様態の共通性、(3)感覚の共通性、(4)一般語彙との関連、(5)隣接オノマトペとの関連、(6)音の類似性、という六つⅥ特徴を見出した。次に近世・近代の「まじまじ」を取り上げ意味変化を見ながら、多義の派生とそれが解消される過程を検討した。「まじまじ」は、「目ぱちぱちさせる」という一動作とその動作を行う一般的状況を表したが、その状況が「眠れない」「平然と(見る)」「見ていて落ち着かない」に分化したとき矛盾する意味を含んでしまい、混乱を生じた末、一動作を表す意味「じっと見つめる」になり、本来のコ目をぱちぱち」という象徴性が失われた。「落ち着かない」意味は隣接オノマトペの「もじもじ」に、「眠れない」意味は語基が共通する「まんじり」にその意味が移行し、多義の縮小につながっている。形態による意味の分担も多義性の解消に関連すると思われる。
著者
河合 康 Yasushi Kawai
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.381-397, 2007-02

本稿では,イギリスにおけるインテグレーション及びインクルージョンに関する1970年代以降の施策の展開を検討した。その結果,1970年代以降,政府の諸文書や法令においてインテグレーションやインクルージョンの促進が明示されてきてはいるが,実際の統計データにおいてはインクルージョンが進展しているとはいえない状況にあること及びインクルージョンの実態についてはかなりの地域差がみられることが指摘された。さらに,イギリスでは特別学校の存在が否定されてはいるわけではなく,むしろ1970年代から特別学校がインクルージョンを進展させるために重要な機能を果たす存在として認識されていることが明らかにされた。さらに,1970年代から今日まで,インテグレーション及びインクルージョンを実施するための条件が明示されており,この条件の検討が今後の課題である点が指摘された。
著者
松田 愼也 Shinya Matsuda
出版者
上越教育大学
雑誌
上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
巻号頁・発行日
vol.19, no.2, pp.433-443, 2000-03

律蔵における厠での作法,とりわけその浄化儀礼において,7世紀末,長期のインド留学から帰唐した義浄のもたらした根本説一切有部のそれは,極めて特異かつ複雑であり,5世紀前半に訳された他の漢訳諸律との相違が大きい。本稿は,その理由を探るため,諸律における厠の具体的な構造を明らかにし,そこで行われる作法の比較検討を試みた。