著者
近藤 祉秋
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.86, no.1, pp.096-114, 2021-06-30 (Released:2021-09-23)
参考文献数
63

本稿では、渡り損ねた夏鳥の「残り鳥」や遡上するサケをめぐるディチナニクの実践について報告し、彼らが他種との間に築く「刹那的な絡まりあい」について論じる。北方アサバスカン民族誌学の先行研究では、「人間と動物」の二者関係が記述の枠組みとなってきたが、本稿では「人間-動物-ドムス」の三者関係から考察することを試みる。「刹那的な絡まりあい」は、ディチナニクが他種の生存に対する配慮を怠らない一方で、その関係性が束縛と支配に変わることを未然に防止しようとするせめぎ合いの中で生じるあり方である。ハラウェイは、人間と他種の「絡まりあい」を論じる際に、「自然と絡まりあう先住民」のイメージを前提として、「自然から独立する白人男性=人間」観を批判した。本稿の結論はハラウェイの前提には再検討の余地があることを示している。マルチスピーシーズ民族誌は人間と他種の絡まりあいに関する微細な記述を通して、生態学や生物学の視点からは扱われてこなかった側面を描くことができる。マルチスピーシーズ民族誌家は、人類学者独自の視点を通して、生態学者や生物学者の「人新世」論とより積極的な対話を図るべきである。本稿では、マルチスピーシーズ民族誌がとりうるそのような方向性の一例として、北米の生態学者によって提起された人新世論である「ハイパーキーストーン種」について民族誌事例を通じて検討する。
著者
宇田川 彩
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.84, no.3, pp.262-280, 2019 (Released:2020-02-12)
参考文献数
48

本論は、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに生きる世俗的ユダヤ人を対象とし、家庭で行われる最重要の年中儀礼の一つである過ぎ越し祭を事例とする。特に過ぎ越し祭の晩餐に用いられる典礼書『ハガダー』に着目し、儀礼を動かす力としての「順番」と物語について論じることが本論の目的である。過ぎ越し祭は家庭で行われる晩餐を中心とし、順番を意味する「セデル」に沿って進行する。『ハガダー』は一方で、動作と歌を文字通りに進め、食事を進めるためのマニュアルである。他方でハガダーという語は元来「語り」を意味し、マニュアルであるだけでなく、出エジプトの歴史を綴る物語でもある。 本論で世俗的として論じるユダヤ人は、自身のユダヤ性を説明する際に、その特徴は「宗教ではない」という否定形を用いる。ブエノスアイレスで可視性を高めつつある正統派のユダヤ人は、生活実践のすべてに対して厳格にユダヤ法を適用させようとする。その方法とは聖書とその解釈書に沿い、書かれた通りの指示に行為を従わせることである。マニュアルとしての『ハガダー』も、こうした役割を果たす。しかしながら、世俗的ユダヤ人にとって『ハガダー』は儀礼を進める順番を指示する典礼書としてよりは、物語としての重要性をより強く持つ。エジプト時代のユダヤ人の奴隷解放という物語は現在「私たち」が生きる物語へ、他方で神による奇跡譚は、自己が主体となる選択の物語へと読み替えられるのである。過ぎ越し祭の順番と物語は、年に一度、晩餐の食卓という場において『ハガダー』、食材や料理、食器といったモノが組み合わせられることによって実践されていくのである。
著者
川口 幸大 松本 尚之
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第54回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.D18, 2020 (Released:2020-09-12)

アフリカ有数の都市ラゴスに暮らす中国系移住者と地元住民は、必ずしも互いに好印象を抱いているとは言い難いが、その関わりの端緒から双方の必要性は織り込み済みであった。よってそこでは、好むと好まざるとに関わらず両者の交わりを伴わざるをえず、手放しで称揚するほどの美談はないが、喧伝されているほど悲惨ではない、必要に迫られたやりとりが交わされている。
著者
難波 美芸
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.83, no.3, pp.404-422, 2018 (Released:2019-05-12)
参考文献数
38
被引用文献数
1

ラオスの首都ヴィエンチャンでは、1990年代から、開発援助による首都の都市開発が本格化し、都市景観が大きく変わってきた。だが、その開発は局所的であり、舗装道路や堤防などの近代的な構造物が外国人や海外メディアに触れるエリアに集中して建設されている。こうした構造物を、インフラに備わっているとされる「本来の」役割を持続的に果たすよりも、ラオスが近代化したふりをするための表面的なものだとして否定的に捉える解釈は、先進国出身の外国人などからよく聞かれる。このような「表面的」とされるインフラ整備を、いわば擬似的な近代化でしかないとする見方の背後には、自他を差異化しようとする意図、あるいは類似への拒絶という他者化の問題を見出すことができる。このような他者化の問題には、アフリカ都市部の植民地状況における模倣の実践と、それに対する当時の植民地行政官や人類学者による解釈と類似した構造が見られる。本稿では、このような人類学における古典的な問題を現代の開発援助の文脈から検討していく。一見、非合理的なインフラのあり方を、差異化の道具とすることなく、それが生み出す効果を理解するため、本稿では、ラオス側が進めるインフラ整備を「インフラストラクチャー・フェティシズム」という概念を通じて理解することを試みる。それによって、この極めて可視的なインフラの呪物的な側面と、世界と繋がる媒体として働く機能的側面が表裏一体となって、どのように開発現場の現実を作り出しているのかを考察し、開発援助によるインフラ整備の一つの様態を描き出すことを試みる。
著者
上田 将
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.39, no.4, pp.324-336, 1975-03-31 (Released:2018-03-27)

The purpose of this paper is to give a brief account of Kamba witches (aoi, sing. muoi) . This paper is based on field work done in the Kyuso Division, the northern part of Kitui District, Kenya, from December 1970 to July 1973. People say they can find witches in every village. They fear witches very much. They don't want to marry the daughters of witches. Therefore, witches' daughters usually marry poor men with few cattle. The bride-wealth paid for a witch's daughter is less than normal. The characteristics of witches described include : (1) Witches are all women and their magical power (uoi or woman's uoi, uoiwa mundu muka) is inherited through the female line by doing a specific ritual in which mother and daughter join and shake their buttocks together, chanting a spell. Witches' sons do not inherit uoi at all. They are not regarded as witches. Kamba witchcraft is deeply involved with femininity. (2) Witches do not use any magical medicines (miti, ndawa) or fetishes (ithitu) . People explain that witches hide these kinds of things. Witches bewitch people by just scratching their buttocks or saying some suggestive words such as "You will see later." Witches' magical power originates from the inside of their bodies, especially their genital organs, not from medicine men or others. (3) It is believed that witches cause people many kinds of misfortunes such as disease, wounds, sterility, death, and loss of work. Witches can also cause 'disease, death, and sterility among livestock and the destruction of crops.
著者
村上 志保
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第54回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.E20, 2020 (Released:2020-09-12)

本発表では、習近平政権が宗教政策の柱として掲げている「宗教中国化」について、グローバル化とともに推移する民族・文化をめぐる解釈という視点から中国プロテスタントにおいて実際に生じている事例に基づき考察する。具体的には、活発なグローバル・アクターとなりつつある中国において、プロテスタント信者たちが経験し認識する「中国」が、「宗教中国化」示す「中国」とは大きく異なりつつある状況について議論する。
著者
池田 光穂
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.67, no.3, pp.309-327, 2002-12-30 (Released:2018-03-27)
被引用文献数
1

先住民社会に存在している薬草や治療技術の総体としての民族医療を、グローバルな資本主義の流通形態から解放する。これが本論文の目的である。人類が享受している医薬品の多くが先住民における利用にもとづくものであったことは自明の事実であるが、今日では歴史上の逸話にとどまり、人類全体が受けてきた便益に対する償還が検討されることは稀である。この理由を、筆者は近代医療の確立とともに生起した民族医療的知識の独自性と見なされている「非近代医療的性格」の主張であると考え、この主張が近代医療に付与されている知的財産権の概念を民族医療に付与しなかった根拠になったと考える。民族医療は、土地固有の知識と実践の体系であるという説明は、薬草が薬局方として成立したり、その有効性が近代医療によって証明されるという近代医療との相互交渉という歴史的証拠から、立論の限界が生じる。また近代医療は、民族医療の要素を取捨選択しながら領有することで、医療概念を確立してきた経緯ゆえに、近代医療そのものが民族医療に対して排他的な知的独立性を主張することにも限界が生じる。それゆうに民族医療の知識形態を知的財産として捉える立論の可能性を検討する必要が生じる。近代医療は民族医療を領有することを通して人類に便益をもたらしてきたという事実を認め、これまでの知的所有権に関する報酬の概念を拡張しつつ、その償還に関する方法が提案されてきた。人類学諸理論が、これらの実践的問題に対する法的および社会的整備に寄与する可能性は大きい。
著者
重信 幸彦
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.65, no.4, pp.344-361, 2001-03-31 (Released:2018-03-27)
被引用文献数
1

本稿は,昭和初期に主に印刷メディア上で「愛国美談」として喧伝された,日露戦争時の出来事をめぐって語られた「久松五勇士」の成立と展開を検討し、「沖縄」という場所が近代「日本」のどのような視線により語られ意味づけられたか,その政治的布置を歴史的に考察するものである。それは,近代「日本」を覆う印刷メディア群のなかを,一つの「話」が様々に文脈化されて流通するさまを通して民俗話を構成する試みでもある。まず,「美談」の素材となった歴史的逸話が,本土から赴任した国語教師に再発見され,それが中等学校用「国語読本」の教科書に教材として掲載されて全国的に流布した「美談」化の過程から,そこに,「沖縄」を覆う近代「日本」の「国語」という制度が介在していることを指摘した。さらに,この「美談」の素材なった逸話を再発見した国語教師は,「沖縄の土俗」にも興味を示し,それを積極的に喧伝していた。「沖縄」に注がれた,「美談」を発見する視線と「土俗」を対象化する視線は,ここでは極めて近い位置にあった。また,こうして「日本」という文脈をあたえられた「五勇士」は,「沖縄」生まれの研究者たちにより、昭和初期の「郷土沖縄]を語る場に取り込まれ、「沖縄」の自画像を描く要素の一つとして位置づけられる。そこには近代「日本」のナショナリズムと,「沖縄」で描き出される自画像の共犯関係を見出すことができる。そして,昭和初期に「日本」のなかの「沖縄」の「美談」として喧伝された「久松五勇士」は, 1980年代に,宮古島の久松が与那覇湾の淡水湖化計画に対する反対運動を組織していくなかで,今度は久松の「海」と「漁師の魂」を象徴するものとして再解釈されることになる。そこに,地域の結集のために既成の「美談」を脱文脈化し再利用していく,したたかな戦術を見出すことができるのである。
著者
二文字屋 脩
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第52回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.46, 2018 (Released:2018-05-22)

本発表は、タイ北部で唯一の遊動狩猟採集民と知られるムラブリ(the Mlabri)を事例に、脱狩猟採集民化を経験したポスト狩猟採集民に対する原始豊潤社会論の妥当性を検証するとともに、生産様式から議論されてきた原始豊潤社会論を、思考様式や交換様式といった視点から再考するものである。