著者
渡邊 忠司
出版者
佛教大学
雑誌
鷹陵史学 (ISSN:0386331X)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.151-175, 2014-09-30
著者
渡邉 秀司
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 社会学研究科篇 (ISSN:18834000)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.37-54, 2014-03-01

本稿はオタクと自ら意識する人たちについて考察をおこなうものである。現状さまざまなオタク論があり,本稿では代表的な論者である大澤真幸,大塚英志,東浩紀のそれを整理し,それらが「大きな物語」という概念に関わる議論である事を述べた。そのうえで,オタクを考えるためには個別的なデータの収集が重要であるとして,インタビュー調査の内容を述べた。オタクと自認しオタクアイデンティティを獲得した人がオタクであるという田川隆博の見解を評価しつつ,オタクと自認する人とそれ以外の他者との緊張感が,オタクを考える上では重要なのではないかと結論づけた。オタクはオタクという特殊な人種ではない。オタクとは現代社会で爛熟した文化を享受する「普通の人」たちであり,オタクを考えることは現代社会を考えることにもつながるのである。
著者
鈴木 文子
出版者
佛教大学
雑誌
文学部論集 (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
vol.93, pp.1-20, 2009-03-01

明治時代に始まる「趣味家」といわれるコレクターは、日露戦役の記念絵葉書ブームを経て、大正以降、一般大衆へ広がっていく。また、彼らの趣味蒐集の触手は、時代の趨勢のなか自然に植民地へも伸びていく。本稿では、これまであまり注目されることがなかった趣味家たち、特にその代表的存在である郷土玩具の蒐集家と植民地の関係を考察することにある。趣味家たちは、複数の趣味家集団に属し、自作の版画を交えた多くの同人誌を作成し、また、絵葉書等でさまざまな情報を交換していた。彼らの通信文化を分析しながら、ジャーナリズムとは異なる形で一般の人々に流布していた植民地の風景を考察する。
著者
青山 忠正
出版者
佛教大学
雑誌
歴史学部論集 (ISSN:21854203)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.55-66, 2015-03-01

いわゆる破約攘夷論は、文久二年(一八六二)から三年にかけて最盛期を迎えた。しかし、その主唱者、長州毛利家の言動を見ても、それは一般に理解されているような、一方的な外国艦打ち払い論ではない。むしろ、現行の条約をいったん破棄してでも、日本側が主体的な性格を持つ条約に改めようとする意図を持っていた。孝明天皇においても、その点は同様である。その天皇は、慶応元年(一八六五)十月、条約を勅許するに至った。そこに至る経過を、下関戦争の国際的な背景などを踏まえ、言葉の意味を再吟味しながら考察する。
著者
片山 正彦
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大學大學院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.41-53, 2006-03-01

豊臣政権期には、「在京賄料」といわれる知行が存在する。在京賄料とは、豊臣政権の傘下に入った諸大名が、上洛の際に必要な費用や在京中の費用を賄うための知行であるといわれる。これは豊臣政権による諸大名への上洛催促に対応していることから、諸大名統制の一環であると考えられ、天正十四年(一五八六)以降に豊臣氏と主従関係を結んだといわれる徳川氏もその例外ではないと思われる。在京賄料の宛行は、豊臣政権にとって重要な政策であることは明らかだが、これに関する研究はほとんど皆無といってよい。最近、豊臣政権が家康に宛がったとみられる近江在京賄料に関する史料(「九月十七日付家康書状」)が発見された。この史料は家康から豊臣秀吉家臣の木下吉隆・長束正家に宛てた書状である。この史料は分析の結果、天正十七年に比定され、この時点で家康への近江在京賄料が宛がわれた事実を確認できる。本稿では、天正年間における豊臣政権の在京賄料に関する分析を行うにあたって、その材料として「九月十七日付家康書状」を挙げ、この書状の分析を行いつつ、秀吉から家康へ宛がわれた近江の知行に関する考察を行いたい。
著者
南條 佳代
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学総合研究所紀要 (ISSN:13405942)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.55-70, 2014-03-25

佛教大学二条キャンパス造成地であった京都市中京区西ノ京星ヶ池町にて、「三条院釣殿高坏」と墨書された高坏が出土しよしみたため、そこは、平安時代前期に右大臣を務めた藤原良相(八一三?八六七)の邸宅「西三条第」(百花亭)跡地であることが確実になった。さらにそこでは、仮名文字が記された墨書土器が多数出土した。その表記内容について解釈されている釈文を、新たに変体仮名の文字形態より分析、検討を加えた結果、出土土器(墨14)には、古今和歌集の初句が表記されているのではないかと考えられ、また、(墨15)は、「かつらきの」と判読できることから万葉歌の一部分であると考察される。それらを踏まえ、書風についても実際の書道史上の作品との比較を通して明確にする。
著者
坂井 健
出版者
佛教大学
雑誌
文学部論集 (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
vol.90, pp.1-10, 2006-03-01

没理想論争時に森鴎外がハルトマンの思想によったのは、ハルトマンの『無意識の哲学』に反ダーウィニズムの発想を読み取ったからだといわれるが、ドイツ滞在時にはまだ本書をひもといてはいない。ではなぜ鴎外はハルトマンを選んだのか。それはドイツ滞在時にシュヴェーグラーの『西洋哲学史』を読み、そこで紹介されているハルトマンの考え方、すなわち、現象世界に理性的なものが現われているとの主張に感銘したからである。
著者
角田 尚子
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 社会学研究科篇 (ISSN:18834000)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.19-36, 2011-03-01

日本ではまだ認知が低いベジタリアンであるが,何がベジタリアンの妨げになっているのか,その妨げが後のベジタリアンとしての成長にどのような影響を及ぼすかを考える。本稿では8人のベジタリアンにインタビュー調査を実施し,彼ら/彼女らへの近親者の干渉と,それに対するベジタリアンの反応や対応を読み取った。その結果,欧米のベジタリアンには見られない傾向があることが分った。それは近親者が日本的な食の常識に基づき善意の干渉をすることによって,ベジタリアン自身が食の常識に合わせてしまうという傾向である。また,近親者からの干渉が大きいほど「日本的ベジタリアン」として極めて狭い範囲の行動・活動しかできず,自身の望む食生活が送れないことが分った。他方,近親者からの干渉が少ないほど「欧米的ベジタリアン」として自身の望む食生活を送り,更にはベジタリアン活動を広めていこうとする動きがみられた。
著者
篠原 由利子
出版者
佛教大学
雑誌
福祉教育開発センター紀要 (ISSN:13496646)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.37-52, 2015-03-31

精神保健医療福祉領域にあって、当事者の心理・社会的支援を深めていく視点として不可欠なものが生活者の視点であり、障害特性(生活のしづらさ)であることは言うまでもない。疾患や障害が医学的記述やチェックシートによって計測され、計量化される時代にあって、福祉支援は「生きづらさ」「付き合いづらさ」等々、生活面、人生面に及ぼす影響がどのようなものかという当事者理解はことさらに必要である。しかし体験を理解するのはなかなか難しいものである。当事者の体験記や教育教材も出版されつつあるが、この稿では映像(映画)による共感的理解の深まりの可能性を論じた。
著者
青山 忠正
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学総合研究所紀要 (ISSN:13405942)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.23-42, 1999-03-25

The period between the signing of Japan-America Washin (和親) agreement in 1854 and the commercial treaties in 1858 has been generally considered the age in which Western European countries opened Japan, and the Zyoui (攘夷) movement that become widspread in 1862-1863 was believed to be a conser- vative reaction to the foreign threat. The aim of this paper is to counter the above opinions and to interpret what the words, Washin (和親) , Tsusho (通商), Zyoui (攘夷) originally meant in the East Asia of the 19th century on the historical basis of Kai-Tituzyo (華夷秩序). In 19th century, Japan had two available courses, Tsusho and Zyoui, for dealing with Western foreign powers. Tsusho meant to give foreigners permission of limited trade in Nagasaki. Zyoui meant to expel foreigners who refused Tsusho. And Japan might take a temporary measure while it was not prepared to expel the foreigners yet. That was Washin. The Tokugawa Shogunate Office signed the commercial treaty of free trade in 1858 without domestic agreements, and planned to return to the Washin later. But the Western countries did not recognize the plan. A political group in Japan insisted that Japan should break the treaty if Japan would start a war against the Westerners, and sign a new treaty to which everyone in Japan agreed. They called the strategy Hayakuzyoui (破約攘夷) in 1862-1863. The Hayakuzyoui group did not hesitate to begin war but the Emperor (天皇) and Shogun finally avoided it. Therefore Hayakuzyoui was not realized and the group lost their power.
著者
鈴木 亜香音
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学総合研究所紀要 (ISSN:13405942)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.95-113, 2015-03-25

本稿は,元安寧学区絵図群,特に大工町を中心に,絵図から地籍図,そして旧公図への系譜を検討したものである。先行研究で指摘されてきた9種類の絵図のうち,記載項目の変化や加筆の有無を指標として検討した結果,大工町では「町組改正絵図」,「軒役改正絵図」,「大工町絵図」(「壬申地券地引絵図」と推定),「地租改正地引絵図(等級)」,「地籍編纂地籍地図」,「旧公図」の6種類が確認できた。その6種類の系譜的関係から,近世町絵図を出発点として,近代初期の町絵図から地籍図的な要素をもつ絵図,地籍図,そして旧公図への流れが確認できた。このことは,近代の地図として理解されてきた地籍図が,近世町絵図を近代的な土地管理への移行にあわせて改変したものであったことを意味している。また,近代的な地籍図への転換点が「壬申地券地引絵図」から「地籍編纂地籍地図」への変化にあったことが明らかになった。これは,図面と台帳との分化がここから進んでいったことにも現れているのである。
著者
安達 泰盛
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 教育学研究科篇 (ISSN:18833993)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.55-72, 2009-03-01

現在の民間機関での犯罪被害者支援の主な担い手はボランティアとなっている。しかし、犯罪被害者支援の研究の中でそのボランティアに着目した研究はまだ見られない。本論文では、ボランティア参加者の語りに着目し彼らが活動を通してどのようなことを感じているか、その体験の意味づけがどのように変容しているかという点に注目し、その流れを明確化させることを目的とした。ある犯罪被害当事者の会の主催する集会にボランティアとして参加した人を対象としインタビューを実施し、データとした。データの整理はKJ法を参考した。整理の結果、参加者の語りの内容は、参加前、参加している間、参加後、現在、得たもの、その他という6つの段階に分かれることが明らかになった。6つの各段階において参加者の態度変容を詳細に図示し、その結果から見えた参加者の態度の変容について考察を加えた。
著者
田中 由貴乃
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.1-17, 2012-03-01

自由党総理板垣退助は、明治十五年末から翌年六月にかけ、フランスをはじめとするヨーロッパを巡見した。八年後に迫った国会開設を控えて、先進諸国の実情を視察するためであった。しかし、その時期や、費用の出資者をめぐり、先ず党内の反対派から疑惑が指摘され、内訌を招き、自由新聞からも馬場辰猪らが退社する結果になった。さらに、紛争は党外にも飛び火し、改進党からも批判を浴び、自由党との間に、それぞれの機関紙上で、論争が展開した。本稿では、以上の紛争と新聞論争の実態を明らかにしたい。
著者
河野 俊彦
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 社会学研究科篇 (ISSN:18834000)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.53-70, 2012-03-01

わが国の離婚率は,戦後一貫して上昇している。とくに1990年バブル景気の崩壊後から強い増加の傾向にある。普通離婚率でみると,1988年のバブル絶頂期に1.26であったものが2002年には2.30となる。その数は,わずか15年たらずで1.8倍にも増加した。そこで,離婚率の年次変化と経済変化を照らし合わせてみると,日本の経済成長率と離婚率の変化には密接な関係のあることがみえてくる。近年の急激な景気変動と社会環境の変化は,家計経済に大きな影響を及ぼしている。昨日までは当たり前と思っていた結婚生活の水準(人並みの生活)は,いつまでも容易に維持できるとは限らない。期待と実生活とのあいだに生じたギャップは,やがて夫婦間に言い知れぬ不満を蓄積させることになり,夫婦関係の安定性において潜在的に大きな影響を与えることになるのである。
著者
高屋 茂男
出版者
佛教大学
巻号頁・発行日
2019

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著者
中村 武夫
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大學大學院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.187-216, 1995-03-01
著者
太田 修
出版者
佛教大学
雑誌
歴史学部論集 (ISSN:21854203)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.83-110, 2015-03-01

本資料は、日韓会談文書全面公開(「日韓会談文書開示決定処分取消等請求控訴事件」)について東京高等裁判所で行われた裁判のために書いた陳述書である。最初に、日韓国交正常化交渉の歴史をふり返り、植民地支配・戦争被害が清算されなかったことを論じた。次に、この植民地支配・戦争被害を不問にする枠組みは、その後もそのまま維持されたわけではなく、1990年前後の東西冷戦の崩壊後には、日本政府の立場は、植民地支配不当論へと変化したことを明らかにし、その上で、今日の日韓間、および日朝間の植民地支配・戦争被害の問題における現状と課題について述べた。最後に、日韓会談文書非開示の問題点とその公開の公益性および必要性について論じ、日韓間、および日朝間にある植民地支配・戦争被害の問題を真に解決するためにも、日韓会談文書の全面公開が必要であることを訴えた。
著者
アンダソヴァ マラル
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学総合研究所紀要 (ISSN:13405942)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.71-81, 2014-03-25

本稿は、古事記および日本書紀における崇神天皇の段を取り上げ、オホモノヌシの登場をふくめ、両書におけるシャーマニズムの考察を試みるものである。古事記ではヤマトは異界として位置付けることができ、その中で崇神天皇によるオホモノヌシの祭祀が描かれる。それに対して、日本書紀では中国を意識した天皇像が描かれつつも、天皇が神々の祭祀を自ら行っていくというシャーマニズムの在り方がうかがえるのである。
著者
ジョルジョ プレモセリ
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.19-35, 2014-03-01

本論では、泰山府君を中心に陰陽道における祭祀と祭文という視点から平安後期における陰陽道の「宗教性」に関して考察を試みる。そのため、泰山府君が『今昔物語集』の中でいかに描かれていたかに着目し、古記録から泰山府君祭の記録に焦点を当てる。さらに、陰陽道独自の世界観を描いている祭文から泰山府君はいかなる陰陽道神であったかを検討する。祭文の中では、泰山府君が「冥道諸神十二座」の「十二冥道の尊長」として新たに位置づけられるが、このような展開は、『今昔物語集』や古記録にはみえない。十二世紀初期から安倍泰親が安倍家の陰陽師としての権力を押し出して、泰山府君祭を作り上げた始祖安倍晴明のように泰山府君の利益を貴族社会に宣伝した。平安後期の祭文における陰陽道固有の世界観の中では、泰山府君は顕密体制論の中の仏教的存在には解消できない面も見えてくる。そのことによって、祭祀や祭文を中心に考える見方が陰陽道研究の新たな展望を示していくだろう。