著者
斎藤 英喜 ALASZEWSKA J. JANE Alaszewska
出版者
佛教大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2009 (Released:2009-04-01)

(1)ジェーン・アラシェフスカ氏は、来日後、斎藤の大学院ゼミで、これまでの「民俗音楽」研究の経過、成果などについての報告を行なった。またそのときに先行研究である本田安次氏によって公刊された、伊豆諸島南部の巫女祭文を解読し、そのなかでとくに、高知県物部村のいざなぎ流祭文との類似点が見出される「呪詛の祭文」の精密の解読を進めた。その結果、いざなぎ流の祭文とほぼ同様な表現があること、また陰陽道系の呪符などには、近世社会に流布した『大雑書』の引用があることが確認された。(2)以上の研究成果にもとづいて、2010年6月25日に立命館大学で行なわれたSOASの日本宗教研究センター主宰のシンポジウム「祈祷と占い」での研究発表を行った。その発表については、中世宗教研究者である阿部泰郎氏、伊藤聡氏からも高い評価を得ることができた。とくに阿部氏からは『大雑書』の引用については、愛知県「奥三河の花祭り」との接点なども指摘されて、ジェーン・アラシェフスカ氏の研究の広がりを再確認することができた。(3)その後、中世の祭文、神楽に関する先行研究である岩田勝氏の『神楽源流考』などの著作をめぐって斎藤との共同研究によって、伊豆諸島南部の巫女祭文の研究が、中世の祭文、神楽の問題へと展開すべきことを指示した。(4)さらに2010年10月7日から11月15日までの長期にわたる伊豆諸島、とくに青ヶ島におけるフィールドワーク行なった。そのなかで10月20日の「船頭の祭り」、21日の「東台所神社の祭り」の祭祀を見学し、計十二時間におよぶ映像記録を撮影した。また25日には、広江清子巫女の自宅で行われた「天神祭り」を取材し、十時間におよぶ映像記録を撮影した。さらに青ヶ島村で行われた巫女の土葬儀礼を見学し、取材を行なった。一方、東台所神社、奥山家、広江家、佐々木家などの巫女・神職関係者が所蔵する祭文資料を収集し、その撮影を行なった。(5)今後は蒐集した祭文資料などをデジタル化して、できれば公刊することをめざす。また中世の祭文、神楽研究のテーマからは、とくに仏教との関わりが「念仏」読誦の問題として浮上したこと、さらにいざなぎ流や奥三河花祭りなどに見られる「浄土神楽」との接点がどのようにあるかが今後の研究課題として残されている。また蒐集した祭文中に見られる修験道儀礼、呪符との繋がりの解読も来年度における研究課題となった。
著者
岡屋 昭雄
出版者
佛教大学
雑誌
教育学部論集 (ISSN:09163875)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.1-18, 1999-03-01

今回は、鈴木三重吉研究、わけでもその描写論を中心に論究することにする。筆者は鈴木三重吉「赤い鳥」の会に所属しつつもその研究を深めることには今ひとつ不足していた憾みを感じている。したがって、今回は、三重吉の処女作でもある「千鳥」を中心にその文学的な背景を明らかにすることに努力を傾注した。ともすれば鈴木三重吉の文学的な活動のみならず、三重吉の文学的な意味までも忘却されているのが実状である、といってもいいのではないだろうか。最近の文学作品を読んでみてもその文体が暖昧であることに逢着する。それに対して、三重吉の文体の確かきには多くの学ぶ点があるのではないのか、というのが筆者のそもそもの出発である。それと写生文という運動を再評価したい、というのも筆者の研究の動機でもある。したがって、今回は、「赤い鳥」綴り方運動の前段の作業として位置づけ、三重吉の文学活動を作品に即しつつ深めながら、その文章の特質を明確にすることを目的とするのである。さらには、この文学的な活動の延長線上に子どもへの綴り方指導の基礎的指導を構想したものとして位置づけることになる。三重吉の作品分析を単に分析のみに終わらせることなく、この文学的な三重吉の営為から、子どもへの綴り方指導論が成熟するきっかけとして把握できる、との仮説を持っていることを述べておく。
著者
田山 令史
出版者
佛教大学
雑誌
仏教学部論集 (ISSN:2185419X)
巻号頁・発行日
vol.97, pp.21-35, 2013-03-01

本居宣長の言語学は彼の三十代のころ、完成している。宣長はこの研究を四十代から本格化する『古事記伝』著述の基礎に置く。この論文では、宣長の語学を係り結び研究と語音研究の二分野に分け、『天尓遠波飛毛鏡』(明和八年)と『漢字三音考』(天明五年)を分析する。宣長の係り結びと語音についての思想は、ともにその一般性において際立つ。この一般性の性質、そして宣長の主張する言語の自然性との関連を探る。国語学は係り結びや音韻について、充実した研究史を持つ。重要な研究を顧慮しながら、この自然性の強調を考察する。
著者
瀧本 佳史 青木 康容
出版者
佛教大学
雑誌
社会学部論集 (ISSN:09189424)
巻号頁・発行日
vol.57, pp.51-67, 2013-09-01

沖縄県は都道府県の中でもっとも地籍調査が進んでおりその進捗率はほぼ100%にも達するという。その理由は先の戦争に起因するところが大きい。本稿は沖縄県の地籍調査が戦後の米軍基地化によって一層困難になりながらも,1972 年の日本復帰以前と以後においてどのように取り組まれてきたのかを示すと共に,なお土地所有関係が確定しない境界不明土地がどのように地域的に偏在しているのか,それによってどのような地域問題を抱えることになったのかなどについて説明する。それによって,進捗率が高いことが必ずしも土地問題を解決したわけではないことが明らかになるだろう。
著者
菊池 明
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 社会学研究科篇 (ISSN:18834000)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.1-17, 2013-03-01

マレーシアは多民族・多文化社会であるが,世界的に民族要因の紛争が拡大するなかで1969 年5 月のマレー系・中国系の対立を最後に大きな紛争を経験していない社会である。この要因として民族横断的で強力な政権政党の存在を挙げる者がいるが,この政治体制も基盤となる日常世界とリンクしているものである。本論文では多民族が混交する日常世界に焦点を当て,ゴッフマンの儀礼論・集まり構造論を柱としその安定化の様相を検討している。すなわち人々が多民族的集まりの状況を感得しながら自己を表出し,また他者の民族・宗教スティグマを捨象する「戦略的パフォーマー」像を提示するとともに,異なる民族が接触する領域に彼らが創りだす「境界の集まり」を考察し,これらが多民族間の平和維持に寄与している事実を明らかにしている。
著者
坪内 逍遥 坂井 健
出版者
佛教大学
雑誌
文学部論集 (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
vol.97, pp.23-31, 2013-03-01

『小説神髄』は、ごく簡単な擬古文で書かれているのだから、わざわざ現代語訳する必要はないし、近代文学を勉強しようとするものなら、当然、原書にあたって勉強するべきだというのは、なるほど、そのとおりだとは思うけれども、実際に、『小説神髄』を原書のまま読んで、正しく理解できる人は、大学四年生くらいでもごく少ないし、特に、この本を読んでほしいと思う大学二、三年生ではほとんど居ないといってもいい。そこで、いくらか無駄な仕事に属するかもしれないけれど、あえて『小説神髄』を現代語訳にすることにした。訳にまちがいや不適切な表現があるかもしれない。識者の叱正を乞う。なお、注は、日本近代文学大系『坪内逍遥集』(中村完注釈、角川書店、昭和四九年一〇月)に詳細な注があるので、ここでは、最小限にとどめた。この注には、さまざまに教えられるところがあったので、記して、感謝の意を表したい。現代語訳の底本は、初版本(松月堂、明治一八?一九年)とした。要するに、本稿は、岩波文庫『小説神髄』をもちながら、そのままでは理解しにくい初学者を主に念頭において訳したものである。
著者
南條 佳代
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.181-193, 2012-03-01

『枕草子』において、書に関する多くの記述がなされている。これは、書に造詣が深い清少納言ならではの書道観として、この時代の書風や様子を著しているのである。では、随筆である『枕草子』での書の扱われ方は、実際にこの物語が書かれた平安時代の書と、どういった関わりがあるのだろうか。本文において、紙(料紙)や消息文、添え物、書風の分析を加えながら検証していきたい。さらに、本稿では、『紫式部日記』より紫式部における清少納言の人物評について見ていき、それを踏まえた清少納言の書の捉え方、またこの時代の書の扱われ方について考察し、明確にしていくものである。
著者
清水 稔
出版者
佛教大学
雑誌
文学部論集 (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
vol.94, pp.1-14, 2010-03-01

日本人は古代から今日にいたるまで、さまざまな外来文化を摂取し続けてきた。小論では、日本における外来文化の受容の歴史を外国語学習と教育の目的の観点から分析し、とくに明治以降の英語学習と教育がその受容の歴史をつよく反映していることを提示するとともに、またそれが、素読・会読・訳読といわれる漢文の学習法にもとづく蘭学の教授法(訳読方式)を継承する系譜と、お雇い外国人・宣教師あるいは海外留学経験者らによる英語教授法(オーディオ・リンガル・メソッド)の系譜との相克上にあることを確認する。
著者
中村 孝広
出版者
佛教大学
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.243-247, 2010-11-27

中村不折が皇紀二千六百年を祝って書いた掛軸「皇紀二千六百年記念」が真筆である根拠を記し、さらに掛軸を具体的に分析し、結果を記述したものである。
著者
植田 喜久子
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大學大學院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.161-172, 1999-03-01

阪神・淡路大震災後における視覚障害者の移動・情報入手の実態について視覚障害者10名に半構成的面接調査法を行い明らかにした。大震災により環境は変化し,視覚障害者は環境を把握するてがかりを失い単独での移動が不可能になり,移動時間の延長や移動範囲が狭くなっていた。また,震災後の情報の伝達方法は健常者中心であり,視覚障害者は点字,ラジオ,家族や知人の説明により情報入手していた。災害時に視覚障害者自身が自助努力のみで移動したり生活に必要な情報が入手できないため,誰もが視覚障害者の不自由について理解し対応する重要性がある。誰もが災害時に人間がどのような体験をするのかを理解し,いかなる状況においてもより豊かに生きることができるように生活のあり方について学習する必要がある。学習課題の緊急性を考慮すると災害に関する学習は,生涯学習の現代的課題である。
著者
西之園 晴夫 望月 紫帆
出版者
佛教大学
雑誌
教育学部論集 (ISSN:09163875)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.59-67, 2006-03-01

生涯学習社会においては,従来の個人的な教養や資格取得に対応するだけでなく,変動と多様化を迎えて専門職能の育成など高度職業教育を必要としている。この場合,従来の講義方式では多様化に対応できず,ゼミ方式の少人数方式では教育コストの面で多人数教育には望めない。そこで多人数でありながら,協調と自律を目指した自主学習システムを開発しているが,その方法論ならびに佛教大学で276名の多人数授業を実施したときの成果を報告している。
著者
杉原 努
出版者
佛教大学
雑誌
社会福祉学部論集 (ISSN:13493922)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.31-45, 2015-03-01

日本は世界でも群を抜いて多数の精神科ベッドおよび長期入院者があり,その対応は精神保健福祉政策の喫緊の課題である。そこで,長期入院者への退院支援に関する先行研究の論点を明らかにするとともに,退院を困難にしている要因の検証を行った。さらに,先行研究が着目した研究視点をカテゴライズした。その結果,17 の概念,5つのサブカテゴリー,2 つのカテゴリーに分類できた。一つのカテゴリー(表2 の番号1 から9) では,日本の精神科医療政策の問題点が明らかになった。地域における社会資源整備の遅れにより長期入院を生じさせてしまった現状があった。もう一つのカテゴリー(表2 の番号10 以降) では,考え方や実践における退院支援の観点が明らかになった。退院支援方法の確立と地域における支援システムの形成がなされつつある現状があった。これらは,長期入院者の社会的復権に向けた取り組みの一つとして位置づけられよう。本稿では主に前者のカテゴリー内容について論じる。後者のカテゴリー内容については第2 稿に示す。
著者
村岡 潔
出版者
佛教大学
雑誌
社会福祉学部論集 (ISSN:13493922)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.67-73, 2014-03-01

本稿は,前回の隠謀学入門を受けて,その続編として執筆した。最初に,前回のまとめとして隠謀学の定義を簡単にまとめた。ついで,隠謀学的推論の基礎として,まず,「イベント」の単純パズル化について解説し,次に,隠謀学的営為においては等身大の思考が重要である旨を示唆しつつ,「隠謀学的サーブ権」について言語学的な観点から解説した。最後に,コジコジとジョージ・ムーンを取り上げ,隠謀学的等身大の生き方について若干のコメントを述べた。
著者
後中 陽子
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大學大學院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.69-82, 2007-03-01

〈永遠〉はディキンスンの詩の重要なテーマの一つである。詩人は、712番の詩のなかで、死出の旅は「永遠へ向かう」('toward Eternity')旅であると歌っている。それでは、彼女にとっての〈永遠〉とはどこにあるのか、本稿はこの疑問についての解明を目的とする。511番の詩は、恋人を待ちわびる恋愛詩のようにも解せるが、これを宗教詩として読むことで〈永遠〉の在り処が明らかになってくる。ディキンスンの詩は多義的であり、さまざまな解釈が可能である。この小論においては、聖書からの引喩に着目して、宗教詩としての見地からこれら二つの詩を解釈していく。
著者
舩田 淳一
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学総合研究所紀要 (ISSN:13405942)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.359-380, 2009-03-25

近年,中世の律宗・律僧に対する関心は高く,多くの研究が蓄積されているものの,いまだそれらの中心は叡尊・覚盛ら南都の戒律復興僧が占めていると言って良い状況にある。そこで本稿では,叡山の戒律復興運動に対する一考察を試みる。具体的には叡山における律僧集団である「戒家」の劈頭をなす,恵尋を主たる対象に据えるものであり,特に戒家の戒律思想が国家観念と結合していた点に注目したい。これは叡山の戒律復興運動を中世思想史の中に位置づけるための基礎作業である。
著者
野崎 敏郎
出版者
佛教大学
雑誌
社会学部論集 (ISSN:09189424)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.105-121, 1998-03-02

ヴェーパーの論じた資本主義の精神は,成熟した資本主義に適合的な精神ではなく,資本主義を創出する起動力となった精神であった。その精神においては,倫理と営利とが内的に不可分に媒介しあっており,そうした特殊な倫理規範に支えられた営利活動を展開したのは中産的生産者層のみであった。だからこそイギリスで産業革命が開始されることになった。幕末維新期の日本においては,そうした精神をもつことなく,(1)封建的関係意識と功利主義との混在(2)目的志向的倫理観の立身出世主義への転換(3)大衆的規模における知的水準の向上という独特の精神文化が出現することによって,日本的資本主義への道が拓かれることになった。
著者
中河 督裕
出版者
佛教大学
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.227-246, 2009-11-28

松本清張が『天城越え』について自ら解説した「『黒い画集』を終わって」中の記述を手がかりに、静岡県警察部保安課発行の『刑事警察参考資料』第四輯(国立国会図書館東京本館蔵)中の第五編「天城峠に於ける土工殺し事件」をその原拠資料として提示する。原拠資料の大半がほとんどそのまま『天城越え』の2章の事件記録として用いられ、一部が1・3章の回想部分に振り分けられる。加えて、原拠資料と川端康成『伊豆の踊子』の作品世界との類似性から『伊豆の踊子』とは対比的な物語が構想され、その実現のために資料の細部にさまざまな操作・変更が加えられ、また原拠資料にない大塚ハナという女性が新しく造型されるなどして、原拠資料での単なる金目当てだった事件が、『天城越え』での性の目覚めが少年を突き動かして起こる事件に改められていく、そうした『天城越え』の生成の過程を詳細に見ていく。そこに、清張作品が生成する一つの事例が浮かび上がる。
著者
齊藤 隆信
出版者
佛教大学
雑誌
仏教学部論集 (ISSN:2185419X)
巻号頁・発行日
vol.99, pp.1-19, 2015-03-01

念戒一致ということばがあるが、そもそも念仏行と戒行は一致しない。厭穢欣浄の念仏は現世否定(いかに浄土に生まれるか)の行法、仏教道徳の戒は現世肯定(いかに娑婆で生きてゆくか)の行法である。もし両者が一致すると言うのであれば、伝宗と伝戒(または結縁五重と結縁授戒)を分けて相伝する必要はなくなる。それにも関わらず今なお念戒一致が説かれている背景には、宗戒両脈を関連づけようとする発想がある。これは伝法然作『浄土布薩式』に拠りつつ、近世に席巻した布薩伝法が契機となっていることは明らかである。本稿は、念戒一致の根拠となった近世の布薩伝法における布薩戒(念仏戒)についての報告である。結論を先取りすれば、布薩戒(念仏戒)とは近世における布薩伝法の口伝の実体であり、念戒一致とは近代以後の名称である。つまり、布薩伝法が廃絶された大正以後も、口伝だけはしぶとく残存し、その名を布薩戒から念戒一致に改めて、まことしやかに伝えられてきているのである。