著者
小堀 智恵子
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 社会福祉学研究科篇 (ISSN:18834019)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.1-18, 2010-03-01

次世代育成支援地域行動計画によって,保育現場は様々な事業を担いながら,一方で人材や空間などの保育条件が充分に保障されないという矛盾を抱えて,日々実践していると考えられる。本論は,前期行動計画が保育現場にどのような影響をもたらしたのか,その現状と課題について明らかにするために,統計資料を中心に分析をした。その結果,待機児童対策と特別保育事業は量的に拡大しているが,その中心は民間保育所であること,公立でも民間でも非正規職員が増加していることがうかがえた。さらに,一時保育と地域子育て支援センターは,困難な条件の下での実践を余儀なくし,全市的に見て充分機能しているとは言えない状況がみられた。公的保育制度を後退させながら数値目標を追う行動計画は「保育の質」を担保できず,保育現場においては,子どもの発達要求と保護者の保育要求を軸に,実践を組み立てていくことが課題であることを述べた。
著者
西 悠哉
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大學大學院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.19-35, 2007-03-01

綱島梁川(一八七三-一九〇七)は、哲学や倫理学に関する多くの著作を残す一方で、自らの宗教体験の告白「予が見神の実験」(明治三十八年)によって世間の注目を集めた。日露戦争の只中、多くの青年が自己・世界の意義について懐疑し、煩悶が社会現象になっていた。「見神」と呼ばれるこの体験において、「神は現前せり、予は神に没入せり、而も予は尚ほ予として個人格を失はずして在り」(「予は見神の実験によりて何を学びたる乎」)と述べられる事が注目される。このことは、本論文で示すように、宗教と倫理・社会の関わりという、より基本的な問題に梁川は身をもって答えているのである。本稿では、宗教と倫理をつなぐものとして、梁川の個我に注目し、宗教と倫理を断つ時代風潮に抗して、それらを橋渡しする個である梁川の自我を探る。
著者
田村 有香
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 社会学研究科篇 (ISSN:18834000)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.1-18, 2014-03-01

この論文は,流通にのらない廃棄野菜をシート状に加工することで新しい用途を探り,将来的には食品系廃棄物の減量を目指す目的で作成するものである。食品廃棄物の大量発生は,国際的にも非難の的となり得る重大な問題であり,根本的で継続的な対策が望まれている。本稿では特に,未利用の野菜資源に着目した。野菜は,流通規格の問題,相場の問題,品質の問題,食文化の変化などの理由で生産量の約6 割程度しか出荷できず,残りは圃場で廃棄されているが,正確な量は統計にも表れない。その未利用野菜の有効利用に向けて,シート加工の可能性を検証した。気象条件や作物の状態,小売店との関係等によって,性状や発生量,品質,種類などが一定にならないことを考慮すると,野菜の種類や状態に左右されずに加工できる野菜シートの応用可能性は大きいと考えられる。今後は食品としても洗練されたデザインを導入したり,栄養素などの機能性を高めたりすることで付加価値を高め,新たな需要を掘り起こすなどのさらなる取り組みが必要である。
著者
西丸 良一
出版者
佛教大学
雑誌
佛大社会学 (ISSN:03859592)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.57-61, 2006-03-25
著者
本庄 良文 本庄 良文
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学法然仏教学研究センター紀要 (ISSN:21888442)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.17-24, 2015-03-25

法然の直弟子である隆寛の撰述にかかる『知恩講私記』は、法然滅後、月命日ごとに専修念仏の徒が、東山大谷の法然廟所において報恩のために修した法会の講式である。その中で作者は、法然の遺徳を、(1)諸宗通達徳、(2)本願興行徳、(3)専修正行徳、(4)決定往生徳、(5)滅後利物徳の五項目に亘って讃歎しているため、おのずからそれが現存最古の法然伝ともなっている。現代語訳が発表されていない現状に鑑み、試訳を行って、将来の総合的な研究のための資料としたいと思う。けだし、本文校訂と内容理解とは相互補完的な関係にあり、一方を欠いて他方のある道理がないからである。
著者
八木 みどり
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.125-138, 2009-03-01

形容詞「おぼつかなし」の用字として現在では「覚束なし」が使われることが多いが、鎌倉時代に成立し、その後さまざまな人びとによって改変され、増補されていったとされる平家物語諸本ではこの語が数種類の文字で表わされている。その中に辞書などにもあまりみられない「■」という文字がある。管見では現存作品のなかでは平家物語諸本でしか見ることができない。また字書類の中では、鎌倉時代に成立したと考えられる『字鏡集』を初見として、江戸時代後期には日常つかう字書から消えてしまう。倭字は、字書では慣習的にその文字の出典を書かない傾向があるのでその来歴が不明であることがある。本稿ではこの「■」という文字がどのようにして生まれ、倭字として成立し、消えていったのかを、中国、韓国、日本の古辞書、また平家物語諸本から探ってみたい。(本稿では国字という語の代わりに、日本で作られた漢字に似た文字をあらわすことを明確にするために倭字という語を用いることにする。)
著者
原田 敬一
出版者
佛教大学
雑誌
歴史学部論集 (ISSN:21854203)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.103-124, 2014-03-01

本稿は、新出の史料である「従軍日誌」一編を使用して、「日清戦争」を従軍者がどのように描いているか、を追究した『歴史学部論集』創刊号以来掲載してきた論考の続きである。何度も繰り返すが、「従軍日誌」の著者は、混成第九旅団野戦砲兵第五聯隊第三大隊第五中隊に属する将校であり、一八九四年六月六日から翌年二月一四日まで日記を書き続けた。戦争が終わって後の清書や、整然と整理された刊行物ではなく、戦場という現場で書いていた日記と推測される。しかもこの執筆者は、日本の大本営が、日清戦争開戦前に、「居留民保護」を名目に朝鮮に派兵した混成第九旅団のうち、最初に派遣された部隊の一員であったという特色がある。参謀本部が編纂し、刊行した『日清戦史』全八巻には、中塚明氏や一ノ瀬俊也氏などにより遺漏や改ざんの跡がいくつか指摘されており、そのことも、「従軍日誌」という軍人自身の記述により再検討することができる。『歴史学部論集』創刊号に六月六日から七月二六日まで、同第2号に七月二七日から九月一四日(平壌総攻撃前日)まで、第3号に九月一五日(平壌総攻撃日)から一〇月二三日まで掲載した。本号は、鴨緑江渡河戦にむかう一〇月二四日から、鴨緑江渡河戦、九連城攻略戦を経て、冬期の鳳凰城守備戦になる。以後は次号となる。
著者
高田 祐介
出版者
佛教大学
雑誌
歴史学部論集 (ISSN:21854203)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.43-70, 2012-03-01

本稿では、従来ほとんど注目されることのなかった、明治二五・二六年における明治維新「志士」の靖国合祀・贈位・叙位遺漏者問題に焦点をあてた。靖国合祀処分での「国事殉難」、そして贈位・叙位措置での「勤王」の枠組みや価値基準を実証的に解析することで、当該期に維新を振り返った際に国家・地域双方が抱えた課題ないしこれに纏わる歴史意識の動態を明らかにした。
著者
山西 泰生
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大學大學院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
vol.36, pp.99-111, 2008-03-01

文学作品が誕生するとき、そこに作り手の思想、所属組織(集団・階層)、時代の社会状況といった大きな「背景」が存在し、それらを作品内容と完全に切り離すことは不可能であろう。むしろ「背景」から作品が発生するとしたほうが適切であろうか。これは文字が氾濫し、個人でも作品を生成できる現代と違い、限られた場所・階層でしか作品を創造することができなかった中世であれば尚更であると考える。鎌倉幕府御家人の安達氏は「秋田城介」に任官したことから「城氏」でもあった。鎌倉末期を編纂期と想定する真名本「曽我物語」は「安達氏」ではなく「城氏」として扱う。そして、それは歴史という観点からは矛盾を生じているのである。この矛盾には、真名本作者が生きた時代の社会情勢を背景とし、そこに根差した安達氏に対する作者の強い関心がうかがわれるのである。
著者
持留 浩二
出版者
佛教大学
雑誌
文学部論集 (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
vol.89, pp.103-113, 2005-03-01

サリンジャーの短編小説「テデイ」に秘められたサブ・テクストとは一体どういうものなのかということを考察している。サリンジャーはグラス・サーガを書き始めるまでは比較的自伝的色彩の濃い作品を書いていたが、グラス・サーガ以降の作品は冗漫な作品が多く、その作品群のメッセージはなかなか読み取れない。偏執的なまでにプライパシーを大切にするサリンジャーはグラス・サーガを書くことによってそれまでの自伝的色彩の強い作品群を隠蔽しようとしたのではないかというのが本論文の趣旨である。「テデイ」の主人公はグラス・サーガの中心人物シーモアのプロトタイプといえる人物で、彼を通じてサリンジャーは前期シーモアを後期シーモアの創造によって隠蔽しようとするのである。
著者
若井 敏明
出版者
佛教大学
雑誌
歴史学部論集 (ISSN:21854203)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.77-89, 2013-03-01

白雉四年(六五三)に中大兄皇子らが孝徳天皇をおいて難波から飛鳥に帰還した事件(白雉四年の政変と呼称)を、改新政府がすすめた改革と大夫や伴造・国造との関係を中心に考察。改新政府の進めた徳治主義的改革は彼らの利害とあいいれず、その不平を背景に開発独裁的政治をめざす中大兄皇子がおこしたクーデターとの評価が与えられることを論じた。
著者
中河 督裕
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学総合研究所紀要 (ISSN:13405942)
巻号頁・発行日
vol.2008, no.1, pp.19-36, 2008-12-25

今日「古都京都」ということばに違和感を持つ人はいないだろう。京都の代名詞になった感のある「古都」ということばは、しかし、いつ使われるようになり、どのように定着していったのか。近代の小学校国語教科書の教材文と京都内外の出版物の書名にその出発点を探り、さらにレコードや映画などにうかがうことのできる三都(京都と東京・大阪)の性格の変遷をそこに重ねてみると、大正末から昭和初年代にかけて、京都が三都の力学的関係の中で独り伝統に回帰していこうとする足取りをたどることができる。時代の推移につれ、「寺と女」を京都の代表的風物と見なすような外からのイメージを、京都が自らのアイデンティティとして受け入れざるを得なくなる様相をとらえたい。
著者
岡屋 昭雄
出版者
佛教大学
雑誌
教育学部論集 (ISSN:09163875)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.1-18, 1999-03-01

今回は、鈴木三重吉研究、わけでもその描写論を中心に論究することにする。筆者は鈴木三重吉「赤い鳥」の会に所属しつつもその研究を深めることには今ひとつ不足していた憾みを感じている。したがって、今回は、三重吉の処女作でもある「千鳥」を中心にその文学的な背景を明らかにすることに努力を傾注した。ともすれば鈴木三重吉の文学的な活動のみならず、三重吉の文学的な意味までも忘却されているのが実状である、といってもいいのではないだろうか。最近の文学作品を読んでみてもその文体が暖昧であることに逢着する。それに対して、三重吉の文体の確かきには多くの学ぶ点があるのではないのか、というのが筆者のそもそもの出発である。それと写生文という運動を再評価したい、というのも筆者の研究の動機でもある。したがって、今回は、「赤い鳥」綴り方運動の前段の作業として位置づけ、三重吉の文学活動を作品に即しつつ深めながら、その文章の特質を明確にすることを目的とするのである。さらには、この文学的な活動の延長線上に子どもへの綴り方指導の基礎的指導を構想したものとして位置づけることになる。三重吉の作品分析を単に分析のみに終わらせることなく、この文学的な三重吉の営為から、子どもへの綴り方指導論が成熟するきっかけとして把握できる、との仮説を持っていることを述べておく。