著者
南條 佳代
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.181-193, 2012-03-01

『枕草子』において、書に関する多くの記述がなされている。これは、書に造詣が深い清少納言ならではの書道観として、この時代の書風や様子を著しているのである。では、随筆である『枕草子』での書の扱われ方は、実際にこの物語が書かれた平安時代の書と、どういった関わりがあるのだろうか。本文において、紙(料紙)や消息文、添え物、書風の分析を加えながら検証していきたい。さらに、本稿では、『紫式部日記』より紫式部における清少納言の人物評について見ていき、それを踏まえた清少納言の書の捉え方、またこの時代の書の扱われ方について考察し、明確にしていくものである。
著者
中村 孝広
出版者
佛教大学
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.243-247, 2010-11-27

中村不折が皇紀二千六百年を祝って書いた掛軸「皇紀二千六百年記念」が真筆である根拠を記し、さらに掛軸を具体的に分析し、結果を記述したものである。
著者
植田 喜久子
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大學大學院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.161-172, 1999-03-01

阪神・淡路大震災後における視覚障害者の移動・情報入手の実態について視覚障害者10名に半構成的面接調査法を行い明らかにした。大震災により環境は変化し,視覚障害者は環境を把握するてがかりを失い単独での移動が不可能になり,移動時間の延長や移動範囲が狭くなっていた。また,震災後の情報の伝達方法は健常者中心であり,視覚障害者は点字,ラジオ,家族や知人の説明により情報入手していた。災害時に視覚障害者自身が自助努力のみで移動したり生活に必要な情報が入手できないため,誰もが視覚障害者の不自由について理解し対応する重要性がある。誰もが災害時に人間がどのような体験をするのかを理解し,いかなる状況においてもより豊かに生きることができるように生活のあり方について学習する必要がある。学習課題の緊急性を考慮すると災害に関する学習は,生涯学習の現代的課題である。
著者
西之園 晴夫 望月 紫帆
出版者
佛教大学
雑誌
教育学部論集 (ISSN:09163875)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.59-67, 2006-03-01

生涯学習社会においては,従来の個人的な教養や資格取得に対応するだけでなく,変動と多様化を迎えて専門職能の育成など高度職業教育を必要としている。この場合,従来の講義方式では多様化に対応できず,ゼミ方式の少人数方式では教育コストの面で多人数教育には望めない。そこで多人数でありながら,協調と自律を目指した自主学習システムを開発しているが,その方法論ならびに佛教大学で276名の多人数授業を実施したときの成果を報告している。
著者
斎藤 英喜 中嶋 奈津子 八木 透 星 優也
出版者
佛教大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2019-04-01

近年、地域の神楽には、都会から多くの見学者が押し寄せるなど、その関心、興味が高まっている。その一方では、担い手たちの高齢化、地域の過疎化によって、休止に追い込まれる神楽も少なくない。また神楽の執行が形式化、イベント化する傾向もみられる。こうした神楽にたいする関心の高まりと地域が抱える問題にたいして、本研究では、これまで重視されていなかった、「中世の神楽」の実態を明らかにすることで、神楽がもつ「宗教性」とともに、その歴史的な展開を示すことで、日本の宗教文化のあらたな面を提示することが可能と考えられる。
著者
加藤 邦彦 宮崎 真素美 疋田 雅昭
出版者
佛教大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2019-04-01

本研究では、「戦後詩の第二世代」と呼ばれる詩人たちの活動を支えた詩雑誌、「詩学」「現代詩」「ユリイカ」を中心に、昭和30年代の詩について研究する。戦後詩の第二世代は、批評の方面では非常に多く取り上げられているものの、研究としてはまだほとんど進んでいない。そこで、「詩壇ジャーナリズムの第一期」を形成した上記3誌に注目することで、(1)戦後詩の第二世代の特質およびその形成過程、(2)昭和30年代の詩の展開が雑誌メディアによって誘導され、かたちづくられたものであることを明らかにする。
著者
崔 銀姫 友永 雄吾
出版者
佛教大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2012-04-01

本研究は、1950年代から2000年代までの凡そ半世紀にわたって日本で放送されたテレビのドキュメンタリー番組における「アイヌ」というエスニシティの言説と表象の考察を通して、日本の現代社会における他者性の構築と変容を考察したものである。特に、本研究は、過去約60年間のドキュメンタリーにおけるアイヌの表象と他者性に関わる変容を,言説的実践や意味の生成,権力的作用といった表象のシステムに注目しつつ、学際的な(メディア研究や歴史学,人類学,民族学等)視座を踏まえたカルチュラルスタディーズの研究方法を用いて、番組を分析・考察するものである.
著者
森谷 峰雄
出版者
佛教大学
雑誌
文学部論集 (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
vol.97, pp.31-46, 2013-03-01

法然は、讃岐滞留に三つの福という名のつく寺-清福寺、真福寺、生福寺-を使って伝道したという謂れがある。しかも、夫々の間隔は、数百メートルであるので、拡声機もない当時に、これらの寺を同時に使用したとは、考え難く、又、時間を別にして、使用したとしても、近隣の故に、それほどの必要性はなかったと思われる。それでは、なぜ法然はこれら三福寺にかかわったのか、という疑問に出会う。それで、謎の三福寺とタイトルにしたのである。それは、法然がこれらの寺を建立したのではなく、当時すでに三福寺は建立されていて、それを法然が伝道に使用した、と考える。
著者
張 宇飛
出版者
佛教大学
巻号頁・発行日
2022

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著者
原 清治 山内 乾史 浅田 瞳
出版者
佛教大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2009

いじめはこれまでにも子どもたちや社会の様態にあわせてさまざまに深化してきた。今日では「匿名性」を特徴とするネットやケータイを利用したいじめが多く発生している。本研究ではネットいじめの発生要因にについて分析し、ネットいじめの新たな視点を提供することを目的とした。結果として、ネットいじめの要因として(1)ケータイの依存度の高さ(ケータイの使用時間、メールの送信回数)、(2)性別、といった従来の要因だけではなく、(3)学力移動によってネットいじめの被害に大きな差異が生じることが明らかとなった。また、(4)学校によってネットいじめの被害に大きな差異はみられず、学校文化による影響をネットいじめは受けにくいことも明らかとなった。
著者
大西 磨希子
出版者
佛教大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2019-04-01

中国史上唯一の女性皇帝となった則天武后は、革命に仏教を利用した。敦煌写本の『大雲経疏』はその仏教利用の実態を示す貴重な史料である。一方、則天武后が仏教美術に与えた影響については、いまだ明らかになっていない部分が多い。なかでも釈迦の涅槃をあらわした涅槃変相図は、当該期において、横臥する釈迦と会衆のみを描いた単純な構図から、荼毘や分舎利に至る複数の場面を含んだものへと大きく変化するが、その理由についてはいまだ判然としない。そこで本研究では、敦煌写本『大雲経疏』を調査し、則天文字の使用状況にもとづく底本の書写年代の解明と内容の読解を試み、そのうえで当該期に涅槃変相図が大きく変容する理由を検討する。
著者
黄 當時
出版者
佛教大学
雑誌
文学部論集 = Journal of the Faculty of Letters (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
no.97, pp.1-20, 2013-03

沖縄に、「さばに」という名の船があり、『日本国語大辞典』は、名称の由来を説明しないが、「さばに」は、「舟/船+α」の構造と意味をもつ名称のように思われる。 豊玉姫の説話の中に、屋根をまだ葺き終えないうちに産気付いた姫が産屋に入り出産する場面があるが、『記』『紀』は、火遠理命が姫の頼みに背いてその様子を覗いたところ姫は「和邇」や「龍」の姿に変わっていた、と記述している。 「和邇」と「龍」は、いずれも同じ情報を伝えているが、適切な海の民の視点を欠いたままでは、正確に理解できない。言葉は、文化である。異文化の言葉は、異文化の知識で解くべきである。 「和邇」と「龍」は、「大型のカヌー」である。「wa`a-nui(和邇)」は、ワァヌイもしくはヴァヌイに発音されるが、Hawai`iがハワイではなくハヴァイに発音されるように、沙+ wa`a-nuiは、サヴァヌイのように発音され、やがてサバヌイ、サバニとなったのではないか。 古代の日本語の問題を考えたり、古典を読み解くのに、ポリネシア語の知識や、船舶・航海の知識が役に立つという認識は、やがて常識となるのではないか。
著者
坂井 健
出版者
佛教大学
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.212-227, 2002-10-05
著者
東海林 良昌
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学総合研究所紀要 (ISSN:13405942)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.281-294, 2009-03-25

「随自顕宗・随他扶宗」の語は,浄土宗第七祖聖冏(一三四一-一四二〇)の教学を特徴づける概念として広く用いられている。すなわち「随自顕宗」とは,自宗の経論や論理を用いてその立場を明らかにすることであり,「随他扶宗」とは,他宗の経論や論理を用いて自宗の立場を扶助するという意である。言うまでもなく,聖冏は,教団の組織面と教理面において,浄土宗一宗の独立を基礎づけたとして評価されてきた。しかし,特に教理面で,二祖三代の教学とは異なる独自の論理を展開させていることから,これまで細心の注意をもって取り扱われてきた研究史がある。本稿では,聖冏教学に対する代表的な見解として,江戸時代中期浄土宗を代表する学僧の一人である大玄(一六八〇-一七五六)の思想を取り上げ,聖冏教学に対する分析や「随自顕宗・随他扶宗」の語について考察を行った。
著者
舩田 淳一
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学総合研究所紀要 (ISSN:13405942)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.359-380, 2009-03-25

近年,中世の律宗・律僧に対する関心は高く,多くの研究が蓄積されているものの,いまだそれらの中心は叡尊・覚盛ら南都の戒律復興僧が占めていると言って良い状況にある。そこで本稿では,叡山の戒律復興運動に対する一考察を試みる。具体的には叡山における律僧集団である「戒家」の劈頭をなす,恵尋を主たる対象に据えるものであり,特に戒家の戒律思想が国家観念と結合していた点に注目したい。これは叡山の戒律復興運動を中世思想史の中に位置づけるための基礎作業である。
著者
笹部 昌利
出版者
佛教大学
巻号頁・発行日
2019

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