著者
本庄 良文 本庄 良文
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学法然仏教学研究センター紀要 (ISSN:21888442)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.17-24, 2015-03-25

法然の直弟子である隆寛の撰述にかかる『知恩講私記』は、法然滅後、月命日ごとに専修念仏の徒が、東山大谷の法然廟所において報恩のために修した法会の講式である。その中で作者は、法然の遺徳を、(1)諸宗通達徳、(2)本願興行徳、(3)専修正行徳、(4)決定往生徳、(5)滅後利物徳の五項目に亘って讃歎しているため、おのずからそれが現存最古の法然伝ともなっている。現代語訳が発表されていない現状に鑑み、試訳を行って、将来の総合的な研究のための資料としたいと思う。けだし、本文校訂と内容理解とは相互補完的な関係にあり、一方を欠いて他方のある道理がないからである。
著者
八木 みどり
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.125-138, 2009-03-01

形容詞「おぼつかなし」の用字として現在では「覚束なし」が使われることが多いが、鎌倉時代に成立し、その後さまざまな人びとによって改変され、増補されていったとされる平家物語諸本ではこの語が数種類の文字で表わされている。その中に辞書などにもあまりみられない「■」という文字がある。管見では現存作品のなかでは平家物語諸本でしか見ることができない。また字書類の中では、鎌倉時代に成立したと考えられる『字鏡集』を初見として、江戸時代後期には日常つかう字書から消えてしまう。倭字は、字書では慣習的にその文字の出典を書かない傾向があるのでその来歴が不明であることがある。本稿ではこの「■」という文字がどのようにして生まれ、倭字として成立し、消えていったのかを、中国、韓国、日本の古辞書、また平家物語諸本から探ってみたい。(本稿では国字という語の代わりに、日本で作られた漢字に似た文字をあらわすことを明確にするために倭字という語を用いることにする。)
著者
原田 敬一
出版者
佛教大学
雑誌
歴史学部論集 (ISSN:21854203)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.103-124, 2014-03-01

本稿は、新出の史料である「従軍日誌」一編を使用して、「日清戦争」を従軍者がどのように描いているか、を追究した『歴史学部論集』創刊号以来掲載してきた論考の続きである。何度も繰り返すが、「従軍日誌」の著者は、混成第九旅団野戦砲兵第五聯隊第三大隊第五中隊に属する将校であり、一八九四年六月六日から翌年二月一四日まで日記を書き続けた。戦争が終わって後の清書や、整然と整理された刊行物ではなく、戦場という現場で書いていた日記と推測される。しかもこの執筆者は、日本の大本営が、日清戦争開戦前に、「居留民保護」を名目に朝鮮に派兵した混成第九旅団のうち、最初に派遣された部隊の一員であったという特色がある。参謀本部が編纂し、刊行した『日清戦史』全八巻には、中塚明氏や一ノ瀬俊也氏などにより遺漏や改ざんの跡がいくつか指摘されており、そのことも、「従軍日誌」という軍人自身の記述により再検討することができる。『歴史学部論集』創刊号に六月六日から七月二六日まで、同第2号に七月二七日から九月一四日(平壌総攻撃前日)まで、第3号に九月一五日(平壌総攻撃日)から一〇月二三日まで掲載した。本号は、鴨緑江渡河戦にむかう一〇月二四日から、鴨緑江渡河戦、九連城攻略戦を経て、冬期の鳳凰城守備戦になる。以後は次号となる。
著者
高田 祐介
出版者
佛教大学
雑誌
歴史学部論集 (ISSN:21854203)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.43-70, 2012-03-01

本稿では、従来ほとんど注目されることのなかった、明治二五・二六年における明治維新「志士」の靖国合祀・贈位・叙位遺漏者問題に焦点をあてた。靖国合祀処分での「国事殉難」、そして贈位・叙位措置での「勤王」の枠組みや価値基準を実証的に解析することで、当該期に維新を振り返った際に国家・地域双方が抱えた課題ないしこれに纏わる歴史意識の動態を明らかにした。
著者
山西 泰生
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大學大學院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
vol.36, pp.99-111, 2008-03-01

文学作品が誕生するとき、そこに作り手の思想、所属組織(集団・階層)、時代の社会状況といった大きな「背景」が存在し、それらを作品内容と完全に切り離すことは不可能であろう。むしろ「背景」から作品が発生するとしたほうが適切であろうか。これは文字が氾濫し、個人でも作品を生成できる現代と違い、限られた場所・階層でしか作品を創造することができなかった中世であれば尚更であると考える。鎌倉幕府御家人の安達氏は「秋田城介」に任官したことから「城氏」でもあった。鎌倉末期を編纂期と想定する真名本「曽我物語」は「安達氏」ではなく「城氏」として扱う。そして、それは歴史という観点からは矛盾を生じているのである。この矛盾には、真名本作者が生きた時代の社会情勢を背景とし、そこに根差した安達氏に対する作者の強い関心がうかがわれるのである。
著者
伊佐 迪子
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.71-88, 2013-03-01

本稿では二条院讃岐の四十二歳から四十四歳までの実人生を検証した。平家の都落ちは平家滅亡へと進展し、雅な平安貴族社会から関東武士社会へと世相は大きく変化した。この激変の時代の中で兼実長男良通は大納言に、次男良經は三位の中将へと昇進した兼 。実は二人に平安貴族文化の継承を託し、寿永二年は年間十一回、寿永三年にも年間十一回、元暦元年は年間二十一回の勉強会を設け、主に漢詩の勉強をさせている。催馬楽、名律例、笛、左伝などをも併せて修習させているが、俊成との間で和歌の交流と発展は見えていない。兼実は脚力がなく体調不良に悩み続ける日々である。自分の傍に居る讃岐に頼り切っており、本妻讃岐は兼実と同居である。本稿の検証結果は讃岐研究にとって大きな成果である
著者
三宅 智志
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.151-166, 2011-03-01

嘉永六年(一八五三)、譜代・家門で担っていた江戸湾警衛に外様国持が動員された。その理由を考察する中で、柳川立花家に着目すると当主鑑寛の正室は田安斉匡の娘である。本稿ではこの立花鑑寛と田安斉匡の縁戚関係をヒントに、徳川家の縁戚関係の広がりを検討し、近世後期に徳川家が行った縁組政策の目的を考察していく。その上で、前記の嘉永六年に外様国持が江戸湾警衛に動員された背景を解明していく。その結果、多くの外様国持は徳川家との縁戚関係上に存在している。つまり、何れも徳川家と文化・文政期以降に姻戚関係を築いた大名によって江戸湾が警衛されているのである。ペリー来航以前は、名実ともに家門と譜代であったが、ペリー来航以降は国持で家門にあたる大名が将軍のお膝元である江戸湾警衛に動員されるのである。
著者
持留 浩二
出版者
佛教大学
雑誌
文学部論集 (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
vol.89, pp.103-113, 2005-03-01

サリンジャーの短編小説「テデイ」に秘められたサブ・テクストとは一体どういうものなのかということを考察している。サリンジャーはグラス・サーガを書き始めるまでは比較的自伝的色彩の濃い作品を書いていたが、グラス・サーガ以降の作品は冗漫な作品が多く、その作品群のメッセージはなかなか読み取れない。偏執的なまでにプライパシーを大切にするサリンジャーはグラス・サーガを書くことによってそれまでの自伝的色彩の強い作品群を隠蔽しようとしたのではないかというのが本論文の趣旨である。「テデイ」の主人公はグラス・サーガの中心人物シーモアのプロトタイプといえる人物で、彼を通じてサリンジャーは前期シーモアを後期シーモアの創造によって隠蔽しようとするのである。
著者
若井 敏明
出版者
佛教大学
雑誌
歴史学部論集 (ISSN:21854203)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.77-89, 2013-03-01

白雉四年(六五三)に中大兄皇子らが孝徳天皇をおいて難波から飛鳥に帰還した事件(白雉四年の政変と呼称)を、改新政府がすすめた改革と大夫や伴造・国造との関係を中心に考察。改新政府の進めた徳治主義的改革は彼らの利害とあいいれず、その不平を背景に開発独裁的政治をめざす中大兄皇子がおこしたクーデターとの評価が与えられることを論じた。
著者
門田 誠一
出版者
佛教大学
雑誌
文学部論集 (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
vol.83, pp.31-48, 1999-03-01

豊臣秀吉が京都の周囲に築いた土塁である御士居については,これまで全体の平面的プランや位置など、いわば巨視的な検討が主体を占めてきた。これに対し,本稿では佛教大学8号館地点における御土居跡の土層断面の観察によって,御土居の立地を復元し,これにともなう土塁の構造要件を検討した。その結果,この地点では 御土居が高位段丘端部に位置すると考えられ,また,その立地から東アジアの城郭用語でいうところの夾築構造の士塁であったことが検証された。また,御土居の他の地点における土塁盛土の調査を勘案すると,版築工法ではなく,土手状の小盛土を利用したものと類推された。このような御土居の立地構造の微視的な分析から,とくに東北部分の御土居は段丘の比高差を活用して実際以上の偉容を示すという点で,すぐれて政治的な意味合いをもつことを指摘した。
著者
中河 督裕
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学総合研究所紀要 (ISSN:13405942)
巻号頁・発行日
vol.2008, no.1, pp.19-36, 2008-12-25

今日「古都京都」ということばに違和感を持つ人はいないだろう。京都の代名詞になった感のある「古都」ということばは、しかし、いつ使われるようになり、どのように定着していったのか。近代の小学校国語教科書の教材文と京都内外の出版物の書名にその出発点を探り、さらにレコードや映画などにうかがうことのできる三都(京都と東京・大阪)の性格の変遷をそこに重ねてみると、大正末から昭和初年代にかけて、京都が三都の力学的関係の中で独り伝統に回帰していこうとする足取りをたどることができる。時代の推移につれ、「寺と女」を京都の代表的風物と見なすような外からのイメージを、京都が自らのアイデンティティとして受け入れざるを得なくなる様相をとらえたい。
著者
斎藤 英喜 ALASZEWSKA J. JANE Alaszewska
出版者
佛教大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2009 (Released:2009-04-01)

(1)ジェーン・アラシェフスカ氏は、来日後、斎藤の大学院ゼミで、これまでの「民俗音楽」研究の経過、成果などについての報告を行なった。またそのときに先行研究である本田安次氏によって公刊された、伊豆諸島南部の巫女祭文を解読し、そのなかでとくに、高知県物部村のいざなぎ流祭文との類似点が見出される「呪詛の祭文」の精密の解読を進めた。その結果、いざなぎ流の祭文とほぼ同様な表現があること、また陰陽道系の呪符などには、近世社会に流布した『大雑書』の引用があることが確認された。(2)以上の研究成果にもとづいて、2010年6月25日に立命館大学で行なわれたSOASの日本宗教研究センター主宰のシンポジウム「祈祷と占い」での研究発表を行った。その発表については、中世宗教研究者である阿部泰郎氏、伊藤聡氏からも高い評価を得ることができた。とくに阿部氏からは『大雑書』の引用については、愛知県「奥三河の花祭り」との接点なども指摘されて、ジェーン・アラシェフスカ氏の研究の広がりを再確認することができた。(3)その後、中世の祭文、神楽に関する先行研究である岩田勝氏の『神楽源流考』などの著作をめぐって斎藤との共同研究によって、伊豆諸島南部の巫女祭文の研究が、中世の祭文、神楽の問題へと展開すべきことを指示した。(4)さらに2010年10月7日から11月15日までの長期にわたる伊豆諸島、とくに青ヶ島におけるフィールドワーク行なった。そのなかで10月20日の「船頭の祭り」、21日の「東台所神社の祭り」の祭祀を見学し、計十二時間におよぶ映像記録を撮影した。また25日には、広江清子巫女の自宅で行われた「天神祭り」を取材し、十時間におよぶ映像記録を撮影した。さらに青ヶ島村で行われた巫女の土葬儀礼を見学し、取材を行なった。一方、東台所神社、奥山家、広江家、佐々木家などの巫女・神職関係者が所蔵する祭文資料を収集し、その撮影を行なった。(5)今後は蒐集した祭文資料などをデジタル化して、できれば公刊することをめざす。また中世の祭文、神楽研究のテーマからは、とくに仏教との関わりが「念仏」読誦の問題として浮上したこと、さらにいざなぎ流や奥三河花祭りなどに見られる「浄土神楽」との接点がどのようにあるかが今後の研究課題として残されている。また蒐集した祭文中に見られる修験道儀礼、呪符との繋がりの解読も来年度における研究課題となった。
著者
岡屋 昭雄
出版者
佛教大学
雑誌
教育学部論集 (ISSN:09163875)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.1-18, 1999-03-01

今回は、鈴木三重吉研究、わけでもその描写論を中心に論究することにする。筆者は鈴木三重吉「赤い鳥」の会に所属しつつもその研究を深めることには今ひとつ不足していた憾みを感じている。したがって、今回は、三重吉の処女作でもある「千鳥」を中心にその文学的な背景を明らかにすることに努力を傾注した。ともすれば鈴木三重吉の文学的な活動のみならず、三重吉の文学的な意味までも忘却されているのが実状である、といってもいいのではないだろうか。最近の文学作品を読んでみてもその文体が暖昧であることに逢着する。それに対して、三重吉の文体の確かきには多くの学ぶ点があるのではないのか、というのが筆者のそもそもの出発である。それと写生文という運動を再評価したい、というのも筆者の研究の動機でもある。したがって、今回は、「赤い鳥」綴り方運動の前段の作業として位置づけ、三重吉の文学活動を作品に即しつつ深めながら、その文章の特質を明確にすることを目的とするのである。さらには、この文学的な活動の延長線上に子どもへの綴り方指導の基礎的指導を構想したものとして位置づけることになる。三重吉の作品分析を単に分析のみに終わらせることなく、この文学的な三重吉の営為から、子どもへの綴り方指導論が成熟するきっかけとして把握できる、との仮説を持っていることを述べておく。
著者
田山 令史
出版者
佛教大学
雑誌
仏教学部論集 (ISSN:2185419X)
巻号頁・発行日
vol.97, pp.21-35, 2013-03-01

本居宣長の言語学は彼の三十代のころ、完成している。宣長はこの研究を四十代から本格化する『古事記伝』著述の基礎に置く。この論文では、宣長の語学を係り結び研究と語音研究の二分野に分け、『天尓遠波飛毛鏡』(明和八年)と『漢字三音考』(天明五年)を分析する。宣長の係り結びと語音についての思想は、ともにその一般性において際立つ。この一般性の性質、そして宣長の主張する言語の自然性との関連を探る。国語学は係り結びや音韻について、充実した研究史を持つ。重要な研究を顧慮しながら、この自然性の強調を考察する。