著者
古我 正和
出版者
佛教大学
雑誌
文学部論集 (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
vol.88, pp.93-102, 2004-03-01

イギリスのヴィクトリア朝は、対外的に大いに発展して経済的にも国内の産業がフル稼働していた時期であった。そのため人間個人の幸福や安寧はそれに追い付かず、 国家的な方面からの法整備もかなわぬままに、イギリス国民はその好景気に飲み込まれ、弱肉強食体制の中で、模索しながら生きていかなければならなかった。Charles Dickensはそのような世相の中で堅実に生きていこうとする庶民に日を向け、暖かく見守った。とりわけクリスマスには人々の心を癒してくれる物語を数多く書いた。本論では、そのクリスマスの物語の一つThe Cricket on the Hearthをとりあげ、そこに出てくる生きものと人聞が、ヴィクトリア朝というこの試練の時期にいかに懸命に生きているかを眺めながら、同時にディケンズの描くヴイクトリア朝の影も 探ってみた。
著者
筒井 大祐
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学総合研究所紀要 (ISSN:13405942)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.1-18, 2014-03-25

神功皇后新羅出兵譚を語る中世期の資料のひとつに『平家物語』がある。『平家物語』の神功皇后新羅出兵譚は、八幡縁起資料の内容と異なり、その依拠資料は未だ解明されていない。そこで本稿では、中世期における神功皇后伝承の展開を考察するためにも、延慶本『平家物語』の神功皇后新羅出兵譚を取り上げ、その依拠資料の解明を目的とする。そのために本稿では、従来、言及されていない延慶本と同一の神功皇后伝承を載せる資料として、聖徳太子伝を指摘し、その内容を延慶本と比較した。さらに、延慶本と同文の新羅出兵譚を有する太子伝の伝本である、寛文六年刊本、真福寺文庫蔵『仏法最初弘仁伝』、養寿寺蔵『平氏伝』などの文保本太子伝と、延慶本を比較、検討した結果、延慶本の神功皇后新羅出兵譚の依拠資料が聖徳太子伝であると結論付けた。
著者
空井 伸一
出版者
佛教大学
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.59-73, 2012-11-24

本稿は、護摩で用いられる「芥子」、就中その匂いを感受する作中人物の描かれ方を手がかりにその心根を照らし出す試みである。麻薬としてのいわゆる「罌粟(opium)」に通ずる芥子の語感から、異常な作用をもたらすように受け止められることがままあるが、しかし実際にそのようなことはない。さして変哲もないものに過剰に反応するなら、それは受け止める側の心の問題ということになるだろう。本稿が目的とするのは『雨月物語』中の二篇を読み解くことだが、その手始めに「芥子の香」なる特徴的な表現で知られた『源氏物語』「葵」の帖につき、それが六条御息所の苦衷を描く上でいかなる意味を持つかを考察する。次いで、この表現を自覚的に引用した「蛇性の婬」につき、豊雄に執念くつきまとう真女子は「芥子の香」をもって調伏されながら、しかしその香は同時に、加害を為す邪神とは断罪しかねる彼女の心意をも浮かび上げていることを論ずる。最後に、悪逆な死霊が高野山という霊場に跋扈し、しかもその死霊自らが霊場の神妙を言祝いでみせるという不可解さが読む者を戸惑わせてきた「仏法僧」につき、そのように言挙げする死霊たちの自意識を■明する上で、彼らの連句に読み込まれた「芥子」の語がひとつの徴証となることを論じる。
著者
長谷川 智治
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学総合研究所紀要 (ISSN:13405942)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.67-108, 2012-03-25

数多ある山岳表現をもつ作例の中でも法隆寺・玉虫厨子の山岳に施された表現・技法は特殊であり、類似作例はみられない。だがその全てが独自のもので、他からの影響が皆無であるとは考え難い。本論ではその源流を辿るべく古代中国の山岳表現をもつ作例の観察と読み解きを進めた。その上で玉虫厨子山岳表現の詳細な観察との比較を行った結果、玉虫厨子の山岳はある特定の時代や様式の影響を受けて施工されたのではなく、様々な時代の特徴を内包した復古的とも呼べる表現であることが判明した。そして比較対象として重要な表現をもつ作例が、梁と西魏と云う隣接した時代に確認された。さらに捨身飼虎図は場面の中に枝の折れた竹を含ませることで、場面から場面への時間的推移を表していた。そして物語の舞台である山岳は静から動へと変動していく様を場面順に捉えており、『金光明経』捨身品にある「大地六種震動」の情景が描写されている可能性が示唆された。
著者
徳安 浩明
出版者
佛教大学
巻号頁・発行日
2016

identifier:HBB05501008351
著者
平松 隆円 姜 鴬燕
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大學大學院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.115-126, 2007-03-01

本研究の目的は,社会的機能に関して学問的関心が高まっている化粧行動を主なテーマに,当該行動と自己に関連する心理学的要因である自己概念との関連性を明らかにすることである.その方法として,学生(男性414人:M=19.19歳,女性348人:M=18.95歳)を対象として,自己概念の構造を自己について多面的にとらえているHarterのSelf-Perception Profile for Children (SPPC)を用いて検討し,次に化粧行動といかに関連しているか質問紙による調査を行った.得られた結果を要約すると,以下の通りであった.1)「自分に満足している」「自信がある」などといった自己に対する評価的側面である自己価値は,男女とも容姿という自己の外見に関する認知的側面により最も規定されていることが明らかとなった.2)自己価値と化粧行動との関連性について,男性のみの結果ではあるが,自己価値が髪加工・パックに影響力を持つことが明らかとなった.
著者
田中 裕成
出版者
佛教大学
巻号頁・発行日
2021

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著者
宮脇 陽三
出版者
佛教大学
雑誌
教育学部論集 (ISSN:09163875)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.85-101, 2001-03-01

現代フランスの大学入学資格試験制度(パカロレア)は, 1985年に国民教育大臣シュベーヌマン(J.P. Chevnement) による「18歳人口の80%をパカロレア水準へ」という教育政策目標が提唱されて以来,そのための1985年11月の職業高校と職業大学入学資格試験(baccalaureat professionnel)の創設にともなって,高等教育の大衆化段階から普及化段階への移行を推進する有力な手段となっている。この大学入学資格試験制度は,1985年11月以後では,中等教育パカロレア(A,B, C, D,E科),と科学技術パカロレア(F,G,H科)と,職業パカロレアと,社会人対象の特別パカロレア(1986年3月創設)の4種類に分類することができるのである。大学入学資格取得者数は1985年が222,429人,1997年が471,000人, 2000年6月期が644,128人(LeMonde de l'education,Juillet-aout,2000,P.63)であって,1990年代の平均18歳入口の71-72万人の80%台にほぼ到達しているとみられるのである。この小論では,科学技術パカロレアの旧名称の技術者パカロレア(1969年創設)を中心として,大学入学資格試験制度の大衆化路線が走りだす1959年から1982年までの大衆化過程の動向を,(1)資格社会フランスにおける大学入学資格試験制度の存在意義,(2)1976年から1982年までの大学入学資格試験の進展,(3)大学入学資格試験における一般教養教育と職業専門教養教育の統合化の課題について考察しようとするものである。
著者
中河 督裕
出版者
佛教大学
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.227-246, 2009-11-28

松本清張が『天城越え』について自ら解説した「『黒い画集』を終わって」中の記述を手がかりに、静岡県警察部保安課発行の『刑事警察参考資料』第四輯(国立国会図書館東京本館蔵)中の第五編「天城峠に於ける土工殺し事件」をその原拠資料として提示する。原拠資料の大半がほとんどそのまま『天城越え』の2章の事件記録として用いられ、一部が1・3章の回想部分に振り分けられる。加えて、原拠資料と川端康成『伊豆の踊子』の作品世界との類似性から『伊豆の踊子』とは対比的な物語が構想され、その実現のために資料の細部にさまざまな操作・変更が加えられ、また原拠資料にない大塚ハナという女性が新しく造型されるなどして、原拠資料での単なる金目当てだった事件が、『天城越え』での性の目覚めが少年を突き動かして起こる事件に改められていく、そうした『天城越え』の生成の過程を詳細に見ていく。そこに、清張作品が生成する一つの事例が浮かび上がる。
著者
中井 真孝
出版者
佛教大学
雑誌
歴史学部論集 (ISSN:21854203)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.1-19, 2015-03-01

専修念仏に対する糾弾の嚆矢たる「興福寺奏状」について、これまでの定説を覆し、停止要請がなされたのは専修念仏それ自体ではなく、専修念仏者の逸脱行為であったとする研究が登場した。専修念仏停止の院宣・宣旨は繰り返し出たので、歴史上類例のない宗教弾圧とみてきたが、改めて関係史料を読み直すと、これまで専修念仏停止とみなしていた歴史事象の多くは、必ずしも専修念仏そのものを停止したのではなく、問題を起こした専修念仏者への法的措置であった。これまで専修念仏停止を命令したと見てきた院宣・宣旨等は、元久二年、同三年、建永二年、建保五年、同七年、貞応三年と史料に現れる。これらを詳細に検討したところ、いずれも糾弾の対象となった専修念仏者への法的処断であり、考察した元久元年から貞応三年までの間、一度も専修念仏は停止されていなかった。
著者
中村 一晴
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.73-89, 2009-03-01

本稿は、中世から神仏分離に至るまで仏教的神号として通用していた大明神号が何時頃誕生し、どのような過程で仏教と結びついてきたのかを、同時代の仏教から見た神祇信仰を追いながら考察したものである。第一章では、十世紀には大明神号が存在していたことを、『住吉神社神代記』以下の史料から明らかにすると共に、『門葉記』所引史料や東寺観智院旧蔵本『三宝絵』に見える大明神号が何時頃成立したのかについて考察する。第二章では、『御堂関白記』の中で他の神とは違う地位を与えられていた大明神とはいかなる神であったのかという点について考察し、十一世紀の神にはすでに仏菩薩の化身とする信仰が存在していたが、仏菩薩のように直接衆生を救済するのではなく、護法の役割が期待されていたことを明らかにする。第三章では、十二世紀に成立した史料を扱い、『悲華経』を典拠として釈迦が末法中に大明神として現ずるという説が『注好選』に見えており、そこでは神が仏菩薩の垂跡として認められながらも、仏菩薩と同じ救済の機能は認められておらず、結局は神を信仰することが否定されているということを述べた。その上で、同じく十二世紀前半に成立した『今昔物語集』でも神は積極的に認められていないが、その一方で神の「本地」である具体的な仏菩薩が設定されるのがこの時代であって、神が仏菩薩と同様に結縁し、往生を願う対象となっていくことを明らかにした。
著者
古賀 瑞枝
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.1-18, 2013-03-01

福岡県久留米市の筑後川畔に鎮座する水天宮は、全国の水天宮の総本宮である。文政元年(一八一八)、時の久留米藩主有馬頼徳が江戸へ勧請、以後江戸の人々に篤く信仰された。江戸の流行神と見るむきもある。現在、水天宮は安産の守護神として信仰されるが、本来は水難除けの神であった。水難よけの神が、なぜ安産の神となったのか。また、高度に医療が発達した現代にあって、安産の神が信仰されるのはなぜか。これを明らかにするため、まず、久留米での初期の水天宮信仰について紹介する。次に江戸での信仰、近代に入ってからの信仰、当時の家族と社会について考察する。資料として江戸時代の随筆や日記、明治からは戯作・小説・新聞記事などを使用する。より庶民に近い資料を用いることで、市井の人々が水天宮によせた思いに迫れると考えるからである。その結果、人々の願いをすくいあげて変容していく神の有り方が浮かび上がったのではないかと考える。
著者
山本 奈生
出版者
佛教大学
雑誌
佛大社会学 (ISSN:03859592)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.41-54, 2015-03-20

本稿は安倍政権下における「教育再生実行会議」の第五次提言を踏まえて,文科省で開催されている「実践的な職業訓練を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議」で行われた,冨山和彦委員の大学構想を批判的に考察する時事評論である。 経営コンサルタントである冨山委員は,独自の経済的世界観を大学や学問といった領域に敷衍して適用し,グローバル型大学とローカル型大学のいずれかに全ての大学は変わるべきであり,ローカル大学において学術的な一般教養や専門学知を教える必要はなく,それらは国際競争を勝ち抜くためにグローバル型大学において教授すべきであるとの持論を展開した。本稿はこうした言説に対する内在的な批判と外在的批判の二種類について検討し,大学の分類を経済的尺度のみによって行うことの問題点や,社会的公正さと人間の自由の観点からみて,当該報告の問題性がどの部分にあるのかを指摘した。
著者
濱田 幸子
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.103-118, 2011-03-01

16世紀後半、キリスト教布教・伝道を目的に来日した宣教師によって伝えられ、日本語に翻訳され国字文語体で書かれた『伊曾保物語』は、江戸時代初期、一般に広く普及した。『伊曾保物語』が刊行当初から出版され読み続けられたのは、それが寓話であり、その寓意がその時代にふさわしい教訓として受け入れられたからと考えられる。『伊曾保物語』の翻訳原典は先行研究によって15世紀後半に出たシュタインヘーヴェル本『イソップ』であるとされているが、『伊曾保物語』には序文も後書きもないため、成立の事情がわからない。そこで、同時期にキリシタンによってローマ字口語体で出版された『イソポのハブラス』と比較しながら『伊曾保物語』を読むことで、この書がどういうねらいで翻訳編集され、どのような経緯を経て、一般の日本人を対象とした教訓書として出版されるに至ったのか、その一端を明らかにしようとする。